1999年3月23日 1605 合衆国ワシントン州 シアトル南郊 フォート・ルイス陸軍基地 米第2師団
「大尉!」
ハンガー前で整備班と打ち合わせを終え、中隊事務室へ戻る最中に背後から声を掛けられた時、自分に対してのものとは判らなかった。
「大尉! カーマイケル大尉!」
ようやく自分の事だと気づく。 振り返ると1人の将校が、敬礼をしながら近づいて来るのが見えた。
「・・・中尉、フォルカー中尉、だったね?」
「イエス・サー、ラルフ・フォルカーです。 98年の8月、日本の京都、あの時は助けて頂き、有難うございました」
そうだ、昨年の日本駐留時代の事だ。 あの京都防衛戦の最中、孤立した1個戦術機小隊を率いていた男だ。
駆けつけた自分の中隊に臨時に組み込んで、何とか全滅を避けられた。 最もあの時は、自分の中隊も機数が不足していたから、渡りに船だったが。
「しかし君は確か、『トロピック・ライトニング(米第25師団)』じゃなかったか? どうしてここに?」
第25師団『トロピック・ライトニング』は、ハワイ州・オワフ島のスコフィールド・バラックス基地と、アラスカ州フォート・リチャードソン基地に分散配置されている。
「転属です。 所属大隊も壊滅しましたし、小隊毎こっち(第2師団)に転属ですよ。 人手が足りないとかで」
確かに第2師団は日本での戦闘で、大打撃を受けた。 京都防衛戦が終結した直後、まだギリギリ米日安保が維持されていた最後の瞬間に、第7艦隊に拾われて脱出した。
9月末、ハワイからここ、ホームのワシントン州フォート・ルイス陸軍基地に辿り着いた戦力は、僅か1個HBCT(重旅団戦闘団)と、その他少数の部隊だけだった。
実に師団戦力の3/4、3個HBCT分の戦力が失われた事となる。 1個HBCTは総兵力約3900名、実に1万2000名近くが、京都を巡る一連の戦闘で命を落とした。
ステイツに戻ってからの4カ月は、もっぱら人員の補充に費やされた。 いかな合衆国陸軍と言えど、1万人以上の訓練済み要員を、右から左へと用意出来る訳ではない。
各地の部隊から、部隊機能を損なわない程度に基幹要員を引き抜き、予備役を召集し、新兵を配属する。 そのスケジュールだけで4カ月を要した。
そして戦訓から、大幅な編制変えも行われた。 従来の第2師団は、4個重旅団戦闘団(HBCT)が主力だった。 だが機動性の問題が指摘され、この編制が変わった。
ストライカー旅団戦闘団(SBCT)との混成の様な編制となったのだ。 旅団支援大隊を組み込んだ4個機動旅団戦闘団(MBCT)と、戦闘航空旅団に火力旅団で師団を編成する。
ようやく数的な格好がついたのが、今年の1月末。 そこから猛訓練が始まった、1日でも早く、師団が実戦に耐える事の出来る練度を回復する為に。
器材も最優先で優良装備が配備された。
MBCTに1個ずつ配備される戦術機甲大隊(TSFB)には、アビオニクスとレーダーの近代化改修(RMP)を施したF-15Eが配備されている。
野戦砲兵大隊にはM109・155mm自走榴弾砲の中でも、最良のM109A6『パラディン』が配備され、更には牽引野戦砲兵中隊が追加されて、M777・155mm榴弾砲が配備された。
機甲部隊には最新鋭のM1A2、そのシステム拡張パッケージ(System Enhancement Package)適用車両であるM1A2SEPが定数一杯、配備された。
だから実戦を経験した、そして勘の良い古参将兵は勘づいている、『ヤバい! また最前線だぜ!』と。
新兵や予備役招集兵は、配属されていきなり、血相を変えた古参将兵(実戦経験者)からどやしまくられる羽目になる。
『貴様らが勝手にくたばるのは、貴様らの勝手だ! 好きに死ね! だがその為にチームが損害を受ける事は許さん!』
ユニット単位、チーム単位の徹底した戦闘行動を叩き込まれるのだ。 日本や欧米の様な個人技の向上は後回し、兎に角チームの『部品』として、確実に動作する事を求められた。
「転属して来たのは、では君だけじゃ無く・・・」
「ええ、前の小隊で一緒だった連中も、です」
―――確か先任の女性少尉と、後任の男女2人の少尉が居たな。 彼等もか。
「ああ、もっとも1番技量未熟な奴は、ハワイに置いて来ました。 日系の女性衛士の方ですよ、向うは故郷らしいですし」
―――ああ、それは良い。 故郷に駐留なら、精神的にも回復は早いだろう。 それ程酷かった、京都の戦いは!
それに第25師団も、第2師団程では無いとは言え、かなりの損害を被った。 技量未熟とは言え、実戦を経験した衛士は貴重だろう。
「代わりに1人、駐韓経験の有る奴を引っ張って来ましたけどね。 ああ、それと所属は第3機動旅団戦闘団です、大尉はどこの部隊に?」
フォルカー中尉の言葉に、思わず彼の顔を見る。 そう言えば大隊長が話していたな、欠員状態の1個小隊、近々に埋めてやると。
「・・・3rd.MBCT(第3機動旅団戦闘団)の2/7TSFB(第7戦術機甲連隊第2大隊)で、小隊の欠員が有るのは僕の中隊だけだ」
「え? って事は・・・」
「ようこそ! ≪ヘル・オン・ホイールズ≫へ! ≪アタッカーズ≫中隊は、諸君を歓迎する!」
「いや、まさか大尉の中隊とは・・・」
「不安かい?」
「いえ、まさか! 京都でのあの指揮振り、安心してますよ」
夜、将校クラブでカーマイケル大尉は、フォルカー中尉を誘って1杯飲んでいた。 他の小隊員―――アデーラ・フォン・エインシュタイナー少尉は部屋で寝ている。
後任の少尉2人は、どこかに姿を消した―――『スンマセン、人生の無情を味わっているそうで。 自棄酒なんですよ』―――フォルカー中尉が、人の悪そうな表情で笑っている。
そう言う事か、まあ、当って砕けたのか? 『部下』達の自由時間まで口を挟む事など、無粋にも程が有る、おいおい聞いてみよう。
「・・・で、やっぱり俺達は、再派兵ですか?」
ウィスキーグラスを傾けながら、フォルカー中尉が不意に聞いてきた。 その言葉に片眉を器用に上げて、カーマイケル大尉が逆に質問する。
「ラルフ、君はあれか? 最近になって軍内で声の大きい連中と、同じ考えか?」
「あんな後方しか知らない、ファック野郎どもと一緒にせんで下さい。 合衆国にとって極東防衛線が重要なのは、よーっく、理解しています」
日本帝国から樺太、そして極東シベリア。 或いは日本から千島列島、そしてカムチャツカ半島。 極東防衛ラインの直ぐ背後は、ソ連租借地と合衆国が同居するアラスカだ。
どちらか片方が陥落すれば、どちらかもう片方への負荷が増大する。 そして結局、残った方も早期に陥落するだろう。 そうなれば次はステイツだ。
合衆国は実は、余程この極東防衛ラインを重視している。 欧州戦線と異なり、地勢的に北米が直撃を受ける可能性が高まるからだ。
しかし現在、日本帝国内もそうだが、合衆国内、そして合衆国軍内部でも、日本帝国と日本帝国軍への反感がかなり高まっている。
原因は昨年の夏に生起した、日本本土防衛戦だ。 あの戦いは戦略的、そして戦術的に米日双方が見解の食い違いを見せ、様々に損害を大きくし、相互不信の種を宿してしまった。
合衆国には合衆国の、日本には日本の、それぞれの言い分が有るのだが、その調整に双方が盛大に失敗した―――カーマイケル大尉は、そう考えている。
「国内への反応弾使用、確かに日本は激怒するよ。 実際、打診した途端にあの国の政府・軍部内の親米派にしてからが、激怒したと言う話だ」
