俺と米軍との模擬戦は、機体を演習場に出す直前になっていきなり条件が変更された。
突発事態への対処能力を養うために、良くある事だ。
国連軍と米軍の混成中隊同士による集団戦方式が、新たに示された条件。
相手方の戦力については、一切知らされていない。戦いの中で自分達で探らなければならないのだ。
夕刻に差し掛かり、落ち行く太陽が朱色に染まる時間。俺の網膜投影画面に映る演習場の光景も、影を長く伸ばしつつある。
不規則に配置された瓦礫や大岩は、戦術機に匹敵する高さであり、遮蔽物には事欠かないフィールド。
その中を、無数の巨人が行く。
俺を含む臨時編成のA中隊は、索敵移動を行っていた。
一個分隊ずつに分かれた二個小隊・八機のF-15Cが、横一列に広がって主脚走行で前進する。
分散しているのは、索敵範囲を広げるのと、待ち伏せされた場合に一挙に殲滅されるのを防ぐため。
俺が編入された残り一個小隊分・四機のF-15E(うち二機は、ミサイルコンテナを装備した制圧支援用装備)は、後衛として突発時に備える。
俺の役目は、中隊長機のエレメントだ。
今回、中隊長役を務めるアメリカ軍の大尉は、いたってオーソドックスな戦術を採用した。
データリンク機能は正常に働いている設定だから、味方間の距離がやや離れていても連携に不自由はない。
俺は、戦域画面に注意を向けながら、中隊全体に合わせて乗機を移動させる。
レーダー、赤外線センサー、震度探知装置を組み合わせた戦術機の索敵システムは、意外と探知範囲が狭いし死角も多い。
センサーの集中した頭部を動かすことで、あるいは僚機同士でカバーしあうことで、隙を小さくするのは基本的な行動だ。
近接格闘戦は、敵に差し込まれた場合の緊急避難。
情報を迅速かつ正確に集め、先手先手を打って叩くのが、戦闘の基本。
引き金を引いた時には、既に勝利を決しているのが理想――訓練兵時代、そう教え込まれた。
このほうが、衛士の疲労度も機体の消耗も小さい。
大事なのは索敵。
古来から、地味ながら戦場を……しばしば戦争そのものを左右してきたのは、『目』と『耳』の優劣だ。
しかし、もっとも広い索敵範囲を得られる飛行偵察は、BETA相手には機能しにくい。光線属種の存在があるからだ。
あらかじめ戦闘が予期される地域にセンサーをばら撒いておくなど、事前準備ができているのでも無い限り、どうしても遭遇戦や咄嗟戦闘が多くなる。
戦術機同士の戦闘でも、相手が何もできないうちに攻撃、というのは理想であるがゆえに難しい。
これは、戦術機の兵装が基本的に横並びで、長距離ミサイルでも装備していない限り、ある程度接近しなければ有効射程に入れないからだ。
突撃砲の120ミリ砲弾は、単に飛ばすだけなら3000メートル以上いくが、動体目標に当てようと思ったら、1000メートルを切るぐらいに近づかなければならない。
旧式戦術機だろうと、流石にそこまで寄ってきた相手を見落とすような質の悪いセンサーは装備していない。大抵、回避運動に入る。
自分が高速で動き、敵も動いている状況では、火器管制システムの補助を受けても命中弾を出すのは大変な作業だ。
いきおい、機体をぶつけ合うような距離での撃ち合いになってしまうケースが多い。
だが。
「……出てこないなぁ」
俺は、半ば無意識にそうつぶやいていた。
敵――B中隊が、中々こちらの警戒に引っかかってくれない。
待ち伏せ戦術を取っていたのだが、こちらの分散気味の隊形を見て手出しをしかねている、という事だろうか?
