<side of Takeru Shirogane>
隔壁は閉鎖された―――恐らくはあ号標的によって。
そして、背後には万単位のBETA。
状況は先ほどに劣らぬほど悪い。
『中佐、早く向こう側へ!』
「やってます!」
ここは横坑の中間地点。
BETAの到達まではほんの少しだけ時間がある。
ただ、その時間でできることはほとんどない。
BETAが、横坑へと足を踏み入れている。
それに対し、飛鳥少尉はすぐに攻撃に転じた。
オレも後ろ側を狙える位置にある36mmを撃ちながら、少しでも距離をとるために前へと進んだ。
だが、それらはあくまで時間稼ぎだ。
「落ち着け………落ち着けよ…………」
この状況を打破するために冷静になれと自分を叱咤する。
こちらの戦力は敵に背を向けている凄乃皇にボロボロの不知火が1機、そして7機の自律制御の不知火。
敵は万単位のBETA。
前の隔壁で閉鎖され、後ろは未確認大型種が塞いでいる。
よってここは狭い閉鎖空間。
ここでオレの取るべき道は次のうち2つ。
1つ目の道は後ろの敵を全滅させること。
ただ、それを可能とする武装はもうない。
S-11は自決用のもの8発があるが、あまりにも強力なS-11は通常外部からの使用にはそれ相応の設定が必要。
だがそれは普通ならばの話。
今、オレには純夏がいる。
純夏なら、そうしたいと考えるだけで設定どころかその場で爆発させることだってできるはずだ。
そうやって、純夏に負荷がかかるのを承知でラザフォード場を円錐状に展開しS-11で後ろのBETAをまとめて吹っ飛ばすか。
ただ、隔壁をこじ開ける必要が出てきた以上、そのためにS-11をもう1度使う必要がある。
2つ目の道は今すぐ隔壁の向こう側に行くこと。
ただ、解放剤が効かないとなると通常の方法では無理。
やるとすれば隔壁を破壊するしかない。
となると、やはりS-11を使うしかない。
ただ、純夏に負荷をかけた直後にあ号標的と戦うことになる。
果たしてどちらが得策なのか。
「………霞、S-11で隔壁をこじ開ける! 純夏にS-11をオレの指示したタイミングで爆発させる様に―――!」
熟慮している時間はない。
少しだけ逡巡し、オレは後者を選んだ。
両方とも、S-11から身を守るためには純夏に負担をかける必要がある。
そして、後者ならばそれが1度ですむが前者の場合は隔壁を破る分も含めれば2度必要だ。
あ号標的と対峙するにしても、飛鳥少尉の速やかなフォローと自律制御機を使用した撹乱があれば早々緊急事態には陥り難いはず。
より良い方を選ぶのではなく、より悪い方を選ばないという選択だった。
『!! しまった―――ちくっ―――――』
「飛鳥少尉ぃ!!」
だが、遅かった。
飛鳥少尉は、突撃級の波状攻撃をかわしきることがかなわず突進をその身に受けてしまった。
たった1機で襲い来るBETAから逃れるには状況が悪すぎたのだ。
ゴム毬のように弾き飛ばされた不知火は、2度3度とバウンドしてから地を滑る。
「飛鳥少尉っ――――畜生っ!」
突撃級の突進の威力は要撃級の攻撃と比較してすらそれを遥かに上回る。
その直撃を受け、生命反応が一瞬にして消失してしまった。
「くっそおおぉっ!」
オレの慟哭は空虚に響く。
この短時間で3人目の仲間が死んだ。
悔しいし、やり切れない。
出来ることと言えば、精々が吠える程度だ。
だが、この状況は悲しみに暮れることを許さない。
とにかく、この状況を脱さねば過負荷で進退窮まってしまう。
「霞、純夏はっ?」
「いつでも大丈夫だと言ってます…………」
「? どうしたっ? 何かあるなら早く言ってくれ!」
簡略なオレの問いに、きちんと主旨を読み取って答えてくれる霞。
だが、どこか引っかかったかのような言い方だった。
36mmで少しでも侵攻を送らせながら耳だけを霞に傾ける。
期待していた飛鳥少尉のフォローはもうなくなってしまった。
細かい動作を指定できず、想定外の事態には滅法弱い自律制御機の護衛だけであ号標的が待ち構えるところに飛び込み、純夏を酷使しなくて済む方法があるならなんでもいいから教えてほしいと藁にでもすがる気持ちだった。
