BETA大戦が激化するにつれて、全人類的視野で深刻となったのは、人的資源と生産力の減少だ。
消耗に補充が到底追いつかず、練度不十分な兵士や、トラブル解消が終わっていない兵器をなし崩しに投入しては、戦況がさらに苦しくなるという悪循環。
このため、練度の低い兵士でも十分扱えて、かつ落ちた生産力でも大量製造が可能な装備が必要とされた。
戦術機も、同様だった。
そんな中で生産数を伸ばし、ついには世界でもっとも生産されているF-4シリーズに次ぐようになったのが、F-15だ。
F-15は、当初は単価が高く大国・アメリカですら予定調達数を大幅に割り込むほどだった。
にもかかわらず、世界中の国々から輸出・ライセンス生産の要請が殺到したため、量産効果によるコスト削減が可能となったのだ。
発展性、拡張性が高いので、一旦基本部分が消化できれば、各国の実情に合わせた改修の自由度が高い点なども、大量配備を後押しした。
ユーザーが多いということは、それだけ実用データも集め易い、ということであり、OSのアップグレードや生産ラインの効率化も顕著であった。
この意味では、F-15を開発したのはアメリカだが、完成された兵器としていったのは世界の共同作業といえる。
第三世代機の登場で、既にスペック面ではF-15を超える戦術機が何機種かあるにも関わらず、戦地からの評価と信頼は他を引き離している。
しかしながら、基本的な価格が高い、という面はいかんともしがたく……。
政治あるいは外交上の理由も絡んで、欧州主要国のように採用を見送る国々、日本のように見切りをつけ調達を削減した国も出てきていた。
F-15の販売元であるマクダエル・ドグラム社が経営に行き詰まり、ボーニングに吸収合併されたのは、象徴的だった。
そのボーニングでも、やはり戦術機部門は先行き不透明であり。
1996年に発動された国連のプロミネンス計画――実は、アメリカのG弾使用に反対する諸国の主導で決定という、反米的要素がある計画――に参加する等、なりふりかまわない行為を余儀なくされている。
そんな事情のあるF-15ファミリーの姿を、しきりに横田基地で見かけるな、と俺が気づいたのは、1997年の2月上旬あたりからだ。
多くが、ジャンプユニットを最新の物に換装したC型の近代化改修機だった。
旧バージョン機も、日本の陽炎生産経験メーカーまで動員して、整備や改修が行われているらしい。
まだまだ少ないはずの、俺の今の愛機と同じEもある。
「アジア戦線の補強のために、アメリカ本土や後方国家駐留のF-15をかき集めているんだろうな。
半数は、大東亜連合加盟国あたりへのリースないし輸出、残りが極東米軍や国連軍の戦力向上用ってところか」
とは、ストール中尉の弁だ。
これまでは、政治・軍事バランスへの配慮、あるいは欧州・中東戦線のほうが緊要度が高かった事もあり、東アジア圏への米国の支援は後回しにされがちだった。
が、戦況がここまで悪化すると、今までと同じではいられない。
『極東戦線死守』という言葉がしきりに言われるほど、気合が入っていた。
国連軍もまた、アメリカに同調する形で兵力の増派準備を行っているらしい。
――ただし、帝国軍系国連部隊の動きは鈍い。
これは、日本政府が在日国連軍を誘致した理由の一つが、『本土防衛力の強化』なのだから仕方ないだろう。
戦術機だけではなく、戦車等も見受けられるようになる。これらも、戦力強化ないし輸出用だ。
M60 スーパー・パットン(WW2直後に開発された戦車・M46 パットンの最終改良型。第二世代戦車として、西側諸国で広く使われていた)のように、普段の日本では見かけない兵器さえあった。
既に米軍自体からは退役している戦車だから、倉庫から引っ張り出してきたのかもしれない。
戦気が高まる基地のPXで、俺はストール中尉を含む、十人ほどの顔見知りと一つのテーブルを占拠し、昼食を取っていた。
多くは、このところ合同訓練を繰り返すようになった、『練度劣悪』の衛士達だ。
「正直、日本帝国軍機ってあんまり好きじゃないんだよ。いや、性能とかへの不満はないんだが」
そう口にしたのは、ボラン=ユン少尉だ。中央アジア出身の青年で、資質はあるのだが祖国崩壊のためにまともな訓練を受けられなかった。国連軍所属。
「ほら、日本には偉い人達専用の戦術機があるじゃないか。
俺達に回ってくる機体って、日本人の中でさえ『偉い人達が命を預けるに値しない機体だ』って思われたやつのような気がして」
「……あー。そういう見方もあるのか」
俺は、箸を止めてうなずいた。
最初は敬語が当たり前だったのだが、それなりに打ち解けた結果、プライベートが許される時間は肩から力を抜いて話すことにしたのだ。
「私達は、選り好みできる立場ではないのですけれどね」
苦笑いを浮かべるのは、マリー=レイカー米国陸軍少尉。着ている軍服がいまいち似合っていない、金髪碧眼の女性だ。
軍人であるのが不思議なぐらい、おっとりした印象のある人だが、衛士。技量は最低ランク。それでもこのところは、改善が見られているか?
