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No.2448の一覧
[0] BETA戦争の裏側 社霞追悼号[千円](2007/12/26 00:49)
[1] BETA戦争の裏側 社霞追悼号2[千円](2008/02/18 12:07)
[2] BETA戦争の裏側 社霞追悼号3[千円](2008/03/06 06:44)
[3] おまけ[千円](2008/08/09 19:40)
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[2448] BETA戦争の裏側 社霞追悼号2
Name: 千円◆fc8b27c4 ID:837be116 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/02/18 12:07
第一章 因果律量子論――香月夕呼を中心にして――

* * *
 私は社霞を論じるにあたって、まず最初に因果律量子論を用いて社の世界性とでもいうべきものを俯瞰してみたいと思うが、そのため以下の引用部分に一先ず目を通していただきたい。これは、物語的にもよく感動できる部分であるが、それよりも白銀武が因果導体としての役目を終え、その存在がこの世界から解体されてゆく過程、すなわち白銀武という存在のもっとも本質的な基盤と、香月夕呼についての社霞の想いが赤裸々に綴られている部分であるので、じっくりとご覧いただきたい。

「桜花作戦を完遂した白銀さんは、因果の縛りから解放されてこの世界から消失しなければなりませんでした。そして、横浜基地の桜の木の下で、香月博士は、消え去ることを知らせるパラポジトロニウム光によって白く輝く白銀さんに向かって、
『あなたは確かにこの世界を救ったのよ』
 と言いました。白銀さんはこの世界に残れないことを悲しむように顔をゆがめたあと、微笑して言い返しました。
『じゃあ、救世主を生んだ先生は、聖母ってところですね』
 香月博士の隣で、私は白銀さんの声を聞いていました。とても悲しくて、とても苦しくて、白銀さんの顔を見ることができなくて、私は桜の花びらが散って風に消えていくのを、胸が引き絞られるような気持ちで見守っていました。

(中略)

 私がここで言いたいのは、この会話とその後の白銀さんの消滅が、事実であり真相であるということだけではありません。白銀さんは確かに私の大切な人です。でも、それだけではなくて、香月博士の提唱した因果律量子論が、私たちの世界認識を根本的に転換させるほどの偉業を成し遂げているということも、私は言いたいんです。私が言わないと、香月博士の戦いが、本当に無意味になってしまうと思ったからです。

 私たちは近代のデカルト以降、思考する我というコギトに少なくない価値を見出してきました。もちろん、最近の思想潮流では、BETA戦争を終えたことで、非人道的な軍事主義を反省する意味で、科学と理性の称揚は下火になっています。加えて、PTSDを治療する概念として精神分析は軍事運用されていましたが、そのフロイトの『無意識』という思想が、文学や美術、哲学等の人文的営為にも豊かに流用されはじめてきました。平和になったことで、国家に従ってきた人間が、ただの個人として解放されることを願って、マルクス主義が再燃しだした影響力も計り知れません……。
 私たち人間とその社会には、理性では感じることのできない無意識の『構造』が潜んでいるというこの仮説は、特に先進諸国の知識人たちにとって乗り越えられない壁になっていると思います……。そして、悲しいことですが、第一線の科学者でさえ、それは例外ではないのです……。

 なぜなら、理性が否定されるということは、真理が否定されるということに、簡単に繋がってしまうからです。マルクスは科学的唯物論の立場から『思考する哲学』の終焉を謳いましたが、思惟することで真理を求めるというプラトン以来の形而上学だけでなく、科学者も同様に、いつしか『神』の存在を忘れはじめてしまったように思えます。
 誰が『真理』を語ったとしても、それを語ることのできる理性は疑われてしまいます……。加えて、真理の科学的な検証も客観的には成り立たないと『されている』ため、真理なんて独り言に過ぎないと、誰もが当然のように考えています……。物理学における真理の客観的な説明は、『人間にとっての現象の秩序の説明』にすぎないとされ、絶対の真理という神の似姿を描いてきた科学者の数式は、相対的な真理という次元へと後退していきました……。

