13「どうしてこんな子供をっ!?」~Muv-Luv:RedCyclone~
***1989年 8月10日 ??? ***
――コンクリートが爆ぜる。
蒼穹を貫く幾条もの白い水蒸気の筋。
『こちら02。クソッ、被弾した!』
3機のMiG-25BM型から放たれた6発の120mmHEAT弾は目標を誤ったが着弾の際に道路やビルの残骸に秒速8kmの重金属のジェットを吹きかけた結果、弾着地点の中心にいた一機の戦術機の―これもMiG-25BMである―機動力を奪うことに成功する。
『だ、駄目だ! 破片で跳躍ユニットが……ッ! 離脱できない!』
『02ッ、後方注意だッ!』
仲間がレーダーの機影を見て注意を促すが、HEAT弾を放った空中の3機は持ち直す暇を与えない。
機動力を失った一機は慌てて上空の機影に突撃砲を向けようとしたが、その前に空から36mm口径の劣化ウラン弾の雨が放たれ、02の機体は周囲の遮蔽物ごと穴だらけにされてしまった。
「クソッ! 02がやられた! 03、04、伏撃開始。撃て、撃て!」
リーダーの声に答えてビルの隙間に静音状態で完全に隠れていた2機が現れ、空中を飛ぶ三機に支援突撃砲を向ける。
密集編隊飛行を行なっている3機に対してこちらの小隊長と2機の配置は開いた逆三角形――つまり空中の3機に対して完全包囲の形だ。
『気付いた時には手遅れってな!』『03、フォックス1! フォックス1!』
『大人しくくらえ!』『照準補正……よし!』
複座機であるMiG-25BMを駆る4人の衛士達は思い思いに叫びながら射撃を開始し、36mm劣化ウラン弾と曳光弾が敵の編隊が帯びていた細い雲をバラバラに引き裂く。
気付いた敵機はすぐさま散開して突撃砲で応戦したが、同じ36mmでも空中で回避機動を取りながらの射撃と地上でビルを盾にしながらバレルを延長した支援突撃砲を用いた射撃をするのでは命中率がまるで違う。1発、2発と瞬く間に命中弾を受けて一機は撃墜、もう一機は命中弾を装甲で弾いたが失速し地上への降下を余儀なくされた。
そして残った一機はといえば
「01、エンゲージッ! 素早いっ! そしてこの精度……トルストイ大尉の機かっ!」
銃撃を受けながら01――ユーリーは叫ぶと機動を地表滑空から地面を蹴り通常飛行に切り替える。
彼の黒い愛機はその推力によって軽々と空に上がると、小刻みに推力偏向機構を操作して鞭のようにのたうち迫る弾幕を躱す。
そして左側から死角に潜り込み、お返しとばかりに右手のバズーカ――440トラムロケット砲のトリガーを引き絞った。
「もらったぜ!」
薬室の爆発を受けてS-11混合弾頭が砲口を飛び出す。安定翼が展開し機動兵器が扱うものとしては最大級の弾頭が後部のロケットによって二次加速を始めようとした瞬間、
[警告!]
