国連軍塗装に彩られた撃震の肩部装甲に、空間を割るような勢いで不知火の突撃砲の砲身が叩き込まれた。
雷鳴にも似た響きとともに、衝撃を引き受けた装甲が紙のようにへしゃげる。突撃砲の側もまた、限界を超えた激突に耐久力の限界を迎えて砕け散った。
耳障りな音を立てながら、装甲板が大地に転がって土煙を上げる。
お互いの戦術機本体も無事では済むまい。
特に、ブレイザー少佐の撃震は――
俺が投げた模擬戦用長刀は、露軍迷彩不知火の腰部にあたり、空しく地面に落ちただけだった。
F-15Eのフレームが歪み、思い通りに投げつけることが出来なかった、当然の結果。
少佐がやられた。その認識が俺の真っ白になった脳裏をぐるぐると駆け回る。
俺は、自分がやった喧嘩じみた模擬戦が原因で、こんな事になった現実の重みに、数秒、呼吸を忘れた。
と、富士の大尉の不知火が、突撃砲を振りぬいた姿勢を崩し、二三歩後ずさりした。
今更、しでかした行為に慄いているのか?
後先考えず、大尉の不知火に殴りかかりたい衝動に襲われた俺だが、再び息を詰めた。
「……やれやれ。困ったものだ」
通信回線から、ブレイザー少佐の、苦痛の類を一切感じさせない声が流れたのだ。
「!?」
慌てて目を凝らす俺の視線の先――露軍迷彩不知火が退いた分、見えた場所に撃震が立っていた。
撃震の装甲は、確かに叩き潰されたはずだ。なのに……。
俺と同じように、撃震を凝視していたらしい富士の中尉の呟きが聞こえてきた。
「肩部装甲を、直前で強制排除して身代わりにした……?」
その言葉に、俺は何が起きたかを理解した。
少佐の撃震は、持っている武器は追加装甲含めて訓練用だが、機体に取り付けられた装甲は実戦時と同仕様だ。
が、それでも不知火のパワーを注ぎ込まれて鈍器と化した突撃砲の直撃を受ければ、ただではすまない。
だが、戦術機には装甲を任意に排除する機能がある。
これは本来、敵の攻撃を受け、外装の防御機能が劣化しただの重石となった場合に、機体を軽くするための手段だ。
(光線属種のレーザーの場合、対レーザー蒸散塗幕の効果が切れた後、再度の照射を受けた部分は、致命的なプラズマ爆発を起こしてしまう恐れがある)
……実の所、俺は(オリジナル武の因果情報経由を含めて)この装甲排除を使用した例を知らない。
理由のひとつは、実戦の最中にいちいち装甲を外す操作をする暇がないこと。
もうひとつは、重い装甲を外すとOS等での補正が追いつかないほど機体バランスが崩れてしまい、操縦感覚に誤差が生じるのを多くの衛士が嫌うためだ。
少佐は、ぶん殴られる直前で肩部装甲(右側だ)を不知火の前に放るように排除して、それだけを攻撃させたのだ。
タイミングをちょっとでも間違えれば、装甲を外し無防備になった部分に打撃を受けるか、あるいは外れた装甲ごと叩かれるか……。
急速回避機動などと違い、戦傷兵である少佐の体にも負担はかからないだろうが……不知火の鋭い動きを完璧に見切っていなければ、まず出来ない芸当だ。
「あ……しょ、少佐……こ、これは、その……」
富士の大尉の狼狽しきった声が、オープン回線を通じて響いてくる。
頭に上った血が収まれば、言い訳しようもない失態だと気づくのは当然だ。訓練でした、と流せるものではなかった。
「――まったく最近の若造どもは……傾注!」
いきなりトーンが跳ね上がった少佐の声に、俺は思わず管制ユニット内で背筋を伸ばした。
「実戦の場において、敵は自分より戦力が上! こちらの武器は全て役立たず! ベイルアウトしての逃走もまず不可能! このような場合、どうする?
