第145話 南米狂騒曲
大西洋標準時:2007年11月15日(木)
大西洋標準時:04時27分、未だ曙光の届かぬ未明の空に、全長全幅共に40mを超える大型戦略爆撃機とその護衛戦闘機、さらには早期警戒管制機(AWACS)を初めとする電子戦機等で構成された、多数の航空機による編隊が整然と銀翼を連ねていた。
そしてその編隊が目指す先の遥か下方、冥暗に沈むチリ西方沖の海上では、空母―――正規戦術機母艦を初めとする艨艟達が幾隻も舳先を連ねて一路戦場目指して波を蹴立てている。
それらは、世界に冠たるアメリカ合衆国の誇る陸海空軍と海兵隊からなる部隊であり、5万人を超える将兵が動員されていた。
「我が合衆国の忠勇なる兵士諸君。
私は異国にて内戦に巻き込まれた同胞を救う為、戦火の中へとその身を投じようとしている諸君に対し、心からの感謝と激励を捧げるものである。」
そして今正に、作戦開始を目前に控えた将兵等の下へと大統領が直々に送る激励の言葉が齎されていた。
「我が合衆国の友邦たるチリ政府に対し武装蜂起した反政府勢力は、現在首都サンティアゴ・デ・チレ及びバルパライソとその周辺地域を支配下に収め、不法にも罪なき民衆をその膝下に組み敷いている。
そしてそれらの民衆の中には、我が合衆国の国民も少なからず含まれているのだ。
我等はこの様な暴挙を、断じて許してはならない!」
南米チリで発生したクーデター。
それは、長きに亘って続いてきた親米軍事政権による独裁に対するものであり、抑圧されてきた民衆の蜂起として捉える事も可能な出来事ではあった。
しかし、今回のクーデターの陰にはキューバやソ連といった社会主義国家の強引とも言える後押しがあり、中華人民共和国の衰退―――事実上の崩壊に危機感を覚えた社会主義陣営が勢力拡大を狙って企てた謀略であるという側面を有していた。
チリという国家は、1970年の大統領選挙によって社会主義政権が発足したという過去を持っている。
しかし、BETAの地球侵攻が始まりレーザー属種の出現によって中ソ連合軍が焦土戦術による決死の防衛戦を繰り広げていた1973年の9月、キューバに続き中南米に社会主義国家が増える事を嫌った米国によって指嗾された軍事クーデターが発生し、以降30年以上に亘ってチリは軍事独裁体制下に置かれ続ける事となった。
その後、軍事政権による反体制派に対する苛烈な弾圧が繰り広げられ多数の人命が失われた苦難の時代には、100万にも及ぶ国外亡命者が発生する事となった。
これらの国外亡命者とその子供達が、キューバで軍事訓練を施された上で今回のクーデターの中核となり、これに国内で反政府運動を続けていた者達の一部が呼応して、首都及び周辺地域を制圧するに至ったのである。
一方、チリに限った話ではないが、BETA大戦の戦況が好転してきた近年では軍事政権各国の政府による人権侵害が国連に於いて問題視されている事もあり、今回のクーデターを容認する国家も少なからず存在する。
しかし、現時点に於いてはクーデター勢力が制圧している地域が首都近郊のみであり、チリ陸軍がそれ以外の地域への進攻を阻止する構えを取って防衛戦を構築している事、そして何よりも軍事政権首脳陣の身柄をクーデター勢力が未だに確保出来ていない事等から、情勢は膠着状態に陥っており未だ事態は混迷の渦の最中に在り先の見通せない状況となっている。
その様な情勢下に於いて、ソ連とキューバは早くもクーデター勢力を新政権として認める声明を出し、キューバに至っては軍事同盟締結に基づくと称して陸海軍を派兵しようとしていた。
一方、社会主義国の誕生を阻止したい米国は、在留米人救出という名目でキューバに先行する形で部隊を派遣してクーデターを鎮圧し、軍事政権を存続させようとしていたのである。
「―――作戦の詳細に関しては、私は敢えて触れる事はすまい。
しかし、諸君等の派兵目的は、飽く迄もチリに在住している合衆国国民の救出であり、その安全確保であるという事を忘れずにいて欲しい。
現在行われている緊急国連総会決議の結果如何に於いては、今作戦期間中に国連軍が介入して来る事も十分に予想される。
所定の作戦に想定されていない事態に直面した時、諸君等が先程述べた派兵目的こそを念頭に置き、相応しき判断を下す事を切望する。
最後に、合衆国は諸君等の活躍により必ずや同胞達が救い出されると確信すると共に、一刻も早い朗報を待ち侘びている。
諸君等に栄光と神の加護があらん事を。」
大統領直々の激励を受け、作戦参加将兵等の意気は旺盛となった。
抑制された興奮が作戦開始を前にして、将兵等に中に浸透していく。
しかしそんな雰囲気の只中にあって尚、大統領の言葉に潜む意味を汲み取る者達もいた。
「―――派兵目的は飽く迄も救出、か…………
ですが今回作戦内容からすれば、クーデター鎮圧と軍事政権の存続が主たる目的ですよね? 隊長。」
米国第3艦隊所属エンタープライズ級正規戦術機母艦CVN-67『ジョン・F・ケネディ』のブリーフィングルームでは、衛士強化装備を装着して出撃待機状態にある米国海兵隊(U.S.マリーン・コー)所属衛士が、小声で隣に腰かけている女性衛士にそう話しかけていた。
話しかけたのは、第1海兵遠征軍第118戦術機隊(ブラック・ナイブス)所属ウィルバート・D・コリンズ少尉であり、その声に横目で視線を投げると共に肩を竦めたのは、彼の上官であり小隊長を務めるダリル・A・マクマナス中尉であった。
「まあ、そういうこった。けど、今回の派兵に関しては大統領閣下は反対していたって話だからねえ。
ウィル坊が気にしてんのは、いざって時の判断に迷いが出ないかって事なんだろうが…………大統領閣下はどうやらアタシらに迷って欲しいみたいだね。」
今回の派兵は、チリが算出する天然資源および食料等の中継貿易に際して、親米軍事政権によって有利な条件を与えられ莫大な利益を得ている米国産業界の強硬な要望を背景としていた。
そのロビー活動は非常に迅速かつ効果的なものであり、クーデターが発生したその翌日には合衆国議会に於いてクーデターに対する非難決議が可決された程であった。
更には大統領の所属する政党や、アメリカの最高意志決定機関の一つである国家安全保障会議のメンバーにまで働きかけ、米軍の介入によってクーデターを鎮圧し親米軍事政権を存続させるように求めたのである。
近年の国連主導による人権問題是正を求める国際世論の高まりから、中南米の軍事政権の解体と民政移行を模索していた米国大統領であったが、産業界からの圧力と国家安全保障会議に於ける提言を受け入れる形で、不本意ながら今回の派兵実施を下命するに至った。
しかし、この救出作戦の発令とそれが大統領の本意ではないという情報が、どこからか報道機関へと漏洩し表沙汰になってしまう。
これにより救出作戦の奇襲効果が低減したのみならず、大統領の政治的指導力に対して懸念が取り沙汰される騒ぎとなった。
更には米軍介入が表沙汰になった事から、国連でその是非が論じられるという事態を招く。
そんな中、クーデター直後に発議されたにも拘らずソ連の拒否権発動により承認されなかった、オルタネイティヴ6によるクーデター鎮圧作戦実施が対抗策として再浮上した事により、急遽開催された緊急国連総会に於いて再度発議されるという運びとなっていた。
そう言った経緯を踏まえて、面倒くさそうに頭を掻きながら告げられたダリルの言葉に、ウィルは息を飲んで眉を顰める。
「ッ!?―――しかし、それでは作戦の遂行に支障をきたしてしまうのでは……」
下された作戦内容と、最高司令官である大統領の意志の乖離、更には通達された作戦内容を形骸化させかねない発言を、作戦開始直前のこの時になって大統領が行うというまさに異常事態とも言うべき状況であった。
この様な状況では、作戦遂行にウィルが不安を抱くのも無理は無い。
しかし、ダリルは深刻な表情を浮かべたウィルの顔を一瞥するなり、その悩みを一蹴してしまう。
「そこだよ。これは飽く迄もアタシの勝手な想像だけどさ、大統領閣下は所定の作戦案を遂行するよりも、表向きの派兵目的達成こそを判断基準にさせたいと考えておられるんじゃないかね。
確かに、アタシらみたいな下っ端にとってはちぃっとばっか面倒な話さ。
けどまあ、実際何らかの判断を下す羽目になったとしても、アタシらよりも先にローゼンバーグ大尉殿が決断してくれるだろうさ。」
思考を停止し上官に判断を丸投げするかの如き発言をダリルはしたが、それを聞いたウィルは苦笑を浮かべて聞き流す。
「さすが元相棒(バディ)だけあって、中隊長を信頼なさってるんですね、隊長。」
何故ならば、現在の所属中隊指揮官であるローゼンバーグ大尉は昨年昇進する迄はウィルの所属する小隊の指揮官を務めており、二機連携(エレメント)を組んでいたダリルとは強い信頼関係にあるという事を熟知していたからである。
しかし、その事を面と向かって指摘されたダリルは照れ隠しに眉を顰めて渋面を作って見せると、ウィルに対して彼の元相棒であり現在はローゼンバーグ大尉と二機連携を組んでいる衛士の名を出して発破をかけるのであった。
「うっさいんだよ、この坊やが!
あんたもそろそろ頭でっかちを卒業しないと、レナードに先越されちまっても知らないよ?
指揮官候補生らしく、もうちっとしっかりしなッ!!
どうせ大統領閣下が何をお考えであろうと、アタシらは下された任務を忠実に遂行するのが務めだ。
海兵隊員、『第118戦術機隊は諦めない(ブラック・ナイブス・ドント・クイット)』だ! 解かってんだろうね?!」
ダリルの照れ隠しである事を承知しながらも、ウィルは背筋を伸ばし生真面目に敬礼しつつ復唱した。
「はッ! 『常に忠誠を(センパー・ファイ)』!