 ……こんな偉そうなことは言ってはいけないのかもしれませんが、でも私は、このことが少し、悲しいです。悲しくて、辛いです。
 …人間の頭の中でだけ存在する形而上学は、今を生きる私たちとは無縁のものとして認識されていることが、です。
 …中途半端な科学主義が、科学の限界を自らで規定してしまっていることが、です。
 …科学における神の追求という理想を、手放してしまったことが、です……。

 なぜなら、私は知っているんです。神を生んだ科学者が存在することを……。香月博士が、他の科学者では考えもしないことを考え抜いて、他の誰もができないことを必死にやり遂げて、神を生み、世界を救う救世主――キリスト教で言えばイエス・キリストです――白銀さんを、博士が、この世界に連れてきたことを……私は……私だけが知っているからです……。
 因果律量子論は、香月博士がこの世界を救うために、苦しんで神様を求めて、無理だと思えても絶対に諦めないで、死ぬ思いで打ち立てた、人間の理性の結晶である形而上学で、命を吹き込まれた科学であって、奇跡の数式なんです……。その数式は、香月博士が自分の命と一緒に葬ってしまったけど、確かに、私たちの目の前に、この現実の世界に、その答えはあったのです。

 それを、知ってほしい。皆に、知ってほしい。一人の科学者が、神の似姿を頭とペンだけで描き出して、私たちの世界を救う奇跡を成し遂げたこと、その過程の凄惨な人体実験で苦しんで、結局自分の罪を許せなくて自殺してしまった香月博士が、イエスを産んだ現実の聖母マリアであるということを、本当に知ってほしいんです。私たちは、香月博士に、命を救われたのだということを、私は、私たちは知らなくちゃいけないんです。

 香月博士は、確かに非人道的な狂気を抱えた科学者という一面もありました。でも、白銀さんにピストルを渡して、『許せないなら私を撃ちなさい』と言った博士、自分の罪に苦しんで、お酒を飲んでいた博士のことを知っている私は、胸を張ってこう言えます。
 戦火の中で生まれ育って、戦火の中で息絶えた香月博士は、一見、私たちの生活には何ももたらしませんでした。けど、人類の歴史上でもっとも優れた科学者の一人だった――と。
 コペルニクスの地動説やダーウィンの進化論、ニュートンの万有引力、アインシュタインの相対性理論など、科学の分野を超えて思想や哲学に影響を及ぼした理論に比べたら、香月博士の因果律量子論はぜんぜん無名で、数少ない有識者にはインチキだと思われてます。でも、私には、もっとも偉大で、もっとも人類に貢献した『聖母』として語り継がれることこそ相応しいと、香月博士の偉業を振り返って思うんです……」(『白銀武の存在とその世界』より)


 長々と見入ってしまうように引用したが、この後にも社霞の哀しい嘆願は留まることなく綴られていく。ともあれここで驚くのは、社霞が哲学や思想のおおまかな流れについて無関心ではないどころか、熱心でさえあることだが、そうした思想史の流れについては一先ず置いておくとして、留意すべきことは社霞が香月博士の正当な評価とその復権を望んでいるということだろう。当然ではあるが、このような世界的な思想史における転覆、認識論的転回をにおわす部分が、社霞の著書に無粋な科学のメスを入れさせ、「疑似科学」「妄想科学」等のレッテルを貼らせていることは疑いない。

 私はあくまで文筆の徒であって科学者ではないことから、社霞の言葉の真贋について確認することはできない。つまり、これら「妄想」や「擬似」といった過激なあおり文句に対して、細を穿つがごとき反論を述べることはできないだろう。だがそれでも、社霞の良き読者であろうとすることは私にも可能だろうし、また私の仕事は、そのような良き読者になりきるということではないかと思われるのである。すなわち、私はまず私固有の常識や偏見を捨象する努力をし、目の前にコップがあるというような事実さえ一先ず判断を保留し、ただ赤子のように社霞の言葉に真偽の判断を委ねてゆきたいのである。
 社霞は香月博士の理論のもと、ひとつの真理が白銀武の姿をかたどって目の前に構築され、消失していく現場を目の当たりにした。この社個人にとっての現実を重視し、社本人の代わりに読者諸氏をこの事実に沿うよう説得してゆきたいのである。もちろんこの作業が、社という人間存在へと近づく唯一の手段であることは、前述したとおりにお約束できる。