目をつぶり、都合よく援軍がやってくるのを待つか? 否! 諦めて天国へ行けるよう神に祈るか? 否!」
撃震が、左の肩……まだ外れていない分厚い装甲を、大尉の不知火に向けて身をかがめた。
まさか――
「戦術機には、機体が動く限り頼るべき武器がある。すなわち、機体自体の出力及び推力、重量、質量……。
これらを生かした戦い方。近接格闘戦よりさらに近い間合い――すなわち、文字通りの格闘戦だ!」
撃震のジャンプユニットが、腹の底に響く轟音を立てはじめる。ノズルから噴き出した炎の光が、殺気じみたオーラのように機体の縁を照らした。
「マニュピレーターは、繊細すぎる構造ゆえに敵を叩くのには向かない。よって、使うべきは追加装甲か、もっとも頑丈な肩部、もしくは着地時の対衝撃を考慮された脚部!
激突のダメージは、仕掛けた側にも及ぶため内部機器の保護機能確認を忘れるな!」
撃震のセンサーアイが、ぶんっと明滅して機体を駆け巡るパワーの高まりを伝える。
プレッシャーに晒されたのか、大尉の不知火は棒立ち状態。
……聞いたことはある。
BETA大戦において、戦術機の運用や性能が未熟で混戦を余儀なくされた初期の激戦では、しばしば追加装甲等を利用したど突き合いが行われた、と。
だが、昨今の高機動戦の発展により、盾自体持たなかったり、敵との物理的接触そのものを避ける戦法が広まったりして、廃れつつある戦術。
次の瞬間、全身を砲弾と化した撃震が不知火に体当たりをかける光景を、俺は脳裏にリアルに想像してしまう。
あの距離では、第一世代機と第三世代機の速度差は意味を持たない。必中だ。
撃震の重装甲と頑強さを打撃力に転化した突進の破壊力は、先ほどの不知火の突撃砲での殴りつけの比ではないだろう。
不知火はばらばらに砕け、中の大尉は管制ユニットや衛士強化装備の許容を超えた衝撃に晒され……。
ひっ、という悲鳴を上げたのは、俺か中尉か、それとも当の大尉か?
それを合図にしたように、撃震が動き――
こつん、という破壊音とは全く言えない、軽い音がやけに大きく響いた。
撃震のマニュピレーターに保持されたままの模擬戦用追加装甲が、軽く……本当に軽く不知火の胸部装甲に触れたのだ。
「……なんて、な。日本のエリート君、あまり年寄りをいじめんでくれ。ここまで歩いてくるだけで、昔の傷が悲鳴を上げているのだ」
撃震が攻撃姿勢を解き、ジャンプユニットも静まる。
大尉の不知火が、その場にへたり込むように膝をついた。
鋼のようにぎりぎりまで張り詰めていた一帯の空気が、一気に緩む。
俺は、肺が空になるほど大きな息を吐き出した。
……いや、殺そうと思えば富士の大尉を殺せただろ、あれ……。
知らず知らず頬に垂れた汗を拭う俺に、少佐が個別通信を入れてきた。その表情は――厳しい。
「さて、白銀少尉!」
「は、はい!」
「上位指揮官たる私の命令に従わず、さらに私闘に等しい行動を取った事は見過ごせん。異議はあるか?」
「ありません!」
改めて事態を確認し、俺は顔から血の気が引くのを自覚した。
やばいどころの騒ぎじゃねえ。実戦でやったら間違いなく重罰ものだ。いや、訓練でだって十分すぎるほどの……。
ちらっと視界の隅で戦域画面を確認すると、少佐の部下二人はしっかりと衛生科の兵員輸送車の守りを固めていた。本来の護衛任務を、遂行している。
――これまで俺は、オリジナル武からの『払い戻し』などもあって、いくら気分を引き締めても引き締めきれない甘えや、自分が特別だという意識があった。
しかし今回の事で、いかにそれが……。
と、俺の内省を中断するように、新たな露軍迷彩不知火が二機、匍匐飛行でやってきてすぐ傍に着地した。
「こ、これは……」
オープン回線から、どこか聞き覚えのある女性の声が漏れた。
