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No.32864の一覧
[0] Muv-Luv Red/Moon/Alternative[大蒜](2012/04/21 02:12)
[1] 1、「また夢の話を聞かせてくれ」[大蒜](2012/05/17 12:54)
[2] 2、「なるほど、ミュータントじゃな」[大蒜](2012/05/17 12:55)
[3] 3、「あれが、戦術機……!」[大蒜](2012/05/17 12:55)
[4] 4、「世界最強の人間だ」[大蒜](2012/05/17 12:55)
[5] 5、「ウゥゥゥーーーラァァァァ!!!」[大蒜](2012/05/17 12:56)
[6] 6、「ここに人類の希望を探しに来た」[大蒜](2012/05/17 12:56)
[7] 7、「光」[大蒜](2012/09/19 22:17)
[8] 8、「俺の名前を呼んでくれ!」~A.W.0011~[大蒜](2012/10/23 23:34)
[9] 9、「待っています」[大蒜](2012/05/18 20:43)
[10] 10、「大佐を信じて突き進め!」[大蒜](2012/05/18 20:44)
[11] 11、「ひどい有様だ」[大蒜](2012/05/18 20:44)
[12] 12、「秘密兵器」[大蒜](2012/09/19 22:21)
[13] 13,「どうしてこんな子供をっ!?」[大蒜](2012/09/19 22:15)
[14] 14、「やはり、あいつは甘すぎる」[大蒜](2012/09/19 22:17)
[15] 15、「メドゥーサ」[大蒜](2012/08/25 00:36)
[16] 16、「雷帝《ツァーリ・ボンバ》」[大蒜](2013/03/09 21:40)
[17] 17、「あなたに、力を……」[大蒜](2013/01/15 00:46)
[18] 18、「トップになれ」[大蒜](2012/10/22 23:58)
[19] 19、「Lolelaiの海」~A.W.0015~[大蒜](2012/10/23 23:33)
[20] 20、「ようやく来たか」[大蒜](2013/06/24 00:41)
[21] 21、「何をしてでも、必ず」[大蒜](2013/06/24 00:42)
[22] 22、「謝々!」[大蒜](2013/06/24 00:42)
[23] 23、「二人が揃えば」[大蒜](2013/03/24 19:08)
[24] 24、「私を信じてくれる?」[大蒜](2013/04/30 15:56)
[25] 25、「天上の存在」[大蒜](2013/06/17 11:22)
[26] 26、「絶対駄目っ!」[大蒜](2015/01/07 01:55)
[27] 27、「僕がニュータイプだ」[大蒜](2016/08/13 23:27)
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[32864] 17、「あなたに、力を……」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/01/15 00:46
17、「あなたに、力を……」~Muv-Luv:RedCyclone~



――ひとつの未来の話をしよう

 その世界にはユーリー・アドニー・ビャーチェノワがいない。
 その世界では彼の不在によってリュドミラはただアジンとだけ名付けられ、イズベルガは陸上戦艦を作る事もなければ戦術機開発にも関与もしない。
 この世界のようにП3計画が前倒しされる事も無いし、MiG-31とF-14Dの選定がシベリアで行われる事も無い。

 だが大筋の推移は同じだ。

 ザンギエフはオルタネイティヴ計画を成功させるべく二年間シベリアでBETAと戦いながらA-01を鍛える。
 彼はソ連の英雄としてBETAの侵攻を食い止め続けながら、8月18日――今日この日まで友軍と市民を守るために奮闘するが、努力虚しくツァーリ・ボンバは起動し、ザンギエフやその副官は黒幕の思惑通りに戦術機の中で息絶える。
 ソビエト連邦政府は彼の死を悼みながらも、稼ぎ出された時間によって極東軍管区の戦力を整え白銀武が選択したオルタネイティヴ計画が発動されるその時まで、BETAとの希望の無い戦いを続ける。

 それは決定された未来。
 MiG-31の開発が進んでも、それによって前線の損害が多少減っても変わらない。
 今日までのイーニァやクリスカの参戦も、陸上戦艦の完成も結果に影響しない。

 ツァーリ・ボンバは爆発し、レッドサイクロンは多くの命と共に死ぬ。
 1989年8月18日 この日のシベリアに起こる運命と呼ばれる未来だ。


***1989年 8月18日 午後17時18分 シベリア軍管区 ж―2臨時設営補給所***

 ツァーリ・ボンバの起爆が通告され、戦線はにわかに崩れ始めた。

 元より万全の状態で持って初めて相手取れる物量のBETA群。
 弾薬不足に陥り支援砲撃の激減した状態で撤退を命令された事によって、戦術機甲部隊はまるで淡雪が溶けるようにその数を減らしていく。

 慌てたHQが撤退行動の中止を命じたのと弾薬の再分配によって支援砲撃が復活した事によって戦線を留めることができたが、それも少ない弾薬が続く間だけの一時的な安息であった。

「つまり大佐、住民の避難ルートの変更は道路の泥濘化《でいねいか》のせいだと言うですか? 600億ルーブルもかけた軍用道路が、たった数日の雨で?」

 管制ユニットの中で信じられないといった様子のトルストイ大尉が言った。

 現在、彼らA-01とレッドサイクロン大隊は戦域から離れた臨時の設営キャンプで補給と修理を受けている。
 重大な機密情報を得たザンギエフは、補給の間の僅かな時間を使ってトルストイ大尉に意見を求めていた。

「そうだ。避難経ルートは今日まで続く雨で泥の海となっている。恐らく実際は道路など作ってすらいないのだろう。加えて有事の際のシベリア住民の脱出計画は7年以上前から準備されているはずだが、移動用の車両どころか備蓄してるはずのガソリン燃料すら不足している」

「それならルート変更は止むを得ませんが……新ルートの発案者は誰なのでしょうか? ここに書いてあるだけでも避難時の指揮系統に関わっているのは民生省に内務省、政治局、シベリア軍管区。これでは避難活動がまともに機能するとは思えません」

「だが実際にはそれらしく機能している。誰かが糸を引いているのだ。そしてその人物は弾薬や道路建築費の消失にも関わっている」

「しかし、あまりに金額が大きすぎます! 赤軍時代ならまだしも、内部監視の強化された今の最前線でこれほどの汚職が蔓延るなど考えられません」

 データの分析をしながらもトルストイの顔が引きつっている。

 それも仕方ないだろう。
 正確な数字は不明だが、今閲覧できるデータの範囲だけで消失した物資の総額はソビエト連邦の今年の国家予算の4%を越えている。

「……確かに。これほどの金額、まだ煙のように消えたと言われた方が納得がいく」

 建材のような太さの腕を組んでデータ表示を睨みつけるザンギエフ。
 格闘であれば全てを巻き込み粉砕する彼の両腕も、戦場にいない相手を捉えるのは不可能だ。

 だがザンギエフは腕力だけの男ではない。
 彼はひとしきりデータに眼を通すと、眼に入れた事実を脳裏に浮かぶ全ての記憶と照合。

「――イワン、二年前にKGBが逮捕した政治局長官を覚えているか?」

「あのせっせと裏金を溜め込んでいた男ですか? 確か資金の出所を調べきる前に病死したと――あっ!」

「そうだ、おそらくはあの男が黒幕と繋がっていた。甘い蜜を与えられる代わりに何十年にも渡り道路の建設費、避難計画費、弾薬費、燃料費――全ての横領への追求を抑え、このシベリアを守る力が食い物にされるのを見逃していたのだ」