――弾頭は、ただ一瞬で照準《サイティング》を合わせたトルストイ中尉の弾丸によって爆散。
刹那のタイムラグを経てすぐに凄まじい爆風とともに弾頭の破片が二機の装甲に降り注ぐ。至近というほどではないにしろ近距離なら大型のBETAですら跡形も無く吹き飛ばす爆風の衝撃は200ミリを超えるMiGの正面装甲を楽々と貫いて管制ユニットを揺さぶり電子機器に火花を上げさせる。
10トンを超えるはずの鋼とカーボンの巨人はしかしまるで子供のおもちゃのように蒼穹から斜めに地上へと叩き落された。
「ぐぅぅぅぅっ!!」
錐もみ状態で墜落する直前に彼が跳躍ユニットを吹かす事ができたのは僥倖というべきだろう。加えて弾頭の爆発が相手の機体をも吹き飛ばしてくれたおかげで追撃を受ける事も無い。
すぐさま機体のコンディションに目を向ける。コンディションは要注意所々グリーンといったところか。だが今の爆風でレーダーとデータリンクが故障し、ユーリーは周囲の情報をカメラ以外で捉えられなくなっているのは痛い。
「03、04、こっちはレーダーが死んだ! そっちはどうなってる?」
『――ぜ、01! 敵の増援に03がやられた! 東に600の地点だ! おかげでこっちはさっきから1対2だ!』
「チッ――すぐに行く。そっちは下がれ!」
敵は先程まで3体だったが、どうやら4機編成のうち別に行動していた一機が合流して04を叩いているようだ。幸い味方の方向へ飛ばされたユーリーと違い、トルストイ大尉の機体はまだ離れた場所にいる。
被弾して暴発の可能性のあるバズーカを捨てると、背部の兵装担架に刺しておいた突撃砲を抜いて空中から04を撃ち下ろしている敵機へ向かう。
BM型となって新たに換装された跳躍ユニットKD-36Fは加速力にこそ不満が残るものの、優れた最大推力と噴射偏向がもたらした高スピードはMiG-25を難なく敵の元へ届ける。
急接近するレーダーの反応に気付いた敵機がこちらへ向き直るとすぐさま突撃砲下部が作動―おそらくは面制圧用の120mmキャニスター弾―が放たれた。
「――させるかぁぁッ!!」
ウラン粒が炸裂しこちらに届く直前にユーリーは操縦桿とペダルを引き、推力偏向と空中で手足を大の字に広げ機体を空気の壁にぶつける急ブレーキ。
体中の血液が体の前面に押し寄せ意識を吹き飛ばされそうになりながらも機体は野球のフォークボールと同じ原理で高度を落し、散弾を潜り抜けると敵の真下に滑り込む。
残像すら刻む機動を受けて敵機の突撃砲はロックが追いつかずに宙を彷徨った。
(――これだ! この血管の血が全部沸騰して爆発してしまいそうな感じ! もっと……もっとだ! もっと疾く動け!)
無防備な下方に潜り込み息もつかぬまま120mmを差し向けてHEAT弾の2連射。
でたらめに撃った相手の背部兵装担架の36mmがこちらの肩を掠めたが敵機は下部から大穴を空けられて雲を引きながら墜落していった。
「――バンデッドスプラッシュ! もう一機はどこに……―――04ッ!」
眼下に見えたのは2機の戦術機。一機は頭部から股間部まで一直線の火花を上げ崩れ落ちる04。
そして04を斬ったもう一機は上空の機影に気付くと手に持った77式近接長刀を振り上げ誘うようにこちらに向ける。
「モリ大尉……! ちょうどいいぜ、今日こそ近接戦でアンタを越えてやる!」
背部兵装担架からスーパーカーボンのCIWSを引き抜いたユーリーは獰猛に笑う。そして二機の機影が交差し――――
***
「くっそー! また負けかよ!」
管制ユニットから這い出るとユーリーは悔しそうにそう言いながら壁を蹴った。
ユーリーがシベリアに来て二年。MiG-25 スピオトフォズという機体の改修に関わるようになってからおよそ一年半の月日が流れていた。