――あ、まだ周囲には撃破判定喰らったままの不知火が無数にいたっけ。あと、破壊された装甲や突撃砲の残骸も。
機体からして、間違いなく富士の関係者だ。目を疑って当然だろう。
「富士教導団の、神宮司まりも大尉だ。状況の説明を求める。この場の、最上位者は誰か?」
少佐に負けず劣らずの、肌をひりつかせるような雰囲気をまとった声に、俺は思わず叫びを上げかけた。
網膜投影画面に、張り詰めた気配を持つ女性の顔がポップアップする。茶色の髪に、元々はやさしげだろうと思える面差し。
「まっ……」
まりもちゃん!? と口にしかけた言葉を止められたのは、奇跡に近い。
『俺自身』はともかく、オリジナル武にとっては絶対忘れられない相手。
やはり彼女は、この世界にも存在した――
――当然ながらオリジナル武経由の記憶にあるより、ずっと若かった……
……俺と、富士衛士とのトラブル。
話がここまで大きくなっては、いくら現場の衛士やオペレーターが談合しようが隠しきれるものではない。
国連軍の撃震の装甲や、富士教団不知火の突撃砲が、物理的に破損している。
富士の大尉が暴走する前後の、『派手すぎる訓練』レベルですら、出る所に出れば懲罰モノなのだ。
ほどなく駆けつけた国連軍と帝国軍の演習監督要員によって、俺達は機体から降ろされた。
特に、模擬戦にかこつけた喧嘩を行った俺と富士衛士8人は、それぞれが所属する軍のMP(憲兵)に拘束され、法務官の取調べを受ける事になる。
教導団をけしかけた横田基地の連中の思惑では、俺がこてんぱんにされるか、侘びをいれるか……。
せいぜい、模擬戦にもつれ込んでも多少善戦するか、ぐらいでの隠蔽できる決着を予想していたらしいが。
そんなものすっとばす騒ぎとなってしまい、彼らの中からも取調べを受ける者が無数に出ることになる。
一連の後始末で、俺と富士との模擬戦データも国連・米軍・帝国軍に調査のための参考として広く拡散することとなった。
拘禁所にぶちこまれ、ひたすら反省しきりの俺は、この事件がもたらす意外な結果に想像をめぐらす余裕など、全く無かった。
――帝国政府の首都・京都にある国防省の一角。
その食堂に、一服する軍人達が集っている。
予算獲得のため政府や議会などと折衝を行う、陸海軍のエリート達だった。
窓から差し込む晩秋の夕日の光が、彼らの顔を照らしている。
かつての帝国軍は、軍政機能は陸軍省・海軍省・城内省の三つに分割されていた。
『帝国の三軍互いに争い、その余力で外国と戦う』
と揶揄された非効率なシステムが、長らく続いてきた。
具体的には、同じ用途同じ能力を要求される装備の研究や調達さえ、三省はばらばらに行い、貴重な国費と時間を浪費した。
戦略の不一致、情報の共有のまずさ等、戦史書に記録されるデメリットは数知れない。
大東亜戦争敗戦後、帝国軍は内外の圧力を受けて様々な改革を行ったが、その目玉のひとつが陸軍省と海軍省を統一した国防省の設置だ。
武家という現代でも帝国に残存する封建的特権階級への配慮から、城内省の独立にはメスを入れられなかったが。
ナプキンで口元を拭きながら、あるテーブルを囲む陸軍の少佐が発言した。
「では、海軍さんは空母機動部隊の新設見送りを飲む、と?」
「はい。何しろ、先年ようやく紀伊級戦艦の近代化及び、対BETA戦向け改修が終了したところです。
次は、大和及び改大和級に同様の改修を施さねばなりません。戦時特別会計分を加味しても、とてもとても……」
帝国海軍は、1992年にインド方面戦線支援のため、予備艦扱いとなっていた戦艦群を現役復帰させて送り込んだ。
排水量と砲の巨大さにおいて世界最強の連合艦隊戦艦群復活は、当時の海軍にとっては慶事であり、意気揚々と南半球まで出て行ったのだが――
