2001年3月25日 日本帝国 帝都・東京 日比谷 帝国軍本土防衛軍総司令部(The Defense General Headquarters :DGHQ) 帝国軍防衛会議
ここに来る度に、何か威圧感を感じる―――日本帝国陸軍・周防直衛少佐は居心地の悪さを感じつつも、上官のお供として来た以上、会議が終わるまでは我慢せねばならなかった。
60年以上も前に建築され、民間所有ビルから、先の世界大戦では陸軍が接収して東部軍管区司令部が置かれた。 その後民間移譲されたが、BETA本土進攻後また軍が接収。
今は本土防衛軍総司令部として、陸・海・航宙3軍の軍人達が忙しく行き来する。 地上7階、地下4階の建物は、それでも昨今の増員で手狭になり、近々別館を設置すると言う。
「―――どうなるかね?」
「ガルーダス(大東亜連合軍)への影響力を考えると、派兵せねばならんだろうね。 問題は、そんな戦力が有るか、と言う事だが・・・」
防衛軍総司令部第4部(兵站)の九重清源中佐と、国内予備軍(Replacement Army:RA)2部(兵監部)の邑木昇中佐の会話が聞こえる。
向うでは防衛軍総予備で有る第16軍団参謀の柴野季孝少佐と、榊原慎之介少佐が話し込んでいた。 彼らだけでは無い、中佐・少佐級の佐官がヒソヒソ話の真っ最中だ。
「・・・何処をどう探したって、余剰兵力なんかない。 佐渡島正面の新潟を担当する北陸・信越軍管区や、朝鮮半島と対峙する九州軍管区は論外として・・・」
「・・・九州の側面を守る西部軍管区、沿海州や樺太からのBETA侵入防衛を担当する、北部軍管区もダメだ・・・」
「・・・東北軍管区は、北部と北陸・信越の両軍管区に対する支援任務が有る。 そこから削る訳にもいかん・・・」
「・・・削るとすれば、西部と北陸・信越の後背地を防衛する東海軍管区か・・・東部軍管区は・・・いや、手を付けんだろうな」
「・・・当然だ、帝都防衛軍管区だぞ、東部軍は・・・市ヶ谷の統幕(統帥幕僚本部)以前に、三宅坂(陸軍参謀本部)が首を縦に振らんよ・・・」
防衛軍総司令部の大会議室、その脇に付属する控室には、会議に出席する資格を持たない中佐・少佐級の副官・参謀・随員達が、上官を待っている間、あれこれ想像していた。
今月の初旬に南シナ海の派遣から帰還した、帝国海軍第2艦隊分遣隊(第5戦隊、第4航戦、第2駆戦)がもたらした、米海軍海上輸送司令部(MSC)の動向情報。
それが命令系統を辿り、統帥幕僚本部(統幕本部)、国防省へと上がった時点で、事態は軍事から政治へ、具体的には外交政策問題へと進展したのだ。
「・・・例の『HI-MAERF計画』接収、高値で売る代わりに、東南アジアへの進出を黙認しろ、そう言う事か・・・?」
「・・・少なくとも、米軍内のタカ派や、CIAの経済通はそう見ているだろうな。 東南アジアは今や、アジア圏イチの工業成長地帯だ。 インドネシア、ボルネオ・・・」
「・・・後ろに控える豪州へ、待ったを掛ける意味合いもあるだろうな。 我が帝国との経済的・軍事的繋がりが加速する事を、アメリカが指を咥えて見ているだけとは・・・」
「・・・だからか? ここで派兵して、ガルーダスはおろか、大東亜連合加盟国全体への心証を、さらに向上させておかないと、と言う・・・?」
「・・・外務省と通産省は、大東亜連合理事会に対して、更に帝国企業の進出を打診している。 現地生産工場の建設と、雇用の促進だな。 この前、新聞に載っていただろう?」
各軍管区司令官(陸軍大将)、GF司令長官(海軍大将)、EF司令長官(海軍大将)、海軍鎮守府長官(海軍大将)、海軍聯合陸戦隊総司令官(海軍大将)、航宙軍降下兵団総司令官(航宙軍大将)
これに本土防衛軍総司令官(野々村尚邦海軍大将)、同副司令官(岡村直次郎陸軍大将)、同参謀長(国武三雄陸軍中将)等々、帝国三軍の将帥がズラリと揃う、軍事行動全てを決定する最高会議。
中佐や少佐では、『尻の青い若造共は、そこで待っておれ』とひと言、そう言われて終わりである。 周防少佐が随員として従って来た上官の第15旅団長・藤田准将も、この会議では只の『傍聴者』に過ぎない。
准将以上の階級の(海軍では代将=提督勤務大佐)将官達が多数出席しているが、実際はそれ以前、本土防衛軍幕僚会議(中将以上の司令官・幕僚の会議)で大筋は決定している。
要は形式に過ぎないのだが、組織と言うものにとって形式は、それはそれで必要だ。 と言う訳で、『傍迷惑な』と内心で思っている随員の身として、2時間待ちぼうけで有る。
「どう思う? 周防少佐」
横合いから話しかけられ、見ると旧知の佐久間基少佐だった。 以前に第18師団作戦課で勤務した折の同僚だ、今は東部軍管区司令部の参謀をしている。
「・・・出すとしたら、今の所、そう忙しくない部隊。 東部軍の第1師団か第3師団。 あるいは西部軍(西部軍管区:近畿・中四国担当)の第27師団か第31師団。
他の部隊は軍管区主力・・・BETA防衛の矢面に立たされる部隊や、練成途上の新編師団や旅団だ。 まさか禁衛師団を出す訳にもいかない」
「君の所の、第15旅団は? あるいは、西日本の第10旅団」
「・・・緊急展開部隊が不在、それでもいいのならね」
どうにも、この男とは反りが合わない。 第18師団に居た頃からそうだった―――周防少佐は内心で舌打ちしつつも、常識的な所で返答し、お茶を濁そうとした。
それでも内心では、東部軍は動かないだろうし、西部軍も猛反発するだろうな、そう思っていた。 東部軍は自分達が『帝都防衛の最精鋭』と言う、妙な自負を持つ。
対して西部軍は、『元々の帝都防衛最精鋭部隊は、我々西部軍だ。 東部軍など京都防衛の時は、関東で寝ていただけの連中だ』と、変な対抗意識がある。
「我々東部軍は『第1軍』だよ、帝都の守りを放棄する訳にはいかない。 西部軍管区もまあ・・・『かつての第1軍』としてはな。 それに近畿はやはり要衝だ、手薄に出来ない」
全く、陸士恩賜のエリートは! 全てと言う訳ではないのだが、それでも中央官衙(国防省や統幕、参本)や花形部隊に配属されている、陸士恩賜組のエリート将校臭が鼻につく。
ちょっと僻みかな? などと思うが、それでも周防少佐も、衛士訓練校卒業生としては十分早い出世だ。 平時ならば訓練校卒業後、少佐進級は15年かかる。 それが8年半だ。