決して諦めず、必ずや任務を遂行いたしますッ!!」
『常に忠誠を』は海兵隊の標語だが、それを口にしつつも自分達が忠誠を捧げるべき相手の実体について、ウィルは考えずにはいられなかった。
在留米人の救出は海兵隊の主たる任務の1つである。
しかし、今回の作戦でウィル達海兵隊戦術機隊に与えられた任務は、軍並びに政府関連施設の制圧。
在留米人の救出を謳いながらその実クーデター鎮圧に重点を置く今回の作戦に、ウィルはそれを命じた者達への疑念を抱かずにはいられないのであった。
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大西洋標準時:05時00分、米軍による在留米人救出作戦は戦略爆撃機B-52『ストラトフォートレス』とズムウォルト級ミサイル駆逐艦からの巡航ミサイル射出によって幕を開いた。
空と海から放たれたそれら巡航ミサイルの群れは、チリ国内のレーダーサイトを目標として設定されている。
幾つかのレーダーサイトがクーデター勢力によって制圧されている為、戦略爆撃機B-1B『ランサー』の低空侵入に先駆けて、防空監視網の無力化を企図した先制攻撃であった。
そしてそれらの巡航ミサイルの後を追う様にして、制空戦闘機F-907『スカイラーク』と無人航空機(UAV)MQ-32『シューター』を護衛に付けたB-1B『ランサー』が高度を下げていく。
B-1B『ランサー』12機とその護衛戦闘機軍によって構成された編隊の任務は、クーデター部隊が制圧している軍事施設の爆撃であり、B-1B『ランサー』の搭乗員は戦域マップに表示される敵性マーカーと爆撃目標を注視しながら、巡航ミサイルの戦果が確定するのを待ち受けていた。
その戦果次第で自分達が曝される迎撃の激しさが左右される為、彼等の態度もおのずと真剣なものにならざるを得ない。
とは言え、『ランサー』の搭乗員等は自軍の圧倒的優位を信じ安心しきっていた。
世界最強を誇る米軍の派遣部隊を相手に、クーデター部隊はおろかチリの正規軍でさえ然したる抵抗など出来はしない、彼等にとってそれは常識以外の何物でもなかったのである。
しかし、未だ巡航ミサイルがチリ西岸に到達すらしていないにも拘らず、激変した戦域マップの表示に彼等は揃って驚愕の叫びを上げる事となった。
「なに?! なんだってんだ! 友軍マーカーが突然戦域の彼方此方に表示されたぞ!!」
「不味いぞ、巡航ミサイルの攻撃目標になってるレーダーサイト周辺にも表示されてる!」
「それだけじゃない、俺達の攻撃目標周辺もだ! これじゃあ爆撃に巻き込んじまう!!」
「敵の欺瞞じゃないのか? あんな部隊は作戦案では存在していなかったぞ!」
突如として、戦域マップのクーデター勢力制圧地域内に出現した友軍マーカー。
つい先ほどまで敵性マーカーしか表示されていなかったにも拘わらず、友軍マーカーは刻々とその数を増やしていき作戦区域内へと凄まじい勢いで展開していく。
その様子を作戦司令部に指示を仰ぐ事すら忘れ、食い入る様に注視していた彼等を更なる驚愕が襲う。
突然鳴り響く警戒音(アラート)と共に視界に投影される警告、それは―――『レーザー照射警報』。
航空機搭乗者にとっては死の宣告にも等しいその警告に、全員が凍りついた様に動きを止めたその直後―――遥か東方上空から放たれた眩い光芒が彼等の編隊に先行していた巡航ミサイルへと襲いかかった。
複数の光芒が闇夜を薙ぎ払い、その射線の先にあった海面に巨大な瀑布が続け様に上がる。
未だ陽の差さない時間であった為にそれを肉眼で認めた者こそ少なかったが、赤外線解析映像でその光景を見たならば、海水が瞬時に気化して水蒸気爆発を起こし周囲の海水を吹き飛ばしている事に気付けたであろう。
この現象は、今正に放たれているレーザー照射が高高度から撃ち下ろされたものである事を示していた。
レーザー属種の脅威は、その存在する高度に比例して高まる。
何故ならば、その長大な射程を誇る照射を妨げる水平線迄の見通し距離は、照射源と被照射対象の高度が高い程長くなるからだ。
「―――ク、巡航ミサイル全機消失…………」
「た、退避機動を取れ! 高度を下げて地平線の陰に―――」
そして、今回のレーザー照射源の高度は8,000m。
航空機が如何に高度を下げようと、400km程度までならば十分照射可能圏内である。
それ故に、米空軍部隊の必死の回避機動は完全に無駄な足掻きであったのだが、幸いにして彼等に向けてレーザーが照射される事はなかった。
回避機動に追われている空軍パイロット達には考える余地すらなかった事だが、高度8,000mからのレーザー照射という事実が如何に脅威的かを正確に把握しつつ、現実から逃避する事も許されず対応策の立案に追われざるを得ない者達も存在している。
米国海軍派遣艦隊司令部の幕僚達である。
派遣艦隊は、正規戦術機母艦を初めとする戦術機母艦群、戦術機以外の陸戦部隊を搭載している揚陸艦群、更には小型航空機母艦とミサイル駆逐艦等を含む護衛艦群によって構成されている。
この他にも、海兵隊の強襲歩行攻撃機A-12『アヴェンジャー』を艦首に搭載した潜航ユニット―――コネチカット級支援原子力潜水艦8隻で構成される、戦術機甲戦隊が海中を先行して港湾都市バルパライソの沿岸部を目指していた。
幸いにして先のレーザー照射で広範囲に発生した水蒸気爆発の影響を、艦隊も戦術機甲戦隊も全く被らずに済んでいた。
しかし、上空からのレーザー照射があるともなれば、揚陸はおろかA-12『アヴェンジャー』による強襲上陸でさえも易々と撃退される可能性が高い。
そして、BETAが存在する筈もないこの南米での作戦計画に、BETAレーザー属種への対策が盛り込まれていよう筈なかった。
レーザー照射に対抗しようにも、海軍の艦艇にも空軍機にも、そして積載している戦術機やその他陸戦兵器群にさえ、レーザー照射を妨げるALMを装備しているものは1つたりとて存在していない。
そして照射源を迎撃しようにも、先程のレーザー照射から推定された照射出力を基にすると、その最大射程は重光線級BETAに比してやや劣る900km前後と推定される。
そして、射程が長く現在位置から成し得る攻撃手段となるとその殆どが低速な巡航ミサイルである為、派遣部隊が保有している全てを同時に投入した所で、レーザー照射による迎撃を突破できる可能性は非常に少ない。
要するに、レーザー照射に対する対抗策は皆無に等しいのである。
正直手も足も出ない状況なのだが、そもそも高高度を飛行するレーザー属種など前代未聞な上、巡航ミサイルのみが撃墜されている事からも照射源がBETAであるとは考え難い。
ならば照射源の正体と目的とは何なのか……そこに考えが至った作戦総司令官を兼ねる米海軍提督の目に、友軍属性からレーザー照射という敵性行動によって未確認(Unknown)属性へと変化したマーカーが写る。
「―――そうか、やつらか……
やつら―――第六計画は、とうとうあんなものまで手に入れたのか!」
米海軍提督が唇を歪めてそう吐き捨てたのに応えるが如く、広域データリンクを経由した通信が届けられる。
「―――こちらは国連軍第六計画直属部隊、A-01旅団指揮官白銀武大佐です。
我が隊は緊急国連総会の決議により、チリで発生している武装クーデター鎮圧作戦に従事しております。
先程は誠に申し訳なかったのですが、展開中の我が部隊に被害をもたらしかねない貴軍の巡航ミサイルを察知した為、レーザー照射を以って迎撃させていただきました。」
通信画像に映し出された若過ぎる大佐を、派遣艦隊司令部の幕僚たちは憎々しげに睨みつける。
それらの視線を歯牙にもかけず、画面上の武は感情を完全に排した表情で慇懃無礼とも取れる言葉を発している。
「遅ればせながら、これ以上の齟齬をきたさぬ為にもお互いの作戦を摺り合わせ調整する事を提案いたします。
尚、貴軍が攻撃目標としておられたであろうレーダーサイトは当方で無力化いたしますが、非武装の民間人に死傷者が発生しかねない攻撃は極力控えていただけるよう強く要請いたします。
この要請を受け入れていただけない場合、当方は実力を以って貴軍の攻撃を抑止する覚悟である事を申し添えておきます。」
提案と要請と言ってはいるものの、それは圧倒的優位に立脚した恫喝にも等しいものであった。
米海軍提督は、武の提案を基本的に受け入れると述べた上で、実際に協議を行うには準備が必要だとして時間的猶予を要求する。
武はそれを承諾し、艦隊のチリ沿岸部への接近は認めたものの、航空機の接近とミサイルや砲撃等の戦闘行為、そして陸戦兵器の上陸については控える様に要請し、米海軍提督も差し当たってはこれを了承した。
感情を抑えた表情の陰で、しかし米海軍提督は心中密かに毒吐く。
(若造めが調子に乗りおって! だがな、こちらにもまだ奥の手が残っているぞ。
いい気になって、後で吠え面をかかんようにな……)
米海軍提督は幕僚達に、空軍への帰投命令と陸軍並びに海兵隊の司令部に対する状況説明と調整を命じ、自身は本国に事態を説明するべく秘匿回線を開くようオペレーターに指示を下すのであった。
一方、通信を終えた武は高度8,000mに浮かべた『凄乃皇・四型』のコックピットで大きく息を吐き出していた。
高出力レーザー照射という、人類の軍人にとってはトラウマにも等しい攻撃を行う事で、最大限の威圧効果を与えていると確信していた武ではあったが、BETAと違い人間相手の場合は必ずしも計算通りの結果とはならない。
米国派遣部隊の司令官が交渉を拒否して作戦を強行していた場合、武は苦しい判断を迫られていたであろう。
ミサイルによる攻撃であれば、先程の様に海上で迎撃してしまえば人命に関わるような事態にはそうそうなりはしない。
しかし、航空機や戦術機、或いは艦艇などの有人兵器による進攻が強行された場合、それらに対する迎撃は搭乗する将兵等の身命を危うくせざるを得ない。
如何に事前の警告を無視したからと言ってはみても、命令を忠実に遂行しているだけの米国将兵等を死傷させるのは、武にとってやはり躊躇われる事なのであった。
その様な事態を極力回避する為に、武は心理的効果の高い高出力レーザー照射という迎撃方法を採用した。
単に巡航ミサイルを海上で迎撃するだけであれば、電磁投射砲や電磁加速砲による気化弾頭弾による砲撃でも十分可能であった。
本来であれば海上を低空で飛行する巡航ミサイルを補足するのには困難が付きまとうのだが、今回武はチリ上空高度20kmに複数の成層圏飛行船を偵察用プラットフォームとして配置している。
そして武は、それらの各プラットフォームが同時に観測したデータを統合分析し、高い分解能を達成する干渉合成開口レーダーとする事で、広範囲に亘る緻密な偵察を常時実施出来る態勢を整えていた。
この態勢であれば、ほぼ万全と言える監視網を戦域全体に敷く事が出来る為、巡航ミサイルの補足も容易であった。
何はともあれ、差し当たって米軍との交渉が一応成功裏に終わった事で安堵の溜息を盛大に洩らした武は、意識を展開中のA-01派遣部隊へと切り替える。
チリの首都サンティアゴ・デ・チレと港湾都市にして国会の在所でもあるバルパライソの各重要施設、そして両都市の周辺地域やクーデター部隊が制圧しているレーダーサイト等々、それら全ての目標に対する展開が完了するまでには今少しの時間を必要としていた。
とは言え、未だ展開が完了していないのは、主に都市周辺地域の広範な戦域に観測網と防衛線を構築する自律装備群であり、レーダーサイト制圧用の部隊は既に万全の態勢を整えている。
緊急国連総会でオルタネイティヴ6によるチリクーデター鎮圧が承認されたのは、アメリカ東部標準時にして03時33分(大西洋標準時:04時33分)の事であった。
夜を徹して行われた緊急国連総会は、米国派遣部隊が戦端を開く直前になってようやく承認の決議を下すに至った。
ソ連やキューバは最後まで強硬に反対し、議決を少しでも先送りしようと精力的に活動しており、決議がここまで遅くなった要因の大半を占めていた。
一方、独自にチリ在留米人救出を目的とした派兵を行っている米国は、終始静観の態度を崩さず決議に際しては賛成票を投じている。
これは、米国の救出作戦開始直前のこの時点で議決が成されても、自国の作戦への影響は無いと考えた為であろうと他国には受け止められたが、実を言えば大統領から直接下された指示に沿った行動であった。
そして、国連での承認から30分という短時間で、A-01は作戦区域への部隊展開を果たそうとしていた。
この驚異的な展開速度は、3機の『凄乃皇』と就役したばかりの再突入型強襲揚陸艦『天磐船(あめのいわふね)』3隻があったればこその荒業である。
再突入型強襲揚陸艦『天磐船』は、簡易GS(Gravity-gradient Sailing)機関を搭載し重力勾配航行で大気圏の離脱並びに降下を独力で達成する。
全長408m、全幅196m、全高152m。
簡易GS機関の重力偏差発生装置(グラヴィティ・ディフレクション・ジェネレーター)を転用する事でラザフォードシールドを展開出来るが、その強度は限定的でありシミュレーションでは重光線級6体の多重照射までしか耐える事は出来なかった。
『凄乃皇』と異なりML機関は搭載しておらず、搭載原子炉から得たエネルギーをグレイ・イレブンに対して供給し励起状態にする事で重力偏差を発生する為、グレイ・イレブンを消費せずに運用する事が出来る。