結果は、悲惨なものだった。
時代遅れの艦隊及び個艦統制システムしか持たない日本戦艦は、敵情が異常に掴みにくいBETA戦のテンポについていけず。
対レーザー装甲を持たない、装甲の厚みに頼った防御は、光線属種の攻撃に脆く。
戦艦が沈没に追い込まれなかったのが奇跡と思えるような、大苦戦を強いられた。
このことを重く見た海軍は、派遣前は時間を食いすぎる、として見送っていた大改修を決断し、割り当てられた資源と予算の多くを投入した。
多くの犠牲を払って得たネガティヴデータを最大活用した改修は、危惧されたとおり一年半もの時間を費やしたものの、それに見合った結果を残す。
再び大陸戦線支援に投入された紀伊級は、データリンクで戦況をリアルタイムで把握し、本来の大火力を生かした対地支援能力と、いざとなったら光線属種の群れと正面から殴りあえる耐久性を発揮。
これに気を良くした海軍は、保有する全ての戦艦を大規模改修する方針を固めて、その旨を関係各所に伝達していた。
「現在の帝国の戦略方針及び戦況から見ると、本格空母や海軍戦術機はコストの割りに使い道がありません。
……機動部隊それ自体を玩具のように欲しがる者はいますが、少数派ですよ」
戦術機全般の技術発展による軽量化とジャンプユニット出力向上は、特に海軍向けではない機体でも優れた短距離離着陸能力を持つに至っている。
甲板を強化した輸送船やタンカーを割り当てれば、簡易揚陸艦ないし母艦として運用できる事は、陸海軍合同の研究で立証されていた。
これが、空母不要論の後押しをしている事情もある。
白い軍服の海軍少佐の発言が終わると、同じテーブルを囲んでいた陸軍関係者からため息が漏れた。
「そうですか……では、F-14ないしF-18の試験導入も見送りですか……」
「ええ、申し訳ありませんが」
予算をいかに多く分捕るか、どう配分するかは軍にとって――それが国防の担い手たる重責に応えようとするものか、利益確保を至上とするお役所としての本能かはともかく――死活問題だ。
BETA大戦激化により、軍予算は大幅な増額が見られるとはいえ、全てを満たすのには程遠い。
まして昨今は、国連と日本帝国の急接近により、軍装備供与など間接的な形でカネが削られているのだ。
陸軍が、自分達の役割と予算を奪いかねない海軍戦術機部隊新設について、決して否定的ではないのには、微妙な諸条件の絡み合いが存在した。
旧式化した撃震、あるいは陳腐化が確実視されはじめた不知火の代替となる戦術機の試験準備ぐらいはしたいが、そのための予算名目が立たない。
不知火の問題が表面化すれば、関係する軍人や役人の首が、いくつとぶかわかったものではないからだ。
世界初の実戦第三世代機を目指す、という錦の御旗を掲げ、そのために無理を通し予算をかなり分捕った。
海外のデータを得るため、外務省や情報省に無理難題を押し付けた事も、一度や二度ではない。
それが、スペックについて欲張り過ぎた為に、先行き不透明になりました、などと……。
しかも、過大すぎるスペックを要求したのは、開発当初からだ。修正しようと思えばできる時間的余裕はあったのに、それを浪費した。
いくら軍に対して及び腰の政府といえど、これを聞けば激怒するだろう。国産機開発の支援をしてくれた国防族議員の面子も、丸つぶれだ。
明確になりつつある問題を無視しても、不知火増産しか陸軍に残された道はない。
困難を承知での不知火改修試験も、既にスタートしている。もう後には引けなかった。
抜け道として、海軍が新戦術機を導入するのならそのデータを貰おう、と目論んで根回ししていたのだ。
(代わりに、陸軍が蓄積した運用ノウハウを提供する腹積もりだった)