如何に国内にBETAを迎え撃ち、そして未だ国土にハイヴが存在する国の軍隊―――日本帝国軍の人的損耗が激しいか、それを表す様に昨今は、訓練校卒業生も要路に就き始めた。
「首相や国防相は、中即団(CRF:中央即応集団)は動かさないだろう。 ああ、確かにそうだよ、佐久間少佐。 総予備の16軍団(第39、第45、第57師団)も動かせない。
ガルーダスの要求する『1個師団以上の戦力派兵要請』に叶うのは、第10と第15旅団に支援部隊を付けて、それを纏めて放り出すしかない、これで良いか?―――失礼する」
それだけ言うと、周防少佐は相手の反応を待たず、席を立ってしまった。 これ以上話していると、どうやら碌でも無い事を言いそうな気がしたからだ。
佐久間少佐と言えば、そんな周防少佐の後ろ姿を、やや皮肉っぽい笑みで見てから、同じ東部軍の参謀と話し始める。 やはり人には、合う、合わないがある様だった。
「おい、周防」
控室で、さて何処に避難しようかと、廻りを見渡していた周防少佐を、また誰かが呼びとめた。 先程の会話で少し不機嫌になっていた周防少佐は、やや剣呑な表情だったが。
「―――なんだ、棚倉か。 久しぶりだな、貴様もお供か?」
周防少佐の同期生、棚倉五郎少佐だった。 今は西日本全域を担当する緊急展開部隊、第10旅団で第1戦術機甲大隊長をしている。
同期の友人と判り、ホッとするのも束の間。 棚倉少佐の背後に見知らぬ大佐が居る事に気づき、慌てて敬礼をする。 棚倉少佐が気付き、その大佐に紹介する。
「副旅団長、彼は私の同期で、第15旅団で第1戦術機甲大隊を率いる周防直衛少佐です。 周防、こちらは第10旅団副旅団長の、遠野明彦大佐」
「第15旅団、周防少佐で有ります、遠野大佐」
「第10旅団、遠野だ。 ふむ、さっきのは東部軍の青二才か。 まったく、帝都でふんぞり返りおって。 少しは前線に出て来い、と言いたい所だな、周防少佐?」
「はっ、同感で有ります、遠野大佐」
横で同期の棚倉少佐も、渋い顔で東部軍の幕僚・随員団を見ている。 緊急展開部隊の第10、第15旅団としては、最前線の各軍管区部隊は労苦を共にする戦友の意識が有る。
しかし、正面装備を最新のものに揃え、練度も十分ながら第2次防衛線から一歩も出ようとしない東部軍管区―――東部軍、その第1軍には少々の反感を持つものが多い。
「同じ東部軍でも、北関東防衛の第7軍(第2軍団:第12、第56師団主力、第18軍団:第14、第56師団主力)は、積極的に防衛戦闘に参加しているがな。
その分、東部軍管区司令部とは常に喧嘩しておる。 軍管区司令官の篠塚閣下(篠塚吉雄陸軍大将)は、どっちかと言うと『よきに計らえ』なタイプだ。
実質的に動かしているのは、軍管区参謀長の田中閣下(田中龍吉陸軍中将)だが、あの人は裏表の激しい人だからな」
遠野大佐が渋い顔で言う。 帝国の中枢防衛を担う東部軍管区内で、司令部と指揮下の実働軍との間で軋轢が有るなど、本来あってはならない事だ。 棚倉少佐が後を継いで言う。
「田中軍管区参謀長は、第7軍司令官の嶋田閣下(嶋田豊作陸軍大将)とは犬猿の仲だとか。 嶋田閣下は陸大を経ずに、陸軍大将まで昇進されたお人です、叩き上げで。
陸士・陸大共に恩賜組で、どちらかと言えば軍令より軍政畑の、しかも陰性の謀略好きな田中閣下とは、まさに水と油でしょう」
しかしその軋轢は存在する。 棚倉少佐が指摘した通り、軍管区参謀長の田中中将を始めとするスタッフと、軍管区指揮下の第7軍司令官以下、第7軍とは犬猿の仲だ。
帝国陸軍内の上級将校の間では最早、公然の秘密となっている東部軍管区内の実情。 軍管区参謀長と指揮下の軍司令官が、事ある毎に衝突していた。
「・・・田中閣下は、政治色の強い統制派軍官僚ですし。 政治的に無色で、前線の指揮官ばかりを歴任されてきた嶋田閣下とは、合う筈も有りませんよ。
噂では嶋田閣下は、指揮下の2個軍団の中から1個師団を抽出しても良い、そう仰られたとか。 それを田中閣下が『帝都の守りが薄くなる』と、握り潰したと・・・噂ですが」
「いや、周防君。 噂では無いよ。 第1軍司令部に同期が居るのだがな、そいつも同じ話をしておった。 東部軍管区の会議の席上、嶋田閣下と田中閣下が大喧嘩だそうだ」
方や陸軍大将、片や陸軍中将。 しかし前者は陸軍中枢には縁の無い、恐らく今の配置が退役前の最終配置で有ろう将軍。 後者は陸軍中枢派閥に属する、エリート軍高級官僚。
総じて地方の軍管区には、陸軍中枢には縁遠い高級将校が配置され、東部軍管区や西部軍管区と言った最重要軍管区には、中枢派閥に属する、又は近しい高級将校が配されている。
ただ、同じ最重要軍管区とは言え、東部軍管区と西部軍管区は、これまた犬猿の仲だった。 西部軍管区は東部軍管区を何かに付け敵視し、東部軍管区は無視する。
BETAに本土進攻を許し、今なお佐渡島にハイヴが存在する日本帝国。 その国土奪回と防衛を担う、最大兵力を有する日本帝国陸軍もまた、『組織』の持つ悪弊に蝕まれている。
「ま・・・我々としては、下手に上の争いに巻き込まれない様、精々流れを見極める事だな。 まだ若い君等には釈然とせんかもしれんが、それが組織で生き残る術だ。
だいいち、ここでキャリアを終わらされて軍を放逐されて見ろ。 どうやって今まで死んで行った連中の仇をうつ? どうやって妻子を守る?―――我慢だよ、我慢」
遠野大佐の言葉に、未だ30歳にならない周防少佐と棚倉少佐が苦笑する。 確かに彼等は佐官の立場にあり、大隊を率いる身だ。 だが若い。
前線での実戦経験は豊富で、年に似合わぬ老成した所も(経験上、無理やりに)持っている2人の少佐だが、彼等は未だ20代後半に差し掛かろうとする青年達なのだ。
「ま、余所の悪口もこの辺にしておこう。 おい、棚倉君、久しぶりに会った同期だろう? 余り時間は無いかもしれんが、話して行けよ」
「大佐は、どうなさいますか?」
「俺か? 俺は・・・いかんな、話して楽しそうな奴が居らん。 前言撤回だ、俺も混ぜろ」
そうして暫く歓談していた3人だったが、遠野大佐が不意に思い出したように、周防少佐をまじまじと見て呟いた。
「・・・そうか、そうだった、周防君。 君があの、『周防少佐』だったか」
「・・・は?」
会話を中断した周防少佐が、遠野大佐の意味ありげな視線に怪訝そうな顔をする。 はて? 俺がどうしたと言うのだろう?
