第32話 激闘!硫黄島-サウナ編-
2001年11月01日(木)
17時22分、硫黄島近海を遊弋する『LCAC-1』の左舷前方に位置する乗員室では、207Bによる作戦会議が行われていた。
議題は勿論、作戦を更に継続するかであった。
「この上陸用舟艇に積載してある装備だけでは、いささか心許ないと言わざるを得ぬであろうな。」
「……そだね。」
「制圧拠点に残してきた『LCAC-1』や装備は無事じゃないかなあ?
防衛線にだって、再利用可能な装備は残ってそうだし、回収すれば後一回くらいは……」
「でもでも、制圧拠点の包囲が解けてるって保証はないですよ~。」
「問題になるのはそこね。けど、自動擲弾銃を連射しながら海上から接近してみて、迎撃反応を探るって方法はあるわね。」
「では、まずはその方向で……」
「HQ、00(白銀)より各員。話中済まないが、香月副司令から話があるそうだ。」
「01(榊)了解。―――香月副司令、どうぞお話しください……」
通信越しで話に割って入った武の言葉に、視線で会議の中断を指示すると、千鶴は夕呼に話を聞く態勢が整ったことを伝えた。
千鶴の声に続いて、今すぐスキップでも始めそうなほどに上機嫌な夕呼の声が、オープン回線に流れた。
「あんた達、良くやったわ! 満点上げてもいいくらいよ。あたしもあんだけの装備、横車押して揃えさせた甲斐があったってもんよ。
そういう意味では、今回のこの結果はあたしのお蔭って言っても過言じゃないわね!
まあ、細かいことはどうでもいいから、早いとこHQに帰還しなさい!」
「りょ、了解しました。207訓練小隊は直ちにHQに帰還します!」
「とにかく急ぎなさい、いいわね?―――じゃ、まったね~。」
「「「「「 ……………… 」」」」」
207Bの5人が訳も解らずに首を捻っていると、さらにHQから通信が入った。
「こちらHQ、神宮司軍曹だ。急な事で驚いているだろうが、現時刻を持って総合戦闘技術評価演習は終了とする。
急遽打ち切りとなった原因に関しては、帰還後に説明するが、これにより貴様らに悪い評価が与えられる事は無いので動揺するな。
装備品の回収は帝国軍硫黄島守備隊と硫黄島に残留している『LCAC-1』2隻のクルーに任せればいい。
現時点では以上だ。早く帰って来い。」
「「「「「 了解…… 」」」」」
これで最低限の状況把握は出来たので、一同は操縦室の方へと移動し、艇長にHQへ帰還してくれるように依頼することにした。
● ○ ○ ○ ○ ○
17時27分、高速クルーズ客船『てんま』に設置されたHQへ、207Bの5人が駆け込んできた。
土や埃、汗にまみれて一列に並ぶ5人の端に武も並び、ほぼ9時間半ぶりに207Bの全員が一堂に会した。
そして、千鶴が分隊長として、自分たちの前に立つまりもに帰投報告を行う。
「207訓練小隊B分隊、―――敬礼ーーっ!
榊千鶴訓練兵以下6名、只今帰投いたしましたっ!」
「よし。よく全員生還した。今回の……」
「はいはい、そこまで。まりも~? あんたに任せると長くなるから、後はあたしがやるわ。」
「ゆ……香月副司令、困ります……」
「命令よ! てことで、あんた達。」
突然割り込んできた夕呼に、千鶴が慌てて号令をかける。
「こ、香月副司令に対し、敬礼!」
すると、上機嫌だった夕呼は途端に顔を顰めて千鶴に文句を言う。
「榊ぃ~、そういう無駄に堅っ苦しいのは止めてよね~。
総戦技演習不合格にしちゃうわよ~?」
「―――し、しかし……」
「ま、今日は気分が良いから許したげるわ、次から気をつけなさい。
で……なんだっけ? あ、そうそう、あんた達、総戦技演習は合格。以上終わり。」
(またこの人は……)「「「「「 ―――へ? 」」」」」
夕呼のあまりにあっさりとし過ぎた合格通知に、武は内心で頭を抱え、それ以外の207B一同は唖然としてマヌケな声を上げた。
「で、こっからが本題よ。―――いい?
