『―――諸君、諸君の中には今までに家族・親類縁者、親しい人々を喪った者も多かろうと思う。 大隊長もその一人だ、諸君の悔しさは理解できる。
家族や親類縁者が、難民キャンプで辛酸を味わっていると言う者もいよう。 誠にお労しい限りであり、是正されねばとも思う。
だが諸君、大隊長は敢えて言う。 それは諸君の任に非ず、政府の任であると。 では諸君の任とは何か?―――言わずと知れた、佐渡島を奪回する事で有る。
国土の安全保障を確立し、国民の生命と財産を守り・・・ひいてはこの日本帝国を外敵より守り切る事にある。 それこそが、帝国の防人たる諸君の任であると』
『―――諸君、思い起こして貰いたい。 考えて貰いたい。 諸君等をして、一人前の衛士に、管制官に、整備員に、そして他の軍種要員に・・・
そこまでの技能と、責任を果たし得る能力を養うに、祖国は一体どれ程の莫大な費用と労力、そして時間を費やしたかを。 その費用と労力、時間は、どこから出ているかを。
まぎれも無く国民の血税で有り、難民支援に回される予定であった予算である。 諸君等の訓練時間の1時間は、難民が粗末な避難施設で1日を費やす事で購われてきたのだ』
『―――諸君、政府の難民政策の非を問う無かれ。 論ずる無かれ。 最早時勢は、どれが正しく、どれが過ちであるか、その様な幸福な二元論で済まされる時期は過ぎたのだ。
我々に残された手札はただひとつ―――佐渡島の奪回。 そして九州と対峙する、半島の鉄原ハイヴの攻略。 これにより初めて、帝国は次の手を打てる。
そう、大隊長が今言った2大戦略目標を攻略して初めて、帝国国内は内治に注力できるだろう』
『―――諸君、であればこそ、大隊長は諸君にお願いする。 今暫くは、大隊長と共に国を守り切れておらぬ防人との汚名を、甘受して貰いたい。
国民の犠牲の上に成り立つ現在の国防、そして戦況・・・その時までは、忍従を堪えて欲しい。 必ずや、我々の責務が果たされた暁には、国民の辛酸が報われる事を願って』
(2001年8月1日 第15師団第151戦術機甲大隊 大隊長訓示)
2001年8月3日 1345 新潟県柏崎沖北西16海里(約30km) 佐渡島南西端・沢崎鼻沖南方22海里(約41km)海域
晴天だが少し荒れ模様の日本海―――佐渡島の近海を、日本帝国海軍の小型艦が単艦で航行していた。 艦首が波を破り、波頭が艦橋まで降りかかる。
風は強い。 内海と言って言い日本海だが、波風は実は荒れやすく、古来より往来の多い海と同時に、海難事故の多い海でも有るのだった。
「ソッ、ソナーに、かっ、感あり!」
外海の荒さを感じさせる揺れの中、少女と言っても良い年齢の水測員の上ずった声が響き、周囲が一斉にざわつく。 息を飲む声さえ聞こえた。
「焦らず、ゆっくりでいい! そして確実に、正確に報告しろ!」
甲高い声で叱咤する水雷士も、実の所上ずっている。 彼女もまた、水測員同様に実戦経験のない、新品少尉だったのだ。
「は、はい! ええと・・・方位0-4-2、距離フタマル(20海里、約37km)、感知深度250m! 推定個体数・・・約2200! 南南東方面に移動中!」
水雷士はその情報を、直ぐ様上官である水雷長へと伝えた。
「ソナー室より水雷長! BETA群探知! 方位0-4-2! フタマル! 深度250、個体数約2200! 移動進路は1-6-4!」
「艦長?」
「―――対潜戦闘部署に付け!」
副長(兼・戦務長。昔は船務長と呼んだ)の問いかけに、艦長が即答する。 即座に副長が艦橋のマイクを握り、『艦内、対潜戦闘部署に付け!』と命令を下す。
それまでの艦内哨戒部署配置から、対潜戦闘部署配置へ。 各員がラッタルを駆け上がり、駆け下がり、狭い艦内通路をすれ違う。 水密扉が閉められ、通風が止まる。
「艦長! 艦内、対潜戦闘部署!」
全ての配置が完了した事を、副長が艦長へ告げる。 既に艦長はCICへと籠っていた。 さて、どうする? このまま単艦で戦闘に突入するか? それとも・・・
「―――戦務、隊本隊は?」
「本艦南方、8海里」
8海里―――悪くない距離だ。 既に本隊にも発信している、そして25ノットで急行中だ、あと20分ほどもすれば合流できるだろう。
ではBETAは?―――佐渡島南方、25kmの海底を時速20km/hから25km/hの速度で南下中。 もうじき佐渡島から南に突き出た台地を下り、水深400m以上の窪地に入る。
「・・・狙いは、柏崎か。 だとすれば、上陸予想時刻は2時間から2時間半後。 再び迎撃可能水深に達するのは、1時間後か・・・よし! おーもかーじ10!(面舵10度)」
艦長はどうやら、南東海域で本隊と合流しての対潜戦闘―――対BETA水中戦闘を決意した様だった。 舵が利き始め、艦種がグッと右に振れ始めた。
「・・・単艦戦闘より、アテに出来ます。 何せ本艦は、退役予定を大幅に延長したお祖母さん艦ですが・・・乗っているのは、大半が『戦闘処女』・・・乗員自身もですが」
副長が秀麗な顔に苦笑を浮かべながら、艦長にそう言う。 艦長も同じような苦笑を浮かべ、少し肩をすくめて副長に言い返した。
「仕方ない、副長・・・本艦が改修工事を終えて、艤装段階に入った時、対BETA戦闘経験者は私と副長(兼・戦務長)、君に・・・それに砲雷長しか居なかったのよ?