 ただ、その前にここで、「冷静」な科学者として社を非難する諸氏に向かって、ひとこと付け加えておくことを許されたい。それはすなわち、真理の無生産性、夢想性、虚偽性、自閉性を指摘することで、「真理の追求」を非難するかのような現状が、本当にどこにも存在せず、真理探究を是とする科学でさえもその片棒を担いでいるかのような現実の風潮が、本当にまったく覚えのないものであるか、ということである。そして、もし微かにでも覚えがあるとしたら、その風向きに疑問を覚えたことはないだろうか、ということである。
 経験は表白され、交流され、理論化される。それ以外の方法では、どんな理論の深化もありえないだろう。たとえ一方通行であったとしても、それは決して変わらない事実である。だからこそ、沈黙を保つ人々、風刺するだけで何も構築しようとしない人々に向かって、あえて社は訴えたのではないか。かつて真理を諦めることなく、「独自の認識論」で「神」を構築し続けた香月博士の姿が、美しい万華鏡の幻の花のように、ただの夢幻として散ってはならないと、あえてその今わの際で訴えたのではないのか……。

 社霞の言説を否であると、ないものはどこにもないと、嬉々として声高に宣言するだけで、あることを証明しようとしない科学者たちの、そのような態度をこそ社は嘆いたのではないか。社霞の言葉を聞き流し、周りを気にして画一的な日和見主義の姿勢を貫くばかりでなく、科学の智恵を否ではなく肯うために、おのおの、かけがえのない其の志を言うべきではないのか。そのようにしたら、「そうなるかもしれない」と解っていることが、一つでもあるのなら、科学者はそれを言うべきではないのか! ……。
 アカデミズムの権威に屈しがちな科学者だけの問題ではない。世間という素朴な社会も、同じく、いやそれ以上に常識的な認識論が根強い。いまや私たちの孫となる世代では、理性の失墜した世界、真理など存在しないという世界で産まれ育ったため、そのことを当然のように肌と空気で理解している。あるいは「誤解」している。

 確かに「神」が存在していれば、そもそもBETAによる人類の殺戮など起きないという素朴な考えは、反証しがたい。また仮に殺戮が起きたとしても、神が存在すれば助けてくれてもいいはずであるが、それもなかった。二度にわたる世界大戦に加えて、BETAによる終末的なカタストロフィーを経験した人類にとっては、神は死後の彼岸よりもっと遠いはるか彼方の存在となっている。
 だが、社は何も神が現実に存在するといっているわけではないのだ。むしろ、われわれに向かってこのように励ましの言葉を送っている。

「実際にBETAを滅ぼしたのは人類であり、神ではないということです」(『社霞インタビュー集』より)

 われわれの英知(理性)が神に限りなく接近していること、真理を追い続けることが徒労ではないことを、社は躊躇うことなく宣言していると言えるであろう。この言葉は、実際に人類の英雄として苦しみ、最前線で戦い続けた社だからこそ、無限の説得力を有しており、われわれ人類の胸に希望の灯りをともし続けてくれる。そして、ほかでもない、香月夕呼の因果律量子論こそ、神とBETAに向かって人類の英知が突きつけた、輝かしい、そして、血濡れの矛先であると社は言うのである。

* * *

 私は上述した内容全てを踏まえたうえで、あえてこのように言いたい。因果律量子論は真実であったと。少なくとも、真実のひとつではあるに違いないと。無論、いくぶん感傷的な単語を並べて記述する癖のある筆者であるから、読者諸氏にはドラマチック(あるいはフィクショナル)な作り話のような印象を与えたかもしれない。だが、それに関しては、社霞という人間とその心理をこの場で再構築していくという目的に免じて、ご容赦願いたい。