「その………前だけにS-11を使うんじゃなくて後ろにも、両方に使えば隔壁を破壊した後にも純夏さんが休む時間ができるんじゃないですか?」
「そ、そうか、それだ! 純夏は前後両方にラザフォード場を展開できるのか訊いてくれっ!」
だが、霞の意見は藁どころかしっかりとした舟だった。
それができれば、新たにBETAがここに来るまでに時間がかかる。
恐らくそう長くはないだろうが、それでも純夏が休む時間を少しは稼げる。
おまけに、飛鳥少尉と西川を殺したBETAをまとめて吹っ飛ばせる。
問題はそんな複雑な事が純夏にできるのかどうか。
ただオレは信じていた。
純夏ならそれができると。
だから、それに備えて凄乃皇の前と後ろに1機ずつ不知火を配置した。
「『全然ダイジョーブ、任せてタケルちゃん! いつでもいいよ!』」
ややあって、純夏の声が頭に響く。
霞の考えか、純夏のわがままか。ともかく、オレはそれを聞いて不謹慎にもニヤリとしてしまった。
本当に随分久しぶりの純夏の声。
もう1か月くらい聞いていないような気がする。
それを聞いただけで、オレは気が引き締まった。
「よし、やってくれ! 純夏らしくド派手にな!」
これに関してはオレの出る幕はない。
S-11を爆発させるのが純夏なら、ラザフォード場を使って爆発をコントロールするのも純夏。
そして――――爆発。
本日3度目になるS-11の至近距離での爆発。
ただでさえ圧巻の一言のそれが、今度は前後両面。
横坑の狭さも手伝って爆発の威力は凝縮され、隔壁もBETAも全てを閃光が飲み込んでいく。
最後の最後、あ号標的の寸前でオレ達を苦しめたBETA達は、綺麗さっぱり消滅した。
あの未確認大型種だけは全て消し飛ばすには至らなかったが、無力化はできたと思う。
となると逆にあの大きさで通路を塞いでくれたのは大きい。
純夏に休む時間もリーディングをする時間もたっぷりと与えられる。
「飛鳥少尉…………」
オレはほっと溜息をつきながら、さっきまで不知火のあった場所を見つめた。
そこにはもう何もない。
S-11の爆発は、BETAと共に飛鳥少尉の機体をも吹き飛ばしていた。
そして、西川の亡骸も。
仲間の死が悲しくないはずがない。
そして、悲しいと共に悔しかった。
オレは目を瞑って、在間も含めた3人を想った。
「……………」
数秒の後に目を見開き、あ号標的ブロックの中心に位置するあ号標的を見る。
不気味な青い光に、奇妙な姿。
あれこそが、オレ達の最大の敵。
今すぐでもぶっ殺したい、という逸る気持ちを抑るために深呼吸する。
3人のためにも確実を期して戦わねばならない。
あ号標的ブロックへの通り道は開き、出入り自由になったが向こうが手を出してくる気配はない。
最悪のことを予想して、ぎりぎりまで隔壁を閉鎖しておいたのだが、中に入るまで何をするつもりはないのだろう。
こちらが手を出さない限り重大災害の防止策とやらは実行しないつもりなのか、それともあ号標的ブロックに侵入しない限り頑なに無視を決め込んでいるのか。
ともかく、これであ号標的への道は開かれた。
これでいつでも決戦の舞台に上がることができる。
「霞、主砲充填率は?」
「100%のままです」
「よし………純夏は?」
「『だから大丈夫だって。タケルちゃんは心配性だなぁ』」
こうやって休める間に情報を整理しようと霞に訊ねると、またプロジェクションで純夏の声を聞かせてくれた。
霞だって初めての実戦でヘトヘト疲れているはずなのに、本当にありがたい。
不謹慎な気もするし、霞にも負担をかけるだろう。
その上、状況もわからず待機させられているみんなにも悪いのだが、オレと会話をすることでずっとひとりだった純夏がリフレッシュし、力を出せるのならばそれはやるべきことだ。
そこにはオレの個人的願望も含まれているのだが、厚意に与かることにする。
「心配にもなるよ………横浜基地に戻ったら動かないなんてことないだろうな?」