「ですが、既にBETAの侵攻を受けた土地に対して、という条件付きだったと聞きます。 反応弾を使用すれば、万単位でBETAを削る事が出来た。
そうすれば、京都やそれに続く地域が、あれほど悲惨な目に遭わずに済んだかもしれません―――ああ、結果論です、結果論ですが、そう思わずにいられません」
部下の表情―――以前の仲間達を、あの戦場で多く失った者の表情を見て、カーマイケル大尉は苦笑がこみ上げてきた。
いつだったか、これに似た情景を経験した事が有ったな、と。 相手も、主張も異なるし、言っている事は正反対なのだが・・・
「・・・合衆国が、合衆国市民に対して、その契約を履行する義務が有ると同時に、日本帝国もあの国の国民に対しての責任が有った、そう言う事なのだろうな」
「大尉?」
(『国家間の相互安全保障―――同盟もそうだ。 どちらか一方が、一方的に義務を負う事では無い。 お互いの国益に合致する限り、双方、若しくは複数はその義務を履行する。
しかしそれが崩れた時、一方的な負担は許容できないし、一方の主張ばかりを聞き入れる必要は無い、何故か? 国家と国民の契約、その不履行だからさ、国際外交もまたしかり』)
もう4年以上前、94年だったか? 確か94年の12月だ、彼と初めて出会った時だ。 自分は彼にそう話した。
それに対し、彼の反応はどうだったか? 4歳年少の友人はあの時、公私の狭間で悩んでいたと思う。 まだ20歳そこそこの、若い日本人だった。
「難しいな、本当に。 集団の総意と、個人の意識は必ずしも合致しない。 ああ―――だけど、だからこそ、私は彼とは友人でいられるのかもな」
彼は判ってくれるだろうか? 合衆国軍人としての自分と、彼の友人である自分と、その違いが有る事を?―――判ってくれる筈だ、だから友人でいられるのだ。
「・・・俺が知っている日本人って言や、京都で一緒に戦った、あの中隊の連中だけですけど」
上官の独り言に似た言葉を、少し訝しげに聞きながら、それでも話の大元を読み違えるでなく、フォルカー中尉が過去を思い出す様に話し始めた。
「あの隊の指揮官からは、米軍に対する悪感情は感じられなかったですね。 俺達が総撤退した時、ほら、横須賀までわざわざ会いに来てくれて」
「・・・ああ、彼等が日本の東北地方に移動する直前だった、あの時か」
「ええ、そうです。 『助かった、有難う、戦友』って、そう言ってくれましたっけね。 あの一言が無かったら、俺は日本不信になっていましたよ」
ならばこの部下はまだ、少しは冷静に物事を見るだけの理性を残している、そう言う事か、良かった。
彼がステイツにいた頃は、お互い色々と本音で議論し合ったものだ。 口下手、話し下手な日本人の若者が、随分と一生懸命、持論を話していた。
お互い、理解はしあえるものだな。 そうなのだな? うん、そうなのだ―――有難う、少なくとも僕の部下は、狭隘な視野に落ちずにすんだよ。 有難う、直衛。
胸ポケットから1枚の写真を取り出した、最近送られてきた手紙に同封されていたモノだ。 友人が映っている、横の女性は友人の婚約者だと言う事だ。
そうだ、折角だし、この写真は妻にも見せてあげよう。 きっと喜ぶだろう、懐かしい元同僚なのだしな。 うん、そうしよう。
カーマイケル大尉の妻、まだ新婚2カ月目になっていない新妻の名は、ペトラ・リスキ・カーマイケル。 今はシアトルに住んでいる。
フィンランド難民上がりの、元国連軍少尉。 初めて出会ったのは、友人と同じ94年の12月。 彼女は一旦欧州に戻ったが、カーマイケル大尉が欧州軍に派遣された時に再会した。
そしてプロポーズ。 その直後にカーマイケル大尉自身が極東戦線に異動になって、結婚自体が延期になった。 ようやく式を上げたのが、今年の1月末だった。
生粋の米国人の自分と、フィンランド難民上がりの妻。 そして自分と、これまた生粋の日本人である彼。 ああ、妻と彼も、友人同士だった。
お互いに生まれも育ちも異なる、祖国に至っては何を言わんや、だ。 それでもこうして、3人は繋がっているではないか。 国は異なっても、人の繋がりは途切れない。
「・・・ならば、誇りを抱いて、胸を張って、再び戦友達と相まみえようじゃないか」
1999年3月26日 日本帝国 福島県福島市 第18師団 戦術機ハンガー
「・・・いいなぁ、戦術機。 乗りたいなぁ」
ハンガーに情けない声が響く。
「久しく乗ってないなぁ・・・ いい加減、腕が落ちるなぁ・・・ 乗りたいなぁ・・・」
その声を全く無視して、整備班の将兵が黙々と機体整備に邁進していた。
「予備機の『撃震』でも良いんだけどなぁ・・・ 『疾風弐型』なんて、贅沢言う気は無いんだけどなぁ・・・」
しかし声の主は、相変わらず情けない声でぼやきを止めない。 やがて部下達の無言の抗議の視線に耐えかねた機付長―――整備軍曹だった―――が、その声の主に抗議する。
「・・・運用参謀、周防大尉殿。 いい加減、ぼやきは止めて頂けないモノでしょうか?」
「櫻井軍曹、冷たいなぁ・・・ 君が整備の下っ端時代、満洲で散々世話したってのになぁ・・・」
「・・・どちらかと申しますと、私の方が『ヤンチャな周防少尉殿』が振りまわす機体の整備に、苦労をさせられたと記憶しますが?」
短く切った髪で一瞬判らないが、振り向いた櫻井整備軍曹は腕を組んで、その豊かな双胸を押し上げる格好で、逆に言い返す。
櫻井加津子整備軍曹、一兵卒から叩き上げで7年目。 新兵時代は満洲で、当時の周防少尉の機体整備班の一員でも有った―――昔馴染みの戦友だ。
「それは主観だよ、うん・・・ ああ、乗りたいなぁ、戦術機・・・」
深く溜息をつき、処置なし、とでも言いたそうなゼスチャーでその場を離れ、整備に戻る櫻井軍曹。 その後ろ姿を見ながら、周防大尉のぼやきは収まらなかった。
周防大尉は時折、こうしてハンガーにふらっとやって来ては、戦術機を見上げてぼやいて帰る事が有ったが、最近は頻度が上がっている様だ。
慣れない参謀職、それも第一線部隊での『それ』は、さぞストレスが溜まる事なのだろうと、旧知の櫻井軍曹は見て見ぬ振りをしてきたのだが・・・
「・・・ええ加減にせんかい!」
後ろから、怒声が響いた。 見ると整備小隊長の児玉修平中尉が、周防大尉を怒鳴りつけていた―――事情を知らない新兵達は、恐れ慄いている。
何せ、師団参謀の大尉殿を、下士官からの叩き上げとは言え、中尉殿が怒鳴りつけているのだから。 だが当人達は、そんな事は不思議とも思わない振りで、話し続けている。
「・・・乗りたいんだよ、戦術機。 修さん、なんとかならん・・・?」
「乗りたいって、そやけどお前さん、今はTSF(戦術機機甲部隊)やないやろ!? お前さんの機体は、有らせえへんで!?」
追い打ちのその言葉に、肩を落とす周防大尉。 普段見せる事のないそんな姿に、整備兵たちは目を丸くしている。
無理も無い、普段の周防大尉の顔は『歴戦衛士上がりの、師団参謀』として、ある意味強面の印象が有る。 こんな姿は誰も想像出来ない。
「ぐ、軍曹殿、よろしいのですか?」
恐る恐る、整備の一等兵が櫻井軍曹に尋ねる。 教育隊を終了した後、整備の教育課程を修了して、配属になったばかりの新入りだった。
「ん? 何が?」
「何が、って・・・ あの、小隊長殿ですよ。 大尉殿に、あんな・・・」
―――中尉が、大尉に対してあんな態度をとっても良いのか!?