 そこで一先ずわれわれは、社霞にとって「真理」である香月夕呼の理論の中核部分を整理してみることから出発したい。拙著では理論的問題よりも人間存在に目を配ると序論で述べたのだが、少し寄り道をして香月博士の理論の「偉大さ」ないしは「革新性」を知ることは、おそらく社霞の心を追っていくうえで無駄にはなるまい。
 それどころか、社霞の叙述の大部分に登場してくる「白銀武」という存在の特異性を知るには、まずは因果律量子論を念頭に置かねばならないのである。社霞にとって最も親しい存在であった香月博士と白銀武。この二人の骨格を因果律量子論を通じておおまかに掴むことで、社霞の社会――神に限りなく近接した世界を概観したい。


 因果律量子論の骨格は、噛み砕いて列挙すれば以下のようになる。

1、「因果」とは、「光」のような物質であり、量子である。
2、ちなみに「量子」とは、「波動性」と「粒子性」を同時に持った物質の最小単位を意味する。
3、すなわち、世界の「因果」はすでに決定されている。なぜなら光が存在するのと同じように、「因果」も物質として世界に漂っているからである。

この考えがいかに革新的であるかは、説明するまでもないだろう。すなわち、

4、因果律量子論は決定論の再来。

ということである。神が人間によって殺され、人間の理性も「無意識」の登場で危機に瀕している現実からすると、これはコペルニクス的逆転回と言わざるを得ない認識論の大革命と言えよう。いやそれどころか、因果律量子論の正しさを証明できれば、この発見が人類の長い歴史における、もっとも重要な転換点のひとつになることは考えるまでもない。それほど大胆な仮説であり、魅惑に溢れた認識論なのである。

 社は香月夕呼を評価するにあたって、誰もが知っているコペルニクスとダーウィンを引っ張り出して、香月夕呼の業績は彼ら以上であると述べたのだが、その評価がどれほど的確であるかは吟味の余地があるにしても、香月夕呼がコペルニクスやダーウィンを過去の遺物として置き去りにし、ある種の超越を果たしたことは確かであろう。
 改めて言うまでもなく、コペルニクスの地動説は、地球が神聖なる宇宙の中心地であることを否定し、神と悪魔が矛を交し合う聖なる場所ではなく、むしろ地球は単純な一惑星に過ぎないとわれわれの認識を転回させた。そして、ダーウィンの進化論も同じく人間のナルシシズムに大打撃を与え、神が人間を作ったのではなく、単純にサルが適者生存によって進化した姿が人間であると、神の存在ないしは介入を否定したのである。

 これらの偉大な業績は、現に私たちがその理論を「当たり前」のものとして受け入れ、地球や人間をそのようなものとして当然に認識していることからもうかがえよう。そして、この彼らの業績に真っ向から立ち向かって我々の認識をさらに進化ないし転回させようというのが、香月夕呼の因果律量子論なのである。
 すなわち、人間はサルが突然変異的に進化した姿ではなく、あくまで人間になるべくして人間になったのであり、地球は偶然の産物として生命を宿す惑星になったのではなく、生命を宿されるためになるべくして地球になり、……BETA戦争はBETA戦争になるべくしてBETA戦争になったのだ、と。

 ……あらゆる「因果」はすでに決定されているということを数式を用いて(社曰く)証明したこと。「因果」という幻想的な不可知のベールを剥ぎ取って、因果が我々の手元に届く物質に過ぎないことに気づいたこと。原因があり結果があるというのではなく、すでに原因も結果も決定されているということ。すなわち我々の行く末は完全に何者かの意思のようなもので「運命」づけられているということ。これらを赤裸々に暴露したのが、香月夕呼の「偉大な」業績なのである。

 科学によって神の介入が否定された近代であったが、我々はその科学によって、おそれおおくも神の存在と再び相対したのである。そして相対した輝かしい神の正体に、気づかされるのである。神とは他ならぬ人間であった、と。なぜなら、物質である「因果」を、光を生み出すサーチライトのように、人間の手で自由に生産し、自由に消し去ることができれば、それは世界の創造に等しい御業であるからだ。そして、因果が物質である限りにおいて、それは決して不可能な絵空事ではすまないのである。

