『神は、その人が耐えることのできない試練を与えない(コリント人への手紙)』―――南米諸国に広がる、G弾でのハイヴ先制攻撃論に対し。 2000年2月、ローマ教皇談話。
『人はたとえ全世界を手に入れても、真の魂を損じたら何の得があるだろうか。 その魂を買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいのだろうか(マタイによる福音書)』
―――オルタネイティヴ第5計画に対し、枢機卿会議上にてローマ教皇。 2001年1月
2001年11月11日 1900(日本時間11月12日0700) 南米 旧ブラジル・パラグアイ国境地帯 旧パラグアイ、アルト・パラナ県
現『ローマ教皇庁領パラナ』 シウダー・デル・エステ、デル・エステ大聖堂(司教座聖堂:カテドラル)
1985年のBETA侵攻による西ドイツ・フランス陥落に端を発する教皇庁の『遷都』は、ポルトガルのリスボン(1985年)、英国・ロンドン(1986年)を経て、遂に『新大陸』に至る。
新大陸(北米)に移った当初、教皇庁はその座をニューヨークのセント・パトリック大聖堂に置いた。 この大聖堂はニューヨーク大司教区の、大司教座聖堂だったからだ。
しかし、余りにも強烈な『宗教権威』に、米国内の主流派であるプロテスタント各宗派、そして有力信者たる、白人上中流層が大反発する。 彼等はかつての清教徒の末裔だった。
何故ならば、カトリック信者は米国内白人各民族に中の少数派であり、信者の多くはラテン・アメリカ系の人々が主流を占めていたからだ。 米国内の下層に住まう人々である。
高まりつつある宗教対立に憂慮を示した『ローマ』教皇(と、教皇庁)は、北部から南部・ニューオーリンズのセント・ルイス大聖堂に移る。
ここはアメリカ合衆国のカトリック司教座聖堂としては、最古の司教座聖堂としての歴史を有し(1718年)、周囲にはカトリック信者も多かった。 1990年の事である。
しかし今度は、『宗教版南北対立』に発達する恐れさえ出て来た。 合衆国政府はこれを憂い、密かに教皇庁国務省外務局と接触する。
合衆国国務省は更に、南米諸国へ極秘裏の交渉を開始した。 『ローマ教皇庁の南米遷都』である。 南米大陸は、世界最大のカトリック信者達の『神の王国』だった。
そして、その後のブラジルとアルゼンチンの(一色触発寸前の)対立回避や、ABC三国合意(アルゼンチン、ブラジル、チリ)、パラグアイへのブラジルの内政干渉阻止など。
様々な紆余曲折を経て、当時南米諸国の中で最も有力な2カ国と、その間に挟まれたハートランド的な1カ国、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイとの間の秘密協定が結ばれる。
世界はその結果しか知らない、すなわち『ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ3カ国租借条約』である。 1992年8月に締結された。
これにより教皇庁は、この3カ国の国境線が入り混じるイグアス川、パラナ川で、お互いに対岸同士で隣接する3つの小都市を(その市域を含め)100年間租借された。
すなわちブラジル・パラナ州のフォス・ド・イグアス。 アルゼンチン・ミシオネス州のプエルト・イグアス。 パラグアイ・アルト・パラナ県のシウダー・デル・エステである。
教皇庁は旧ブラジルのフォス・ド・イグアスに『ヴァチカン』を置き、パラナ川西岸に位置するシウダー・デル・エステに『司教座聖堂』を置いた。
フォス・ド・イグアスのイグアス川を挟んだ南岸のプエルト・イグアスには、ヨーロッパから脱して来た、多くの南欧系難民が暮らしている。
夜の晩課を終えた大司教である、ホセ・ジョバンニ・バティスタ司教枢機卿は、大聖堂の中庭の大回廊をゆっくりと、独り歩いていた。
彼が独り、ここをゆっくりと歩く時は、何かの思案をしている時だ。 今年65歳の大司教は、聖職者たらんと志した15歳の時から半世紀、この癖を止めない。