第10旅団には同期の棚倉少佐や、これまた同期の伊庭慎之介少佐が第2戦術機甲大隊長をしている。 同じ緊急展開部隊同士、話題に上る事は有るが・・・
「ふむ、こうして改めて見ると、なかなかの面構えだな、君は。 棚倉君、周防君の戦歴は君と同じようなものか?」
「私より、派手に豊富ですよ、この男は。 92年から93年初秋まで満洲派遣。 その後は国連軍で地中海全域から、ドーヴァー沿岸一帯でBETAと遊んでおった男です。
帰国後はまた、大陸派遣。 おい、周防。 貴様は遼東半島撤退戦と、光州作戦も参加したよな?―――した? だそうです。 その後は京都防衛戦と、明星作戦」
―――後は自分と同様、シベリアまで行って、BETAと雪合戦をしておった男です。
棚倉少佐の紹介の仕方に、やや呆れながらも周防少佐は、さて、それがどうしたのだろう? と思う。 確かに少し異色な戦歴だが、それが目前の大佐にどう映ってしまったのか?
―――だが帰って来た答えに周防少佐は、内心のけぞってしまう。
「ふむ、ふむ・・・まぁ、まだまだ未熟者の言う事だから、話半分に聞いておったが・・・確かに君は、『使い出の有る』指揮官の様だな、周防少佐」
「・・・失礼ですが、遠野大佐。 小官には、お話が全く見えないのでありますが・・・?」
「ん? おう、すまん、言い忘れておった。 つまりだな、娘に君の事を聞かされてな。 えらく絶賛するのでな、『そんな完全な指揮官などおらん』、と娘に言っておったのよ」
「はあ・・・大佐の、お嬢さんに・・・?」
―――誰だ? ・・・待てよ? この大佐、名字は『遠野』だな? ・・・まさか、な・・・
「君の所の指揮小隊、アレを率いているのが、俺の娘だよ」
「はっ!? 遠野中尉ですか!? 遠野万里子中尉が、大佐のお嬢さん・・・!?」
遠野中尉は、20代前半。 遠野大佐は恐らく、50歳前位だろう。 父娘と言われれば、年齢的な計算は合う・・・顔は全く似ていないが。 恐らく遠野中尉は、母親似なのだろう。
「おう、まったく頑固者の娘でな。 戦術機を降りろと言っても、ちーっとも聞きはせん。 なんでも、『大隊長を守るのが、私の任務ですから! お父様は黙って下さい!』だと。
おい、君は妻帯者か?―――そうか、残念。 もし独身なら娘を押し付けて、責任を取らせようかと、そう思っておったんだが・・・」
「せ・・・責任・・・?」
嫌な汗が止まらない。 何なのだ? この大佐は・・・?
「バカたれが、決まっておろうが。 今まで色恋沙汰に縁の無かった娘だ、それが頬を紅潮させて上官を語るなぞ・・・
全く、我が娘ながら呆れるわ。 少しは冷静に相手を選べと言いたいわい! よりによって、妻帯者だなどと・・・」
ぶつぶつと独りごとを始めてしまった遠野大佐を、冷汗をかきながら茫然と見つめる周防少佐。 そんな周防少佐を棚倉少佐が、『ちょっと来い』と部屋の隅に誘う。
「・・・おい、棚倉! 一体なんだ、さっきの話は!?」
「ああ、済まん。 大佐がどうしても、とな・・・まあ、心配するな。 恐らく大佐の思い込みだ」
「・・・本当だな? 俺は優秀な指揮小隊長を、配置換えしたくないぞ?」
「俺の副官が、大佐のお嬢さん・・・遠野中尉の同期生だ、その線で探らせた。 『まあ、麻疹みたいなモンでしょう』、だと。 それも貴様が米国に行く前の話だ」
「・・・俺は、ウイルス菌か!?」
「ああ、そうだ、娘の父親にとってはな。 色恋沙汰に免疫が無い大事な娘に取り付いた、性質の悪い一種の伝染病だよ、誰もが一度は罹患する、な。
ま、淡い初恋、イコール、即失恋だ。 しかしまあ、『時間薬』って言う薬が効いたのだろう、最近は『敬愛する上官』に落ち着いた様だよ。 目出度し、目出度し」
―――どうして部外者の貴様が、当事者より詳しいのだ。
などと、ぶつぶつと文句を言っていた周防少佐だったが、やがて本会議が終わった様で、次々と将官達が会議室から出て来るのを見て、慌てて上官を探し始める。
「棚倉、済まんがここで! それと、遠野大佐の誤解は解いておいてくれよ!?」
「了解、了解」
ニヤニヤ笑う同期生に憮然とした顔で敬礼と答礼を交しつつ、上官を探す。 途中で藤田准将の副官で有る三宅純子大尉と合流し、脇によけて将官達に敬礼する。
大将、中将、少将と言ったお歴々が通り過ぎるのを、敬礼しながら待っていたら、上官である藤田准将が歩いて向かってくるのが見えた。
「閣下、お疲れ様でした」
副官の三宅大尉が、准将が持っていたブリーフケースを代わりに持つ。 その後で周防少佐も藤田准将に就き従い、表玄関までの廊下を歩く。
「閣下、会議の結果は・・・」
「周防、忙しくなる、覚悟しておけ」
それだけ言うと、藤田准将はまた黙りこみ、早足で玄関まで歩いてゆく。 玄関を出て、旅団司令部の旅団長専用車に乗り込む。 助手席に三宅大尉、周防少佐はその後ろ。
車を発進させ、帝都の中心部を走らせる。 窓から見る帝都は、BETAを迎え撃った98年、明星作戦が行われた99年の大混乱から立ち直りを見せ、復興しつつあった。
神田橋を抜け、途中で靖国通りに入る。 浅草橋で北上し、そのまま蔵前、浅草、隅田川を越して向島。 荒川を越した頃、黙って景色を見ていた准将が言った。
「4月早々に派兵だ、場所はマレー半島。 クラ海峡防衛の増援だ。 第10旅団と第15旅団を主力に、機動歩兵、機械化歩兵装甲、機甲、自走砲が各1個連隊付く。
他に独立戦術機甲中隊が6個と、1個航空団(戦闘ヘリ、汎用ヘリ、偵察ヘリ、輸送機)、後方支援連隊だ。 海軍からも第2聯合陸戦師団から、1個陸戦団(旅団)が出る」
「師団以上、軍団以下、と言った所ですか。 指揮官はどなたが? 進発時期は?」
「指揮官は、竹原閣下(竹原季三郎少将、前第49師団長)だ。 4月5日に進発する、時間が無い。 済まんが、一時帰郷させてやる事は出来ん」
帝国陸海軍では、海外派兵の前に将兵に対し、一時帰郷を許可するのが恒例となっていた。 だが今回は時間が極端に少ない、あと11日しか無かった。
「部下達には、言い含めておきます。 海軍の支援はあるのでしょうか? 聯合陸戦隊が出ると言う事は・・・」
「第2艦隊から抽出して、南遣艦隊が編成される。 司令官は第4航戦の城島提督(城島高治海軍少将)だ。 それに5戦隊と2駆戦が付く。
ご苦労な事だ、1か月前に帰国したと思ったら、また南シナ海に逆戻りだな、あの3個戦隊は・・・そう言えば、5戦隊司令官は、君の身内だったな?」
「叔父が、戦隊司令官をしております。 義弟も、戦隊旗艦乗組みの海軍中尉で・・・」
ああ、また妻に苦労を掛けるな。 お義母さんも息子の無事を心配なさるだろう。 どうしようか? 妻には子供を連れて、暫く実家に戻れと言おうか?
