1999年3月4日 2005 福島市置賜町 某日本料理店
「ご苦労さん、まあ、飲めよ」
「・・・うん」
相手の杯に日本酒を注ぐ、次いで自分の杯にも。
「じゃ、乾杯」
「・・・何に?」
「生きて帰れた事に」
「・・・うん、乾杯」
周防大尉が盃を傾け、一気に飲み干すのを見た恵那大尉は、少しずつ杯の中身を確かめる様に、味わう様に傾ける。
「・・・美味しい、な」
飲み干した盃を見ながら、恵那大尉がそう呟くのを聞いて、周防大尉は2杯目の杯を恵那大尉に注いだ。
暫く2人とも口数少なく酒を飲み、運ばれてくる料理を楽しんでいた。 昨今では贅沢品にまでなって来た天然素材の料理。
蕗の信田煮、茄子の味噌田楽、鰊の山椒漬。 酒は会津の酒蔵が未だ避難疎開せず、造り続けているものが手に入った。
山菜の香ばしい香りと歯ごたえ、味噌の味が茄子のシャキッとした食感を彩る。 山椒の味付けが舌にヒリっとして、酒が美味い。
民間ではもう、ほとんど食べる事は出来なくなった、自然の天然食材。 軍から委託経営を受けている、この店ならではと言える。
軍の委託を受ける事で、食材などが最優先で、しかも格安で入手できる。 代わりに軍の慰安施設指定となり、軍人だけは格安で利用できる。
今夜もカウンター席や座敷は、ほぼ軍人で埋まっている。 大広間は区切って官庁の飲食会か何かが開かれていた、民間人の客は1人も居ない。
前日に予約を入れていた為、5部屋ある個室の1室を確保できた。 とは言え、元は結構気軽な料理店。 今でも尉官クラスの利用が多い店なので、格式ばった所は無い。
「美味い料理に酒、生きていればこそ味わえる楽しみ、ってヤツだな」
メバルの塩焼きに箸を付け、杯をあおっていた周防大尉が目を細めて言う。 確かに料理も酒も美味だった。
「・・・死んだ者には、もう味わえないわ。 生き残った者の総取り、って訳?」
箸を止めて、卓上をぼんやりと見ながら恵那大尉がそう切り返す。 いや、何も考えず思わずそんな言葉が出てしまったのだろう。
その辺を察してかどうか、周防大尉は気付かぬ振りをして箸を止めず料理を食べながら、単純に言い返した。
「そう、総取りだな。 死んだ奴が食う筈だった飯も、食えなくなった分だけ、生き残った奴が食う。 食えなくなった代わりに、食ってやる」
―――それが供養ってもんさ。
そう言いつつ、料理を食べ、酒を飲む。
その様を見ていた恵那大尉が、一杯の酒を一気にあおって周防大尉に問いかけた。
「周防、貴様は部下や同僚や、上官を失った事は・・・ あるよね、絶対に」
「なんだ、藪から棒に。 そりゃ、あるさ」
恵那大尉を見ず、料理に箸を付けながら周防大尉は淡々と答える。
「・・・俺の初陣では、師団が丸々壊滅した、92年の5月だ。 中隊長も、小隊長も戦死した。 俺は訓練校を卒業して、まだ1カ月少々のヒヨっ子だった」
師団がBETA群の地中侵攻によって包囲殲滅された事。 辛うじて脱出できた事。 3日間にわたった初陣の戦いの事。
師団配属の同期生の少なからぬ数が、『死の8分』を越せず戦死した事、その後も過酷な戦場で命を落として言った事。
「美濃・・・ 貴様も知っている同期の美濃な、美濃楓だ。 あいつが死んだのは93年1月の満洲だ、『双極作戦』 目前でS-11を起爆したよ、美濃は」
箸を一旦置き、杯を飲み干す。 次いで手酌で注ごうとすると、恵那大尉が瓶を持って周防大尉の杯に酒を注いだ。
―――おう、すまん。
そう言って杯を受けた周防大尉は、口元に運ぶ手を途中で止めて、昔を思い出す感じで話し続けた。
「・・・俺はその年、93年の6月にちょっと下手を打ってな、国連軍に飛ばされた。 俺だけじゃなくて、長門と久賀も一緒だった。 貴様は、久賀は知っていたか?」
「長門は一緒の訓練校だから。 周防、貴様ともね。 久賀は直接の面識は無いわ、訓練校も違うし、今まで同じ部隊に配属になった事も無いから」
衛士訓練校と言えど、周防大尉や恵那大尉の時代は東京校(横浜分校含む)、熊谷校、仙台校、各務原校、大津校など、全国に9校が有った。
今は4校だけだ。 臨時に8校が開校した、或いは開校予定だが、まだ卒業生は送り出せていない。
従って同じ訓練校以外の場合だと、部隊配属で同じ部隊にならない限り、卒業後5年、6年経ってもまだ見知っていない相手、と言う事は有る。
「ああ、そうか、そうだったな。 まあ、その3人で一時、極東国連軍に間借りした時期が有った、丁度『九-六作戦』の時だ。
部隊に損失は出なかったが、友軍・・・ 特に中国軍の損失は酷かった。 帝国軍もBETAの奇襲を受けて、大連近郊に展開した部隊が酷い目に有った」
当時の状況は、新聞などにもある程度は報道されていた。 当然、事実とは異なる方向で。 そして軍内部ではその事実に当時は驚愕したものだった。
煮物椀の蓋を開けて、立ち上る香りをまず楽しむ。 帆立と新若布、筍、絹さや、木の芽を蒸している。 歯ごたえが柔らかい。