「『タケルちゃんの前の世界では私も凄乃皇も不完全だったからね。今の私はその時よりもずっと調子いいし、凄乃皇の完成度だってずーっと上なんだよ。それに、ここまでにかかった負荷は前の半分くらいだよっ』」
「半分? そんなに少ないのか? あ、いや、それよりもどうしてそんなことわかるんだ?」
「『私はタケルちゃんと違って天才だから!』」
「はぁ? 冗談は顔だけにしとけよ」
「『なにさ! タケルちゃんが一昨日の夜、真面目な顔で“愛してる”って言ったの覚えてないの!?』」
「忘れた。そんなことよりどうして前の世界のことを詳しくわかるんだよ」
本当は覚えているけど、認めるのは癪なのでさらっと流す。
「『むっきーっ! そんなこと知らないっ!!』」
「…………純夏、愛してるぞ」
プロジェクションされたオグラディッシュメン顔に吹き出しそうになりつつ、オレは適当に返す。
いや、適当のつもりだったけど本心かも。
とにかく、情報を聞き出したかったのでそう言った。
「『ホント!?』」
「本当。だから教えて」
「『うー、なんか取引みたいで嫌だなぁ……まあいっか。でも、全然大したことないよ? この作戦が始まってから前の世界での桜花作戦の記憶、見せてもらったでしょ?』」
そう、あのラザフォード場を円錐展開してというのを実際にどんなものなのかを見せるために、そしてその他の部分で少しでも助けになればと前の世界の記憶を純夏に見せた。
色を読み取るリーディングだが、純夏や霞くらいになるとほとんど情景そのままを知ることができるのは既に知っていたからそれをやった。
純夏が次にODL浄化を行うのはこの作戦後だから情報流出に神経を使う必要がないからできたことでもある。
だが、それはオレの視点で見た桜花作戦だ。
オレは詳しいデータなんてさっぱり知らない。
だから、不審に思いながらもとりあえず頷いて純夏の説明を待つ。
「『で、そこから得られた情報を組み合わせて、計算しました!』」
「嘘こけ」
純夏にそんなことができるはずがないと、きっぱりと言ってやる。
そんな難しいこと、純夏にできるはずがない。
「『嘘じゃないもん。私、天才だもん。00ユニットだもん』」
「………純夏がアホすぎてよく忘れるけど、そういえばお前00ユニットなんだったっけ。なるほど、そういう計算は得意分野なのか………」
そう言われて思い出す。
こいつは純夏だが、人類の技術の粋を集めた動く機密なのだ。
確かに、量子電動脳とやらなら小難しい計算もあっという間に終わらせそうな気がする。
それがどのくらい難しいのかはわからないけれど。
「『そうだよ! わかった? 私は凄いの。天才なの』」
自慢げに言う純夏。
だが、それは純夏にあるまじきそんな態度。
「いや、量子電動脳は凄いけど純夏はアホだ。純夏=アホ。これは定義だから」
とりあえずオレは否定しておく。
「『むっかー! もう、タケルちゃんなんて知らないっ!!』」
「はいはい………」
間に霞のプロジェクションが入るからスムーズな会話ではないけれど、自分が戦場にいるのを忘れそうになるくらい普段どおりに話せていて、それが嬉しかった。
もちろん、その間も目は計器とあ号標的を注視し、警戒は怠らない。
が、楽しかったのでつい時と場合を忘れそうになる自分を戒め、頭を振った。
「――――で、そろそろいいか?」
大丈夫そうだからといつまでも休んでいてはまた緊急事態に陥りかねない。
ここで待機している時間が長いほど純夏がリーディングする時間を多く取れるのだが、オレ達の任務にとって大切なのはあ号標的を破壊すること。
もう少しくらいは大丈夫じゃないかという考えを振り払って、後ろ髪を引かれる思いで純夏に訊ねる。
「『え、なにが?』」
ところが純夏は何の事だかさっぱり理解していない。
全く緊張感のない純夏に対して、オレはため息をついた。
「だから、十分休めたかってことだよ!」
「『え? だから最初っから大丈夫だって言ってるじゃん。あ、でもリーディングはまだまだやり足りないかも………でも、情報量が多すぎて何時間経っても終わりそうにないし、役に立つことなんてそんなにないからもうやっちゃっていいと思うよ…………でも、心配してくれてありがと』」