機関長は商船からの召集組、主計長と軍医長は学校を出たばかり。 各掌長や先任下士官も、召集組で大半は戦闘処女ばかりの娘達・・・」
―――我が身を呪ったわよ。
そう言って、加瀬優子海軍予備少佐は苦笑した。 再建なった海軍舞鶴鎮守府に属する、第115哨戒戦隊。 その中の1艦である『綾波』型対潜海防艦のネームシップ『綾波』
1958年に竣工した老嬢ながら、3度の大改修を経てDDK(対潜駆逐艦)からFFK(対潜海防艦=フリゲート艦)として延命処置を施され、日本海での哨戒行動に就いている。
本土防衛戦、明星作戦などで少なからぬ水上艦艇を喪失し、また乗員の損失も無視出来ない状態だった帝国海軍は、乗員補充を世界トップクラスの海運界に求めた。
元々、日本の海運界は海軍の補充要員供給と言う任も担ってきた。 高等商船学校から商船大学に至った高級船員養成校では、入学と同時に海軍予備学生に任じられる。
そして卒業と同時に海軍予備少尉に任官。 その後は海運界での実務経験と、年数回の訓練招集を受ける。 これは海員も同様で、海軍予備員たる予備下士官、予備海軍兵となる。
艦長の加瀬予備少佐は、本土防衛戦後に商船会社の大型タンカー乗組み商船士官から、召集されて海軍予備士官へと組みこまれた。 副長も同様だった。
そして『明星作戦』には駆逐艦乗組みの予備士官として従軍し、その後は暫く佐世保配属の駆逐艦に。 舞鶴鎮守府再建後は、そこの鎮守府所属で1艦を任される身であった。
「・・・男の大半は、GF(連合艦隊)やEF(護衛艦隊)の主力艦に回されますしね。 鎮守府所属の警備艦隊になんか、滅多に回って来ません」
「ふん! 『女学校艦隊』か! GFめ! ナニの小さい男は、嫌われるわよ!?」
「艦長・・・ですので、女ばかりとは言え、そう言う物言いは・・・」
再建なった横須賀、舞鶴、そして辛うじて死守した佐世保、新たに開設された大湊。 この4箇所の海軍鎮守府所属の警備艦隊所属艦は、その乗組員の80%以上が女性だった。
日本がその国力の限界を振り絞っている現在、社会への女性進出、等と言う言葉はすでに死語だ。 どこを見回しても、どんな職場でも、半数以上が女性で占められるのだから。
「それより副長、後続のBETA群は? 探知していない?」
「水測からは、未だ何も・・・本艦は改修で贅沢にもOQR-1(TASS曳航式パッシブソナー)を搭載していますので、半径30海里で見落としは無いかと」
「じゃ、後は北方海域の大湊の連中(大湊鎮守府・第224哨戒戦隊)が探知するか、或いは衛星情報ね。 暫く現在の配置を続ける。 本隊合流は15分後、即時戦闘開始」
「はっ!」
同日1735時 柏崎付近 北陸・信越軍管区(第5軍) 第8軍団第23師団機動歩兵第72連隊
「ちぇ―――やっとこ、お出ましだぜ! 15師団だ!」
防御陣地―――前面に対BETA地雷を敷設し、小高い丘の頂上に申し訳程度の塹壕を掘り、それを連絡通路で繋げただけの野戦築城陣地。
塹壕の淵で地上戦闘用の三脚架に乗せたM2・12.7mm重機関銃を、向かって来る小型種BETAに撃ち込んでいた銃手が、南東の方向を見上げながら愚痴る。
「戦術機か!? 何機居る!?」
装弾手が射撃音に負けない大声で聞き返す。 弾薬箱から装弾された給弾ベルトを取り出し、撃ち尽くした重機の機関部上面にセットする。
「見たトコロ・・・2個大隊ってトコか!? 94式だ、上々だろうさ!」
分隊支援火器のMINIMI(5.56mm機関銃)で、兵士級BETAを蜂の巣にした兵士が肩を竦める。 次の瞬間、新たな目標に向けて射撃開始。
「ウチの師団戦術機大隊は、未だ77式だからなぁ・・・!」
LAM(110mm個人携帯対戦車弾)を手にした兵士が、後方の安全確認をした後に、段差を駆けあがって来た戦車級BETAに向けて発砲しながら溜息をついた。
佐渡島に最も近い北陸・甲信越を守備する第5軍。 その中で主に新潟県と長野県全域を守備範囲とする第8軍団(第23、第28、第58師団)
だがその内実は、実にお寒い限りと言えた。 3個師団の中で甲編成師団はおろか、乙編成師団(戦術機1個連隊を保有)すらない。 丙編成師団(戦術機1個大隊を保有)なのだ。
それは僚隊である第17軍団(富山県と石川県を担当。 第21、第25、第29師団)も同様だった。 佐渡島に直面する、最重要守備管区が、この様なお粗末さとは!
