3、「あれが、戦術機……!」~Prologue:Reincarnation~
***1984年 ハバロフスク近郊 国連軍基地***
「ひとつ、我々ソビエトの子らは世界の先駆けとして、常に規律正しく模範的な行いを心がけるべし!」
「「「ひとつ、我々ソビエトの子らは世界の先駆けとして、常に規律正しく模範的な行いを心がけるべし!」」」
ニスの塗られた椅子と机。一段高くなっている教壇には白墨が一本と汚れた黒板が一枚。25人の子供が立って祖国の標語を斉唱している場所はロシア中どこでも見られるような普通の教室だった。
ただしここは普通の教育機関ではない。その証拠に生徒は全員が美しい銀髪と碧眼を持つ5歳の幼児であり、教師役の男が黒と蛍光ブルーの国連軍の軍服を着ていて軍曹の階級証を付けている。
ここはハバロフスク内にある国連軍基地。元を辿れば大戦中に作られたソビエト軍の航空基地を国連がオルタネイティブ計画のために租借した建物だった。
「ひとつ、党の言葉は常に正しく最善である。党の言葉を忠実に実行しその威光を知らしめる事が"優秀者"になる唯一の方法である!」
「「「ひとつ、党の言葉は常に正しく最善である。党の言葉を忠実に実行しその威光を知らしめる事が"優秀者"になる唯一の方法である!」」」
(あ~、くだらねぇ)
その中の一人、フワフワの巻き毛を持った男子、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワは毎日繰り返されるこの"洗脳作業"にうんざりしていた。
彼は周りにいるほかの24人と同じような何も知らない子供ではない。ソ連が理想郷で無い事もこの暑苦しい標語を毎日2回斉唱させる目的も知っているし、それどころかこうした教育では決して教えられない筈の共産主義や独裁体制の問題点だって指摘できる。
彼にとってこの毎日の"教育"は無駄な時間そのものであった。
だが全てを知っているが故に、この日課から逃げた場合どんなことをされるかも予想がついているので、教官にバレないように口パクで斉唱をしているのだ。
唯一隣に立つ腰まで届く長い髪の女子だけが彼の怠慢に気付き、注意のために肘で彼のわき腹を突っついた。
(おいリュー、やめろ! どうせ影になって見えてねぇのに、バレちまうだろうが!)
何度かわき腹を突かれ悶えるユーリー。だが意地でもこの唱和には加わるまいと必死で耐える。
やがて呆れたのか、はたまた自身も叱責の対象になるのを恐れたのか、リューと呼ばれた少女は嘆息すると再び己の教科書に目を戻した。
(諦めたか……やれやれ危ないところだった)
必死で声を堪えてはいたが実際、彼の幼くて筋肉の無い体にはあの肘は相当辛かった。もう少しでうめき声をあげてしまうといった所で彼女が切り上げたのでなんとか助かったのだ。
やがて唱和が終わり、全員が教科書から顔を上げると教師役の軍人がユーリーの隣を指した。
「同志リュドミラ! 貴様を生んだのは誰だ?」
「はっ、偉大な父共産党と母なるロシアの大地です!」
教官の問いかけに先程ユーリーのわき腹を突いていた少女――リュドミラと言うらしい――が答えた。
「同志ユーリー! 貴様達第五世代の使命は何だ?」
「はっ、ハイヴに進入し最奥部にてリーディングを実行。BETAと意志の疎通を行うことです!」
ユーリーもさすがに今度は口パクで済ませるわけにはいかずに仕方なく教官の望む通りの返答をした。
「同志トゥリツァッチ・トゥリー! そのためには貴様達は何を犠牲できる?」
「――全てです! 私の手足が千切れ、血が最後の一滴まで乾くに至るまで! 我が兄弟姉妹は全員が一丸となって目的を達成します!」
「大変結構。では授業を始めよう。全てはソビエトのために」
「「「――全てはソビエトのために――」」」
一連の会話を終えようやく全員が席に着くことを許された。
熱狂は無かった。教官も形式以上の物は求めていない。ただただ淡々と課せられた義務――人工ESP発現体に対するソビエト連邦への盲従と奉仕の刷り込み――を確認するだけの儀式。
だがそれ以外に何も知らない幼子にとって1000、2000にも及ぶこの繰り返しは精神の根幹を成す絶対の価値観として刻み付けられていく。それは西側諸国からは洗脳教育と恐れられ、この国にとってはBETAと戦う20年以上前から続けられてきた当り前のことだった。
(くそ、なんでこんなことになってるんだ! せっかく死んであのクソッタレな地球連邦軍から解放されたと思ったのに、今度は大昔の独裁国家で宇宙人と戦えってのかよ!)
