2000年1月22日 1030 カムチャツカ半島 Ц-04前線補給基地
ハンガーの外は相変わらずの曇天だった、粉雪がちらちらと降っている。 風は弱い、お陰で前日ほどの寒さは感じない。 それでも氷点下20℃には低下していた。
現在はこのカムチャツカ南部は、ちょっとした小康状態だ。 シェリホフ湾から来襲したBETAのE群は、2手に分かれて来襲して来たが、何とか撃退出来た。
シベリアのアナディリ前面と、カムチャツカ半島付け根のキジガからパレンにかけての防衛戦は、BETA群の動きが緩慢になり、戦線が膠着している。
衛星情報からも、新たな飽和個体群は確認されていない。 ただ、H19・ブラゴエスチェンスクハイヴからの飽和個体群、約1万強が北上した事。
その後、東シベリアのアルダン山脈を出た辺りでロストした事が、気がかりではある。 そこからならヴェルホヤンスク、エヴェンスクへは1000km程度。
もしかすると、大陸で散々経験して来た悪夢―――『隣接するハイヴからの、個体群移動』が発生するかもしれない。 92年から93年は、それで酷い目に遭った経験が有る。
とは言え、シェリホフ湾西岸には現在BETA群は確認されず、地中侵攻も深深度振動感知センサーに引っ掛かっていない現在、無理にデフコンを上げる事も無い。
部隊をЦ-04前線補給基地に帰還させ、簡易整備を行わせたのが昨日の事。 部下達は全員、仮設の宿舎で休養をさせている。
俺は大隊が宛がわれたハンガーで、大隊の機体の様子を見て回っている。 北樺太と、昨日の戦闘で気になった箇所を、大隊付の整備長と相談している所だ。
「大隊長、電磁伸縮炭素帯の件ですが。 やはり設定はB2(張力・連結応力共に標準)より、B1かC1に変更しますか?」
大隊付整備長が確認して来る。 ここに来て、まだ実戦は一度だけだが、樺太での戦闘も含めどうも、電磁伸縮炭素帯の使い方が違う気がする。
「・・・C1(張力最大、連結応力最小)だと、伸縮炭素帯が極寒の気温で疲労を起こしやすくなるな。 B1かな。 A1だと張力が不足するな」
「ですね、そんな所でしょう。 ログを見ても、連結応力を強くし過ぎると、このシベリアの低気温で結束部がけっこう影響を受けていますし。
では、その方向で全機の調整を行います。 整備終了予定、明1500の予定です。 予備機はB2のままですが、4機搬入しております」
「判った。 そっちは即応状態にしておいてくれ」
「はっ! おい! 調整変更だ、全機B1に変えろ!」
この寒気の中、いくら予熱されたハンガーの中とは言え、これから大隊全機の再調整を1日と少しで行う整備隊の苦労。
夜には旅団の兵站分遣隊に頼みこんで、特配を出してやるか。 ・・・俺のツケになるのか、仕方が無い、これも士気の維持の為だ、今月は節約しよう。
「・・・ん?」
何気にハンガーを見回すと、そこに居るべきではない連中の姿が目に入った。 俺は確かに、部下全員に休養を命じた筈だ。
この先、同戦況が動くか判らない今、少しでも、休める時には休む事も、最前線の将兵にとっては共通の『任務』なのだから。
その連中は、自機の整備班と一緒になって話し込んでいて、近づく俺に気がつかない。 どうやら操縦系の反応速度と、燃料噴射タイミングの話題の様だが?
「・・・だからさ、もう少しピーキーにした方が・・・」
「・・・少尉、それだとこの気温です、駆動系の金属疲労が・・・」
「・・・燃料噴射バルブの、噴射タイミング、もう少し比例帯をさ、狭めるとか・・・」
「・・・ダメ、ダメ、そんな事したら、制御装置の分解能が追いつきませんって。 簡単にオーバーシュートして、ハンチング起こしますよ・・・」
「・・・オフセット、潰したいんだよ。 操縦系で限界まで行ったと思っても、まだオフセット有るし・・・」
「・・・PID設定は、詰めますよ。 オフセットはI(積分)で消して、D(微分)で操作量を補正します・・・」
「・・・噴射バルブ、結局は操作部の応答性次第ですから。 これ以上は・・・」
―――熱心なのは良い事だがな。 それに意外な一面は誰しも有る事だ。 しかし、命令違反は頂けないのだが・・・
やがて、近づいてくる足音に、まず整備兵が気付いた。 振り返り、俺と目が有った瞬間に、ぎょっとした表情で、慌てて直立不動の体勢で敬礼する。
「だ、大隊長!―――敬礼ッ!」
他の整備兵たちも、慌てて敬礼する。 まさかここまで指揮官が来るとは、思っていなかったか。
整備兵の他に衛士が2人、半村少尉と槇島少尉が、慌てて敬礼する。 こっちは俺が命じた休養を無視した事も含め、ちょっと見物な表情だった。
「ああ、直れ。 作業を続けてくれ―――半村、槇島」
「「―――はっ!」」
「・・・確か、休養命令を出していたと、記憶するのだがな? 戦闘は自覚のない疲労が蓄積される、休める時にそれを取り除くのも任務だと、以前に教えた筈だが?」
「「はっ!」」
―――まったく、仕方のない奴らだ。
「明朝、もう一度『氷割り』をやれ。 副官の遠野中尉の指示を仰げ―――で、何をやっていた?」
「はっ!―――あ、いえ、前から思っていた事が有りましたので、整備に相談しておりました!」
オイルを顔にこびりつけた半村が、もう半ば自棄になって答える。
「半村―――操縦系か? 少し聞こえたが。 現行ではOSもそうだが、演算装置本体の能力が向上しない限り、今以上弄るのは、かえって改悪になりかねんぞ?」
「はあ・・・」
「槇島、貴様は燃噴系か? 余り弄るな、ECU(Engine Control Unit)が制御しているのは、噴射装置―――フュエル・インジェクターだけでは無い。
点火系や動弁系、始動系、それに駆動系と安全装置関係も連動している。 それら全てを、見直さねばならなくなるぞ?」
「は、はっ!」
―――やれやれ。 まるで、いつか来た道、と言うヤツだな。 俺も少尉時代、色々と弄ってみたり、整備に頼み込んでみたりしたものだ。
それが少し、一人前に近づいている気がしたり、また、楽しかったりもしたものだ。 まあ、実戦を積み重ねていく内に、『確実に動けば、それで良い』に落ち着いたのだが。
「よし、貴様達に、追加のペナルティを与えてやる」
「げっ・・・」
「つ、追加・・・」
おいおい、見るも情けない顔だな。 多分、貴様らが喜びそうな事なのだがな?―――ああ、広江中佐も、当時はこんな感じで、新米の頃の俺達を見ていたのだろうか?