「まぁ、機体に振り回されているうちは、何に乗っても同じだからなあ」
他人事のようにのたまわってお茶をすするのは、秋月正春少尉だった。日本帝国軍から無能として追い出され、国連軍に来た人物……と、いうのが自己紹介だ。
俺は、秋月少尉の細面にちらと視線を向けたが、口に出しては何も言わなかった。
あきれているのだが……それだけではない。
何回か合同訓練を重ねるうちに気づいたのだが、この秋月少尉、どうも『匂う』のだ。
なんというか――こう、やれる適切な作戦行動をわざとやらない、というような挙動が見られた。
俺の気のせいかもしれないが……。
「いやいや、みんな動きは良くなってるぜ? 多分、模擬戦でTAKERUのトンデモ機動に付き合っているからだろうな」
ストール中尉がにっと白い歯を見せる。
「トンデモって……」
あまりの物言いに、俺は半眼になる。
ちょっと人よりGに強くて、ほんのわずかに今までの教本とは違う機動を使っているだけなのに……。
確かに、模擬戦ではブレイザー少佐のアドバイスに従い、手加減無しでユン少尉らを叩きのめして回っている。
それが何回も続けば、相手も慣れてきて少しは梃子摺らされるようになってはいるのだが。
「真面目な話だよ。多分、高速道路効果……っていってもわからないか?」
表情を引き締めると、ストール中尉は説明した。
高速道路を車でかっ飛ばしてから、街中の速度制限ある道路に入ると、周りが異様に遅く見えて仕方なくなることがある。
つまり、感覚が高速に慣れているため、普段ならそれなりに早く感じる状況が、さほどとは思えなくなるのだ。
「常人なら気絶するGも無視で、変則もいいところのTAKERUの機動を相手にして、少しは反応できるようになっているから。
今、対BETA戦や他の衛士相手の演習をしたら、けっこういい線いくんじゃないか?」
と、いうのがストール中尉の結論だった。
うさんくさい……高速道路効果なんて言葉、聞いた事ないぞ。
俺は首を傾げたが、他の衛士達には納得できる部分があったらしい。皆、しきりにうなずいていた。
「確かに、TAKERU級BETAを相手にできるのなら、他のBETAでも……おっと、失礼」
酷すぎる表現に気づいたのか、ユン少尉がすまなそうに首を竦めた。
いや、さすがに人類の天敵扱いは、なぁ……。
表向き「いいよ」と言いながらも、俺は胸の中でちょっとだけ泣く。
「だけど、本当に私達の腕が上がっているのか、確かめたい気持ちはあります」
レイカー少尉が、胸の前で両手を組み合わせてつぶやいた。彼女は米軍所属で、ほどなく戦地へ向かう可能性は高い。
俺は、気持ちを引き締めた。
既に俺自身、前線への参加を要望する上申を出しているのだが……どうにも、反応が鈍い。
『イーグル・ショック』と呼ばれているあの騒動での態度で、前線に出るのは不適格とされてしまったのか、それとも別の理由があるのか……?