「まあ、それでもヤバい時は後ろ(北関東絶対防衛線)の7軍が来てくれる! あそこの14師団(第18軍団)は甲編成師団だし、12師団(第2軍団)も乙編成師団だし!」
後方から支援砲撃が着弾した。 前方500m付近で一斉に着弾して炸裂、小型種BETAが集まったこの戦区のBETAを、こぞって吹き飛ばした。
前方が一斉に爆煙と土煙に覆われる。 向かって来ていたBETA群はおよそ100から120体、その全てが戦車級以下の小型種BETA群。
「それに15師団も、ようやく支援態勢に入ったからな! 今までマレー半島に出ずっぱりだったけど・・・戦術機6個大隊って言ったら、乙編成師団の倍だし!」
これで終わったか? そう思ったがやはりしぶとい連中だ、まだ20体から30体程が動いている。 分隊の塹壕だけでなく、他分隊からも火線が延びる。
損傷を受けながらもなお、緩慢ながら動いて向かって来る闘士級BETAに、小銃手が89式の5.56mm弾を浴びせかけた。
「今回はお陰で、戦術機が合計4個大隊。 BETAは2200、そろそろ終わるかな?―――うわっ! まずっ! 右2時! 戦車級5体! 距離150!」
塹壕からは死角になっていた、ちょっとした崖―――そこから戦車級BETAが5体、這い上がり姿を見せる。 しかし重機は前方への射撃に必死だ。 LAMは撃ち止め。
「くそっ! MINIMIでも何でもいい! 撃て! 撃て!」
「駄目だろ!? M2(12.7mm重機関銃)じゃなきゃ、アイツは始末できない!」
「ほざく前に、撃て! 馬鹿野郎! って・・・え!?」
突如として空気を切り裂く様な、特大の羽音の様な飛来音と共に、5体の戦車級BETAが弾け飛んだ。 赤黒い内蔵物と体液の堆積物に、一瞬にして変わる。
その直後、前方100m付近に1機の戦術機が舞い降りた。 そして続けさまに1機、2機、3機・・・瞬く間に周囲の戦場に40機程の94式『不知火』が舞い降りる。
「やった・・・! 戦術機部隊だ!」
「遅せぇぞ、馬鹿野郎!」
「チクショウ! やれ、やれ! やっちまえ!」
戦術機部隊は付近の小型種BETAを瞬く間に一掃すると、今度は中隊単位に分かれて各戦域に飛び去ってゆく。
最後に、最初に舞い降りた1機の戦術機が、少しだけ後方を振り向いた―――機体の肩部に白い太線と細線が1本ずつ。 そしてその機体は操り難い『不知火・壱型丙』
―――あれはベテランだ。 そしてあれは大隊長機だ。
『壱型丙』は、余程のベテランで無ければ乗りこなせない。 師団の戦術機部隊の面々がそう言っていた。 そしてそんな『余程のベテラン』は、逆に『壱型丙』を好むとも。
そして機体肩部の識別ライン。 白の太線と細線、各1本は大隊長機を示す。 その大隊の『旗機』だ。 歩兵部隊でも、その位は判る。
その大隊長機は一瞬だけ後ろを見て、直ぐに従えた3機を連れて飛び去って行った。
「おう、ご苦労だったな、周防。 今回は助かったぞ」
第23師団の駐屯地、柏崎基地。 その基地の簡素な将校集会所で、師団戦術機甲大隊長の都島晴之少佐が、増援に駆け付けた同期生を労っていた。
「いや、都島、貴様こそ。 この最前線を支えているのは、貴様と大島さん(大島正孝少佐・第28師団。 17期A卒業)だ。 俺は助っ人で呼ばれる時だけだ・・・」
第8軍団の中でも、新潟県に配備されているのは、第23師団と第28師団の2個師団。 第58師団は長野県に配備されている。
周防少佐は、その最前線を支える要と言って言い、師団戦術機甲大隊を率いて戦う同期生を、逆に労っていた。
BETA掃討戦も終了し、残存個体が居ない事を確認したのが1910時。 それから基地へ帰還して、損害状況と戦果の最終確認、整備を命じて、部下にレポートを命じ、会議に出て・・・
ようやく人心地着いたのは、日もすっかり暮れた2330時。 部下達はとうに休ませている。 指揮官にとっては、ようやくの事で出来た束の間の休息時間だった。
「貴様のあの機体、『壱型丙』か? 噂では扱いにくいと聞いたが、どんな塩梅だ?」
「・・・癖は有る。 下手な操縦をすれば、全く言う事を聞かない。 燃費も激しい―――腕次第だな。 やり様によっては、壱型より機動性は良いし、燃費も腕でカバー出来る」
グラスに注いだ貴重なウィスキーを味わいながら、周防少佐が答える。 都島少佐はその言葉に頷きながら、少し複雑な表情で同期生に返した。
「貴様が羨ましいよ、周防。 俺の部隊は相変わらずの77式『撃震』だ」
「・・・機種変換の要請は?」
周防少佐のその言葉に、都島少佐は少し舌打ちしながらグラスの中身を飲み干すと、ボトルを手にとって新たに琥珀色の液体を注ぎ込んだ。
「何度も要請した。 師団司令部はおろか、軍団司令部、軍管区司令部にも直談判した。 東京まで足を運んで、統幕にも捻じ込んだ事もある・・・」
都島少佐の言葉が切れ、一瞬静寂がその場を支配した。 周防少佐は何も言わず、同期生の言葉を待った。
「・・・せめて、92式『疾風』で良いから、配備してくれと。 89式『陽炎』は数自体が少ない、そこまで贅沢は言わん。 ましてや、94式『不知火』を寄こせとも言っていない」
都島少佐の飲むピッチが滅法早い。 そんなに酒に強かった記憶は、周防少佐には無いのだが・・・その琥珀色の液体を見つめながら、都島少佐はやり切れない声色で続けた。
「何と言ったと思う? 『第1軍団の充足が先決だ』―――だとさ! BETAとの最前線の新潟! その隣の富山! 裏庭の長野を防衛する第1防衛線部隊だぞ、俺達は!?