そう思うと、少し可笑しくなった。 当時は上官の一言に、一喜一憂していたモノだ。 それだけ、余裕と視野が無かった事もあるのだろうが。
そうだな、これも面白い。 コイツらをどうやって、一人前に仕込んで行ってやろうか? まあ、半分以上は直属中隊長の真咲にさせる事だが。
「明日からは色々と設定を変えて、とにかく戦術機に乗れ、乗りまくれ、休ませんぞ? 結果は逐一、整備長に報告しろ、報告書を添えてな―――サボりは許さん」
「え? あ・・・は、はいっ!」
「は、はいっ! 了解しましたっ!」
「・・・よし。 それと、今日は休め。 いま直ぐにだ、いいな?」
「「―――了解!」」
―――形としては、叱責だったのにな。 妙に嬉しそうに、はしゃぎながら去って行く半村と槇島の後ろ姿を見ながら、思わず苦笑した。 昔の自分も、ああだったのかと。
「可愛がってますな、大隊長。 半村少尉と、槇島少尉を」
背後から、整備長の笑い含みの声がした。 下士官から叩き上げの古参にとっては、これもまた『可愛がる』と判るか。
「・・・あいつらだけじゃ無い、部下は皆、可愛いよ。 まあ、なんだ、叩き甲斐の有る馬鹿者では、あるかもな」
「昔の、広江大尉と周防少尉を見ている様ですよ」
「・・・アンタは、昔を知っているからなぁ、整備長」
整備長もまた、大陸派遣軍の生き残りだった。 直接に整備を担当して貰った事は無いが、新任当時は広江大尉の中隊で、そして広江少佐の大隊で、整備の下士官だった古強者だ。
後は任す―――整備長にそう断って、ハンガーを出た。 いきなり寒い、外気温は氷点下を大きく下回っている。 だいたい、マイナス22℃くらいか。
冬季BDUにフライトジャケット、その上に外套を着込んでも尚、寒さを感じる。 因みに外套は持ち込んだ私物だ、将校の軍装は全て私物だしな。
一応、特殊な防水・防寒加工を施した皮革で、内張りは羅紗(ウール)。 これでもアクアスキューダムだ。 国連軍時代、なけなしの金をはたいて、オーダーメイドして作った。
『―――周防大尉』
歩いていると、背後から声を掛けられた。 振り返るとソ連軍の女性佐官。 確かこの前に共に戦った第66独立親衛戦術機甲旅団のリューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐。
くすんだ金髪に、青い瞳、静脈が浮き出そうなほど色白の肌、顔立ちは典型的なスラブ系。 これでどうして、アゼルバイジャン人部隊の指揮官なのだろうか?
