私はかつてないほどの真摯な眼差しで眼下にあるそれらを見据えていました。
目の前に並ぶのは『武器』。
ただ目的のために創られ、それを達成させるために究極にまで洗練された形状。飾りとされる部分とさえ機能を果たすための一助となっている。
殺傷能力を極めた兵器群がある種人を引き付ける様に、方向性が違うも昇華された一つの結晶と言えるべきもの達は同様の魅力を備えていた。
その矛先である男性の劣情を煽るそれら、つまり女性用下着が私のベッドの上に数点鎮座されているのでした。
「むう」
そんなある側面においては相棒と表現しても良いものの前で私は唸っている。
官給品である以上一定以上の品質こそ越えられないものの、逆を言えばある程度の水準を保ち綺麗に性能をまとめられたものであるそれ。
それらに対して私は不満の気持ちを抱いていたのだった。
私は殊更下着に執着を持っている訳ではない。博士の様に権限を利用して、わざわざこのご時世に珍しい天然素材でなくては嫌だとは思わない。
戦時下なのであるのだから、衛生的であり、下着としてちゃんとしてくれればそれで構わなかったのですが。
けれども……けれどもこれらは私の許与範囲を超えている。
「ぬう」
子供下着であった。
ブリーフタイプでなかったのが唯一の救いだが、腰の部分と太腿の所にはゴムが通してある。
なるほど確かに私の体型は、はっきりと断ずるのならば幼児体型だ。そしてこの頃の私は服装に関しては至って無頓着であった。
よって『社 霞』の部屋にある下着類が全てこのタイプであるのも納得がいく。
今私が着用しても、第三者からは何ら違和感なく似合うと言うだろう。(無論、その第三者は夫以外に許すつもりはない)
しかし今の私は外見上十代の少女に見えるのだろうが、中身は三十手前の女性なのである。
残念ながら似合うから、はいそうですかと着られる様な精神構造はしていません。
嬉々としてランドセルを担ぐ大人を想像すれば良いだろうか。傍から見れば狂人以外の何者でもない。
そしてある下着は全て、形どころか色までも同じものしかなく、逃げ場が全くなかった。
かつての自分を盛大に罵倒してしまいたい気持ちをぐっと堪える。
兎にも角にも仕方がない。自分自身に文句を言っても何ら解決手段にならないのだから、建設的に考えるべきであった。
腕を組み、何か打開策がないだろうかと思案に耽る。しかしこれといって良策といったものは思い浮かばない。
まず考えられる手段としては気にせず着用することだけれども。
却下。
精神の平穏を考慮すればこんな常に気疲れしてしまいそうなものは身に纏っていたくはない。
戸籍上籍は入っているが、そういった情事が起きたことのない武さんに見られたのならば、それだけで恥で死んでしまいかねない。彼ならば気にしないのだろうが。
淑女としての嗜みです。
よって当然ながらこの案は却下。
とすればどこからか、この下着の代わりとなるものを調達しなくてはいけない。
正規の手段を取るとするのならば、博士の秘書的な立場に立っているピアティフ中尉に頼み込むことであった。
機密に深く関わることが多いうえに、世俗に酷く疎かった私にとって、細やかな身の回りの物の入手は彼女を通していた。
ふむ。これは一見悪くはないかもしれません。
博士に近い所に立つ彼女なのだから、全てを話されているとは思わないけれども、当然私の変質の件は耳にしている可能性が高い。
幼い少女の背伸びと捉えられてもおかしくないこの話も、案外何事もなく受け入れてくれるかもしれない。
意外と困ることなく解決できそうです。
何だか簡単にいけそうだなと結論付けようとした瞬間、私は身体を硬直させる。
そして額から薄らと冷や汗が一筋私の頬に垂れてきた。
忘れていた。大事なことを考えていなかった。
この状況でそれを言うのか?
完全に博士らと敵対している訳ではないが、今の私と武さんはあちらにとって限りなく黒に近いグレー。
自由行動を承認しているのだから余程目に余る行動以外は咎められないはずだが、こちらの行動に目を光らすぐらいのことはするはず。
当然中尉に話したら些末なことだろうが博士のもとに行き着くだろう。
『子供下着のデザインが気に入らないから取り替えてほしい』
そうなっては博士に向かってこう発言しているに等しい。
それを今日あれだけ啖呵を切った相手にそれを言うのか?