その俺達に、丙編成師団しか寄こさず、あまつさえ戦術機は77式! 戦車は74式だ! 90式など、お目にかかった例が無い! 94式!? 俺とて搭乗経験が無い程だ!」
ダンッ!―――テーブルにグラスを叩きつけ、荒い息を吐き出す都島少佐。 握られた拳が、僅かに震えていた。
「如何に改修されていても、77式は77式だ! 89式や92式、あまつさえ94式とは機動性が全く劣る! 装甲防御!? はっ! それが無駄な事は、大陸失陥が証明した!」
同期生の無念は、痛いほどよく判る。 長年戦場に身を置く者として、せめて少しでも戦果の上がる道具を、少しでも部下達が生き残れる機体を―――血を履く様な、その言葉は。
「一体・・・一体、本防(本土防衛軍総司令部)の連中、何を考えていやがる!? 俺達の第1防衛線、永野(永野容子少佐)の14師団もいる第2防衛線!
その2つの防衛戦の奥深くで、帝都周辺でのんびりやっている第1軍団だぞ!? その連中がどうして、甲編成師団(第1、禁衛師団)を2個も!? 第3師団も乙編成師団だ!
周防、貴様も知っているよな!? 第1軍団が何と言われているか!? 俺達が何と呼んでいるか!? 妬みでも何でもない、腹の底からだ!」
「・・・『ショーウィンドウ軍団』、だ」
「そうだ! 連中は『ショーウィンドウ軍団』だ! 帝都でふんぞり返りやがって! 戦場には全く出て来やしない! その癖、装備は常に最優先配備!
何が『我ら、精鋭の実力』だ! あの連中、対BETA戦闘の経験は俺達より遙かに低いんだぞ!? もっぱら対人戦訓練ばっかりしやがって!
連中の言う『精鋭』ってのは、督戦部隊としての腕前か!? 俺達、最前線部隊を死地に送り込む為の腕を磨いていやがるのか!? 周防、どうなんだ!?」
(―――くそ、悪酔いしたか・・・)
内心で舌打ちしつつ、周防少佐は都島少佐の言葉を、いちいち否定出来ない事にも気づいていた。 何よりも周防少佐自身が、そう思う所もあったからだ。
(―――しかしな。 ここではともかく、余所でこんな事言わす訳にもな・・・)
なら、ここで全て吐き出させてしまおうか? 愚痴の聞き役になってしまうが、それはそれ、同期生とはそう言うものだ。
「あのな、都島。 俺は思うんだが・・・って、おいおい・・・」
気が付けば、都島少佐がテーブルに突っ伏して、撃沈していた。
2001年8月6日 1030 新潟県・長野県県境 第15師団
「へえ? 都島さんがですか? 意外ですね、真面目な人だと思っていましたが?」
3日後、松戸へと帰還する車輌の列の中で、同乗していた第155戦術機甲大隊長の佐野慎吾少佐が、意外そうな声で言った。
佐野少佐は周防少佐や都島少佐の半期下、18期B卒だからか、18期A卒の彼等の事も良く知っていた。
「真面目だよ、都島は。 真面目で職務に熱心で、部下思いで・・・だからこそ、普段から腹に貯め込んだ澱が有ったんだろうなぁ・・・」
今回の増援は、第2(B)機動旅団(指揮官・名倉幸助准将)が率いていた。 戦術機部隊は周防少佐の第151と、佐野少佐の第155の2個大隊が組み込まれていた。
「そりゃまあ、そうでしょうねぇ・・・自分も言いたい事の10や20、直ぐにでも出てきますよ。 それが都島さんなんかは、最前線を預かる部隊の指揮官で、あの待遇だ・・・
正直、軍の中央偏重は今に始まった事じゃ、ないですけど。 にしてもね、どうして第1軍団をあそこまで手厚く配備する必要が、今あるのかって言うと・・・ですよ」
その手の話題になると、もう彼等レベルでは苦々しい思いと同時に、苦笑するしかない。 どこの国も同様だが、帝国軍にも相変わらず、中央偏重の悪しき伝統は生き残っている。
「そう言えば、少しだけ大島さん(大島正孝少佐・第28師団。 17期A卒業)と話した時に・・・」
佐野少佐が語尾を濁しながら、言おうか言うまいか、と言う素振りを示す。 結局は周防少佐の視線に負けて、言ってしまったのだが。
「言っていましたよ、『政治講釈を垂れる暇が有るのなら、少しでも前線に出て来きて、BETA共と戦えと言いたい。
第1師団の若手や中堅将校連中は、昨今では一端の壮士気取りで、ピヨピヨさえずりやがる連中ばかりだ』って・・・」
「・・・一応は、『戦略研究会』とか言っているけどな・・・」
「自己満足の、馬鹿共ですよ。 軍人が政治に首を突っ込んで、一体どうしますか?」
佐野少佐の言葉に、周防少佐も苦笑するしかない。 前線と後方の温度差と言うか、認識の差と言うか・・・前線部隊の言いたい事は『もっと兵力を! もっと装備を!』だ。
そろそろ気温が上昇し始める、真夏の山間部を縫うように走る道路。 ここら辺一体も、98年の本土防衛戦で荒らされた場所だ。
それを、『明星作戦』後に新潟方面との連絡を付ける為、最優先で復旧された場所だ―――道路と、途中の軍事施設だけが。
2人が乗っているのは、73式小型トラックの後部座席。 本来なら後部4人乗りだが、通信機器が一角を占める為に5人乗りになっている。
普通は大隊本部要員と共に、高機動車での移動なのだが、今回はどう言う都合か73式小型トラックが1輌余分についてきた。 なので2人の少佐がこの後部座席を占拠している。