『周防大尉、この間は救援、感謝するわ』
わざわざ、その為だけに? 昨日21日のE群襲来の時だ、全面に出ていたソ連軍は布陣の拙さから、一時的に混乱状態になりかけた。
結果は俺達帝国軍と、国連軍の合計3個戦術機甲大隊が強引に突入し、何とか戦線の崩壊は防げた。 狙撃兵師団、その8割を失う犠牲を出して―――『壊滅』と引き換えに。
今はBETAの侵攻が無かった隣接するパラナから第189自動車化狙撃兵旅団を転進させ、カムチャツカ北部の第35軍から、第129狙撃兵師団をパラナへ入れた。
我々の遣蘇派遣旅団は、相変わらずЦ-03とЦ-04に展開し、ソ連軍の後背を守る。 この日は昨日の戦闘後、BETAの動きが鈍くなった事も有り、基地は警戒態勢を落していた。
『元々、その為に派兵されてきたのです。 その言葉は素直に受け取ります、が、必要以上に気を遣わないで下さい』
『・・・そう。 いや、実際の所有り難いのよ。 君も承知と思うが、我々は定数が揃う事は、ほぼ無いの。 支援部隊も近頃は手薄になりがちなのよ』
旅団司令部は、打撃戦力をほぼ2分した。 旅団本部は、比較的手薄になりがちなЦ-03に、棚倉の103と伊庭の104、戦車1個大隊(近藤正親少佐指揮)と共に駐留する。
Ц-03には他に、第119機動歩兵連隊第2大隊と、第502砲兵大隊、第207後方支援連隊の本隊が駐留していた。 支援連隊の整備支隊は、Ц-04だ。
更には国連軍先遣戦闘団から、整備支隊と共に第4戦術機甲大隊(グエン・フォク・アン少佐指揮)が、Ц-03の帝国軍の臨時指揮下に入っている。
Ц-04には俺の101と圭介の102、それに戦車1個大隊(元長孝信中佐指揮)が駐留する。 これに国連軍の第3戦術機甲大隊(趙美鳳少佐指揮)と支援大隊が入った。
そして国連軍先遣戦闘団本部を周中佐が率いて、Ц-04に居座った。 Ц-04は先任順位から、周蘇紅中佐が帝国軍・国連軍の臨時指揮を執る事になった。
元長中佐より、周中佐の方が1年先任となるからだ。 全般指揮は遣蘇派遣旅団長、都築高治准将が執る―――前々から、取り決めていたと言う話だ。
Ц-03とЦ-04に展開した帝国・国連の合同軍は、戦術機甲6個大隊、戦車2個大隊、自走砲1個大隊に、1個機械化歩兵大隊。 それに1個支援連隊と国連の1個支援大隊。
戦術機甲師団規模ではないが、結構強力な増強打撃旅団規模ではある。 特にソ連軍が定数割れを起こしている戦術機部隊の充実は、歓迎されていた。
『この地区への戦術機3個大隊、それに場合によって戦車1個大隊は、喉から手が出るほど欲しかった所なの』
並んで歩きながら、そんな事を話しあっていた。 ハンガーから帝国軍が間借りしている建物へも、ソ連軍戦術機甲部隊の本部へも、同じ方向だった事もある。
フュセイノヴァ少佐は、年は30前。 27、28歳位か。 俺より2、3歳上と思われる。 この年で衛士と言うと、15、16歳の頃から戦術機に乗り込んでいる計算になるか。
搭乗歴が11年以上、恐らく12~13年ほど。 搭乗時間は2500時間以上、3000時間前後か。 知り合いで言えば、木伏少佐か、荒蒔少佐位のキャリアになるか。
俺で搭乗歴は7年弱、搭乗時間が1700時間と少しだ(国連軍時代、1年ほど戦術機に乗っていなかった) 同期の多い連中で、搭乗時間は1900時間を越える。
スラブ系としては、平均的な身長か? 170cmは無さそうだ、160cm台後半か。 くすんだ金髪に、碧眼。 静脈が透けて見える位の白い肌、深い彫の顔立ち。
それからフュセイノヴァ少佐と二言、三言、儀礼的な言葉を交している内に、聞いてみたくなった。 昨日の戦闘後に感じた、友軍への違和感に付いて。
『失礼ですが、少佐。 ひとつお聞きしてよろしいか?』
『答えられる事ならば、大尉』
―――もしかすると、ソ連軍の軍機か、或いはプライベートに関わるかな? そうとも思ったが、まあ、いいか。
『どうして、明らかにスラブ系の少佐が、アゼルバイジャン人部隊の指揮を? 側聞する限りでは、貴軍は同一民族での部隊編成をしている。
私は実際に北樺太で、貴軍と共に戦った経験が有る。 彼等は、同一民族での部隊編成だった―――失礼でなければ、お教え願いたい』
一瞬、間のあいたフュセイノヴァ少佐だったが、やがて苦笑交じりに答えた。
『まったく、失礼な質問ね、大尉。 人のプライバシーと言うものよ、それは―――簡単な話、私の亡夫がアゼルバイジャン人だった、と言うだけの話よ』
『―――まったく、失礼な事を。 亡きご夫君の魂が、安らかならん事を』
『・・・君は、キリスト教徒か? まるで正教会の様な事を言う』
『まさか。 神道・・・日本のシャーマニズムですよ、私は。 極めて消極的で、いい加減ですが』
―――どうも、この少佐も色々と裏の有りそうな、そんな経歴を持っている人物の様だな。
『では、失礼ついでに、厚かましく今ひとつ』
『本当に、厚かましい男の様ね、君は』
『取り柄ですので―――先日の戦闘ですが、同僚の話では少佐の大隊は、他の2大隊との連携を余り取っていなかったとか。
戦闘後も、カキエフ中佐とヤマダエフ少佐は、どこかよそよしい。 『友軍』の不和は、我々としても気にかかる所であります』
―――さて、どう出るかな? 藪を突く事になるのか? あからさまに『スーカ』などと、罵倒する位だ。 フュセイノヴァ少佐が少し顔を顰め、探る様に聞いてきた。
『・・・予め、戦闘で切り捨てる部隊の品定め? 大尉?』
『我々は、『友軍』の崩壊は歓迎しない、と言う事です、少佐』
―――ああ、そうだな。 場合によってはそれもアリか、どの部隊になるかは判らないが。 ソ連軍内部のゴタゴタで、こちらまで損害を被る事は無い。
『・・・確かに、同志カキエフ中佐や、同志ヤマダエフ少佐とは、私は上手くいっているとは言えない。 でも、別段含む所が有る訳ではないわ』
―――『同志』ね。 随分と分厚い壁が有る様だな、この旅団の戦術機部隊指揮官同士には。 含む所は無い、か。 本当なのかな?