……………………サウナに繰り出すから、さっさと支度しなさい!!」
「「「「「「 サウナ~~~~~ッ!!! 」」」」」」
「そ、硫黄島要塞ご自慢の、地熱利用の乾式サウナよ! あんた達の健闘に敬意を表して、要塞司令が貸切にしてくれるっていうのよ~っ!!
汗を流した後は、夕食もって言われたけど、こっちの船の方が良い物出すから、そっちは断っちゃった。
とにかく、そういう訳だから、さっさと支度してきなさい。
あんた達の準備が出来次第、すぐに出発するわよ。」
「ふ、副司令! 質問させていただいてもよろしいでしょうか!」
千鶴は嫌な汗を流しながらも、勇気を振り絞って夕呼に質問の許可を求めた。
「いいわよ~、なに?」
「……そ、その、ご命令は解りましたが、その、し、白銀も……ど、同行するのでしょうかっ!」
(委員長っ! その質問は逆効果だっ!!―――って言っても、こっちの委員長は先生との付き合いが殆どないから無理もないか……)
その質問を聞くなり、夕呼はニヤリと邪悪に笑い、207Bの一同に、嘗め回すような視線を投げかけた。
武は、既に覚悟を決めており、表情を消して嵐の到来に備えた。
「なに? 前線に出て戦わなかったからって、白銀を仲間外れにでもしようっての?
それなら、希望通りにしてやってもいいわよ~。」
「な、仲間外れって……そ、そんな事は考えていません!!」
「じゃ、問題ないじゃない。あんた達だって知ってるでしょ?
前線では、風呂もトイレも男女一緒、いちいち気にしてたらやってけないわよ?」
「い、硫黄島要塞は、現在戦闘配備にありませんし、前線とは言い難く……」
「あらぁ? 変ねえ? あんた達、ついさっきまで硫黄島で戦ってたんじゃなかったの?
演習とは言え、前線だったってことじゃない。」
「そ、それは…………へ、屁理屈です!」
「ふぅん、副司令に向かって屁理屈とは、いい度胸じゃないの、榊訓練兵。
で、榊以外のあんた達は、白銀と一緒でも構わないのかしら?」
千鶴を一瞥して萎縮させ、黙らせてしまった夕呼は残った207B女性陣4人へと矛先を転じた。
「「「「 ………… 」」」」
「聞こえないわね。なに? 分隊長の榊にだけ火の粉を被らせといて、自分達は逃げ出す気?」
「「「「 ッ!! 」」」」
辛辣な夕呼の言い様に、榊以外の他の4人も覚悟を決めた。
「ご命令とあれば従いますが、そもそも白銀と共に入浴する必要を認め得ないのですが。」
「えっと、その……は、恥ずかしいので勘弁してくださいぃ……」
「……白銀の目付きがヤラシイからイヤ?」
「タ、タケルがどうしてもって言うなら、ボクは我慢しても―――「「「「 鎧衣(さん)ッ!! 」」」」―――反対です……」
冥夜、壬姫、彩峰、美琴の4人は口々に、武を伴っての入浴に、反対意見を述べた。一端許容に走った美琴だったが、他の4人に睨まれて、反対に転じた。
「珠瀬の恥ずかしいってのはさっきも言った理由で却下、御剣の必要性っに関してはしっかりとあるわよ?