「・・・君も、大隊内には徹底させた方が良い。 最近は警務隊はおろか、あちこちが探りを入れているとの噂もある・・・」
声をひそめて周防少佐が言う。 チラッと前を見ると、運転手の兵長は前を向いて運転に余念がないし、助手席の一等兵(通信兵だった)は、先程から無線機を手に交信している。
それに車内の騒音などお構いなしなのが、軍用車両―――戦闘時の輸送車両だ。 市販の車両を流用しているとは言え、静粛性など二の次。 声を聞かれる心配は無いのだが・・・
「・・・あの、どこぞの学者先生が発表した、『帝国改造法案大綱』とやらですか? 余りに過激だってんで、国家憲兵隊から発禁処分にされた?」
「愛読者がな・・・多いらしいよ、第1師団・・・」
「馬鹿な・・・本気で?」
昨年の秋に帝大を辞した元教授が発表した論文―――と言うよりも、半ば思想書―――が、発禁処分となったのは今年の初めだった。
『日本帝国は皇帝・将軍と国民が一体化した、真の民主主義国家である。 しかし財閥や腐敗政党によって、今やこの一体性が損なわれており、これを取り除かなければならない。
その具体的な解決策は、将軍によって指導された真の国民によるクーデターであり、三年間憲法を停止し両院(貴族院・衆議院)を解散して全国に戒厳令をしく。
国民総選挙を実施し、そのことで国家改造を行うための議会と内閣を設置することが可能となる。 この国家改造の勢力を結集する事で、真の国民議会を結成する』
他に経済の構造改革。 私有財産の規模を制限し、一定額以上は国有化とする。 この事で資本主義の特長と、社会主義の特長を兼ね備えた経済体制へと移行することができる。
この経済の改革は、財政の基盤を拡張して福祉を充足させる為の、真の社会改革が推進できる。 そしてその上で、日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指す。
「・・・何か、取って付けた話ですよ。 大昔の右派思想家の言い分を、そのままなぞった様な・・・」
「最後の部分は、あれは『日本主義』、そのままだな。 恐らく『日本主義』に信奉者の多い武家社会への受け狙いか・・・将軍を担ぎ出そうとする以上はな・・・」
基本的には統制社会―――国家社会主義の考えが根底にあるのだ。 それ自体は珍しくない。 実のところ、保守派も皇道派も、そして現政権も、少なからずその傾向を持つ。
一般社会からは見えにくいが、日本帝国の統治、その主導権をほぼ手中に収めた『統制派』と呼ばれる軍部主流の軍官僚と、中央官庁の革新官僚の連合体も同様だった。
国家本来の機能として支配・統制が行われるとする『国家社会主義』を提唱し、日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという旧来からの保守派。
これは『最も完成された社会主義国家』と揶揄される日本の、その古い保守勢力が中心となっている。 実は武家社会にも、この信奉者は多い。
次に国家や政府が、国民の権利や利益を反映して、社会主義政策を進める事を主張する、国家社会主義論がある(この方法論は、議会制民主主義による改良主義である)
現総理大臣・榊是親の社会保障政策も、国家社会主義と呼ばれる事がある。 榊は『明星作戦』後、戒厳鎮圧法を制定した。
が、他方では労働者・難民の社会保障や、教育費の無償化など、社会主義的政策を実施した(但しこの政策は、年々増大する莫大な軍事支出に圧迫され、その予算枠は減少)
そして、皇帝・将軍親政権制限の強化や、財閥規制の放置、政党の腐敗、野放し状態の難民対策など、政治への深い不満とその関与を目指して自然的に結成された皇道派。
彼等は先の『帝国改造法案大綱』等の思想に影響を受け、同時に同僚・部下、或いは自身の親類縁者の境遇を憂い、祖国の窮状に危機感を抱く若手・少壮の軍人・中堅官僚が多い。
国家社会主義の最後の勢力は、現在の主流勢力の『統制派』 元々は軍内の規律統制(文民統制の尊重・堅持)の意味から、統制派と呼ばれていた。
それが大陸の末期を直視する内に、軍内統制派と中央省庁の革新官僚とが繋がった。 彼等は強固な軍備や産業機構の整備に基づく、総力戦に対応した『高度国防国家』を構想した。
「・・・『軍人は、政治に関与するなかれ』 古い言葉だが、同感だな」
「・・・『我等、祖国の醜盾たれ』ですか。 訓練校じゃ、毎朝、毎朝、言わされましたが。 実際、歴史を見ても軍人が政治に関与すると、碌でもない事ばかりだ」
「・・・僕は、米国の大学でそれを学んだよ」
そして最後に、国家社会主義色を非難する議会の野党勢力。 彼等は『日本新保守主義』と呼ばれる。 或いは『新自由主義』とも呼ばれ、大都市の市民を基盤にして台頭した。
内政的には規制緩和、民営化と自由貿易・自由経済の推進、福祉政策・社会保障の削減・縮小、解雇規制の労働法制緩和など、供給サイド重視の政策を主張する。
外交的には復古的改憲論、アメリカとの間の相互協力及び安全保障条約(日米同盟)の再条約と強化。
「確か・・・帝国軍の正面装備を削減する一方で、『日米同盟の強化による安全保障』を中心に据えていた・・・でしたね?」