『成程。 『ザーパド』、『ヴォストーク』、確かに精鋭と聞こえた部隊。 特に『ザーパド』は・・・』
『ふん、精鋭? 本気で言っているのなら大尉、君は全くお目出度い男よ。 連中が『精鋭』? 『親衛』称号に相応しいと?―――いいでしょう、教えてあげる』
自制が完全に効かなかったのか、少しばかりの嫌悪感を表して―――それでも意識して抑えている様だが―――フュセイノヴァ少佐が語り出した。
『―――カフカスの虐殺』
ソ連軍第66独立親衛戦術機甲旅団第1大隊『ザーパド』が、その悪名を初めて世に知らしめた事件。 1975年10月、ソ連邦チェチェン共和国の首都・グロズヌイで発生した。
当時、BETAの侵攻に混乱するカフカス地方一帯には、2派の勢力が存在した。 ソ連邦の元で何とか生き残りを図ろうとする親露派(連邦派)
米国、帝政イラン、トルコの支援の元で分離独立を果たし、その3国との協調で何とか生き残る道を探ろうとする独立派とが、激しく対立していた。
特に1974年にH2・マシュハドハイヴ、1975年にウラリスクハイヴが確認され、南北からBETAの侵攻が確実視されつつあった時期だった。
『帝政ロシアの頃からカフカス地方は、反ロシア感情が強かったのよ。 何しろ抵抗戦争を47年間―――『カフカス戦争』ね、戦った後、ようやくロシアに膝を屈した土地よ』
独立派は、カフカスはカフカスとして、BETAと当るべし、ソ連の元では所詮、使い捨ての駒にされるだけだと、そう言った。
その為にはH2・マシュトバハイヴからの攻勢を一手に引き受ける形の帝政イラン、その支援を行う米国、後背のトルコ共和国と手を繋ぎ、故郷を守るべきと主張した。
実際にイランとトルコは(当時はオスマン朝だったが)、『カフカス戦争』当時はロシア帝国への対抗上、カフカス諸勢力の後ろ盾となり、支援した歴史が有る。
連邦派は、米国はイランと湾岸地域が重要なのであって、カフカスは重要視していない、カフカスが米国の傘下に入った所で、H3・ウラリスクハイヴへの前哨基地にされるだけだ。
それよりも確実に兵力を展開するソ連邦内に留まり、その力を逆に利用してBETAに当るべし。 独立派の世迷い事は、米ソ両国の思惑に振り回されるだけだと、反論した。
『・・・歴史の波の中で大国の狭間に位置し、翻弄され続けてきた民族の生き残りをかけた模索よね。 誰もが民族の生き残りを、必死に追い求めていた、判るわ、その心境は』
事件はそんな最中に起こった。 1976年にH4・ヴェリスクハイヴ、H5・ミンスクハイヴが確認される。 その少し前、1975年の秋頃にはソ連軍はモスクワ前面を放棄した。
BETAの攻勢を支えきれず、後退を開始し始めたソ連軍はモスクワ前面から、白ロシア(ベラルーシ地方)まで後退した。
ウクライナ地方も圧迫を受け、陥落は時間の問題かと思えた。 その報を受けたカフカス地方は、混乱の極みに達した。
このままではカフカスから黒海へ出る細い回廊は、北からBETAの圧力を受けて通行不能になる。 もう、南のイランやトルコ・アナトリア高原へ出るしか方法が無い。
独立派は一気に行動を開始した。 カフカスの南、イラン高原方面へ、生き残りの道をかけて。 兵力の派兵と、国内難民の受け入れを求めて。
まずは帝政イラン、そしてトルコ共和国、最終的には米国にまで接触を開始した(イランにテコ入れをしていた、テヘランのCIA支局と接触したと言われる)
トルコとイランには、余分な派遣兵力は少ないか、殆ど無かったが、カフカス地方への影響力を長年、ロシア・ソ連から奪い返したかった両国は、スポンサーの米国に働きかけた。
米国としても、純粋に軍事的に見てカフカスの確保は、イランの北からの脅威を排除するのに必要な地勢的条件を満たしていたから、米軍上層部も乗り気になった。
『慌てたのは共産党と、カフカスの連邦派ね。 このままではカフカスは米国の勢力圏に落ちる。 バクー油田を始め、カフカスはソ連の残り少ないエネルギー供給源だったのよ。
連邦派としても、曲がりなりにも『自治共和国』としての地位を失うと見たのでしょうね。 独立は無理、地理的に見てイランに飲みこまれるか、一部はトルコに編入されるだろうと』
共産党と連邦派の恐怖心は、利害が一致した。 両者は全く電撃的に動いたのだ。 1975年10月10日、独立派が極秘集会を開くと言う情報を入手し、一気に奇襲をかけた。
その日の昼過ぎ、チェチェン共和国首都・グロズヌイ市内の一角には情報制限に関わらず、独立派の市民が多数集まっていた。 どうも、どこかから情報が漏れた様だ。
独立派の最高幹部達は危惧した、ここを襲撃されれば、ひとたまりも無い。 場所を移そう―――そう判断したその時、当時第42機械化狙撃師団が動いた。
同師団に配属されていた、特殊任務大隊『ザーパド』の兵士が殺到したのだ。 だが独立派の立て籠もる場所までは、独立派支持の市民で埋め尽くされていた。
『ザーパド』大隊は、同じチェチェン人の独立派支持の市民に重火器の銃火を浴びせ、撃ち倒しながら独立派が籠る建物に肉薄した。 市民の必死の抵抗は、銃火の前に屈した。