「仮に新設するにしても、F-14は難しいでしょうな。あれはアメリカでさえ高コストに音を上げた代物です。
まして国産機開発ができた今、外国産機をわざわざ買うといっても、納税者が納得しますまい」
海軍側の付け加えた言葉に、微妙な沈黙が下りた。
日本帝国が、F-15を獲得した際に、採用競争のライバル機と目されたのがF-14 トムキャット。
F-14は、高性能の専用ミサイル フェニックスを備えた海軍機だ。
一個中隊で、光属属種を含むBETA一個旅団に大打撃を与えることが可能な、戦術機としては破格の面制圧能力を持つ。
加えて、ただのミサイル発射専門機ではない。
可変翼を備えたジャンプユニットを持ち、その機動性や近接格闘戦能力は、より新しい『最強の第二世代機』F-15より勝る。
(米軍の模擬格闘戦では、F-14がF-15をたびたび圧倒していた。スペックはF-15が上のはずなのだが、可変翼によって任意に空力特性を切り替えできるなど、数字に出ない長所があった)
遠近双方を合算した対BETA戦総合戦闘力においては、第三世代機をもはるかに凌駕すると言えた。
だが、兵器の価値は単体の孤立した性能で決まるものではない。
『最強』という評価を得るのに影を落とすほど、製造費や維持費が高いのだ。
専用のミサイル、可変翼ジャンプユニット。これらにかかる費用は、高い性能や実績を持ってしてもアメリカが頭を抱えるレベルであり……。
結果、米政府はF-14を評価し信頼する現場の反対を押し切る形で、調達中止と順次退役を決定した。
コストパフォーマンスに優れ必要十分な性能を持つF-18や、どの機体でも運用できる汎用性を持ったレーダーとワンセットのミサイルコンテナシステム(帝国軍も、92式として採用)が出現したからだ。
帝国海軍の戦術機部隊創設を望む者達からは、この退役F-14の払い下げを受けられないか? という意見があった。
一方で帝国陸軍は、このF-14を近接戦能力の不足を理由に不採用にした。
大型の海軍機という面のデメリットばかりを見て、ミサイルや可変翼等の価値を理解しなかったから――ではない。
国産戦術機の叩き台(より露骨にいえば踏み台)として、基本設計からより新しく汎用的な技術を使ったF-15のほうが相応しい、という本音を隠すためだ。
そして日本はアメリカのG弾傾倒につけこむ形で、本来ブラックボックスである部分の解析についてさえ黙認を勝ち取り、まんまとF-15の技術を入手したのだが……。
まっとうな理由で落とされたのならともかく、本来は優れている要素を口実にされたF-14の製造元からは、かなり反発を買っていた。
『今後、保有戦術機のデータはコミュニスト(共産主義者)に流しても日本陸軍には流さない』
という不文律さえあちらでは生まれた、とかいう不穏な噂もある……。
BETAのために衰えたとはいえ帝国最大の仮想敵たるソ連に、F-14/F-18の技術が合法・非合法問わず入っている現状を見ると、中々冗談では済まされない。
(流されたデータを使い、ソ連はSu-27シリーズを開発、実戦投入していた。
特に、初期型でのトラブルを改修によって解決し「F-15に勝るとも劣らない」と評価されるSu-27SMの存在は不気味だった)
「……しかし、いま少し城内省にはオープンになっていただきたいものですな。
伝統とやらを盾に、あくまで戦術機独自調達にこだわるのは勝手ですが、予算審議に必要な情報さえ出し渋るのは……」
陸軍省の佐官が、煙草を吹かしながら露骨に話を変えた。
海軍側は苦笑したが、城内省への微妙な感情の共有があるため、相槌を打つ。
幕藩体制時代の、公的な税収が武士階級の私財に直結した時代の感覚を引きずり、コストや国民負担を考えない軍運用を行うきらいがある斯衛軍。