そんな思考を破ったのは、入り口から駆け込んできた一人の米軍士官が張り上げた声だった。
俺達の隣のテーブルを囲んでいた、米軍衛士のグループに駆け込むと、
「おい、聞いたか! 『グリフォン』が『ローグ』に模擬戦で負けたらしいぞ! それも二回連続で、だ!」
と、興奮した声でまくしたてたのだ。
米軍将兵達から、どよめきが湧き上がる。
「……何をあんなに驚いているんだ?」
秋月が、レイカーら同席する米軍関係者に視線を向ける。
自身も驚いた顔をしていたレイカーが、一つ呼吸を整えてから解説を始める。
「『グリフォン』というのは、横田基地所属の米軍戦術機甲隊の中で、最強といわれる精鋭小隊のコールサインです。
対して、『ローグ』は練度が低いとされる隊であり、普通なら負ける側です」
ローグ隊でも、私達よりは上ですけど、と控えめに付け加える言葉を聞き、俺も興味が湧いて耳を澄ます。
米兵達は、思い思いに口を開いている。
「どうやって勝ったんだ、ローグの連中? 食い物に薬でも仕込んだ、とかか?」
「特殊な条件下の模擬戦なら、番狂わせもあるだろうが……」
「まさか、ローグにラプターが配備された、とかいうオチじゃないだろうな?」
F-22 ラプターが、この状況で日本に来るとはちょっと考えられない。まだ、米本土でテスト中のはずだ。
が、もし来たのなら力関係が逆転する可能性はある。
レーダー、電子戦装備、ステルス……こういった性能要素の違いは、衛士の個人技量じゃどうにもならない部類だ。
エスパーならぬ普通の人の身では、索敵範囲外からずどんとやられれば、それまで。
『敵の存在に気づいたのは、やられた時でした』
と、いうのは兵士にとって悪夢だ。
できるだけ遠くから、正確に、一方的に相手を撃破する――これが望ましいのはBETA戦にも通じる、戦闘の鉄則だ。
F-22なら……。技量が並でも、熟練衛士を十分撃破できるだろう。
そこまで極端ではなくても、コストが高いゆえに大量使用が現実的ではないミサイルをふんだんに使い、アウトレンジから飽和攻撃できる条件での戦いなら……。
だが、より詳しい話を聞き取ることはできなかった。
壁に据えつけられたスピーカーから、俺を呼び出す声が流れだしたからだ。
軍人は政治に関わらず、世論に迷わないべきだ……これは正しい。
しかし、一般論としての正しさが、あらゆる場面で通じるわけではない。
軍事が政治及び外交と不可分である以上は、どうしても関わりを持たざるをえない。
大事なのは、軍人がその武力をもって政治や外交に不当な圧力をかけないことだ。
そもそも、丸腰の文民に武器をもって迫るなど、ヤクザかゴロツキの所業。
どうしても政治などがやりたいのなら、軍服を脱いでからにすべきだ……実際、元軍人の政治家や学者は珍しくない。
軍人が政治や外交の場に出るときは、必ず文民に従属する専門家としての規範を超えてはならない。
内部において自由な議論や提案はしても、命令や強要は絶対にしてはいけない。
特に、外部から政治と軍事の対立、などと取られるような言動は決して漏らしてはならない。
何々「すべき」、あるいは「ならない」尽くしになるが、国家最強の暴力を預かる軍人の言葉は、それほど重い。
ましてかつての日本においては、口出しだけでは済まず、軍に都合の悪い姿勢を取る政治家へのテロを行った。
その行き着いた先が、軍の横暴を追認し続ける態度によって国際社会から不信を買い、必要最低限の輸入さえままならなくなり……遂に武力で資源を奪おうとして起こした大東亜戦争だ。
聞こえの良い大義名分を掲げても、実相はどす黒いのが戦争の常だが――国にしまりが無いために仕掛けた戦争というのは、日本史上唯一であろう。
原因は、紛れも無く軍人の不当な政治介入にあった。
(降伏時は、帝国軍の解体が現実味をもって語られていた。そんな中、『最後の陸軍大臣』が国会で述べた、謝罪の演説は有名だ。