開発を続けてきたMiG-25 BM型は納期が近いこともあり技術や装備の実証試験からいよいよ小隊単位での連携や戦闘環境下での最終チェックの段階に入ってきている。そのため、ここブラーツク基地にはいままでユーリーに与えられていた一機に加え新たに7機(仮組の試験機が2機、先行量産試験が5機)が一週間前に搬送されてきたのだが――
「これで1勝6敗……しかも勝てたのは最初の1回だけ。うぎぎぎぎ」
ギリギリと歯軋りの音を軋ませる。
ブラーツク基地の第5戦術機ハンガーにはペイント弾でピンクやら黄色やら極彩色にカラーリングされた六機と殆ど汚れの無い2機が鎮座している。
彼らが今しがたまで行っていたのは統合仮想情報演習システム―JIVES―を利用した模擬戦だ。戦術機の実機の各種センサーとデータリンクを利用し砲弾消費による重量変化や着弾や破片による損害判定及び損害箇所など、戦闘におけるあらゆる物理現象を再現できるこのシステムはペイント弾を併用することでほぼ実戦と同じ間隔で戦術機同士の模擬戦闘を行なうことができる。費用が高くつくのであまり前線で行なわれる訓練ではないが今回は新型機開発の詰めということでミコヤム・グルビッチ設計局から特別に予算が計上されていた。
「ま、今回は悪くなかったけどな。先頭の伏兵がばれるのを承知で動力をカットした3機を伏せておくなんてこっちは予想外もいいとこだった」
ユーリーの向かいから降りてきたのは伊達男のロシア人――ザンギエフの部下にして突撃砲の名手、そして昨年昇進を遂げたイワン・トルストイ大尉。
「すぐに見破って面制圧に切り替えたくせに……ああ、畜生。いつも他の二機までは落とせるんだよ。ただモリ大尉とトルストイ大尉が倒せないんだよなぁ」
「ははっ。俺たちが何年戦術機に乗ってると思ってんだ。お前の腕と新型は認めてやるけどまだまだ後進に道は譲れないな」
「――ちぇっ、俺だって体ができあがればもっと早く動いてみせらぁ!」
現在この基地でMiG-25 BMの搭乗経験のある衛士が増えている。
開発衛士は当初はミグから指名された8人(複座機であるため)が来る予定であったがいくつかのトラブルとオルタネイティブ計画の実行部隊たるA-01の衛士の搭乗という既成事実を作るという思惑のため開発は急遽現地にいるザンギエフの部隊とA-01の合同部隊によって行なわれているのだ。
ミグとスフォーイという両設計局に対する政治的な公平正を保つためザンギエフ本人は参加していないが、彼の周囲は新型機に乗れるまたとないチャンスとして連日模擬戦を行なっていた。
「……そういやモリ大尉は日本人だからカタナで戦うのはわかるけどさ、トルストイ大尉の戦い方ももなんつーか風変わりじゃないか? 同じ状況でも一撃離脱が中心のときもあれば、タフに突撃してくるときもある。ロシア式の戦術も見えるけどそれもどうも他のA-01の衛士やザンギエフのおっさんとは違う感じがするんだよなぁ」
「へぇ、わかるのか。本来は軍機なんだが……いいだろう、教えてやろう。私は大佐のところに来るまではモスクワの第222戦術機教導部隊にいたんだ」
「教導……? それって軍隊の手本になる部隊のことだろ? それなら戦い方はロシア式になるんじゃないのか?」
「教導部隊の仕事は仮想敵国との実戦を想定した訓練における敵役……要するに米国流の戦術で戦うアグレッサー部隊だ。ま、米国といっても海兵隊と陸軍じゃ戦術機の扱いがぜんぜん違うんだが、私達はその両方の戦術を研究し駆使して味方を叩きのめす仕事をやっていたのさ」
「へーっ! じゃあウチの小隊はザンギエフのおっさんとトルストイ大尉とモリ大尉とで米日ソの多国籍軍だな」
「そういうことだ。まあソ連の戦力だけ偉く突出した多国籍軍だが……」
「模擬戦でザンギエフのおっさんに"3対1でかかってこい"なんて言われた時は馬鹿にしてるのかと思ったんだけどな……」
二人は渋い顔をして最近行なわれたシミュレーションの様子を思い出した。