政威大将軍はじめとするかつての大名の威光は、現在でも健在であるため、議会でもよほど気骨ある議員しか『聖域』である城内省関連予算には厳しい目を向けない。
企業経由で漏れ出る情報によると、斯衛は次期戦術機に技師達が唖然とするような、時代錯誤な仕様を突きつけているとか……。
そのせいで、他軍の予算までが削られてはたまらない。
「お侍様の道楽も、配分予算内に収まるならあちらの専権です。国産技術向上に多大な功績のある82式(瑞鶴)の開発のように、瓢箪から駒となる可能性もありますからな。
『お上』の話ならばむしろ、陸軍内の元気過ぎる連中の声が大きいのが気になるのですが」
国防省に統一されたとはいえ、陸海軍の溝が完全に消えたわけではない。
比較的若い海軍士官が、冷たい光を目に宿す。
「――例の、将軍実権回復を訴える一派ですな? 大丈夫、海軍さんの危惧はわかっておりますよ」
「だといいのですが……」
陸軍側の軽い返答に、懐疑的な色をますます深める海軍士官。
第二次大戦敗戦後の民主化改革によって名誉職化した将軍権限の扱いは、軍部全体にとって微妙な問題だ。
陸軍の中には、国粋主義気風とあいまって実権回復を怒号する者達が多いが……。
海軍は、どちらかといえば懐疑的だった。
戦前、海軍は陸軍や政府に対する発言力を得るため、皇帝一族出身者を高位職につけた。
ところがこの『宮様』は、がちがちの対外強硬・軍拡派であり、意向に迎合しない人材はたとえ有能だろうと次々と軍から放逐し、あるいは閑職に左遷した。
また、日露戦争で大功績を挙げたある著名な提督を、海軍の『神様』として長年に渡り尊崇してきたが。
『神様』もまた、対外宥和論に否定的であり、これに反した軍要職者が実質的に罷免されるという事態が発生した。
この暴走が、あの無謀な大東亜戦争への突入と敗戦の一因となった、といわれている。
以上の自業自得といえる苦い経験から、
『余計な権威を背負った者に、実権や影響力を持たせてはいけない』
という考えが海軍の主流となる。
(最近は、海軍の中にも忠君愛国を自任する連中がいて、陸軍過激派の影響を受け始めているが)
これは、政治に対するスタンスにも影響を与えていた。
もし、将軍殿下に権限が戻った場合どうなるか?
大過なく済めばいいが、失政があった場合に素直に将軍を批判すれば、その者は事の理非によらず『不忠』の名を背負うリスクを犯す。
政策上などで将軍と対立するものは、悪者になる。たとえ客観的に将軍側に非があろうと、周りがそう仕立ててしまう。
まさに武家の諺にあるように、
『諌言は、一番槍より難しい』
のだ。
戦場の一番槍なら、失敗しようが名誉の討ち死に。しかし、殿様への意見によって手打ちにでもされたら、家門や名誉さえ地に落ちる。
それが、現代で再現される。
行き着くところは、現実と政府のアナウンスの乖離。
苦しむ国民を無視し、「殿下の御威光により世は泰平であります」という偽りが横行するようになる。
日本のみならず世界史でもこのような現象は、特に君主の権威権力が絶対化した政権の中でしばしば見られた。
歴史的経緯はいろいろだが、まともな政治(権力が監視され、その適正な行使が常にチェックされる)が行われている国々で君主が形式化したのは、伝統と現実をすり合わせようという知恵だ。
理念の話は別にしても、予算や兵器を獲得するために納得させねばならない相手が増えるのは、陸海軍共通の利益にそぐわない。
……ちなみに航空宇宙軍予算担当者は、宇宙ステーションを共有する他国や国連とのすり合せも重要なため、外務省に出ずっぱりだ。頭痛薬が手放せない事だろう。