新米にとっては、信じられない光景だった。 だが機付長の櫻井軍曹は、あっさり肯定してしまう。
「ああ、良いの、良いの。 あの2人の場合はね。 何せ、周防大尉が新米少尉だった頃からの、兄貴分と弟分だからね。 ああ、小隊長が兄貴分よ」
掌をひらひらと返して、櫻井軍曹があっさり言いきってしまう。 そうしている間にも、周防大尉と児玉整備中尉との奇妙なやり取りが続いていた。
それを無視し、ようやくの事で連隊に配備された貴重な、92式『疾風』弐型の整備を進める櫻井軍曹。 やる事は他にも山ほどある。
3月末近くになって、急遽搬入された92式『疾風』の弐型。 これまでの77式『撃震』と比べると、大きく戦力は向上したと言っていい。
整備班にとっても喜ばしい、92式は77式より余程、整備に時間と手間を掛けさせない『優等生』だったからだ。
但し、衛士は別だった。 京都防衛戦までを経験した衛士は、92式弐型の搭乗経験が有るから、これは良い。 問題は半年前に訓練校を卒業した、新米達だ。
彼等は訓練校では『撃震』しか搭乗経験が無い。 『吹雪』などは、訓練校に回ってこない。 士官学校の衛士学生課程配備が殆どと、少数が斯衛に配備されているくらいだ。
だからいきなり、『撃震』から『疾風弐型』への登場は面食らう。 シミュレータなどで模擬訓練はしていても、実機となるとまた勝手が違う。
戦術機甲連隊長の名倉大佐は、部下の衛士達へ徹底的に訓練を課す事と、同時にいち早く『疾風弐型』に全員が慣れる事を指示している。
その為に衛士の訓練度は、日増しに熱を帯び、同時に整備班の仕事も増大していたのだ。 今日もあと数時間で、1個中隊分を仕上げねばならない。
その割には、保守部品の備蓄状況が思わしくない。 一応は来月には回復する予定だそうだが・・・ この調子では、果たして月末まで持つのか? と思ってしまう。
「・・・軍曹、聞きましたか? この夏に計画されている作戦の事・・・」
整備の合間を縫って、部下の伍長がこっそり話しかけて来る。
「その作戦の事は、余り大きな声で言うな・・・ で、なに? 作戦がどうしたっての?」
「はあ、噂ですが・・・米軍が出張ってくると。 そのせいか知りませんが、砲弾弾薬の中には、あからさまに『メイド・イン・U.S.A』と刻印の有る分も・・・」
嫌悪感を滲ませ、伍長が言う。 櫻井軍曹は溜息を吐くと同時に手を休め、部下を向いて苦言を言う事にした。
「アメちゃんだろうと、国産だろうと、BETAに撃ち込めば同じよ。 部品だってそう、正常に作動すればそれで良いでしょう!?
まさか貴様、戦術機の砲弾や部品まで、国産じゃないと許されないって言う、あの馬鹿な事言っている連中と同類なの!?」
「ま、まさか! あそこまで気違いじみた事は言いませんよ! ・・・けど、去年の夏に安保を一方的に投げ出して撤退した米軍が、何を今更・・・って気はします」
その言葉に、櫻井軍曹も思わずため息をつく。 確かに帝国軍人として、急に『戦場放棄』をした『同盟軍』には、言ってやりたい事は山ほどある。
だが再度、共闘して戦おうと言うのなら、否やは無い。 米軍は飛び抜けて優秀な、と言う部隊は実は少ないが、平均して練度も士気も高い。
それにあの、驚異的な兵站能力。 後方支援屋の整備班としては、米軍が背後に居ると居ないとでは、心構えが大きく違ってくる。
だいいち、36mmにしても120mmにしても、この冬の間は色々と部隊間で融通を付けて遣り繰りしていたモノが、ここにきてドサッと大量に備蓄され始めた。
言うまでも無く、米国製の砲弾だった。 規格は同じだから、帝国軍の突撃砲でも使用できる。 補給廠の連中は、嬉しい悲鳴を上げている事だろう。
戦術機の予備パーツは、まだそこまで充実していない。 特に92式関係は海外に移転した生産工場で、国内分と輸出分の生産調整の真っ只中だと言う。
それも来月には軌道に乗る予定だそうだが・・・ 何せ、電子機器の素子であるシリコンチップは合衆国が最大の生産国だ。 そしてメーカーに在庫は半年分しか無かった。
例のゴタゴタ故に、部品の在庫が少なくなっていた事が要因だろう。 工場も機体は生産出来ても、中身の電装関係部品を生産できず、『臓物無し機体』が溢れていたと言う。
噂に聞く『新開発の国産半導体』とやらは、まだまだ量産体制に乗っているとは言い難い―――まだまだ、実験用、試験用の段階だった。
「・・・貴様も整備屋なら、感情で物事を判断するな、もっとロジカルに考えな。 アメちゃんが参戦すれば、作戦成功の確率は多分上がるよ。
成功すれば、本土からクソッたれな化け物どもを追い出せる、あとは佐渡島よ。 アメちゃんにどうこう言うのは、その後でも良いんじゃないの!?」
「はあ・・・」
どうやら部下は納得できないらしい。 最近、こういう手合いが増えて来て困る。 あからさまではないが、内心で不満を抱え込んでいる連中。
どうにも厄介だ、彼女自身、完全に踏ん切りがついている訳で無いので、尚更に。 その櫻井軍曹に、向うから児玉中尉がため息交じりの声で呼びかける。
「・・・おい、櫻井! 確か『慣らし』の必要な機体が有ったな!?」
「は? はあ、1機残っていますが・・・ って、まさか小隊長、『アレ』を周防大尉殿に・・・!?」
92式と同時に、急遽少数が配備された機体。 高性能だが、それ故に様々な問題を内包する機体で有り、誰でも操れると言う訳ではないのが、悩みの種。
それに師団全体で10機しか配備されていない、第13軍団―――第14師団と第18師団の2個師団合計でも、20機しか配備されていないのだ。
中隊運用さえ出来ない少数の機数に、操るには相当の技量を有する難しい機体特性。 間違っても経験の浅い、年若い衛士達を乗せる訳にはいかない。