 ここまで辿ってくれば、この大胆な仮説を建設した香月夕呼の苦悩、なすべき仕事の大きさに、私たちは身震いするかのように気づくことができるだろう。そう、賢明な読者のことであるからすでにお気づきとは思うが、人類が生き残るには、「BETAに勝利する」という因果をこの世界において強固に物質化し、「BETAに敗北する」という因果を打ち消さなければならないのだ。あたかも太陽光線が幽かなペンライトの光を打ち消すかのように。
 そして、もし仮に、因果律量子論がこの世の真理であるのならば、「BETAに勝利する」因果を生成するという根本的な方法をもってしか、人類は「確実に」「必然的に」勝利できないのである。なぜなら因果はすでにほとんど決定され、運命づけられ、ぽっかりと大きな捕食者の口を開けて我々を待ち構えているからである。すなわち、因果律量子論の唯一の専門家である香月夕呼をもってしか、――彼女の主導するオルタネイティブ4をもってしか、われわれ人類は勝利できないのである。

5、人類に都合のいい因果を自らの手で生成することが、因果律量子論の最大のテーマ。

 このような世界のカラクリに気づき、その重責を一身に背負って闘争した香月夕呼の戦いと苦悩の日々は、社霞の言うように、まったく計り知れないものである。この一事をもってでさえ、香月夕呼の「偉大さ」は疑いの余地なく、われわれ人類の胸に刻みこまねばなるまい。

 このようにして、因果が物質であることを突きとめた香月夕呼は、因果の生成を目標に据えて研究するうち、因果が光と同じ流動性をもつことに着目し、仮説を立てた。因果はすでに決定されている。だが、なぜ「決定」されているのか。どうやって「決定」の判断をくだされるのか。その因果は、どこからやってきて、それ以外の「ありえたかもしれない因果」は、どこへ消えたのか? もしかすると、因果はどこからともなくこの世界に流入してきて、どこへともなく流出しているのではないか、と。光の例えから始まった因果律量子論の骨子は、またひとつ深みをまして、「移動性」と「重さ」の概念をただちに形成していく。

6、因果には、軽いものと重いものがある。
7、軽い因果は日常次元の因果のことで、流されやすいためにどこかへ流出しやすく、「運命」にはならない。
8、重い因果は歴史的次元の因果のことで、流されにくいため「運命」として形成される。
9、すなわち、歴史的な大惨事ほど運命になりやすい。
10、問題になるのは、「BETAに敗北する」因果は「BETAに勝利する」因果より重いのか軽いのか、である。
11、「BETAに敗北する」因果がもし「BETAに勝利する」因果より重いのであれば、やはり結論として、人為的に「BETAに勝利する」因果を生成してその因果を補強する必要がある。

 香月夕呼の天才は恐れを知ることなく、更なる未知の荒野を切り拓いていく。――では、因果はいったい「どこ」へ流れていくのか? 「どこ」から流れ込んでくるのか? その正体を探り出そうとする。そしてついに、香月夕呼は前人未到の別次元を自らの眼前に捉えたのである。

12、因果は、われわれの「現に在るこの世界」と、無限に存在する「ありえたかもしれない別の可能性の世界」との間を行き来している。

 多世界解釈!! 多世界からの因果流入が、現実の我々の世界を規定している! もしこれが本当であるとしたら、もはや人は時空をさえ超える可能性が出てきたということである。この恐るべき仮説を支える数式については、門外漢である私でさえ興味関心を抑えきれないのだが、とにかく香月夕呼は、これを理論上証明することに成功したのである。もし事実であれば、社霞をして「聖母」と言わしめるに足る業績であることは、何度繰り返しても言葉が足りないだろう。もはや香月夕呼の聖母性をもってしたら、処女受胎の神秘でさえ色あせて見える。なぜなら、因果律量子論でいえば、マリアの処女受胎も不可能ではないどころか、実証可能な自然現象であるからだ。あらゆる神話や神秘は、香月夕呼の因果律量子論によって新たな解釈を迫られることになるだろう。