それとも自分の実家に行かそうか? 双子の赤ん坊を抱え、夫の無事を祈りつつ、決して不安を表に出さないで有ろう妻の事を考えながら、周防少佐は務めて事務的に話す。
「本日より、出師準備開始。 完了は4月3日、基地進発・搭船が4月4日。 東京港出港が4月5日。 4月1日より2交替で、12時間の外出許可を出したいと考えます」
「名倉(副旅団長)や元長(旅団先任参謀)と相談して、良い様に決めろ。 整備の草場(草場信一郎少佐、整備大隊長)にはまた、無理を言う事になるな・・・」
「はは・・・あの人は、機械弄りが出来れば、それで幸せって人ですから―――G4(旅団兵站参謀)への事前通知に、各種予備パーツを多めにと、伝えておきます」
普通ならこう言う場合の随員は、旅団参謀が務める。 だが藤田准将は部下の佐官に対する教育の一環として、こうして部隊指揮官の中・少佐を輪番で随員にする事が多い。
周防少佐が言った事は、戦術機や戦車、自走砲に自走高射砲、各種兵器の整備用予備パーツを、定数より多めに持って行け、と言う事だった。
帝国陸軍はこれまで、主戦場を中国大陸の華北・満洲地方から朝鮮半島、そして日本本土として戦って来た。 乾燥・寒冷、または温暖・湿潤の気象条件下だ。
しかし今回は熱帯雨林地帯での、高温高湿条件下の戦闘だ。 南方戦装備もあるが(各メーカーは、大東亜連合軍も顧客だ)、特に高い湿度はアビオニクスに悪影響を与える。
「向うに着くのは、4月の半ばか。 早ければその半月後には乾季があけて雨季に入る、戦い難くなるぞ」
「BETAは、季節や気候などお構い無しですからね。 少しでも余裕が有れば、現地軍からレクチャーを受けられるのでしょうが・・・」
藤田准将も周防少佐も、慣れない自然環境下での派兵に、一抹の不安を拭えなかった。
2001年4月5日 0830 日本帝国 帝都・東京 東京湾・帝国軍青海陸軍基地・青海埠頭
東京湾に面する青海埠頭は、99年の『明星作戦』以降、帝国陸軍占有の揚陸・搭船基地として機能している。 派兵戦力はここから乗船し、海外の戦場へと向かう。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ご無事で、あなた。 この子達と、お帰りをお待ちしています」
埠頭には出征する将兵と、別れを惜しむ家族との間で抱擁が交され、無理をして作った笑顔で将兵を送り出す。 その中には周防少佐夫妻の姿もあった。
「今回は主役じゃ無くて、助っ人だ。 どちらかと言えば、予備戦力さ。 正面で矢面に立つ訳じゃない、心配無いよ」
「・・・ええ。 あなた・・・本当に、本当にご無事で。 ご無事で帰って来て、お願い・・・」
自分もかつては戦術機に乗り込み、最前線の衛士として、そして中隊長として戦った経験のある周防夫人は、内心の張り裂けそうな不安を飲み込んで、少し嗚咽する。
そんな愛妻の様子を見た周防少佐も、決して絶対とは言えない言葉を、しかし自分と妻と、子供達の為に口にする。 そう信じ込む。 生きて帰る為に。
「祥子、約束しただろ? もう随分前だけど、93年の夏に。 『絶対生きて帰る、君の許に。 生きて、今度こそずっと君の傍にいる為に』・・・はは、今言うと、ちょっと気恥ずかしいな」
「・・・馬鹿。 直衛の、馬鹿・・・行ってらっしゃい、お体には気をつけてね? 愛しているわ、あなた」
「愛しているよ、祥子」
あちこちで交される、愛する人との、仮初の別離の光景。 しかしこれが本当に、永遠の別れになる可能性も十分有るのだから。
そんな若夫婦の抱擁を、義母(周防夫人の母)が温かく見守っている。 手に引いた乳母車には、可愛らしい双子の赤ん坊が無邪気な笑い声を上げていた。
「・・・直嗣、祥愛、ちょっとだけ辛抱してくれな? お父さん、ちょっと遠いところまで、お仕事なんだ。 お母さんと一緒に、良い子にして待っていてくれな?」
双子の息子と娘を抱き抱え、無邪気にじゃれついて来る小さな、温かい手に少しだけ、後ろ髪を引かれる思いになる。
そんな未練を振り払い、子供達を妻と義母に託し、周防少佐は敬礼する。 出港時間が近づいた、もう乗船を開始し始めている。
「祥子、行ってくる。 お義母さん、妻と子供達の事、宜しくお願いします」
「いってらっしゃい、あなた。 ご無事で・・・」
「何も心配なさらず、直衛さん。 祥子と孫達・・・直嗣と祥愛の事は、私が責任持って。 ご無事で、直衛さん。 娘と、孫達の為にも・・・」
2001年4月5日 1630 太平洋上・日本近海 日本帝国軍南遣兵団 戦術機母艦『千歳』
「おう、周防。 愁嘆場を思い出しているのか? 相変わらず、お熱い事だな、貴様と嫁さんは」
『千歳』の後甲板で流れるウェーキ(航跡)を眺めていた周防少佐に、背後から声が掛った。
「羨ましいだろう? 貴様もさっさと身を固めたらどうだ? 伊庭」
僚隊で第2戦術機甲大隊長を務める、同期の伊庭慎之介少佐だった。 周防少佐の切り返しに、やや癖のある短い髪をクシャクシャと揉みながら、伊庭少佐が苦笑する。
「ちぇ、今回は形勢が悪いわ。 貴様と言い、長門と言い、棚倉と言い、女房子供のいる奴らばっかじゃねぇか」
「今時、同期で独身者の方が、少数派なんだぞ? あのお固い永野(永野蓉子少佐・第14師団第142戦術機甲連隊・第2大隊長)も昨年末に結婚した。
貴様の様に、夜毎色んな華の蜜に吸い寄せられて、フラフラしている奴の方が圧倒的に少ないんだ。 どうなんだよ? 居ないのか、決まった相手は?」
「・・・俺は、もう暫く独身主義を楽しみたくてね」
飄々と言う伊庭少佐だが、同期生達はこの一見不真面目に見える男が、中尉時代に恋人を戦死で喪っている事を知っている。
だから敢えて周防少佐も、それ以上は言わずに苦笑しながら肩を竦めるだけだ。 場所は艦内後部の煙草盆の設置場所。 苦労して2人、煙草に火を付けひと口吸う。
「にしても、あれだね・・・でかいフネだな、この『千歳』は。 『艦内旅行』は一苦労だぜ」