連隊では現在の所、その機体を割り当てられているのは、3名の大隊長と経験・技量ともトップクラスの3名の中隊長―――和泉大尉、神楽大尉、有馬大尉の3人だけだ。
「名倉連隊長(第181戦術機甲連隊長・名倉幸助大佐)には、大尉殿から話を通すと! それにコイツの『慣らし』は、運用課の管轄だ。 いっそのこと、大尉殿にやってもらえ!」
半ばやけ気味に、吐き捨てるように言う児玉中尉と、ホクホク顔で管理棟へ電話を繋げる周防大尉。 いつか、どこかで見た光景だ。
何やら昔を思い出して、櫻井軍曹は呆れと同時に少しだけ微笑んでしまった。 そして彼女が担当するもう1機の機体を見上げ、部下に指示を出した。
「よし、不知火『壱型丙』の慣らしをやるよ。 火を入れな!」
春の訪れを待ちわびるかのような、残雪の残る東北の山野を、1機の戦術機が轟音を残して飛び去ってゆく。
見掛けは現行主力戦術機である、94式『不知火』とほぼ変わらない。 だが、跳躍ユニットの轟音はやや野太く、大きかった。
すれすれの高度を、山肌に沿って巧みに機体各所の各モジュールを偏向させる事で、滑らかな動きで高速飛行させている。
やがて谷間に出た途端、跳躍ユニットをカットしてそのままの勢いで陸地に迫る―――と、同時に逆噴射パドルを短時間解放し、急制動を掛ける。
機体は見た目、フワリとした着地を決めて、次の瞬間には再度の跳躍ユニット噴射による噴射跳躍で、一気に尾根筋にでる―――片肺をカットして意図的にスパイラルに入る。
機体がクルリと1回転しながら尾根筋を飛び越えたと同時に、今度は噴射降下に移して、谷筋沿いにアクロバティックな超低空NOEに入っていった。
「あ~、整備班より1号機。 あんま、振りまわさないで下さいよ、大尉殿?」
『―――こちら1号機。 了解、了解。 全て順調、問題無し!』
管制塔に陽気な声が流れる、戦術機を操縦している衛士―――周防大尉の声だった。 心なしかその声が踊っている、そう感じるが間違いは無いだろう、明らかに楽しんでいる。
その間にも、『慣熟』の筈の1号機―――師団戦術機甲連隊に配備された、虎の子の不知火『壱型丙』は、次々と谷間を縫い、尾根筋を飛び越え、時にヒヤリとする機動を続ける。
予定では、設定されたコースを数周した後に帰還する筈だったが、途中から周防大尉が『運用課の観点から、この機体の性能を確認する!』とか言い出した。
そして止める暇も無いうちに、案の定、高機動テストコースへ機体を侵入させた。 今は思う存分、日頃のストレス?を発散するかのように、難しい機動を難なくこなしている。
「1号機、チェックポイント08通過―――マイナス0.20。 機体内タンク消耗率、マイナス1.29!」
理論限界値をコンマ20更新、燃料消費は想定消費を1.29%下回っている。 これまでのポイント01から、この08まででタイムは1.58更新され、燃料消費は10.61%節約している。
1.58秒有れば、咄嗟のアクションを行える、そして次の1秒を手に入れる事が出来る。 その1秒で射撃なり回避機動なりを行え、そして生を掴む事が出来る。
燃料消費で10%節約出来れば、戦闘稼働時間が15分は伸びる。 この調子で行けば全テスト行程のポイント18までで、タイムは3.5程短縮、燃料消費は20%程の節約を見込める。
「・・・ったく、あの阿呆、浮かれ上がりおってからに・・・」
整備隊から、慣熟飛行確認に出向いた児玉中尉が、周囲に聞かれない程度の小声で呟く。 が、残念ながらそれを、ちゃんと聞いていた人物は居た。
「ホンマ、まったくやで。 あの阿呆、慣熟飛行やってこと、忘れとるな。 限界まで攻めぇなんぞ、誰も言うとらんわ」
機体を受領する予定の第3大隊長、木伏少佐が苦笑交じりに同意する。 と同時に、目前の計器の数値を確かめ、納得する様に頷いた。
「確かにええ機体や、ベテランが操縦すればな。 出力も即応性も、大幅に上がっとる。 周防のヤツ、さぞエエ気分やろうなぁ・・・」
「確かに乗れとりますな、この結果を見れば・・・ 逆に、ベテランやないと扱い切れまへんで、少佐。 こないだ4号機を試した結果ですわ」
児玉中尉が分厚い書類束の中から、ひと括りの書類を抜き出して木伏少佐に手渡す。 その書類を見ていた木伏少佐が、視線を外さず児玉中尉に尋ねた。
「・・・これ、衛士は誰なんや? 児玉さんよ?」
「周防は周防でも、従弟の方でんな、周防直秋中尉。 ま、あのボンも中尉の中やったら、結構こなす衛士でっけど、この結果ですわ。
まあ、メーカーの理論値には収めとりまっけどな、戦場での運用考えたら、満足のいく数字やあらしまへん。 元々、燃費の悪い機体でっさかいな」
「厳しいのう、鬼の整備小隊長殿は。 この数字以上を叩き出そう思うたら、連隊でも古参の中隊長以上の衛士やないと無理やで? 直秋は、よう攻めとるよ、この数字は」
「・・・で、同日にやった3号機の結果です、これが。 因みに衛士は、神楽大尉殿ですわ」
両者を比較すると、その結果は明らかだった。 タイムの短縮に、燃料消費率の差。 如何に無駄のない機動が出来ているかどうか。
神楽大尉の叩き出した数字は、今現在の周防大尉の出した数字と、さほど遜色が無い。 この機体の性能を十分引き出し、その上で燃料の消費率低減も同時に実現している。
周防中尉の出した数字は、大まかに言ってメーカーの理論限界想定値内に収まっている。 部分的に良い結果を出しているが、両大尉の出した数字と比較すれば、見劣る。
「―――1号機、チェックポイント13通過! マイナス0.23! 機体内タンク消耗率、マイナス1.36!」
管制塔内に控えめだが、どよめきが起こる。 これで正真正銘、13ポイント連続でタイムも、燃料消費もマイナスを記録したのだ。
その情景を見た木伏少佐が、フン、と鼻を鳴らす―――あいつ、まだ腕は鈍っとらへんようやな。 欲を言えば全記録更新して欲しいモンやが、それは流石に無理かな?