 ところで香月夕呼は、多世界解釈の理論的構築の作業に並行して、因果という物質をゼロから生成することにも奮戦したが、あまりの難航にこれを断念。したがって、理論的には成立する因果の多世界的移動を利用して、因果をゼロから生成するのではなく、他所から引っ張ってくる方向に自らの研究指針を固めることになる。

13、因果をゼロから生成するのが不可能であるなら、この因果の移動性を利用して、「別の可能性の世界」からこの世界へと因果を導けばよい。
14、因果を導くことのできる機能体を、「因果導体」と呼称し、因果導体の特定とその分析を急ぎ進める必要がある。

 ……。
 だが、さすがの香月博士も、ここで打ち止めであった。因果導体の理論構築に限界が生じたらしく、「私じゃ、聖母になれないの……?」と一度だけ、社に向かってつぶやくことになる。社は後にそのことを振り返って、何も言えなかった自分を恥じていたが、社だけではなく誰がその場に居ても、香月夕呼の研究に助言など出来はしないのだから、変わらなかっただろう。
 ともあれ自らの「限界」を香月夕呼は明晰に理解していた。なぜなら、因果律量子論でいえば、まずこの世界に「香月夕呼が因果導体の理論を完成させる」という因果がなければ、そもそも理論の完成が成立しえないからだ。誰かが別世界の「因果」を運び込んでくれない限り……である(もちろん、後にこの因果を運んでくる救世主となるのが、白銀武である)。だが、その因果を運び込める存在を、香月博士はついに造りえなかったのである。因果律量子論の産みの親であり、また育ての親でもある香月博士は、おそらくこのような「厳しい決定論的な現実」を誰よりも痛烈に理解していたため、嘆かずにはいられなかったのだろう。

 因果律量子論はこのようにしてあと半歩で完成のところで行き詰まり、放置され、香月夕呼は代替案として人工脳の再現に取り掛かることになる。社霞が「因果律量子論は誰にも立証できない」と宣言するのは、以上のような理由があるからだ。そう、すなわち、理論のもっとも核心部分である因果導体の証明は、香月夕呼をもってしても不可能であったため、他のいかなる人物でもそれは不可能だという素朴な信仰にも似た想いが、社のなかで根強かったのであろう。
 それは言い換えると、別世界の因果で構成された「白銀武」という奇跡としか言いようのない存在、まさしく天然の「因果導体」が存在したことを理解し、目の前に白銀武を見てきた者以外、因果律量子論は空想の産物に過ぎないということにもなる……。社霞の言葉を信じるか、否か、私たち凡人にはそれしか出来ないのである。

 また、香月夕呼がいつ因果律量子論を放棄したのかは分からないが、2001年10月22日という人類にとって歴史上最大の奇跡の日が訪れるまで、その理論が完全に闇に葬られていたわけではなかった。周知のとおり、A-01部隊の構成員は、「生まれつきラッキー」な人間から選別されているからだ。迷信深いと思われるような判断基準であるが、よりよい「因果」を生得的に担っており、もしかしたら更によりよい「因果」を別世界から引き寄せる可能性のある人員として、彼ら彼女らは祈りをこめて香月夕呼の手で選抜されたのである。この祈願を、香月夕呼の苦悩を知る者であれば、誰もあざ笑うことはできない。いやいかなる嘲笑も許されないのである。

 因果律量子論をファンタジーとして斬って捨てる科学者たちも含めて、オルタネイティブ4の指導者として評価され、実績を残した香月夕呼を少しでも知ってもらおうとする社霞の願いを、その切実な心をいかなる人間であろうと蔑視することは許されないだろう。
 しかし彼女たちの粉骨砕身とその想いを知ってそれでもなお、科学の最前線でくつろいでいる権威的な人間たちが、馴れ合いに終始し、因果律量子論の再実証に苦心することなく、ただ申し合わせて宗教裁判を開くかのように、香月夕呼の理論とそれに対する社霞の証言を、「物語」として怠慢な判決をくだしたとしても、決して何も変わりはしないのだ。