A-01の編制に於ける1個戦術機甲大隊が運用する有人戦術機、遠隔陽動支援機、随伴補給機とその他各種自律装備群と補給物資を格納した上で尚、20%以上の積載量が残るという大型艦である。
月面及び火星での運用を前提としたこの艦は、恒星間移民船の航宙母艦への改装を後回しにして2003年に起工されており、1番艦から3番艦迄がつい1月前に就役したばかりの新鋭艦であった。
武は『凄乃皇・四型』と『凄乃皇・弐型』2機、そして『天磐船』3隻に3個戦術機甲大隊の装備弾薬補給物資と人員を載せ、緊急国連総会の議決を待たずに高度350kmの地球周回軌道に上がって待機。
そして緊急国連総会での議事進行を睨みタイミングを計りつつ、武は周回速度を落としてチリ上空高度100kmの相対位置を保つ様に軌道を遷移していった。
無論、そのような周回速度では見かけ上の重力が発生してしまい高度を保てなくなるのだが、重力勾配航行で無理矢理バランスをとって相対位置を保ったのである。
そして、国連で議決が下った直後、クーデター鎮圧作戦の発動を宣言した武は、途中高度20kmで偵察用プラットフォームとして成層圏飛行船を発進させた後、チリ上空8,000mまで3機の『凄乃皇』を降下させた。
『天磐船』3隻も『凄乃皇』に追随し、熱光学迷彩を纏ったまま地表付近まで降下。
積載している自律装備群をステルス及び熱光学迷彩装備の緊急展開用ブースターユニットで発進させ、作戦案に従って3個戦術機甲大隊の戦力を作戦区域の各所へと緊急展開させたのである。
それは、重力勾配航行を用いて初めて可能となる軌道降下戦術であった。
「タケルぅ! 現地工作員からの情報収集と分析が終わったからそっちに送るね。
『足軽』と『乱波』がクーデター部隊の歩兵部隊鎮圧を開始した時点で、市民の避難誘導を実施する準備もバッチリだよ!」
そして、武の下に待ち望んだデータが美琴によって送られてくる。
事前に潜入させていたオルタネイティヴ6諜報部の工作員が、現地協力者を確保した上で調べ上げたクーデター勢力の最新情報である。
武はそれらの情報を即座に分析し、作戦に齟齬をきたす要因がないか確認していく。
そして、作戦に幾つかの修正を加えた上で全員に送信し、変更点を周知徹底した。
「了解だ、美琴。敵戦術機が配備されている施設の攻略は最後になる。
現地工作員や協力者には、最新のタイムスケジュールを伝えておいてくれ。」
美琴との秘匿回線による通信を終えた武は、部隊内データリンクのオープン回線を開く。
すると、それを察したA-01派遣部隊次席指揮官を務めるウォーケンが、透かさず報告を上げて来た。
「スカジ・リーダー(ウォーケン)よりスレイプニル0(武)、レーダーサイト制圧の準備完了。
何時でもいけるぞ。」
「スレイプニル0(武)、了解。スカジ・リーダー(ウォーケン)以下レーダーサイト制圧担当者はそのまま待機。
フルンド1(美冴)、そちらの状況はどうか?」
武はウォーケンに応じた後、敵制圧拠点と市街地に配置されているクーデター勢力の制圧準備を担当している美冴に問いを放った。
通信画像の中の美冴は、視線を上下左右に忙しく巡らせながらも、口頭で短く応じる。
「こちらフルンド1(美冴)、あと30(秒)欲しい。」
武は美冴の応答に一つ頷くと、作戦予定開始時刻を定めて通達した。
「了解。―――スレイプニル0(武)より総員に告げる。
05時10分を以って、レーダーサイト並びに戦術機が随伴していない敵地上戦力の制圧を開始する。
スヴァーヴァ1(壬姫)以下の狙撃担当者は、敵装甲車両及び機械化歩兵を無力化しつつ、敵戦術機の動向を監視。
各員、くれぐれも不用意に敵の発砲を誘発しないよう留意せよ。―――以上だ。」
今回の作戦に於ける要諦は、第一に民間人の生命財産に出来る限り損害を与えない事であり、それに次ぐのがクーデター部隊の将兵及び協力者達を極力殺傷しない事であった。
クーデター部隊は、軍事訓練を受け指揮系統を確立している1000人前後の部隊を中核として、その蜂起に呼応したチリ在住の民間人約3000人程が加わって構成されている。
蜂起に当たって、クーデター中核部隊は兵員輸送用のトラックと機械化歩兵装甲、携行火器等を船舶によってバルパライソに持ち込んでいた。
これは積み荷の検閲を行うべきチリ海軍で多数派を占める、軍政に反対する勢力から協力を得る事で達成している。
それらの武装は現地協力者への供与を前提としており量としては潤沢であったが、チリ陸軍の抵抗を打ち破るには些か心許ない物に過ぎなかった。
そこで、クーデター部隊が彼我の優劣を覆す為に投入したのが、ソ連製戦術機であるMiG-23『チボラシュカ』12機であった。
これらの戦術機は、ソ連からキューバへの売却と言う名目で輸出されたものであったが、キューバのクーデターへの関与を表向き否定する為、公海上にてクーデター部隊に戦術機揚陸艦と搭載された補給物資ごと奪取されたという扱いになっている。
ソ連軍の協力により、衛士としての訓練を施されたクーデター部隊の12名がこれらの戦術機を運用し、首都州並びにバルパライソ州の陸軍基地を急襲し歩兵部隊と連携して制圧。
配備されていた車両、火砲等の装備群を奪取したのであった。
尤も、クーデター部隊の蜂起直後にチリ大統領による避退命令が発せられており、各基地の要員が首都州並びにバルパライソ州からの離脱を試みていた事が、クーデター部隊の電撃的な基地制圧へとつながったとも言える。
その為、戦車を初めとする車両等の大半はクーデター部隊の手を逃れて他州の陸軍部隊と合流し、クーデター部隊に対する包囲網に加わっている。
また、クーデター軍が蜂起より10日以上経つ現時点に至るまで、チリ軍事政権首脳陣の身柄を確保できていないにも拘らず、圧倒的な兵力と装備を持つチリ陸軍による反攻を受けずに済んでいるのも、消息を絶つ前にチリ大統領から市街戦を極力避けよとの命令がチリ全軍に対して発せられていた為であった。
現状、軍事政権首脳陣の身柄を抑えた上で政権を譲渡させ、軍事政権に反発する民衆の支持を得て軍部を掌握するというクーデター勢力の計画は既に破綻している。
それでも、前述のチリ大統領による命令のお陰でカウンタークーデターが実施されていない事から事態は膠着状態を見せ、クーデター部隊の制圧下にある首都州とバルパライソ州でも、物流が一部滞りながらも市民生活は一応の平静が保たれていた。
市街地では、クーデター部隊に協力こそしないまでも逆らおうとまでする者は殆どおらず、クーデター部隊が治安維持に振り分けた兵力はそれほど多くはなかった。
それでも市街地の要所々々に配置されていた装輪式装甲車と随伴歩兵に対して、突如として砲撃が襲いかかった。
砲撃と言っても、それは40mm自動擲弾銃によるものであり、しかも弾頭はガス放出式擲弾筒であった。
催眠ガスと共に毒々しい警戒色の煙幕が投射された擲弾筒から噴き出し、街灯の明かりの中、装甲車を中心とした周辺を彩る。
つい数分前に突然上空に出現した光芒やジェット機が飛びまわる様な音に、未明の屋外へと飛び出して空を見上げて不安気に言葉を交わしていた市民達は、突発した騒ぎに慌てて装甲車と怪しげな煙から逃げ出していく。
その直後、金属を叩きつけた様な音が続け様に響いたのを最後に、辺りは静寂に包まれた。
静かになった事で、好奇心に負けた市民数人が恐る恐る様子を見に戻ると、装甲車の周辺には武装解除され手足を拘束された兵士が幾人も転がされており、置き去りにされた装甲車は機関部に穴が空けられ武装も完全に破壊されて粗大ゴミと化していた。
そこには既に襲撃者の姿は見当たらなかったが、市街のあちこちを駆けまわる高さ1m程の小型装甲車両―――小型自律随伴索敵機『足軽』の姿が、この日少なからぬ人々に目撃されることとなる。
● ● ● ○ ○ ○
大西洋標準時:05時11分、市街地でのクーデター部隊鎮圧と同時に、レーダーサイトの制圧も開始されていた。
チリ海軍と同様にチリ空軍でも軍政反対派が主流であった為、クーデター部隊による空軍管轄下にあるレーダーサイト制圧は事実上の無血開城であり、制圧後レーダーサイトに駐留したクーデター部隊も少数であり武装も貧弱であった。
その為、ウォーケンはクーデター部隊の鎮圧よりもレーダーサイトの無力化を優先し、電源供給システムの破壊を命じる。
武が『凄乃皇』3機に搭載されている電子兵装を用いて実施したスイープ・ジャミングと欺瞞波による電子妨害により、その対応に追われて浮足立ってしまったクーデター部隊は、施設内への『足軽』の侵入を易々と許してしまう。
その結果、電源供給ユニットがメインから予備に至るまで完膚なきまでに破壊されてしまい、僅か10分少々の作戦行動によりレーダーサイトとしての全機能を喪失する事となった。
この状況に満足したウォーケンは、それ以上レーダーサイトに立て籠るクーデター部隊への強襲は行わず、包囲監視すると共に適宜威嚇行動を行う事で駐留部隊を遊兵化させるに留める。
「レーダーサイトの方はこれで良いだろう。
しかし、どうも最近自分が本当に衛士なのか疑問に感じてしまう事が多いな。」
状況の推移に満足しつつ、ウォーケンは何処か戸惑いを隠せない表情でつい心情を吐露してしまった。
それに即座に応じたのは長らくウォーケンの副官を務めて来たイルマであり、1つ大きく頷いて同意を示した後、肩を竦めて両手を肩幅に広げて見せる。
「戦術機での戦闘機会が減ってますからね。
でもまあ、対人類戦では戦術機の火力では殺傷力が大きすぎますから、しょうがないですけど。」
「あはは。白銀に付き合ってると無茶苦茶な事ばっかやらされますけど、そういうもんだって諦めちゃった方が楽ですよ?」
そんなウォーケンとイルマのやり取りに、茜が乾ききった笑い声を発し人差し指でこめかみを引っ掻きながら、慰めにもならない言葉を述べる。
そしてその言葉に何時もの如く多恵が即座に追従すると、両頬を膨らまして言葉を継いだ。
「茜ちゃんの言う通りですよぉ。私達だって今まですっごく苦労させられたんですから~。」
「確かに、旧来の衛士に比べたら何倍も大変だけどさ。
それでも敵味方関係なく人死にが少ないってのは良い事だと思うんだよね。
あ、ウォーケン中佐、そろそろ外縁警戒エリアに対して自律索敵機を派遣するべきじゃないですか?」
そこに割り込む形で武を擁護する発言を晴子は述べると、そのまま次に行うべき作戦行動を示唆する事で話の流れをさり気なく断ち切って見せた。
「む―――確かに頃合いだな、柏木少佐。
涼宮少佐、作戦案に従って直ちに索敵機を派遣したまえ。
他の各員は、警戒態勢のまま待機だ。ただし自律装備群の展開状況や周辺情報等のチェックを怠らないようにな。」
『『『 ―――了解! 』』』
かくしてウォーケンの指揮下にあるA-01派遣部隊衛士等は、作戦の次なるステップに向けた行動を開始した。
● ● ● ○ ○ ○
大西洋標準時:05時15分、港湾都市バルパライソ沿岸部では、宵闇を映したかのように暗い波頭を割って鋼の人型が8機、いずれも海中から姿を現していた。
その背後、更に西方の海上には匍匐飛行で急接近する1個大隊相当の36機の戦術機群と、その後を追う様にして海上を滑る様に疾走する上陸用舟艇の1群が存在した。
海中より姿を現したのは水陸両用の強襲歩行攻撃機であるA-12『アヴェンジャー』であり、匍匐飛行で近付く戦術機はF-18E『スーパーホーネット』、更に上陸用舟艇はホバークラフトである『LCAC-1』級エア・クッション型揚陸艇で、そのデッキには装甲車両と機械化歩兵装甲を装備した歩兵達が満載されている。
これらの部隊は全て米国海兵隊に所属しており、巡航ミサイルによるレーダーサイト無力化とB-1B『ランサー』の爆撃に続き、派遣部隊の先鋒としてこの地へと先陣を切って上陸し橋頭保を確保する役目を担っていた。
バルパライソでは、海に面した急な斜面に家屋が立ち並ぶ形で市街が形成されている。
その為、その市街にクーデター部隊の機甲部隊や歩兵部隊が展開し、在住民間人を人間の盾とした上で防衛戦を繰り広げて来たならば、高所を抑えられた上に反撃に民間人を巻き込む事を懸念せざるを得ない立場へと追いやられ、米国海兵隊は苦戦を強いられたに違いないであろう。
その危険性を予測して尚、勇猛を以ってしてなる米国海兵隊である彼等は、作戦開始当初より断固たる決意で上陸を果たさんと奮起していた。
しかし、作戦開始直後の急展開によって彼等は先陣の栄誉を、急遽割り込んで来たA-01に奪われてしまった。
そして今、上陸を果たす彼等の前にはクーデター部隊ではなく、A-01より出迎えとして派遣されてきた『不知火』改修型遠隔陽動支援機『太刀風』の姿がある。
敵前上陸を期して勇躍していたにも拘らず、国連軍にエスコートされて既に鎮圧済みの都市へと招かれるという屈辱的な立場へと追いやられた海兵隊員らは、無人機であると察しながらも憤懣やるかたない思いを視線に込めて眼前の陽動支援機へと注いでいた。
その陽動支援機からデータリンクを経由した通信回線が接続され、海兵隊員らの許へとメッセージが送られてきた。
「小官は、米国海兵隊第26海兵戦術機甲群、第536戦術機隊(ブラディ・ナイトメア)より国連軍第六計画へと派遣されているリリア・シェルベリ少尉であります。