シミュレーションでは結果的にモリ大尉の特攻によってなんとか勝利に持ち込んだものの、それまでの10分間で二人ともザンギエフになすすべもなく撃墜されている。囮という役割こそあったが、ザンギエフとの間に横たわる大きな技量の格差を改めて認識させられた一戦であった。
「これでも大分マシだ。昔は私とモリ大尉で2個小隊を率いてやっと手傷を負わせられるくらいだったからな。撃墜できたのは今回が初めてだ」
「やっぱ化け物だな……っと、いけね。模擬戦の後はデブリーフィングがあるんだった」
ハンガーを後にして強化装備からBDUに着替える。
ブリーフィングルームで待っていたのはすっかり見慣れたA-01の面々とザンギエフ、さらに30人ほどの見慣れぬロシア人らしき集団であった。
最後の一人が入室したのを見て壇上のザンギエフが口を開いた。
「揃ったか。予定のデブリーフィングは中止だ。諸君らにはここでセラウィクから来た我らの客人を紹介しよう」
相変わらずの大声量。マイクも無しに大学の講義室並の広さの部屋全てを行き届かせる。
ザンギエフに促されてロシア人達の中から前へ進み出たのは30代の半ばほどの軍人とそれよりも若干年かさの痩せた学者風の男。
軍人の方は知らないがユーリーは学者風の男の方に見覚えがあった。
「お初にお目にかかる国連軍の同志たちよ。私は中央戦略開発軍団のロゴフスキー少佐だ。そしてこちらは君たちと同じく国連オルタネイティヴ第三計画の技術部からきたイェーゴリ・ベリャーエフ准教授である」
ロゴフスキーに促されてイェーゴリ・ベリャーエフも軽く会釈を返す。
一方ロゴフスキーの所属を聞いてA-01の衛士たちは内心の動揺を隠せなかった。
中央戦略開発軍団といえばソビエト連邦の特権階級であるロシア人ですら入るのが困難な特殊部隊である。国連の特務部隊A-01に選抜される彼らもセラウィクの士官学校を優秀な成績で出たエリートであるが、中央戦略開発軍団は前線も含めた全軍からさらに厳しい倍率で人材をピックアップした正真正銘の精鋭であった。
「すでに聞き及んでいるかもしれないが、現在諸君等が所属するオルタネイティヴ計画本部はその目的のためにMiG-25の改修機と米国のF-14で制式戦術機のトライアルを行っている。今回ミグの改修機の開発が完了し、先行量産機がロールアウトしたということでトライアルの最終段階――即ち実戦試験と異機種間競合訓練を行うために我々は派遣されてきた」
ロゴフスキーは一端言葉を切ってザンギエフに目線を向ける。ザンギエフは頷き返し再び壇上に立った。
「これに伴いオルタネイティブ計画本部から評価委員の派遣と党からは改修機の名称のMiG-25 BM型からMiG-31《ブラミャーリサ》への変更が通達された。評価委員の到着は3日後、実測評価試験は5日後に開始する。今回の件は急な話ではあるが我が国やオルタネイティヴ計画委員会は一日も早い制式戦術機決定を必要としている。諸君等には全力でこの任務に取り組んで欲しい」
「さて概要も説明し終えた所でまずは我々中央戦略開発軍団の誇る開発部隊であるイーダル小隊の面々をご紹介させていこう。まずは4号機操縦士の――」
少佐の紹介に従いロシア人衛士の男女が壇上に進む。イーダル小隊に所属するのは合計8人。いずれも骨太で眼光鋭い猛者ばかり――だがそう思って肩に力を入れていたA-01の面々が最後に目にしたのはあまりにも小さい少女達であった。
「そして一号機 主任衛士のイーニァ・シェスチナ小尉と砲撃士《ウェポンシステムオフィサー》のクリスカ・ビャーチェノワ小尉だ」
砲術士でクリスカと呼ばれたのは髪を短く揃えた凛々しい顔立ちの少女、もう一人操縦士でイーニャと呼ばれたのは幼い顔立ちとリュドミラを彷彿とさせる長く綺麗な髪をしている。
どちらもユーリーと同じ銀髪碧眼――間違いなくオルタネイティブ計画によって作られた人工ESP発現体であった。
「あーっ! こ、こいつらなんで――!」
――なんでこんな前線《ところ》に?