悲惨な同士討ちを繰り広げつつ、完全装備で勝る『ザーパド』大隊は、とうとう建物内に侵入した。 そして僅かな、そして必死の抵抗を続ける独立派の幹部達を射殺していった。
市民の犠牲者2万4856人。 独立派は幹部連の殆どを殺され、壊滅した。 僅かに残った少数の幹部達は、支持者に匿われながら、イランへと逃げ落ちて行った。
この功績により、第42機械化狙撃師団は『第42親衛戦術機甲師団』としてソ連邦軍親衛称号と、当時配備が始まったばかりの戦術機・MIG-21F『バラライカ』を配備された。
同時に『ザーパド』大隊員達は『ソ連邦英雄』称号を受け、大隊は『第421独立親衛戦術機甲大隊』の名誉称号を持つ、非ロシア系初の親衛戦術機甲大隊へと再編成される・・・
『・・・この国は、明らかに支配者層と、被支配者層が明確よ。 君は知っている?・・・知っている、そう、それは話が早い。
彼等は明らかに『被支配者層』だわ。 その困苦は、私にも判る。 私は察しの通りスラブ系、ベラルーシ人よ。 そして長らく『ロシアの支配』に甘んじてきた民族の出身。
だからこそ、私は同志カキエフの心中を疑いたくなる。 当時彼は10歳前後、当然当事者ではない。 でも、民族の同胞を虐殺した部隊を嬉々として指揮出来る、その精神をね!』
『ザーパド』大隊はその後、戦術機甲大隊に再編成された後も、確実に戦果をあげ続けてきた。 しかし、彼らの名を知らしめたのは、その武勲では無かった。
積極的な督戦隊任務、脱走者狩り、非常な程の味方の見捨て方。 戦場での冷酷とも言える行動と、公然の秘密でも有る『軍需横流しと、上層部買収』
『―――生き残る為ならば、手段を選ばない。 彼等はそれにもう一つ、『誇りも、羞恥心も捨て去る』 これが加わるわ』
フュイセノヴァ少佐の表情は、侮蔑とも、畏怖とも、或いは(錯覚かもしれないが)羨望とも、何とも言えない表情だった。
暫くお互い無言で歩いていたが、フュセイノヴァ少佐と別れ際、戦闘団本部の入った管理棟へ戻る途中、フュセイノヴァ少佐を呼びとめる声がした。
見ればソ連軍の少女衛士―――違う、大隊副官のサフラ・アリザデ大尉と言ったか―――が近づいてきた。 やっと見つけた、ホッとした、そんな表情だ。
俺の姿を見て、慌てて態度を硬化させ、敬礼する。 それはあくまで、友軍の上級指揮官に対する、軍人として当然の態度ではあったが。
こちらは特に用も無い事で有るし、少佐に敬礼してその場を別れた。 別れ際、チラッと思った。 上官と部下と言うより、年の離れた姉妹か、年の近い母娘、そんな感じだなと。
「ああ、大隊長、お帰りなさい」
管理棟に入ると、第1中隊長の真咲に、第3中隊長の八神が揃って出迎えた―――なんて、コイツらがそんな殊勝な連中か?
「なに、情報収集ですよ。 この辺一帯の、半年馬鹿士前からの戦況の実態をですね」
「・・・酒を土産に、か?」
まったく、真咲や最上はそれ程ではないが、八神は少々、軍規をギリギリの所で『拡大解釈』して、融通を聞かせ過ぎる所が有る。
「ソ連って言ったら、酒でしょう? それに俺も昔、『周防中隊長』に仕込まれたクチなんですがね?」
「ふん、育て方を間違えたか・・・ここにロシア人部隊は居ない。 居るのはコーカサス系か、カザフ系の部隊だけだ―――連中も、酒飲みらしいけどな」
国連軍時代、イルハンから聞いていたし、ギュゼルもそう言っていた。 トルコ人はテュルク系で、カザフ人とは同系列の民族だ。
「ま、それは冗談ですけど」
―――冗談かよ。
「何せ、中隊指揮官でさえ、20歳前の連中ですからね。 酒も持って行きましたが、この間ちょっと聞き込んだので、兵站に頼んで甘味物を持って行きまして―――効果、絶大」
「雰囲気の厳しかったソ連側が、和やかになりましたね。 お陰さまで口も軽くなった様で―――政治将校にも、ちゃんと差し入れを」
―――真咲、お前まで・・・
「・・・北樺太と、状況は同じか」
「むしろ、それ以上です」
成程ね。 政治将校にしても、こんな場所に『飛ばされる』者は、非主流派の者なのだろうな。 そう言う者は、大抵が2種類に分類される。
あらゆる場面で得点を稼いで、中央に呼び戻される時を夢見るか。 或いは終生の場所と諦め、自己の欲望に素直になるか―――北樺太に居るサーシャから、聞いた話だが。
2人を大隊長室に呼んで、話を聞く事にした。 指揮小隊の面々、遠野に来生、北里の2人は休ませているし、2中隊長の最上は当直中だった。
「で、どうなんだ? 戦況は?」
コーヒーメーカーで、クソ不味い合成コーヒーを淹れる。 2人に勧めて、俺も一口飲む―――相変わらず、不味い。
「それはまあ、我が軍が把握している状況と、似たりよったりです。 が、気になる点もチラホラと・・・」
「焦らすな、八神」
「まあ、まあ、大隊長。 八神大尉も、もったいぶった言い回しはしない事。 大隊長もお気づきと思いますが、ソ連軍衛士の事です」
真咲が指摘した事は、俺も改めて懸念していた事だった。 多分、戦闘が長引くと、ソ連軍戦術機甲部隊から、戦線が崩れる。
八神が大げさなゼスチャーをしながら、話し始めた。 最近気がついたのだが、こいつは案外、茶目と言う『美徳』を結構持っていると思う。