ルネサンス様式のこの大聖堂が完成したのは、僅か1年ほど間の2000年10月の事である。 以来、司教座聖堂としてデル・エステ大司教が信徒を教導し、司式する為に常座している。
不意にバティスタ大司教は、人の気配に気づき、立ち止った。 彼の神聖な思案の一時を乱す者は、この大聖堂の聖職者には居ない。 居るとすれば・・・
「・・・ドン・ファドリケ・シルヴァ」
1人の壮年の男性が、大司教を待っていたように、柱の陰からそっと姿を現した。 長身で、見た目は痩身だが、中は鍛え上げた鋼の様な身体を持つ、アッシュ・ブロンドの髪の男。
遠く16世紀、ポルトガル植民地に入植したポルトガル貴族を祖先に持ち、ブラジル帝国時代には大土地所有貴族のラ・シルヴァ家となった家系に連なる男。
ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンにかけて、幅広く食料生産加工・鉱物資源開発を手掛ける企業の社主にして、南米の裏社会の『皇帝』でも有る男。
BETAの侵攻によるユーラシア失陥は、南米へも難民の大規模流入を引き起こした。 その結果、資本の流入・経済の向上と同時に、治安の悪化を加速させた。
「お久しぶりです、枢機卿猊下・・・」
この男は何時も、バティスタ大司教を『枢機卿』と呼ぶ。 それは間違いではない、バティスタ大司教は、教皇庁の『司教枢機卿』団に属する最高位の聖職者だった。
「構いません、人払いをさせています、ドン・シルヴァ」
枢機卿の言葉に、ファドリケ・シルヴァが一瞬、凄みのある目の色を浮かべた。 この男は貴族家系出身の、ただの大企業家では無い。
南米では長く麻薬(コカイン)の生産・流通を牛耳っていた、コロンビアのメデジン・カルテルが1993年に、首領のエスコバルの死によって壊滅した。
対立組織であったカリ・カルテルも翌年に自壊を始め、その結果として『カルテリト』と総称される小型組織が幅を利かせ始める、『戦国時代』に突入した。
ファドリケはこの『カルテリト乱立時代』に、硬軟織り交ぜた周到で、かつ陰惨で残酷な手法で対立組織を次々と潰し、或いは吸収し、遂に南米の麻薬市場を『統一』した男だ。
2001年現在ではコカインだけでは無く、ユーラシアと言う『原産地』を追われた、セティゲルム種とソムニフェルム種―――芥子の2大種にも関わっていた。
南米大陸は赤道から極地近くまでと、縦に長い。 コカの栽培はアンデス山脈一帯だが、芥子は亜熱帯気候型、北方気候型、天山気候型など、世界中の気候に合わせた6型がある。
当然ながら、南米大陸でも栽培が十分に可能だった。 ファドリケ・シルヴァの組織は、コカインとアヘン(ヘロイン)を主軸とした、世界の麻薬市場に君臨している。
最近はアフリカ大陸の同業者(多くは政情不安定な国家の、軍閥がバックにある)ともネットワークを組んで、その流通量をコントロール下に置いていた。
「カトリック教会には、CIAの息が掛った者も、若干ながらおります。 が、この南米には、おりません。 しかし、念の為です・・・」
そして現在、北米大陸に流入するコカイン・ヘロインのほぼ100%が、ファドリケの作り上げた組織ネットワークによるものだ。 ファドリケは、CIAの暗殺リストのトップに居る。
「一昨日、兼ねてお願いしておりました寄付金の1億ドル、教会に喜捨させて頂きました」
「・・・ありがとう、ドン・シルヴァ。 この地の信徒らの暮らし向きも、貴方のお陰でかなり宜しくなってきました」
同時にファドリケ・シルヴァは熱心なカトリック信者であり、南米に逃れた教皇庁の有力な後援者の1人でも有ったのだった。
ファドリケ・シルヴァは、大企業のオーナーと言う表の顔の他、『麻薬ネットワークの皇帝』と言う裏の顔も持っている。 個人資産は数百億ドルとも、数千億ドルとも言われる。
「・・・やはり、行うのですか? ドン・シルヴァ?」
「はい・・・この大陸に住む、多くの同胞の為です」