結局、冷戦の影響もあって、帝国軍は軍政機能を国防省に一元化する、総理の文民統制に入るなどの改革を行うことで生き残ったが)
日本帝国における文民統制は、単なるお題目ではなく、多大な痛みと血であがなわれた教訓である……。
昨今の軍部の増長を見れば、その戒めはすっかり忘れられたように見えるが。
心ある軍人達は、出来る限り己を律しようとしていた。
とはいえ、あまりに政治や他分野の担当者が分からず屋であると、怒りあるいはぼやきたくなることがあった。
特に、本土防衛計画策定という、それこそ国家国民全体に関わる作戦を預かる部署においては。
「……では、間違いないのだな? 皇帝陛下及び五摂家の方々が、帝都からの疎開を拒まれてた、というのは」
苛立ちを抑えるために出席者達によって吹かされ続けた煙草の煙。それをかき乱しながら、一人の士官が悲鳴寸前の叫びを上げた。
参謀本部・大会議室の席を埋める二十人ほどの面々は、いずれも帝国軍実戦部門最高の頭脳を自負する、本土防衛軍総司令部の幹部達だ。
その将校達の顔は、今揃って青ざめている。
「は、はい。帝国が国難を迎えるのならば、尊き方々が真っ先に敵に背を向けるわけにはいかないと……」
内閣からの連絡を読み上げた兵が、首を竦めた。その目に、自分が決めたことではない、と言いたげな光がある。
「馬鹿が! どこの官僚の作文だ、それは!?」
日本帝国においてタブーとされる、上位身分者達の行動に対する公然とした批判が、空気を震わせた。
椅子を蹴飛ばすように立ち上がったのは、衛士徽章をつけた壮年の少佐だった。
「その旨は政府及び元枢府、ならびに城内省と事前の申し合わせがあったはずだ! あの時は、色よい返事をよこしていた! なぜ今になって!」
本土防衛計画――北九州において、水際決戦でBETAを殲滅する――は既に決まっていたが。
大陸から入ってくるBETA猛攻の情報は、その計画への自信を揺らがせるに足りた。
そこで、予備計画が立案されることとなった。
大枠は、第二帝都(東京)あるいは第三帝都(仙台)まで国家主要機能を後退させ、西日本全体を縦深陣地とする体勢の構築。
第一帝都(京都)からの第二帝都への首都機能のあらかじめの移転は、真っ先に出て政府に上げた案件だ。
が、政府は、これを拒否してきた。
しかも、いざとなった場合も、皇帝・将軍一族は京都と命運を共にする覚悟である、という宮中からの御言葉とともに――
「最悪だ……」
今にも目から火を吹きそうなほど怒りを露わにする衛士少佐の隣で、民間との折衝を担当する大佐が死人寸前の弱弱しさでつぶやいた。
「陛下や摂家の方々が京都に留まる、となれば……先に避難しようとする者達は『不忠者』となる。
これでは……」
建前上は立憲政治・近代民主国家たる形を整えたとはいえ、大勢の日本人にとって、摂家以上の方々は主筋という意識がある。
たとえ理由の上では正当であろうと、主を見捨てて逃げると謗られる可能性のある行為を平然とやれる人間は、少数派だろう。
武家階級の者達や軍人役人はもとより、一般臣民ですら反射的に後ろめたさを感じるに違いない。
『勇敢な日本の高貴なる階級は、BETAを迎え撃つが如く京都に留まりました』
そんな、後世の無責任な連中が喜びそうな一文を歴史書に付け加えるために、多くの軍民が悪影響を蒙る(後世があれば、だが)。
民間人疎開の鈍化を覚悟しなければならない。
敵に対して退いて批判されるのは、軍人の領分だ。
いや、軍人ですら抗戦より撤退のほうがメリットがあると見れば、後退する。
古来から名将は引き際を心得え、撤退戦も上手いものだ。
防衛戦に適しない地勢の京都を特別扱いしたままならば、本来は不要な守備兵力を貼り付け続けなければならず、必然的に他方が手薄になる。
帝都防衛師団や斯衛軍などは、任務の性質からいって行動の自由を喪失したも同然だ。