なにしろ、今回の要塞司令のご高配は207訓練小隊B分隊に対するもの。そこには当然白銀も、ひいてはまりもだって含まれてるわ。
それをこっちで勝手に除外したら、礼を失するってものじゃないのかしら?」
「はうあうあ~」「む……」
壬姫は早くも目を回し、冥夜は悔しげに口を噛む。
「鎧衣はどうでもいいとして、彩峰……疑問系で逃げるってのはどうかと思うわねぇ。
断言して見せるなら、考えてやってもいいわよ?」
「アハハ……」「………………」
乾いた笑い声を出して誤魔化す美琴と、黙って俯いてしまう彩峰。
仲間が敵わぬと知りつつここまで奮戦したのだから、武としてはその方が良い結果を導くと知ってはいても、独り座して居る訳にもいかなかった。
武は、自らが犠牲の羊になることを決意した。
「夕呼先生も一緒に入るんですか?」
「あったり前じゃないの。硫黄島要塞の地熱サウナといえば、帝国軍のお偉方垂涎の知る人ぞ知る施設よ。」
「へ~~、それは豪勢ですね! 前々から夕呼先生とまりもちゃん、どっちがプロポーションがいいのか気になってたんですよ。
乾式サウナなら邪魔な湯気もないですし。千載一遇の機会(チャンス)って奴ですね。
要塞司令のご高配には感謝してもしきれ…………」
そこまで言った所で、武は後ろから彩峰に口をふさがれ、冥夜の当身を鳩尾に受けて気絶した。
千鶴の直卒により、気絶した武はHQの外へと速やかに運び出されていく。
1人残った冥夜は、直立不動で夕呼に対して、言上した。
「香月副司令。慮外者への処罰は我らにお任せいただきたい。
必ずや、性根を叩きなおし、二度とこのような事の無い様に厳しく躾け直しますゆえ、此度の暴言には何卒ご寛容を賜りますよう、切にお願い申し上げます。」
「はいはい、解ったから、あんたも行きなさい。それから、折檻はほどほどにして、サウナに出かける仕度の方を優先しなさいよね~。
あたしは待たされるのは嫌いよ?」
「はッ! 確かに承りました。では……」
冥夜は敬礼をしかけて止め、深々と一礼してHQを出て行った。
かくして、HQには夕呼とまりものみが残される。
「ちっ! 白銀の奴、上手いことあの娘たちを逃がしたもんね……」
「ちょっと夕呼、少し苛め過ぎなんじゃないの?」
「追試みたいなもんよ。あの娘たちも、精神的にはまだまだ甘いところがあるわね。
ま、白銀がいれば、空中分解はしないだろうけど……
しっかし、揃いも揃ってほんっとぉ~に初心(うぶ)ね~。あれだけはっきり意識してるってのに、あの馬鹿は全然気付いてないみたいだし。」
「まさかそんな事ないでしょ。単に白銀が相手にしてないだけじゃないの?」
「あんたも相変わらずそっち方面は鈍いわね~。そんなんだから、男逃がしてばっかなのよ。」
「う、うるさいわねぇっ!」
「ま、それでも白銀に比べたら百倍はマシね。
なにしろあいつと来たら、『何かの間違い』でもない限り、あの娘たちと恋仲になるなんて有り得ないって思ってるらしいわよ?」
「そ、それは………………確かに、鈍すぎるわね……」
「ま、いいわ。白銀が道化を演じてまで逃がしたんだし、今回は白銀に免じてあの娘たちは勘弁してやるわ。
まりも、白銀は暴言に対する隊内処分として、本日の夕食まで謹慎、サウナへの同行を禁ずるってことにして、あの娘達に伝えてやりなさい。
白銀には、これは口実だから、砂浜でも散歩して時間を潰すように言っといてちょうだい。」
「…………夕呼にしちゃ、随分と優しいじゃないの。」
「―――ちょっとね。それより、早く行ってサウナの仕度をさせなさい。そろそろ船が硫黄島の埠頭に着いちゃうわよ?」
「解ったわ。」
まりももHQを後にすると、夕呼一人が情報機器の中に取り残された。
そして、夕呼は右の拳を唇にあて、独り呟きながら自身の行動を振り返った。
「………………あたしが優しい? …………記憶が流入したせいで情が沸いたのかしら?