あのコースは高機動テストコースやが、中には近接格闘戦の機動を想定した低速コースも有る。 周防は元々、機動砲戦が得意やしな、近接戦との『繋ぎ』は、まだ勘が戻らんか。
今まで各中隊長が2番機から10番機までの慣熟を行い、トップの記録を残したのは第1大隊の神楽大尉、2番手は第2大隊の和泉大尉で、3番手は第3大隊の有馬大尉だった。
周防大尉の記録は平均すると現在トップ。 高速機動エリアでは間違いなく記録を更新しているし、低速エリア(近接戦想定エリア)でも、上位3位内に付けている。
「確かに、乗れとるわ。 3、4年前のあいつやったら、多分この数字は叩き出せんかったんやないか?」
「今の戦術機甲連隊の中に入ったら、間違いなく上位3本の指に入る腕ですわ。 場合によったら、神楽大尉と双璧・・・ いや、1番かもしれまへんな」
「以前やったら、上位5本位やったかもしれへんな・・・ おお、クルビットでギリギリ、山肌を避けよった。 あれは、なかなか出来へんで」
新任当時は『その他大勢』の平均的技量の衛士だった周防大尉が、度重なる実戦を潜り抜け、生き残るうちに身に付けた後天的な技量だ。
木伏少佐は実の所、かつての後任で部下だった時期も有った周防大尉を、『悪運が味方した、努力型の凡才的凄腕衛士』と見ている。 『天才』では決してない、『凡才』だ。
おかしな表現の仕方だが、元々周防大尉は他に秀でた所の無かった衛士だ、それは事実だ。 それを実戦で身に付けた経験―――命を張って身に付けた経験で、技量を向上させてきた。
命からがらで身に付けた経験と技量だ、それは骨の髄にまで染み込んでいる。 一見、先天的に優秀な衛士と思われがちだが、それは違う。
(・・・この数字は、あいつが歯の根も嚙み合わん位の恐怖心で小便を漏らして、絶望的な激戦でも足掻いて生き残って、それで得た数字や・・・)
かつての後任、部下が叩き出し続ける数字を見て、それを称賛しつつ、まだ若い中少尉連中にはあの機体は、まだ任す事は出来へんな―――木伏少佐は、そう結論付けた。
『―――1号機より管制! 最終コースに突入する!』
「・・・管制より1号機、了解。 そしてどうして、あなたが搭乗しているの? あとで『たっぷり』聞かせて貰いますよ? 周防大尉?」
『うっ!? さ、さち・・・もとい、綾森大尉・・・?』
周防大尉の焦るその声に振り返った、木伏少佐と児玉中尉の視線の先に、笑みを浮かべた主任管制官の綾森祥子大尉が、部下からヘッドセットを奪って『宣告』していた。
「慣熟訓練も無しの、いきなりの高速機動コースへの侵入・・・禁止事項です。 よーく、言い訳を考えておいて下さいね?」
鉛を飲み込んだような表情の、周防大尉の姿がスクリーンに浮かんだ。 そしてファイナルアタック―――全18ポイントマイナス更新は、残念ながら達成出来なかった。
「ああ、綾森大尉殿は結婚後も、軍内では旧姓でやっとるんでっか・・・ やっぱり、結婚しても尻に敷かれとりまんな、あの男は」
「今でさえ同名が2人、おるんや。 3人目が階級も同じ『周防大尉』やと、混乱するから言うてなぁ・・・
まあ、あれ位が丁度エエのかもな。 年上の姉さん女房、アイツにはあれで、エエんとちゃうか?」
衛士から負傷転科して、管制官―――主任CP将校として着任した綾森大尉は、特に年若い中少尉の衛士達には、評判の良い、頼れる上官だった。
何より美人だ。 それに性格も柔和で人当たりも良い上に、何かと気安く相談事にものってくれる、面倒見の良い『姉的存在』として人気だった。
「・・・児玉中尉、慣熟飛行の衛士は、別だったはずです。 公式記録を取る管制科から言わせて貰いますと、余り甘やかさないで下さいね?」
「はッ! 以後、厳に対処いたします! 大尉殿!」
テキパキと部下のCP将校達に指示を出しながら、管制業務を続けてゆく綾森大尉。 その姿は部下の、特に女性CP将校にとって、憧れに近いモノとなりつつある。
今では、綾森大尉の昔の、衛士時代の旧部下達は元より、訓練校を卒業して半年しか経っていない若い少尉達も、何かと相談を持ちかけるようになっている。
「宜しくお願いします。 ・・・木伏少佐?」
「いや、連隊長まで丸め込まれたんや、しゃーない、しゃーないって。 以後、気を付けるわ」
「まったく・・・ 仕方のないコンビです事!」
「・・・あいつと、ワシがコンビ!?」
モニターを見ながら、部下の少尉にあれこれと具体的に指示を出し、報告書にサインをしながら、苦笑しつつ答える綾森大尉。
戦術機甲連隊の中隊長達は、最先任の世代が綾森大尉の同期生達だったし、後任の中隊長も顔馴染みが多い。 大隊長クラスも、馴染みの見知った顔ぶれだった。
一種の緩衝材の様なものだった。 当然ながらではあるが、本来の部下達―――各級CP将校達からの受けも良い。
「・・・昔から、変わりませんわよ?」
苦笑しつつそれだけ言うと、ヘッドセットを部下に渡して、綾森大尉は管制指揮業務に戻って行った。
綾森大尉の言葉に、少しショックを受けた様な木伏少佐が、茫然とその後ろ姿を見送っていると、別のCP将校が声を掛けてきた。
「木伏少佐殿、児玉中尉、今回の結果です!」
記憶媒体に収められたデータを、児玉中尉に手渡すCP将校―――渡会美紀中尉が、可笑しそうな表情で笑っている。
小柄で童顔で、相変わらず中尉にも、軍人にも見えない所の有る彼女だが、既に2年以上の戦場管制経験を持つ中堅CP将校になっていた。
「ああ、ご苦労さん。 って、なんや、嬢ちゃん。 何が面白いんや?」
児玉中尉が、相変わらず可笑しそうに笑っている渡会中尉に問いかける。 そしてやはり、渡会中尉は可笑しそうに笑ったままだった。
「いいえ、何だか昔と変わらないなー、って思いまして。 私が新任CPだった頃、周防大尉の中隊でしたけれど。
あの頃からみんな、変わってないなーって。 居なくなった人も多いけれど、それでも変わらない人は、変わらないなって。 それで、何だか嬉しくなりました!」
「・・・そうやな、嬢ちゃんも変わらへんしなぁ・・・」
「ぐッ・・・ わ、私は・・・! 変わります! 変わってみせます! 目標は、綾森大尉です!」
「どう言う目標なんや・・・?」
「いつかは私も、ああ言う風な『大人の女性』になってみせます!」
「・・・ああ、さよか。 ま、頑張りな・・・」
今でさえ、女学生に間違えられてしまう渡会中尉のその宣言に、児玉中尉は力なくエールを送るしかなかった。
「・・・渡会が、『大人の女性』? 逆立ちしたって、無理だ」
「酷いよ、周防君! 佳奈美ちゃん、何とか言ってよ!?」
「直秋だって、無理。 大尉の様には、絶対無理」
「うるせー! 佳奈美、お前だって祥子姉・・・もとい、綾森大尉の様には、絶対無理だってーの!」
「・・・直秋、あとでシメる・・・」
「ちょ、ケンカは駄目だよ? 駄目だからね、佳奈美ちゃん? 周防君!?」
1999年の春が来る。 大攻勢まで、あと4カ月と少し―――
1999年3月29日 日本帝国 『帝都』仙台 首相官邸