今作戦に於きましては我が隊が先陣を務めさせて頂く形とはなりましたが、派遣部隊司令部の英断により協力態勢を構築できた以上、互いの作戦目的は必ずや達成できるものと確信しております。」
通信画像に映し出された女性衛士は国連軍の衛士強化装備で身を包んでいたが、自身も米国海兵隊に所属していると述べた。
その言葉を聞く米国海兵隊員等は、先陣の栄誉を奪われた上、表向きの作戦目的である在留米人救出はともあれ事実上の作戦目的であった米軍によるクーデター鎮圧の達成をも阻止され、一度は制止された上陸を第六計画との協議の末に最低限の戦力であればと辛うじて許された立場であった。
当然強い怒りと憤懣を抱いていた米国海兵隊員等であったのだが、エスコート役として現れたのが国連軍へと派遣されているとは言え同じ海兵隊員であった事で、幾らかは怒りの矛先を逸らされる形となった。
「現在、レーダーサイトと都市部に展開しているクーデター部隊の鎮圧が行われておりますが、状況は順調に推移しております。
都市部の鎮圧が完了し次第、在留米人に対する避難誘導の呼びかけを開始致しますので、みなさんには呼びかけに応じた方々を受け入れる為のキャンプの設置並びに警備をお願いいたします。尚―――」
そんな海兵隊の同胞達に対する引け目とこの役回りを命じた武に対する恨みを内心に抱えながらも、リリアは表面上は淡々と役目を果たしていく。
斯くして、少なくともこの場に於いては然したる混乱も生じぬまま、米国海兵隊は砲火を交わす事無く整然と上陸を果たす事となった。
● ● ● ○ ○ ○
大西洋標準時:05時16分、闇に紛れてアンデス山脈を越え、チリと隣国アルゼンチンとの国境線を抜けて来た戦術機―――F-22A『ラプター』の1群があった。
(―――『我が派遣軍に於いて、今尚行動の自由を保持せしは貴隊のみなり。以降は独自の判断により、可能な限り任務を遂行されたし』か。
まったく! 気楽に言ってくれるものだ…………)
米国陸軍戦闘技術研究部隊より今回の作戦へと派遣された、戦術機甲中隊『マーベリックス』の指揮官は内心で毒吐いた。
彼等は他の派遣部隊とは行動を共にせず、貨物船に偽装された戦術機揚陸艦2隻に分乗し昨夜の内にアルゼンチンの港へと入港していた。
そして作戦開始に先立って戦術機揚陸艦より進発した部隊は、途中アルゼンチン軍によって設けられた補給拠点で推進剤などの補給を行いながらも、『ラプター』の高度なステルス性能を活かし極秘裏にチリへの潜入を果たしていた。
本来彼等に与えられた任務は、巡航ミサイルによる攻撃でレーダーサイトの無力化が達成されなかった場合や、チリ西部沿岸に上陸した部隊がクーデター部隊により拘束されその進撃が停滞させられた場合等に、主力とは真逆の東方よりクーデター部隊の後方を扼して戦況を好転させるというものであった。
敵にその存在を察知されないように派遣部隊総司令部との通信回線は接続せず、米軍広域データリンクの情報をダウンロードするに留めて特定エリアにアップロードされた情報を参照する事で、指令や要請、情報の授受等を行う方針であった。
『マーベリックス』は、基本的にデータリンクを通じて司令部から下される最低限の指令と戦況に関する情報を得た上で、そのステルス性能を駆使して索敵を実施。
敵部隊の詳細な位置情報と部隊構成を使い捨ての通信ユニットからのバースト通信を用いてデータリンクにアップロードし、自部隊の位置存在情報漏洩のリスクを最低限に抑えつつ、派遣部隊の有する巡航ミサイル等の遠距離誘導兵器によるスタンドオフ攻撃を支援する予定であった。
アルゼンチンより国境線を越えて長躯しているが故に、『マーベリックス』の装備は潤沢とは言い難い。
派遣部隊の装備する遠距離誘導兵器の使用がオルタネイティヴ6の要請によって封じられている現状では、所定の作戦行動など全く役に立たなくなっている。
しかも、その様な状況にも拘わらず派遣部隊総司令部は、初期の作戦目標を『マーベリックス』に丸投げして来ているのだ。
無論、派遣部隊総司令部の置かれている厳しい現状は十分に察する事は出来る。
総司令部の直接指揮下に置かれた全部隊の運用は、オルタネイティヴ6によって監視されており自由に動かす事すら儘ならない以上、初期の作戦目的を一部なりとて遂行し得る戦力は『マーベリックス』を除いて存在しないのだから。
敢えて作戦計画を示さず『マーベリックス』の裁量に全てを委ねる事で、その行動の自由を確保して最大限の戦果を期待するという総司令部の決断は英断と称してもよいものであった。
そうと解かってはいても、『マーベリックス』指揮官に圧し掛かる責任が過大なものである事は明らかだ。
任務内容は大幅に拡大され、直接的な障害となる敵性戦力は旧式な装備しか有さないクーデター部隊に代わり、恐らくは世界最高峰に位置する最先端の装備を有するオルタネイティヴ6の直属部隊となってしまっている。
せめてもの救いは、作戦目的達成に必要な条件がオルタネイティヴ6の阻止線を喰い破る事であって、相手戦力の殲滅を必ずしも要さない事だろう。
(F-22A(ラプター)のステルス性能を以ってすれば不可能ではないのだろうが、今回は相手の態勢が整い過ぎているな…………)
如何に『ラプター』であってもチリ上空高度20kmの成層圏に複数の照射源を用意されていては、探知を完全に免れる事は難しい。
しかも敵手たるオルタネイティヴ6は、世界最高性能の並列処理コンピューターを戦場で運用していると目されている為、各種センサーが取得した情報の統合解析等はお手の物に違いない。
例え『ラプター』自身のレーダー波に対する反射自体は完璧に誤魔化せたとしても、その陰となる地表の反射や照射源とは異なる複数の観測点への輻射などまでは到底誤魔化し切れない。
少なくとも何らかの干渉源が存在する事は、必ずや露呈するだろう。
そうなれば、豊富な自律装備群を有し、戦域にセンサー網を張り巡らした上での索敵情報統合処理システム構築をお家芸とするオルタネイティヴ6相手では、遠からぬ内に補足されてしまうに違いなかった。
それ故に『マーベリックス』指揮官は、短期決戦・強行突破を基本戦術として採る事と決めた。
自部隊の存在を完全に把握される前にオルタネイティヴ6の索敵網と阻止線を喰い破り、優先順位の高いクーデター部隊の拠点を強襲する。
過剰なまでに人命を尊重するオルタネイティヴ6相手であれば、接敵直後にこちらを全力で攻撃しては来ない事が予測される。
おまけに相手の主力が自律装備群であるお陰で、こちらが積極的に攻撃しても苛烈な反撃を誘発する事も少ない筈だ。
相手が忌避するであろう民間人に対する殺傷を極力回避した上で、相手の優位を確信するが故の余裕を逆手にとって本腰を入れて来る前に作戦目的を幾らかでも達成するしかないと、『マーベリックス』指揮官はそう判断を下した。
「「マーベリック・リーダーよりマーベリックスに告ぐ。
「これより我々はクーデター部隊が立て籠っていると思われる、サンティアゴ・デ・チレ並びにその周辺に位置するチリ軍事施設を強襲し、クーデター軍を制圧する事を目的として行動を開始する。
但し、我々の進攻ルート上には国連軍第六計画直属部隊によって索敵網と阻止線が張られており、それらを突破しない限り作戦目的の達成は不可能と思われる。」
無線封鎖中である為、部隊内データリンクは光通信網を相互の機体の間に構築して確立している。
編隊飛行中や主脚歩行中であればともかく、戦闘機動に入った後はデータリンクが保持できる可能性は極めて低い。
それ故に『マーベリックス』指揮官は所属各機へと作戦計画の概略を口頭で述べながらも、手早く纏めた作戦計画をデータファイルの形で各機へと送信する。
こうしておけば阻止線突破の際に部隊が散り散りになってしまったとしても、各機の判断によって作戦の継続が可能となる筈であった。
「よって、攻撃目標の優先順位を定めた後、我々は全力を以って第六計画の阻止線を強行突破し用い得る全ての戦力を投入し最大限の戦果を求める。
現在、我が国派遣部隊総司令部は第六計画派遣部隊と協力関係を結んでいるが遠慮は無用だ、全力で叩き潰し阻止線を喰い破って目標に到達せよ。
我が隊はBETA大戦後の対人類戦闘を睨み、戦闘技術の研鑽に努めて来た。
今日こそ、その成果を十全に発揮して貰いたい。以上だ―――」
『マーベリックス』は米国陸軍戦闘技術研究部隊に於いて、『BETA大戦後に到来する兵器体系の転換期』に備え、再びBETA大戦前の様に航空機が戦場の主力となる迄の過渡期的戦力と目される戦術機の、対人類戦闘に於ける位置付けと効果的な戦術の研究に努めて来た。
航空機の復権が成された暁には戦術機の存在理由は消滅するとの意見が主流ではあったが、『マーベリックス』所属衛士等はそれとは異なる見解を有している。
確かにミサイルキャリアーとして比較した場合、戦術機は航空機には遠く及ばない。
そして同じ陸戦兵器である装甲戦闘車両と比較した場合、装甲、投影面積、活動時間、整備性、生産性に於いて大きく劣り、生産コストと運用コストの両面に於いて高価な兵器となっている。
しかし、多様な兵器を運用できる汎用性とその高い機動力による全天候全環境展開制圧能力に於いては、装甲戦闘車両に対して圧倒的に優越している点に彼等は着目した。
その長所を活かせば、機動防御、緊急展開からの速やかな戦線構築、拠点の強襲・制圧・占拠等、活躍の場は幾らでもあると彼等は考えた。
唯一不安があるとするならば、歩兵による肉薄攻撃や設置型トラップなどに対する脆弱性だが、これはセンサーの精度と解析能力の向上や、機械化歩兵であれば戦術機の高速機動に追従可能な随伴歩兵となり得る事などから、将来的に解消もしくは軽減する事が可能である。
それ故に『マーベリックス』の現時点での見解としては、航空機が主力に返り咲いた後も戦術機には有用な陸戦兵器としての存在価値が十二分に存在するという結論が導き出されていた。
(それに……空軍の奴らには気の毒だが、航空機の復権は叶わないかもしれんな。)
『マーベリックス』指揮官は、データリンクからダウンロードしたばかりの戦況速報を反芻しながらそう心中で呟く。
これまで、BETA大戦が終わりさえすれば、航空機は戦前の様に大空を我が物顔で行き交う事が叶うと皆が信じ切っていた。
しかし、つい先ほどオルタネイティヴ6が高出力レーザー照射によって巡航ミサイル群を迎撃した事で、その盤石とさえ思われた予測は一気に覆される可能性が生じてしまったのだ。
もし、人類がBETAレーザー属種と同等の高出力レーザー兵器を保有し運用する時代がBETA大戦の終了と前後して実現した場合、兵器としての航空機は再びその兵器としての有用性に疑問符を突き付けられてしまうに違いない。
そうなれば、直進性が高いが故にレーザー兵器の照準を回避する事が困難であり、尚且つ搭載量の低下に直結する対レーザー装甲の装備も難しい航空機は、再び戦場の主役の座から押し退けられてしまうであろう。
しかも、オルタネイティヴ6はレーザーを高空からの撃ち下ろしという形で照射して見せた。
これは即ち、対空のみならず対地攻撃能力を有しているという証しでもある。
人類が高出力レーザー兵器を運用する様になった暁には、鈍重な装甲戦闘車両も航空機同様有用性を大きく損ねる可能性が高い。
無論、装甲戦闘車両の大型化や重装甲化、航空機の革新的な機動性能の向上、今までに無い新兵器の出現など、起こり得る可能性は無数にある。
しかしそれでも、『BETA大戦後には戦術機の存在理由が失われる』という可能性は著しく低下する筈だ。
何しろ、戦術機はレーザー照射の脅威に長らく正面から抗い続けて来た兵器なのだから。
内心で戦術機の評価が見直される可能性に快哉を上げた後、『マーベリックス』指揮官は現在自身が率いる部隊に課せられた難題へと立ち帰った。
来るべき将来の兵器体系に於ける戦術機の扱いがどうなるとしても、差し当たって『マーベリックス』は、最先端どころか時代を超越しているとさえ思える兵器を保有し運用しているオルタネイティヴ6を出し抜いて、米国の威信をかけて何らかの成果を達成せねばならないのだ。
しかも彼の指揮下に在る兵力は戦術機甲1個中隊12名の衛士と、米国の誇る第3世代機の傑作機とはいえ『ラプター』24機でしかない。
今回の派兵に当たり、『マーベリックス』は各小隊の編制をF-22A『ラプター』2機とその派生型指揮管制戦術機である複座型戦術機FC-22『ダンシング・ラプター』1機、そして試験的に改修された遠隔陽動支援機仕様のF-22A『ラプター』5機で構成している。
遠隔陽動支援機仕様のF-22A『ラプター』は、米国陸軍戦闘技術研究部隊に於いてその有用性について評価研究を行うと共に、遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊を相手取った戦技研究を行う為に配備されたものである。
遠隔陽動支援機という兵器を生み出したオルタネイティヴ4とその後継であるオルタネイティヴ6は、表向き対人類戦闘を前提とした自律装備群の運用戦術を公開していない。
それ故に、独自に研究し構築した遠隔陽動支援機運用戦術を今回の実戦に於いて試験運用する事もまた、『マーベリックス』の任務の内であった。
しかし現状は、12機の旧式戦術機と旧態依然とした兵器しか保有しないと想定されるクーデター部隊ではなく、恐らくは遠隔陽動支援戦術機を含む多彩な自律装備群を相当数保有し、高い練度で運用するオルタネイティヴ6を相手にする事となってしまっている。