ファドリケは同時に、『南米共同体運動』の促進主要メンバーでも有った。 これは『同一通貨、同一パスポート、一つの議会』を目指す、南米版EUと言えた。
加盟国間の平等で対等な政治的対話の強化、南米統合の促進、地域貧困の撲滅、識字率向上運動など、BETA大戦下で多極構造の世界に向かっての運動だった。
南米全域が大国の介入無しに、南米諸国が直接対話を行い、自主的・民主的な地域統合で世界の構造変化を進めていく考えだった。
「・・・南米大陸は、豊かな大地です。 本来は、飢えや貧困とは無縁の・・・日本と日本人は、信頼できる友好国であり、良き隣人ではありますが・・・」
南米における日系人・日本人の評価は、実は非常に高く良好だった。 明治期に遡る移民一世の頃よりの、勤勉、真面目、誠実さが、南米社会に好意を持たれている事は事実だ。
「やはり、この先、何十年かかるか判らない計画よりも・・・」
「明確な成果を見込める、目の前の劇薬に頼る、と・・・確かに、扱い様によっては、良薬にも、劇薬にもなりましょう。 聖下(教皇)のお言葉の通り」
「・・・10年後、20年後・・・もしも仮に、その時間が有ったとして・・・その時、この豊かな大地は北米の、アメリカの植民地と化しているでしょう」
我々にはもう、時間が無いのです―――ファドリケ・シルヴァは、貴族の家系の血を引くに相応しい、整った容貌を歪めて、絞り出す様に吐き出した。 己の欺瞞を。
BETA大戦下における世界で、最前線国家群を、後方国家群が支える。 主義主張の違い、実際の関係は違えども、表向きはそういう構造が出来上がっていた。
そして後方から支援する、その主軸は、何と言っても世界最大の国力を有するアメリカ合衆国だ。 そしてそのアメリカが、自国の巨大な工業経済力の原材料とするのが・・・
「今の南米諸国は、良く言ってもアメリカへの資源供給地帯です。 豊かな資源、良質で豊富な労働力・・・それらが有るにもかかわらず。
5年後には、北米資本が乱入して来るでしょう。 10年後にはその北米資本が、南米経済を牛耳る。 15年後にはアメリカが内政干渉を強め、20年後には属国化する・・・」
故に、ファドリケ・シルヴァ等、『南米共同体運動』の促進主要メンバー達にとって、BETA大戦の早期終結は、愁眉の急であった。 そしてその手段は、現在ひとつだけ。
「G弾の、一斉集中運用・・・『バビロン作戦』の発動、ですか・・・?」
「はい。 南米諸国、そしてアフリカ諸国を、近い未来の再植民地化から防ぐ為の手段は、残念ながら『それ』しかありません」
BETA大戦を早期終結させ、多極化世界の多重心国家連合同士による、『戦後復興』の強力な推進。 アメリカ一国では、到底賄いきれない需要を生み出す。
アメリカの一極集中を逸らし、同時に南米共同体が他の多極化地域と連合を組む。 その中に、南米共同体―――『南米連合』は乗り出してゆく。 これしかないのだ。
「良き隣人、良き友である日本と、日本人には、苦痛を与える事になります。 私は、地獄で幾らでも懺悔をしましょう―――それで、この豊かな大地と人々が救われるのならば」
「一粒の麦は地に落ちて死ねなければ、一粒のままである。 だが、死ねば多くの実を結ぶ―――『ヨハネによる福音書』
外務局長のアンドレアス・ベルティーニ枢機卿は、抑えております。 教理省、司教省も同様です。 ドン・ファドリケ・シルヴァ。 良き一粒の麦ならん事を」
「・・・有難うございます、猊下・・・」
ホセ・ジョバンニ・バティスタ大司教は、デル・エステ大司教であると同時に、教皇庁布教聖省長官を兼務していた。 権限の大きさから『赤衣の教皇』と呼ばれる最高位職だ。
ファドリケ・シルヴァは、大司教の前で膝を付き、深々と頭を垂れた。 彼は、良き羊飼いにならんとしていた。 何故なら、羊を襲う獣もまた、この世に生きる者達なのだ。
30分後、南米に生産拠点を移して操業を続ける、装甲科されたメルセベス・ベンツの豪華な車内に、ファドリケ・シルヴァは居た。 前後を護衛の部下達の車が固めていた。