「話は知っていましたが、実際の所、最初は自分の目を疑いましたよ。 俺と同じ中隊長が、10代後半のガキ。 中には10代半ば位の、鼻たれ小僧にお嬢ちゃんまで居やがります。
小隊長で10代半ばから、まあ、16、17歳位が最年長ですかね。 20歳を越している連中なんか、ほんの少数しか居やしない。 で、何故か未だ少尉のまんま、と・・・」
「他の中隊員、少尉連中は10代前半をちょっと過ぎた年頃、13、14歳位ですよ。 帝国で言えば、徴兵年齢前の中等学校の生徒です。 まだ、子供ですもんねぇ・・・」
八神の驚きと呆れ、真咲の茫然、とても良く判る。 93年の『双極作戦』で初めてサーシャと出会ったが、あの時の彼女は俺より2歳年下の、確かまだ16歳だった。
あの頃も、ソ連軍将兵の低年齢化は有名だったが、今はそれ以上に深刻化している様だ。 そしてその状況は、我々帝国軍や、国連軍にとっても、他人事ではない。
そして、その事がまさに、真咲と八神が『情報収集』に成功した根底だ。 思い返せば自分が13、14歳くらいの年頃、酒より甘味物の方が喜ばなかったか?―――当然だ。
そして、ソ連軍の給食事情はこれまた、かなり悪化している。 先日の乱闘の原因となったアレだ。 取りあえずのカロリーと量は保障するが、味は一切保証しない。
ましてや、嗜好品などソ連軍の軍需物資の優先順位からすれば、最下位だ―――ヴォトカを除けば。 甘味物など、殆ど口にした事が無いだろうな、ソ連軍の若過ぎる衛士達は。
帝国産の、味は余り評判の宜しく無い合成チョコレートや、甘味料で誤魔化した菓子類なんかでさえ、彼等にとっては途方も無い『ご馳走』だっただろう。
「で、ですね。 あちらさん、定数割れはこの数年、慢性的だそうで。 損失が補充を常に上回っているとか」
「何せ、『死の8分』とまでは言わないモノの、最前線衛士の平均生存期間は、3ヵ月を割ると言う統計が出ています。
これが地上部隊となると、歩兵部隊兵士の平均生存期間は1カ月、戦車兵は2カ月。 最も『長生き』する砲兵でさえ、半年とか・・・もう、末期も末期ですね」
日本帝国陸軍は、今少しマシな数字だ。 本土にハイヴを建設され、それを奪回する戦いで膨大な戦死者を出していてさえ、ソ連軍よりマシな数字なのだ。
衛士で3ヵ月―――いくら大量・促成教育で数を揃えても、これでは追いつかない。 この状況がここ数年、ずっと続いていると言う事だ。
「・・・練成できる場所の確保が、出来ないのだろうな。 カムチャツカや東シベリアは、そのまま最前線だ。 ソ連租借地のアラスカは基本的に、『共産党の土地』だと聞く」
「帝国も、東北や北海道で練成出来なかったら、ソ連と同じ目に遭ったかもしれませんしね」
八神の言葉に、真咲が頷く。 いや、全く同感だ。 京都防衛戦以降、西関東防衛戦で時間を稼いでいる間、帝国陸軍は東北地方や北海道に部隊を移し、そこで練成を重ねた。
そのお陰で、全般的に受ける損害の印象とは違い、部隊の練度を極端に落とす事が無かったのだ。 結果は別として、『明星作戦』に投入された各部隊の戦闘結果が証明している。
何やら、行く先が思いやられる雰囲気になってしまった。 俺も真咲も、普段は陽気な八神でさえ、黙りこくってしまった。 いかんな、これじゃ・・・
そんな時、大隊長室の扉が開いた。 そこから顔を覗かせたのは―――大隊副官の遠野だった。 どうした事だ? 遠野にも、休養命令を出していた筈だが?
「あ、大隊長、こちらにいらっしゃいましたか」
相変わらず穏やかな雰囲気で、遠野が微笑んでいる。 いや、それは良い、それよりも・・・
「・・・機体の見回りが終わったのでな。 それより遠野、休めと言っておいた筈だ。 一体、どうした?」
優等生の遠野が(副官に任じられるような士官が、素行不良な訳が無い)、珍しく苦笑気味に肩を竦め、言った。
「休んでいたのですが、戦闘団司令に呼ばれまして・・・」
「・・・周中佐か・・・」
まったく、あの人は。
「はい、大隊指揮官集合との事です」
―――何か有ったか? まあ、いい。 行けば分かる。
「了解した。 遠野、ご苦労だった、休め。 真咲、八神、貴様らもだ」
「はい」
「了解ッス」
「判りました」
―――大隊指揮官集合。 周中佐がわざわざ集めて、か。 余り良い予感はしないな。
「やはり、貴様もそう思うか? 周防」
「私だけじゃありません、趙少佐も、長門大尉も、同意見なのでは?」
周中佐の問いかけに、美鳳と圭介を見やった。 2人とも頷いている。 大隊長以上が集まった、臨時戦闘団のブリーフィング。 検討内容は・・・
「となると、まず戦線の綻びは、ソ連軍戦術機甲部隊に発生する、と」
第104戦車大隊指揮官の元長中佐が、天井を睨みながら唸る。 戦車や砲兵と、戦術機甲部隊は切っても切れない『共存関係』だ。
その相手が崩れる―――戦場で、直接砲撃支援を行う戦車隊にとって、余り良い未来予想図ではないだろう。
「13、14歳の子供ではね。 いくら技量は鍛えているとは言え、まだ体も心も、子供よ。 余りにも、幼い。 脆いわ・・・」