伊庭少佐が艦内を見ながら、呆れたように言う。 確かに大きな艦だ、世界中探しても、この『千歳』級より大きな艦は存在しない。
「基準排水量が10万7000トン、全長344.3m、船体幅49.8m、飛行甲板幅77.0m・・・米海軍の『ニミッツ』級母艦より若干大きい。 戦艦『紀伊』でさえ、全長は308mだ」
「でかいね、本当に。 『世界最大の軍艦』って訳か。 それにしちゃ、搭載可能な戦術機数はたったの30機。 これまた、なんでだ?」
さあ?―――比較的海軍に詳しい周防少佐も、首を捻る。 艦体寸法は世界最大の軍艦。 しかし戦術機搭載機数は、中型戦術機母艦並み。
「それはこの艦が、戦術機搭載能力よりも、洋上作戦指揮艦・強襲上陸作戦指揮艦としての機能を重視して、建造されたからよ」
3人目の声に周防少佐と伊庭少佐が振り返ると、ネイヴィブルーのBDUの上に、海軍制式のライトブルーの防寒ジャケットを羽織った海軍士官―――女性士官が笑って立っていた。
「ごめんなさいね、立ち聞きする気は無かったのだけれど。 ちょっと気分転換に、潮風に当ろうかと思ったの。 で、陸軍さんが何を話しているのかなー? 何て、つい。
第2聯合陸戦師団、第22陸戦団第305戦術機甲戦闘隊(VF-305)の鴛淵貴那海軍少佐です。 今回は陸軍との協同作戦なので、第22陸戦団は竹原将軍の指揮下よ、宜しく」
すらりと背の高い(170cm位か?)、長いストレートロングの黒髪を抑えながら、鴛淵海軍少佐が近づいて来る。
「陸軍第15旅団、周防少佐」
「同じく第10旅団、伊庭少佐だ。 いや、美人とお近づきになれるのは、大歓迎だよ」
「あら、有難う、伊庭少佐。 でも、ごめんなさい、婚約者が居るの、私」
「お見事、流石は海軍陸戦隊のトップエースだな、鴛淵少佐。 伊庭、貴様、『完全撃破』だな!」
「・・・うるせぇ」
事実、鴛淵少佐は海軍陸戦隊戦術機甲部隊の中では、トップクラスに数えられる歴戦の衛士であり、練達の指揮官だ。 外見は日本人形の様に整った美人だが。
今回、『千歳』に搭載された戦術機は、第10、第15旅団の各戦術機甲大隊の指揮小隊が(大隊長機を含め)『不知火』16機と予備機が4機。
他に海軍第22陸戦団の第305、第306戦術機甲戦闘隊(大隊規模)の2個指揮小隊で、『流星』が8機の予備機が2機。 合計で30機は『千歳』の搭載能力ギリギリだ。
「でね、本来はこの『千歳』は民間会社が、『スエズマックス』サイズのタンカーとして発注していたのよ」
つまりこうだ、98年の本土防衛戦以降、石油輸入先は主に南米のベネズエラ、ブラジルと北米のカナダ。 それ以外は地中海のリビア、アルジェリア、ナイジェリアである。
ソ連・中東と言った世界最大の産油地帯がBETA勢力圏下の現在、それら産油国の地位は急上昇している。 アメリカ産原油はコスト高で価格が高い、国内向けだ。
したがって、石油タンカーのルートはパナマ運河経由で南米か、はるばるインド洋から喜望峰を回ってジブラルタル経由で地中海か。
「3年前よ、スエズ運河と紅海の全海域で、民間船(軍の徴用船を除く)の航行が禁止されたの。 『民間船の、光線属種による損害を極限する』為だか何だかで。
アラビア半島西岸山岳地帯からだと、重光線級でも紅海全域を照射する事は、出来ないのだけれどね。 北米と南米の産油国が手を組んで、地中海産油国との足の引っ張り合いよ」
「確か、アフリカ連合と米国・中南米連合が、国連総会で大喧嘩したんだったな」
「ああ、あれか。 スエズの民間船航行を禁止すりゃ、コスト面じゃパナマ経由で、北米産や中南米産原油を輸入した方が安い。 あの騒ぎか・・・で、それと『千歳』がどう?」
伊庭少佐の言葉に、鴛淵少佐が少しだけ苦笑する。 『その位、察しを付けてよ』と言ったところか。
「ああ、そうか。 キャンセルされて、造船所で解体待ちだった訳か。 今更、『スエズマックス』タンカーを建造する必要は無い。 で、海軍が買い取って、改造したと?」
「ご名答!」
周防少佐の答えに、鴛淵少佐が笑顔で言う。 それを見た伊庭少佐が、少し拗ねた表情で聞き返す。
「だけど、そもそも石油タンカーだろう? 改造したからって、艦隊に随伴出来る防御力なんざ、零じゃないの? 速度も遅そうだし?」
「ええ、装甲は『全く無し』よ。 重光線級どころか、光線級の照射1発で貫通するわね。 それに最大速力はたったの23ノット。
最大速力が30ノットオーバー、戦闘速力も25~26ノットが当たり前のGF(連合艦隊)じゃ、使えないわ」
「・・・確か、『大隅』級もタンカー改造じゃ、なかったかい?」
記憶を探る様に、周防少佐が聞く。 すると鴛淵少佐は、触れられたくない過去の傷を聞かれた様な、少し目を泳がせた表情で横を向きながら、渋々答えた。
「・・・ええ、そうよ。 でもねぇ、あのクラスはねぇ・・・全長は『千歳』と余り変わらないけれど、戦術機はたったの16機しか搭載できないの。 何故か判る?」
―――さあ? 周防少佐も、伊庭少佐も、揃って首を傾げる。 鴛淵少佐が、少し溜息をついて自嘲気味に答える。
「艦政本部の馬鹿さ加減を、陸軍さんに言うのもなんだけど・・・タンカーの油槽配置をそのまま、戦術機1機当たりの格納スペースにしちゃったのよね。
1機当たりスペースが縦30m×横25m四方で、左右舷2列格納よ。 エレベーターも同じサイズ。 戦術機って、最大全幅は精々が11m程度よ? 前後サイズはもっと薄いわ。
あの直立格納方式なら、スペースはその半分でも十分なのよ、エレベーターもね。 そうすれば、単純計算でも搭載機数は4倍・・・少なくとも、60機は搭載可能なのよ」
「まあ、そう言われれば・・・60機とは行かなくても15m×15mとして、3列格納で前後が16機・・・48機は格納出来ても、おかしくないな。 他の正規母艦は、60機搭載だし」
「正規母艦の格納庫スペースは、208m×30m×8.5mよ、艦体から戦術機の直立格納は不可能。 整備支援担架に乗せておくの。 必要スペースは12m×22m、1機当りね。