ユーリーは真面目な演技を全く損なわないまま、生まれてからの五年間、ほぼ毎日のように繰り返している懊悩を心中で叫んだ。
――ユーリー・アドニー・ビャーチェノワには前世の記憶がある。
それは第七次宇宙戦争時にニュータイプとして覚醒し、地球連邦軍に入隊させられルチル・リリアントに散々しごかれた記憶。年下の友人で戦友でもあるジャミル・ニートとの訓練の日々。そしてガンダムX三号機に乗って宇宙革命軍と戦い戦死した記憶。
だがただひとつ、自分の出身地や趣味の数々、ガールフレンドのメールアドレスだって諳んじる事ができるが、記憶の中で一つだけ、何故か己の名前だけがどうしても思い出せない。
どうにかして記憶の中の他人の会話や持ち物から名前を思い出そうとするが、忘却はインクでもこぼしたかのように名前の部分だけを完璧に覆い隠していた。
そのせいで前世の記憶は自分の記憶であるはずなのにどこか他人のように感じられ、ユーリーにはそれがとにかくもどかしかった。
「前回はBETAと人類の初接触に着いて話したな。誰か、"BETA"が何なのか答えられる者はいるか?」
教官が問いかけると一斉に24の腕が掲げられた。
ユーリーも渋々ながら腕を挙げる。ここで挙げておかないと返って指名されるのは目に見えている。
「では同志ヂビャノースタ君」
「はい。BETAとは国連名称Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human raceの頭文字から4文字をとった名称で我々の言葉では"人類に敵対的な地球外起源種"という意味になります」
「よろしいヂビャノースタ君、正解だ。彼らは容姿、能力によって8つの類別に分けられるが共生関係にあるわけではない。あくまでもBETAという一種類の群れとして行動しているという事が君たちが所属している計画の前身オルタネイティブ2で判明している」
教官は手元のファイルから何枚かの画像資料を取り出して黒板に貼り付けていく。
その資料に写ったBETAのあまりに奇形で異形な姿に今まで感情を見せなかった生徒達の中にも目を逸らしたり口元を押さえる者が出始めた。
(話には聞いていたけど……うへぇ、信じられないくらいグロい生き物だな)
「まず一番に覚えておくべきなのが光線属種。人類がここまで劣勢に至った最大の理由だ。小型の光線級の特徴は380㎞離れた高度1万mの飛翔体を的確に捕捉する照準能力と重戦車ですら一撃で蒸発させる威力を備えた生体レーザー発振器官を持っている。重光線級は攻撃方法は光線級と同じだがより高い照準能力と攻撃力を備え、さらに突撃砲に対する防御力まで備えている。どちらも戦場では最優先撃破対象だ」
教官が示した画像には全長3メートルほどで緑色の体躯で2つの大きな目を持った光線級の姿と、その五倍の体躯と大きな単眼を持ったピンク色の重光線級の姿が映し出されている。ぶよぶよとした質感と二本の人間らしき足は生徒達に生理的嫌悪感を高める効果をもたらしていた。
「要塞級は今まで人類が観測した中でも最大のBETAだ。巨体ゆえのタフネス、自由自在に振り回し溶解液を送り込む尾角、そして何よりも体内に小型種を格納していることがあるのが厄介だ」
ハチのような胴体に杭の様な10本の足を持った要塞級。全高は66メートルと下手なビルよりも巨大だ。
(でかい……まさか宇宙革命軍の砲撃MAグランディーネより巨大な生物がいるなんて)
MSに乗って宇宙革命軍と戦い続けてきたユーリーにとって宇宙は身近な場所だったが、彼のいた世界では地球以外に生命体は確認されていない。
今まで習った歴史などから薄々違和感を感じていたが、この写真を見てようやくここは自分の元いた地球とは違う世界なのだと確信した。