どう見ても、質量共に優位にあるのは相手の側である以上、『マーベリックス』としては腹を括って捨て身でかかるしかない状況であった。
「―――こちらマーベリック3。小型の航空機らしき反応2。
その進路と大きさ、そして盛んに発しているレーダー波等から、こちらを捜索している自律索敵機である可能性が高いと思われます。」
突如として発せられた部下の報告であったが、想定済みのケースに合致した為『マーベリックス』指揮官は慌てる事無く即座に指令を下した。
「マーベリック・リーダー了解。直ちにシャドウ6並びにシャドウ11を迎撃に向かわせろ。
迎撃した後は、2機には韜晦行動を取らせて自律戦闘を実施させるんだ。
2機を囮にして時間を稼ぎ、我々は更に進出するぞ!」
『『『 ―――了解。 』』』
シャドウ6とシャドウ11―――2機の遠隔陽動支援機仕様の『ラプター』は、本隊から離脱して十分な距離を取った後、背部に装備したステルス仕様の自律誘導弾コンテナより誘導弾を自律索敵機と思しき存在へと放つ。
全長・全幅共に1mをやや越える程度のティルトローター機の形状を持つその航空機は、『マーベリックス』の予想通りA-01が放った自律索敵機であった。
ステルス機と思しき正体不明の反応を索敵情報統合処理システムによって割り出し、より詳細な情報を得る為にウォーケンが投入した機体群の一部である。
2機の自律索敵機は、『マーベリックス』を補足する前に誘導弾によって呆気無く撃墜されてしまったが、撃墜された事自体が敵性戦力の存在を裏付ける結果となり、撃墜された地点を中心として重点的な索敵が実施される事となった。
シャドウ6とシャドウ11は、本隊とは異なる進路を取って欺瞞を試みつつも、まさに『先に見付け(ファーストルック)、先に撃ち(ファーストショット)、先に墜す(ファーストキル)』の標語通りに一方的に発見した自律索敵機を次々に撃ち落としていく。
しかしそれらの攻撃によって、その存在位置を徐々に絞り込まれた2機の『ラプター』の前に、遂に戦術機が姿を現しその行く手を妨げる。
その戦術機は国連塗装(UNブルー)のなされた、F-22A『ラプター』であった。
敵性機体に捕捉されたと自律思考で判断したシャドウ6とシャドウ11は、無線封鎖を破って戦況をリアルタイムで米軍広域データリンクの秘匿エリアへとアップロードしながら、国連塗装の『ラプター』に対して中距離砲戦を挑む。
敵手たる国連塗装の『ラプター』もまた高度なステルス性能を保持していた為、その存在を察知した時には既に距離を詰められてしまっていた為であった。
「なに?!F-22A(ラプター)だと?―――そうか、第六計画に派遣された米国陸軍衛士達が持ち込んだ分か……
くそっ、同じF-22A(ラプター)―――しかも遠隔陽動支援機仕様ならあっちの方が本家本元、しかもあの動きからして向こうは衛士が遠隔操縦しているな?」
データリンクからシャドウ6とシャドウ11の戦況情報をダウンロードし、ほぼリアルタイムで戦況を確認しながら『マーベリックス』指揮官は呻き声を上げた。
第三国への輸出を行っていない『ラプター』ではあったが、唯一国連軍への派遣に関しては例外的に極小規模ではあるが派遣が行われている。
オルタネイティヴ6への派遣は、その中でも特異な例であった。
戦術機OSに革新をもたらしたXM3と遠隔陽動支援機を開発した、オルタネイティヴ4の後継であるオルタネイティヴ6。
そこへ米国衛士を派遣するに際して米国陸海軍と海兵隊は衛士と共に最新鋭機を派遣し、しかもそれらの機体の改修を含めた運用に関する自由裁量(フリーハンド)を認め、損傷や経年劣化が生じた場合には派遣機体の補填まで行うという方針を採用した。
これは米国製戦術機の優秀さをオルタネイティヴ6と国連軍にアピールする狙いの他にも、オルタネイティヴ6に自由に運用させる事で自国とは異なる軍事ドクトリンの下、自国戦術機の新たなる可能性が見出される事を望んだ為であった。
米国に限らず各国からオルタネイティヴ6に派遣された衛士は、オルタネイティヴ6の機密に触れない範囲で各々の母国へとレポートを提出している。
派遣各国はそれらのレポートを元に、オルタネイティヴ6での自国戦術機の運用例と国内での運用例を比較研究し、日々戦術機運用の研鑽を欠かさなかった。
『マーベリックス』が試験運用する遠隔陽動支援機仕様の『ラプター』もまた、それらのレポートを元に米国独自の改修が成された機体である。
そして今、米国製遠隔陽動支援機仕様『ラプター』が、その源流とも言えるオルタネイティヴ6のF-22A『ラプター』改修型遠隔陽動支援機との実戦を繰り広げていた。
自律戦闘を行う2機の『ラプター』に対して、国連塗装の『ラプター』は反撃を行わずに回避行動を取りながら距離を縮めていく。
その戦闘機動は躍動的且つ臨機応変であり、米国製自律制御と熟練衛士による遠隔操縦との差が明確に表れており、2対1の数的優位を以ってして尚劣勢を強いられずにはいられなかった。
そして、十分に距離を詰めた国連塗装の『ラプター』は、外部スピーカーからの音声出力により自律制御の『ラプター』2機を通して『マーベリックス』へと勧告を行う。
「―――こちらは米国陸軍第66戦術機甲大隊より第六計画に派遣されているアルフレッド・ウォーケン中佐だ。
現在国連総会の決議に基づきチリで発生したクーデター鎮圧を目的として、首都サンティアゴ・デ・チレ周辺地域では第六計画直属部隊が展開し作戦行動を遂行中である。
また、米軍派遣部隊総司令部も第六計画直属部隊に協力し、在留米人救出を目的として相互に連携して活動している。
不要な混乱と戦闘を避ける為、貴隊の所属及び行動目的、部隊編制を知らされたし。
尚、誠に不本意ではあるが、この勧告に従っていただけない場合我が隊は実力を以って貴隊の行動を抑止する覚悟と手段を保有している。
これより60秒を猶予として応答されたし。」
ウォーケンの行った勧告と戦況は、データリンクを通じてA-01の他の指揮官たちの許にも届いていた。
現時点では、現地工作員や協力者との情報交換や調整等を時折行うだけで比較的手透きとなっている美琴が、その勧告に対する所感をオープン回線で口に上せる。
「さすがウォーケン中佐! 押し出しが効いてるよね。タケルもそう思わない?」
A-01派遣部隊の作戦総指揮を執りつつ、『凄乃皇』3機と『天磐船』3隻の制御を一手に引き受けている武であったが、美琴の軽口に対し即座に応じた。
「そうだな、オレじゃあそこまでの貫録は出せないとは思うよ。
まあ、それはさておきどうせあの部隊はこっちの勧告には従わないだろうから、迎え撃つ用意を始めておくか。」
そしてその発言に続けて、武は次の局面を予測した上でそれに備えた対応を支持していく。
「スレイプニル0(武)よりスヴァーヴァ1(壬姫)に告ぐ。
一時的に指揮下の狙撃担当者と共にスカジ・リーダー(ウォーケン)の指揮下に入り、東方より進攻中のF-22『ラプター』24機に対する狙撃を実施せよ。
手早く上手い事やってくれ、頼んだぞ。」
「スヴァーヴァ1(壬姫)、了解。狙撃班はスカジ・リーダー(ウォーケン)の指揮下に入り、F-22『ラプター』を狙撃し無力化します。」
狙撃班を率いて市街地に展開していたクーデター勢力に対する狙撃任務を完遂した後、軍事施設に立て籠る部隊の動きに対応する為に狙撃ポイントを確保した上で待機していた壬姫は、直ちに復唱してウォーケン指揮下の部隊内データリンクに接続して協議を開始した。
それを確認した武は、今まで壬姫を初めとする狙撃班と協力態勢にあった美冴に対して、念を押す様に指示を下す。
「続けてスレイプニル0(武)よりフルンド1(美冴)に告ぐ。
軍事施設に立て籠っている、クーデター部隊に対する投降の呼びかけは継続。
但し、スヴァーヴァ1(壬姫)以下狙撃班は、現時点よりそちらの支援任務から外れる。
くれぐれもクーデター部隊を自暴自棄に追いやらないよう慎重に事を進めてくれ。」
「フルンド1(美冴)、了解。慎重を期す。」
簡潔に応じた美冴だったが、常に無く感情を抑え込んだその様子は、クーデター部隊への投降勧告が思う様に進んでいない事を窺わせた。
その事をしっかりと見て取った武だったが、この時点では特に何事も付け加える事はせず美冴の指揮に事態を委ねるのであった。
一方、ウォーケンの勧告を受けた『マーベリックス』はと言うと、勧告を受け入れる筈もなく逆に積極的な作戦行動を開始していた。
残る13機の遠隔陽動支援機仕様『ラプター』の内、各小隊のFC-22『ダンシング・ラプター』と二機連携(エレメント)を組む3機を除く10機全てを、2機単位で散開させた上で先行させ自律制御による索敵と掃討を行わせたのだ。
そして有人機9機と無人機3機、合わせて12機の『ラプター』を密集させてA-01の阻止線突破を試みた。
幸いと言うべきか、国連塗装の『ラプター』が新たに出現するという事も無く、60秒の猶予期間が過ぎた途端に見事な腕前でシャドウ6とシャドウ11を下した国連塗装の『ラプター』とも、既に相応の距離を稼ぐ事が出来ている。
勧告を受けた後、『マーベリックス』は既に10機以上の自律索敵機らしき目標を撃破し、更には『不知火』改修型遠隔陽動支援機『太刀風』と思われる戦術機10機を遠隔陽動支援機仕様『ラプター』に誘引する事に成功していた。
そうして抉じ開けた突破口へと『マーベリックス』本隊である12機は、この機を逃してなるものかと編隊を組んで滑り込んでいく。
―――が、その直後。
「なにぃっ!?」「ふ、噴射跳躍ユニットがッ!!」「レ、レーザーだとぉ?!」「ぅわぁあ、こ、高度が―――ぐぁっ!!」
光芒が幾条も闇を切り裂いたかと思うと、編隊の後方に位置していた4機の『ラプター』が、搭乗衛士の驚愕の叫びと共に高度を落とし脱落していく。
『マーベリックス』各機の管制ユニットでは、鳴り響くレーザー照射警報と共に自動的に割り出された照射地点にマーカーが表示された。
即座に36mm弾が雨霰と放たれたものの、砲撃がなされた時にはレーザー照射を行ったものは既に退避した後であった。
あっと言う間に3分の2にまで戦力を削られた『マーベリックス』は即座に二機連携(エレメント)単位で散開し、排熱の抑制などかなぐり捨てた最大加速を以ってして突破を図る。
しかし、更に放たれた眩い光芒が闇夜を切り裂き、無慈悲にそれらの『ラプター』へと襲いかかった。
そして程無くして、最初に脱落した4機を含めて『マーベリックス』本隊を構成していた12機の『ラプター』は、何れも噴射跳躍ユニットを撃ち抜かれてその機動力を著しく削がれ、オルタネイティヴ6の阻止線突破を断念し投降勧告に応じる事となったのである。
彼等は最後の最後まで、彼等の進路上の地上にばら撒かれ光学通信網によって索敵情報を送信し続けていた、小型受動観測機(パッシブセンサー)の群に気付く事ができなかった。
この局面で『ラプター』12機を続け様に狙撃し機動力を喪失させたのは、壬姫率いる狙撃班によって運用された試製05式高出力レーザー砲であった。
試製05式高出力レーザー砲は、月や火星の奪還作戦に於いては地球での戦闘とは桁違いに増大する兵站への負担を軽減する為にも、質量兵器からの脱却を目指して開発された戦術機用光学兵装であった。
全長約11mとやや長大ではあるが、試製99式電磁投射砲などよりは余程取り回しのし易いサイズに収められている。
光線級BETAの生体レーザー発振機を元にしており、低出力照射による照準は行わず当初より最高出力での照射を行う。
連続照射時間は最大2秒と短いが、その分照射インターバルも3秒にまで短縮されていた。
戦術機に採用されている、レーザー蒸散膜をコーティングした対レーザー装甲を貫通するには威力が不足しているものの、戦術機が主腕で運用する事から目標の回避機動に追従して照射点を固定する事は困難と判断された為、連続照射時間を短縮化する代わりにインターバルをも短縮化して射撃機会を増やす事とされた。
その上で対レーザー装甲に対しては、複数回の射撃を浴びせる事で対レーザー装甲を劣化させていき、最終的に装甲を無効化させる事を企図している。
また、レーザーは光速で直進し射撃とほぼ同時に射撃目標に到達する為、移動目標の未来位置を予測する必要も殆どなく精密狙撃に高い適性を有している事から、目標の装甲の薄い部分等の脆弱な個所を狙い撃つ事で威力の不足を十分に補えるとの判断もあった。
今回の『マーベリックス』に対する狙撃に於いても、事実上装甲の存在しない噴射跳躍ユニットを狙う事で、戦術機の機動力を失わせると共に管制ユニットの損傷を避け衛士が死傷する危険性を極力低減させている。
そしてその思惑は効を奏し、『マーベリックス』の衛士達に戦死者を出さずに済んだ。
もし、突撃砲や誘導弾、電磁投射砲などによる攻撃を行っていた場合、高い確率で戦死者が発生していたであろう。
武は壬姫を初めとする狙撃班の部下達を労うと共に、米軍衛士に戦死者を出さずに済んだ事に心中で安堵の溜息を洩らしていた。
● ● ● ○ ○ ○
日本時間16時42分(大西洋標準時:05時42分)、国連軍横浜基地のブリーフィングルームに冥夜と純夏、そして霞の姿があった。
「冥夜、どんな状況か解かった?