「そうか。じゃあ行くかな…………霞、いいか?」
「はい」
純夏の最後の一言にオレも照れながら凄乃皇の機体を浮かし、準備する。
主砲充填は100%。
純夏にはフルパワーの荷電粒子砲の反動を抑えるだけの余裕は十分にあるそうだ。
後は、オレの問題。
そう、強力な触手を持つあ号標的に勝つのは、オレのセンスが問われる。
「よし―――微速前進0.5」
ゆっくりと凄乃皇を発進させる。
その場で一度操縦桿を握り直し、そして叫んだ。
「――――行くぞ!」
それは、自分に対する気合い。
そして、あ号標的に対する届くことない宣戦布告。
あいつが人類を、ここまで追い詰めた。
人類の未来を信じて死んでいった全ての英霊たちの分も含めて、今―――
「主砲、砲撃準備!」
「ムアコック・レヒテ機関臨界。主砲発射準備完了」
ゆっくりと。
可能な限りゆっくりと。
あ号標的に動きがあるまでは――――
「あ号標的から触手状の物体が伸びてきます。接触まで約20秒」
「A-02、最大戦速!」
あ号標的が触手を伸ばした瞬間に凄乃皇を一転して加速させる。
それは全て、この触手への対策だ。
あ号標的ブロックは広い。
たった今出てきた横坑から中心に位置するあ号標的まで5400m。
実に5km以上もあるのだ。
距離に反比例して威力の落ちる荷電粒子砲の砲撃効果を高めるためには少しでも距離を縮める必要がある。
だが、それを阻止するべく伸びてくる触手がある。
これはたった20秒で5kmを走破する速度だ。
その20秒間でどれだけ近付けるかが勝負となる。
そして考えるにこれは、異物とはある一定の距離以上を置こうとするプログラムか何かに従った行動だと思われる。
こちらの速度が最初から速ければそれに応じて速度を変えてくるかもしれない。
となると、BETAの稚拙さを利用したフェイント―――単純な速度差でも十分距離を稼げるのではないかと考え、ほぼゼロから最大加速という手段をとったのだ。
問題は、オレの速度変化に応じて触手の速度が変わるかどうか。
「敵触手の速度、変化ありません」
「よしっ!」
最初の読みは正解。
いや、そもそも秒速270mがあの触手の速度なのかもしれないが、ともかく距離は稼げる。
既に前の世界で砲撃開始地点に設定されていた220mは突破した。
理論上はすでにあ号標的を撃ち抜くには十分な距離。
だが、前の世界では主砲の充填率がゼロから一気に100にまで跳ね上がるだけの奇跡があった。
だからこそ撃ち抜けたという可能性だってある。
実際、理論上は最強の盾であるラザフォード場でさえ突破されるのだ。
ことあ号標的に、人類の理論は疑ってかかった方が絶対に安全!
「うおおおおおっ!」
そのままの加速を維持しながら、荷電粒子砲の発射装置を握りしめる。
トリガーを押し込んでからとれだけのタイムラグがあるのかはシミュレーターで何度も確認し、試射も地表で1回やった。
だからタイミングは理解している。
オレは、アレが接触する前に――――
「こんのおおおぉっ!」
荷電粒子砲のトリガーを引く。
前の世界では最後まで躊躇い、断腸の思いでそれをやった。
冥夜をこの手で撃つという現実のせいで、引金は何よりも重かった。
だが、今この瞬間は前とは別。
もう1度やり直せるとわかったときから願っていた。
今度は、1人でも多くの仲間と共に悲願の達成を喜びあいたいと。
その夢を実現するメンバーは、残り14人。
伊隅大尉、速瀬中尉、涼宮中尉、宗像中尉、風間少尉、涼宮、柏木、委員長、尊人、たま、冥夜、彩峰、霞、そして純夏。
ヴァルキリーズだけでなく、夕呼先生や京塚のおばちゃん達も数えればもっとたくさん。
そしてどの世界の存在であろうとも、神宮司軍曹、飛鳥少尉、林少尉、岩田少尉、西川、築地、在間が夢に見た、または見たであろうその瞬間を――――
「いけええええぇっ!」
開いた胸部の前でプラズマが走る。
その窪み目掛けて迫る触手。
だが、こちらの方が早い。
プラズマが1つの光となり、ひときわ大きく光った直後――――全ての想いが詰まった青白き激流が迸る!