身を乗り出して叫ぼうとしたユーリーをロゴフスキー少佐の太い腕が遮った。
「ビャーチェノワ准尉。君の親戚である少尉達との再会を喜ぶのは構わないが、今はお互いに競合中の機体のテストパイロットだ。挨拶以外の交流は避けていただこう」
「――しかし、少佐! どうしてこんな子供をっ!?」
「……それを君が言うかね?」
「――ぐっ!」
精神年齢と肉体年齢が20年以上乖離しているユーリーにとっては痛恨の指摘だった。
「これは命令ではない。だがこれ以上は過剰な干渉とみなしてオルタネイティブ計画本部に報告させていただく事になる」
「くっ……――かしこまりました、同志少佐」
所属違いの部隊とはいえ相手は少佐。トライアルへの少なからぬ影響を考えれば諦めざるを得ない。
さすがのユーリーも気長に機会を待つしかないと思いながら、今は唇を噛みながら席に戻るのであった。
と、思いきや。
「――なんてなっ。俺がそんなに素直なら苦労はないってね」
ブリーフィング終了後、わずか20秒。あくどい笑いをしながら彼は基地内を走っていた。
「へへっ少佐は挨拶以外は駄目だっつってたけど、偶然会って挨拶が長引いちまうくらいなら仕方ないよな」
ニシシと笑いをかみ殺しながら辺りを見回す。だが中央戦略軍団は一足先に退出していたため出遅れたユーリーが二人を見つけるは簡単なことではない。
PX――いない。
宿舎――いない。
司令部――そもそも入れない。
最後に戦術機ハンガーに回ろうとしたユーリーはそこで見慣れたラドゥーガ大隊の面々が誰かに絡んでいるのを見つけた。
「――党のメスブタがぁ! その澄ましたツラを切り刻んでやろうか? あぁ?」
「おい、もったいないことすんな。足を縛ってジープにくくりつけろ。せっかくの歓迎会だ。二人を滑走路のアスファルトとお友達にしてやろうぜ!」
いつぞやと同じく建材やナックルダスターを嵌めて二人を取り囲むラドゥーガ大隊。
一方同じ祖国を守る衛士から何故敵意を向けられるのか分からず、クリスカとイーニァは抱き合いながら震えていた。
「こわい、こわいよクリスカ!」
「大丈夫、大丈夫だからねイーニァ」
「ハッ、びびってやがる! そんなんで戦場に出ようってか? 迷惑なんだよ!」
「わ、我々は党と同胞のために戦う同志だろう? なぜこんなことをするんだ!」
「党~? 同志~? ロシア人が何ほざいてやがる! あいにくシベリア育ちの俺らはそんな物知らねぇな。おら、デカイほう。お前の体を有効活用できるロリコン野郎の所に連れていってやる。さっさと立ちやがれ!」
鼻の曲がった少年がクリスカの腕を掴んで引き剥がそうとする。
一人にされる恐怖に耐えかねたのはイーニァだ。
「いやぁ! いやぁーー! クリスカ、クリスカぁ!」
「――イーニァ! 止めて、止めてくれ!」
クリスカは全力で抵抗しようとするが何故かいつも通りの力を発揮することができない。
指が一本一本剥がされ、いよいよイーニャと離されようとしたその時――
「――じゃっじゃーん♪」
「ぐあああああっ!!」
――不意に飛んできた靴底が少年兵の顔面に突き刺さり鼻血の螺旋を空中に描かせた。
「ザハール!?」
靴底の主の思いのほか長い滞空。そして軽やかな身のこなしで着地すると二人を庇うように少年兵たちの前に立ちはだかった。
「――やい、ラドゥーガの糞餓鬼共! 弱い者虐めは結構だが、よりにもよって俺の妹達に手を出すってんなら見過ごせねぇな」
「ビャーチェノワ! この野郎、またザハールの鼻を!」
「クラーラか。へっ、なんならまたこの間みたいに尻を手痣だらけにしてやっていいんだぜ?」
「――くっ」