考えを巡らせようとした矢先、網膜投影画面中に警告マークが表示された。
レーダー照射警報! 俺のF-15Eではなく、前衛のF-15Cの機体が電波を浴びせられたのだ。
が、警告はすぐ消える。
これは……。
たちまち、中隊通信系は緊迫した。
「A6よりオールA。敵性と思われる電波を探知」
「AリーダーよりA6。逆探知はできるか?」
中隊長と、最前衛の衛士のやり取りを聞き取りながら、俺は機体に警戒態勢を取らせる。
「――駄目だ、照射間隔が短い」
通常、照射を受けた戦術機は、統合防御システムが自動的に立ち上がる。
BETAのレーザー照射を受けた場合は自律回避モードに入り、人工的な電波ならば妨害装置が働くのだ。
また、照射元を逆探知して、そのデータに基づき味方が援護を入れるのだが。
「……AESAレーダーか」
アクティブ電子走査アレイレーダーの略称を、誰かが口にした。
新時代のレーダーであるAESAには様々な利点があるが、今考慮しなければならないのは逆探知リスクの小ささ。
短い時間のレーダー照射でも、正確に探知対象の位置が掴める。
現時点で、実用レベルに達したAESAレーダーを装備している機種は、限られている。
新型機が相手かもしれない。俺は、唾を飲み込んで気を引き締める。
「っ……!? 敵機発見! 十二時の方角、距離約2800!」
A6のエレメントであるA5が、警告を発した。その音声が伝わるより早く、データリンクが情報を伝達してくる。
音より、光や電波のほうが早いからこうなるのだ。
それでもデータリンク故障や見落としを考えて、極力言葉でも連絡を取るように衛士は教育される。
十二時……中隊の正面、距離はまだ有効射程外。
レーダー上の敵影は、F-4タイプと思われるものが二、四、六……どんどん数を増やしてくる。
隠蔽をやめて、そこかしこの瓦礫から飛び出してきているのだ。
「痺れを切らしたか……中隊前進! 全兵器使用自由! エレメントを崩さず、集中攻撃で確実に落とせ!」
中隊長は、即断した。
F-15主体のこちらに対して、相手がF-4なら普通に戦っても圧倒的有利だ、という判断は俺にも妥当に思えた。
が、俺達が本格的に動き出すより早く、視界のあちこちに発砲炎が閃く。
敵のF-4が、砲撃を開始したのだ。
舐められている? まだ当たる距離じゃない。素人みたいに慌てて反応すれば、陣形が崩れてしまう。
俺はそう判断して、逆に動きを止めた。他の味方も同じ判断をしたらしく、急制動をかける。
だが、次の瞬間に俺は目を疑った。
敵に近い位置――と、いっても2000メートル以上の距離は保っていた――の味方前衛四機が、JIVESの作り出した至近弾の炎に包まれたのだ。
「何っ!?」
俺が漏らした驚きの声にかぶせるように、さらに遠間に瞬く閃光。
先程より激しい震動が、前衛のF-15を打ちのめすのが見えた。
「――A5、コクピットブロックに致命的損害。A9、動力系に致命的損害」
模擬戦を管理するオペレーターが、淡々と被害を告げる。
「この距離で……!?」
俺は、自分の顔が強張るのを感じた。
有効射程外から、これだけの命中弾を出すとは……狙撃特性が異常に高い衛士ばかりが敵役だったってことか!?