―――ま、いいわ。いざとなったらそんな感情、すっぱりと切り捨てて見せるわよ。」
夕呼の呟きは、人気の絶えたHQに虚ろに響いて消えた……
● ○ ○ ○ ○ ○
17時41分、207Bの全員が、高速クルーズ客船『てんま』の後部甲板に揃って並んでいた。
武以外の全員が、個人差はあるものの一様に、何某かの荷物を足元に置いていた。
「さて、接岸までもう暫く時間があり、香月副司令もお見えになっていないので、この時間を使って今回の演習の講評をしておく。」
まりもは目の前に並んだ訓練兵達を見た。
皆、どの様な講評が下るのか真剣な面持ちで待っている。
(そうよ。 合否だけ伝えればいいってものじゃないのよ! 総戦技演習の締めは、この娘たちのためにもしっかりとやっておかなくっちゃ。)
「まず、第1次攻撃および第2次攻撃の際だが、御剣は指揮を白銀に任せ過ぎだ。
確かに問題は発生しなかったが、現場で部隊の指揮を取る立場になった以上、そう簡単に指揮権を放擲してはならない。
どうしても止むを得ない場合や、状況的に相応しい場合は、第3次攻撃に於いて榊が行ったように、委譲する権限の範囲を明示するか、追認の形で自分の命令として部隊を動かすべきだ。
これは、何か問題が起こった際に、責任の所在が曖昧になってしまわないためにも重要なことだ、しっかりと心しておけ。」
「―――はッ! 」
「珠瀬が自失した件は、白銀のフォローがあったとは言え、自力で立ち直ったのでよしとしよう。
だが、自分の心の弱さが、仲間の窮地を呼び込みかねないことを、全員肝に銘じて置くんだな。」
「「「「「「 はい! 」」」」」」
「全般的に、白銀の戦域管制に職掌を超えた部分が多分に見られたが、実戦経験の有無から来る差がある以上、口を出したくなるのも無理はないだろう。
実戦に於ける戦域管制は今回の白銀ほど懇切丁寧とは限らないという事を忘れるな!」
「「「「「「 はい! 」」」」」」
眉を寄せ、気難しい顔を作って、ここまでの講評を行っていたまりもだったが、ここに至ってニヤリと笑って話を続けた。
「とは言え、これらの点を考慮しても尚、貴様らの演習結果は大したものだと誉めてやるべきだろうな。
最終的に貴様らが殲滅した守備隊兵力は345個分隊強、総勢4144人を数えた。」
「「「「「「 ―――!! 」」」」」」
「単純計算で10個大隊を超える兵力を、1個分隊―――白銀を入れてもたった6人の戦力で、作戦開始より10時間を経ずして殲滅したことは特筆に価する。
それが、例え徒手空拳に等しい相手に、過剰なまでに潤沢な装備を以って為した事だとしてもだ。
殊に、第3次攻撃の中盤以降、途切れる事の無い波状攻撃に100分以上も耐え、その後の撤収時に至るまで敢闘精神を保ちえたことには高い評価を与えねばなるまい。
また、戦況の変化に、柔軟に対応し、敵に大きな損害を与え続けたことも高評価だ。
皆、今回の演習で、圧倒的な物量に押し寄せられた時の恐ろしさが体感できたと思う。
実戦でBETAの群れと対峙した時、今日の体験は決して無駄にはならないものと確信している。
よくぞ、苛酷な演習を1名の脱落も無く耐え切った。
私は今日の貴様達の働きを誇りに思う。今回の評価演習の結果は、香月副司令が仰ったとおり合格だ。よくやったな、おめでとう。」
「「「「「「 ―――あ、ありがとうございますっ!! 」」」」」」
207Bの全員が、総戦技演習に合格した喜びに打ち震えている。
武は、幾多の記憶で総戦技演習に合格してきていたが、5人の喜ぶ様に今回も目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。
「良かったな、やったじゃないか、みんなっ!!」
武の声に、207B女性陣は喜びに輝いた顔を一斉に武に向けて……
「……なんだ、白銀、居たの。」
「……結構しぶとい、もう少し絞める?」
「なんだか、感動がどっかにいっちゃいましたよ~」
「タケルぅ~、折角みんなして喜んでるのに、空気読まなきゃ駄目だよ~。」
「いくら衛士として優秀でも、人品卑しいのではな……」