「―――そうだ、エッツォ。 計画を続行しろ。 米軍内にも腐った果実は、幾らでも居る。 女を抱かせ、美味い酒と食事を呉れてやれ。 薬と大金を握らせろ。
男でも、女でも構わん。 隠された欲望を引き出せ、目を背けたい現実を見させろ。 そして・・・実現させてやれ、己の暗い欲望を。 そうして、取り込め」
目標は、国連軍宇宙総軍・北米司令部の有る、マサチューセッツ州ハンスコム宇宙軍基地。 そして米軍・宇宙航空軍団司令部のカリフォルニア州エドワーズ宇宙軍基地。
HSSTの打ち上げ運用・管理を行うこの2大基地。 その管制要員と、派遣される陸海軍のHSST要員。 出来れば真面目で、職務熱心で、信仰心の篤い者がいい。
「・・・一度、墜れば、あとはアリ地獄に、自ら飛び込んでくれる手合いだ」
ファドリケの『目標』にとって邪魔なのは、遙か遠い極東の最前線国家に存在する、とある国連軍基地だった。 その基地が消滅すれば、G弾の使用は一気に速まるだろう・・・
(―――その為の計画は、もう何年も練ってきた。 必要な資金を得る為に、この手も汚した。 必要以上に米国の報復の的にならぬよう、世界の麻薬流通量も制御してきた・・・)
大企業家であり、カトリック教会への支援を惜しまぬ篤志家。 そして世界の麻薬ネットワークを支配する、『麻薬ネットワークの皇帝』
胸ポケットから、1枚の写真を取り出した。 数人の少年と少女達が、笑顔で笑っている。 彼と、彼の貧しかった友人達だ。 幼馴染だった。
(―――10代も半ばで、抗争で死んだトニオ。 オーバードーズ(麻薬過剰摂取)で死んだ、ヤクの売人だったマルコに、情婦で娼婦だったエレノラ・・・)
そしてもう1人、ファドリケ少年の隣で微笑んでいる、可憐な少女―――マリア。 貧困から娼婦に身を落とし、麻薬の運び屋にされ・・・アメリカとメキシコの国境で射殺された。
このままでは―――オルタネイティヴ第4計画が続行したままでは、多くの少年と少女達が、トニオやマルコ、そしてエレノアやマリアになり続ける。 確実な未来だった。
だから彼、ファドリケ・シルヴァは、『あの老人』と手を組んだ。 表のビジネスと、裏のビジネス。 両方でその存在を知っている老人。
アメリカの煌びやかな繁栄の、その奥底で、その繁栄の政治と経済の両面に、長きに渡り影響力を行使して来た者達の1人。 『会議』に異を唱える事の出来る老人。
(―――あの老人が、かの国への影響力をどう増大させようが、知った事では無い。 俺の目的は・・・横浜の破壊。 オルタネイティヴ第4計画の、早期崩壊・・・)
裏のネットワークは、往々にして表のネットワークを上回る。 ましてや、彼ほどの者ともなれば、機密情報の収集能力は、一国の情報組織を上回る。
(―――HSSTを落とす。 そして破壊する、完膚なまでに)
ファドリケ・シルヴァの『同志』は、南米社会のあらゆる階層・組織に広がっている。 各国の政府高官、高級官僚、軍の将軍、企業家、大学の教授、聖職者、在野の文学者・・・
誰もが生まれ育った南米の豊かな大地の行く末を憂い、そして己の欺瞞を自覚し・・・それを了とした者達だった。 彼等の中には、アフリカ連合へ影響力を持つ者も居る。
既に計画は最終段階に入った。 後は彼、組織の裏工作を統括するファドリケ・シルヴァが、如何に手早く合衆国軍内に『毒』を流し込むか、だ・・・
不意にファドリケは、電流に打たれた様に体を震わせた、胸元の十字架に触れたからだ。それは結婚した時に、彼の新妻となった女性から贈られた記念の十字架だった。
(ジュリアナ・・・アドリアナ、クリスティアーノ、アレッサンドロ、ファビオラ・・・)
彼の妻、ジュリアナは日系ブラジル人5世であり、民族的には純粋な日本民族とされる。 長女アドリアナ、長男クリスティアーノ、次男アレッサンドロ、次女のファビオラ。
彼の子供達もまた、母から半分、日本人の血を引いていた。 何よりも義母―――妻の母は、夫との結婚でブラジルに帰化した元日本人だったのだ。