目前にまで迫った触手を瞬時にして消し飛ばす。
その奔流は遮ることを許さない。
「――――あ号標的の消失を確認」
「よっしゃぁっ!」
荷電粒子砲があ号標的を飲み込んだ。
その激しい閃光が去った後に、怨敵の姿はない。
オレは拳を握りしめ、喜びを全身で表現した。
全人類の宿願が、遂に達せられたのだ。
「みんな!」
オレはヴァルキリーズ全員との回線を開いて言う。
「あ号標的の破壊成功! 作戦成功ですっ!」
『! ――――本当ですかっ!?』
『やった…………やったわ! やったのよ、私達っ!』
凄乃皇に退避することで外界の情報が遮断されていた伊隅大尉たちに吉報を伝えた。
その瞬間、弾けた様な歓声が響く。
全員が口々に、そして支離滅裂に喜びを表現した。
あ号標的がいた時と今の映像データを送信すると、さらに歓声が高まる。
一人残らず涙を浮かべ、それぞれが抱き合って祝福する。
「―――これより脱出します」
オレもそれに混ざりたい。
だが、オレには最後の仕事が残っていた。
涼宮中尉達の待つ横浜基地へ帰還すること。
帰還して、頑張った純夏がゆっくり休めるようにしてあげねばならない。
それほど疲れていないと言っても、平時と比べればとてつもない負担をかけ続けてきたのだ。
「さあ――――帰るぞ、純夏」
そう言って、最後まで取っておいたミサイルを撃つ。
天井を破壊して作った空への道を駆け上った。
前の世界では定員に満たない脱出用ロケットで通った道を、賑やかな凄乃皇で。
日の沈んだ大地を、スポットライトに照らされるかのようにレーザーを受けながら。
歓喜の渦。
それが地上を支配していた。
喀什ではムアコック・レヒテ機関に物を言わせて大気圏を離脱し、往路をそのまま引き返して横浜基地へと向かった。
大気圏再突入は難なく成功し、着地態勢に入る。
そんな中、凄乃皇のセンサーは地表から送られる歓声をしっかりととらえていた。
彼らは凄乃皇が米粒ほどの大きさにしか見えない時から手を振り、旗を振って迎えてくれた。
そのほとんどが目に涙を浮かべている。
「みなさんが感謝しています…………感じるのはたった1つの感情だけです」
「ああ、そうだな…………霞、この映像をみんなにも転送してくれ」
「はい、わかりました」
前の世界もすごかったが、それ以上に大勢の人たちがいる。
口々に感謝を叫ぶ横浜基地所属の兵士たち。
横浜基地がほぼ通常通りに運用されている今は、1万人を超える人がいるのではないかと思われる。
彼らの祝福は、凄乃皇の装甲を越えて届きそうなほどだ。
『HQよりA-02』
目を真っ赤にした涼宮中尉がウインドウに映る。
『90番格納庫の隔壁解放を完了しました。A-02は指定の経路で90番格納庫へ進入してください』
「A-02了解」
彼女もまた、涙を堪え切れない―――いや、そもそも堪える気がないのかもしれない。
リーディングができなくても、圧倒的な感謝を読み取ることができた。
「霞、補助動力に切り替えてくれ」
「はい。ムアコック・レヒテ機関停止します」
地上すれすれにまで到達した。
もうラザフォード場は必要ない。
補助動力で滑走路を移動する。
前の世界では、この滑走路でロケットが止まり、オレと霞はみんなの祝福を受けた。
だが、今回乗っているのは凄乃皇。
ここで降りて、ねぎらいに応える訳にはいかない。
だからオレは、せめてもと主腕を持ち上げる。
天を2700mm電磁投射砲で指差した。
それに呼応して、地上からの歓喜の声がさらに高る。
その中をゆっくりと進み、オレは90番格納庫のリフトへと凄乃皇を近付けた。
『…………HQよりA-02。リフトへの接続を完了しました』
小さい衝撃と共に、涼宮中尉は機体の固定を完了したことを知らせてくれる。
『――――お帰りなさい、白銀中佐』
そして、そう付け加えた。
「ただいま、です」
ゆっくりと90番格納庫へと降りていく通路の中で、オレは笑顔でそう応じた。
2001年12月25日
「国連軍特殊任務部隊A-01所属、佐渡飛鳥少尉・西川純菜少尉・在間悠佳少尉の英霊に対し―――――敬礼ッ!」
伊隅ヴァルキリーズの13人がオレの号令に従って、1本の桜の木に向けて踵をぴったりと合わせて敬礼する。