「ではまさか今回のツァーリ・ボンバも……!?」

「BETAを倒す為に用意したのではない。証拠隠滅と口封じ――防衛計画自体が最初からBETA殲滅ではなくそれらを狙って用意された物だ。となれば埋設地点も怪しい……」

「――――ッ!! まさか、この国はここまで……………」

――二度目の世界大戦、米国との冷戦、そしてBETAの来訪による大敗。

 世界初の共産主義国家として誕生したソビエト連邦は幾度も存亡に関わる危難に会ってきたが、その全てを乗り越えてきた。
 それはロシアという国の強大な軍事力による所が大きいが、その軍事力を民が支え続けてきたのはこの国が目指した平等と公正な国を作るというこの国の言葉を信じていたからだ。

 一度の過ちは仕方ない。
 まだ未熟であった国政のシステムは個人の権力を極限まで膨れあがらせ、党書記となった一人の狂人によってソビエト連邦は相互監視と粛清の嵐を伴う恐怖の時代を形作った。

 二度目の過ちも許そう。
 隣国に飛来した宇宙生命体の航宙船。
 未知の科学技術の獲得という欲に駆られたこの国の上層部は、それを独占するために安保理の合同軍の派遣に対し拒否権を乱発しそして今日に至る人類存亡の危機を招いた。

 三度目の過ち――中央防衛教育法。
 ロシアを、ロシアの国土とそこに住まぬロシア人を守るために少数民族を犠牲にするという不平等の体現。
 それはこれまで国家のために死んでいった全ての人間、戦場で銃火に斃れた兵士、革命や粛清の犠牲になった政治家、そして搾取で餓死した市民達全てに対する裏切りである。
 民衆の中で心から共産党に忠誠を誓っていたものは少ないだろう。だが、その心にあったはずの一片の期待すらこの国はまたしても裏切った。

――そして目前のツァーリ・ボンバ。

 4度目が示すのはソビエト連邦という国家の退化だ。
 理想を掲げ、労働者を開放した67年前。
 いくつもの困難と闘い続け、犠牲を払って乗り越えてきたにも関わらず、この国は我欲を貪るままだったロシア帝国の焼き写しのようになっている。

 通信スピーカーから聞こえる悲鳴が、あるいは慟哭に満ちた声はこの国のイデオロギーを信じて戦い続けてきたザンギエフを責めたてているように聞こえた。

 だが負けるわけには行かない。こんな未来を認めるわけにはいかない。

「まだだ、イワン! まだ終わったわけではない!」

 ザンギエフには起爆の中止を党に進言できるほどの証拠は無い。
 だが祖国のために戦う兵達をこのまま無駄死にさせ、死後に汚名を着せる事だけは絶対に許せない。

 例えツァーリ・ボンバの使用が国防会議の決定だとしても、起爆する前に目前のBETAを撃退すれば作戦を中止せざるをえないはずだ。

「HQ《ヘッドクォーター》、聞こえるか! なんとしてもツァーリ・ボンバを使わせてはならん! 攻撃だ! 炎のごとく攻めよアターカ ヴズルィフ!! ここでBETAを食い止めなければ我々は何もかもを失うぞ!」




***同日 午後17時48分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点40km***

――ツァーリ・ボンバ起爆45分前

『こちらHQ、全軍は直ちに目標地点まで進軍せよ。繰り返す、全軍は進軍を開始せよ』

 ザンギエフの命令を受けた司令部の決断は意外にも早かった。

 彼の言葉を裏付けるものは無い。だというのに、勝手に党の命令を覆して攻撃を指示している。

 階級上位者である将官がザンギエフの命令を受け入れる理由など無く、相手がただの左官であればHQは即座に戦場での反逆罪として死刑を命令していただろう。

 だが相手はあのレッドサイクロン。
 念を入れて調査してみればツァーリ・ボンバの埋設に関わった部隊とは連絡が取れず、本国から来ていた中央戦略軍団も戦域から消えている。
 これで状況は限りなく黒であることが明らかになった。加えて将官たちの中に口封じをされる心当たりがあるとなっては是非も無い。

 かくしてザンギエフの命令を追認する通告が発され、一時の休息を得ていた戦場は再び地獄へと塗り換わった。

 補給と修理を終え急造の補給基地を飛び立つ戦術機の群れが匍匐飛行で再びBETAの方へと向かう。

 外骨格を纏った装甲歩兵や、武装ジープに乗せられた機械化歩兵部隊が彼らに続いて大地を走る。

 だが此度血を流すのは衛士や歩兵ばかりではない。

『なんで俺達が歩兵の真似事なんかを……』

『おい、無駄口なんか……――ッ!! うわあああああああっ!!』

『隊長!? ――ひっ! な、なんでこんな所に要撃級がっ!?』

 BETAを殲滅するなら砲兵の支援は必須。
 だが空腹の砲兵陣地には弾薬を大量に消費する面制圧の余裕など無い。ならばどうするのか。

 答えは一つ。

 砲兵の中でも射程の短い迫撃砲部隊や戦車部隊は陣地を捨て、BETAの密集する中央部を射程に収めるまで接近するしかない。
 そして前へと出れば、当然危険も倍加するのが常である。

『戦線を要撃級が突破! 機械化歩兵部隊が損害を受けています!』

『第366砲兵大隊の通信が途絶!』

『まだか……砲撃はまだ再開できないのか!?』

 そこは死が支配する場所だった。
 BETAを滅ぼすために、戦士の命が流れ星の如く燃えて灰となる戦場。

 彼らが士気を維持できるのはソ連最大の英雄ミハイル・ザンギエフが先頭に立っているからに他ならない。
 赤きサイクロンの存在はソ連の勇敢な兵士に更なる力を与えるのだ。

 だが勇敢ではない、臆病な兵達はどうなるのか?

『助けてっ! 助けて、姉ちゃん、兄《あん》ちゃん!!』

『ひぃぃぃぃっ、寄るな! こっちに来るな! 戦術機は何やってんだ!』

 MiG-31AN3《ブラミャーリサ》が受信する開放回線《オープンチャンネル》を通じて、何十人もの兵士の断末魔が流される。

 通常なら全受信ではなくある程度遮断されるはずの末期の声を、ユーリーはあえてフィルターを切って全開放する事で全ての兵の断末魔聞き届けていた。

「――大佐、HQ《ヘッドクォーター》から通信! ツァーリ・ボンバの埋設地点が判明しました! 予定されていた地点から60キロ以上北のポイント……避難民と我々を含む右翼に展開中の軍団を完全に威力範囲に収めています!」

「――北だとっ!? BETAはどうなっている!?」

「威力範囲内のBETAは……全体の約半分です!」

 トルストイとザンギエフの怒号から読み取れる黒幕の意図――ツァーリ・ボンバにより戦線を崩壊させ、残ったBETAによってシベリア軍管区の兵力を全て抹消する。
 後陣の極東軍管区の部隊はその後に生き残った横領の関係者と半減したBETAを処理する。
 そのための二段構えの防衛線、そして共同作戦だった。

「イワン、この情報を国防会議に送って起爆の中止を進言しろ! 私の名前を使っても構わん!」

「駄目です、大佐。HQがもうやりました。国防会議は"調査によって事実が確認でき次第対応する"と……」

「――ッ!! おのれ、おのれぇっ! 敵は国防会議にまで手を伸ばしているのか!!」

 額に血管を浮かべながらザンギエフは己の膝に拳を叩きつける。

「ザンギエフのおっさん! このままでいいのかよ!?」

「攻めるしかあるまい……! ここで兵達をツァーリ・ボンバの殺傷範囲から逃しても逃亡罪が適用される。わが身可愛さにここまでの事をやってのける輩だ。狙った一人の口封じのために必ず全てを殺すだろう」