207B女性陣は途端に目を半眼にし、どんよりとした眼差しで、武に冷たく鋭い言葉を投げつけてきた。
「―――ッ!! お、おまえら………………」
あまりに冷たい扱いに、武がショックを受け絶句すると、5人は一斉に笑い出して、武に駆け寄る。
「うふふふふ、なぁに、その顔! 冗談よ、冗談。」
「ヘコンデル、ヘコンデル……」
「ほんとはみんな、たけるさんに感謝してるんですよ~。」
「まあ、今回の殊勲賞はタケルで間違いないよね。」
「そうだな、だが、人品が大事であることは事実だ、タケル、心しておくがいいぞ。」
「それはそうだね~。」
「ま、感謝してるわよ、白銀。」
「アリガト……」
「タケルぅ、ほら、しゃんとしなよ~。男の子でしょ?」
「………………ハイ、今後ハ不適切ナ言動ハ、控エサセテ頂キマス…………」
武は、未だにショックから立ち直れず、引き攣った笑みを浮かべて、抑揚に欠けた声を出すのが精一杯であった。
「はいはい、白銀をからかい終えたんなら、そろそろ行くわよ~。
白銀はこれに懲りたら、次からあたしの邪魔はやめるのね。」
丁度、後部甲板に姿を現した夕呼は、皆の脇を通り過ぎながらそう声をかけると、武以外の全員を引き連れて上陸タラップを降りて行った。
甲板から皆の姿が見えなくなるまで見送った武は、一度懐中電灯を取りに船内へと戻った。そして、自分もタラップを降りると硫黄島へと上陸した。
そして、夜の海岸で独り、霞へのお土産になりそうな貝殻を物色し始めるのであった……
● ○ ○ ○ ○ ○
18時02分、硫黄島要塞南東エリアの玉名山の頂上近くに設けられたサウナに、夕呼、まりもと207B女性陣の姿があった。
硫黄島の埠頭に上陸した一行には、要塞司令部所属の女性中尉が案内に付き、差し回しの移動車両に乗って地上を移動した後、地下陣地へと招き入れられた。
大東亜戦争当時は地熱と硫黄臭に悩まされる急造陣地であったらしいが、現在では地熱発電により豊富な電力が供給されており、地下陣地全域に空調が行き渡っているとの説明が、案内役の中尉よりなされた。
11月だというのに蒸し暑い地上とは異なり、涼しく過ごしやすい地下陣地の通路を通り、一行は賓客歓待用サウナ施設へと案内された。
このサウナ施設は地熱利用ではあるものの、基地内の巡回水冷システムで集められた熱を利用しているため、実際には地上に設けられていた。
そして、玉名山の山頂を背に南東の海を眼下に、上には満天の星空を楽しみながらサウナを楽しめるようになっていた。
サウナにはシャワーと水風呂も併設されており、海水や雨水を浄化して飲料水を精製している硫黄島に於いては、非常に贅沢な施設であった。
「ん~~~っ。聞いていたよりも大分マシな施設ね。硫黄の匂いもしないし、これなら満足できそうだわ。」
そう言うと、タオルすら身に纏わずに木製のベンチに腰掛けた夕呼は、両手の指を組んで頭上に上げ、大きく伸びをした。
その隣では、腰の辺りにタオルをかけたまりもが、呆れた様に夕呼の様子を眺めていた。
2人の反対側のベンチには、壬姫、美琴、千鶴、冥夜、彩峰の順で出入り口付近から横並びに、身の置き場がなさげに寄り集まって腰掛けていた。
「ほら、あんた達。無礼講にしてあげるから、そんな縮こまってないで寛ぎなさい。
元々、ここを使わせてもらえるのは、あんた達の働きによるんだし、もっと堂々としてていいわよ~。」
夕呼のその言葉に、彩峰は冥夜と距離を空けて楽な姿勢で座り直し、冥夜も姿勢を崩しこそしなかったものの、隣の榊との間に空間を空けた。
そして、サウナに金属はご法度なので、メガネを外している千鶴は、無礼講との許可に力を得、気になっていた事柄を口に上らせるのであった。
「ありがとうございます、副司令。では、お言葉に甘えて、幾つか質問させていただいてもよろしいでしょうか。」
「いいわよ~。このサウナにご相伴できた分だけ、質問に答えてあげるわ。」
「では、演習が急遽切り上げられたのは、どのような理由によるものでしょうか。
また、このサウナを利用できるのが、私達の働きによるというのは、どういった意味なのでしょうか。」
