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No.2448の一覧
[0] BETA戦争の裏側 社霞追悼号[千円](2007/12/26 00:49)
[1] BETA戦争の裏側 社霞追悼号2[千円](2008/02/18 12:07)
[2] BETA戦争の裏側 社霞追悼号3[千円](2008/03/06 06:44)
[3] おまけ[千円](2008/08/09 19:40)
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[2448] BETA戦争の裏側 社霞追悼号
Name: 千円◆fc8b27c4 ID:837be116 次を表示する
Date: 2007/12/26 00:49
『BETA戦争の裏側 社霞追悼号』
 著者:社霞の知人



粗筋 
 社霞は逝去する間際に、『オルタネイティブ4 白銀武の存在とその世界』を執筆し、密やかに自費出版した。これはBETA戦後50年が経った今、社霞が最後の生き証人として語った衝撃の真実を記載した著作であった。
 この書籍はすぐに自費出版の枠を超えて増刷され大々的に注目を集めることになるが、それは二つの側面をもっていた。
 因果律量子論はすでに香月夕呼によって自己の命もろとも葬られていたため、その存在は世間に知られていたが、空想性の強い理論でほとんど哲学の領域であったことからも、世間からはトンデモ話として認知されていた。この因果律量子論に関する可能性という理論的興味がまず一つである。
 次に、白銀武という存在がBETA戦争の舞台裏で奇跡を起こしていたのだという、史実と照合する意味での歴史的興味である。社霞はこちらを重視していたことからも、内容としてはほとんどドラマチックな悲恋物語として大衆受けし、映画化も決定しているとの話である。
 とにかく色々と世間を騒がせたこの著作を、社霞と知り合いであった人物が読み、この著作を主軸に据えながら社霞という人間存在を明らかにしていこうと試みた。


はじめに
 『オルタネイティブ4 白銀武の存在とその世界』という幾分専門的で、かつ多分に感傷的でもある著書が社霞によって上梓されたのは、おそらく彼女を知るほとんどの者にとって意外なことであったろう。事実、このことは私にとっても青天の霹靂であり、寝耳に水という有り様であった。

 最初、社霞本人が、オルタネイティブの真実を後世に伝えるために自費出版したという噂を友人づてに聞いたときなどは、まず自分の耳を疑ってしまった。そして、その出会いがしらの衝撃と混乱から立ち直ったあとには、新種のBETAが人間であるという話と同じくらい、社霞が筆を執ることはありえないと、私はその友人に講釈を垂れてしまったくらいだ。後になってどうやら自費出版自体は本当らしいと気づいてからも、私は、どうせまた社霞という名前を利用するやからが現れたのであろうと理性的に決着して、その本に見向きもしなかった。社霞はそれだけ私的な情念や欲求とは無縁な、出家した僧侶のように希薄な存在であり、戦時下を生きた人間である私には聖女そのものであったのである。

 しかしやがて、世間がその著書に賑わいはじめ、BETA戦争の裏側が真実らしく語られ始めたとき、私も遅ればせながら目を通してみた。そこで初めて、社が実は世俗で生きて、人を愛し憎み、そして死ぬ人間であったことを悟ったのだ。もちろん、彼女の言葉が本当であるかどうかは甲論乙駁であるが、少なくとも、社霞という人物は数多の勲章に相応しい超越的な存在でも何でもないことは、彼女自身の勇気ある告白によって明らかにされたことであろう。彼女のその重すぎる苦悩が、彼女自身から生来の表情を失わせていたという、何でもない人間的な営みの連続が、社霞という存在の真実であり正体だったのである。

 私は彼女の著書を精読したあと、どうしてよいか暫く分からなかった。それはこの著書に対して、単純に文学的な側面から接するべきか、それとも客観的な史料的側面から眺めうる説得性があるか、過去の断片的事実とそれが照合できるか否かと、誰もが悩むだろうことを悩んだからではない。ただ自分は人間として、彼女のそうした苦しみに何も気づけてやれなかったと、遠い過去の彼女から、あたかも問責される気分であったのだ。自分の不甲斐なさが憎くてどうしようもなく、ただ酒を煽り眠って、そして目が覚めたとき不意に、私は寝床のうえで耐え切れず嗚咽することになった。

 社霞の存在が、オルタネイティブ計画と全人類の英知が導き出した成果そのものであることは、BETA戦後、数多くの勲章授与と、戦時下体制の漸進的解体とともに明らかにされてきた。BETAを交渉の場から処置しようとしたオルタネイティブ計画の驚くべき根本理念、そこから派生したリーディング能力、プロジェクション能力等々の科学と神秘の集大成が、社霞であるということは今更言うまでもない。そしてその働きがどれほど人類の対BETA戦略に貢献したものであったかは、その研究の犠牲者たちの膨大な怨念を知りながらなお、またBETA戦後五十年を経た今もなお疑い得ないものであろう。