 ザンギエフの胸にあるのは決意。
 英雄の責任として兵達のために、たった一片の可能性でしかない肉薄砲撃を成功させるという並々ならぬ決意だ。

 疲弊してボロボロの戦術機甲部隊、弾薬不足の砲兵隊に士気の上がらない歩兵達という状況でも、彼らに生きる意志がある限りザンギエフは消して諦めない。

「――行くぞ、衛士達よ! 前進せよ、前進せよ! ここで命を燃やせ!」

「「「「ウラー!」」」」

 ザンギエフを頂点とした半円形の陣形を敷いたA-01を中心とする戦術機甲部隊は、砲を一門でも多く届けるためにBETAの猛攻を凌ぎつつ、陣形全体を前進させていく。

「いいか、戦車は移動のために無防備になっている! 要撃級は勿論、小型種も一匹たりとも通すな!」

 今この戦場に残る戦術機は僅か160機程。
 つい数日前までなら4個連隊を編成可能だった彼らは今や36軍や41軍、連隊や大隊を区別なく纏めなければ戦力にならないほど乏しい。

 だが臨時に作った半円型の戦線は防衛可能面積を大幅に縮小させる代わりに集中した弾幕が効率的にBETAの侵攻を食い止める。

「ケン! 2時方向だ!」

「……了解」

 ザンギエフの右前方から近づいてきた戦車級の赤い群れを、モリ大尉の直率するMiG-27《アリゲートル》の小隊が近接兵装を抜き放って斬り抜ける。
 MiG-27が振り回す巨大なハイパーカーボンの刃物は次々と戦車級を捉え、飛沫しぶいた体液が跳躍ユニットのジェット気流によって撒き散らされて辺りを更に赤く染め上げた。

「――いくぞ、小僧!」

「了解!」

 彼らの騎兵突撃キャバリーチャージの如き苛烈な攻撃の後に生まれたBETAのいない僅かな空間。

 そこへMiG/Su-01《ミドヴィエチ》とMiG-31 AN3《ブラミャーリサ ロークサヴァー》、2機の戦術機が滑り込む。

「「うぉおおおおお!!」」

 すかさず飛び込んだ戦術機から伸ばした主腕と副腕でもって振るわれる36mmと120mm弾の嵐。
 お互いの重量を反動を抑えるスタビライザーとして、まばゆいマズルフラッシュが背中合わせになったMiG-31 AN3とミドヴィエチを照らす。

 二機が惜しみなく放った劣化ウラン弾とキャニスター弾のウランりゅうのシャワーは落雷のようにその腕を伸ばし、周辺に圧力を加えていたBETAを駆逐した。


――ツァーリ・ボンバ起爆まであと35分

「データリンク更新! 戦況はッ!?」

 頬に張り付く髪を振り払ってユーリーは最新の情報に切り替わった戦域マップを睨みつける。

(俺達のいる中央はまだ余裕がある、けどそれ以外の両翼の戦術機の消耗が激しい……)

 戦線は相変わらず壊滅するか、持ちこたえるかのギリギリの線にある。

 だが戦域マップを見れば戦車部隊は既に予定地点に集結、迫撃砲を乗せた車両群もたった今到着した。
 予定より早い展開のお陰で陸上戦艦は間に合わなかったが、この火力であれば今のままでも十分制圧できるはずだ。

 あと少し。もう少しだけ耐えればこの地獄を乗り越えられる。
 耳に入る断末魔を振り切ってユーリーはCPに通信をつなげた。 

「CP《コマンドポスト》、砲の展開状況を教えてくれ!」

『もう少し……いえ、すぐに完了させます!』

 CPの宣告どおり、砲兵達は1分足らずでトラックに積まれたMLRSや迫撃砲を積み下ろし、所定の位置に設置を終える。
 墓石のように等間隔で地面に突き立てられ重砲や軽迫撃砲はすぐさま装填され、その方向を天へと向けられた。

『全体、砲撃開始ぃッ!!』

 200を越える迫撃砲の砲火が天へと伸び上がり、そしてその頂点に達した瞬間、BETAの最も密集する位置に向けて降下し始める。
 戦車砲も曲線こそ違えど戦術機の頭上を乗り越えるようにして目標へと向かう。

 地平線の彼方で周囲を真空化させる程の大爆発。

『やった! やったぞ!』

『ざまあみろ宇宙人め!』

『このまま撃ち続けろ! 俺達は生き残るんだ!』

 開放回線が賑やかな歓声に満たされ、戦場に歓喜の色が浮かぶ。

――しかし

『戦果を確認中……待ってくださいッ! べ、BETA集団に変化無し! 繰り返す、BETA集団に変化無し! これは……』

 CPがその驚愕の理由を確認する間もなく、第一波を追って放たれた第二波の榴弾が、今度はBETA群に届く遥か手前で紅蓮に爆発する。

 その直前に見えた数条の光の柱――人類にとっての災厄、光線級による砲弾迎撃だ。

『れ、光線級!? まだ残りがいたのか!?』

『照射警告っ!!』

 砲弾を迎撃したレーザーは今度は残した余力を持って遮蔽物を持たない前線の戦術機へと襲い掛かる。

 それまで要撃級や戦車級ばかりを気にしていた彼らがそんな攻撃に反応できるはずも無く、一瞬で三体の戦術機が赤熱した鉄屑と化した。

『HQ! すぐに重金属雲を……AL弾を頼む!』

『こちら、ライノ10! レーザーに隊長がやられた!』

 思いがけない反撃を受けた衛士達は組織的な戦術をとる事もできないまま、これまでの奮戦が嘘のように撃墜されていく。

 光線級の位置はほぼ一箇所――つまり彼らはたった今"出現"したということだ。

『増援……いや、光線属を一度に殲滅されないために地下に温存していたとでも言うのかッ! 馬鹿な!』

 戦略的には愚策だといっていい。
 いくら光線属の防護のためとはいえ、そのために速度を落としルートを限定してはせっかくの大軍も殆どが遊軍となってしまう。加えて防御の要である光線属も小出しにされてはBETA群の全てを守りきることは出来なかったはずだ。

 弾薬さえ十分であれば、あるいはツァーリ・ボンバの設置場所さえマトモであれば問題にならなかったBETAの行動。
 それが人類の仲間割れと噛み合いシベリア軍管区をここまで追い詰めている。

 その場に留まる者、勝手に逃走する者、混乱し敵集団へ突撃する者、戦場はかつてない混乱に陥っていた。

「おっさん! トルストイ大尉、モリ大尉! 俺達でもう一度突っ込んで光線級を排除しよう!」

 A-01との共同回線でユーリーが呼びかけるが、他の三人の顔色は暗い。

「無駄だ。光線級を守るBETAが多すぎる。帰りを考えなくても推進剤が足りない。せめて外縁部の敵だけでも排除できれば――」

 忸怩たる想いで光線級が表示される戦域マップを睨みつけるザンギエフ。

「そんな……チクショウッ!」

(わかってる。もう退くしかない――でも、こんな結末で本当にいいのか? もっと守れるんじゃないか? 俺がもっとうまく立ち回って……――くそッ! こんな時に何考えてんだ! リューを守りながら戦域をカバーできるわけないだろ! どっちが大事かなんて……大事なんて……)

 開放回線《オープンチャンネル》では相変わらず飛び交う絶叫が、多くの死を伝える。
 絶叫だけではない。
 MiG-31に施されたAN3装備は人工ESP発現体の持つリーディング能力を飛躍的に増幅させることができる。
 その力を使えば末期の声を出さない死――メドゥーサを捉えることもできた。

「            」
「            」
「            」

 恐る恐る視線を向ければ、脳裏に現れるいくつもの虚無の顔達――クラーラの最後と全く同じ絶望の色。

 衛士、戦車兵、歩兵を問わずに五、十と表示されるウィンドゥは瞬く間にその数を増やし、そして即座にBETAに食われて消えていく。

 断末魔も残せず、生きた証すら霧散するような死に様にクラーラが死んだ時の心を砕かれるような痛みを思い出した。

(今が……今が決断の時だってのか――!)