「ぷっくくく…………それが傑作なのよね~。あんた達が、余りに上手く立ち回ったせいで、守備隊司令が音を上げちゃってね。
もうこれ以上は勘弁してくれって泣き付いてきたのよ。
だもんだから、演習期間を短縮して切り上げる代わりに、硫黄島要塞の歓待を受けられる事になったってわけ。」
「副司令、その仰りようは如何なものかと。
榊訓練兵、硫黄島守備隊司令官殿は、貴様らの勇戦を讃え、これ以上の演習は必要ないとの提言をなさったのだ。
実際、貴様らの上げた戦果は大きく、あの時点で部隊が全滅していたとしても、合格とするに十分なものであった上に、貴様らは全員健在な状況で既に島からの離脱を成功させていた。
そのままHQに帰還すれば合格は確定であったため、守備隊司令官殿のご提言を容れ、演習期間を短縮して終了としたのだ。
このサウナの利用については、要塞司令官閣下のご高配を賜ったものであり、なんら取引めいたことは行われていない。解ったな。」
「「「「「 はい! 」」」」」
「まりも~、またあんたはそんな詰まらないことばっか言って……………………そうだ。
鎧衣、あんた、そこに積まれてる、白い山がなんだか解る?」
またぞろ夕呼に嫌味でも言われるかと身構えていたまりもは、夕呼の矛先が美琴に向かったことに安堵した。
「えっと…………あっ! もしかして、これが噂に聞いた塩サウナですか? 副司令!」
「さっすが、鎧衣。良く知ってたわね~。効用及び入浴法も説明できる~?」
「えっと、確か……効用は、体に悪い脂肪を溶かし出すとか、皮膚呼吸を正常化させるので美肌効果があるとか、筋肉疲労が取れるとか言われていて、冷え症の解消にも効果があり、減量効果もあるって話です。
入浴方法は、始めに全身を濡らした後で水気を拭き取ってからサウナに入って、汗ばんできた頃から手に塩を取って頭の天辺から爪先まで、指の間とかも満遍なく塗り広げます。
この時ゴシゴシと擦り込まない様に気を付けるのコツだそうです。
そうする内に、塩が汗に溶け出すのでマッサージをするように更に塗り広げます。
そして、10~15分、シャワーで良く塩を洗い流して、湯上りには水風呂で頭も顔も十分に冷やすんです!」
美琴の説明を、サウナに居る夕呼以外の全員が興味深げに聞いていた。
「ちゃんと解ってるじゃない。さっすがあの鎧衣の娘ね~。」
「え? 副司令は父をご存知なのですか?」
「たま~にね。あたしが珍しい物が入用になった時に仕入れてもらっているわ。
で、今の説明にあった塩サウナなんだけど、自然塩でないと駄目らしいのよね~。
海に囲まれている日本じゃ、比較的安価な塩とはいえ、自然塩なんてそうそう入浴に使えるもんじゃないわけだけど、この硫黄島では、海水を地熱利用で蒸留して飲用水を作っている関係で、塩は売るほどあるってわけよ。」
「あ、なるほど~~~。この島は地熱利用が出来るから、逆浸透膜やイオン交換膜を使うよりも安価で済むんですね、凄いや~。
もしかすると、地下陣地内の熱交換システムとかも全て統合管理されてませんか?」
「されてるらしいわよ? 島の北東にはサトウキビ畑もあるらしいし、南国フルーツも育ててるらしいわ。
帝国軍は結構ここで採れた物を賄いに使ってるって話よ。」
夕呼と美琴の会話を、良く解らない戯言として他の5人は聞き流していたが、その直後に事態は一気に他人事では済まなくなった。
「さて、鎧衣の説明が終わったところで、207訓練小隊の訓練兵は、日頃の教導に対する感謝の念をこめて、まりも―――神宮司軍曹の全身に塩を塗りこんでやんなさい。
隅から隅まで、余さず丹念に塗るのよ! そして、さらに10分間の間、全身を隈なくマッサージしてやんなさい。」
「えええええ~~~っ! い、いいわよ、あなたたち! ゆ、夕呼……じゃなかった、香月副司令、今のお言葉を撤回なさって下さいッ!!」
慌てて、取り乱すまりもの様子に、唖然としてしまう207B女性陣であったが、夕呼は嬉しそうなニヤニヤ笑いを満面に浮かべ、更に追い討ちをかけた。
「ほら! あんた達なにボ~ッとしてんのよ! 無礼講だからって、命令聞かなくて良いって訳じゃないのよ?!