「……確かに、我が陸軍は海軍さんや宇宙軍さんに比べて意識改革がやや遅れている面がありますからな。
ことに、外国不信は身内の事ながら困ったものです」
渋い顔をしたのは、大陸派遣軍向けの予算を預かる陸軍士官だった。
陸軍においては、かなりの人格者や知性ある人物と目される将校ですら、海外勢力――特に国連とアメリカに相当なレベルでの偏見と不信感を持っている。
協議を重ねるべき問題についてでさえ、どうせあいつらに話は通じないから、と強引な手段で独走解決しようと考えるのだ。
(彼らは知る由もないが、別の並行世界でこれが『光州事件』として最悪の形で露呈した)
日本が一方的に悪いわけではないが、ソ連とさえそれなりに上手く付き合っている海軍などと比べて、陸軍側の意思疎通努力が不足しているのは確かだった。
一国の軍人として、友好国であろうと油断しないのは当然――という常識を越えた風潮。
それによって蒙る損害を補填するのにも、カネが必要になる。
食堂のあちこちで、ため息やぼやきが漏れた。
予算担当者というのは、総じて現実主義者で悲観論者だ。
一旦与えられた金は、怒鳴ろうが喚こうが精神主義に走ろうが、増えはしない。
(戦前のように、軍が勝手に特務機関を通して習慣性薬物や物資を売りさばいて資金調達する方法は、当然現代では許されない)
出費は当初の取り決めよりかさむことはあっても、節減できた例はほとんどなかった。
それぞれの省の財布を握る立場は、官僚秩序からすればかなりの花形で軍最高幹部への近道。軍の本当のボスとさえいえるかもしれない。
だが、勤務実態は苦労と忍耐と妥協の連続だ。
身内を含めた関係者への愚痴も、自然と多くなる。
『中央エリートポストなんかいらん! 波をかぶる艦隊勤務に戻りたい! 汗と埃に塗れる野戦任務に帰りたい!』
という発言さえしばしば飛び出るのは、謙遜でも嫌味でもなんでもなく本音だ。
黄金と宝石でできた玉座は、傍目にはまぶしく憧れるかもしれないが。いざ座ってみると、冷たくて硬くて居心地が悪いものなのだ……。
その時、食堂の扉が荒々しく開き、血相を変えた陸軍士官が飛び込んできた。
不躾を咎める各軍の幹部クラスの視線がからみつくのを振り切り、その士官は陸軍のこの場の最上位者(少将)に駆け寄ると、慌しく耳打ちした。
「……何!? し、不知火二個小隊が……たった一機のF-15Eに叩きのめされた、だと!」
伝えられた情報に衝撃を受けた少将は、思わず秘密にしておくべき報告を口に出してしまう。
途端、全員の目が丸くなった。
――当時から最強の呼び声が高かったF-15C イーグルを、せいぜい準第二世代機にすぎない瑞鶴が模擬戦で破った事により、帝国の国産戦術機路線が加速した『瑞鶴ショック』。
これを遥かに上回る衝撃を関係者に与えることになる『(ストライク)イーグル・ショック』が広まるのに、さして時間はかからなかった。
厳密には撃破された不知火は二個小隊に一機満たない7機であり、また『瑞鶴ショック』時以上に、操縦する衛士の個人能力に依存する面が大きい結果だったのだが……。
結果があまりに強烈過ぎたため、仔細な事実よりも、印象が先行して話が急速に流布してしまう。
議会では、外国産機推進派、国産派だが第三世代機への一足飛びは無謀と反対していた者達が、一斉に騒ぎ出す。
F-15J 陽炎の調達数削減を決めたのは、不知火が開発される二年も前。つまり、見切り発車だった。
当時の軍は、未完成の国産機のほうがF-15より上だと大見得を切ったのに、その米軍機の改修版に不知火がのされたのだ。
問題視されないわけがなかった。
特別扱いの国連軍一少尉に対する、他愛ない嫉妬から出たトラブルが、このような波紋を広げる。当事者達にも、まったく予想できない事だった。