「次は小型種。我が祖国がヴォールクでした個体の中で歩兵の兵器でも有効打を与えることができるBETAのことだ。まずは兵士《ソルジャー》級。全8種中最小のBETAで人間を遥かに超えた腕力がある。そして闘士《ウォーリアー》級、こちらも対人BETAだな。挙動が俊敏で像の鼻のような器官は三トン近い牽引力を持っていることが判明している」
闘士級はまるで赤く光る蝿のような複眼を持った二本足の象《ぞう》のような姿をしている。兵士級は上半身は人間に近いシルエットをしているが肥大した下半身と6本の足がやはり異星起源種というべきか。
教官は全員がここまでの5体の資料を見たことを確認するとそれらを脇に押しやって残る3体の資料だけを真ん中に置いた。
「さて、これで5種のBETAを同志諸君に紹介したことになるが、これらのBETAにはある共通点がある。それはこれら5種類のBETAはハイヴ内には存在しない、もしくは存在しても脅威にならないということだ。詳しく言えばまず要塞級はハイヴ内での観測事例が無い。光線級2種はハイヴ内では生体レーザーを使わないし、兵士級と闘士級は戦術機に対して有効な攻撃手段を持っていない。君達の使命は戦術機によるハイヴ突入であるからして脅威となるのは残りの3種となる」
教官が再び資料を指す。そこには皺くちゃの人面を尾に持ったサソリのようなBETAや紫斑のついた甲殻を背負った犀のようなBETA、4つ足の真っ赤な体躯に人型の腕大きな口が胸元にあいた三種類のBETAの姿があった。
「要撃級。BETA戦力の中核を成す個体であり、主に2対の前腕を武器にして格闘戦を挑んでくる。BETAの中でも特に動作が俊敏で生命力が高い。特にこの前腕はダイヤモンドより硬く強靭で現在我々人類が製造できるあらゆる材質よりも優れた攻防自在の武器であることを覚えておけ。
次は突撃級。先の要撃級以上の硬度を持つ甲殻と衝角を備えておりその突進速度を生かした衝角突撃戦術をとってくる。外でならいざしらず狭いハイヴ内では脅威度がぐんと高くなる。
戦車級は小型種ではあるものの数が多くその口部は戦術機の装甲すら噛み砕くほど強力だ。こいつは多くいるBETAの中でも最も多くの衛士を喰ってきたBETAだ。決して対処を怠らないように。怠った奴は……こうなる」
「うっ……!」
教官が戦車級の資料をめくり今まで見えなかったもう一枚の写真を取り出す。
そこには何匹もの戦車級にたかられながらも必死に手を伸ばしてもがく戦術機の姿。それは人を模して作られたゆえに、中にいる衛士の生々しい断末魔をそのまま伝えていた。
(対処だと……ふざけるなよ! こんなのが数千数万もひしめく場所に送り込んで、何をどう対処しろっていうんだ!)
MS同士での戦場ならまだいい。
殺し合いに違いはないが少なくとも相手とは鍛え上げた技量と信念をぶつけ合って死んでいける。それは戦士としての死であり、尊厳のある死だ。
しかし
(けどこれは違う! 俺もリューもこんな風に化け物に食われて死ぬのも、実験動物として死ぬのも嫌だ……)
ユーリー達第五世代の人工ESP発現体はオルタネイティブ3の技術責任者にして東側の生物学第一人者であるセルゲイ・ラフマニノフ教授によって600体が"生産"されたが、未熟な遺伝子技術で作られた彼らの中から無事に人工子宮から出られたのはたったの半分でしかなかった。その300人ですら生まれて1年以内に74人が病死し、3歳から行われたESP開発実験や投薬の"事故"によって既に50人以上が命を落としている。
オルタネイティブ3での人工ESP発現体の損耗率は衛士の戦場での死傷率よりもずっと高いのだ。
「では最後にBETAの巣にして前進基地であるハイヴの説明に……ん?」
――ィィィィィィィィン!!