「中には、それより幼いヤツも居る。 いつからソ連軍は、幼稚園になった? 幼稚園児に、高校生・大学生と一緒のタフネスを求められるかよ・・・」
「幼稚園は行き過ぎだろう、でもまあ、小学校と言いたくなる気分は有るけどな・・・」
美鳳が形の良い眉を顰め、表情を曇らせる。 圭介は半ば罵倒だ。 俺は両者の中間―――内心は、圭介に近いかもしれない。
少年期の3、4歳の年の差は大きい、大き過ぎる。 13歳の少年に、16、17歳の少年と同じ運動をさせ、同じ結果を求める事が出来るか? 持久力もだ。
それが下手をすれば、12、13歳の少年少女に、18、19歳から20歳過ぎの大人と同じタフネス、精神力を求める事になる―――どこの世界の冗談だ、だがそれが現実だ。
「戦車部隊や砲兵部隊、その他の支援兵科の方が、平均年齢は上の様だ。 とにかく、戦術機甲部隊の異常さが目立つ。 心身ともに、大人になる遥か以前の子供達がな・・・」
そう呟くのは、国連派遣戦闘団支援大隊を率いる、チャワリット・タナラット少佐。
彼の母国・タイも大東亜連合内で徴兵年齢を引き下げているが、それでも15歳からだ。
「我が帝国も、徴兵年齢を引き下げたとは言え、10代半ばからです。 それも、体力練成の為に1年間は、基礎教育課程を設けています。
そうしなければ、少なくとも体が追いつかないからです。 少年少女の体では、まともに戦闘には、耐えられない」
後方支援連隊から分派された、支援大隊(支隊)を率いる日本帝国軍の金城摩耶大尉が、溜息をつく様に話す。 彼女の部下にも若年兵は多いが、ソ連程の異常さは無い。
そう、専門教育は基礎訓練以降の話だ。 専門訓練は歩兵で4カ月、戦車兵や砲兵が8カ月、整備兵は1年間。 衛士課程も、訓練校本科で1年間の専門教育を受ける。
衛士訓練校の場合、帝国陸海軍衛士は16歳で訓練校予科の基礎教育課程に入り、17歳で訓練校本科での専門教育―――士官教育と衛士訓練を受ける。 少尉任官は18歳だ。
一般に、『訓練校に入校』すると言うのは、この『訓練校本科』に入校する事を指す。 予科時代に選抜に落ちた者は、他科に回される。
これでもかなりの低年齢化、促成栽培と言われてきた。 俺が訓練校に入った時代、この年齢は志願者が対象で、徴兵対象者はこれより年齢が最低でも2歳上だった。
今では志願・徴兵を問わず、この年齢になっている。 だがソ連軍は、それよりも平均で5歳低い。 それが如何に異常な事か・・・
「帝国陸海軍の衛士平均年齢は、21.8歳。 ソ連軍は15.6歳。 その差は6歳。 中等学校の3年生や4年生に、大学の3、4年生と同じハードワークを、こなせられますか?」
「その数字も、中尉以上の指揮官を含めた場合だしな。 少尉だけを見れば、帝国は平均年齢18.7歳、ソ連軍は13.4歳。 中学1年生と、大学1年生の差だ」
圭介の問いかけに、元長中佐がこれまた溜息交じりに付け加える。 それを聞いた周中佐も、苦笑交じりに自国の例を話し始めた。
「我が統一中華でさえ、衛士平均年齢は19.7歳だ。 最もこれは台湾軍込みだが。 恥ずかしながら、『我が軍』だけでは若干数字が落ちる、それでも17.8歳だ」
体力・持久力が落ちれば、集中力も急激に落ちる。 ましてや、まだ子供の心身では精神力は遠く及ばない。 こればかりは、個人の資質でも何でもない、純粋に成長の差だ。
精神論を言うつもりはないが、それでも体力が有って初めて、精神力は維持される。 戦場で体力が尽き、諦めて死んで行った連中の、何と多かった事か!
改めて周中佐に向き直り、進言する。 今日、部下達が口にした懸念、それは戦況次第で確実に訪れるだろう、そう確信したからだ。
「短期の一発勝負なら、かえって子供の集中力の方が上回るかもしれません。 しかし、戦闘が長引けば、彼等は確実に、早期に消耗します。
ソ連軍部隊は戦況の初期、少なくとも『最初の一撃』以降は後ろに下げる、そして最終局面の『ダメ押し』で再投入する。 それがベターかと」
ソ連軍から提出された戦闘詳細にも、それを裏付けるデータが揃っている。 戦闘開始時点での損失は少なく、戦闘時間が経過する毎に、損失率は日本を大きく上回る。
居並ぶ指揮官達が、無言で頷く。 まったく想定外だ、今回は楽が出来ると、誰もが踏んでいたのだが。
「・・・それまでは、こっちが貧乏くじを引くしかないか。 まあ、光線属種が居ないと言われる戦場だ、今まで経験した戦場よりは、楽だろうけどな」
「圭介、貴方らしくないわね、戦場を舐めてはいけないわ。 お子さんの顔を見る前に、戦死はしたくないでしょう?」
「・・・美鳳、そのネタで弄るの、もう勘弁して欲しい・・・」
げんなりした表情の圭介に、コロコロと上品っぽく笑う美鳳。 それにつられたか、普段は比較的質実剛健な元長中佐まで、笑って言い始めた。
「まあ、今このカムチャツカ南部は、『ファニー・ウォー』状態だ。 北の2個軍集団が壊滅でもしない限り、ここに大規模なBETAの襲来は無さそうだ。
安心したまえ、長門大尉。 君、目出度くお子さんの顔を見る事が出来そうだぞ?―――アレだろう? 確か順序を間違えたとか。 道内の部隊でも、噂になっておったぞ?」
「―――ぐっ!」