「最初に部下を失ったのは・・・ 国連軍に飛ばされた後、欧州方面に行ってな、地中海戦線だ。 イベリア半島のジブラルタル防衛戦で、初めて部下を失った」
帆立を口に運びながら、周防大尉が当時を回想する。 初めて任された小隊。 小隊長として部下を統率し得ず、結果として部下を失った悔悟。
次いで、自身も戦死を覚悟したイベリア半島での戦い。 迫りくる要塞級BETAの群れを前に、S-11の起爆スイッチに手を掛けた時の情景。
「イタリアでも酷い目に遭った・・・ 大隊からの派遣3個小隊のうち半数がやられて、先任小隊長が2人とも戦死した。 1人は俺が『慈悲の1撃』を与えた」
レーザー照射を機体に受け、それでも辛うじて照射範囲外まで機体を持って行った、先任の女性衛士。 管制ユニットを強制解放した後で見たのは、焼け爛れた彼女の姿。
艶やかな淡い褐色の肌も、豊かな黒髪も全く失せ、赤黒い血と重度の火傷に冒され、炭化し黒ずんだ肌の元、断末魔の喘ぎだけが響いていた―――直後の銃声、自分が撃った。
36機いた筈の派遣戦術機甲部隊が、11機しか生き残らなかった。 同じ大隊から派遣された仲間が、次々にカラブリア半島の荒野で死んで行った。
結局、自分はそこまでが限界だった、そう言いながら周防大尉は杯を傾ける。 飲み干した後、恵那大尉を見据えてそう言った。
「基地に帰還した後、盛大に吐いた。 嘔吐が止まらず軍医の診断を受けた。 『戦場疲労症』と診断された。 情けない話だ、そんなのは無縁だと思っていた、当時の自分がな。
軍医の話では、カラブリア半島の戦闘が直接の引き金だそうだが、元々はずっと蓄積されてきた精神的ストレスが限界を越したものだと、そう言っていた」
周防大尉の顔に、僅かに苦笑が浮かぶ。 突っ走った当時の、己を過大評価していた当時の内心への苦笑か。
恵那大尉は相変わらず、箸が進んでいない。 周防大尉もそんな様子をどうこう言うで無く、己だけ箸を進めている。
「俺も人の事をどうこう言えた義理じゃないな、色々考えたら、止まらなくなった。 人が死ぬ事、仲間が死ぬ事、自分が死ぬ事・・・
そうしたら、今まで出来ていた事が、出来なくなっていた、情けない話だけどな。 自覚も有った、こりゃ、駄目だってな。
で、とうとう後方に回された、94年の9月だった。 2年と4カ月、ずっと前線だったけどな、どうもその辺が俺の限界だったようだ」
その後は、後方勤務での経験のあれこれ。 勿論、国連軍として秘守義務のある内容は明かさず。 籍を離れた現在でも、未だ秘守義務は負っているのだ。
その後の、ドーヴァー海峡を巡る防衛戦。 その前哨戦段階で親しかった先任の衛士が戦死していた事。 最終局面で仲間が数人、戦死した事。
言い終えても周防大尉の態度は変わらなかった、只々、淡々とした口調で話している。
「・・・生者と死者の間に、明確な差なんて無いんだ」
ふと箸を止めた周防大尉が、ゆっくりと呟いた。 それを聞いた恵那大尉が、少し小首を傾げる。
「もしかしたら、その場所に居たのは自分かもしれない。 本来その場所に居るのが自分で、今回偶々、他の誰かが居たからかも知れない。
戦場での生死なんて、ほんとうにそんなちょっとした違いで残酷な程、別れてしまう。 指揮にしても同じだろう、明確なミスで無い限り、偶々そう言う指揮を執った。
別の場所と時なら、或いは別の指揮を執ったかもしれない。 その結果として俺が生き残って、別の誰かが死んだとしても、それは優劣や正誤の差じゃないな」
「・・・でも、もしかしたら、その場での『最悪の中の最善』は、取れたかもしれない」
さっきから黙って周防大尉の話を聞いていた恵那大尉が、杯を手に途中で止めたまま、少しだけ悔しげな表情で呟いた。
その表情を見た周防大尉は、おや? と言う表情で恵那大尉を見返す。 先程から全く無表情だった恵那大尉に、初めて感情らしいモノが感じられたからだ。
「もしかしたら、私があの時、こうしていれば・・・ 別の方法をとっていれば、部下達は死ななかったかも知れない。 上官を目前で喪わずに済んだかもしれない・・・」
少しだけ、杯を持つ恵那大尉の手が震えている―――悔悟か、恐れか。
「あのな、恵那・・・」
「判っている、判っているわよ。 そんな事、只の後付けの言い訳だって事は! けどね! 次々に部下が死んで行って・・・ 悲鳴を上げて、私に助けを求めて・・・!
どうする事も出来ない! どうする事も出来なかった! BETAは余りに多過ぎて! 私達は刻一刻と数を減らしていって! 友軍も来なくて!」
BETAの大物量の前での、孤軍奮闘。 周防大尉にも十分経験が有る。 有るだけに、恵那大尉の激情を聞くしかなかった。
「京都の中部軍集団が抜かれて、北陸が全滅して・・・ 新潟で押し止めなければ、どこまで突進されるか判らなかった!