例え味方にはなれないかもしれないけれど、もう一度共に歩いていきたいと手を差し出した人に言うのか?
そう想像するだけで耳まで熱くなった。なんだかこう、叫んで部屋を走り回りたい気分だ。
「あが~」
しかし深夜である以上そんな五月蠅いことなんてできない。よって夫直伝の叫び声の元、自分のベッドにダイブする。
そしてごろごろと布団の上を転がった。並べていた下着類が床に散らばっていくが構わない。
しばらくそれを続け、落ち着いてきたところで仰向けになって止まった。まだまだ顔が少し赤いがなんとか持ち直す。
身体中、拡げていた下着まみれであるという、表現するとなんだか倒錯的な姿を今晒している。荒い息を整えていく。
ああ、恥ずかしかったです。
実行する前に気付けて良かった。もしやった後であったのならば、次に博士にどんな顔をしていけば良いのか、分かったものではない。
よってこの案も全力で却下。即座に頭のゴミ箱に放り投げる。
次の案を考えようとするも頭が回らない。頭が火照るような思いをし、その後シェイクする動きをして回転が落ちていた。
上がってくる考えも直に欠点が露呈し、早々に没になっていく。そのうちに面倒臭くなって思考を放棄する。ぼんやりと天井の光を眺める。
夜であることと、先程まで暴れていた疲労感がある種の悲壮感を私にもたらしていった。
もういっそのことこのままでも。
そんな破滅的な考えが出てきた。
先程まで偉そうに大人にランドセルなど狂っているとか言っていたが、実を言えば自分自身その領域に片足を踏み入れていた。
誠に遺憾で、この上なく不愉快であったが今の私が身に着けているのは、『社 霞』が持っていた下着に他ならない。
忘れて意識しない様にしてきたけれども、それは動かしがたい事実なのだ。
一度汚れてしまったのだから、構わないのでは。
そう諦めてしまいそうになると、頭に浮かびあがったのは一人の男性。他でもない自分の夫である武さんだ。
思わず深いため息がでる。この下着を拒否するのは私自身の羞恥心も大きな理由だが、もう一つの理由は愛する夫に対する見栄であった。例え見せる機会がなくてもなるべく綺麗な姿をしていたい。
だからこそこうやって色々考えているのですが……
思考がネガティブになっているのか色々考えているうちに、だんだんと原因である武さん自身のことを考えていた。
下着の話から連想をしてしまうのはいくらか悪い気分になるが、止めようとすればするほど逆にそれしか思い浮かばなくなってくる。
そしていつの間にか彼のことだけに集中してしまった。
腕で目を隠し蛍光灯の光を遮る。視界が真っ暗になった。
武さん。
私に思い出をくれた人。そして初恋の人で現夫。
傍に居るだけで幸せな気分になる。その妻になれたことは今でも嬉しいし、間違っていたとは微塵も思わない。
けれども時々、そうこうやって気分が落ち込んでいるときは、すっと彼に対して思うところが出てくる。
私と武さんとの関係の間には、かつての仲間の皆さんと純夏さんが遮る様に立っていた。
御剣さん。
球瀬さん。
榊さん。
彩峰さん。
鎧衣さん。
そして純夏さん。
武さんは今も彼女たちのことを仲間以上に、男と女の関係と言って良いぐらいに想っている。
別にそれは嫌ではなかった。それどころか私は武さんには皆さんこそが最も相応しいと、今でも思っている。
もちろんできれば私も見ていて欲しい。
あの時逃げる様に任務に没頭していた武さんに、なんとか助けになりたいと考えた末に柄にもなく押しかけて結婚を了承させたのも、私を見て欲しいという打算も少なからずあった。
(今思い出すと赤面ものだし、どう助けになるかまでは当時考えてもいなかった)
だがそれよりも重要なことは皆さんと武さんとの関係です。
前の世界では無理であった。皆さんは桜花作戦で命を失ってしまったし、純夏さんもあの時から眠ったままで目覚めることはなかった。
しかしこの世界には皆さんがいる。まだ誰も欠けることもなく存在している。取り返すことができるのではないかと夢想してしまう。
それは難しいとは分かっている。前の世界とは武さんの立ち位置はずいぶんと変わっているし、こちらの皆さんは武さんのことを想ってもいない。