タケルちゃんやみんなは無事なんだよね?」
そう問いかける純夏の眼前では冥夜が机に置かれた情報端末を操作しており、その操作に同期してブリーフィングルーム正面のスクリーンに映し出された内容も目まぐるしく変化していた。
オルタネイティヴ6の広域データリンクに刻々とアップロードされている、A-01チリ派遣部隊の戦況情報の閲覧を霞を通して夕呼にねだった純夏は、首尾良く許しを得ると横浜基地に残留し待機中であった冥夜を引き摺り出して、戦況情報の解説を頼み込んでいた。
実を言えば霞が居れば戦況情報の解説程度は十分可能なのだが、純夏は武の安否情報を霞と自分の2人だけではなく武に想いを寄せる『白銀武研究同好会』の仲間達と分かち合おうとしたのである。
とは言え、美琴、壬姫、晴子の3人はチリ派遣部隊に加わっており、千鶴、彩峰、智恵、月恵の4人もユーラシア大陸の対BETA防衛線に派遣されていた為、この場に集まったのは自分達と冥夜の3人だけであった。
そして、端末を操作して戦況情報を閲覧していた冥夜が、純夏の問い掛けに応えを返す。
「うむ。作戦は至極順調に進行しているようだ。」
そう言いながらも冥夜が閲覧の手を休める事は無く、視線を逸らしもせずに更なる詳細な情報を呼び出しては閲覧していく。
そして、その閲覧している情報自体が刻一刻と変化していく様子が、作戦が今も尚遂行中である事を窺わせていた。
冥夜が更に言葉を加え事細かに説明してくれるものと期待していた純夏は、そのまま黙って待っていたのだが一向に冥夜が口を開く素振りも見せない為、とうとう痺れを切らして言葉を発する。
「冥夜~、順調って……それだけ言われたって解かんないよ~。
タケルちゃんやみんなは無事なの? 怪我とかしてない?」
とは言うものの、猛スピードで端末を操作する冥夜相手では揺する事すらはばかられ、純夏は両肩と頭をがっくりと落として情けない声で冥夜に訴えかけるのが精々であった。
その声にようやく視線を上げた冥夜は、一瞬キョトンとした表情を浮かべたものの直ぐに不敵な笑みを浮かべると、純夏へと力強い言葉を返す。
「無論だ純夏。皆傷一つ負ってはいない。
そもそも今回の戦いでは有人機は殆ど矢面に立っておらぬしな。
タケルの乗る『凄乃皇・四型』のみが唯一敵前に姿を晒してはいるが、対空射撃すら殆ど行われていない状況だ。
『凄乃皇』は対空砲火如きでは傷も付かぬだろうが……武の事だ、流れ弾で民間人に被害が出るのを嫌ったのであろう。
射撃態勢を取った対空火器等は、全て先手を打って無効化しているようだな。」
「そっか~。みんな無事なんだ、よかったぁあ~~~。」
ようやく安心し出来たのか、安堵の溜息をこれでもかとばかりに盛大に吐き出した純夏は、気が抜けてしまったのかそのまま椅子へとへたり込むように腰を下ろしてしまう。
そして、気だるげな視線をスクリーンへと向ける純夏の様子を、傍らに立つ霞がじっと見つめていた。
そんな純夏を一瞥した冥夜は、端末の操作を再開しながら世間話程度のつもりで言葉を紡ぐ。
「まあ、それでも幾らかは砲火も交わされ、各種装備には損害も生じてはいるのだがな。
そもそも軍事行動である以上、安全よりも効率が重視される。
例え砲火を交えておらずとも、何かしらの損害は生じるものだ。
A-01の場合は、殊、有人機に限っては過剰な程に整備と検査が徹底されている故、整備不良による事故というものは殆どおきぬが、米国派遣部隊の艦隊などでは作戦開始前の航海中ですら事故が幾つか生じている程だ。
まあ、事故以外にも兵士らの間でのトラブル等も起こるしな。」
「え?―――それって、怪我人とか出てるって事?」
冥夜の言葉に、不安げな表情で視線を向ける純夏。
そんな純夏を案じたのか、霞がその繊手を椅子に腰かけている純夏の右手にそっと添えた。
一方、冥夜はと言えば純夏の言葉にやや首を傾げたものの、事もなげに言葉を続ける。
「ふむ……さすがに米軍の綱紀は然程緩んではおらぬ故、余程の事故でもなければ重傷者は出まい。
だが、チリのクーデター部隊やそれに同調した者等、その統制下にあった住民達は些か危ういな。
既に鎧衣の手の者から、治療を要する者達の報告が幾つも上がって来ているようだ。」
「―――そっかぁ……タケルちゃん、気に病んでるんだろうなあ。」
眉を寄せて武の心情を慮ってそう呟いた純夏に同意の頷きを返す冥夜だったが、その言葉は何ら揺らぐ所の無い確固たるものであった。
それは自身の持つ戦士(もののふ)としての心構えと、そして何よりも武への深い信頼が成さしめた事であろう。
「……そうであろうな、あの者はそれが敵であっても傷付けたり死なせる事を可能な限り避けようと努める男だ。
されど、タケルとて一廉の武人(ひとかどのもののふ)だ。
傷付く覚悟も傷付ける気概も十分に備えておろう。
何より、現状は事前に想定されたものの中でもかなり良い状況なのだ。」
「でもね、冥夜……だからって、タケルちゃんが苦しまないって事にはなんないよね……
タケルちゃん……大丈夫かなあ…………」
しかし、そんな冥夜の言葉にも、純夏の不安を減じる効果は然程ありはしなかった。
その事に気付いた冥夜は、密かに眉を寄せる。
戦場ではどれほど順調に物事が推移していようとも、一瞬後には何が起こるか解からない所がある。
それ故に、気付いた所で何が出来る訳でもない自身の状況にもかかわらず、冥夜は今尚戦況をより詳細に把握しようと端末を操作し続けている。
だがそれは、不測の事態に備える為に染み付いた習慣の如きものであって、先程から純夏が抱えている不安や心配といった心情とはまた異なるもののように冥夜には感じられた。
冥夜にとっては、データから読み取れる戦況であるならば、不安を感じる必要など欠片も存在しないとしか思えない。
これ程順調に推移している状況でストレスなど感じているようでは、到底戦場で役になど立つ筈もないから当然ではある。
しかも、純夏の様子を窺う限りでは、理屈抜きというよりは心配する理由を探し出してはそれを種に心配しているようにさえ冥夜には感じられた。
一度はそう考えた冥夜だったが、純夏の武や皆を心底案じているらしい表情を一瞥するなり、微かに頭を振って考えを改めた。
これが、銃後の者達が抱える心情というものなのであろう、と。
そして、既に何年も前の事になるが、京塚のおばちゃんから聞いた言葉を冥夜は脳裏に蘇らせるのであった。
『―――別に純夏ちゃんを贔屓しようってんじゃないんだよ?
けどねぇ、あんた達はタケルと一緒に戦場に行って、その背中を守ってやれるだろ?
だけど純夏ちゃんは、ここでタケルが無事に帰って来るのを待つ事しかできないんだ。
だから、少しくらいハンデがあったっていいと思うんだよ。
何しろ帰りを待つだけってのも……結構辛いもんだからねぇ……』
その言葉は確か、食料班である純夏が、毎朝毎朝多忙な筈の朝食の時間帯に仕事を休んで武と朝食を共にしている事に、千鶴が難色を示した折だっただろうか。
偶々それを耳にした、京塚のおばちゃんが発した言葉であった。
相手が京塚のおばちゃんでなく、そしてその言葉に深い感慨が滲み出ていなかったならば、当時の千鶴であれば反発していたに違いない言葉であった。
しかし、その言葉を耳にした冥夜にとっては、その言葉は戦場に赴く者の無事を只管信じて待つ事しかできない者の存在を、強く印象付けるものだったのである。
自分達が戦場で戦い抜く事で、力無き者の盾となりその身を守る事は叶おうとも、生きて帰るその時までは戦場に赴いた者の身を案ずる銃後の者達の心を安らげる術は持ち得ぬのだと、冥夜はその言葉を聞いて悟った。
冥夜自身は幼い頃より、戦場に赴く者の武運を祈ろうともその身を心底より案じて不安に思う事など殆ど無かった。
それは武家に生まれ育った者ならではの、死生観によるものだったかもしれない。
だが、自身の武への想いを自覚して幾許かの年月が過ぎた今では、純夏の心情にも相応に共感できる部分を冥夜は自身の心の中に見出す事が出来た。
それ故に、冥夜は自身が戦場に赴いている時には出来ない事、不安に怯える銃後の者―――純夏を宥め、少しでも気持ちを安らげるという行為を、今は武に代わって精一杯成し遂げようと決意した。
―――それは、チリの戦場で戦況が急転するほんの僅か前の出来事であった。
● ● ● ○ ○ ○
大西洋標準時:06時11分、数か所の軍事施設に立て籠ったクーデター部隊を除き、A-01は民間人への被害を殆ど生じる事無く残る全てのクーデター勢力を鎮圧していた。
各軍事施設は相応の防御設備と潤沢な武装を有している為、交戦状態ともなれば相応に手間取り流れ弾等で民間人への被害が生じる可能性が高い。
それ故に、武は周辺住民の避難を進めると共に、クーデター部隊に対する投降を根気良く呼びかけ続けていた。
しかしクーデター部隊からの応答は一向に無く、事態は膠着状態へと陥っていたのである。
―――が、そんな膠着状態は唐突な敵の行動によって破られる事となる。
「ッ!! 敵戦術機が1機出現しました!