屈辱的な記憶が蘇ったのか顔を真っ赤にして尻を押さえるクラーラ。他の少年兵たちも突如現れた天敵の出現に明らかに浮き足立っていた。
「おらっ、さっさとどこかへ消えやがれ! 言っとくけど今日の俺は容赦が効かねーぜ!」
「――チッ! 覚えときな!」
クラーラの睨み殺さんばかりの眼光と捨て台詞。同時に彼女の仲間達はすっかり手馴れた様子で怪我人を引き摺り宿舎の方へと走り去っていった。
「あいつら、心底から三下根性が染み付いてやがるな……」
幾度も痛い目に会わされた彼らの戦略的判断は間違っていない。間違ってはいないが、年下の子供の蹴り一発で逃げ去る不良というのは加害者側から見てもなんとも同情的になる風景であった。
「――っと、おい大丈夫かおまえら。悪いな。あいつら自分達より弱そうなロシア人を見ると盛りのついた猫みたいになるんだ」
「うぅ……クリスカぁ」
「イーニァ、よかった。怪我は無いね?」
「うん、うん。こわかった。まっかなてきいがとげみたいにわたしに……」
「………………」
自分も涙目ながらも幼いイーニャを抱きしめて気遣うクリスカ。
一方のイーニァもまるで姉か母親に接するように甘えている。
(こいつら……本当に人工ESP発現体なのか?)
二人の姿はタルキートナのカテゴリファイブ・ワンの人工ESP達とはまるで違う。ユーリーが知る自分の兄弟姉妹達には軍人然としているだけでほとんど人間味というものが無い。ビャーチェノワ達は誰もが軍務や党の教え以外の事柄には興味を示さない冷血人間だったし、シェスチナに至っては食事や睡眠などイチイチ命令してやらなければ日常生活すら行ないほど自我が弱い固体もいたらしい。
あのトリースタですらシェスチナ全体で見ればかなり活発なほうだったのだ。
「そうだ、准尉」
じろじろと彼女達を見ていた呼び止めたのは凛々しくてハリのある声。
ハッと見上げれば彼を呼んでいたのはクリスカと呼ばれた第五世代の少女だった。
「なんだ、クリスカちゃん?」
「ちゃんづけで呼ぶな! 私は上官なんだぞ!」
「失礼、クリスカちゃん少尉。でもまず助けたお礼ぐらいは欲しいな」
「くっ……礼なら後だ。まず貴官に聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
神妙な顔に戻ったクリスカを見てユーリーも居住まいを正す。
「――このブラーツク基地にいるイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョ博士についてだ。彼女に会うにはどうすればいい?」
「――ぶっ! おいおいおい! 会えるわけねーだろ! イズベルガ博士はこっちの機体の開発リーダーなんだぜ!? スフォーニ側の、それもリーディング能力を持った人間なんて面会できるわけねーだろ!」
思いもよらない要求に噴き出した。
実際は彼女の心をリーディングしても出てくる技術情報などたかがしれている。
確かに優秀な技術者でこうしてミグの次期支援戦術機の開発に携わっているがやはり専門は火器であり、開発現場では武器とFCSや背部兵装担架以外の部分はほとんどノータッチの状態だ。そんな彼女が現在も天才と呼ばれているのは上記の分野に加えて器用な頭脳を持つユーリーがアイデアをひねり出したりと前世でかじったうろ覚えのMS技術を出したりして人の二倍の出力をしているからにすぎない。
だがそれでも機密は機密だ。別に意地悪がしたいわけではない。
機密漏洩が原因でブラミャーリサがF-14に負けるのでは関係者に申し訳が立たないし、イズベルガと自分の関係について党にバレるのはもっとまずい。