「正直申しあげますと、暴発一歩手前、と申しましょうか」
目前の将官が、表情を変えずにそう報告する。 その隣の背広姿の2人の高級官僚―――鋭い雰囲気の切れ者然とした男達も、同意する様に頷いた。 そして言葉を引き継ぐ。
「物資・食料の配給遅延、避難住居の絶対的不足、衛生面と医療支援体制の遅延。 物心両面の不安と共に、治安状況は極端に悪化しております。
先月からですと、約5.8ポイントの悪化です。 これではもう、治安警察の手に余る状況と言えましょう。 中にはスラム化している区域も有ります」
「海外からの不法難民問題も、深刻化しております。 今の所は目立つ動きはしておりませんが、水面下では完全にシンジケート化されております。
中国系の哥老会や洪門は、東南アジアの華僑社会や、北米の華僑系黒社会と深い繋がりが有ります。 帝国内の中華系難民にも、かなりの数が存在すると推定されます。
ロシアン・マフィアはウラジオストックが陥落してから、ウラジオ・グループが軍人崩れを吸収し、活発に活動中です。 北海道では社会問題化しつつあります」
内務省警保庁警備局長、内務省警保庁特別高等公安局長、いずれも帝国の国内外の治安維持活動を牛耳るトップ達だ。
そして先立っての、右近充国家憲兵隊中将。 国家憲兵隊特殊作戦局長を務める、国内外から恐怖と憎悪をもって見られる男。
その右近充憲兵中将が、1枚の報告書を首相の面前に差し出した。
「今となっては、今夏の大攻勢での合衆国の助力(介入、では無く、助力と右近充中将は言った)無しに、目的の完遂は有り得ません。
しかしながら、それを快く思わない―――有体に言えば、暴発しかねない者も多い事は事実です。 下手をすれば、本作戦に多大な影響を与えかねません」
軍人、民間の思想家、宗教家、教職者、古典的保守派層。 それらの背景に見え隠れする裏社会。 相互で繋がっているのではなく、いい様に絡め取られている。
海外難民上がりの裏の人間には、『思想的熱情』は豊富だが、明確な情勢判断と方針、それも冷酷なまでの現実視を有さない国粋派は、非常に扱いやすい相手だ。
『哀れな難民』を装いさえすれば、多感な、多感過ぎるほど純粋な彼等は、いとも簡単に掌の上で踊ってくれる。
逆に、時に冷酷なまでの現実的な情勢判断をする統制派は、かつての祖国の支配者層にも似た、非常にやり難い相手でも有る。
「やるならば、今です。 今をおいて時期は有りません。 大攻勢の準備が最終局面を迎える直前の、今でしか」
右近充中将の言葉に、榊首相は無言でリストを見つめている。 そしてややあって、リストから目を離し、3人の官僚(軍人も官僚だ)を見据えて言った。
「・・・今はまだ、手を出すべからず。 よいか、監視は厳重に、しかし手は出すな。 これは首相命令だ」
「ッ! しかし、首相・・・!」
内務省警保局警備局長が、身を乗り出す様に抗議しかけるのを、右近充憲兵中将が片手で押さえる。 そして、首相を直視して確認するように言った。
「対象への監視のみ、実行は保留。 それで宜しいのですな? 首相閣下」
「宜しい」
執務室を出た3人の官僚は、3者3様に難しい表情のまま、官邸を出た。
別れ際、特別高等公安局長が右近充憲兵中将に対し、意味有り気な視線を送ったが、右近充中将は無言で首を振った。
やろうと思えば、首相の知らぬ所で秘密裏に工作は出来る。 しかしどうしても各勢力の『本丸』までは、極秘では届かない。
彼等は官僚だった。 そして官僚を率い、その頂点に立つ者は法の上でも首相なのだ、その命令を全く無視する訳にはいかない。
3人の治安担当高級官僚は別れ際、無言で暗黙の了解を取った。 『本丸』近くには手を出さない。 が、外堀を埋めるのはどうにでも出来る。
任意調査、或いは別件逮捕。 末端では大した情報は持ち得ないであろうが、その情報の端から手繰り寄せれば、大きな獲物も引っかかる―――数年はかかるだろうが。
他の2人と別れ、憲兵隊の車に乗り込んで本部へと戻る車中、右近充憲兵中将は目を瞑り、表面からは窺い知れない様々な思考を巡らせていた。
確かに、榊首相は『出来者』だ。 与野党の熾烈な駆け引きが、裏で行われ続ける帝国議会を何とか運営し、異様にプライドの高い官僚群を従え、軍部を押え込んでいる。
更には民間でも急増しつつある国粋主義―――『日本主義』の波を何とか抑え、その根源の一つである難民対策にも、諸外国と比して力を入れている。
更には旧社会、すなわち政威大将軍を頂点とする武家貴族社会からの横槍を交し、元枢府の度重なる『提言』にも粘り強い説得を示し、国政への介入を許していない。
海外に目を向ければ、アジア太平洋地域の前線国家群との連携を唱え、その結実としての大東亜連合との軍事同盟、中韓両国との統合軍事機構を発足させた。
更にはブロック経済(その手法の是非はともかく)による、域内相互補完を目的とした『リムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)』にこぎつけた。
そして対米外交、軍事同盟についても決して疎かにしていない。 確かに国内諸勢力の手綱引きの難しさ故の日米安保破棄という現状だが、対米交渉は途絶えていない。
駐米日本大使館を拠点に、野々村吉郎特命全権大使を合衆国に派遣している。 野々村は生粋の外務官僚では無い、衆議院議員であるが、前身は退役海軍大将だった。
保守派政権である現合衆国政府は、野々村を好意的に迎えていた。 合衆国政権内には軍役を経験した者が多く、野々村とは旧知の高官も居る。
実際には『本職の』外務省出身の駐米日本帝国大使がいるが、こちらは『通常外交業務担当』の大使、という位置付けである。
日米安保の再開交渉、それに伴う日米地位協定の見直し交渉。 帝国内右派勢力からは、『売国』の声も聞かれるその難しい仕事を、軍部長老の一人でも有る野々村に委任していた。
更には、『第4計画』の誘致と実施。 未だに政権内部でさえ、その実現性に疑問を呈する者が少なくないのだが、その結果として日本が国際社会で得た『優位性』は大きい。
何より、『拒否権無しの安保理常任理事国』とは単に、『米国の紐付き』と国際社会からは見られていた日本帝国だ。
それが独自のロビー展開で『第4計画』を獲得した事で、国連内の地歩を固めたばかりか、国際社会からも『独り歩きした日本帝国』として認知されるに至った。
これは大きい、『外交下手の日本』、日本帝国政府にとって、このアドヴァンテージが今の日本外交に与えた影響は計り知れない。 そしてそれを推進した、榊首相の先見も。
(・・・だが、理想は理想だ。 要はどこまで現実とのすり合わせが出来るか・・・ その腹が据わっているかだ)
今の国内情勢を、暫し静観すると言うなら、それも良い。 何せ未曾有の大攻勢の前だ、特に軍内部に動揺が走る事を危惧するのは、判る。
だが一歩引けば、将来には二歩悪化した国内情勢が出現する可能性が有るという事を、あの首相―――国家の宰相は承知しているのか?