最後の最後に、皆のちょっと無理をした笑いが出た。 出ないよりましだった。
もっとも、それから散々弄られた圭介にとっては、出ない方が良いと思っただろうが。
2000年1月22日 1850 日本帝国 北海道苫小牧市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 北部受信管制局
「―――駄目だ、くそ。 シベリアの低気圧が発達して来た、分厚い雲に覆われて、まるで様子が判らん」
「光学センサーは役立たずか。 熱源センサーは?」
「極低温化で、まるで駄目だな。 気象班は何と言っている?」
「・・・この低気圧、まだ発達するってさ」
「・・・駄目か。 アメちゃんの偵察衛星も、こっちと同じだ。 この天候じゃ、碌に役立たないだろうな」
衛星情報は、まるで気象監視衛星の情報と化していた。 北太平洋からベーリング海、オホーツク海を繋いで、東シベリア一体にかけて、巨大な幾つもの低気圧が形成されている。
少なくとも、昔はこうではなかった。 そう、最低でも15年前くらいまでは。 この時期、シベリアには発達したシベリア高気圧が発生し、東アジアや北太平洋の低気圧に流れ込む。
所謂、『西高東低』の気圧配置となり、主に北東アジアに降雪を降らせる気象メカニズムになっていた。 反面、シベリアは高気圧の端にあって、積雪は案外少なく、好天が続く。
BETA大戦後だ、地球規模で気象メカニズムが崩れて来たのは。 特にユーラシアとその周辺で著しい。 アジア地域については、ヒマラヤ山脈の標高低下が主要因だった。
『世界の屋根』であるヒマラヤは、インド洋の暖気と湿気をブロックし、その北側のチベット高原以北への湿気の供給をほぼブロックしていた。
その為にチベット高原からタクラマカン盆地(砂漠)、旧中国の青海省からゴビ砂漠一帯は、微かな湿気も来ない、極度に乾燥した地域になっていた。
そしてその北側、天山山脈の高峰が、北極海からシベリアを通過して南下して来た最後の湿気を塞ぎ、南のタクラマカン盆地は益々、乾燥した地域になって行った。
その為、東ユーラシア北部の冷気は、南の暖気と交流する事が無く、シベリア内陸に押し込まれる形になる。 これが所謂、『シベリア高気圧』発生に重要な要素になっていたのだ。
―――だが今は? ヒマラヤ山脈は? 天山山脈は?
無くなってはいない。 しかし長年にわたって、BETAの浸食をうけた両山脈は、最早かつての神々しい高峰の姿は無かった。
ヒマラヤ最高峰は、2000年初頭で推定4,250m、天山最高峰が推定で3,645m(いずれも衛星情報) かつてヒマラヤ最高峰は8,850m、天山は7,439mだったと言うのに。
そして冬の気圧配置が大幅に変わった。 北太平洋で発達する低気圧は、東シベリア一体を『逆浸食』し、天候は不順となり、降雪が多くなる。 逆に平均気温は上がった。
シベリア高気圧によりもたらされていた、シベリア内陸に押し込められた寒気は、北太平洋の低気圧に向かって流れ込んでいた。 これが冬の寒気の実態だった。
しかし今は、そのシベリア高気圧の勢力は大幅に減じている、寒気が雪崩込まなくなったのだ。 あるいは、なだれ込んでも勢力が弱く、気温が昔程低下しない。
それが、北東アジアから東アジアにかけての、近年の冬季天候不順の原因であった。 逆に昔の乾燥地帯、チベット高原(今や『チベット平野』だ)、タクラマカンは一変した。
ヒマラヤ山脈・天山山脈のBETA浸食により、シベリア高気圧が大減衰した為だ。 秋から冬にかけ、南アジアに乾季をもたらしていた北東季節風が大減速した。
この為、アジアモンスーンが遮る物の無くなったチベットやタクラマカン盆地へ、一気になだれ込む。 また北の冷たい湿った大気と、南の暖かい湿った大気が常にぶつかり合う。
この為、かつての乾燥地域は、年の大半が多雨高湿地帯になりつつある。 H01・カシュガルハイヴなどは衛星観測の結果、夏季は多くの『孔』が水面下に没する事が判っている。
長年のBETAによる浸食、その結果が生み出した地形の大変動による、大気大循環の狂いが生じさせた、地球規模の気候変動だった。
そしてその『ささやかな』結果が、北東ユーラシア地方の天候不順、と言う形になって表れていたのだ。
「―――ああ、駄目だ、駄目だ。 全く判らない。 くそ、H19から北上している筈なんだがな・・・」
「一応、軍には報告しておこう。 前に観測されたのは・・・1週間前か。 その時の位置、侵攻方向、平均的な移動速度。 これで大体の推測は出来るだろう・・・」
―――北の凍土に、津波が押し寄せていた。 地響きを立て、立ちはだかる全ての物を喰らい尽し、飲み込み尽くす巨大な津波が。
赤黒く、汚れた灰色の、そして人の感性を狂わせるかのような、凶悪な原色の、様々な色が混じり合った質量を伴った醜悪な色彩の奔流が、轟音を立てて突き進んでいた。
分厚い雪雲に覆われた、真っ暗で猛吹雪の悪天候の下で、『それ』は蠢いていた。 北へ、北へ。 何者かに命じられた巨大なハミングの群れの如く。
岩を喰らい、丘を砕き、山を崩落させ、川筋を川底から消滅させ、ひたすらに突き進んでいた―――北へ、北へ。