「全力回避だ、急げ!」
そう切羽詰った叫びを上げたのは、俺よりやや後方にいた制圧支援装備機の味方衛士だった。
その指示に従い、俺はフットペダルを蹴り飛ばして短距離跳躍。視界の端を、直撃しかけた砲弾の影が飛び去っていく。
有効射程まで詰められたかのような、精度の良い砲撃だと直感的に悟った。
「どうなっていやがるっ……!?」
追いすがる砲撃をかわしながら後退してきたF-15Cから、焦った通信が入ってくる。
F-15Cの生き残りの何機かが、お返しとばかりに反撃の砲火を開くが……こちらの砲撃は、相手機からかなり離れた土を空しく耕すのみだ。
反撃のために動きが鈍った機体に、敵の攻撃が殺到。やはり目を剥くような精度で、味方が落とされていった。
JIVESが作り出す仮想情報だとわかっていても、味方機のマニュピレーターが千切れ飛んでいく光景は、見ていて気分が悪くなる。
「全機、後退だ! 体勢を立て直す!」
中隊長がそう声を張り上げた時には、こちらは半数の六機まで撃ち減らされていた。
俺のF-15Eも、右肩に至近弾の破片を貰ってしまった。
ジャンプユニットを吹かし、乱数回避をまじえながら俺達は、はるか遠くの敵から逃げ惑う。
敵は……嵩にかかっての追撃はしてこない。比較的高所にある瓦礫を足場にして、射撃姿勢を取ったままだ。
物理的に砲撃が届かない距離をとり、さらに大きな岩の陰に集結した俺達の中隊は、青ざめた顔を通信越しに向け合う。
オリジナル武の記憶内にある、たま……珠瀬美姫並と思われる遠距離狙撃だった。
それを、最低でも二個小隊分に仕掛けられたのだ。
「……どうにもおかしい。あんな遠距離砲撃の名手が何人もいるなど、聞いた事が無いぞ。
機体もほとんどがF-4だった。レーダーも火器管制システムも、こっちより劣るはずだ」
米軍衛士の一人が、額に浮かぶ汗を拭いながら言った。
完全にアウトレンジされている。
俺は、F-4とは明らかに違う、見慣れないシルエットの奴を敵の中に見た気がしたが、逃げ回りながらだったので確証は持てなかった。
「このままでは、やられるのを待つだけだ。幸い、制圧支援は二機とも生き残っている」
やや青ざめた顔で、中隊長が語気を強める。
俺とは初顔合わせで、臨時に指揮下に入った際は例の『イーグル・ショック』にまつわる噂のせいで嫌な顔をされたのだが……。
今は、そんな余裕もなさそうだ。
「ミサイルを全弾発射、それを援護にして突撃する。あれだけの狙撃が出来る衛士達だ、近接戦闘でもかなりやるだろうが……このまま七面鳥撃ちになるよりはマシだ」
中隊長の指示に、俺を含む全員がうなずいた。
衛士は自分の得意分野だけを訓練しているわけではないから、一芸に秀でた人物は、他の戦法もそこそこ習熟しているものだ。
とにかく、こっちが確実に弾を的に叩き込める距離まで詰めないと、土俵にも上がれず蹴落とされ続けることになる。
俺個人としても、インファイトで引っかき回して死中に活を求めるやり方が、性に合っていた。
混戦になれば、異常な狙撃能力も発揮しづらいはずだ。
模擬戦における久々の苦戦であり、しかもはじめて味わうアウトレンジの脅威。
俺は、汗ばむ手を包んだグローブで操縦レバーを握り直しながら、突撃の合図を待ち呼吸を整えた。
荒れに荒れた帝国議会の、1997年度軍事関連予算審議。
質疑応答を交わす声は熱気を帯び、軍部を庇う側と糾弾する側は、真っ向から対立。
『イーグル・ショック』をきっかけとした軍需産業へのメスで、不透明な国防装備品の価格設定が判明したりと、問題はどんどん大きくなっていく。
それでも、予算成立と執行が遅れれば、国家全体を危険に晒すということは議員や関係者も承知していた。
結果、2月下旬には妥協案が成立した。
まず、高等練習機・吹雪は本採用が確定。
第三世代機がどう転ぼうと、衛士の訓練を円滑に進めるこの種の機体は必要、と判断されたからだ。
不知火も、ひとまず生産と配備続行が決まる。