「うん・・・親米保守派の主流となりつつある。 西日本の荒廃した市町村廃止の推進やら、道州制による地方交付税交付金の削減やら・・・そんな改革推進を主張しているな」
「保守派や皇道派、おまけに武家社会からも『難民・弱者切り捨てだ!』と、議会であわや大乱闘騒ぎまで、非難されていましたっけ・・・」
しかしながら、今現在、極東戦線の最前線で袋小路状態に陥っている日本帝国では、特に都市部の富裕・中流層からの支持を集め始めている。
彼ら都市部住民にとっては『どうして我々だけが、一方的な増税を背負わされねば、ならないんだ!』と言う不満が有る。 都市部住民と難民との間で、反目が育っていた。
「・・・正直、もう『乗るか、逸るか』なのだと思う。 どう足掻いても、巨額の軍事支出と、これも巨額な社会保障支出を両立させるだけの、そんな財布を祖国は持っていない。
どちらかを取れば、もう一方には財布を締めなければ破産する。 では、どちらに財布を開けるか? 日本を生き残らせる為には、だけどね・・・」
周防少佐の小声に、佐野少佐が苦笑しながら、疲れた表情で言い返す。
「・・・社会保障費を増額しても、佐渡島を陥す事など、出来ませんね・・・」
「・・・せめて半島の甲20号・・・鉄原を陥さなければ。 90年代初め、俺達が初陣を果たした頃の状況まで回復させなければ、帝国が内治に注力するのは無理だ」
「・・・それまで、国内が保てば、の話ですか」
実際、彼ら佐官クラス以上の軍人達は、皇道派の青年将校達以上の焦燥感を持っている。 階級・地位に伴い知り得る『真実の』情報。
佐渡島は年内、遅くとも来年の春までに。 半島は2~3年の内に攻略しなければ。 そうでなければ、肥大し続ける軍事支出と社会構造の疲労は、BETA以前に国を喰い尽す。
「・・・だから統制派は、軍の増強・・・98年から99年に蒙った損害の回復に躍起になっているし、税収の拡大を求めて産業界の統制化を強めている」
「そして現政権は国連との繋がりを、より強化する方向で、別のアプローチで時間と、そして手段を得ようとしている・・・」
「どちらも、有り金を全て1点に張り込んだ大博打を打ったのさ。 いや、そうせざるを得なかった。 もう、帝国には手札が無いからな・・・」
ヒソヒソと話しながら、周防少佐も佐野少佐も、次第に気分が沈んでいくのを自覚した。 状況を整理すればするほど、祖国の未来に光を見出せなかったからだ。
運転手の兵長が、訝しげな表情でバックミラーを覗き込んでいる。 が、敢えて無視した。 どだい、お偉いさんの話に首を突っ込めないし、どうせ碌な事では無いのだ。
2001年8月7日 1350 日本帝国 帝都・東京
暑い夏の盛りでも、炎天下の屋外で例え30分(!)も待たされようとも。 女に惚れた男は、とことん馬鹿になれるものだ。
帝国陸軍の第3種軍装(夏服・半袖開襟ワイシャツ型)に軍帽を小脇に抱え、街行く人の波を眺めながら、周防直秋陸軍大尉は炎天下、ずっと突っ立っていた。
時折、通行人が気味悪そうな表情で、チラチラと眺めながら通り過ぎる。 当然だろう、軍の将校がこの炎天下、時折表情を崩しながら、汗をかいて突っ立っているなど。
遣欧旅団の1員として欧州に1年派遣された後、帰国後に編入された部隊は、本土防衛軍総予備の第16軍団所属の第39師団だった。
元々、1個戦術機甲大隊しか保有していない丙編成師団だったが、遣欧旅団戦力をそのまま受け入れた結果、戦術機3個大隊―――1個戦術機甲連隊を有する乙編成師団に再編された。
そこの第3大隊―――第391戦術機甲連隊第3大隊、第3中隊長に任じられた。 上官は以前にも部下として仕えた事が有る、復帰した伊達愛姫少佐。
「―――な、直秋さん!?」
不意に傍らから、驚いた様な若い女性の声がした。 振り向くと1人の女性が―――淡いクリーム色のサマードレスを身に纏った、愛らしい顔立ちの女性が驚いた顔で見ている。
「い、いったい・・・え? あ、あの・・・私、待ち合わせの10分前に来たつもりですけれど・・・え? ええ? も、もしかして私、時間を間違え・・・ました・・・?」
「あ、百合絵さん。 ああ、いやいや、自分がちょっと早く着き過ぎただけで・・・」
ちょっと? それにしては、この汗・・・
「ははは・・・ちょっと、40分ばかし早く・・・はは、は・・・」
照れ隠しに、虚ろな笑いをする周防直秋大尉。 そんな彼を唖然と見つめる、百合絵と呼ばれた女性。 やがて驚きから我に帰ると、今度はちょっと顔を顰め、お説教風に言う。
「んっ、んんっ! 直秋さん? いくら軍人さんで鍛えているとは言え・・・この炎天下ですよ? 熱中症にでもなったら、どうするんですか?」
「ああ、いや、大丈夫。 この位は新米少尉時代に、当時の鬼畜な上官に扱かれましたので・・・」
―――因みに鬼畜な上官とは、彼の従兄の事である。
「駄目です! いけません! お身体は大事に為さってください! 本当に、気分が悪いとか・・・そんな事、無いですか!?」
そう言って、本当に真剣な表情で心配を始めた、付き合い始めた女性に思わずドキリとしながら、周防大尉はようやく我に帰る―――おい、ここは街中だった!