格納甲板は上下2層式、帝国の母艦が米海軍のそれより正面から見て『寸詰まり』なのは、この2層格納庫のせい。 米海軍は1層式だから、搭載機数は帝国海軍より少ないの。
1層当りの格納戦術機数は約30機、2層合計で60機を格納可能。 舷側エレベーターのサイズは、25.9m×15.9m、これを4機搭載―――どう? 『大隅』級、失敗作なの」
「あ~・・・言われてみれば、ニミッツ級より僅かでも大きいのに、あの搭載機数の少なさって、ないわな・・・」
「俺は身内に海軍さんも多いが、そう言えば言っていたな、叔父貴が・・・『艦政本部の阿呆め、無駄に予算を使いやがって』、とか何とか・・・」
つまりは、戦術機母艦『千歳』級の2隻(『千歳』、『千代田』)は、その巨大な艦体を利用した『作戦指揮艦』の位置付けなのだった。
『スエズマックス(スエズ運河が航行可能な船)』石油タンカーを建造途中で海軍が買い取り、設計を変更して、2000年に就役した最新鋭艦だ。
戦術機母艦と言うより、洋上作戦指揮艦・強襲上陸作戦指揮艦としての機能を重視し、全通甲板を装備している。 米海軍の『ブルー・リッジ』級揚陸指揮艦に近い。
艦尾はウェルドック式になっており、LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇を4隻収容。 1個陸戦隊(連隊戦闘団)を収容できる。
戦術機30機、SH-60J 統合多用途艦載ヘリコプター8機、その他各種装甲車輌・輸送車輌を40輌、155mm砲を8門、搭載運用する『洋上司令部』
通信・管制機能は帝国海軍艦艇中、最も充実している。 代わりに、元がタンカーの為に装甲防御力は無い。 速力はCOGAG方式(2軸推進:101,000hp)とは言え、23ノット。
「つまり・・・俺達が指揮小隊毎、この艦に押し込まれている訳が、それね・・・『洋上司令部』か。 確かに、陸海軍のお偉いさんばっか、乗ってるもんなぁ・・・」
「あなたも、その『お偉いさん』の1人でしょう? 陸軍第10旅団第2戦術機甲大隊長の、伊庭慎之介陸軍少佐?」
「いやいや、俺みたいな非才の身じゃ、肩身が狭くって。 麗しの、鴛淵貴那海軍少佐殿」
「まだ言ってる・・・それと、海軍では『殿』は要りません。 階級や職位に敬称が含まれる、って言う訳ですから。 お判りかしら? 伊庭少佐?」
「イエス・マーム!」
「・・・ほとんど、同い年なのだけれど・・・ちょっと、周防少佐? 笑っていないで、彼をどうにかして下さいな」
「くくく・・・失礼、鴛淵少佐。 おい、伊庭。 あまり陸軍の野卑な所を、海軍さんに見せるなって、くくく・・・」
「・・・引っ掛かる言い方ね、もう!」
兎に角、『千歳』は大きな艦だ。 同型艦の『千代田』は横須賀に残っているが、それでも目を引く。 今回は海軍南遣艦隊の他、陸海軍合同の『南遣兵団』が編成されている。
その兵力を運ぶだけでも、例えば戦術機輸送は『大隅』級戦術機輸送艦(戦術機母艦、戦術機揚陸艦とも言われるが、そうは言い難い)が20隻(240機+予備機60機)
他に揚陸艦、各種補給艦、給兵艦(兵員輸送艦)、給糧艦、給油艦、病院船、工作艦、救難艇母艦・・・あらゆる艦種の補助艦艇が必要だ。 それに随伴するEFの第2護衛戦隊。
南遣艦隊を除いても、100隻に達する大艦隊だった。 その旗艦を務める『総合作戦指揮艦』が、『千歳』級だ。 当然、艦内スペースに余裕が有り、各室は広い。
「・・・だから、どうして、アンタらが居るの?」
「ああ!? 酷いわ、直ちゃん! せっかく麗しの従姉のお姉さまが、こうして夕御飯を一緒に、って言ってあげているのに! どう思う? 舞ちゃん?」
「そうねぇ、あのヤンチャ坊主の直ちゃんも、奥さん貰ってからいっぱしの口を叩く様になったかなぁーって。 京ちゃん、今度、直ちゃん家を強襲しようか?」
「・・・やめろ。 それだけは止めてくれ、舞姉ぇ、京姉ぇ、頼むから・・・」
『千歳』の士官食堂、主に佐官級が使用する豪華な調度の食堂で、手にしたナイフとフォークを握り締め、少し手を震わす周防少佐が苦情を言う。
その様子を見た2人の陸海軍女性少佐達が、ニンマリと笑っていた。 周防少佐の同僚達―――長門少佐、棚倉少佐、伊庭少佐は、怖がって近づきもしない。
「でもまぁ、奇遇よね。 直ちゃんと京ちゃんが、私の乗艦に乗って来るなんてね」
香川舞子海軍主計少佐が笑う。 年より幼く見られるのが悩み、と言う笑みだ。 『千歳』の主計長をしている帝国海軍女性士官。 結婚前の旧姓を『藤崎』と言った。
「私は司令部G2(情報参謀部員)だし。 直ちゃんは15旅団で、一応は大隊長だし。 それより、兄さんの艦も参加しているだなんて、初めて知ったわよ」
海軍名物『金曜カレー(カツカレー)』を勢い良く口に放り込むのは、右近充京香陸軍少佐。 香川海軍主計少佐は4歳上、右近充陸軍少佐は2歳上の、周防少佐の父方の従姉だった。
「拓郎兄貴の艦? ああ、『長波』か、2駆戦だよな。 叔父貴の5戦隊もいるし、俺の義弟も『出雲』に乗っているよ」
右近充京香陸軍少佐の兄で、周防少佐の従兄である右近充拓郎海軍中佐は、第2駆戦の駆逐艦『長波』の艦長をしている。
彼等の叔父の周防直邦海軍少将は第5戦隊司令官。 周防少佐の妻の弟、綾森喬海軍中尉は戦艦『出雲』の砲術士だった。
「なんかねー、一族勢ぞろいって感じ? これでもし、秋ちゃん(周防直秋)まで居たらねぇ?」
「あの子、今は英国だっけ? まだ戻ってこないの? 大丈夫かしらね? ご飯、ちゃんと食べているかしら? お水が合えばいいのだけれど」
「・・・舞姉ぇ、直秋も今年で23歳だよ。 今月1日付けで陸軍大尉に進級したんだぞ? それを捕まえて、『ご飯食べているか?』って・・・過保護にも程が有る。
それに遣欧旅団は先月の末に、英国を発った。 交替だよ。 大西洋を渡って、パナマ経由で太平洋横断して、今は帰国途中だよ」
「秋ちゃんが、大尉!?」
「うそぉ、ちょっと! 信じられない。 あの可愛い秋ちゃんが!?」