師団命令は『絶対死守』だったわ、『引くな、ここで全軍死すべし』、そう命令された。 私だって帝国軍人だ、その時が来る事は覚悟していた! ・・・していた筈だった!」
手の震えが大きくなった、杯から酒がこぼれている。
目を吊り上げ、口元を奇妙に引き攣らせ、目を充血させて恵那大尉が言葉を吐き出す。
「絶望・・・ もう、絶望しか無かった・・・ あの雲霞の様なBETAの大群を、一体どうやって押し止めればいいのか・・・
それでもやるしかなかった、部下を叱咤して、自分を叱咤して、何人死んでも、死なせても・・・ 大隊長はそんな中、独り陣頭指揮をし続けて・・・」
確か、大陸派遣軍の経験が有る人物だったと聞く―――当時、新潟防衛で同じ戦場で戦っていた、以前の部下である最上大尉から聞いた事が有る。
実戦経験の浅い本土防衛軍『生え抜き』の衛士が多い中、その大隊長は最後まで大隊の崩壊を防ぐべく、陣頭指揮で部下の士気を高め続けたと言う。
だが、それが徒になった。 最上大尉が後日、周防大尉に話した事が有った。
(『・・・俺は隣の大隊でしたがね、見るに見事な陣頭指揮振りでした。 でもね、周りが保たなかった、精神的にね。
周防さん、経験ありませんか? 途中で生きる事を諦めちまった奴を見た事。 ・・・あの時の恵那大尉が、そうでしたよ。
俺の中隊の隣だったから、良く状況は判りましたけどね。 結局、歴戦の大隊長は、部下を守って死んで行った』)
先日の新潟でのBETA迎撃戦。 あの時、大隊長の木伏少佐は指揮小隊を率い、側面迂回に転じた。 数的、戦力的な優勢下にあったからだが。
昨年の夏、新潟戦の地獄では側面から迂回してくるBETA群は補足していた。 正面の数も多かったが、恵那大尉は側面索敵攻撃に戦力を割いた。
その結果、側面のBETA群は何とか阻止したが―――正面から突破されそうな状況に陥った。 四分五裂しかけた中隊の危機に駆けつけたのは、大隊長の指揮小隊だった。
「だ、大隊長は・・・ 私は、私がミスをして・・・ それで・・・!」
3機の『撃震』(『不知火』、『疾風』は見た事も無い、そんな部隊だった)でBETAの正面に打撃を加え、茫然としかけた恵那大尉を叱咤し、中隊の後退時間を稼いだ。
辛うじて立ち直った恵那大尉が、残存5機に減った中隊(1個小隊は側面攻撃)を纏め、2次防衛線を構築したその瞬間、目にしたのは要撃級の前腕に粉砕される大隊長機だった。
「あ、あの時・・・ 『頼りにしているのだからな! 次は上手く頼むぞ!』と・・・! ど、どうして、私を・・・ 私の為に、あの人は・・・!」
瘧の様に震えるその様を、杯を傾けながら見ていた周防大尉が静かな、とても静かな、それでいてどこか哀しげな声色で話しかける。
「・・・恵那、貴様、俺が部下や同僚や、先任や上官を失って、平然としている奴だと思うか?」
「・・・え?」
不意を打たれた様に、恵那大尉が顔を上げて周防大尉を見つめる。 しかしその表情から窺い知れる事は、とても難しい、そんな感情の無い表情だった。
「初陣の時に、大勢の仲間が死んだ。 同期の美濃は、BETA群の中で機体が損傷して孤立し、自爆した。 俺達は見ているしかなかった。
最初に失った部下はな、俺が見捨てた。 見捨てなければ戦線を突破される、そう判断したからだ。 だから孤立して単機で戦って、死んだ」
箸を止めずに焼き魚に手を付け、蒸し物を黙々と口に運び、時折は酒で喉を潤し―――話している内容とは反対に、ごく普通に酒肴を楽しんでいるかのように。
訥々と話す周防大尉だったが、見掛けほど無感情では無いらしい。 右頬の古傷―――こめかみから口元近くまで、薄ら残る傷跡が赤味を帯びている。 内心は感情的なようだ。
「イタリアじゃ、どうしようもない程、笑うしかない程のBETA群の波状攻撃に晒された。 為す術も無く、先任の小隊長を死なせた。
もう一人の先任は、俺が最後の止めを刺した。 俺を含む生き残りを生かす為に、殿を務めた衛士だった。 レーザーが擦過してな、酷い火傷で虫の息だった」
魚の脂を、酒で洗い落として胃の腑に流し込む。 一息ついて、周防大尉が恵那大尉を見据えて、一言言った。
「・・・これからも、何度も同じ目に遭うだろう。 何度も部下を死なせ、同僚を失い、上官の死を目にするだろう」
「周防・・・」
「俺は生き延びた、だからこれからも同じ目に遭っても、同じように戦い、生き残って、飯を喰らって、酒を飲む。
部下を鍛え、率いて生き延びさせる、一人でも多くの奴らを。 そしてまた、戦い続ける。 最後の最後まで」
―――最後は、俺の総取りだ。
そう、言葉を区切った周防大尉を、恵那大尉は食い入る様に見つめている。 どうしてそこまで言えるのか、どうしてそこまで平静でいられるのか。
戦場の地獄、断末魔の叫び、死にゆく者の絶望の声。 正直、あの地獄絵図は二度と経験したくない、そう思うような代物だ。
恵那大尉とて指揮官である以上、部下達の前でその様な本音は言えないし、言うつもりも無い、言った事も無い。
だが鍛えられた帝国軍人とは言え、彼女とて生身の人間だ。 そして訓練校を出たての青道心(新米の事)では無い故に、人生で様々に経験としがらみを持つ。
失いたく無いモノが多い、失うべきものが多い事は、年を経る毎に自覚するようになった。 そう言えば目前の同期生は、近日中に結婚する筈だった。
「・・・それが私と貴様との差だと、そう言いたいのか? 周防。 卒業して任官以来、前線を渡り歩いてきた貴様と、本土駐留が長かった私との差だと・・・!?」