それが分かっているからこそ、事前に莫大な国費を投じて予備の首都候補を、主戦場から外れると思われる関東・東北の二箇所にこしらえているのに……。
「この際、どこの馬鹿がどんな意図で陛下・殿下らを惑わせたかは、重要ではない。
詔勅同然の決定が下った以上は、我々にはどうすることもできん話だ」
参謀の一人が吐き捨てる。失望と絶望がないまぜになった、恐ろしく冷たい声で。
「一部の将兵や、国民は大喜びするでしょうな――万が一、言うべからざるべき事態が起こった際の事など、考えもせずに」
言うべからざるべき事態……すなわち、BETAに皇帝や将軍が食い殺される、最悪のケースを指す。
「榊首相なら分かってくださると思っていたが……。
威信が揺らぐ、というのなら軍職にある一門から御名代を立てて残し、他の方々は避難していただく程度の知恵、思いつかないはずあるまいに」
怒りを吐き出した衛士少佐が、椅子を直し腰を下ろした。
参謀が、首を横に振る。
「首相は、世間や若い将校の無責任な物言いと違い、武家階級からは『殿下の忠臣』であると見られている。
……この場合は、元枢府や城内省の時代錯誤にメスを入れられない、守旧派ということだ。
御意志とあれば、言いたい事を飲み込んだのだろうさ」
知性ある良識的な人々が、こと『御上』が関わることだと硬直化、思考停止に陥る日本帝国の風土を思い出し、全員がまとめて押し黙る。
内閣から独立した城内省、独立武装組織・斯衛軍などというものが、民主化が促進された今でも残っているのは、よく知られた例。
彼ら将校もまた同様の根っこが自分にある、と自覚している。
高貴な方々の浮世離れした行動に対して表向きは万歳しつつも、陰で泣くのだ。
ここで文句を述べても、皇帝らに改めて翻意を促そうと言い出す者が存在しないことが、その証だった。
本来、好ましいことではない。
軍人――特に指揮官クラスにとって重要な資質の一つは、冷徹なまでの現状把握だ。
感情面においては、どれほど気に入らないこと(逆に尊重し美化したいこと)であろうと、現実は現実と切り離して直視し、それに応じた行動を選択するのが望ましい。
自国・自軍や敵の能力を過大評価しても、過小評価してもいけない。
が、残念ながらこの理想と程遠い軍人達の有り様こそが、『現実』そのものであった。
彼らの中には、今まで苦々しく思っていた者達――政治に介入し、元枢府の実権を削り取っている士官――に賛同したくなる思いを抑えられない者もいた。
政威大将軍の復権? 冗談ではない。
そんな事をされたら、こういう例はますます増える事だろう。
武力を持つ軍人の他部門への介入がタブーなら、権威とさらに斯衛軍という武力を同時に握った者達の行動は限界まで制限されるべきだ……。
「……とにかく、ただでさえ不足がちな手駒が動かせなくなった。参謀本部に、大陸派遣軍の引き上げをせっつかねば」
それまで口を閉じていた、本土防衛軍司令官が重々しく腕組みしながら、ことさらゆっくりと言った。
部下達にくすぶった不穏な気配を察したのだ。
まず司令部トップが上の判断に従う姿勢を見せなければ、更にややこしいことになる。
「大陸派遣軍は、他国と共同しての決戦をやりたがっておりますが……」
気を取り直した参謀が、異議を唱えた。
大陸に総力を挙げて打って出るべきか、それとも本土防衛に傾注すべきか。軍内意見は、外国不信もあり後者寄りであった。
それでも、派遣軍の意見に理を認め、国連軍や米軍に歩調を合わせて帝国の精鋭を送ろう、という声も存在する。
「言いたいことはわかる。だが、帝国軍には今後、ユーラシア東側及び朝鮮半島での撤退支援の役目も国際社会から期待されるはずだ。
戦力が足りない以上、もっとも損耗が大きいと見込まれる方針は取れんよ。少なくとも、本土防衛軍の意見としては」
決戦で損害少なく勝てれば、それで良い。だが、負け――あるいは、勝ってもBETAの次の攻勢までに回復不能な損害を蒙ってしまえば?