不知火に疑問を呈してきた勢力、また『イーグル・ショック』を重視する一派も、(政治的・外交的な要件を含めて)代替しうる機体を早急に用意できないといわれれば、納得するしかなかった。
ただし、調達数は削減され、浮いた予算は改修用技術研究費に回された。
また、対外的に面子が立つよう名目をつけながら、いくつかの外国産機を緊急戦力増強輸入の候補として試験する事も、申し合わせがされる。
不知火の問題を抜本解決すべく、次期主力国産戦術機開発を予定より前倒しで盛り込む案も、一時は取り沙汰されたのだが。
肝心の主力戦術機メーカーが、斯衛軍向け次期主力開発等の既存の仕事に追われその余力が無く、見送られた。
斯衛の次期主力開発を帝国軍のそれと一本化させようという案は、独自調達の伝統を主張する城内省によって拒否される。
元々、武家が未だに国富の何割かを当たり前の顔をしてもっていく状況を良く思っていなかった少数派の議員は、激しく追及する構えを見せたが、大きな声とはならなかった。
内閣や与党議員が、不可解なまでの必死さで城内省を庇ったからだ。
それでもこの事は、改めて二元化された軍備による国力浪費ぶりを、多くの者達に印象付けた……。
他の軍――海軍等への予算については、比較的波乱なく議会を通過。
激務の日々が続いた軍政畑の軍人や、官僚達はほっと一息をついた。
「……やはり、陽炎の再主力化案は却下された。分からず屋どもめ!」
だが、中には自分の意見が通らず、無念を噛み締める者達もいる。
予算案の可決があった昨日と比べれば、閑散としている国防省の食堂。
そこで腹ごしらえをしている陸軍大佐も、不満を滲ませる一人だった。
対面した位置に座り、同じように食事を取っていた同僚の士官が顔を上げた。
「仕方ないだろうな。今更、外国産の第二世代機を増産しても……という声は大きい」
なだめる同僚に、大佐は顔をしかめて見せる。
「それだ! その発想がまず良くない。戦術機のそんな視点での区分けに、どれほど意味がある?
大事なのは、将兵や国家の命運を託すに足るかどうか、だ」
「そんな事をいうから、親米派だのと言われるんだ。
気をつけろ、最近の若手将校や国粋主義者は、簡単に暴発するぞ……それに、陽炎は単価の問題がある」
「馬鹿言うな。それこそいいがかりだ。陽炎の開発元がソ連や中国であったとしても、俺は同じ事を主張したさ」
なだめ、あるいは忠告しようとする同僚の言葉は、逆効果になった。
大佐は、中年の容貌を真っ赤にする。
「航空機や戦車が陸軍の主力だった時代から、スペック上で『最強』の兵器と、戦場での『最良』の兵器は違うものだ。
今、帝国に必要なのは後者だ! 斯衛軍とも統一して調達すれば、量産効果でコストは下がる!」
大陸派遣軍から伝わってくる、対BETA戦の凄まじい消耗ぶりは、実戦部隊に近い位置にいる将校達にとっては精神的重圧であった。
二個大隊もの戦術機が、わずか数機を残して一日の戦いで地上から消え去る――そんな、目を疑うような戦いが、何度も発生しているのだ。
損害は、前線部隊だけに留まらない。
後方支援集団も、BETAの早い浸透や地中奇襲で大損害を受ける事は珍しくない。
十分な訓練を受けた、選抜された将兵達ですら苦戦に陥っているのだ。
空いた穴を埋めるのは、近年の軍拡でかき集めた資質・訓練水準の低下した兵達。彼らが、激闘に投げ込まれたらどうなるか……。
後が無い本土防衛戦を考えるなら、帝国は徹底して無駄を切り詰めた、効率的な国防体制を敷かなければならない。
いや、敷けたとしても勝算は甘く見て三分。
それが、大佐の常々公言していた予測だった。
「まあ……大きな声じゃ言えないが、斯衛軍は当てにできんしな。企業ルートからは、悲鳴ばかりが聞こえてくる」
同僚は、長く嘆息した。
斯衛軍は、次期主力機の開発において、ベースとして不知火(正確には、その原型となった技術実証機)を採用した。
これは、まったく一からの新造ではコストがいくらなんでもかかりすぎる、という意見を受けての方針だ。