自分と違い、相手は訓練校を卒業後、即日前線配属されたテストケース組の一人だ。 そして数年にわたり、最前線を戦い続けてきた。
同期生、同一階級と言えど、自分より遥かに実戦経験が豊富な男。 同期生の中でもこの男と同等の戦歴を有する者は、数えるほどしか居ない。
戦術機の操縦技量で、この男に決定的に劣るとは思っていない。 確かに本土駐留が殆どだったが、逆にそれ故に訓練は徹底的にしてきた。
帝国陸軍戦術機甲部隊が、衛士に求める年間実機操縦時間は210時間。 これは世界中の陸軍で最も多い(最多は帝国海軍の240時間、次は米海軍の220時間)
自分はそれより多い、年間平均260~270時間もの実機訓練を為してきた。 単機訓練だけでは無い、エレメント単位、小隊単位、大尉になってからは中隊訓練でも。
特に指揮中隊の訓練は、徹底的にしてきた。 確かに実戦経験は無い、その分は猛訓練で中隊の連携、小隊・分隊間の連携を徹底的に叩き込んだ。
大陸派遣軍が残してくれたデータも、徹底的に検討した。 JIVESを使用した訓練は、連隊で最も多い。 様々な『戦場』を追体験して来た、させて来た。
だからこそ、恵那大尉は自分の中隊は全滅せずに済んだのだと、そう思う。 他の中隊は瞬く間に全滅して行く中、初陣ばかりの自分の中隊は、最後まで戦った。
「わ、私だって、好んで本土駐留を続けた訳じゃない! 前線への出撃志願は、幾度となく上官に直談判さえした! だが、駄目だった・・・!
周防、貴様、戦歴の差が、貴様と私のその差が、今の私の不甲斐無さだと、そう言いたいのか・・・!?」
恵那大尉がその声色の中に一瞬、垣間見せた嫉妬と羨望、そして妬みにも似た負の感情。
だがそんな相手の感情を知ってか知らずか、周防大尉は変わらず平静な声で返す。
「違う、戦歴の長短じゃない。 昔に気付く機会が与えられたか、今与えられたか、それだけの事だ」
「気づく・・・?」
―――何を?
そう言いかけた恵那大尉の機制を制して、周防大尉が言葉を続けた。
「俺が今生きているのは、俺自身そうあろうと足掻いた結果ではあるがな・・・ 何より、『生かされてきた』んだな、連中に」
「? 生かされてきた? 誰に?」
「・・・死んだ連中に」
―――ちょっと、気障だったか?
周防大尉がそう言って少し苦笑しながら、もう何杯目かの杯を満たして口元に運ぶ。 その手を途中で止めて、少し声のトーンを落としていった。
「衛士の流儀だとか、死んだ者の事を語り継げとか。 もうそんな、青臭い事は言わんよ、俺は。 戦場じゃ必ず誰かが死ぬ、必ずだ。
そして俺は、俺達は・・・ そいつが死神に魅入られたその隙を突いて、生き延びる。 部下を生き延びさせる。 言葉を飾っても仕方が無い、それが現実だ、現実の戦場だ」
杯を一気に飲み干し、暫くそれを手に弄びながら、ややあってまた言葉を続ける。
「色んな奴が死ぬ。 良い奴、気にくわない奴、下手な奴、上手い奴。 指揮の下手な奴、戦上手な奴、部下に嫌われる奴、慕われる奴・・・」
少し酔いが回ったか、薄く眼を瞑り、額に手を当てて肘を卓上について支えている。 ふう、と酒精と共に息を吐いて、ポツリと言った。
「・・・俺達は、後を引き受けなきゃならん」
「後を、引き受ける・・・」
「恵那、貴様、それが判らなければ戦術機を降りろ、降りて後方に転科しろ。 貴様一人が死ぬのならば、俺は何も言わん。 同期生がまた一人、逝くだけの話だ。
だがそうはいかん、俺達は大尉だ―――判るか? 俺達は大尉なのだ。 その意味は恵那、貴様は初陣で嫌と言う程、味わっただろう・・・」
結局、自分より誘った同期生の方が先に酒に酔ってしまった。 全くこの男は、一体何を言いたかったのか。
数少ない、しかしまだ営業をしているタクシー(その殆どは、官公庁の御用達を兼ねていた)を見つけ、官舎まで運ぶ。
車中でふと、恵那大尉は気付いた。 そう言えば今夜は、自分は有る程度酔いが廻った所であの醜態を見せてしまったが。 この男はずっと飲み続けていたな、と。
新編連隊で同じ連隊になって初めて知己を得た、同期生の神楽大尉などは呆れるほどの酒豪だが、この男はまあ、人並みには飲める、と言った程度だった筈。
(・・・ああ言いながら、こいつも色々と内心で思う所は有る、そう言う事ね・・・)
酔ってすっかり寝込んだ同期生を見つつ、恵那大尉は今夜、酒席に誘われた理由をあれこれ考えていた。
視線を流れ去る街並みを追いながら、ぼんやり考えていると不意に以前、大隊長が言っていた言葉を思い出した。
(『どうして戦い続けるかって? 恵那、貴様、おかしな事を聞くなぁ』)
そう言って、笑った。
(『やりたい事は、山ほどあるからな! もう出来なくなった連中も多い、その分、俺はやり尽くすのさ』)
そう言って、笑っていた。
何をするのだろう。 何をしたかったのだろう―――判らない。
やがてタクシーが営門前に付いた。 官舎は敷地内の外れにある、衛兵に手伝わせ、酔った大男(180cm以上あるのだ、恵那大尉は160cmも無い!)を運ぶ。
やがて周防大尉の官舎の前に辿り着く。 その頃には少し酔いがさめて来たのか、千鳥足ながらも自分で歩けるようになっていた―――フラフラと、危なっかしいが。
「おい、周防! 部屋に着いたぞ! シャキッとしろ! こら、部屋のカギは!? まさか私に、最後まで介抱させる気か!?」
いっかな、部屋に入ろうとしない同期生に、些か焦る。 このまま放置しても良いが、流石に3月初旬の福島で、それは拙かろう・・・