 泰平の世の安楽椅子的な視点から、戦乱における研究の人道・非人道を論じることの正当性はさておき、名実ともに人類の救世主として当時信奉された社霞は、その知名度とは裏腹に、人類勝利に狂喜するあらゆる国のあらゆる立場の人間にも自らの胸襟を開こうとしなかった。これは『オルタネイティブ4 白銀武の存在とその世界』が上梓されるまでの彼女の一貫した姿勢であり、彼女の闇の深さをも暗示していたのであろう。

 BETA戦争終結から五十年、社霞はその死の間際に、自らの溜めに溜めたすべての想いを血のように吐き出し、涙のように綴ったのであるが、この血涙を理解しそれに感応できる者が、文学者や評論家たちの間で、残念ながら数少ないように感ずる。真実の所在を明らかにする文献として社霞の著書を通俗的に弄くるだけで、彼女の真意がどこにあるかを探り、歴史的なものではなく個人的なものとして、時代的なものでなく今に続くものとして、それを継承しようという意志がまるで感じられない。これが、私の不満でありこの雑文を執筆するに至った経緯である。

 BETA戦争を体験していない若者たちには、社霞の拙い文体と断章的なその脈略からは、確かにその悲劇をあまり理解できないだろう。また戦時において安全な場で政争や研究に明け暮れた識者たちは、自らの痛烈な負い目から口を閉ざすことだろう。だがあまりにもそれでは浮かばれない。社霞は何を想ってこの著書を残したのか。これが解明されるべき対象であり全てなのである。BETA戦争における真実の英雄と社霞をしていわしめる、白銀武という衛士が真実存在したかどうかに白熱するのではなく、白銀武に対する社霞の心情と悲哀を詳らかにして、彼女の苦しみを人間一般の苦悩として捉えなおす作業が、残された我々の唯一の祈祷である。

 社霞の安らかなる冥福を祈り、その死を追悼する意味で、私は彼女の唯一の著書を中心に彼女の人生とその意味を明らかにしたいのだが、それには、彼女への共感がまずなければならないと考えている。その意味で、私のこの文章は史料的な側面を逸脱して盲目的になるであろうし、BETA戦争終結とともに自殺した香月夕呼の因果律量子論の真偽よりも、香月夕呼と社霞の関係とその心情のほうに重きを置くであろうが、そうすることで、少しでも社霞という人間像に肉薄したいと考えている。

 今、確かにあの戦争は風化しつつある。戦後の希望と躍動感はついに飽和しきり、代りに幸福なる倦怠感とモラルの荒廃が社会に灰のように根付いている。かつて在った日本帝国はアメリカナイズされ、身近にあった大儀や武士道という言葉さえ死語になりかけている。だが、今の平和は、かつて人類が絶滅の危機を迎え、絶望のどん底を味わいながらも、諦めず足掻いていたことの証明に他ならない。絶望の底で人は、今われわれの目の前に存在する<平和>に飢え、それを目指し、叶わぬ夢想かもしれないと思い惑ったことを、平和を享受する私たちは一時も忘れてはならないのだ。絶望的な戦況の更なる悪化にともなって、私の世代ではどうも無理そうだと感じたとき、それではわが子の世代にはと決意し、それも無理そうだと感じたとき、人はそれなら子の子の時代のために平和を築こうと微笑して死んでいった、この事実を今一度問わねばならないのである。

 たとえば、12・6事件も今では過去の歴史的な事件として片付けられ、狭霧大尉率いる決死隊は 不合理で無責任な誤りを犯したとされるのが一般的である。だがそれは今だから言えることであり、将軍の人間化がすすんだ今の日本人だから感じることなのである。私たちは当時、彼らの決死と捨身の挺身に、日本はこれで息を吹き返すだろう、大丈夫だろうと涙した。この涙を否定することは、今しかない現実の否定に他ならず、そして現実を否定することは、およそ誰にもできないことではなかろうか。自らを犠牲にして人類皆が大儀を果たそうとしているなか、米国の利己的政治的な態度は許せたものではなく、日本人の自己滅却と武士道精神こそ地球のため、全人類の勝利のためになくてはならない宝物庫であると、私は信じていたのである。

 昔、人は地獄を見ていた。「地獄のような現実」という比喩さえ生ぬるく、眼前に広がる光景は、まさしく「現実のような地獄」であった。どこに居ても大気は硝煙の匂いを漂わせており、少し目を落とせば、あちこちに血痕と弾痕が並んでいた。街は廃墟となり、貨幣の価値はないに等しかった。友人は徴兵されて死に、親の顔も忘れるほどで、街の地下鉄には浮浪児がダンボールを蒲団に寝ており、電車の座席でたまに虱だらけの子供や老人が、痩せ細り眠ったように死んでいた。私たちはその異常を日常として捉え、次は自分の番だとおぼろげながらに理解していた。

 人は死に麻痺しており、死を常時身近に感じ、大儀を固く信じてそれを支えにしていた。征夷大将軍のために死ぬのは当たり前で、むしろ死んではじめて殉死した兵隊たちに顔向けできて、誇らしい日本人になれると信じられていた。教師は無垢な子供たちに、「衛士になって御国のために果てる覚悟があるか」と問いかけ、子供たちは一斉に「はい」と元気よく頷き、頷かないことはありえないことだった。……。