「京姉ぇ! アンタは同じ陸軍だろうが!? 舞姉ぇ、だからあいつも、もう大人だって・・・はぁ・・・直秋、同情してやるよ・・・」
そう言いつつも、周防少佐は2人の従姉達の『悪ふざけ』を止める気にはならなかった。 彼女達が従弟の周防直秋陸軍大尉を、可愛がる訳を知っているから。
一族には、周防直秋陸軍大尉に年の近い従弟達が2人居た。 香川海軍主計少佐の弟の、故・藤崎省吾海軍大尉。 右近充陸軍少佐の弟の、故・右近充史郎海軍大尉。
2人とも98年の本土防衛戦で、佐渡島で戦死している。 彼女達にとって、周防直秋陸軍大尉は、若くして戦死した弟の代わり、と言っては悪い言い方だが、そんなものだった。
「そうか、あいつももう中隊長になるのか。 早いなぁ・・・俺が欧州から帰って、大尉に進級して最初に指揮した中隊で、あいつが新米少尉で配属だったよな・・・」
「年を取ったわねぇ、私達も・・・」
「やめて、舞ちゃん・・・年の話はしないで・・・」
「ふふふ、右近充の伯父さん、相変わらず凄いんだって?」
「はぁ・・・お父さん、駐屯地にお見合い写真を大量に、送り付けて来るんだもの・・・基地司令も、相手が国家憲兵隊の中将閣下じゃね・・・」
「さっさと結婚しろ、京姉ぇ、この『行かず後家』め」
「直衛、アンタ・・・良い度胸じゃ無い? 瑞希姉さん(周防少佐の実姉)に言って、祥子ちゃんに無い事、無い事、吹き込んでやるわよ!?」
「無い事かよ!? って言うか、自分でそう言うか!?」
周防少佐が兎に角、芯から疲れた夕食から、陸軍に割り振られた艦内区画の自室に戻ると、部下に呼び止められた。
「あ、少佐、おられましたか。 申し訳ございませんが、このリストに目を通して頂いて、こちらの書類一式に承認を頂いて、それから・・・」
指揮小隊長の遠野万里子中尉だった。 大隊本部が別の艦に乗艦している関係で(本来は大隊長と同じ艦の筈が、定員をオーバーしてしまった)副官業務を代行している。
テキパキと書類の山を整理し、要点を伝え、必要分だけ承認を貰って仕事を効率よく進める部下を見ている内に、周防少佐はふと、出征前の情景を思い出した。
(『―――バカたれが、決まっておろうが。 今まで色恋沙汰に縁の無かった娘だ、それが頬を紅潮させて上官を語るなぞ・・・
全く、我が娘ながら呆れるわ。 少しは冷静に相手を選べと言いたいわい! よりによって、妻帯者だなどと・・・』)
何を馬鹿な事を考えているんだ、俺は―――苦笑する上官を、今度は遠野中尉が不思議そうに見ている。
「あの・・・少佐? 何か不備な点が有りますでしょうか? チェックは入念に入れたのですが・・・」
「あ、いや・・・問題無い、これで良いな? ご苦労だった―――遠野」
「はい?」
大隊長室を出て行こうとした所を呼び止められ、遠野中尉が振り返る。
(・・・確かにまぁ、かなりの美人だ。 そして優等生だ。 色恋沙汰などは、あの親父さんの鉄壁じゃ、経験が無かっただろうな・・・)
遠野中尉は、はっきり言って美人だ。 旅団でも1、2の美貌の持ち主と言っても良い。 性格も優しく穏やかで、良く気がつく、それにお淑やかだ。
(・・・逆に、ここまで来れば、野郎どもの方が尻ごみする訳だ。 『高嶺の華』って事か・・・)
「あの・・・何でしょうか? 少佐?」
流石にじっと上官に見つめられては、居心地が悪いようだ。
「いや・・・いい、何でも無い。 呼び止めて済まなかった。 行って良いぞ」
「? は、失礼します」
ドアの向こうに姿を消した部下。 そして周防少佐は密かに悶々とする。
(馬鹿か、俺は・・・こんな時に、『遠野、お前、恋人いるか?』だなどと、聞けるか? それで遠野のバイタルが不安定になってみろ。 お前、部下の命を何だと思っている!?)
部下の人生相談も上官の役目とは言え、プライベートに立ち入るべきではない。 まして作戦を控えたこんな時に・・・
周防少佐が少し自己嫌悪に陥りかけた時、卓上の艦内電話が鳴った。 点灯するボタンランプを見れば、司令部内線だった。
「―――15旅団、周防少佐」
『―――兵団司令部です。 周防少佐、兵団司令部会議は2030より、艦内B会議室にて開催されます』
「了解した」
私物の腕時計を見れば、2015時。 海軍のみならず、軍隊の『何事も5分前』だと、そろそろ会議室に向かった方がいい。
事前配布された資料、ルーズリーフ用紙にバインダー、そしてペン。 部屋を出ると行動予定表に『会議』と書いて、近くのラッタルを駆け登って行った。
何回かラッタルを上り下りし、艦内通路を歩いて、臨時の大隊事務室(兼・指揮小隊詰所)に戻った遠野万里子中尉は、さっきの上官の不審な態度が気になっていた。
「・・・何か言いたそうだったわ。 でも、何を言いたかったのかしら・・・」
「え? 何か言いました? 万里子さん?」
声を聞きつけた北里彩弓中尉が聞き返す。 北里中尉もまた、臨時で大隊事務をこなしていた。
「え? いえ、何でも無いわよ、彩弓ちゃん。 それより、萱場少尉は?」
「爽子なら、ハンガーを見に行かしました。 児玉大尉(児玉修平大尉・整備中隊長)が乗艦されていますから、心配は無いと思ったんですけど、念の為に」
「そう、ならそれで良いわ・・・ふぅ・・・」
「なんですか? お疲れみたいですけど?」
「あ、いえ。 ・・・実はね、さっき少佐に書類をお持ちしたのだけれど。 その時の様子が、ちょっとね・・・」
ざっと、その時の様子を話す遠野中尉を見ていた北里中尉だったが、やがてニヤニヤした表情で遠野中尉を見始める。
「な・・・なに? 彩弓ちゃん、その顔? わたし、何か変?」
「いいえ、変と言うより・・・嬉しそう?」
「・・・え?」
「そーか、そーか、失恋しても、忘れられない男って、確かにいますよねぇ・・・罪な人だなぁ、大隊長も」
「ちょ、ちょっと!? 変な事を言わないで頂戴! わっ、私はっ・・・! もう! 悪かったわね! そうよ、初恋が即日、失恋記念日になった情けない女よ! 私はっ!