 クラーラのあの赤い死に様が記憶に蘇り、彼の懊悩を更に深くさせる。

――なりたいのは特別な人間か、それとも普通の兵士か

――欲しいのはザンギエフのような英雄の力か、ただ涙を流すしかない無力か

――救いたいのは半身であるリュドミラか、名も知らぬ他人か

「俺は……俺は……」

 自分が選ぶべき選択肢は――

「――くそっ! やっぱり駄目だ! こんなのは絶対駄目なんだ!」

「おい、ビャーチェノワ准尉! どこへ行く!?」

 A-01衛士の制止も振り切ってMiG-31 AN3《ロークサヴァー》を旋回させたユーリーは棒立ちのまま動かないMiG-21《バラライカ》の方へと向かった。

 生きる気力を失った兵士。なんとか持ち直してもらうにはどうすればいいのか。

「なあアンタ! またステーキを食いたくないか? 俺、食糧班の奴らが牛肉を隠してる冷凍庫を知ってるんだ。基地に戻ったら俺がくすねて来てやるからさ。だから――」

[照射警告]

 友軍への照射警告が鳴り響いた瞬間、MiG-21の装甲の上をレーザー光が走り、機体の管制ユニットは紅蓮の溶鉱炉となる。

「――ッ!! くそっ!」

 言葉にならない感情を飲み込み、ユーリーはすぐさまマップに映る戦車師団の発症者の方へと向かう。

「おい、もうちょっとだけ頑張ろうぜ! ここにはあのレッドサイクロンがいるんだ! すぐ逆転できる! 俺達はまだやれるって!」

「         」

―――ギィィィィ!!

 要撃級か、戦車級に取り付かれたのか。今度は友軍の姿が見える前に鉄がひしゃげる音がしてマーカーが消える。

「こっちへこい! こっちなら安全……」

「         」

 通信途絶。まともに声すらかけられなかった。

「チクショウッ! 次は……――――ッ!!?」

 次の反応に向かおうとしてマップを覗いたユーリーは愕然とした。

「         」

 メドゥーサの反応が消えたのではない。

「         」「         」
「         」「         」
「         」「         」
「         」「         」

 増えている、続々と増えているのだ。

 党からの切り捨て、2度の作戦失敗、加えて長時間の戦闘によって蓄積した疲労。

 その全てがこれまで仲間の死に耐えながら激戦を戦い抜いてきた被支配民族の兵士達の心を完膚なきまでに叩き折る。

 もはや個人の力でどうにかなる数ではない。

「……く、くそぉ……チキショウ……チキショウ、チキショウ! なんでだ! なんで俺は誰も救えない!」

 目じりをこぼれる熱い物を流れるに任せ、彼は叫ぶ。

 リュドミラを守ると決めながら、彼らに手を伸ばしたにも関わらずやはり自分は何も出来ない。死んでいった者とこれから死に行く者のために、自分は何もしてやれない。

「ジャミルも、リューもクラーラもっ! どいつもこいつも皆、俺の力じゃたった一人も助けられないのか……!」

 慟哭に答える声は無い。

 ザンギエフもモリもトルストイも必死だ。
 あと数分で崩壊する戦線。自らもそこから離脱できる位置を目指しつつ撤退できる友軍を可能な限り拾い上げる。
 ユーリーのように戦意を失い死に向かう者を救おうなどと到底考えられるはずが無い。

 そんな中で





――泣かないで   





 声が聞こえた。

 回線の故障かと思ったユーリーはラジオを確認するが、通信が入った様子は無い。

「……?」

 幻覚か、それとも雑音か。
 
 わからないまま、しかしある予感がよぎって――

「……ユー、リー……泣かないで、ね?」

 今度ははっきり聞こえた。

 優しげな、鈴を転がしたような声。

 恐る恐る首を向ける。

 忘れようも無い。
 この二年間何度も夢で聞いた声――

「――ッ!! リュー!? 眼が覚めたのか!?」

「うん……」

「あ……ああ! リュー、リューなんだよな!?」

 振り向いた彼の眼に映ったリュドミラには二年間の昏睡の後遺症の様子などまるで見えない。

 少し寝すぎたとでも言いそうな彼女の姿を見て、安堵と共に胸の底からずっと堪えてきた慙愧の念がこみ上げてきた。

「ごめん、ごめんよ! 巻き込んじまって、俺ずっとお前に謝りたくて……」

「うん……いいの、いいんだよ」

 振り向いたユーリーを受け止める様に、後部席から回されたリュドミラの両手が彼を抱きしめる。
 細い腕が、体温が、サラサラと顔をくすぐる長い髪がこれが夢ではなくまぎれも無い現実だと教えてくれる。

「わかってる。私全部知ってるよ、ユーリーが辛かったこと、一生懸命頑張ってくれていたこと。私達はずっと一緒だったんだもん」

「リュー……」

 二年ぶりの再会に、ユーリーは一層激しく涙を流す。
 リュドミラは子供をあやす母親の様に彼の背を撫でている。
 だがふとその手が止まり、前方に向けられた。

「――だから私よりも、今はあの人達を助けてあげて」

「――ッ!!」

 リュドミラの細い指と真摯な眼差しが差す架空の画面。
 何をしても救えず、しかし未だに増え続けるメドゥーサに囚われた兵士達が映っている。

「そんな……! 無理だ、駄目だったんだよ! お、俺だってなんとかしてぇ! なんとかしてやりてえよ! でも……」

 ごめん、と心中で死に行く者達に詫びるユーリー。

「違うよ」

 その弱気を責めるようにリュドミラは強く首を横に振った。

「あなたならできる。……ううん、あなたにしかできないの。嘘やザンギエフさんの真似じゃ絶望に囚われた心には響かない。あの人たちが欲しいのはそんな物じゃないの。だから本当の気持ちを、自分の言葉で伝えてあげて。助けたいっていう、あなたの気持ちを諦めないで」