そうするうちに、周防大尉の部屋のドアが開いた―――今の今まで、部屋の明かりが灯っていた事に気付いていなかったのだ。
1人の女性将校が部屋から出てきた、恵那大尉と同じ大尉の階級章を付けている。 右胸元に管制官徽章―――CP将校か? 髪を肩の辺りで切り揃えた、綺麗な女性だった。
「あら・・・ えっと、ごめんなさい。 確か恵那大尉、よね? 第3戦術機甲大隊の」
その口調と態度から、先任将校と判った。 軍で先任・後任の別が判らない相手に、いきなりこんな話し方はしない。
「はい、恵那瑞穂大尉です。 失礼ですが・・・?」
ここは、周防の官舎よね? そう内心の疑問が顔に出たのか、面前の女性大尉はニコッと笑って、自己紹介をした。
「失礼・・・ 綾森祥子大尉。 本日付で18師団181戦術機甲連隊本部付き。 主任管制官です、宜しくね」
新任の、主任CP将校か。 将来は参謀職から、上級指揮官のコースね。 エリート様かしら? でも、そんな女性がどうして周防の部屋に?
「今は管制官だけれど、昨年の夏までは衛士だったの。 負傷して、衛士資格を失ったのだけど。 訓練校の17期生よ、A卒です」
「ッ! 失礼しました、宜しくお願いします、綾森大尉」
どうやら、自分や周防の1期先輩だったようだ。 待てよ? と言う事は・・・?
「・・・周防大尉の、ご婚約者、ですね? 綾森大尉?」
そんな話を聞いた。 周防には昔から付き合っている、1期先任の女性将校が居ると。 今月にその女性と結婚するとも。
案の定、その女性―――綾森祥子大尉が、嬉しそうな、幸せそうな笑みを浮かべて、ゆっくり頷く。
そして少し呆れる様な眼で、今や地べたに座り込んでしまった婚約者を見て、声を掛ける―――優しげな声で。
「ほら、直衛。 しっかりして、シャキッとしなさい! こんな所で寝るつもりなの? 風邪をひくわよ・・・?」
「ん・・・ ん、ん・・・」
ふらふら立ち上がった周防大尉の体を支え、部屋の中に入ってゆく綾森大尉。
直前、恵那大尉に『ごめんなさいね、ご迷惑かけて。 有難う、お休みなさい』、そう言って、部屋に入って行った。
少し当てられた感のある恵那大尉は、何だか今夜のモヤモヤした負の感情が、呆れと共に消えている事に気付いた。
意識してかどうか、多分そんな意図では無かったのだろうけれど、彼女の同期生は見事に所定の作戦目標を、果たしたと言う事だ。
(・・・後を、引き受ける、か・・・)
一体何を、引き受ければいいのだろう? 全然分からない。 でも、死んだ大隊長は何かを『し尽くしたかった』と言う。
その為に戦っていたと言う、その為に部下を率い、部下を守り、部下を生き延びさせ、彼自身生き延び続けてきた。
ならせめて、その真似事でも引き受けようか。 その内、私にも何かを引き受ける事が出来るかもしれない、それが判るかもしれない。
「・・・うう! 寒ッ!」
3月初めの夜は、まだまだ寒かった。
「・・・今夜は、同期の悩み事相談なの?」
ベッドに倒れ込んだ周防大尉を見つめ、脱ぎ散らかした軍服をハンガーに掛けながら、綾森大尉が笑う。
「そんな大層な事じゃない・・・ くそ、飲み過ぎた・・・」
「もう、実はそれほど強くないのだから、程々にしなさいな、お酒は・・・」
水を入れたコップを綾森大尉から受け取り、一息に飲み干す。 ふう、と大きく息を吐いてまた、ベッドに倒れ込んだ。
「大層な事じゃないよ、小さなもんだよ、人なんて・・・ その積み重ねじゃないか、そんな連続じゃないか、人の世なんて・・・」
だから、人がそうしたい様に、そうしたかった様に、生き残った自分はし続けるのだ、追い続けるのだ。
「何だか、今日は妙な事に多弁ね? ・・・って、あら?」
綾森大尉が見ると、周防大尉は既に寝息を立てて寝ていた。 仕方が無いわね、とでも言いたそうな苦笑を浮かべ、布団を掛けて・・・ 部屋の電気が消えた。
1999年3月12日 1315 日本帝国 『帝都』仙台 国防省ビル 第2小演習室
「駄目だ、駄目だ、駄目だ、1個軍団を丸々、そんな所で予備戦力として温存する様な、そんな贅沢は出来ん!」
「しかし、正面突破戦力として使用した場合、早期の消耗は目に見えています。 ハイヴ突入部隊がハイヴ内に入った後でも、周辺確保に数個師団は必要です。
各『ゲート』からの逆襲阻止戦力も。 ハイヴ内の支援確保には、これも数個師団。 ここで我が軍団が突破戦力に回されますと、後の支援戦力が不足します」
「私は、それ以前の話をしておるのだ、大尉! ハイヴから溢れ出て来る個体群、これを地上掃討しない限り、周辺確保もハイヴ突入も、ままならんではないか!」
「何の為の、戦線維持戦力です!? 何も全周囲で掃討戦を仕掛ける必要は無い、そう考えます。 例えば東京方面、ここは第4軍団で吸収可能と判定されます。
北へ抜ける連中は、放置すればよろしい。 よしんば東に転じたとしても、その為の北関東戦線―――第2軍団が居るのでしょう!?」
「東京を含む、関東内陸部にBETAの浸透を許せるものか! 何の為の、これ程の大兵力だ! たかがフェイズ2ハイヴの飽和個体群など、全包囲殲滅出来んで、どうする!?」
「・・・それが出来ないからこその、本作戦なのでは? 少佐殿は、関東軍管区の労苦をご存じないと?」
「いちいち、揚げ足を取るな、大尉! これだけの大兵力を揃え、なおかつ戦線を突破されるなどと! 諸外国から物笑いの種だ!」
「突破では無く、誘導殲滅です、少佐殿! それに最初期から突破戦闘にTSF(戦術機甲部隊)を使えば、消耗は著しく早くなります!