教官が資料を外し次の説明に移ろうとしたところで教室の外から甲高い金属音が聞こえてきた。最初は微かでほとんど耳鳴りのようだった音は徐々に大きく、教室全体に響くほどになる。
金属音が最高潮に達し、なんだなんだと教室が騒がしくなり始めた頃ドンと一際大きな音がして教室が揺れた。
「キャア!」
「何だ!? BETAか!?」
「ば、爆撃!? 逃げなきゃ死んじまうぞ!」
ビャーチェノワの一人がパニックを起こして外へと走り出す。
パニックは人工ESP発現体に備わった能力――感情を読み取るリーディング能力によって教官が止める間もなく拡大していき、窓から逃げようとする者、机にしがみつく者など各々がバラバラの退避行動を選択していた。
――リーディング能力を持つ者は相手の感情を色として思考をイメージとして捉えることができる。
ESPで得た情報というのは言語や視覚による情報と違い脳や精神に直接影響を及ぼすため傍目で見ている以上に影響を受けやすい。遺伝子調整のおかげで高い知能指数を持っているとはいえ彼らはまだ5歳児。ようやく知性や論理的思考を持ち始めた年齢であり、不意の事態に直面して冷静でいられるほど精神は育ってはいなかった。
大混乱に陥ったビャーチェノワの中で冷静だったのは唯二人、実際の精神年齢が20を越えているユーリーとその隣に座っていた少女リュドミラのみ。
「……ってリューは平気なのか?」
前世での従軍経験という特殊な経験を持つ自分はともかく、ただの五歳児であるはずのリュドミラが平然としているのはユーリーにはかなり不思議だった。
「平気だよ。だって敵の攻撃じゃないんでしょう? ユーリー」
長い銀髪を揺らし鈴の転がしたような声で答えるリュドミラ。
「よくわかったな……多分さっきのは飛行機かシャトルが不時着してきた音だ。ほら、今は放水の音が聞こえるだろう? あれはエンジンの火災を消しているんだよ。きっとこの周辺でソ連か国連の機体にトラブルが起きてこの基地の滑走路に誘導されたんだと思う」
「ふーん。ユーリーは物知りね」
リュドミラはふむふむと頷き大変感心している様子だった。
「物知りねって……やっぱり知らなかったのか。お前も皆の"色"が見えてるんだろう? 怖くないのか?」
ちなみにユーリーはESPとしてではなく別の能力で相手の精神に触れているせいか、他のビャーチェノワのように色やイメージで相手の心を捉えるというのはすこぶる苦手である。
「うん、怖くないよ。教室中に警戒の黄、興奮の赤、恐怖の黒がぐちゃぐちゃに混ざってちょっと気持ち悪いけど……でも、ユーリーを見てたら平気。あなたはクリーム色でほとんど落ち着いているもの」
「俺の感情はリーディングじゃかなり見辛いはずなんだがな」
「わかるよ、だって私は「落ち着けぇ! 落ち着かんか貴様らぁぁ!! これは敵襲ではない! 席に着け! 命令があるまで動くな!」
混沌としていく教室の様子にさすがにまずいと思ったのか、教官はその大音声でもって全員に呼びかけた。このあたりはさすが軍人。力強い声に不安を取り除かれて徐々に子供達に冷静さが戻っていく。
全員が再び席に戻ったことを確認した教官は教室備え付けの内線電話をとってどこかへ電話をかけた。
「こちらカテゴリファイブワン……はい、若干の混乱がありましたが今は……はい、それで原因は…………そうですか特務部隊のMiG-27が……はい、
了解致しました」
教官は電話の相手から何かの命令を受け取ると静かに電話を切りこちらへ向き直った。
「管制室から情報が降りた。基地機能に問題無し。だが念のために私は現状の確認を取ってくる。カテゴリファイブワンはこのまま教室で待機するように」
それだけ言うと教官はサッと身を翻して教室を出ていく。
パニックから立ち直ったばかりなのに突然放り出され、再びビャーチェノワ達はざわざわと騒ぎ始めた。
(子供に与える情報は無いってことか……)
当たり前のようにかけられる情報規制に呆れかえる。が、それでもある程度の事情を察することができた。
(さっきの教官の会話から察するに、エリート特務部隊の隊員サマが乗った最新戦術機が故障か撃墜されてここに不時着したって所かな。ハハッ、そりゃあ確かに教育上良くない話だな)