 リュドミラはその深海の瞳に並々ならぬ決意を見せて、彼に道を指し示す。

「――俺の言葉? 気持ち?」

「そう。今度は大丈夫。一人じゃできない事も二人ならきっとできる。あなたに欠けている力は私が補うわ」

 スッとリュドミラの双眸が細められる。
 同時に複座の管制ユニット内部に不思議な空気の流れが起こり始めた。

「ユーリー、あなたに――」

 "力"を含んだリュドミラの声がユーリーに何かを教えようとしている。
 彼女の強い意志。現在を変え、未来を創り出すために何が必要なのか。

 それは一つの答え。
 ユーリーが二度の生で探し続けてきた、本当に特別な答えだ。

 AN3装備に属する電子機器が明滅を始め、反射する光がさわさわと揺れるリュドミラの銀色の髪を不思議な色合いに染めていく。

「――あなたに、力を……!!」


***同日 午後18時13分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点22km***

――ツァーリ・ボンバ起爆20分前


『聞いてくれ!』

 崩壊寸前の戦線に少年の声が響き渡った。

『皆、仲間を失って辛いんだよな? ずっと大事にして、これからも一緒に暮らすはずだった家族を失って辛いんだよな?』

 HQ《ヘッドクォーター》の許可を取らない全軍への通話――当然、軍法会議ものである。
 だがHQはその声を止めない。

 いや、無線もスピーカーも介さない謎の交信を止める事など、誰にもできるはずがない。

『俺には家族に死なれて一人になる苦しさはわからない! でも、戦って死んでいった奴らがどんな想いを残して逝ったのかはわかるよ――知ってるんだ!』

「これは――」

 リュドミラが目覚めてユーリーが叫ぶ様子が映るウィンドウを、ザンギエフは眼を見開いて見ていた。

 この声は、この子供の言葉はいつかアラスカで聞いた未熟でわがままだった言葉とは違う。

「プロジェクションだというのか? しかし――」

 子供の声には真に迫った重さがあった。
 多くの兵を預かる歴戦の将帥や国家の命運を握る政界の重鎮のように、命を背負った者の重みがこの声にはある。

 成長、と言えばいいのか。
 しかしたかが二人の子供。
 それが呼びかけただけでこうも強い力を感じる事があるのだろうか。

「――大佐っ! 火災です! MiG-31《ブラミャーリサ》から炎が!」

 トルストイが切羽詰った様子で叫ぶ。

「炎だと……いや、なんだアレは?」

 彼らの眼に飛び込んできたのは緑色の光。モニターに映るMiG-31 AN3《ロークサヴァー》が管制ユニットから見たことも無い緑色の光を放っている。

 明らかにガスやレアメタルによる炎色反応ではない。幻覚でもない。
 そしてタルキートナにおいて人工ESP発現体達が観測した光とも違う。

――この光は確かに存在する物理現象の形を持って顕現している。

『あいつらは……俺達は仲間にこんな風になって欲しくて戦ったんじゃない!』

 光はまるで心臓の鼓動のように脈打ち、収縮を繰り返す度に徐々に大きさを増していく。

 不思議なエネルギーに焼かれる機体は搭乗者の声に答えて唸りを上げ、限界以上の放電出力でもって体中に備え付けられたセンサー類をフルに稼働させていた。

「これは……間接思考制御システムが暴走を起こしているのか?」

 装着者の意思を統計的に数値化し戦術機や強化外骨格の予備動作に反映させるという間接思考制御システム。その中でもヘッドセットと強化装備で観測された脳波の数値が異常だった。
 人間の出せる数値ではない。まるで嵐のような波形がシステムに入力され、データに変換されている。
 これが通常の戦術機ならそもそもデータを受け付けないか、機材が故障《ショート》するのが当然だだろう。

 だが今のAN3の解析機材は仕様に無いその入力を処理し、この未知の現象を引き起こしている。

 管制ユニットを包む程度だった光は今や戦術機全体を包み、周囲を侵す夜の闇さえ遮って辺りを緑色に照らしていた。

『――俺達が生きられなかった未来を代わりに進んで欲しいって! もし、それも出来ないのなら、せめて死ぬまで精一杯生きて欲しいって!』

 だが、それだけではない。

 あの光を見ていると疲労で震える四肢に力が蘇る。

 あの光に触れると諦念と絶望でからっぽになりつつあった心に何かが湧き上がってくるような感覚がある。

『――そう思いながら俺達は逝ったんだ! だから――』

 不思議な言葉だ。
 この子供はまるで一度死んだことがあるかのように物を言う。
 だが嘘をついているとは思えない。

 ザンギエフは思う。強く思う。

 あそこにはただの光線にはありえない、人の深部に作用する何かがある。

 そしてそれこそが、あの日タルキートナで出合った子供から自らが見出した希望だ。

 人類に必要なのはグレイの新型爆弾でも、党政府が思い描いているような超能力者による軍隊でもない。

 今ここにある光を誰もが胸に抱けるようになれば――

『――だから、負けるなっ!』

 乗り手の声に答えるかのように光は倍々に力強さを増す。

 鼓動のように収縮する光が今、更に密度を増して――



――″みんな、負けるな!!″



 絶望のシベリアに、二度目の太陽が昇った。




***午後18時10分 ソ連領シベリア軍管区 高度1万9000 再突入駆逐艦アレクサンドル・コジェーヴ 艦内***

 
(ツァーリ・ボンバの起爆が通達されてから既に一時間半……作戦はどうなっている)

 ベルトを装着した体を簡素な座席に預けながら、クリスカ・ビャーチェノワは駆逐艦の窓を覗いた。
 窓はつい先程まで荒廃したシベリアの大地を写していたが、超高高度に移行した今は僅かに月明かりを反射する雲の海と、太陽光の偏差が少ない故に夜空のような黒い空しか見えない。

(いや、上手くいっていないのだろうな。地上に嫌な色が見える)

 作戦の第2フェイズまでは順調だったはずだ。だがそれ以降の情報を知る術が無い。
 ロゴフスキー少佐が持つ高級将校用のデータ端末を覗ければ話は別だが、一介の少尉にそんな事ができるはずもない。 

(このまま着陸まで5時間。それまでじっとしているしかないのか)

 クリスカは桜色の唇からため息を零しながら、それでも外を見ることをやめない。
 参戦することは叶わなくても、せめて同志の奮戦を見届けることがソビエト軍人としての義務である。と彼女は考えていた。

「ユーリーがきになるの、クリスカ?」

「……いいえ、防衛作戦の成否が気になっているだけよ」

 4列ある駆逐艦の座席、その隣に座るイーニァからの無邪気な質問キラーパスにクリスカの体は一瞬だけ強張った。

 その硬直を誤魔化すように自分の前に置いておいた軽食のビスケットを差し出す。
 イーニァはクリスカの意図に気付いた様子も無く笑顔でそれを口に含んだ。

「ふふふ、おいしい」

 イーニァはこの駆逐艦に乗ってからとても機嫌が良い。
 あれだけ気に入っていたユーリーと離されるのだから何かゴネるのではないかと思っていたが、出立の時間になり荷物を持った彼女は一目散に駆逐艦に飛び乗り座席に着いた。
 あとは離陸してすぐに窮屈だといって安全ベルトを外した位で、それ以外は全くといって良いほど動きが無い。
 これは彼女にしてはかなり珍しいことだった。

「イーニァ、大丈夫? 耳鳴りがしたり頭が痛くなったりしていない?」

「うん、わたしはだいじょうぶだよ。ミーシャもへいきだって」

 イーニァは無邪気に笑って膝に乗せていたソレを持ち上げる。

――ミーシャ

 一昨日のあの雨の日にイーニァがユーリーから貰った熊のヌイグルミである。
 ミーシャはクリスカから見ても大人しく礼儀正しいヌイグルミなのだが、とある理由からイーニァがそれを持ち運ぶたびに顔色を悪くしていた。

「イーニァ。あのね、その子の名前なんだけれど、どうしても他の名前じゃだめなの?」

「? ミーシャはミーシャだよ。あのね、フルネームはミハイル・ザン――むぐっ……ングングッ」

 続きを言わせる前にクリスカの手がイーニァの口にもう一枚ビスケットを放り込んだ。
 一瞬驚いたイーニァだったが、ビスケットが彼女の大好きな苺味だと気付くや再び満面の笑みを取り戻す。