戦術機は戦車以上にデリケートな兵器です、本命のハイヴ突入・支援に必要とされる戦術機の数を確保するには、どうしても予備にこれだけは確保する必要があります!」
「だから言っておるだろう!? それ以前の話だと!」
「大東亜連合軍、彼等の戦力でも4個軍団は有る! それ程ご心配ならば、2方面を彼らに任せるべき!」
「ここは日本だ! 日本の本土だ! その本土奪回作戦の要を、アジアの助っ人連中に任せられるものか!」
「彼等とて、アジアの要衝を守り抜いてきた歴戦の部隊です! 少佐殿の提示する作戦案では、大東亜連合軍4個軍団が遊兵化する!」
図上演習の最中、参謀本部より派遣された参謀少佐と、第18師団参謀の周防大尉が激論していた。 北部軍管区第4軍の各参謀は、周防大尉の案を支持している。
対して参謀本部派遣の参謀団は、一貫して徹頭徹尾、帝国軍の完全主導の元での作戦案を、押し通そうとしていた。
やがてその論争に、18師団や14師団の13軍団、それに12軍団所属の参謀達も参戦し、第4軍側は現場の声と仲間意識、そして中央への反発から参謀本部派遣団を圧倒しかかる。
その様子を見ていた第12軍団参謀長・鈴木啓次少将と、第13軍団参謀長・久世四朗少将が目配せし、久世少将が参謀本部派遣団の長―――参謀大佐へ耳打ちする。
ややあって、演習統裁官の鈴木少将が立ち上がり、激論を続ける中堅参謀達に向かって吠えた。
「静かにせんか! 女学校の教室じゃあるないし! 貴様等、付いているモノは、付いておるのか!?」
砲兵出身の、胴間声の鈴木少将の一括で、それまで喧々囂々だった場が、静まり返る。 『そんなの、付いてないわ・・・』と、元から付いていない真木泉大尉が呟いていた。
周囲から失笑が興りかけるが、鈴木少将のひと睨みで鎮まる。 その後を久世少将が引き継いだ。 壇上に上がり、居並ぶ参謀達を見回して言う。
「これまでの議論の通り、確かにハイヴ突入後の支援確保は重大命題である。 しかし半面、そこに辿り着くまでに跳ね返されては、作戦自体が失敗する」
少しだけ、参謀本部の参謀達が表情を明るくする。 反面、北部軍管区の参謀団から、失望の呻きが出た。
「しかし、だからと言って最初期からむやみやたらに戦力を投入していては、本作戦の本来の攻略目標―――横浜ハイヴの反応炉制圧は無理だ。
その意味では、参謀本部案は現場を軽視する傾向が見受けられる。 先程、18師団参謀が言った通り、近代兵器は非常にデリケートだ」
今度は北部軍管区参謀団から、同意の声が囁かれる。 参謀本部側は苦虫を潰した顔だった。
「よって、友軍―――大東亜連合軍へどこまで信頼を預けるか、その見極めが肝要となる。 彼等は『クラ地峡』の防衛、その防衛戦経験も有る事を、考慮されたし」
とりあえず、頭を冷やされた双方の参謀団は、再度の検討―――図上演習に入った。
もう春は近い、時間が無い。 曲がりなりにも、彼等はプロなのだった。
1800時、第4軍司令部主宰の図上演習を終えて、周防大尉は師団への帰路に就いていた。 他の参謀達は、一足先に帰隊しているか、所用で仙台泊まりだ。
周防大尉自身は、近日中に予定される自身の結婚の為の準備や何やで、市内各所を訪ねていた為、この時間になってしまった。
実家に顔を出した折、いっそ泊って行こうかと思いもした。 今日の図演に限った話ではないが、最近はストレスが溜まる事が多い。
実家で少し羽根を伸ばしたい気分も有ったが、公私混同と言う言葉が頭をよぎる。 それに明日も朝一番から予定が詰まっていて、断念した。
そして福島へ戻ろうと、仙台駅に向かう途中、繁華街の一角でちょっとした騒動に遭遇した。 騒動と言っても、軍人同士の言い争いだった。
少なからぬ野次馬の壁越しに覗いてみると、帝国陸軍の少尉が3、4人と、国連軍の少尉が2人、言い争いをしている。
「・・・もう一度、言ってみろ!」
「ああ、何度でも言ってやる! この穀潰し共め! 優先的に器材や物資を貰っている割には、一向に戦場に顔を出さない、玉無し野郎どもめ!」
「何だと・・・ッ!」
「おい、止せ、孝之! ここで暴れたら、まずいって・・・!」
「離せよ、慎二! こいつら、許さねえ・・・!」
「はっ! 許さない? だったら、どうしてくれるんだ? ええ!? 貴様らがのうのうとしている間に、俺達帝国軍は血を流しているんだ!