斯衛軍を統括する城内省と微妙な関係にある国防省(正確には、その傘下の国産次世代機研究開発機構)が、そう提言したのだ。
あわせて、国産次世代機研究開発機構は不知火開発のために培った技術を全面開示する、という決断を下す。
潜在的な競合相手である城内省への、破格というべき国防省の歩み寄りには、両省の対立を危惧する者達による仲介があった、と推測される。
実戦部隊の斯衛軍と帝国軍は、お役所的対立に汲々としがちな上層部に比べればそれなりの柔軟性をもっており、互いの部隊を指揮下に入れたり、人材交流を図ったりという動きは見られた。
そこで問題になるのが、斯衛軍と帝国軍の行動基準や装備の不一致。
斯衛軍から帝国軍に移籍した衛士は、いちいち機種転換訓練に時間を割かねばならなかった。
瑞鶴と撃震なら、まだ基本特性は似通っていたが、陽炎あたりは文字通り世代が違うからだ。
また、急に斯衛の部隊を指揮に入れる事になった帝国軍士官は、普段の部下達と規範や装備が違う斯衛部隊を扱いかねる、という問題が平時の訓練レベルでさえ発生していた(逆もしかり)。
斯衛軍はその性質上、上級武家などの身分ある将兵を生かすことを第一とする。それこそ、他の兵士が全滅しても、だ。
これに対して帝国軍は、部隊全体としての戦闘効率を重視し、特定身分出身者の兵を特別扱いなどしない。
一秒を争う作戦行動中、これらの齟齬は致命傷になりかねなかった。
また、軍全体としての指揮系統を事前に一本化しておき、調整や話し合いにかける労力を少なくすることも、現場から要請されていた。
兵站のロスも、無視できない。
BETAの日本本土侵攻が現実味を帯びている時期だ。
『この非常時に、身内の間に壁を作る愚を犯すべきではない』
という声は、日増しに強くなっている。
国防省を動かした者達の思惑は、不知火との間で融通が利く(パーツのみならず運用上においても)機種を城内省に採用して欲しい、というものだったと思われる。
しかしながら、城内省が斯衛軍次期主力機に要求したスペックは、不知火をさらに上回るもの。
不知火の要求性能実現ですら、兵器として本来必要な発展性を切り詰めてようやく……というレベルだった帝国の技術者が、卒倒しかねない厳しさであった。
加えて、帝国軍機には不採用が不文律となっていた近接格闘戦装備の標準化を指示するなど、あくまでも独自色を出そうという姿勢を崩さなかった。
一応、城内省は他の要素……生産性や整備性、操縦性などはかなりの緩和を認めたが、これもまた技師達を喜ばせはしなかった。
本来なら技術者の良心として、いくら注文元が言った条件であっても、実用上の重要要素を最初から軽視した機体など出せない。
特に、整備性や操縦性への配慮の欠如は、軍事上の危険を孕んでいた。
斯衛軍は将兵の質の高さを自認しているが、本格的な戦闘というのは消耗戦であり、個人の力量に頼る少数精鋭の軍は、すぐに弱体化する。
一人の兵の行動不能によって受けるダメージが、並の部隊より大きく響くからだ。
生産性や整備性が低ければ、機材の補充が滞り、やはり波状攻撃によって潰される。
将来的な技術改良によって、こういった問題は順次解決できるかもしれないが……そのような時間や余裕を、BETAが与えてくれる可能性は恐ろしく低い。
技術者に頭を抱えさせるような態度だったが、政威大将軍の威光や、武家社会の伝統をバックにする城内省の注文を請負企業は蹴る事ができない。
権威による圧迫無しで自由な議論をさせれば文句・否定百出であろう仕様のまま、膨大な費用を投じて斯衛次期主力開発は進んでいたのだが……。
「お武家様方には、何を言っても無駄だろう。あいつらは所詮、贅沢こそ高貴な証と思い込んでいる連中だ。
浪費の方向性が暖衣飽食ではなく、武に向いているだけまだマシ、と思うしかない」
大佐は、日本人特有の武家への畏れからやや声を低めつつも、はっきりと言い切った。
大陸派遣軍には、斯衛から移籍してきた将兵達(主に衛士や整備兵)が含まれていたが、彼らもまた苦戦の外ではいられなかった。