正義とは、白でも黒でも無い。 限りなく灰色に近いものなのだ―――ファドリケ・シルヴァは、己の欺瞞を知る男だった。
「・・・主よ、かの者の罪を許したまえ。 そして御身の子たらんとする、我が身の罪を許したまえ・・・」
デル・エステ大聖堂の祭壇の前で、ホセ・ジョバンニ・バティスタ大司教枢機卿もまた、祈っていた。
2001年11月12日 0820 日本帝国 大東諸島・沖大東島
沖縄本島より南東へ約400km。 太平洋に浮かぶ絶海の孤島、かつては全島が私企業の私有地で有り、現在は帝国海軍の射爆撃場として使用されている。
島の表土は殆ど無く、緑は全く無い隆起珊瑚礁の無人島。 だが今日は年に数回、『有人島』になる日だった。 島のそこかしこで、作業が行われている。
「・・・あれ、あの標的な。 あれは、突撃級BETAの装甲殻だろう?」
島の沖合、約500mの海面に停泊していた給兵艦(兵装運搬艦)のデッキから島を眺めていた、中年の将校―――海軍では無く、何故か陸軍の大佐―――が、傍らの人物に問うた。
「ええ。 技本の連中が、どこかからか融通を付けたらしいです。 まあ、戦場へ行けば、『あれ』はゴロゴロと転がっていますからね」
倒されたBETAの残骸の中で、長くその原形を保っているのは、要撃級BETAの前腕、要塞級BETAの触手の先、そして突撃級BETAの装甲殻だ。
「威力の確認には、丁度いいと言う事で。 他にも何種類か用意しています」
陸軍大佐の隣の、海軍造兵中佐(技術将校)の視線の先には、要撃級BETAの前腕の残骸やら、要塞級BETAの触手の先端部やらが、島のそこかしこに転がっていた。
「そりゃ、そうだが・・・まあ、良いか。 威力評定の対象が、BETAの残骸。 『帝国軍はあくまでも、対BETA戦争を戦い抜く』ってな、PRにもなるか」
「ええ、どこぞの国の様に、対BETA戦ではクソの役にも立たない、あからさまなステルス機能を付与した、AH戦闘重視の戦術機やらと比べれば」
「国内的にもな。 制圧支援兵装すら運用できん、『最後の自裁装置』的な戦術機しか、目に入らん連中と違って、な・・・」
最後の一言は、自国内で軍備予算の喰らい合いをしている『商売敵』的な組織への、痛烈な皮肉だった。 城内省予算は、あくまで国家予算から大蔵省との折衝で決まる。
一部流布している様な、五摂家資産からの独自予算では無い。 と言うより、五摂家にその様な経済力など、全く無い。 となれば、予算の奪い合いの相手は、憎き敵だ。
「しかし、なんだな。 俺の爺様は先の大戦の時に、小笠原兵団の所属でなぁ・・・戦争の最後には、硫黄島でせっせと地下坑道を掘っていたそうだ。
ま、アメちゃんの上陸前に、戦争は終わったんだがね。 でも、もしもあの戦争が続いていたら・・・地下陣地攻略には、火炎放射器と手榴弾、それにナパーム・・・」
「詰まる所、我々がやろうとしている事と、同じ戦術思想でしか、攻略できなかったでしょうね。 ハイヴも言ってみれば、巨大な地下坑道陣地ですし」
そんな事を言い合っている内に、島の方では準備が整ったようだった。 3機の戦術機―――『撃震』が上陸している。 装備している兵装は、突撃砲では無かった。
かと言って、最近になって制式採用された01式57mm近接制圧砲でも無い。 海軍の98式57mm制圧支援砲でも無かった。
砲身はやや太い、100mm級だろう。 反面で砲身長は短い、40口径長も無いだろう。 無骨な機関部に、これも無骨な支持部。 日本人の兵器への美意識に全く合致していない。
「やっつけ仕事だからなぁ、どうしても無格好だよなぁ、あれ」
「仕方ありません、廃物利用、再生使用ですから」
海軍造兵中佐が言う通り、その砲身は実は、旧式化・陳腐化・威力不足で早々に退役した、陸軍の74式自走105mm榴弾砲の砲を流用している。
砲の機関部だけは、流石に新規設計だ。 砲全長は6.88m、重量は4.25t、砲身長は37口径長、砲口径は105mm―――『01式105mm擲弾砲』、戦術機用の装備だ。