それでも今の武さんを見ているのはつらかった。
訓練を厳しくするのもヴァルキリーズの皆さんと敵対するのも意味があるとは思います。でもそれが必要不可欠だとは、どうしても思えません。
避けている。
それが私が今の武さんを見て感じることです。自分がこれから裏切るから、思いを無駄にするからと、近寄ることを怖がっていました。
そして彼は未だにシリンダー室に立ち入っていない。純夏さんと会おうとしない。
それを見ていて私は非常に辛い。
なにより自分が何もできないのが辛い。
結局私が彼にできることは何にもないことが堪えられなかった。武さんが苦しんでいる時に、支えることができないのが苦しかった。
彼のために何かしたいのに、その方法が分からない。自分はなんて無力なんだと自己嫌悪してしまう。
否定が否定を呼び、ずぶずぶと思考が嫌な方向に沈んでいく。
………………
…………
……
「あがー!」
どうしようもない気分を叫んで吹き飛ばした。立ち上がって頭を左右に振り、先程までの考えを頭から取り除く。
止めよう。こういう考えは。夜だからかどうも否定的な考えが頭に蔓延してしまう。
いや違う。悪いのはこの下着だ。こんなものがなければ落ち込むことも悩むこともなかったのに。
こんな下着なんて全て無くなってしまえば良いのに!
いやいや、下着が無ければ困ってしまう。狂人は我慢できても変態は勘弁願いたい。
なんだか思考が二転三転してきて、普段ならば絶対に考えないことも平然と受け止めてきてしまっている。
これは早々にこの話に結論をだすべきであった。こんな話題で毎晩転げまわっていては堪らないし、時間の無駄である。代案を早く出そう。
207とA-1の皆さんの下着の中から、それらしいものを拝借するのはどうでしょうか。
だめです。体型が合いそうなのは珠瀬さんだけですし、彼女の下着もこっちと同じ気がします。
いっそのこと基地の備品課に夜襲をかけてこっそり奪う。それこそだめだ。変な動きをして博士に警戒されるなんてもっての外だし。
そもそもこちらの真意を悟られたらそれこそ死んでも死にきれない。いやそもそもなんで盗む方向に話を進めているのでしょうか。
ぐるぐるぐるぐると、思考のループが終わらない。頭の中にはなんだかメビウスの輪が浮かんでいる。
なんだか酔ったような気分になってきた。知恵熱とやらが本当に実在したことに驚く。
こんなくだらないことで武さんに迷惑をかけては…….
武さん?
それだ!
武さんは今の階級は中佐だ。勿論部隊を預かっていない以上、実権なんて無い様なものであるけれども、その階級には色々と特典が付いてくる。
PXでは自然と席が確保できるし、書類なども一般兵と比べて審査が甘い。それらは明文化されてはいないが厳然と実在していた。
そしてその中に嗜好品や消耗品などの優先配布もあったはず。さらに下着類は異性のタイプを選んではいけないとは規則に記されてはいない。
つまりは彼に頼み込めばすぐさま下着を手に入れることができるのだ。
なんでそんな簡単なことに気付けなかったのだろうか。今までの自分を愚かしく思った。しかしそんなことは些細なことだ。
時計を確認する。まだ消灯までには時間があった。善は急げとすぐさま立ち上がる。目指すは武さんの部屋。頼れる夫の元だ。
青年が十台前半と思われる少女の下着を注文した場合の周りの反応を、その時は失念していた。
そのあと彼の目の前でそれに気付き、咄嗟に話すことを止められて本当に良かった。
その時の自己嫌悪の表情が、明日起こしにくるなと言われたことに対しての不満の表情だと捉えられたことも幸運であった。
後日博士からの配慮か、成人女性が着るデザインとはいかないまでも、ずいぶん改善された下着が、ピアティフ中尉から届けられていた。
恥ずかしさで茹でダコの様になったのは言うまでもない。
一言。霞がかわいい。
ギャグとシリアスの配分を考えるぐらいならば、いっそ分離してしまえと思いこの話ができている。了承していただきたいです。ふざけた話も自重します。
短い話を連続投稿するのもこれから控えるので、今回は見逃してほしい。
総評。 すんませんでした。