さっさとやんないと、今からでも白銀呼びつけて、あんた達全員に塩塗らせるわよ!!」
夕呼の言葉は実に効果覿面であった。
彩峰が瞬間移動の如くに塩が盛られた皿の前に移動して、皿ごと恭しく持ち上げる。
冥夜と千鶴が、まりもに左右から近付き、やんわりとまりもの両肩に手をかける。
そして、皿を両手で持ち上げた彩峰の左右後方に従うように、壬姫と美琴が何故か両手をわきわきとさせながら、まりもに正面から歩み寄ってくる。
まりもは、教え子達を押し留めようとするが、それは空しい努力に過ぎなかった。
「き、貴様ら、こんな事をして、只で済むと思うのか? 今なら間に合う、大人しくベンチへ戻れ!」
「済みませぬ、神宮司教官。」「上位命令だからね……」「残念ですが教官。上位命令ですので、勘弁して下さい。」「教官~、ごめんねぇ~。」「あ~、上位命令じゃなきゃ、こんな事、やりたくないのになぁ~。」
「や、やめろ! 止めないかっ!!…………いやぁっ、止めてぇえ~~~~~ッ!!!」
口ではあれこれ言いながらも、夕呼の口車に逆らえる筈もない教え子達に、力ずくで対抗することも出来ず、まりもは床に横たえられて、5人によって全身を塩塗れにされ、続けて10分間に亘って揉みくちゃにされてしまった。
そして、ようやく解放されて、サウナから飛び出し、水風呂へと逃げ出したまりもであったが、水風呂から上がったまりもの肌は、実に血色良く、艶々のつるつるでスベスベになっていた。
それを見た他の面々は、一休みした後、今一度サウナにこもり直して、丹念に自分の身体に塩を塗り込んだ……
● ○ ○ ○ ○ ○
2001年11月02日(金)
08時49分、小笠原諸島父島近海にて、207Bの6人はダイビングに興じていた。
昨夜は夕呼の手配によって高速クルーズ客船『てんま』の客室を割り当てられ、普段の合成食からは想像も出来ないご馳走を夕食に供された後、ふかふかのベッドで演習の疲れをぐっすり眠って癒すことが出来た。
そして、朝起きて朝食を済ませてみると、夜の間に『てんま』は海域を移動して、小笠原諸島父島の近海へと到達していた。
夕呼の呼び寄せた父島のガイドによって、『てんま』は更に短距離を移動し、イルカとマッコウクジラのいる海域を目指した。
そして、思いもしなかった本格的なバカンスに、207Bにまりもまで加わって、水着姿でイルカと戯れたり、スキンダイビングを楽しんだりして午前中から午後の早い時間帯を過ごす事となった。
あまりの楽しさに、途中幾度か武が『てんま』へと一人で戻っていたことを気にかけたものは居なかった。
『てんま』に戻った武は、船縁で海面を見下ろす形で一人なにやら行っていたが、その姿を見て興味を持った夕呼がわざわざ近寄ってきて声をかけた。
「あんた、なにやってんのよ。」
「あ、夕呼先生。いや、実はですね………………て、事なんです。」
武が手に持っていたものを肩から提げて、身振り手振りを交えて説明すると、夕呼は意外な事を聞いたという風にマジマジと武を見て言った。
「へ~、あんたにしちゃ気が利くじゃないの。誉めてやるわ。
じゃ、お墨付きをやるから頑張んなさい。」
「ありがとうございます。……先生、先生は泳がないんですか?」
「あったりまえでしょ? 泳ぐんだったら酒飲めないじゃない。」
「さいですか。」
そんなやり取りをする2人の眼下の海面では、イルカと戯れる6人の女性兵士の姿があった。
それは、戦時中とは思えないほど華やかで眩しく、そして………………武には切ない光景であった。
この情景をごくありふれた物にしてみせると、武は心の中で堅く誓うのであった。
● ○ ○ ○ ○ ○
20時03分、PXでの夕食を終えた武は、B19フロアのシリンダールーム、そのドアの前に立っていた。
16時30分に、父島近海で高速クルーズ客船『てんま』から74式大型飛行艇旅客機仕様に乗り換えて、横浜基地の第2滑走路に帰還したのが19時32分。
全員『てんま』でシャワーを済ましていたので、荷物を持ったままPXへ直行して夕食を済ませた。