特に『死の八分』といわれる初陣の壁は厚い。暴走するならまだマシなほうで、思考停止や味方撃ちも当たり前だ。
このあたりは、帝国軍生え抜きの精鋭とて同じ。
初陣で重度催眠や、薬物処置のお世話にならないような衛士は、一個師団分送り込んだうちでも数人程度。
BETAが与えてくる恐怖・圧迫感に未経験で対抗できるような人間は、もうBETA同様に常識外というほかない。
そんな将兵達を一人でも多く生き残らせるためには、結局は軍としての基礎体力を向上させる以外に方法はない。
すなわち、十分な兵站を与え、装備に不自由をさせないで戦いに向かわせる事。
戦術機部門においては、質低下が見込まれる将兵達の手に負えて、かつ大量供給が可能な機体を用意するべきだ。その条件下で、もっとも高性能なものを選ぶ。
この条件に現状当てはまるのは、陽炎しかない。
いざとなれば、外国のF-15Cのパーツを輸入して使う事が可能な点もプラスだ。
少なくとも、大佐はそう信じていた。
「…………内閣や議会の態度は不可解だが、城内省はもっとも謎だ。俺達の若い頃は、もうちょっと融通が利いたはずなんだが」
同僚は、大佐をなだめるのを諦めて自分も愚痴をこぼした。
「例の噂が流れてから、だな。ここまで酷くなったのは……」
大佐が、あたりをうかがうようにしながらつぶやいた。
――今から、十数年前に異様な風説が流布したことがあった。通称、『帝都城某事件』。
摂家の筆頭格である煌武院家に、『唯一人の』世継ぎである女児・悠陽殿下が誕生した前後。
本来なら、武家社会……いや、帝国全体の祝い事になるはずなのに、どうにも帝都城や武家周辺の気配が不穏になったのだ。
具体的に何が起こったのかは、部外者には伺い知れず、そのうち平穏さを取り戻したのだが……。
武家社会を二分するほどの問題が起こり、その結果、ある一派が破れて帝都城から放逐された――そんな噂がまことしやかに囁かれた。
事実、斯衛軍や城内省では大規模な人事異動が行われ、帝国軍からも評価されていた人材が何人も隠居し……あるいは消息不明となった。
武家の位階を返上し、平民に下ったり外国へ出た家も、いくつも出た。
あの時以降、斯衛軍あたりの伝統固執は、一層頑なに……。
元々、城内省とそれを支える武家社会にとっては、改革を求める声というのは、忌々しい話であった。
近代国家だの民主主義だのが存在する前から、将軍家と武家は存在しこの国に君臨してきた。
尊い身分について、卑しい者達が口を挟む事自体が不届き千万である、というのが本音だ。
武家のような特権身分は、支配する事に慣れてはいても、異議を申し立てられる事に慣れてはいない。
平民に上からの目線で情けをかける者は多数いるが、平民と同じ地平に立とうと考えるのはよほどの変わり者だ。
斯衛軍が、軍服レベルですら身分差別を平然と続けられるのは、この意識が根底にある。
それでも、武家社会をより開かれた、新しい時代に即したものにしようという動きは根強くあったはずだ。
が、帝都城某事件の後では、上層部からその声は完全に断ち切られた。
「…………」
大佐らは、薄ら寒いものを感じてしかめた顔を向け合う。
予算への不満というのは、結局のところどんな決定が出ようと、必ず出るものだ。
帝国の国力が限られている以上、全ての意見を満足させることなど、できるはずがない。
だが、話が城内省や武家に関わると……どうも、そんな話とは次元が違う、帝国の影の部分がちらつく。
現内閣が、国連との関係を深めるようになって以来、その影は薄まるどころか濃さを増していた。
――BETAの猛攻により、これまで善戦していたアラビア半島防衛線が、陥落寸前に
――誰もが失敗とみなし、忘却していた米欧共同の系外惑星探査プロジェクト『ダイダロス計画』による、外宇宙に存在する地球型惑星発見の一報
これら、帝国のみならず世界全体を震撼させる情報が矢継ぎ早に飛び込んで来たのは、予算案通過から一週間も経たないうちだった。