「ああ、いや、本当に大丈夫・・・あ、いや、ちょっと暑いかなぁ? どこかで涼みたいかなぁ・・・って、うん」
そんな相手の態度に、クスリと微笑むと、まるで満面の夏の花の様な笑顔を浮かべて、『じゃ、あっちの喫茶店にでも』と誘う。
恋路にのぼせ、真夏の炎天下に茹り切った馬鹿な男に、ようやく頭も体も冷やせる機会がやって来た訳だった。
「・・・戦術機って、危なくないのですか?」
喫茶店内の一角、普段はクソ不味い代用コーヒーで作ったアイスコーヒーも、このクソ暑さと女性にのぼせる頭には、心地よい程美味い。
「いや、別にちゃんと操縦している限りは、結構安全なんだ。 機体制御コンピューターとか、かなりの高性能だしね」
アイスコーヒーをひと口飲んで、周防大尉が目の前の女性にちょっと照れ笑いしながら話す。 高瀬百合絵、妹の同僚で先輩。 1歳年下の小学校の先生。
欧州から帰国して暫くしたある日、休暇で実家に戻った時に妹が家に連れて来ていた。 そこで初めて出会った。 紹介された時の笑顔が忘れられなかった。
それからだ、なにかと妹に頼みこんでは、休暇の度にセッティングをして貰い・・・『兄さん、もう大人なのだから・・・百合絵先輩も、悪い気はしていない様よ?』
(ええと・・・こうして会うのは・・・これで9回目。 ううむ・・・)
ふと、先日に従兄の家に言った時の事が思い浮かんだ。
(冗談じゃないぞ・・・直衛兄貴に乱入されて見ろ、どこまで話が突っ走るか・・・)
高瀬百合絵と言う女性は、明るくて柔らかな印象で、まず子供達から慕われている女の先生、まさにそんな感じの女性だった。
言って見れば自分の一目惚れだ、だからこそ不埒な闖入者には邪魔をされたくない。 ましてや、あの従兄には・・・
「・・・直秋さん? どうかなさったの?」
ふと我に返る。 拙い、拙い、どうやら悶々としていて、彼女の話を上の空で聞いていた様だ。 もったいない、貴重な逢瀬の時間だと言うのに!
「あ・・・あの、百合絵さん! 話を聞いて欲しい!」
「は、はい!」
急に身を乗り出し、真剣な表情で切り出した周防大尉に、百合絵嬢が驚いた表情で思わず両手を胸の前で組んでいる。
「あ、あのですね! 自分は軍人で・・・つまり、危険が商売なわけで。 でも、それは自分なりに戦う理由が有って戦っている訳で、それを誇りにもしている訳で・・・」
―――上手く言えない。
相手の女性、高瀬百合絵嬢は黙って、神妙な表情で、そんな周防大尉の言葉に聞き入っている。
「ええと、その・・・でも何て言うか、自分も支えと言うか、拠り所と言うか・・・誰かの為に頑張っているって、そう思いたくって・・・」
―――ああ、何を言いたいんだ? 俺って?
「べっ、別に、だからって訳じゃなくって・・・その、初めて自分の家でお会いした時からその・・・ああ、何て言うか・・・」
―――まだるっこしい! 自分の気持ち、はっきり言えよ! じゃねぇと、あの直衛兄貴が本当にしゃしゃり出て来るぞ!?
「その! ぶっちゃけ言ってしまうとですね・・・自分、貴女に、百合絵さんに一目惚れです! こうして会っている内に、益々惚れてしまいました!