(・・・しているだろう。 その上で、なお理想を、己が信念を求めたい、築きたいと。 その一念は確かに、敬意を賞するが・・・)
右近充中将の見る所、榊首相は確かに出来者の名宰相、その名に恥じぬ人物だが、些か理想家肌の面を有する。 その事が足を掬わねば良いが・・・
そこまで考え、苦笑して首を振る。 そこまで自分が気にする必要のない事だ、それは首相の問題、自分には課せられた責務がある。
そして頭の中を、国家憲兵隊特殊作戦局長に切り替える。 瞬く間に、把握する限りの国内外情勢の情報が乱れ飛び、絡まり、形作られてゆく。
その中でひとつ、ふたつ、重要案件を取り上げ、自分なりの対応を練ってゆく。 最終的には部下を交え、局内幹部会議で決定し、実行に移す。
ああ―――この件、一応は国家憲兵隊総監にも上げておいた方がよいか。 間接的にせよ、摂家や将軍家も絡む案件だ。
(うん、耳に入れておこう、後でケツを持ってこさせない為に。 組織的自己保全と言う奴だ)
自分が善良な家庭人であると同時に、邪悪な組織人である事も自覚している右近充中将は、祖国への奉仕と組織内の抗争は、両輪であると自覚していた。
であるならば、己が目指す祖国へと一歩でも近づく様、努力を惜しむものではない事も。 でなければ自分は、一体何の為に息子を祖国に捧げたのか。
末っ子の二男だったが、末の子供だけに可愛い子だった。 大人しい子だったが、まさか佐渡島で殿軍を引き受けて、散ったとは。 普段からは想像出来なかった。
だから俺は、俺の思い描くこの国を実現させる為に、努力は惜しまない。 例えどのような誹りを受けようともだ。
1999年3月27日、帝国内で著名な思想哲学家が、予防拘禁された。 続く数日のうちに、その思想家周辺の人物数名もまた、逮捕拘禁されている。
罪状は『国家騒擾(そうじょう)罪』 日々高まる国民の中の不満の声を掬い、各所でアジデートを行った者達、そしてその精神的支柱だった。
但し、これは恐らく釈放されるだろう。 刑に服したとしても、1年かそこらで、しかも執行猶予付きだ。 しかし、まずはそれで良い。
要は本来、治安当局がし止めたかった連中に対する警告だ。 この思想家は国内右派―――国粋派から支持を受けており、また伝統的武家貴族階級にもその信奉者が多い。
また、今夏の『大攻勢』が終わるまで、『別荘で大人しくしていろ』と言う、当局のメッセージでもある。 戦場の後方、銃後であれやこれやと、されては堪らない。
そして1999年4月、国内外に様々な軋みを抱えながら、日本帝国は20世紀残り、あと2回となる春を迎えた。
1999年4月10日 宮城県柴田郡船岡 船岡城跡公園
満開の桜。 城跡公園の桜と、そこに近い白石川堤防沿いの桜並木が合わさって、見事な一面の桜色の気色を作り出してる。
人の数は少ない、この戦時、非常時だ。 僅かに地元の人間が、限られた少ない自由を楽しむ為に、ちょっと足を運ぶ程度だ。
「・・・すげえ、辺り一面が桜だ」
「綺麗・・・ よね」
「俺、こんな一面の桜、見た事無いな」
「アンタは都会っ子だからね。 私は故郷を思い出すな、もう見れないけど・・・」
そんな城跡公園に、陸軍の迷彩服(2型)を着こんだ一団の姿が有った。 戦闘用装具一式と鉄帽、それに『九一式騎兵銃(Type-91カービン)』を抱えている。
見るからに、陸軍部隊の行軍演習中だと判る。 見た所、ざっと30名前後、歩兵1個小隊程度か。 そんな彼らに『休め!』の号令がかかる。
指揮官らしき将校が前に出て、命令を達する。
「よし、ここで大休止を取る! 現時刻、1158! 大休止終了は1400! 各大隊毎に、配食を受け取れ!」
伴走して来た73式小型トラックから、配食が降ろされる。 それを見た隊員の中から、腹の虫を鳴らす者がいて、周囲から笑いが漏れた。
「昼食後は、基本自由行動。 ただし、公園内と堤防の一部のみを、行動許可範囲とする! 周囲には民家も有る、余計な摩擦は絶対にしない様に! 以上、かかれ!」
指揮官の命令一下、まるで欠食児童の群れの様に、トラックの配食に群がってゆく。
それを見ながら、指揮官はもう1台の随伴73式小型トラックに歩み寄った。 車内には大尉級の将校が2名と、中尉が3名座っていた。
「訓練参謀、1158、訓練前半終了。 以後、昼食・自由行動を1400まで。 帰隊予定時間は1850!」
「ご苦労さん。 ま、お前も休め」
「了解。 ・・・にしても、疲れたね。 長距離行軍なんて、訓練校以来やってなかったし・・・」
急に砕けた口調になった指揮官―――周防直秋中尉が、相手の師団運用・訓練参謀の大尉に向かって苦笑する。
その運用・訓練参謀―――周防中尉の従兄にあたり、今回の行軍訓練の立案者でも有る周防直衛大尉も、苦笑いしている。
「・・・直秋は、サボり過ぎ。 普段の基礎訓練も、目を離すと直ぐ手を抜く」
訓練の副指揮官の立場である中尉―――松任谷佳奈美中尉が、ジト目で周防中尉を睨んでバラす。
それを笑いながら聞いていた、もう1人の副指揮官の森上允(まこと)中尉が、茶化す様に言う。
「だよなー。 周防がサボって、松任谷が注意して・・・ もう、ワンパターンだよなぁ」
「うるさい、森上。 貴様だってサボるだろうが!」
「それじゃ、直秋と森上は今後、追加メニューって事で。 さて、配食が終わったら、こっちも昼飯にするか?」
サラッと、とんでもない事をほざいた周防大尉を、目を丸くして凝視する2人の中尉を無視して、周りが同意する。
「そうね・・・ はい、記録記入終了。 渡会中尉、ご苦労さま」
「はい! あ、大尉、これって例の『おやつ』ですよね? 配りましょうか?」
「そうね、そうしましょうか。 じゃあ、悪いけれど松任谷中尉、渡会中尉、手伝って頂戴」
「はい!」
「はっ、大尉!」
通し箱の様な容器に入れた副食物を、松任谷中尉と渡会中尉が運ぶ。 その後ろを綾森大尉がおっとりと付いてゆく。
やがて、副食物が配られると、隊員達の間から歓声が上がった。 袋に包まれた手の平大の『それ』を開ければ・・・
「わあ! おはぎ!」
「久しぶり~!」
「おい、飯の後で食えよ!」
「でも、どうして行軍配食に、おはぎが!?」
年若い少尉達が、口々に喜びを表している。 甘いモノは本当に久しぶりだ、最近は酒保にもあまり出回らなくなった。
大陸が陥落し、半島も陥落直前、と言う時期に中等学校から衛士訓練校に入隊した彼らの世代は、既に食糧配給制を中学時代に経験している。
この様な甘いモノは、それこそ初等学校以来、と言う者も少なくなかった様だ。 皆一様に、子供時代を思い出していた。
「みんな、感謝しなさいねー! 綾森大尉殿が、みんなにって、作ってくれたんだよ?」
「こら、1人1包みだ。 ちゃんと人数分は有る・・・ そこ! 横入りしない!」
渡会中尉と松任谷中尉は、まるで引率の教師になったような気分だった。 手に手に、副食物を貰おうと、若い少尉連中が群がってくる。