え?! ス、スレイプニル0(武)、至急発砲許可を! 敵は誘導弾の発射態勢を取って―――」
チリ陸軍基地の格納庫から突如として飛び出してきたMiG-23『チボラシュカ』は、着地と同時に自律誘導弾システムのコンテナを展開し発射態勢に入る。
その姿を、狙撃態勢を取らせた『太刀風』を通して確認した壬姫が、半ば叫ぶように発砲許可を求めようとした瞬間、その視界を眩い光芒が埋め尽くしその言葉を失わせた。
そして、自動的に働いた光度調節機能が解除された時に壬姫の視界へと飛び込んで来たのは、爆弾の直撃でも受けたかのように大きな穴の開いた陸軍基地の敷地であり、そこには戦術機の存在を匂わすような残骸の一欠片すら見出す事は出来なかった。
「たけ―――いえ、スレイプニル0(武)へ、出現した戦術機の沈黙を確認しました。
今の所、後続の敵兵力は確認できません。…………以上、です……」
壮絶な光景に息を飲み動揺して武の名を呼び掛けた壬姫であったが、すんでの所で落ち着きを取り戻すと状況を報告した。
その報告を受けた武は、感情の一切を排除した常になく冷徹な声色で簡潔な言葉を返す。
「スレイプニル0(武)了解。
スレイプニル0(武)よりフルンド1(美冴)。プランCを即時実施せよ。
相手に立ち直る隙を与えるな。以上。」
「フルンド1(美冴)了解、突入を開始します。」
そして美冴は即座に『足軽』を主力とした突入部隊を投入し、陸軍基地に立て籠ったクーデター部隊の制圧を開始する。
反撃を開始しようとしたその端緒を、苛烈極まりない高出力レーザーの多重照射でへし折られ、意気阻喪していたクーデター部隊は抵抗らしい抵抗も出来ないままに制圧された。
A-01が制圧に当たって使用した兵装の殆どは非殺傷兵器である。
しかし、制圧された陸軍基地内には、クーデター部隊将兵の亡骸が多数の存在していた。
それらの亡骸は、クーデター部隊の強硬派の粛清によって殺害され打ち捨てられたものだったのである。
武は少なからぬ自省の念に駆られながらも、作戦の推移を冷静に見守っていた。
誘導弾の発射態勢を取った戦術機に対して、跡形もなく消し飛ぶほどのレーザー多重照射を行った理由は幾つかある。
1つには、リーディングにより搭乗衛士が市街地に向けて無照準で誘導弾を乱射し、少しでも状況を混迷させてそれを機に反攻に出ようとしていた事から、その意図を挫く為。
そして、周辺住民の退避が進んでいたとは言え、民間人への被害を抑止する観点からも誘導弾の発射を未然に防ぐ必要があったからだ。
しかし、何よりも武を苛烈な攻撃へと駆り立てたのは、戦術機の出現に先立つ数分前に基地内で行われた投降を望んだと思われるクーデター部隊将兵に対して行われた粛清であった。
武は高度8,000mに浮かべた『凄乃皇・四型』に搭乗していたが、そこからであっても陸軍基地に立て籠るクーデター部隊将兵達1人1人の思考波を察知する事が出来ていた。
それぞれの感情の色が辛うじて識別できる程度でしか判別してはいなかったが、基地に存在するそれらの反応の半数近くが1カ所に集まった後、強い感情の爆発と共に急激に数を減じていった事から武は粛清が行われた事を察した。
仲間の命を奪うという行為を為した者達の思考を即座に読み取った武は、彼等が市街地への突撃を敢行し可能な限り市街に被害を及ぼそうとしている事を知った。
既に情勢は決しており、クーデターが鎮圧されるのも時間の問題である事はクーデター部隊にとっても明白であった。
しかし、このまま戦闘らしき戦闘も発生しないままに鎮圧されてしまえば、鎮圧後にA-01や米国派遣部隊の武力行使を非難する事すら儘ならなくなってしまう。
それでは、クーデター部隊を裏で支援しているソ連とキューバにとっては、今回のクーデターから得られるものが皆無となってしまう為、非常に都合が悪かったのである。
クーデター部隊に同行していたKGB(ソ連の諜報機関であるソ連国家保安委員会)のエージェントは、それのような事態を避ける為にクーデター部隊強硬派に対して粛清と反攻を指嗾したのであった。
粛清を察知した後、その犯行計画のあらましまでも読み取った武は、その戦意を挫く為にも圧倒的なまでに無慈悲な攻撃を行う事でクーデター部隊の戦意を挫き、これ以上犠牲者が出ないようにしようと即決した。
何故ならば、クーデター部隊がA-01をある意味で侮っている事もまた、リーディングによって判明した為である。
オルタネイティヴ6が結成され2004年に対テロ作戦を公に任務の一環として認められて以来、A-01は一貫して対人類戦では可能な限り相手を殺傷せずに制圧する事を方針として活動して来ている。
これは反政府武装組織等に対し、必要以上の遺恨を抱かせずに非武装闘争への方針転換を推奨する為には必要な方針でもあった。
しかしそれ故に、例え最後まで抵抗し続けようともそうそう殺されはしないだろうという、そんな甘い考えをクーデター部隊将兵等に持たれてしまっていたのである。
その為武は、人類を滅亡の縁まで追いやったレーザーの光芒によって、クーデター部隊の戦意を最後の一欠片までもを焼き尽くそうと決意したのである。
今回苛烈な意志と行動を見せておく事で、A-01を―――延いてはオルタネイティヴ6を侮る者達への警告と成す。
そう決意したが故に武は、クーデター部隊反攻の先陣となった戦術機を、自らの手で衛士諸共完膚なきまでにレーザーの光芒で焼き尽くしたのであった。
そして武の意図した通り、この一撃を知って戦意を完全に挫かれた他の拠点のクーデター部隊もまた、程無くその全員が投降勧告を受け入れた。
これにより、チリのクーデターは鎮圧され、在留米人の保護という米国派遣部隊の表向きの目標も達成される事となったのである。
● ● ● ○ ○ ○
アメリカ東部標準時:10時08分(大西洋標準時:11時08分)、ホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で大統領と主席補佐官が言葉を交わしていた。
「では、チリで発生したクーデターは第六計画直属部隊によって鎮圧され、我が国派遣部隊は第六計画に協力しつつ在留米人の安全を守りぬいた―――と、公式発表はそんな所でどうかね?」
大統領は思案気な表情ではあるものの、穏やかな口調で腹心である首席補佐官へと問いかけた。
チリで発生していたクーデターが鎮圧されてから4時間以上が過ぎ、米国のニュースでは速報や特集番組が繰り返し放送されている。
ホワイトハウスの声明も第一報こそは既に発しているものの、午後にも記者会見を開き、5万人を超える将兵を派遣した今回の騒動の結末をある程度国民へと知らしめる事は、大統領に課せらた責務であった。
「うむ。まあ、そんなところだろう。
後は陸軍の戦術機甲部隊が第六計画と交戦した件だが―――
無線封鎖中だったが故に生じた誤認に端を発する事故であり、誠に遺憾であった。
互いに戦死者が生じる様な悲劇にならなかった事を神に感謝している、とでも言っておくんだな、ロン。」
「その件は、第六計画側も事を荒立てたりしないと言っているからそれで済むだろう。
F-22A(ラプター)に被害が出たと言っても、完全に撃破されたという訳ではないしな。
陸軍にもその辺で納得してもらうとしよう。」
上っ面だけを見るならば、今回の米国派遣部隊は然したる損害も被らず、オルタネイティヴ6と協力して迅速にクーデターを鎮圧し在留米人の安全を確保したと強弁する事も出来た。
作戦当初に発生したオルタネイティヴ6による巡航ミサイル迎撃や、米国陸軍戦術機甲中隊『マーベリックス』がA-01と交戦した上で事実上敗北した事など、オルタネイティヴ6との共同作戦と言うには頭の痛い問題もある。
しかしそれでも、チリの民間人に対する誤射等と言うありきたりではあるものの、世論を大きく揺り動かす様な事態よりはましとも言えた。
「納得するも何も、陸軍は今回得られた実戦データの解析に夢中だろうさ。
なにしろ、戦技研で対人類戦を研究していたエリート部隊が第六計画の掌で踊らされたんだからな。
いや、陸軍だけの問題では済まんか。
XG-70だけでなくレーザー兵器まで持ちだされたんでは、空海軍に軍需企業も大慌てだろう。」
「ああ、そっちの件も実を言うと頭が痛い。
何しろ、開発研究は元より中長期の装備調達計画も、全面的に見直される可能性がある。
だが、それは今ここで何を言っても始まらんだろう。
それよりも、チリ軍事政権首脳陣から亡命を希望する者が出ているそうだな?」
米国の威信をかけて派遣した部隊が、然したる戦果も上げられなかったという結果は芳しからぬものではあったが、オルタネイティヴ6が保有する高出力レーザー兵器の実戦データをこの時点で得られた事は、米国の戦略見直しを思えばそう悪い結果では無かったとも言える。
今回の一件がなければ、米国は空軍偏重のBETA大戦以前の形態へと突き進み、巨額の予算を無為に費やす事になっていたかも知れなかったからだ。
米国の陸海空軍と海兵隊、そして軍需産業の企業各社は、今や長期計画の見直しで騒然たる有様を呈していた。
しかし、大統領はこの重要案件をあっさりと後回しにしてしまい、チリ軍事政権首脳陣の話へと話題を切り替えてしまう。
クーデター部隊の蜂起に先立って、チリ全軍に市街戦を極力回避せよとの命令を最後に消息を絶っていたチリ軍事政権首脳陣であったが、実を言えばこれにはオルタネイティヴ6諜報部の工作員が関与していた。
クーデターの情報を直前になって伝えた上で、先の命令を発する事と引き換えに、チリ軍事政権首脳陣全員をクーデター部隊の手が及ばない安全な場所まで送り届けるとの取引を持ちかけていたのである。
そしてクーデター部隊の機先を制して首都サンティアゴ・デ・チレの郊外へと一旦身を隠した後、A-01の部隊が投入されるのを待って再突入型強襲揚陸艦『天磐船』へと収容し、事もあろうかクーデター鎮圧後2時間が経過した時点でチリ西方沖を遊弋していた米国海軍の戦術機母艦へと引き渡してしまった。
そして、鎮圧後の安全確認と称してチリ軍事政権首脳陣の身柄を解放せずに稼いだ2時間の間に、事実上オルタネイティヴ6の制圧下となった首都に於いて最後の転機となる事態が生じていた。
「ああ、昨年創設されたばかりの国連人権理事会が、ここぞとばかりに精力的に動いたからね。
あの組織の創設自体、第六計画の息がかかっている。
ドクター香月が水面下で各国に働き掛けていたからね。
それを思えば、今回の様な連携を行う事こそが国連人権理事会創設の狙いだったのだろう。」
A-01の軌道降下に同行し、クーデター鎮圧の前後から精力的に活動を開始していた国連人権理事会現地調査官達が、チリ軍事政権首脳陣達が行った人権侵害の証拠物件を次々に摘発したのである。
「人権理事会の現地調査官達は軍人上がりの猛者揃いだという話だし、その多くがソ連や中華人民共和国の前線で過酷な軍務を強いられていた被差別民族の出身者だというからな。
人権侵害摘発に対する意欲は一方ならぬものがあるのだろう。
いずれにしても、第六計画が描いたシナリオ通りに事態は展開したという所か。」
また、これに乗じる形でチリ在住の報道陣や反政府組織が官邸を初めとする政府系施設に押し入り、贈収賄や利権絡みの書類等を家探しして多数発見してしまうという騒ぎまで発生した。
人権侵害の証拠物件摘発や贈収賄などの発覚が明らかになった時点で、武は『天磐船』へと収容していたチリ軍事政権首脳陣にこれらの状況を説明し、人権侵害に関与した首脳陣をこれ以上保護し続ける事は出来ないと通達した上で、米国派遣部隊へとその身柄を引き渡してしまったのである。
オルタネイティヴ6としては、これでクーデター部隊の手が及ばない安全な場所へと送り届けるという約束を果たした事になり、同時に米国との親密な関係を長年続けて来たチリ軍事政権首脳陣にとっても、米国派遣部隊への引き渡しはこの状況下では願ってもない事であったのだろう。
そして、事態を察知したチリの空海軍とカラビネーロス(警察軍)などが激しく首脳陣への批判を展開したのを受けて、国民感情悪化と軍政を構成していた陸軍以外の三軍が離反した状況では復権は困難と考えた大統領以下首脳陣の大半が米国への亡命を希望するに至ったのであった。
「まあ、あれほどの騒ぎとなってしまった以上、戻った所で彼等に碌な未来等ないだろうさ。
亡命を希望された以上一旦は受け入れざるを得ないだろうが、米国も彼等にとって居心地の良い逃避先とはならんだろうね。」
フンと鼻を鳴らして首席補佐官は一言の下に切って捨てた。
チリ軍事政権の醜聞は、今日の内にもアメリカ中に知れ渡る事だろう。
そうなれば、派遣部隊と共にアメリカへとやってくる亡命者達を暖かく出迎える者など皆無に等しい。
彼等と癒着し利権を貪っていた米国企業や官僚等は、その頃には自身に降りかかる火の粉を払うのに忙しい筈であるし、米国の世論も反軍事政権への批判とチリの民政移管を歓迎する風潮に染まっている筈だからだ。
そう、クーデター鎮圧後の軍事政権解体と民政移管の方針は、実を言えば大統領にとって既定路線だったのである。
「これで中南米の親米軍事政権の甘い蜜に集っていた、財界の圧力団体も大人しくなるな。
党としては彼等のロビー活動に対しては屈せざるを得なかったが、今後は軍事政権を支持する様な声は早々揚げられなくなるだろう。
なにしろ今後しばらくは、我が米国世論は軍事政権打倒と言う正義に夢中になってしまうだろうからな。」
「うむ。そして、中南米諸国での民政移管を支援する事で親米軍事政権と言う負の遺産を清算し新たなる友好関係を構築せねばな。
BETA大戦も終息へと向かっている以上、今までの様な無茶は通用すまい。
暫くは苦しい舵取りが続くかも知れんが、世相は快方へと向かう筈だ。
世論の動向にさえ気をつけておれば、支持率はそれほど落ち込むまい。」
地上に於けるBETA大戦が終わろうとしている今、戦後の国際社会における米国の在り方を見直さねばならないと、大統領と首席補佐官はそう考えていた。
これまでであれば、米国は後方最大の支援国家としてBETA大戦を支える立場であったが故に、多少の事であれば無理を通す事も容易かった。
しかし、そんな時代は終わろうとしており、新たなる局面が構築されようとしていると、彼等はそう感じていたのである。
そして、その流れを誘導している者こそが―――
「そうだな。第六計画の世論誘導もあるだろうしな。」
―――香月夕呼率いるオルタネイティヴ6であると、彼等はそう確信していた。
「確かにその通りではあるが、些か第六計画の欲しいままに振舞わせ過ぎなのではないか?