同期生でも、もう逝った連中だって居る! 俺達もこの間、新潟でBETAと遣りあって来た! その時、貴様等は何処で、何をしていた? ええ!?」
「黙れ! 俺たちだって、戦っている! それにッ・・・! それに、横浜は絶対に取り戻す! もう、あの街で誰も死なせない・・・!」
見ると、第14師団の若い、新任少尉達だった。 片方の国連軍少尉は、国連軍仙台基地の者達だろう。 双方とも、衛士である事を示すウィングマークを付けていた。
野次馬の人垣から、『最近、こう言うの多いな・・・』とか、『大丈夫かね? 本当に・・・』とか、不安がる声が聞こえて来る。
確かに、帝国軍と国連軍が、こんな街なかで堂々と諍いを起こしていては、日本国民としては不安になって仕方が無い。
その不安はもっともだ、と内心で同意する周防大尉が、人垣を分け入ろうとしたその時、別の方向から叱責の声が聞こえた。
「―――止めろ! いい加減にしろ、双方とも! ここで国連と帝国が諍いをして、一体どうする!?」
国連軍の軍服を着た女性将校―――中尉だった―――が、反対側から人垣を割って出てきた。 やはりウィングマークを付けている。
クールな外見の美女だ、人垣からちょっとした称賛の声が上がる。 その女性中尉は、外野の声を無視して少尉連中を叱責し始める。
「帝国軍に言う。 我々国連軍は、貴軍の指揮権下には無い。 従って我が部隊の行動を貴官等が知らぬのは、無理も無い事。
だが我々とて、決して安穏としている訳ではない。 ましてや我が部隊は、隊員は全て日本人だ、祖国の窮状は切に感じている。
それは恐らく、貴官等と同様のものだ。 我々とて日々、日本の国土奪回、BETAの駆逐を目指し任務を遂行しているのだ」
最初は、一括した中尉だったが、その後は冷静に道理を説いて、帝国軍少尉連中に言い聞かせようとしている。 その姿に、人垣からも頷く者達が出て来ていた。
「部隊には、守秘義務が有る。 貴官等も同じだろう? 先程の新潟云々、アレは拙いぞ、気を付けた方が良い・・・
とにかく、ここで諍いをしている場合ではないと思うのだが? それに国連・帝国、双方の衛士が諍うなどと、国民の目にどう映るか、考えた方が良い」
最後は、説教口調になっていたが、言う事は筋が通っている。 周防大尉は、もう少し様子を見る事にした。
「鳴海、貴様、随分と威勢が余っている様だな? 基地に戻れ、たっぷり扱いてやる。 ・・・平!」
「はっ!」
「貴様が居ながら、なんだこの騒ぎは・・・ 鳴海を押さえろと、あれほど言っていただろうが!」
「はっ! 申し訳ありません! 中尉・・・!」
どうやら、部下達の様だ。 しかしこのままでは、上手く収まらないだろう。
国連側は、特に帝国側を押し込む気は無い様だが、帝国側の新米連中がそれで図に乗りかねない。
人垣をかき分け、周防大尉が歩を進める。 突然現れた第3者に、一同怪訝な顔をするが、即座に敬礼をする―――大尉の階級章に、参謀飾緒。
それだけでも、新米少尉にとっては『雲の上』の存在だ。 それに右胸のウィングマーク、そして左胸のサラダ・バー。 数々の勲章の略章、歴戦の衛士である。
「18師団、運用参謀の周防大尉だ。 ・・・貴様等は、14師団だな? 141戦術機甲連隊、何処の大隊か?」
「はっ! 第3大隊、第32中隊で有ります! 大尉殿!」
―――第3大隊、旧第35師団の生き残り部隊か。 32中隊は・・・ああ、向井君(向井忠彦大尉、18期B)の中隊だな。
「ここで、貴様達が国連軍相手に与太を楽しむ余裕は無い、基地に戻れ。 14師団運用(参謀)の長門大尉は、甘くないぞ。
それだけ元気が有るのならば、今日を後悔する程の訓練を、用意してくれる事だろう。 判ったら、早く帰隊しろ、外泊は無かった筈だ」
「は、はっ!」
14師団の少尉連中が、顔をひきつらせて敬礼し、身を翻して立ち去ってゆく。 18師団の周防大尉と言えば、第13軍団の中でも歴戦の衛士の一人として、名は響いている。
それに第14、第18の両師団の戦術機甲部隊では、大抵の中隊長より実戦経験も豊富で、格上だった。 周防大尉より先任者は、両師団の戦術機甲中隊長で4名しか居ない。
実戦経験や戦闘指揮の面では、周防大尉を上回る戦術機甲中隊長は居ない、と言っていいかもしれない。
比肩するのは18師団の神楽大尉か和泉大尉。 14師団の源大尉か三瀬大尉、その辺の古参中隊長位だった。
なので、18師団の周防大尉と言えば、師団や軍団では『大物』とまではいかないが、決して『小物』では無い。 立派に中堅将校団の、要の様な存在だった。
新米少尉達にとっては、『怖い存在』の一人に数えられるだろう、間違いなく。
ほうほうの態で立ち去って行く少尉達を苦笑して見送った後、国連軍将校を振り向いて、軽く謝罪する。