厳かな雰囲気の中、葬送の空砲が鳴り響いた。
「直れぇ――――!」
遺体も何もないが、万感の思いを込めた部隊葬が終わった。
桜の木の下には、貴重な花が幾輪も添えられている。
完全な状態でのオリジナルハイヴ攻略。
それでも、BETAの壁を突き崩すのには犠牲を強いられてしまった。
ただ、それでもオリジナルハイヴは破壊できた。
危機に陥ったとき、彼女たちがその身を犠牲にしてオレ達を前へと進めてくれたから。
その結果として、数日の内に大々的な式典も行われるらしい。
オレは夕呼先生と共にその席に呼ばれている。
そこでも、オレは盛大な歓迎を受けるだろう。
昨日帰還してから、横浜基地でそうなったように。
オレはそこでも、胸を張って称賛の言葉に応えるつもりだ。
それが、3人に生き残らせてもらったオレが代わりに為すべきことだから。
彼女たちの願いが果たされたことを、誇りに思って……
部隊葬は終わった。
だが、誰も桜の木の前を動こうとしなかった。
神宮司軍曹・築地・林少尉・岩田少尉への報告が終わっていないわけではない。
ただなんとなく、もう少しここにいたい気がした――ただ、それだけだった。
「タケル………」
「ん?」
そんな中、冥夜がオレを呼ぶ。
もしも武御雷を固辞していなければ、もしかしたら………と自分を責めていた冥夜。
ただ、それを口に出すことは決してしなかった。
それは衛士として大きな成長だ。
そして、次があれば彼女は迷わず仲間が生き延びる可能性が1%でも高い方を選ぶことができるだろう。
「………ボーッとして、どうしたのだ?」
凄乃皇から降りた後のことを思い出してたオレの表情を察して、冥夜が指摘する。
オレは、なんでもないと断って続きを促した。
「そなたに感謝を伝えていなかったな、と思ってな」
「おいおい、何を言い出すのかと思ったら………」
オレは笑って冥夜の肩を叩いた。
「これはみんなでもぎ取った勝利だろ」
「それはそうだ。そこは否定する気はない。だがそれは、そなたがいるという前提での話だ。そなたの並行世界での知識と経験がなければこの世界が救われることはなかったであろう」
「そりゃそうかもしれないけどさ………」
「我らは皆……少なくとも私は、そなたに感謝している」
「あら………私たちも中佐には感謝していますわよ?」
冥夜に風間少尉が同調する。
他のみんなも力強くうなずいて同意を示す。
だが、オレは戸惑った。
そんなことを言われても、今更という気がしたからだ。
何しろ、オレの特殊性はここにいる全員が知っている。
そして、その経験は並行世界の冥夜たちがいたからこそ積み上げて来れたものなのだ。
だから、冥夜が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
だがその謎も、伊隅大尉の一言で氷解した。
「なるほど………中佐はわかっていないのでしょうが、私達に遠慮しているでしょう? 御剣が言いたいのはそんなことはしなくてもいいんだ、ということですよ」
もちろん自分もそう思ってます、と付け加えて伊隅大尉が訳知り顔で教えてくれる。
「昨日からずっと称賛されている時、居心地悪そうにしていたじゃないですか」
「それは………ばれてましたか」
伊隅大尉の指摘したことは事実だった。
うまく隠していたつもりだったのだが、それでもばれていたらしい。
それだけ、オレが誤魔化すのが下手だったのか、みんなに誤魔化しがきかないだけ親しい間柄になって来たのか。
ともかく、オレの偽装は全く機能していなかったらしい。
だが、何故そんなことをしていたのかというと、それはオレだけが称賛されることに対して、伊隅大尉たちには何もなかったからだ。
伊隅ヴァルキリーズは名を明かすことが許されぬ部隊。
中身を知っていても口に出すことをしないのは暗黙の了解となっている。
だから、内々にいろいろあったとしても、大っぴらに喝采の嵐を浴びるのはオレだけ。
そのことで後ろめたさを感じていたのだ。
「当然だ。そなたは考えていることが面に出やすい質だからな。だが―――」
冥夜が歩み寄って言う。