「そうか……では貴様でもいい。彼女の研究について知っていることを教えろ」
「……クリスカちゃん、お前にはスパイの適正は無いな」
内心で嘆息。
トリースタといいクリスカといい、どうして人工ESP発現体はどいつもこいつもコミュニケーション能力や一般常識という物が欠けているのだろうか? いや、偏った英才教育のせいなのはわかっているのだが。
コミュニケーション能力をリーディングに頼る人工ESP発現体に対して心の読めないユーリーでは埒が明かないと思ったのか、クリスカの腕の下からひょっこり顔を出したイーニァがフォローに回った。
「ユーリーちがうよ。クリスカがききたいのはせんじゅつきのことじゃないの」
「じゃあなんなんだよ」
「リュドミラ姉さまの事だ」
「――――ッ!!」
驚愕。
「件の博士が脳医学に関する機材を収集していると聞いた。博士の研究はリュドミラ姉さまを目覚めさせることができるのか?」
「……お前ら、どこでそれを?」
「タラップで同志ロゴフスキーが電話で話しているのを聞いた。エンジンの音で単語の端々しか聞き取れなかったが……」
ロゴフスキー自身は聞こえているとは露とも思わなかったのだろう。バッフワイト素子を身につけさせ、最低限の知識は与えられているが人工ESP発現体の優れた身体能力―聴力を含む―事までは注意が回らなかったようだ。
そして注意が回ったとしてもまさか彼女達がここまでリュドミラの覚醒という事について執着するとは思いもよらなかっただろう。
「……バレてるならしゃーねーから話すけどよ。そうだ、イズベルガ博士は医学の研究もしているし、その中にはリューの治療も含まれている。けどこれは機密だからな。大人達には話すなよ」
「そうか……!」
まるで花が咲いたようにクリスカは笑みをこぼした。
それを見て目を飛び出さんばかりにして驚くユーリー。何しろ彼女は人工ESP発現体。以前タルキートナで見た時は笑顔という概念どころか表情筋すらあるかも疑わしい存在であったのだ。
さきほどの事といい、いったい何が彼女の感情をここまで動かしているのだろうか?
「なあ俺はよく覚えてないんだが、お前達ってリューの友達か何かだっけ?」
恐る恐るといった様子でユーリーは訪ねる。
何しろ彼の元居たクラス――カテゴリファイブトゥワン、つまり第五世代の一組は全員が無個性の軍人もどき。例え可愛い娘がいようと所詮は幼児。女といえども記憶に入れるはずがない。
「私達はカテゴリファイブトゥシックス――普通のクラスから選抜された特別カリキュラムのクラスにいた。リュドミラお姉さまも我々と同じクラスの候補として訓練に参加していたんだぞ」
「ユーリーしらなかったの……?」
「うーん……そういえばそんな話を聞いていたような聞いてなかったような……」
なんとも薄情な男である。
その頼りない様子に今度はクリスカが激昂した。
「大体、なぜ衛士であるのに階級が准尉なのだ!? 我々より2年も早く前線に行ったくせに!」
「う、うるせー! これでも当初より6階級も上がったんだ!」
「6かいきゅうって・・・ひぃ、ふぅ・・・にとうへい?」
「ぐっ……」
イーニァが邪気のない言葉。それが思いの外深く彼の心に刺さる。
「に、二等兵だと……!? そんなバカな! 教官は貴様が我々第五世代一番の"優秀者"として世界最強の衛士に認められてこちらに渡ったとおっしゃられたぞ!」
クリスカの悲鳴のような声。
どうやら自分の一件はプロパガンダに利用されたらしい。これだから社会主義ヤローは、と呆れながらユーリーは補足を付け加えた。
「……正確に言えば"世界最強の衛士に喧嘩を売った度胸"を認められたんだ」