『―――射撃試験開始、30秒前。 総員、対衝撃防御と為せ』
艦内スピーカーから、試験司令部のオペレーターの声が流れる。 陸軍大佐と海軍造兵中佐は、揃って急造された装甲遮蔽板の後ろに身を隠す。 スリットから外部を覗けるのだ。
『―――射撃開始、10秒前・・・5秒前・・・3、2、1、開始!』
シュバッ―――意外と気の抜けた発射音と共に、1機の『撃震』が、装備した01式105mm擲弾砲から砲弾を発射した。
数瞬後、島の中央部に小さな光球が発生し、たちまち小規模な火球に変化した。 同時に質量を伴った衝撃波と衝撃音が、艦に届いた。
『―――続けて第2射、第3射』
先程と同様に、気の抜けた射撃音に遅れる事、コンマ数秒。 再び光球から火球、そして衝撃波と衝撃音の到来。
「・・・良いぞ、良いぞぉ・・・」
装甲板のスリットから島の様子を見ていた陸軍大佐が、表情を崩す。 それは美味そうな獲物を見つけた、肉食獣の様な笑みだった。
30分後、艦内の試験司令部では、島から入ってくる結果報告を確認しながら、陸・海・航空宇宙軍、つまり帝国3軍の佐官たち数人が、一喜一憂していた。
「計測された爆発時中心気圧12.2万気圧、爆風速約403m/s(非常に強い台風:風速50m/s前後のエネルギーの、約530倍前後)・・・」
「爆風圧が179.5万Pa(17.95t/㎡)、爆心地エネルギー75.5cal/㎠で、温度は約4500℃か・・・」
「想定される対BETA有効危害半径は、最大で約65mほどです」
「威力を上げれば、もっといけるが・・・閉鎖空間じゃ、これ以上はこちらの身が危ないな」
「爆心地半径40m以内では、突撃級の装甲殻、要撃級の前腕、要塞級の触角先端部・・・全て溶解しています。 半径60mでも、6割方が溶解していました」
「小型種なら、対BETA有効危害半径はもっと広がるのじゃないか?」
「ええ。 大型種で60m、戦車級以下の小型種ならば、半径100mでも有効でしょう。 50m付近でエネルギーは23cal/㎠、温度約1600℃でした。
100m付近での想定では、エネルギーは15 cal/㎠、温度約1100℃程度まで低下する筈ですが・・・爆風圧がありますからね。 逆に運用機体は、300mは距離を置かない事には」
「最低でも300m、安全限界距離で500mか?」
彼らが話しているのは、帝国軍がハイヴ侵攻時の戦術機部隊用の、広域制圧兵器として新開発―――では無く、既存技術・既存兵器の寄せ集めででっち上げた代物だった。
だが、予想以上に結果は良好だった。 これなら使える、軍の技術陣は誰もがそう、確信した―――『01式105mm擲弾砲』、誰が言ったか『ガラクタの寄せ集め』である。
ハイヴ突入後の戦術機部隊の主兵装は、相も変わらぬ突撃砲一筋で有る。 無論、様々な兵器体系が研究され、試作され続けたが、形になった兵器は極少ない。
現状では欧州のラインメイタルMk-57中隊支援砲、アメリカのM88-57mm支援速射砲と、それをライセンス生産した日本海軍制式採用の98式57mm支援速射砲。
今のところ、この3種類の57mm支援速射砲くらいの物だった。 制圧用の小型誘導弾が有るにはあるが、『明星作戦』での戦訓から、日本帝国軍内では有効性を疑う声もある。
そこで考え出されたのが、『穴倉に籠った敵を制圧するには、火炎放射器に手榴弾。 その両方で炙り出ししか無い。 ハイヴのBETAも同じ事だ』と言う意見だった。
主に『明星作戦』で横浜ハイヴ内に突入し、そして命からがら、叩き出されて逃げ出す事に成功した者達に、賛成意見が多かった。
使用される弾種は、105mmの『01式広域制圧用特殊砲弾』 01式105mm擲弾砲とセットで急造開発された砲弾だった。
ネタを明かせば、S-11弾薬である『電子励起金属水素爆薬』、その特殊爆薬5kgを弾頭に装備。 爆発出力は0.1kt相当に匹敵する。