「これはそなたがいてこその勝利だ。我らはそう思っている。だから、気にすることはない」
「どっちにしろ、私達はほとんど役に立ってないですしね」
「ふむ、速瀬中尉はお荷物だった……と」
「そこまでは言ってない!」
「いや、何の役にも立ってないでしょう、実際に。ま、そこは置いておくとしても……部下の成功は上官の手柄ですからね。反面、私達が失敗したときはその責任を取ってもらうのでそこのところはよろしくお願いしますよ」
「美冴さん……なんかそれは主旨と違うような……」
珍しく発言の責任をオレになすりつけない宗像中尉。
風間少尉は溜息をつきながらも少し驚いた様子だ。
そこから少し離れた所で、でも同意を示すようにしきりに頷くみんな。
「とまあ、そういうことですから中佐はもっと胸を張っていてくださいということです」
いつものペースに戻りそうな部分を隔離して伊隅大尉がまとめる。
切って捨てられたことに気付いた2人は慌てて口論を止める。
オレは少しにやけながら頷いて答えた。
「了解、です。でも、責任取らされるようなことはやめて下さいね」
胸の痞えがとれたので、すっきりとしながらみんなの顔を見た。
どちらにせよ、オレはこれから、もっと大々的に広告塔と化すだろう。
その時に気にかかるであろうことを減らしてくれたことに、オレは感謝した。
いや―――そんな小さなことで悩んでいたオレが馬鹿だと言うことだろうか。
多分、そうなのだろう。
まったく、どこまでも粗の多いことだ。
まだまだ成長しなくてはと桜の木を見る。
「責任取んなきゃならないようなことにならないように注意するのはあんたでしょ」
そこで、後ろから作戦直後に向こうからやってくることが珍しい人の声。
まるで、前の世界の桜花作戦の焼き直しのようだ。
「夕呼先生―――」
オレは振り返りながらその発言の真意を訊ねる。
「どう言うことで――――す、か?」
だが、そこにいたのは夕呼先生だけではなかった。
あのときと同じように霞が――――そして、赤い髪に特徴的な高性能な受信機を装備した純夏がそこに。
オレは驚いて、声を詰まらせた。
「決まってんでしょ。有名人の立場を利用して女を妊娠させまくって刺し殺されるなんてのはやめてちょうだいよね………あ、あんたにはそんな甲斐性はないから大丈夫か」
オレが驚いたのがわかっているくせに、そのままいつもの調子で続ける夕呼先生。
「敬礼っ!」
「だから敬礼はいらないっていつも言ってるでしょ」
伊隅大尉の号令に従って全員が踵をそろえる。
そんなオレ達を見て夕呼先生は呆れ顔をしながらこれまでの口調を改めて付け加えた。
「ま、ともかくお疲れ様。よくやってくれたわ。これで人類が負ける可能性は限りなく低くなったわ」
夕呼先生がオレ達を労う。
だが、オレの目は夕呼先生の方を見ていなかった。
そんなオレに気付いて、夕呼先生は呆れたようだが、そこら辺は深く考えないことにする。
そんなことよりも、ODLの浄化が終わったとしても機密の塊である純夏をいきなり表に出していいのかと不安に思った。
そりゃ、前の世界でも純夏は自由に基地内を闊歩していたし、そもそも力ずくで抑え込みでもしない限り純夏の動きを制限するのは不可能だ。
だが、こんなところに連れてきたということはみんなに会わせる意図があるということだろう。
そうなれば、口に出して色々と説明しなくてはならなくなるはず。
それをするのはこんな声の通りやすい所ではなくて、どこかの部屋の中が相応しいはずなんだが。
「ふぅ。白銀を筆頭にこの娘が気になって仕方がないみたいね………いいわ、紹介しましょう。鑑」
「はい。私は鑑純夏少尉です。ちょっと前からA-01部隊に配属されていますが、今後ともよろしくお願いします」
純夏は、らしくないくらいきっちりと敬礼して見せた。
対照的に、紹介された側であるみんなが少しざわつく。
少なくとも1回はオレの顔をうかがって――――まあ、そういうことなんだろうが。
「ちょっと夕呼先生。いいんですか? 純夏をこんなところまで……」
オレと純夏の関係をある程度知っているみんなの浴びせる好奇の視線を黙殺して、オレは夕呼先生に耳打ちする。