 宗教裁判で異端として裁かれたガリレオが、「それでも地球は回っている」と魂の底から宣言したように、人類最高の頭脳として世界を主導した香月夕呼もまた、裁判官ではなく傍聴席に座している我々人類にこそ向かって、明瞭に宣言しているのかもしれない。

「それでも因果は決まっている」
 

* * *

 私たちは、因果律量子論を真実として受け止める社霞に倣って、その類まれな革新性とその骨子を見直してきた。ここからさらに私が華美な装飾を施す必要もなく、すでに読者諸氏の眼前には、香月夕呼と白銀武という人物が鮮やかに浮かび上がっているのではないだろうか。
 社霞にとって、香月博士はかくも賢明で偉大な科学者であり、原罪を一身に背負った聖母に他ならなかった。白銀武は社霞にとって、紛れもなく世界を救った救世主であり、世界を救うために全てを投げ打った、哀しいキリストの顕現でさえあった。

 のちに社霞の叙述から明らかになるように、因果導体としての「白銀武」をこの世に導いたのが、「鑑純夏」という少女であったことはこの章に付記されてしかるべきことだろう。だから、「香月博士が白銀たけるを連れてきた」という社霞の言葉は、矛盾することになる。だが、その言葉にひとつの真実が内包されていることも確かだろう。それはすなわち、因果律量子論を産み出した香月夕呼でなければ、「白銀武」という存在を見出すことは不可能であったという一事についでである。

 もっとも根本的な土台で、世界の過酷な「運命」に逆らい、よりよい因果を引き寄せ闘争した人物を思い浮かべるとき、私たちがまず真っ先に挙げるべき人間は、聖母の名を冠するに相応しい業績を残しながらも、懺悔するかのように孤独な自死を遂げた、香月夕呼その人なのではないだろうか。自らの因果律量子論なくして世界は救われなかったと認識しながら、なお人としての倫理観を捨てず、自らの命を自らの手で断った不遇の人生を、果たして私たちは狂気と揶揄すべきかどうか。そして、社霞が香月夕呼の復権と再評価を望むその姿勢は、的外れな小児的願望と言えるのかどうか、おのおのの切実なる再考が、まさしく今『白銀武の存在とその世界』を前にして望まれていると言えよう。





あとがき
皆さんの暖かいコメントに励まされ、遅くなりましたが第二話を投稿します。個別にコメント返信する余裕がありませんので、時間が出来ましたら個別返信したいと思いますが、とにかくこの場を借りて感謝の思いを伝えたいです。ありがとうございました!

それにしても、今回のSSはちょっとやり過ぎた感があって、退屈すぎかも……すみません! 因果律量子論はパソゲー史に残る偉大な業績だって思ったので、つい力をいれてしまいました……。少しでも僕の「うわー因果律量子論ってスゴい!」という気持ちが伝わればと思います。

それにしても、
「白銀武という男が、香月副指令に面会を求めています」
と守衛さんから連絡を受けたときの、夕呼先生の衝撃、まさか多世界から…?という夢のような推測は、本当にメチャクチャ凄かったんだろうなって思います。まさに狂喜乱舞、動転驚地、宝くじが当たったときのような心境だったのかなぁ、と空想してしまいます。
もちろん夕呼先生はそんなこと顔には出さず、「あんたが諜報員だってほうが信憑性があるわ」とポーカーフェイスで拳銃を突きつけるんだから、その覚悟の大きさには心服です。
……ひょっとしたら、武が退出したあと、影で、「サイコーよ!」と霞に抱きついてチューしてたりするのかも、なーんて。そういうことを本文で書け! と思うんですが、ちょっと流れをどうするか難しくて書けなかったので、次回以降にその課題は持ち込みたいです。

それはともかくとして、それでは、また過分にも反響がありましたら続きを書きたいと思いますので、それまでさようならです!


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