 このヌイグルミを貰ったその日、情操教育の資料でヌイグルミには名前をつけるべきだということを知ったクリスカはすぐにその事をイーニァに教えた。

 だが、生まれてからずっと番号で呼ばれていたイーニァにとってこの新しい家族を名付けるのは簡単なことではない。
 結局、丸一日散々悩んだ挙句、彼女が付けたのは身近にいた最も"熊っぽい"人物――ユーリーの上官のソビエトの大英雄の名前。

 当然、クリスカはその場で難色を示したのだが、イーニァは生まれて初めて自分で"家族"に与えた名前を撤回することは無かった。

「むぐむぐ……んっ、……ふふっ!」

「さっきからずいぶん機嫌がいいのね、イーニァ」

「うん! こっちにはこわいへびがいないから!」

「蛇……」

(――そういえば、今朝からずっと同志ベリャーエフがいない)

 辺りを見回せばタルキートナから連れて来たオルタネイティヴ計画の研究者達や、彼らの護衛についているはずの警護のSP達すらいなくなっている。

 駆逐艦はそれなりに広いとはいえ、これだけの大人数を見逃すはずが無い。

(……基地から出発した駆逐艦はこの一隻だけのはず)

 不気味な物を感じたクリスカはベルトを外し、熱心に端末を叩くロゴフスキーの元へと向かった。

「少佐、よろしいでしょうか」

「む、ビャーチェノワ少尉か。なんだ?」

「ベリャーエフ准教授の姿が見えないのですが、あの方はどうしたのですか?」

「……同志ベリャーエフはブラーツク基地に残った。なんでもオルタネイティヴ計画から流出した機密物資を回収してから陸路で戻るそうだ」

「流出した機密物資、ですか……? ――っ! まさか、リュドミラ姉様のことですか!?」

 昨夜遅くにタルキートナから運ばれたらしい物資――リュドミラの事を思い出し顔を青ざめさせるクリスカ。
 ベリャーエフの行動にどんな意図があるのかは分からないが、撤退中の兵力の無い危険な基地にわざわざ残る理由などそれこそ彼女の身柄くらいしか思い浮かばない。

「詳細は知らんよ。知りたくもない」

「しかし――いえ、なんでもありません」

 この間のベリャーエフの異様な気配を思い出したのか、いかにも忌々しいという風なロゴフスキーの態度がクリスカから質問する機会を奪った。

 リュドミラの安否が気になる。

 だが耳に飛び込んだイーニァの甲高い声が彼女にその思考を放棄させた。

「クリスカ! きてきて! ほら、このした!」

「どうしたの?」

「リュドミラがめをさましたよ!」

「なんですって?」

 驚いて彼女の元へ戻ってみればイーニァは窓に顔を押し付けるようにして眼下の大地を見つめている。
 高度はすでに2万キロ以上。
 そんな距離で個人のイメージを捉えるなど第六世代のトップクラスの能力でも難しいことなのだが――

「これは――」

 窓の外には相変わらず分厚い雲海が空を遮っている。

 だが人工ESP発現体としてのクリスカの視力には雲海とは全く別の色が見える。
 先ほどまでBETAのように戦場を覆わんばかりだった絶望と諦念の色、それらに必死で抗わんとする新たな輝きが見える。

「ね、リュドミラでしょ? ユーリーといっしょにいるよ。みんなをたすけるんだって!」

「――さっきから何を騒いでいる?」

 二人の様子を不審に思ったロゴフスキーが、座席に座ったままクリスカに問いかけた。

「はっ、それがその……ビャーチェノワ准尉です。彼が地上で何かしているのですが……」

「地上だと? 何かとは何だ?」

「それは……」

 クリスカは言葉に詰まる。
 ESP能力の専門家でないロゴフスキーにこの状況をなんと説明すれば良いのか。自身も、眼下で起こっている状況など正確に把握していない。

 彼女が見たのはシベリアの大地で輝く碧緑の宝石だ。精神波でありながら、肉眼でも確認できそうなほどの密度を持ったソレをなんと呼べばいいのだろうか。

「……もうすぐ分かります」

「何……? どういう――」

 眉根を寄せたロゴフスキーが詳細を聞き出そうとした瞬間、


――"みんな、負けるなっ!!"


 地上から放たれた光が、駆逐艦の装甲を素通りして二万メートルも離れた"彼"の言葉をここまで届けた。

「お、お袋の声? ――いや、馬鹿な。何だ今のは?」

 何が起こったか分からないロゴフスキーが驚いた様子でキョロキョロと周りを見回している。

 普段の厳格で利己的なロゴフスキーからは想像もつかない姿だが、周りを見れば全員同じように呆けている。

「みえるよ、あたたかいこころ! きこえるよ、やさしいこえ!」

 興奮した様子で眼を輝かせながら座席を飛び跳ねるイーニァ。
 クリスカにも見える。第六世代であるイーニァ程ではなくても、彼女のリーディング能力は確かにその様子を捉えることが出来る。

 凄まじい大きさの光だ。
 絶望に濁り暗く澱んでいた戦線の色。それを吹き飛ばし、全てを照らし出すような新しい光が地上に生まれていた。

「暖かい人間の心……そう、そうだね。イーニァ」

 戦線の兵士だけではない。

 あれは全ての人工ESP発現体にも希望となる。

 自分達がオルタネイティヴ計画の関係者が思うような人形ではなく、他の人間と同じように生きる一つの命である確かな証明だ。

 胸に残った"声"の温もりを確かめるように向日葵の櫛を抱きしめる。

「ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ。私もいつかきっと……」



***同日 午後18時18分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点31km地点***

――ツァーリ・ボンバ起爆15分前


――その瞬間を、ザンギエフ達は確かに見た。


「動いたっ! 動いてくれた!!」

 嬉しそうなユーリーの声――今度は正規の通信に則った物がミドヴィエチの管制ユニットに響く。


 生きる意志を失い、BETAの群れの中で石像のように動かないはずの戦術機。

 BETAに囲まれ、死を待ちわびていたソレがMiG-31が放つ光の波動を受けた瞬間、すんでのところでBETAの攻撃を避けたのだ。

 ソビエトの最も深い闇、その底から一人の人間が救われる瞬間を彼らは目撃した。

「……石化の病《メドゥーサ》が、解けた? これまで誰も、大佐ですら治せなかったのに」

「………………」

 モリも反応こそ違えどもトルストイと同じ感想だろう。

 その戦術機の動きは鈍い。
 操作は甘くまだ死に未練がある中途半端な物だったが、あれほど深い絶望に沈んでいた人間が再び生へと向かっただけで彼らには驚愕に値する。

「あれがESP能力。オルタネイティヴ計画が造った特別な力……」

「――違う」

「大佐?」

「――特別な力ではない。あれは……あの光は我々も持っていたはずのものだ。この地上で誰もがこれだけは失うまいとして、しかし戦の激しさから擦り切れさせてしまった物……」

「……? ――ッ!」

 その真意を問おうと上官の顔を伺ったトルストイは声も出せなかった。

 ザンギエフが涙を流している。
 どんな戦でもどんな苦境に陥っても弱音一つ吐かない鋼の戦士が、生涯最強の英雄であり続け国家のために涙も弱みも決して見せないと誓った男が、まるで尊い物を見たかのように頬をぬらしていた。


――"負けるな"