昨日の夕食以来、豪華な食事を3食供された207Bの6人であったが、母の味とでも言ったらいいのだろうか、京塚のおばちゃんの料理はほっと出来る味で、皆で舌鼓を打つこととなった。
そして、食事が終わり解散する事となって直ぐその足で、武はB19フロアへのエレベーターに向かったのだった。
ドアが開き、シリンダーから漏れる青白い光に照らされた室内の光景と、シリンダーに向かって立つ霞の姿を認め、武は室内に入って暫く待つことにした。
少しして、一段落着いたのか、霞は武の方へと向き直り、歩み寄ってきた。
武も霞に向かって歩きながら、右手を上げて声をかける。
「よっ! ただいま、霞。」
「お帰りなさい……白銀さん……合格……おめでとう……ございます……」
「を! ありがとな、霞。それでさ、霞にお土産持ってきたぞ~。」
「……あ……ありがとうございます……」
嬉しそうに頬を染める霞に、武も妙に浮かれてしまい、担いできたバッグから土産の品を取り出した。
「ほら、霞! これがイルカとクジラの木彫りの置物だ。
こっちがイルカで、こっちがクジラ。この置物だと同じ位の大きさだけど本物はクジラの方が何倍もでっかいんだぞ。
いやあ、総戦技演習に行って、ちゃんとした土産物屋に行けるとは思わなかったな。
小笠原諸島の父島って島で買ってきたんだ。」
「……かわいい、です……」
「でな、店で売ってる物には見劣りするかもしれないけど、演習をやった硫黄島で自分で探してきた物もあるんだぞ。
ほら、巻貝と、この石。巻貝は耳に当てるとごわごわ~って聞こえるけど、その音を波の音だと思って聞いといてくれ。
何時か、霞を本当の海に連れてってやるから、それまではその貝で我慢だ!
で、石の方は、黒いとこの中に白いとこが十字に交差してて、珍しいもんだから拾ってきた。
気に入ってくれるかな? 霞。」
霞は巻貝を受け取って耳に当てると、武を見上げて頷いて言った。
「ごわごわ~って、いってます。
……この石は……鶉石(うずらいし)です……黒い部分……火山ガラスです……白い部分……中性長石です……
白黒……の斑模様が……鶉の卵に……似ているから……鶉石です……イタリアと硫黄島……今では、硫黄島でしか……採れません……
………………硫黄島……調べたら……載っていました…………」
霞は、巻貝を耳から外し、一緒に渡された白黒斑(まだら)の石を手に載せて武にも見えるように差し出すと、途切れ途切れではあるものの、石の説明を一生懸命にした。
「―――そうか、硫黄島で演習が行われるって聞いて、調べてくれたんだな、霞。
心配してくれてありがとう。お蔭で、みんな無事に、合格して帰ってくることが出来たよ。」
「私は……なにも……していません……」
「そんなことないさ! 霞が心配してくれた事は、何処かでオレたちの力になったさ。
それに、そうじゃないとしても、少なくとも今オレはとっても嬉しくて、霞に感謝しているぞ。
それじゃ駄目か?」
「いえ……十分、です……」
「そっか。それじゃあ、これが最後のお土産だ。
これは、霞と……純夏にも、だな。」
武はバッグから撮影機材と接続コード、持ち運び式の端末を取り出し、接続をしていった。
そして、撮影機材の再生スイッチを入れると、端末の画面にイルカやクジラ、そして楽しそうにはしゃぐ207Bの女性陣5人とまりもの姿が映し出された。
撮影しているところから遠いのか声などは聞こえないが、波の音だけは映像の背後に絶えず流れていた。
武が度々『てんま』に戻って行っていたのは、これらの映像の撮影の為であった。
「……………………凄いです……」
その映像を見た霞は、涙をポロポロと零しながら、嬉しそうに笑みを浮かべた。
武は、霞のその様子に、頭を優しく撫でてやりながら話しかけた。
「そうか、気に入ってくれたか。霞だったら、この映像を端末で網膜投影出来る様に処理できるだろ?
そうすれば、臨場感だってもっと良くなるぞ。
それで、気が向いたらで良いから、純夏にも見せてやってくれるか?」
「もちろん……です…………白銀さん……ありがとう…………」
武は言葉では返事をせずに、それから暫くの間、霞の頭を撫で続けた……