「うわあ・・・ 昔、母さんが作ってくれたなぁ・・・」
「家の近所の和菓子屋さんのが、美味しかったよ!」
「甘い~!」
そんな様子を、離れた場所で綾森大尉がニコニコと微笑みながら、眺めている。
その様子を、更に離れた場所で、周防大尉と周防中尉(紛らわしいが、従兄弟同士だ)、そして森上中尉が見ていた。
「・・・祥子姉さん、よくもまあ、あの人数分、作ったね・・・」
「張り切っていたよ、ホント。 俺も手伝いさせられた、お陰さまで眠い・・・」
「家で作ったんですか? 大尉?」
「まさか。 ウチの台所は、そんなにでかくない。 26人分、プラスアルファで100個以上だぞ? 将集の厨房を借りた」
本来、配食に『おはぎ』は含まれていなかった。 話を聞きつけた綾森大尉が『折角だから』と言って、作ってしまったのだ。
「・・・お陰さまで、我が家の今月の家計は、非常に苦しい・・・」
どうやら、自腹を切って食材を購入したらしい。 しかし周防大尉家の家計は、夫の周防大尉と妻の綾森大尉、2人の大尉の俸給が有る筈で。
「だったら、飲みを止めればいいじゃないか。 余り強くない癖に、最近はしょっちゅう飲んでいるそうだな?」
身内で有り、内実に詳しい周防中尉の(珍しい)苦言に、周防大尉はシレっと顔をそむける。
やがて配り終わった3人の女性将校が戻って来た、そしてこちらも昼食を、となった。
今日は一応、基礎体力促進の為の長距離行軍訓練、という名目になっている。
が、その実は『ハイキングだね、これは?』と師団運用課長の邑木中佐が言った様に、訓練は2次的だった。
今夏に予定されている、横浜ハイヴに対する大攻勢。 恐らく今まで以上に多大な損害が発生する事だろう。
師団もまた、ハイヴ攻略戦力に組み込まれる事が決定した。 そうなると必ず戦死者が出る事は、当然であった。
そんな中で各級指揮官にとって心配事は、まだ経験の浅い若い少尉達、それも昨年10月に訓練校を卒業したばかりの少尉達、彼等の動揺だった。
訓練に訓練を重ね、少しでも自信を付けさせる以外に他に方法は無い。 しかし、他に何か手を打っておきたい。
そんな時、師団運用課の周防大尉が提案した、『花見をさせましょう、祖国の花見を』と―――反対は無かった。
そして訓練の名を借りた、『ハイキング』がてらの花見が決定した。 戦術機甲連隊では、連隊の新任少尉達26名を連れて行く事になった。
訓練指揮官は、第1大隊第1中隊から、周防直秋中尉。 副指揮官は第3大隊の松任谷佳奈美中尉と、第2大隊の森上允中尉。
何の事は無い、連隊の中尉の中では最後任の3名が、引率役を押し付けられた格好になっただけだ。
他に、『通信・連絡役』と称して管制科から渡会美紀中尉。 主任管制官の綾森(現姓・周防)祥子大尉は、ちゃっかり混ざったクチだ。
そして本日の管制指揮業務は、主任補佐の富永凛大尉(兼・第2大隊CP将校)が代わっている―――いや、押し付けてきた。
最後は、言い出しっぺの運用・訓練参謀の周防直衛大尉。 こちらは予定していなかったが、『引率のまとめ役だ、行って来い』と各上級者から『命令』されての参加だった。
最初、周防大尉は渋った。 多分、気恥ずかしかったのだろう。 普段は若い少尉連中にとって、『怖い訓練参謀』で通している手前、確かにそう感じる事は仕方ない。
だがそこは、大尉以上に『意地の悪い』少佐、中佐、大佐が揃っている連隊である。 結局各所からの圧力に負け、不承不承参加をしたのだが・・・
「それにしても、綺麗な桜並木ですよね~!」
「そうね、管制官課程の頃、船岡に居たから聞いていたのだけれど。 本当に綺麗ね・・・」
「ええ、まだまだ日本には、こんな美しい風景が残っている・・・」
綾森大尉、松任谷中尉、渡会中尉の女性陣3人が、周りの景色の見事さにうっとりしている。
「桜って言えば、あれだな、桜餅!」
「あ、俺、あれは葉っぱが苦手なんだな。 剥くの、面倒だし」
「葉っぱごと、食べればいい」
「え!? 大尉、葉っぱも食うんですか!?」
「食べるぞ? 森上・・・」
「周防、お前、変! 大尉もですよ!」
男性陣の会話は、風情の無い事、甚だしい。 女性陣からも、呆れた様な視線を受けて、首を竦めて話題を変える。
「で、でも何ですか? よくもまあ、こんな時期に小豆が手に入りましたね?」
森上中尉の言葉に、松任谷中尉と渡会中尉が同意して頷く。
「確かに・・・ 合成物とは言え、小豆なんて貴重品、そうそう手に入らない・・・」
「師団の補給隊は、その辺はしまり屋ですよー? どうやって手に入れたんですか? 綾森大尉?」
その疑問に、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、周防大尉の方をチラッと見てから、綾森大尉があっさり裏事情をばらした。
「ああ、あの小豆の事? ふふ、私の旦那様のお父様―――私のお義父様はね、食料品加工会社の役員をしているの。 その伝手で、お願いしちゃったのよ」
綾森大尉の言葉に、皆が周防大尉の方を見る―――そっぽを向いていた、多分、照れ隠しだ。
「・・・ああ、そうか、伯父貴の伝手かぁ。 確かにやりかねないな、伯父貴だったら。 あの人、娘に甘いしな・・・」
―――周防中尉の何気ない一言で、今度は綾森大尉が赤面していた。
向うで歓声が上がる。 どうやら昼食も、『おやつ』も食べ終え、同期生同士で桜の花見を始めた様だ。
酒も無ければ(少尉連中は、全員未成年だ!)ツマミも無い。 だが、共に訓練をし、寝食を共にし、困難に共に向かおうとしている同期生同士。
彼等にとって、この春の行軍訓練は忘れられない思い出になるだろう。 いつの日か、最後の時を迎える事になろうとも、この光景を想い浮かべるかもしれない。
その光景を、松任谷中尉と渡会中尉が微笑みながら眺めている。 周防中尉と森上中尉は、『ま、あれはあれで、良いんじゃないか?』と言った表情で。
その光景を、周防大尉が更に身を引いた場所で眺めていた。 微笑ましさと、少しばかりの偽善感を抱いて。
そんな『夫』の表情を見た綾森大尉が、傍に寄ってそっと呟いた。
「・・・昔、広江『大尉』も、大連でこうやって、気を遣って下さったわ」
その言葉に、昔を思い出した周防大尉が、『妻』に向かって無言で、少しだけ笑って頷いた。
新任達が戦う理由、生きる理由、その理由のほんの片隅にでも、今日の光景が残ればそれで良い。
歴戦の2人の大尉にとって、そんな小さなひとコマでさえ、生き抜くには大切な事なのだと、判っていたから。
この日、日本帝国軍統帥幕僚本部において、帝国軍大防令第十八号『明星作戦』の戦闘序列が、正式に策定された。
同時に国連軍事参謀委員会は、正式に『Conbined Operation・Lucifer』を、太平洋方面総軍に対し発令した。
日本の、2度目の熱い夏まで、4カ月を切っていた。