 弱い言葉だ。ザンギエフは思う。

 彼が選んだのは"勝て"ではない。
 戦況はあまりに絶望的で、この場にいる兵士達には既に反撃の力さえ残されていない。

 生きろ、ですらない。
 ただひたすらに圧倒的なBETAの勢いに人一人の努力など到底無意味だからだ。

 だから"負けるな"。
 希望的観測も、打算も、その場しのぎの嘘もない。
 あの子供は心から求めた願いをただ一つの言葉にした。

 何一つ嘘偽りの無いの言葉。
 故にその言葉は力を持った。

 ある者には母親の声として、ある者には仲間の声として、またある者には息子や娘の声として。
 モリのような日本人であれば言霊《ことだま》というかもしれない。
 欧米人であれば神の啓示《オラクル》というかもしれない。
 声は力として、確かにここに顕現した。

 それは戦術的に見れば、奇跡と呼ぶにはあまりにも小さな力だ。

 ユーリーがしたのは15機足らずの戦術機を救い、その他の無事な兵士を慰撫した程度。
 メドゥーサの全てを救えたわけではないし、今こうしている間にも僅かづつ損害は広がっている。

――約4分

 本来訪れるはずの未来からすればたった240秒、戦線の寿命を延ばしたに過ぎない。

 例えるのなら天から落とされた蜘蛛の糸のような物。
 希望と呼ぶには余りにもか細く、そして見え辛い救いの手。

 だがBETAという激流に溺れ瀕死の彼らはもがきながらも確かにソレを掴み取り――


『――誘導に成功! BETA群の一部が移動を開始しました!』


――そして未来が変わった。


『ポイントB-3から8までのBETAが誘導によって後方の陣地に向かい続々と進路を変更中! これは――光線級の出現地点が無防備になっています!』

 さきほどの迎撃により判明していた光線級の分布図と、それまでテコでも光線級の側を離れなかった外延部のBETAとのあいだに空白地帯が生まれている。

 立ち直ったHQがすぐさま生き残りの砲撃陣地にAL弾の発射を全軍に命令し兵士達が命令に従い砲弾を装填しようとした時、彼らの砲撃より一足早く巨大な砲弾が戦場の空を貫いていた。

 砲弾はすぐさま光線級の迎撃を受けて重金属雲となるが、遅れて届いた凄まじい砲撃音が戦場の兵達にその威力を知らしめる。

 それは幾たびの戦場を越えてきたシベリアの砲兵達ですら聞いた事のない、巨大な火薬の咆哮だった。

『オーホッホッホッホッホ!!』

 戦域マップ写されたのは世界で最も海から遠い戦場に運ばれたソビエト連邦海軍北方艦隊のIFF――ようやく戦場にたどり着いたヴリャーノフ級陸上戦艦。

「刮目しなさい! こんなこともあろうかと! こーんなこともあろうかと、極秘に設計して本国から取り寄せておいた私の艦砲主砲35センチ砲! この反動、音、自動給弾装置《ベルトリンク》の軋む音! 戦場の支配者のお出ましよ!!」

 そして繋がった回線に映る高笑いの女と倒れこんだ男――イズベルガ・オッティールト・ピョヒョが陸上戦艦の艦長らしき男を押しのけてウィンドウに映っている。

「砲口35センチ! 2連装4門装備の砲身長は20メートル、他の艦艇を圧倒する毎分2,2発の発射速度に砲身寿命は3割増! 一発辺りの威力では日本《ヤポン》のヤマト級に負けるけど、私が手がけたこの子の射程は6000m増の48000m! さああんたたち、陸軍の祖チン共に本当の砲撃って奴を見せてあげなさい!」

「「「はい、同志ピョヒョ!」」」

「オーホッホッホッホッホッホッホッホ!!」

 続いて放たれる第二波。
 副砲、主砲、そして急遽副兵装としてカタパルト部分に溶接設置された馬鹿げた台数のMLRSを加えたその砲撃はこれまでせいぜい重砲程度しか知らなかったシベリアの兵士達の度肝を抜く。
 圧倒的な投射火力を発揮した陸上戦艦はただの一隻で陸軍の砲兵二個旅団の二斉射分の仕事を済ませてしまった。

『重金属濃度上昇! 重金属雲、展開しました!』

 そして事ここに至ってザンギエフは確信した。

 これは一個の奇跡だ。
 ユーリーが生み出した4分という時間と陸上戦艦。
 0%だった勝利の可能性は0.1%に覆り、0.1はさらに1%にまで引き上げられた。

 あとはその1%を誰かが100%に引き上げれば良い。
 そしてそれができるのは世界でただ一人――

「――これより光線級吶喊を行う!」

「「「――ッ!!」」」

 ユーリー、トルストイ大尉、モリ大尉やA-01の面々が息を飲む。

 全員分かっている。
 これがツァーリ・ボンバを食い止めシベリア軍管区の数万、数十万の命が生き延びるための最後のチャンスだと。

 だが戦局はどこも苦しく、補給も無く衛士達は前進するどころかその場に踏みとどまっていることすら奇跡のような状態。戦力の抽出を行えばその戦線は瓦解する。

 仮に光線級の掃討に成功しても戦線を救うためには一刻も早い制圧砲撃を行わなければならない。攻撃部隊はまず生還できない。

「へっ、おもしれぇ! やってやろうじゃねえか!」

「ユーリー、貴様はA-01と共に後退だ」

「んげっ!?」

 気炎を上げていたユーリーに釘を刺す。

「隠しても無駄だ。貴様の機体、先程から電子機器が焼き付いてまともに飛ばすこともできていないな」

「そんな……!」

 苦々しい表情のユーリー。
 事実、彼の載っているMiG-31 AN3は先程の発光現象から間接思考制御が全く働かない。機体は他の操作系統も現在進行形で火花を上げていて、まっすぐ進むことすら困難な状態。
 加えて戦闘開始からすでに半日以上が経過していて休息をまともに取っていないリュドミラの体調も不安だった。

「そもそも誰もついてくる必要は無い。突撃はオレ一機で行い、光線級全体を巻き込めるポイントでS-11を作動させる。それが一番確実な作戦だ」

「「「――――ッ!!」」」


 己の愛機――MiG/Su-01《ミドヴィエチ》には通常ならハイヴ突入部隊にしか許されない自爆装置S-11が2基装備されている。
 いつでもその命を祖国のために使えるようにというザンギエフの要望を叶えたその爆薬は、2基あれば光線級の分布地点を殆ど壊滅させられる威力を持っていた。
 まるで神に進むべき道をお膳立てされていたような状況――いや、やはりこれは運命だとザンギエフは再確認した。

「ケン、貴様も残れ。その推進剤残量では足手まといにしかならない」

「……しかし、拙者は」

「ケンよ、貴様は十分働いてくれた。もう昔の事は気にしなくていい。京都の紅蓮に話を通してある。帝国へ戻っても問題ないはずだ」

「……国許には戻りませぬ。ザンギエフ殿に受けたこれまでのご恩、この国に奉公することで報いる所存にございます」

 居住まいを正し、モリ大尉は初めて堅苦しい長文を話した。

「ふっ、これが武士道という奴か。よかろう。貴様の進退に文句は出さん。さて、イワン。貴様も……」

「生憎ですが、途中まではお供させていただきますよ。ミドヴィエチの自爆の範囲を逃れる光線級がいくらかいます。もう一発くらい花火が必要になりますが、いくら大佐でも一日に二回も自爆するのは少し厳しいのではないですか?」