瓦解は一気に来る。
面子が立つぎりぎりで外へ出す兵力は抑え、本土防衛に集中するよう政府には決断して欲しい。それが、司令官の本音であった。
「次の議題に移ろう。海軍部の方々、お願いする」
司令官が、会議室の空気を変えるように、今まで黙っていた白い軍服の一団に視線を向けた。
本土防衛軍は陸軍が主力ではあるが、日本の地形、海軍の支援は必須だ。
うなずいた海軍からの出席者達は、口々に報告した。大陸で行われた、戦時量産型の火力支援艦運用について、だ。
「海上からの打撃はやはり有効です。特に、水平線に顔を出さずに砲撃できる場合、光線属種から反撃を受ける恐れもない」
「陸軍用のMLRS(多連装ロケットシステム)とランチャーポッドの規格を共有化した、艦載用対地ロケット砲の採用は正解でした。
ロケット弾の大量生産が可能な上に、他国でも採用されている兵器ゆえ、いざとなったら緊急輸入も利きます」
「採用決定時は、仲間から散々叩かれたものですよ。『陸軍のコピー品など使いたくない!』とね。
陸海軍の対立は利権のみならず、感情面もありましたから……。
皮肉にも急な軍拡で集められた新兵達のほうが、海軍兵器はこうあるべし、という固定観念が無く早く馴染んでおります」
あけすけな台詞に、陸軍所属者達から笑いが漏れ、先程の暗い雰囲気が完全に消え去った。
国防省の一元管理の元、軍装備をなるべく共通規格化させ、限りある生産設備と資源を有効活用する。
原料を輸入する先が次々と陥落し、やりくりが難しくなった帝国では必須の方策だった。
「未熟練兵でも、とりあえず安全圏から砲撃させる分には、使えますから。
海軍の兵は、元々高水準を要求される分、人材層が薄くなりがちでしたが……」
「旧式の輸送船でも、突貫工事でロケット砲を載せれば戦力化できる……しかもかなり有効とは、かつての冷戦時代には想像も及ばなかった事態です」
対馬級支援艦などと分類される急造ロケット砲搭載艦艇の泣き所は、単艦での索敵・射撃管制システムの能力不足だった。
通常の戦闘艦艇に装備されている、高価かつ高度な、自己完結した探知・戦闘統制システムがないからだ。
(これらを載せるのなら、コストは跳ね上がり専門技能を持った兵士を配置しなければならない)
それを解決したのが、データリンクシステムの普及だ。
友軍――高い探知能力を持つ戦艦や、支援目標戦場で戦っている戦術機等――からリアルタイムでデータを得る事で、単独では狙えない位置にいるBETAを打撃可能。
軍の高度情報化の、目に見える形での成果のひとつ。
満足そうにうなずいた参謀長が、テーブルに広げた日本地図に目をやった。
「――本土防衛戦が成るかどうかは、迅速かつ正確な火力の集中が鍵だ。そして、BETAの物量に対抗できる鉄量の用意……」
戦場で目立つのは戦術機だが、もっとも多くBETAを倒しているのはやはり『戦場の女王』とされる砲兵達。
戦術機部隊は、キルゾーンに連中を誘い込む囮……あるいは勢子。
そう割り切っているから、国防省が大騒動の『イーグル・ショック』があっても方針は揺らいでいない。
戦術機の個別性能が良いに越した事はないが、殲滅まで求めないゆえに撃震でも(計算上は)十分遂行可能な役目だ。
……民間人への誤爆や巻き添えを気にせず、遠慮なく母国の土に砲弾を叩き込める状況にあるのなら。
問題は、砲兵の打たれ弱さだ。
一旦、接近戦になれば陸の砲兵はBETAの餌になるしかない。
その点、海という比較的安全な場にいる支援艦にかける期待は大きかった。
「データリンクシステムの前線部隊への普及率百パーセント達成と、砲弾備蓄量のさらなる増加を求めたいところだな」
最終防衛ラインを京都以東に下げる選択肢はとれなくなったのだし、という続きを飲み込んだ司令官の言葉に、列席者達がうなずいた。
――日本帝国・某所
国連軍に出向した経験がある、帝国軍の中将が集会所の演台に立ち、淡々と言葉を紡いでいた。
初老の中将の前には、三百人ほどの聞き手が整然と並べられた椅子に座って。いずれも比較的若手の帝国軍人や官僚だ。
「かつて日本人は、国に帰属する意識は薄いか全く無関心であり、自分達の住まう村や氏族に根本を置いていた。幕藩体制下なら、地方政権たる藩がまず第一。
国家というものを神聖視するようになったのは、幕末ぐらいからである。日本史上の尺度で見れば酷く最近」
世界情勢そして国情が動揺する昨今、私的な勉強会や研究会と称した集まりが頻繁に開かれるようになっていた。
多くが、他愛も無い持論や愚痴を言い合いながら、酒を飲むような憂さ晴らしの場だが。
ごく少数、名声ある人物を招いて真剣に世界や国家を論じる会も、確かに存在する。
「現在の国家群が、藩のように過去の遺物となる――そこまでいかなくても、いずれ世界における絶対的な単位ではなくなる可能性がある」