S-11自体は1975年に理論が完成し、実用化は1985年。 小型化成功は1986年。 同年『S-11』として各国軍が採用した、高爆発力爆薬だ。
開発当初はヘリウムが使用されていたが、現在の主流使用元素は水素(H2)である(金属水素)になっている。
2001年現在、その威力はHNIW(C-20)の、約12,000倍に向上(HMX換算の1.2倍) TNT換算で1トンの爆薬が、TNT24,000トン分の威力を持つ(24kt級戦術核に相当)
S-11の爆薬重量は、約200kgで爆発出力は4.0~5.0kt相当である。 01式広域制圧用特殊砲弾はその1/40、5kgを搭載する。
因みに、戦術機に搭載される型のS-11は、弾薬重量50kg、爆発出力は約1ktと、『01式広域制圧用特殊砲弾』の丁度10倍になる。
5kg爆薬装備の01式広域制圧用特殊砲弾は、爆発時中心気圧12.2万気圧、爆風速約403m/s(非常に強い台風:風速50m/s前後のエネルギーの、約530倍前後)
爆風圧179.5万Pa(17.95t/㎡)、爆心地エネルギー75.5cal/㎠(約4500℃) 対BETA有効危害半径は、約65m。 最大で約100m(小型種に対してのみ)
つまり、1m四方に約18トンもの衝撃が、風速50m/sと言う『非常に強い台風』が生み出す暴風の、その約530倍もの強烈な暴風圧の勢いで、ぶつかる様を想像すればいい。
言い方を変えれば、ちょっとした重量を持つ装甲車両が、時速1440km/hの早さでぶつかってくる。 時速144km/hではない。 時速1440km/h、戦車砲の弾速レベルだ。
その衝撃を想像すればいい―――とんでもない衝撃だ。
結果報告では、突撃級BETAの装甲殻は溶解しただけでは無く、一部はバラバラに散壊していると言う。 これが活動中のBETAだと、衝撃波で100%、体内構造を破壊される。
だが欠点もあった。 そのひとつが、対BETA有効危害半径が約65mと、狭い範囲でしかないと言う事だ。 だが、これは問題にされなかった。
なぜならば、この『01式広域制圧用特殊砲弾』は野戦での使用を前提にしていない。 あくまで狭空間であるハイヴ地下茎内での使用を、前提にした兵器だからだ。
爆薬単位配列を計算して、後方への爆発影響力も極力排除している。 運用者である戦術機への影響を、極限まで抑える為だ。 かなり限定された『前方投射兵器』である。
「ハイヴ内戦闘専用の、火炎放射器と手榴弾を組み合わせた、擲弾砲で発射する制圧兵装か・・・制圧支援機での運用になるんだな?」
「ええ。 小型誘導弾の有効性は、『明星作戦』で、かなりミソを付けましたからね。 広域制圧兵器としては、威力不足を露呈しました。
今後予定されている、佐渡島奪回作戦では、陸海軍共に戦術機部隊の装備は、制圧支援機は01式105mm擲弾砲に01式広域制圧用特殊砲弾。
砲撃支援機は98式57mm支援速射砲を装備。 無論、両任務機共に、自衛用に突撃砲を1基、装備させますがね」
01式105mm擲弾砲は6連装のシリンダー式弾倉で、背部兵装担架に6個の予備弾倉を装備できる。 都合42発の最小型S-11砲弾を、運用可能だった。
01式広域制圧用特殊砲弾は砲弾重量約15kg、装薬は6号装薬を使用し、射程距離は約4,400~9,600mだ。 無論、射角によって射程はコントロールできる。
起爆方法は、対BETA検知センサーを内蔵した方法と、かなり時代錯誤だが時限爆発式の2種類。 手榴弾、もしくは擲弾か迫撃砲弾代わりなのだ、贅沢な起爆方法は不要。
「生産体制は?」
「国内、国外の生産指定企業の工場で、24時間体制のフル生産に入っています。 砲の方は月産で170門、砲弾は月産5万発―――1門辺り300発強」
「・・・少ないな」
居並ぶ試験司令部の面々から、呻き声が聞こえて来た。 1個戦術機中隊での制圧支援機は、定数で2機。 170門だと85個中隊―――28個大隊しか充足できない。