戦線悪化、異民族搾取、内部闘争、経済不振。外国に住んでいる人間なら誰でも知っているがソビエト連邦をとりまく状況は最悪だ。今は戦時体制下で情報規制を敷いていることでなんとか国家としての体面を保っているが、もし今日の事で疑念を抱いた人工ESP発現体が将来ここで――ソ連国内の国連軍基地という政治的に微妙な場所で反乱でも起こせばどうなるだろうか。
(まあ十中八九鎮圧されるだろうけど、政府は深刻なダメージを受けるだろうな。俺の世界の歴史通りのソ連崩壊が見れるかもしれない)
「ククク……」
「……ユーリー、今度は真っ黒ね」
リュドミラの指摘も耳に入らない。黒い笑いを漏らしながらソ連崩壊の日を思い描いていると窓の外に大型の輸送車両が通りかかるのが見えた。
カラーは濃緑、軍用の重機の中でも負荷40tを誇る超大型の油圧シリンダーと全長20mの多目的担架を持ったその車両は兵士から蝸牛の愛称で呼ばれるソ連の自走整備支援担架だ。戦術機の輸送と戦場での簡易整備の役割を負ったその車両はこの国連軍基地でも見かけたことがある。
なんとなく興味を惹かれたユーリーが身を乗り出して外を見下ろす。そして思わず息を呑んだ。
「あれが、戦術機……!」
眼下に見えたのはウリートカの背に横たわる炭素素材を纏った鋼鉄の巨人。所々に消化剤の泡が残ったまま左腰のエンジンと左腕がグシャグシャに潰れているが紛れも無い人型の機動兵器、戦術機アリゲートルの姿がそこにはあった。
――MiG-27 アリゲートル
ソ連初の純国産戦術機にして第一世代戦術機の域を脱することはできなっかったMiG-23チボラシュカの発展強化型にあたる本機は跳躍ユニットの可変機構などのチボラシュカ独自の技術を残しつつ弱点であった前線での整備性や稼働率に加えて、機動性、運動性を向上させた第二世代機である。MiG-23との外見上の差異は殆どないが機体を構成するパーツの9割を再設計によって頭部ワイヤーカッターは小型化され、また、通信や探知識別能力の向上のため、センサーマストは大型化されている。ナイフシースも大型化され、刃渡りの長いマチェットタイプの近接戦用短刀が納められているなど、同時期に発表された米軍のF-14 トムキャットやF-15C イーグルに比べて明らかに接近戦を意識した設計となっていた。
「バーニア……いや跳躍ユニットは腰についているのか。AMBACではなく空力で機動を制御するんだな」
元MSパイロットとして無意識の内にMSとの差異を探してしまうユーリーであった。
――そもそも戦術機とMSはその発生目的からして違う。
MSは宇宙空間で有視界距離で敵兵器に対して白兵戦を行うのが主な役割であり、その設計には機動力のほかに音速を超える速度で飛来するデブリや大口径の実弾兵器に耐えられる防御力と戦艦や敵MSを撃墜するための火力が求められていた。
逆に戦術機は光線級によって駆逐された航空機が陸戦のために進化した兵器であり、求められるのは低空での運動性能とBETAの物量に対抗するための継続戦闘能力だ。
そのためMSに比べて装甲は薄くて軽く、火力は兵器としては小口径の36mm弾と近接専用のナイフや長刀などが装備の主流になっていた。
「……剛性は低そうだからあんまり蹴ったり殴ったりはできないな。でもあの小口径のマシンガンなら至近射撃でも……」
「ねえ、ユーリー?」
「ん?」
窓から食い入るように戦術機を眺めていたユーリーにリュドミラが声をかける。彼女のニコニコとした笑顔がなんとも眩しくてユーリーは思わず目を細めた。
「ユーリーがそんなに楽しそうにしているの私初めて見た。ロボットを見て喜ぶなんて、やっぱり男の子なんだね」
「リューッ!?」
戦術機を見ていつもの子供のフリから完全に素の自分に戻っていたため、不意を突かれたユーリーはうろたえて叫んだ。
「いい加減俺を子供扱いするのはやめてくれよ! 俺達、同い年なんだぜ?」
勿論、肉体はともかく精神的には18歳分の年齢差があるはずだ。
だがユーリーはリュドミラと話していると彼女からいつも年下のように扱われる事に困惑していた。
外見はともかくユーリーは立派な大人である。それを感じ取ってか他のどのビャーチェノワも彼に近づこうともしない。そもそもこれだけ感情豊かで人間らしい人工ESPをユーリーは彼女の他に知らなかった。
「いいじゃない。だって私達二人は同じ人工子宮で育った双子で、私はあなたのお姉さんなんだよ」