只でさえBETA由来技術を初めとする最先端―――いや、あれほどまでの物ともなれば数世代先行しているとさえ言える装備群を保有し、しかも優秀な将兵と諜報員を有している組織だ。
これ以上好きに振舞わせては、増長して手に負えなくなるのではないかね?」
「その点は心配なかろう。
第六計画は終始一貫して、BETAとの戦いを完遂する為の環境作りを目的として策動している。
その視野には既に太陽系内のBETA殲滅が含まれており、それを実現する為に人類同士の争いによって人的物的資源(リソース)が浪費されたくないだけなのだ。」
今回のチリクーデター鎮圧に際して、大統領はクーデターが発生する以前に夕呼から秘密裏に交渉を持ちかけられていた。
夕呼はチリでのクーデター発生の可能性とその裏で画策するソ連とキューバの企みを暴いた上に、軍事政権と癒着して利権を貪る米国産業界から派兵要求が成されるであろう事まで予見して見せた。
その上で、BETA大戦が終息していく以上、これまででさえ問題視される事が少なくなかった親米軍事政権による人権問題が、米国の国際的な立場を悪化させかねないと警告してきたのである。
大統領も軍事政権に関してはほぼ同じ見解を有していた為、その後の話はトントン拍子に進む事となった。
夕呼は大統領が産業界からの要求を飲まざるを得なくなる事を予見した上で、米国を進発した派遣部隊が海路でチリに到達するまでの時間を用いた工作を提案してきた。
国連安保理ではソ連の拒否権によって否決されるのも見こした上で、国連総会でチリクーデター鎮圧を目的としたオルタネイティヴ6派兵承認決議を成立させるなり軌道降下で戦力を即時投入し、米軍派遣部隊の機先を制する形で米国による軍事政権延命を阻止するというのだ。
クーデター勃発に先んじた軍事政権首脳陣の身柄の確保から鎮圧後の人権理事会現地調査官の派遣と摘発、更には現地報道機関や反政府組織を指嗾してスキャンダルを暴露する事まで、それらはその時点で既に夕呼の計画には組み込まれていた。
大統領は夕呼の提案を受け入れ、米軍を派遣する際に自身が不本意である事をアピールしておく事で、派遣部隊が成果を上げられずとも自身の支持率が低下しないように努めた。
それと共に大統領は、派遣部隊に米国陸軍戦闘技術研究部隊に所属する対人類戦闘のエキスパートである戦術機甲中隊『マーベリックス』を組みこませ、この機会にオルタネイティヴ6の対人類戦能力を少しでも把握出来る様に手配してもいる。
結果として全ては予定通りに進行し、米国の内政問題も幾らか片付いた上、オルタネイティヴ6の手札を何枚か吐き出させることにも成功した。
大統領としてはまず満足できる展開であったが、オルタネイティヴ6の方とてほぼ予測の範囲内であっただろうと大統領は考えている。
「ドクター香月と白銀大佐は尋常一様な人間ではないからな、確かに警戒したくなるのも解かる。
何しろ、あの夢物語としか思えなかった第四計画を曲がりなりにも完遂し、しかもそればかりか装備にしろ戦術にしろ画期的な改革を成し遂げているのだからな。
だが、あの2人からは政治的野心だの功名心だのといったものが感じられない。
ただ只管にBETA殲滅という目標を求めて、邁進しているだけに過ぎんよ。」
「ふむ。ならば敵に回さない限り問題は無いいうことか。
実際、今回は我々に利益を齎してくれたしな。
お互いが利益を得られる様に協調路線を見出していった方が得策か……」
大統領の寸評に納得する所があったのか、首席補佐官もオルタネイティヴ6を過度に警戒するよりは利用すべきとの方針へと舵を切った。
そして相手を利用するのであれば、相手が望んでいる事柄を正しく予見しておくことが重要となる。
「そうなると、今回の件を最大限に活かすのであれば、我が米軍相手に証明された抑止力と情報操作で煽った国際世論の高揚を背景にした、国連改革が第六計画の狙いか。
今回の件ではソ連が拒否権を発動しているから、安保理改革の契機とするには十分だろう。
常任理事国入りして以来20年の長きに亘って凍結されていた、日本とオーストラリアの拒否権が今年解除される事も拒否権条項廃止論の後押しをするだろうな。
恐らく、オーストラリアはともかく日本には既に協力を要請してあるのだろう。」
「私は、オーストラリアからも既に協力を取り付けていると思うがね。
それ以外にも、国連人権理事会の権限を拡大した上で最終的な実力行使を第六計画が担保する事で、人権侵害を抑制するつもりなのだろうな。
元々、非武装闘争であれば反政府活動も容認するのが第六計画の方針だ。
政府による弾圧を抑止できるのであれば、非武装闘争が主流になる日も遠くはあるまい。」
大統領と首席補佐官の言葉は正鵠を得ている。
諜報活動によって事前にチリでのクーデターが企まれていた事を察知した武であったが、それによって発生しうる被害とチリ軍事政権によって今まで成され今後も続くであろう人権侵害による被害を比較して、思い悩まずにはいられなかった。
そこで武は更に、クーデターを阻止した場合とオルタネイティヴ6が関与した上で発生させた場合の双方のケースで、その影響によってオルタネイティヴ6が得られる利点を検証したのであった。
チリの親米軍事政権と深い関係を構築している米国の内情等も勘案した結果、米国を巻き込んだ上でクーデターを発生させ鎮圧する事で、国連改革を含めて幾つもの懸案事項を解決する契機とし得ると武は判断したのだ。
殊に拒否権条項の廃止に関しては、米国の協力を得られるかどうかで大きく事情が異なって来る。
国際世論を無視し切れない米国にとって、拒否権はなかなか使いどころの難しい手札であった。
それでも国連における影響力を行使する上では、捨て難い手札でもある。
武としては今回の機会を逃さず米国―――正確には大統領に恩を売って、是非とも協力を得たい所であったのだ。
その辺りの事情を薄々察していながらも、首席補佐官が問題視したのはそれとはまた異なった部分であった。
「しかし、その様な事になれば国家の分裂が進み兼ねんぞ。
ソ連等が崩壊する分には万々歳だが、民族問題を内包している国々は少なくない。
しかも、BETA大戦によって多くの国土が失われた事からも、全人類的に国家や民族への帰属意識が高まっておる。
BETAが地上から一掃され脅威が遠のけば、それらの民族運動が一気に隆盛しかねん。」
国家を―――殊に大国をまとめておくには時に強権の発動も必要であると、首席補佐官は常々そう考えている。
だからこそ、オルタネイティヴ6の抑止力によって弾圧と言う手段を封じられた場合、多くの国家が幾つもの勢力に分裂していく可能性を案じたのである。
しかし、大統領はそんな首席補佐官の懸念を至極あっさりと容認して見せた。
「第六計画にとっては、恐らくその方が都合が良いのだろう。
幾つかの大国の綱引きによって方針が左右される国際社会よりも、多数の中小国家の合議によって方針が定められる方が、な。」
「なるほど。そして例え小国故に十分な武力を保持できなくとも、第六計画を初めとする国連軍が安全保障を請け負うという訳か。
そうなれば、国連の庇護を受ける為にも加盟各国は胡乱な事は出来なくなる訳だな。
確かにそこまでやれば、国家規模の内紛は相当抑止されるだろう。
しかし、国際社会での主導権を掌握したい我が国としては些か不都合なのではないかね?」
そして首席補佐官もまた、オルタネイティヴ6が目指す国際社会の在り様に思い至った上で、更に問題提起を行った。
だが、その言葉を受けて尚、大統領は動じる素振りも見せない。
「なに。そうなったらなったで、国連内部での主導権を押さえるだけの事だよ。
幸いにして、我が国は自由と民主主義を謳っているからな。
元から大っぴらに思想弾圧など出来ないし、そもそも多様な価値観を容認している。
最早、覇権主義の通用する時代ではないが、合衆国として全てを内包した上で、大国として覇を唱え続ける事は可能だろう。」
「これまでとは相当ルールが変わりはするが、我が国の在り様は従来通りで構わないという事か。
しかしまあ、随分とまた壮大な仕掛けだな。
人類の命運を背負ってBETA大戦を主導する計画には、相応しいと言えば言えるが……」
そしてそんな大統領の言葉を追認した首席補佐官は、肩を竦めるといっそ呆れたとでもいった風に言葉を洩らした。
それに続けて苦笑を浮かべた大統領が、片目を瞑り小話でもするかの如き軽妙な語り口で言葉を紡ぐ。
「実は先代大統領から引き継ぎを受けた折には、屈辱だの脅威だのと第六計画を悪魔の手先の如くに罵っていてね。
どうやら、在任中には大分煮え湯を飲まされたらしい。
余程扱いにくい相手なのかと思っていたのだが、何、話してみたら然程の事は無かった。
要は敵に回さなければいいという、それだけの事だった訳だ。」
「なるほどな、それではBETAを相手取った人類の命運をかけた戦いは彼等に委ねて、我々はその邪魔をしない程度に地上の覇権を争っていればいいという事だな。」
そんな大統領の言葉を受けて、首席補佐官も笑みを浮かべるとおどけた様な言葉で応じる。
大統領も満面の笑みを浮かべると、大きく手を広げて言い放つ。
「そうさ。敵しか居ない宇宙等、何の魅力もありはしない。
宇宙における覇権等、第六計画によってBETAが排除されてからゆっくりと取り掛かればいいのだよ。」
―――それは、大国アメリカ合衆国の大統領ならではの、鷹揚極まりない発言であったかもしれない。
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参考資料:今回初めて名前が登場したスピンオフ作品のキャラクター一覧(同一作品内は本文登場順)
今回、3人だけですが前例に倣って記載しておきますので、興味のある方は参考までにご覧ください。
・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 01 THE DAY AFTER』
ウィルバート・D・コリンズ
ダリル・A・マクマナス
リリア・シェルベリ
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