だから・・・ええい! 前置きは良いんだよ! くそ! だから・・・俺、貴女に惚れています! 好きです! 本気です! ですから・・・付き合って下さい!」
ガバッとテーブルに両手を突いて、頭を深々と下げて、求愛する帝国陸軍大尉―――ここは喫茶店の店内。 小さなざわめきが聞こえる。
深々と頭を下げながら、しまった、他にも客が居たんだっけ・・・と、冷汗をかく周防直秋大尉。 そして女性の返事を、女神の信託が下る気分で、平信者の如く待ち受ける。
「・・・ぷっ、くすくすくす・・・」
やがて、柔らかい笑い声が聞こえた。 頭を上げると、柔らかな笑みに、笑い涙を浮かべながら微笑んでいる高瀬百合絵嬢。
「あ・・・あの、百合絵さん?」
「ご、ごめんなさい・・・くすくす・・・」
邪気の無いその笑いを、どう捉えたらいいのか、一瞬判断に迷う周防大尉。 彼とて随分と戦場を渡り歩いた歴戦の将校だ。 判断力には自信が有った。
だが、BETAの動向を読み取る能力も、どこを叩けば効果的な戦果と、部下の生還を果たせるかの判断力も、今の目の前の笑みをどう判断していいのか、全く役に立たない。
「深雪ちゃんの言っていた通り・・・『私の兄って時々、信じられない位、真っすぐな子供の様な事をするんです』って・・・」
「あ・・・あいつめ・・・」
妹の、兄への評価を、惚れた女性の口から聞かされた周防直秋大尉は、今度こそ『穴があったら入りたい』と、真剣にそう思った。
「でも私、そんな所、素敵だと思います―――あの、私・・・お付き合い、させて下さい・・・」
最後の消え入りそうな、恥かしそうな声を確かに聞いて、周防大尉は天に昇る様な喜びを感じた。
―――最もその直後、喫茶店内から拍手が湧き上がって、若い2人は顔を真っ赤に染めてしまったのだが。
「―――おい、周防? 周防か?」
晴れて『恋人同士』に昇格した2人が街中を幸せな気分で歩いていると、不意に横合いから声を掛けられた。
周防大尉が『誰だ!? 邪魔をする馬鹿野郎は!?』と言うかの表情で振り返ると、そこには相手の表情に吃驚している同期生の姿が有った。
「―――高殿!? 高殿か!? おい、久しぶりだなぁ!」
周防大尉の同期生、第1師団第3戦術機甲連隊に所属する、高殿信彦大尉だった。 周防大尉の横に控える様に立つ高瀬嬢に、静かに目礼をする。
「こちらの女性は? 恋人か? 紹介してくれるか、周防?」
「あ、ああ、スマン。 彼女は高瀬百合絵さん、小学校の先生をしている。 うん・・・恋人、だ。 百合絵さん、彼は高殿信彦大尉、同期生だ」
「―――高瀬百合絵です。 帝都第38国民小学校に、奉職しております。 周防さんとは、その・・・」
「自分は、高殿信彦陸軍大尉で有ります。 こちらの周防君とは、衛士訓練校での同期生です。 周防―――貴様、こんな素敵な女性を捕まえていたなんて、聞いてないぞ!」
長身の高殿大尉が、周防大尉の首根っこを押さえこむようにして、破顔しながら笑っていた。 周防大尉も照れながらも、嬉しそうな笑みを浮かべている。
傍目には若い同期生の将校同士が、久々の邂逅を喜びあっている。 傍らにはその内の1人の恋人である若い女性が・・・微笑ましい、そんな光景だった。
その内『邪魔をしたら悪いから』と言って、次回の再会を約して別れる事になった。
「―――所で高殿、貴様、この辺に用事でも?」
この辺りは帝都の東部、西関東防衛戦や『明星作戦』でも戦火の及ばなかった地域だ。 まだまだ、以前からの町並みが残されている。
周防大尉が言ったのは、第3戦術機甲連隊の駐屯地は府中基地であり、そしてこの辺りには軍の施設が無かったからだ。 独りで、街中を?
「―――この先に、両親と兄夫婦の墓が有る」
高殿大尉の故郷は広島県―――壊滅した、そして現在は関門海峡を防衛する為に、軍事要塞化された場所だった。
「故郷に建てる訳にも、いかないしな・・・今日は祥月命日でな。 これから、この先の軍の孤児院に行く。 死んだ兄夫婦の子供達・・・甥と姪が居るんだ」
「・・・済まん」
神妙な表情で言う同期生と、その横でそっと頭を下げたその恋人の女性の姿に、高殿大尉は一瞬苦笑してから、破顔して言った。
「なんだ? 周防、貴様らしくない。 貴様と蒲生と、それに森上・・・同期生の横着3人組に、そんな神妙になられちゃ、くすぐったくてしょうがないぞ?」
「・・・ふん、言っていろ。 おい、次の同期会には顔を出せよ?」
「ああ・・・そうだな、そうするよ」
2人連れだって歩き去る同期生と、その恋人の後ろ姿を見ながら、高殿大尉は微笑ましさと、少しばかりの羨ましさを感じながら、それを振り払うかのように向き直って歩き始めた。
(―――周防、貴様は・・・)
歩きながら、次第に頭の芯が冷めてゆく。 内心から沸々と覚悟が湧き上がる。
(―――周防、貴様は、その女性を大切にしろ。 日本の将来の為にもな・・・)
同期生を祝福しながら、自分にはその機会は永遠に訪れないだろう、そう確信していた。
(―――俺は、俺に信じる道で、この国の礎になる。 正しいか、間違っているか・・・もはや、論じる猶予は無い。 行動有るのみ)
この先の孤児院に寄った後、もう一箇所立ち寄る場所が有った。 そこには彼と志を同じくする、第1連隊の1人の大尉が待っている筈だった。