例えば帝国陸軍の甲編成師団は、師団編成内に3個戦術機甲連隊を有する、9個大隊だ。 そして大隊編成に、中隊は3個。 つまり1個甲編成師団だけで、27個中隊。
「・・・どこに優先配備させるかだな。 甲編成師団で言えば、第1に第12、第14師団・・・」
「第1師団は無かろう、あそこは帝都から動かない。 配備するなら、第12か第14だろう?」
「いや、待て。 即応部隊も、ハイヴ突入戦には投入される可能性が高いだろう? 関東の第15と、関西の第10師団も検討せねば」
「第10、第12、第14に第15師団・・・戦術機甲大隊は30個大隊だ、月産数を上回る」
「11月の月産分は、全て即応部隊に優先配備。 12月分の生産分は、半数を第12と第14師団に。 11月の生産分は、第10と第15師団に配備しても、まだ余る」
あくまで非公式だが、佐渡島奪回作戦には、その4個師団が参加する事は内定していた。 そして強力な戦力を有する部隊故に、ハイヴ突入部隊に指名されるだろう、との噂だ。
「ま、そこは軍令の連中が決定する事だ。 我々は兵站の連中と調整を取って、月産生産数の増加を促進するまでだな」
島からまた、ズシンと重い衝撃音が聞こえて来た。 第2回目の発射実験が始まったのだった。
2001年11月11日 2100 アメリカ合衆国フロリダ州
バンッ!―――ドアが勢いよく蹴り破られた。 続いて突入する武装したMP達。 だが・・・
「・・・ホイットモア特別捜査官、目標は見当たりません。 もぬけの殻です」
アフリカ系の中尉が、そう報告する。 まただ、またもやしてやられた―――くそっ! 一体どこに逃亡したの!?
合衆国航空宇宙軍特別捜査局(Air Force Space Office of Special Investigations:AFSOSI)の、ウェンディ・ホイットモア特別捜査官は、無意識に爪先を噛みしめていた。
ターゲットは、リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉、26歳の女性将校だ。 内偵を進めた結果、南米の犯罪組織―――悪名高い、ファドリケ・シルヴァの組織との繋がりがあった。
そしてリンゼイ・バーク中尉は、航空宇宙軍内で第18宇宙航空軍団、アリゾナ州デビスモンサン宇宙軍基地の保安要員だった。 デビスモンサン基地はHSSTの運用管理基地だ。
「・・・一体、麻薬組織が航空宇宙軍に、何の利益が有って・・・」
そこが、判らない。 沿岸警備隊や、南部諸州の州空軍、州陸軍ならば話は判る。 麻薬密売ルートの確保だ。 しかし、航空宇宙軍? 宇宙からドラッグでも落とすつもり?
「ホイットモア特別捜査官、これを」
MPの軍曹が、ウェンディ・ホイットモア特別捜査官に一枚の紙切れを手渡した。 かなり急いでいたのだろう、読み取りにくかったが、辛うじて『Eaton』と読めた。
「Eaton・・・イートン? 何かしらね・・・?」
ホイットモア特別捜査官の独り言に、MP達も小首をかしげる。
「故郷のミシガン州には、イートン郡って場所が有りますが・・・」
「カナダの、でっかいショッピングモール」
「メジャー・リーガーにそんな名前の選手が」
「バスケットボールにも、そんな名前の選手、居ます」
「大昔の海軍長官に、居ませんでしたっけ?」
「イギリスの、名門学校」
皆が口々に言い始める。
「ちょっと、お待ちなさい。 そんな、口々に・・・」
ウェンディ・ホイットモア特別捜査官が困惑顔で征する。 しかし・・・Eaton? イートン?・・・イートンとは・・・?
何にせよ、筆跡鑑定にかける必要があるわね、ホイットモア特別捜査官はそう思った。 もしもこれがバーク中尉の筆跡ならば、余程慌てて書きなぐったものだろう。
(何でもいい・・・少しでも、手掛かりを・・・)
彼女は、何やら得体のしれない焦燥感に、襲われたのだった。
『正義なんて滑稽ものだ。 一筋の川で限界づけられるのだから。 ピレネー山脈のこちら側では真実でも、向こう側では誤りなのだ』―――ブレーズ・パスカル