ユーリーの精一杯の主張にも関わらず、リュドミラはクスクスと笑いながら彼の提案を却下した。
***同日 同基地 基地司令室***
ハバロフスクの国連軍基地司令室は常に清潔に保たれていた。床には塵一つ無く、デスクの上には最小限の書類しか置いていない。観葉植物は常に手入れされ艶々とした葉を茂らせていたし、この部屋の主もまた身だしなみに一部の隙も有り得ない。
伝令の兵士達は報告に来る度に見せられる変わらぬ部屋と司令官の様子にこの部屋の時間は止まっているのではと噂するほどであった。
「ガスパロフ司令、不時着したMiG-27の収容が完了いたしました! 機体は中破、左翼跳躍ユニットから火災があったものの防災班によってすぐに消し止められました!」
「よろしい。搭乗していた衛士の容態は?」
「骨折が数箇所に見られますが命に別状はありません。ただ少なくとも2ヶ月は戦線復帰は難しいでしょう」
「そうか……衛士の受け入れの手続きは私がやっておく。君は下がってくれ」
「はっ! 失礼します!」
報告を終えた兵士が司令室から出て行くのを確認したヴィクトール・ガスパロフは溜息を吐きながら革張りの椅子にもたれこんだ。
「まさしく大事件だな」
彼には基地司令として国連軍のオルタネイティブ計画監査として、そして共産党の党員として三重の責務が圧し掛かっている。3つの組織は時にはそれぞれの利害が相反する事もあり、ヴィクトールはその度にもう若くない体で利害の調整のためにアチコチを駆け回らなければならない。
ふと、彼はもう一人連絡せねばならない相手を思い出して電話を取ると短縮番号を押してある人物の部屋に電話を繋げた。
『もしもし』
「ラフマニノフ教授、私だ。先程の不時着騒ぎの事は知っているな?」
『これは司令殿。勿論じゃ。もっとも助手が人づてに聞いてきただけなので今ひとつ状況は掴めんのじゃが』
電話の向こうのセルゲイ・ラフマニノフ教授は僅かに声を固くして答えた。
教授にとってヴィクトール・ガスパロフ基地司令という男はオルタネイティブ計画遂行のための頼れるパートナーであり、ソビエトと国連から派遣された警戒すべき監視役でもある。
「戦線の偵察に出していたA-01の小隊が任務中に光線級にやられた。三機は撃墜、味方機の影になっていた一機だけが辛うじて帰ってきたようだ」
『なんと……! もうそこまで戦線が近づいていると?』
「ああ、党は戦況の悪化を隠していたようだ。この基地はすでに光線級の射程から大して離れていない立派な前線基地になってしまっていたというわけさ」
『では、わしらいよいよもアラスカへ……?』
「そうだ。情勢は極めて厳しいものと判断される。4個連隊あったオルタネイティブ直属特務部隊A-01はすでに半分まで壊滅。補充を要請しても党が送ってくるのは実戦経験の無いロシア人の士官ばかりだ。もはやハバロフスクに残ってBETAのデータを取りながらなどと言っている暇はない。我々は来年中にタルキートナの基地に移る」
『あそこはまだ建設中ではなかったか? それに人工子宮の完全移設は一年では無理じゃ!』
「そうだが居住スペースとインフラは既に完成しているので人員の移設自体に問題は無い。そして人工子宮についてだが……恐らく必要無くなる。オルタネイティブ計画の総司令部では人工ESP発現体によるハイヴに突入作戦が無謀だという意見が増えつつあるのだ。向こうは今生産している第六世代を人工ESP発現体の最終ロットにするつもりらしい」
『な、なんという冒涜じゃ! ハイヴ突入作戦が無謀なのは我々のせいではなく現行の戦術機の能力のせいじゃろう!?』
"最終"という言葉にラフマニノフ教授が大いに動揺して言葉を乱す。人工ESP発現体の生産を止めるということ、それはオルタネイティブ3計画が見切られることと同義であるからだ。
一方ヴィクトールも電話の向こうから響く怒声にも一切顔色を変えなかった。この程度の恫喝で怯むようでは人類を救う計画の監査役など勤まるわけが無い。
「君の言い分もわかる。だがそもそも我々が国連に計画として提出していたのはハイヴ外からのリーディング及びプロジェクション能力によるBETAとの意思疎通だったはずだ。それを計画実行を予定していた第四世代のESPの有効範囲が予定を大きく割り込んだからといって、戦術機適正を付加した第五世代を作るなどという遠回りをするのでは他所から見れば計画は半分頓挫しているように見えても仕方が無い。人類は未だハイヴを制したことがないのだからな」