「本当はこの後呼び出して対面させようと思ってたんだけど、今すぐ出せってうるさくってね。ま、大丈夫でしょ」
「そんな適当な………」
「いいのよ。それより、後はよろしくね。ちなみに、今日からは普通に生活していいわ………あんたの隣の部屋を用意させておくから」
「どうも……」
それだけ言って引き揚げる夕呼先生。
部屋に戻る旨を伊隅大尉に伝えた時にまた敬礼をして嫌な顔をしたが、それはいつも通りのことだ。
ともかく、後には純夏と霞が残った。
「―――鑑、よろしく頼むぞ。ええと………そうだな。まずは自己紹介からかな。中佐はいいとして……私が伊隅みちる大尉だ」
「はい、よろしくお願いします!」
オレもみんなの輪の中に入ると、お決まりの自己紹介の真っ最中だったようだ。
「じゃ、次は私ね。私は速瀬水月よ。で、こっちが涼宮遙。こいつが宗像美冴でその向こうが風間祷子」
口々によろしくと言い合いながら速瀬中尉が次々に紹介していく。
「それで、こいつが涼宮で―――」
「あ、同い年のメンバーは全員知ってます。私、武ちゃんの元の世界での記憶があるので」
「――――っ!」
純夏は何の気なしに元の世界での記憶があると言った。
だが、オレは焦った。
純夏の特殊性はみんなにも知られるべきでないのに、いきなりそんなことを。
純夏に記憶があるのであれば冥夜たちに記憶がないのが不自然になってしまうというのに。
「え? なんで? だって、鑑さんってこの世界の……」
案の定、涼宮がそこを疑問に思ったようだ。
オレはどう誤魔化そうかと頭を働かせる。
―――が、純夏は予めそれに対する答えを用意していたようだった。
なんのためらいもなく、すぐに応じる。
「うん、私はこの世界の鑑純夏だよ。でも、BETAの攻撃を受けた時に患った持病でしばらく昏睡状態になってたんだけど、その間に夢を見ていたんだ。たぶん、武ちゃんという因果導体の側に両方の世界の私がいたからかな。とにかく、向こうの世界での私と今の私はほぼ同じだよ。だから、みんなは同級生でよく知ってるんだ」
多分夕呼先生の受け売りだろうが、これならば疑問を挟む余地はない。
いや、疑問だらけなのだがそもそもがよくわからない現象なのだから疑問を持ってもどうしようもないというのが正確か。
みんなも少し考えてから、自分を納得させたようだ。
「………ともかく、これからはよろしく頼むぞ、鑑」
冥夜が手を差し出して握手を求める。
純夏は自然な動作でその手を取ろうとして、そして途中で手を止めた。
「? どうしたのだ?」
「えっとね……鑑じゃなくて純夏でいいよ。その代り、私も冥夜でいいかな?」
にっこりと笑って告げる。
そうだ、確かあの温泉で純夏と冥夜はそう約束していた。
「あ、ああ、それで良いぞ。それでは、よろしく頼むぞ――純夏」
「うんっ、こっちこそよろしくね、冥夜っ! ――――榊さんも、壬姫ちゃんも、彩峰さんも、柏木さんも、鎧衣君も涼宮さんもみんな、よろしくっ!」
次々に握手を繰り返す純夏。
最初の挨拶が敬礼でなくて握手なのは軍人としてどうなのだろうかと思うが、まあ、そこは純夏だ。
オレは深く考えないことにした。
みんなも少し戸惑いながら、それでも快く応じてくれている。
ほんとうにいい奴らだ。
「で、ね………」
一通り挨拶を終えて、落ち付いてから純夏は冥夜に向き直る。
その顔は悪戯っぽく笑って、何かを企んでいるようだった。
「む、なんだ?」
「私、絶ーッ対に冥夜にもみんなにも負けないからね! だって、私は武ちゃんと絶対運命で結ばれてるんだから!」
1人で勝手に大声で宣言をする純夏。
みんなはあっけにとられて口を開けたままになった。
何に負けないのかを言ってない―――が、それは明白。
オレは慌てて純夏の口を抑えるがもう遅い。
この後、どんな風にからかわれる――もしくはいじめられる――のだろうかと不安に思いながらそれでもオレは思う。
たとえその体が作り物でも純夏は、自由を手に入れた。
その第一歩として、オレにとってはとんでもないことをしてくれたが、その場所がここ、桜の木の前であることが相応しいことに思える。
さらに、この調子ならすぐに純夏とみんなと馴染めるだろう。
それが、何よりもたまらなくうれしかった。