聴衆達はざわついた。中には、明らかに不快感を示す顔もある。
だが、中将は気づかないふりをして話を続ける。
祖国は偉大であり、永遠に不滅である……そう教えられて育った者達だから当然の反発だ。
だからこそ、話す価値がある。
「皮肉にも、BETAという外敵の出現により、人類は国家・人種・民族・宗教・思想・慣習といった違いが、所詮は同じ種の内輪揉めにすぎない、と肌で感じる機会を得た。
これにより、人類の次のステージを見定め、国家の連合体あるいは国家を超える意思決定機能……EUや中東、アフリカ、大東亜の各連合……そして国連に可能性を見出す者が増え始めた」
世界を見て回った目からすると、帝国の国粋主義風潮は、あまりにも閉塞的だった。
何かから視線をそむけるように、内向きになっている。
「帝国内の価値観では、配属されるのは島流しに等しいと見られるのが国連。そして、そう言われても仕方ないほどまだまだ組織として未熟で、だらしない面が多い。
が、新たな時代を予感し、希望や目的をもって自発的に国連に参加する人々も、確かに存在する」
祖国にいては、身分や人種といった理由によって世に出る事が難しい者。
自国の制度に不満はあるが、是正する術が無い者。
彼らにとって、国連傘下の組織は、魅力的な行き先だった。形の上では、円満に国から出られるゆえに。
BETAによって祖国を失い、亡命先の外国を確保できなかった者達にとっては、最後の寄る辺でもあった。
そして、世界全体という視野で何かを動かしたい者らには、理想を実現する最短手段となりつつある。
「国連が、人類の共同体の新たな形になるのか。それとも、非常時が過ぎればまた諸国が意見を言い合う場に過ぎない程度になるのか。
それはまだ、誰にもわからない」
人類の歴史そのものが、終焉を迎える可能性もあるが。
「しかし、人類の総力を結集する事が必要とされる現時点において、国連の果たす役目は大きい……大きくならざるをえない。
バンクーバー協定及びその補則条項を根拠に、世界レベルでの指揮権を発動するのが不可能ではないほどの権限が、国連軍に与えられているのはその象徴。
協定は、一部有力国の意志から出たものではあるが、その運用は決して偏った物ではない……国連が、しばしば大国の提案を跳ねつけているように」
ユーラシア大陸に巣食う、BETA支配地域の外周にある全ハイヴを対象とした同時攻撃。
安全保障理事会と、各地の戦線を支える主要国の同意さえ取り付ければ、そういった空前の大作戦さえ実施可能だ。
(そんな作戦を発動した所で、ハイヴを攻略できる見込みも確たる目標もないことから、シミュレーションで予備案が練られている段階だが)
「この、BETAが出現しなければまずありえなかったであろう事態を前に、我々はどうすべきか? 在日国連軍誘致成功、という機会を何に使うか?
今後、日本『人』の行く末を占う上で、大きな曲がり角になるかもしれぬ、と私は考える」
日本『国』ではなく、あえて日本人と言った。
この意味を、果たして何人が正確に受け取るだろうか?
中将が講演を終えると、たちまちあちこちから不規則な議論が聞こえるようになった。
反応は、おおむね否定的だ。
彼らにとっては、帝国こそが絶対であり、己の足場だという事以外、まず考えられないのだから。
が、中には深く考え込む素振りの者もいる。
中将が講演依頼に応じたのは、若い者達にあることを示したかったからだ。
どうにも帝国人の若者気質というのは、自分の理想の貫徹か、それが無理なら玉砕か、という極端に走り易い傾向がある。
それは時に強さになるが、弱味になりいらぬ軋轢を起こす可能性もまた、高い。
帝国の現状に不満がある場合、暴発じみた行為以外にも別の道がある。
そして、一見前置きに過ぎなかった、藩のたとえ。
この意味も、明敏な若者ならいずれ気づく。
かつての藩に君臨した大名達は、有力家臣ともども(それが本当に日本のために良かったのかはともかく)近代国家の特権階級へと横滑りした。
政府が主導する国連への接近は、感情的な連中がいうような売国ではなく、より大きな布石になり得る。
『世界政府たる国連の、上層部の一角である日本』という絵図も、描けないわけではない。
あのアメリカが、ぎりぎりのバランスの結果ではあるが、国連を尊重し立てる姿勢を崩さないのは、この将来の旨味に気づいている者が政府にいるからだろう。
(――既に、最初から国連軍に志願する日本の若者達が、ごくわずかだがいる。中には、世界を驚かせるほどの動きをした少年さえ……)
既に大きな歴史の流れの中に漕ぎ出した日本人は出始めている。その意味する所を、はっきりと全員が自覚しているわけではないだろうが。
そういった先駆者達は、果たして……。
若手軍人や官僚達の間から立ち上る、議論の声と熱気に身を浸しながら、中将は瞑目した。