『ぐむむむむ……』
オルタネイティブ第3計画発動後から現在まで、ESP発現体を製造する技術は着実に進歩していると言える。
かき集めただけの第一世代から血統交配による第二世代へ、第二世代から遺伝子操作を行った第三世代、投薬で能力調整を行う第四世代、戦闘力を付加した第五世代、そして高度な催眠教育と選抜を行って飛躍的にESP能力を向上させた第六世代。
そのどれもが最新技術と多額の投資による人類の英知の結晶であると同時にオルタネイティブ計画の中核として期待された能力を発揮できない欠陥品でもあった。しかもここ数年はラフマニノフ教授の研究は行き詰まり、第七世代の概念を作るどころか生物学的に人間にはこれ以上のESP能力の開発は困難なのではないかという推論も出てきている。
「一応、第六世代が戦術機に乗れる年齢になるまでは計画は続行される。だが恐らくチャンスは一度きりだ。そこで何の成果も出せなければ世界は別の可能性を模索し始めるだろう」
『……わかったわい。こちらは第六世代と第五世代の育成と観測機器類の開発に全力を注ぐ。機器類は少なくとも5年あれば戦術機に積めるサイズの物が完成するはずじゃ』
電話の向こうで老人ががっくりと肩を落とす様子が伝わってくるようだった。
教授の専門は薬理学や心理学、遺伝子学からESP能力を強化する事であってESP能力を観測したり増幅する装置はオマケの要素が強い。彼の落胆ぶりは押して知るべしといった所だ。
「こちらも期限ギリギリまでは資金面物資面は可能な限り融通してもらえるよう努力しよう。少なくともハイヴ突入作戦には最高の状況で挑みたいからな。……時に教授。例の第五世代の双子のミュータントとやらはどうしている? あなたが名前までつけた人工ESP発現体だ。期待してもいいのだろうか?」
ヴィクトールは資料に載せられた癖毛の少年と長髪の少女の二人の人工ESP発現体の顔を思い出しながら言った。
今まで報告書に載せられた断片的な情報でしかこの二人を知らなかったが、オルタネイティブ3がここまで追い詰められている以上、期待できる要素は一つでも欲しい。
『正直なんとも言えん。姉のリュドミラは単なる優秀なESP発現体だということが確定しておる。だが弟のユーリーの方は脳波の質から普段の言動まで全てが我々の想定を逸脱しておるのだ。"まるで宇宙人だ"なんて気の利いたジョークを飛ばす研究員もおるくらいにな』
「いくら突然変異といってもそこまで違う物なのか? たかが子供じゃないか」
『嘘だと思うなら後でビデオを見せてやろう。生まれてこの方ずっと我々の教育を受けているはずの5歳児が共産主義の授業をこっそり鼻で笑っているのを見たときは背筋が冷たくなったわい。IQが規格外なのか……もしかすると奴の能力はバッフワイト素子によるリーディングジャマーの影響を受けないのかもしれん。とにかく、今のところ分かっておるのはあ奴の思考はリーディングでは読めない事。意識下・無意識下のどちらも洗脳や催眠の効果が無い事。リーディング使用の際の作用に他の人工ESP発現体との類似点が無い事。そしてプロジェクション能力の有効範囲に難があることくらいじゃ』
セルゲイの提示した情報にヴィクトールは息を呑んだ。
「つまり我々のコントロールを一切受け付けない人工ESPであるというわけか? 由々しき事態ではないか。不確定要素、それも特大の不安要素だ。オルタネイティブ計画は勿論、党にとっても脅威になる恐れがある」
ヴィクトールは無意識の内に国連よりも党を上位に置いた発言をした。
『じゃが能力自体は大変魅力的じゃ。この"もう一つの"ESP能力を解析できればワシらはBETAに対してもう一つアプローチの手段を得ることができる。計画実行のためのまたとない保険になるのじゃぞ。手放せるわけが無い』
「しかし……」
『しかしもかかしもあるか! 例えどんな障害が立ち塞がろうとも、オルタネイティブ3を遂行する以外に人類が生き残る道はありえんのだ。ならばその障害がミュータントだろうと悪魔だろうと関係あるまい。あんたならわかるだろう? かつて自分の国を救うために自分の国を滅ぼしたチェコの英雄ならな』