あの頃、20歳にもなって、そんな情けない女で悪うございましたわ! でも今は違うからねっ!? 少佐は上官として、敬愛しているだけ! 本当だからね!?」
「うわっ、ちょ・・・! 声が大きいですよ、万里子さん・・・! 隣は長門少佐のトコの指揮小隊ですってば! 宮崎中尉の地獄耳、知っているでしょ・・・!?」
「―――この様に、偵察衛星、及び大東亜連合軍による強行偵察の結果、現在H17・マンダレーハイヴ周辺のBETA飽和個体群の総数は、約2万8000体。
しかし、西方のH13・ボパールハイヴより『押し出された』BETA群、2群の内の1群の東進を確認しました。 その数、約2万1000体。
他にH16・重慶ハイヴの飽和個体群、約2万2000体の内、約1万2000体が南進を始めました。 このままですと両個体群は確実に、H17の飽和個体群と合流します。
これまでのBETA群移動速度から推定し、2週間以内にH17周辺のBETA個体数は、約6万から最大で6万5000になると推定されます」
兵団司令部会議の席上、司令部G2(兵団情報部)の情報参謀・右近充京香陸軍少佐が、現在の状況を説明している。
長い髪を後頭部で纏めて垂らし、フレームレスの眼鏡をかけた姿は、軍事情報インテリジェンス部門担当の、知的美人に見える。
「大東亜連合軍、及び兵団司令部は通信協議の結果、現在H17周辺のBETA群をA群、H13より移動中のBETA群をB群、H16より南下中のBETA群をC群とします。
対しまして、友軍であるガルーダス(大東亜連合軍)の現状況を説明します。 現在、クラ海峡北岸の北部防衛線東部戦線には、ガルーダス北方防衛第2軍が展開中で・・・」
周防少佐が情報を書き込んでいると、右隣の伊庭少佐が小声で聞いてきた。
「・・・おい、周防よ。 G2の右近充少佐、貴様の従姉殿ってのは、本当の話か?」
「・・・本当だが? 彼女がどうかしたか?」
「・・・男は居るのか?」
「・・・居ない様だが。 おい、伊庭。 貴様、こんな時に何を言っている?」
「・・・そうか、独り身か」
何やら嫌な予感がしたが、それでも情報を確認し忘れる事は重大な失敗(指揮官にとっては特に)なので、周防少佐は意識的に頭の隅に押しやり、説明を聞く事に集中する。
「ガルーダス北部第2軍は、4個軍団を有する主力部隊です。 防衛線はタイ湾のタイ王国チュンポーン県・ムアンチュンポーンから、インド洋側のラノーン県・パクチャンまで。
パクチャンから、ミャンマーのタニンダーリ管区南部は、ガルーダス北部第3軍が配備されています・・・北部第1軍はご存じの通り、一昨年、文字通り全滅しました」
ガルーダス北部第2軍は、タイ王国軍とミャンマー軍、そして南ベトナム軍が主力となっている。 対する北部第3軍は、マレーシア軍とインドネシア軍。
「ここで諸官に留意して頂きたい点としまして、ガルーダスは決して1枚岩では無い、と言う事です。 まずは、仏教徒とイスラム教徒の軋轢。
これは北部第2軍が仏教徒の軍で構成され、北部第3軍がイスラム教徒の軍で構成されている点に、注意して下さい。 両教徒が同一部隊に配備される事は、まずありません。
タイ王国では昔より、マレーシアに近い地域のイスラム教徒住民による独立運動が盛んで、BETA侵攻前は頻繁に、テロ事件が発生していた地域でも有ります」
それに、様々な少数民族問題。 例えばミャンマー軍だと、実際な数的主力は難民化して生き延びたビルマ族だ。 そして少ないとはいえ、東南アジア国連軍にもビルマ軍が居る。
その東南アジア方面国連軍の『ビルマ軍』内の数的主力を占めるのが、ミャンマー政権下で弾圧され、初期に難民化したビルマ少数民族だ。
そのせいで大東亜連合軍と東南アジア方面国連軍の間は、少々上手く行っていない。 連合加盟諸国もまた、少数民族問題を抱える。 その為に国連軍とは、一線を画していた。
「・・・数的には、海峡北部の東部戦線が4個軍団・11個師団と6個旅団。 西部戦線が3個軍団・8個師団に5個旅団。 総数で19個師団と11個旅団」
「大兵力だけどな。 そもそも連携が上手く行っていない。 と言うか、連携しているのか?」
「洋上支援は、アンダマン海方面は亡命インド海軍が主力。 タイ湾側はインドネシア海軍とマレーシア海軍が主力・・・支援砲撃、まともにしているのか?」
「東と西で、『隣は何する人ぞ?』かよ・・・嬉しくって、涙が出そうだ。 俺、国に帰りたいぜ・・・」
周防少佐、長門少佐、棚倉少佐、伊庭少佐が、暗澹たる表情になる。 そう言えば、『明星作戦』でもガルーダスは、仏教徒とイスラム教徒が同じ軍団には居なかったな・・・と。
他にもネパール軍やブータン王国軍、亡命チベット国軍(中共は認めていない)、カンボジア軍にラオス軍が居るが、数は少ない。 北ベトナム軍は統一中華と共闘している。
「―――故に、宗教問題・少数民族問題には一切、言及を行わない旨、各級部隊は徹底をお願いします。 次に、現地の気象・地理情報につきまして・・・」
延々、2時間に及ぶ兵団司令部会議が終わったのは、2230時を越した頃だった。 各上級将校達が席を立ち、或いは情報交換をしながら会議室を出てゆく。
「おい、周防。 俺は決めたぞ」
「・・・何をだ? 伊庭」
急に先程の嫌な予感が蘇る。 思わず身構えた周防少佐に、伊庭少佐が宣告する様な口調でこう言った。
「貴様の従姉殿な、右近充京香少佐だ。 俺が『撃墜』する。 独身主義とは、これでおサラバだ」
「・・・伊庭、貴様・・・一度、軍医にその頭の中を診て貰え・・・」
軽い頭痛と目眩を感じた周防少佐が、ようやく声を振り絞ったその時。 伊庭少佐の言葉を聞いた他の同期生2人―――長門少佐と棚倉少佐が、無責任に囃し立てる。
「お? 伊庭、ようやくその気になったか!? おい、直衛よ。 同期は大切にしなきゃだぜ? お前、彼女と伊庭の間を取り持てよ」
「姉さん女房か。 『姉さん女房は、金(かね)の草鞋を履いても探せ』と言うが・・・あれは1歳年上だったか? まあいい、兎に角コイツがその気になったんだからな!」
「1歳でも2歳でも良いじゃないか、細かい事を気にするな、棚倉。 姉さん女房持ちの良い実例が、ここに居るしな。 なあ、直衛よ、そう思わんか?」
目眩がどんどん酷くなる。 『・・・勝手にしろ・・・』とだけ呟いて、周防少佐はその場を後にした。
(・・・まあ俺も、伊庭と京姉ぇが、例えそうなったとしてもだ。 別に文句は全く無いんだがな・・・)
『千歳』の後甲板、煙草盆の場所で周防少佐は1人、煙草を吹かしていた。 時刻は0025時、既に日付が変わっている。
伊庭少佐は普段は軽い感じがする人物だが、あれでいて指揮官としては実に優秀で、戦運びも上手い。 そして部下の面倒見も良い、兄貴肌の男だ。
それにあの軽薄さは、内心を押し殺す為の演技が続いてああなったと、同期生として周防少佐も知っている。 訓練校時代は熱血漢だった伊庭少佐だ。
(・・・でもまあ、出来ればみんな、無事に日本に帰還してからにしてくれ・・・)
従姉に同期生、それに直率の部下の事。 何にしても今は目前の作戦に集中したい。 部下達を少しでも多く、祖国へ帰す為に。 何より、自分が妻子の元に生きて戻る為に。