 社霞は私たち旧世代の人間の、亡霊である。人類のためにまず自己を殺し、大儀のためと次に他人を殺し、地球のためにとG弾を落としてしまった人間たちの、血塗れの産声である。

 真実を胸に秘めたまま自決した香月夕呼。
 オルタネイティブを成功に導き、そして消え去った白銀武。
 人類のために全てを犠牲にし、勝利とともに息絶えた鑑純夏。
 そして、オルタネイティブ4直属部隊であるA-01の面々。

 社霞はその冒頭で、こう断っている。「これは限りなく真実に近いおとぎ話で、限りなくおとぎ話に近い真実です。このおとぎ話が真実であることは私にも、そして他の誰にも証明できません。その理論を提唱した香月夕呼先生が亡くなってから、空想の産物と化してしまった因果律量子論による多重的世界解釈は、今後も誰にも実証できないでしょう。でも、真実の絶望のなかでも、真実の愛を忘れないで、真実の勇気に自分を奮い立たせることができたとき、世界は確かに応えてくれたのです。BETA戦争における人類勝利は、奇跡以外の何者でもありません。それを知るのは、もう私だけです。人間の意志が、奇跡を呼び起こしたことを、知る人は誰も居ないのです。(中略)私は白銀武さんについて、語ろうと思います。彼がこの世界で生きて、苦しんで、絶望して、それを乗り越えていった姿、そして誰の記憶にも残らず消えてしまった悲しみを、語りたいと思います。彼を知る人は、私しか居ません。真実を胸に秘めたまま葬ってしまうことも、考えました。ですが、それではあまりにも悲しすぎます。彼は教えてくれました。『衛士は戦友の死を、誇らしく見送って、誇らしく語ってやるんだ』と。だから私も彼との思い出をつづりたいと思います。彼がくれた思い出を、彼がはじめてくれた大切な思い出を。彼がいかに誇り高く闘い、消えていったかを……」


 社霞は従来、メディア越しのインタビューには型どおりの言葉を返し、国連極東支部の広告塔としての活動にも従順であったが、それも脚本どおりのものでしかなかった。私などもその活動を通じて何度か実際に言葉を交わす機会を得たのだが、その表情は機械のごとく無機質そのものだった。彼女の功績に比して、彼女の内面は明らかにされず、いやむしろ、彼女の内面が鋼鉄であるからこそ生じた輝かしい功績であろうと、世間と同じく私の中でも、彼女の存在は更なる神秘と英雄の場所まで飛躍していったのである。もちろん、それは私の人間としての観察力の欠如のほか、何者をも証明しないのであるが。

 社霞は、その著書を読み終わった今からすると、英雄と神秘からもっとも程遠い、とんでもなく憂鬱な人間であったことが理解できる。確かに彼女と話していると、社霞の憂愁の念が、こちら側にも感染するかのように、お互いを無口にさせ、ひどく疲れさせてはいた。先入観のある人間には、それが偉人特有の威厳となって映るのだが、思い返すと、確かに繊細な心に翻弄され傷つけられた、憂鬱にならざるをえない女性であったのだ。

 なぜ憂鬱、憂鬱と繰り返すかというと、一度、こんなことがあったからだ。
 BETA戦争を題材にした小説を私が執筆することになって、話し合いがてら社との酒の場を得たことがあった。酒の入った私は調子に乗って、決して明らかにされないだろう国連内部における研究の「真実」や、その研究対象としての社霞の「私情」を、何とか聞き出そうとした。だが社は酒をちびちびとうつむきがちに飲むだけで、私のほうを見ようともしない。私は彼女の付添いである人間と、仕方なく激烈に議論しつづけたが、ふと我慢の限界にきて、

「社さんは、本当に無口ですなぁ。何を考えてるんです?」

 と言った。すると社さんは、恥ずかしそうに顔をあげ、唇をつきだすように微笑しながら、

「憂鬱なんです。嫌になるくらい、憂鬱なんです。あがー」

 と悪戯っ子のように呟いて、そしてまた黙って酒をちびちびしていた。社は不思議な人間であった。人懐っこい顔をして笑うのだが、その次の瞬間には俯いてしまい、しかも俯いたあと「あがー」と呻き、悲しそうに微笑しつづけるのである。それは何か、自分だけの空想の世界に浸っている微笑のようでもあった。

 この憂鬱の正体が、白銀武という存在とそれを明らかにした著作の冒頭で見えてくるのであるが、彼女はいつも空想的に彼と彼らの魂について思いを馳せていたのだろう。

 何はともあれ私は書かねばならないという思いでいる。私もあの時代を生きた独りの人間として、数少ない社霞との思い出を誇らしく綴らせていただきたい。そのとき社霞が何を語り、何を思い、何を苦しんでいたのか、その著書と照合しながら伝えたい。

それがどこまでいっても「あいとゆうきのおとぎばなし」に過ぎないものだとしても。



あとがき
戦後を何となく書こうと思いたちました。順次投稿したいです。社霞がどう生きて、どう死んだかをこのよく分からない人の視点から。それにしてもすっごく退屈になることは確か!


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