「しかしS-11は……」

「ユーリーのバズーカの予備弾倉を使います。S-11と同じ爆薬を使っているあれを4発分も放り込めば光線級はあらかた片付くでしょう」

「……大馬鹿者め」

 笑顔すら見せるトルストイに成す術なしと判断したザンギエフは苦笑いしながら同行を許した。

 時間も無い。ミドヴィエチの跳躍ユニットに再び火を入れ、光線級の元へと向かう。
 その背をMiG-31がフラフラと追いすがっていた。

「待て! 待ってくれよおっさん!」

「その機体でどうするつもりだ?」

「機体はミドヴィエチと変えればいい! ザンギエフのおっさんが生き残るべきだ! 俺よりもアンタのほうがずっと強いじゃないか!」

 命と引き換えに自分を生かそうとするユーリーに少しだけ驚く。

 この子供とは先日言い争ったばかりだ。
 考え方は違っても、彼なりに人類の貢献を考えているとわかりザンギエフは胸の最後のつかえが取れた気がした。

「――いや、これでいい。これはオレの仕事だ。お前を生かすためにもオレはここで死ぬべきなのだ」

「そんな……、どうして!」

「貴様には誰にもできないことができる。オレは……駄目だった。ミンスクのあの地獄でオレは戦うことよりもハイヴからの脱出を優先した。――怖かったからだ。連隊の仲間や妻の断末魔が聞こえていたのに、BETAの恐怖に怯え、無為の死が許せなくて、自分以外の全てを見捨てたのだ。俺は英雄などではない。……あの時、オレはハイヴの外へ出ることしか考えていなかった。引き返すことなど考えもしなかった。誰かを救う力を持てるのは、お前のように他人のために何度でも絶望の中へ手を伸ばせる奴だけだ」

 ユーリーは一心にMiG-31を操作するが、先程の異常動作でMiG-31の操作系やAN3装備周りはすでにその殆どが機能を停止している。

 ついに限界を迎え黒煙を吹きながら不時着するMiG-31を尻目に、ミドヴィエチは更に出力を上げてBETAの群れの中へと突っ込んだ。

「――わかんねえよ、おっさん! 止めてくれ、もうよしてくれ!! お、俺には力なんて無い! あんたみたいな勇気も立派な志も持っちゃいないんだ! なあおっさん、どうしてそんな事を言うんだ。どうして俺を責めないんだ! 助けてやるから自分の命の分までBETAと戦えって、人類のために命を奉げろってどうして言ってくれないんだ! 俺はそのために生まれたんだ。オルタネイティブ計画が作った使い捨ての命なんだ……あんたが、」

 スピーカーから漏れる声が掠れている。

「あんたさえそう言ってくれれば俺は世界だって救って見せるのに……」

「しょぼくれるな、ユーリー。この世に使い捨ての命など無い。死に行く者は誰もが命を次の世代に繋いでいくのだ」

 穏やかに笑いながらと手元のコンソールを操作。
 上位者権限を利用してMiG-31とのデータ回線を開く。

 送信するのは15年分の戦闘記録、議員や重役との連絡手段に汚職の証拠、預金口座の電子キーなど。
 そして最後にザンギエフ生涯の誇り――党書記直々に授けられた赤い暴風をモチーフとした彼のパーソナルマーク。

 このたった4ギガバイトのデータがザンギエフがユーリーに遺せる全てであった。

「これは……」

「約束の自由だ。レッドサイクロンの称号を持つ物には独立行動権が認められている。後は党にいる友やヴィクトールがなんとかしてくれるだろう。言っただろう? 俺を殺せば自由にしてやると。あの日貴様の全てはレッドサイクロンが貰い受けた。今日からは貴様がソビエトの赤きサイクロンだ」

「あ……ああ…………ぁあああああああっ!!」

「これで貴様は自由になれる。どこへ行くのも、どんな大人になるのも好きにしていい。だがもしも、お前が再び立って誰かを守る時が来たら……その時はこの称号を役立てろ」

「同志大佐! 我々は納得しかねます!!」

「赤きサイクロンは全ソビエトの希望です! それをこんな子供に継がせるなど!」

 ザンギエフの真意にようやく気付き外野《A-01》がくちばしを突っ込んでくる。

「貴様らは黙っていろ! 最初から決めていたことだ!」

 ザンギエフの一喝。

「初めて会った時、コイツは俺の戦歴を知ってもなお立ち向かってきた。こいつの姉もそうだ。希望のために、子供の体でオレに勝負を挑んできた。お前達にそれができるか? いや、それ以前にお前達の中で誰か一人でも訓練中に俺を本気で倒そうと戦ったことがあったか?」

「わ、我々にあなたを倒せるわけがないでしょう?」

「BETAはオレよりももっと強いぞ。お前達はBETA相手にも"倒せるわけが無いから"などと泣き言を言うつもりか?」

「………………」

 上官に痛い所を突かれたA-01の中隊長は押し黙る。

 言うべき事は言った。
 A-01との通信を切ったザンギエフはBETAの波を掻き分けながら光線級の元へと急ぐ。

――ツァーリ・ボンバ起爆7分前


 BETAの只中を進んでいたミドヴィエチとトルストイのMiG-27《アリゲートル》はついに重金属雲に突入する。

 残弾は僅か、しかし時間をかけられない彼らはそれでも弾薬を撃ちまくるしかない。

「大佐、私もそろそろお別れのようです」

 ザンギエフとトルストイは同時に最後の突撃砲を手放し、MiG-27は腕部に収納されたマチェットナイフを、そしてミドヴィエチは両腕のモーターブレードを起動させる。

 「色々と苦労をかけたなイワン」

 トルストイは答えずに敬礼だけを返して、BETAの海の中に消えていった。

 気障なその仕草にアイツらしいと苦笑いを零しながらザンギエフは近づいてきた要撃級にブレードを振るう。

 これから自爆しようというのに胸の内には恐怖も絶望感も無い。ただ希望と期待がある。

 これからも人類はBETAの攻勢を受け続けるだろう。

 ユーラシアは失われるかもしれない。人類は七つの海も、もしかすると地球全てを失うところまで追い詰められるかもしれない。

 しかし人類は負けない。

 自分にはわかる。
 
 あの光がある限り人類は決して負けない。

 主の最後の操作に答え、鋼鉄の荒熊が吼える。

 これまで数百に上るBETAを倒したモーターブレードがついに負荷の限界を超えた。

 ナイフは無い。
 推進剤も使いきり徒手空拳となった機体だが、この機体は電磁炭素伸縮繊維の膂力だけで地球外起源種を殴り殺していく。

 ラリアットで、チョップで、キックで。いつかのミンスクハイヴでの戦いのように。
 だが今度は希望のために次々と襲い掛かるBETAを退け、そしてユーラシア最強と呼ばれた戦術機はついに己の最期の場所へとたどり着いた。

「――いよいよ、か。ずっと死に場所を探してきた。妻を見捨て、仲間をハイヴに置き去りにするような男の最期はBETAに無残に食われて終わるのが相応しいだろうと思っていたが……しかし、なんと――」

 目を瞑ったまま、SDSに押し付けた拳がガラスを押し破る。

「――なんと暖かい死だ」

 カシュン、という音と共に安らかな気持ちのまま、15年間祖国のために戦い続けてきた英雄は光に包まれた。









――1989年 8月18日 午後18時31分

 ミハイル・ザンギエフ大佐 KIA
 光線級の排除に成功。

 そしてその直後に行われた制圧砲撃の効果を共産党中央会が確認。

――同日 18時32分

 中央委員会はツァーリ・ボンバの起爆中止を国防会議に言い渡した。 






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