「け、喧嘩!!? 喧嘩を売っただと!? あのザンギエフ大佐……祖国の至宝に!? それでは前線行きは懲罰ではないか! なんということだ……」
クリスカは顔色を悪くしながらフラフラとその場に座り込むとなにやらブツブツと唱え始めた。
「ようやく会えた同胞の期待の星がまさか……話が違う……でも、さっきは私を……」
そんな様子を見て首を傾げるユーリーと珍しい動物を追うようにまん丸の目をクリクリさせるイーニァ。
「なあ、こいつどうしたんだ?」
「うーん……こんなクリスカははじめて! おもしろいね!」
分かっているようで微妙に分かっていないイーニァのコメント。しかも何を思ったのか歩み寄ってしゃがむと虚ろなままのクリスカの頬をプニプニとつついて遊び始めている。
そこでようやくユーリーは自分が彼女達を探していた理由を思い出した。
「あ、そうだった。なあイーニァ。お前やクリスカは戦っても平気なのか? スコポラミンとか飲んで無理矢理戦術機に乗らされてるんじゃないだろうな」
もしそうなら今すぐザンギエフにチクってやろうと画策するユーリー。
「うん、へいきだよ。めいれいだし、わたしたちももうせんじゅつきにものれるようになったし。それに――」
そこで彼女はいったんクリスカの頬を突くのを止めてこちらを振り返る。
その表情はご褒美を与えられた子供そのもので、極めて上機嫌であることが見て取れた。
「それに?」
「わたしたち、なまえをもらったの! すうじのばんごうじゃない、にんげんのなまえ! ゆうしゅうしゃのトリースタだってもらってないんだから!」
「………………」
輝かんばかりのイーニャの笑顔。
トリースタ、という名前が少しだけ気になったもののユーリーは黙って彼女の頭に手を置いた。
――名前
存在の証明とも言えるそれは人間なら誰もが持っている極々当たり前の物で、時には犬や猫、鳥ですら持っているたった一つだけの固有名詞。
命はこの世に生れ落ちたときに親から名前を与えられ、名前という土台を元に他人と交わり社会で自分自身を築きあげていく。
だがここにいる3人は冷たいガラスの人工子宮から産み落とされた人形達。彼らには親がいない、帰るべき家も無ければ、交わすべき愛も知らず、馳せるべき夢も見ない。
試されて、鍛えられて、戦わされて、そして壊されるだけの哀れな消耗品。
故に彼らが望むのは自由でも、平和な世界でもない。
ただ自分を見て欲しい。書類に示された単なる記号や実験台のモルモットではなくちゃんと生きていた人間だという証が欲しいのだ。
名前をもらったことを祝福すべきなのか、それとも今まで名前すらもらえなかったこの娘達に同情すべきなのか。名前を失ったユーリーにとって名前とは与えられる物ではなく取り戻す物――あるいは自力で獲得するものだ。だから彼にはイーニァ達が喜んでいる理由を想像するしかない。
そんな内心を知ってか知らずか。頭を撫でられてイーニャは気持ちよさそうに目を細めた。
「ユーリーのてはあったかいね。それにきもちいい」
「ああ、俺の手は女の子を気持ちよくするためにあるからな。イーニァが大きくなって美人になったらもっとイイコトも教えてやるよ」
クリスカが聞き理解していたら大変な事になって発言だが、幸いにも今の彼女はそれどころではなく性にも疎かった。
「うん、きっとなるよ。――あ、ねえユーリー」
「ん?」
「またおはなしできる?」
「ああ。お互い人前では無理だから、こっそり会って話す事になるけどな。ま、トライアルで俺の機体にかすり傷でも付けられたら何か奢ってやるくらいはしてやるよ」
「ふふ……うん。わかった!」
ユーリーの言葉に笑顔でイーニァが答えた。