「済まなかった、我が軍の者が、変な言いがかりを付けた様だ」
「・・・いえ、こちらこそ、部下が勝手に激昂したようです。 国連軍は、帝国軍に対し決して別心が有るのではありません、お手数をおかけします、大尉殿」
お互いに敬礼を交し、まずは周防大尉が手を下す。 それを見た女性中尉も、敬礼の手を下した。
暫く無言だったが、周防大尉が懐かしそうに、少し顔を綻ばせて話しかけた。
「暫くぶりだな。 進級したのか、おめでとう、伊隅中尉」
「教官・・・ 周防大尉も、参謀職に就かれていたのですね、知りませんでした」
「長門もだが、似合わない事をしているよ」
お互い旧知の周防大尉と、伊隅国連軍中尉が挨拶を交す間中、2人の国連軍少尉は直立不動の姿勢で、起立したままだった。
周防大尉が視線をその2人に移し、さっとなぞる様に一瞥する。 その視線を受けてまた、2人の少尉達が身を固くする―――自分達の上官が、引いて接する様な相手だ。
「・・・官姓名は?」
先程激昂した国連軍少尉に対し、特に感情を込めずに周防大尉が聞いた。
「・・・鳴海。 鳴海孝之、国連軍少尉、であります、大尉殿・・・!」
「ふん・・・ そっちは?」
「はッ! 平慎二国連軍少尉で有ります!」
暫く、その2人の少尉を凝視していた周防大尉が、相変わらずの表情で話しかける。
「出身は、横浜か? ああ、答えんで良い、さっきの少尉の言葉で判る。 ひとつ、言っておく。 なに、簡単な事だ、馬鹿でも覚えられる。
国連軍が、貴官の部隊が参戦するかどうかは知らんが・・・ 戦場でさっきのような感情は捨てろ、さもないと死ぬぞ?」
その一言に、また感情を溢れかけさせる鳴海と言う少尉を、同僚の平と言った少尉が押し止める。
「俺も、戦歴だけは多少あるが・・・ 忠告だ、余計な事は考えるな。 余計な感情は、とっさの判断を鈍らせる。 それで死んで行った連中は、多いからな」
それだけ言うと、もう興味が失せたかのように、今度は伊隅中尉を向いて話しかけた。
「伊隅、当然もう、初陣は済ませたのだな?」
「・・・はい」
「なら、良い。 ・・・先程の貴様の言葉、神宮司が聞けば、喜ぶだろう」
その一言に、伊隅中尉が自嘲とも、苦笑とも言い難い表情を浮かべる。 その顔を見た周防大尉は、少し微笑み、そして改まって表情を引き締め、言った。
「あの、頭に血が上っている奴、気を付けておけよ? 戦場では勇猛に戦って・・・ そして、最初に死ぬタイプだ、ああ言う奴は」
「はッ! ご配慮、有り難く!」
「礼を受ける程の事じゃない・・・ おい、伊隅、死ぬなよ?」
「大尉も」
それだけ言うと、周防大尉は軽く敬礼し、あっさり離れて行った。
「・・・さて、鳴海、平。 それだけの元気があるのなら、今から特別に訓練だ。 先程、大尉が仰ってられた様に、余計な事を考えなくて済む位、扱いてやる」
上官の宣告に、鳴海少尉はグッと言い詰まり、平少尉は情けなさそうに天を仰いだ。
1999年3月19日 1350 日本帝国 福島県 第18師団
「転属・・・ ですか?」
周防大尉が、上官の邑木中佐に確認している。 が、邑木中佐は首を横に振って、断定はしない。
「いいや、その可能性もある、そう言う話だ。 本来ならそろそろ内示が出る時期だが、君に関してはまだ出ていない。
私としても、戦術機部隊の運用・訓練に関して、貴重な経験者の君を手放したくない。 作戦課長辺りは、作戦課に呉れと言ってきているがね」
その言葉に、周防大尉が思わず首を竦める。 師団司令部作戦課長の広江中佐は、色々な意味で恩人である、と同時に、頭の上がらない上官の一人だからだ。
しかし、師団参謀に任ぜられてまだ4カ月ほど、異動の時期としてはやはりまだ早い。 同時に士官学校出身でない周防大尉が、師団参謀に任ぜられていると言うのも、異例だった。
「兎に角な、あちこちからスカウトが来ている事は、確かなんだ」
「スカウト、ですか?」
「ああ、スカウトだ。 今やどの部隊も、歴戦の大尉と言うのは貴重な存在だ。 どこもかしこも、欲しがって争奪戦だ」
現在、陸軍の正規将校で大尉と言えば、陸軍士官学校出身では92年卒業の第100期生から、95年卒業の第103期生が相当する。
訓練校出身者では、90年9月卒業の16期B卒から、94年3月卒の20期A卒までがそうだ。 いずれも3年から4年の間の卒業期に入る。
「大体が、軍が拡張政策を始めた頃に、大量採用を開始した時期の卒業生が、ようやく中堅の大尉になって来た。
その点は軍の読み通りになっている、なっているのだが・・・ いかんせん、今となっては、数が足りない」
91年から本格的に始まった、日本帝国軍の大陸派兵。 今の大尉達はその時期の最初から、或いは初期から半島陥落に至るまで、少尉、中尉、そして大尉として、戦場で戦った。
将校の中で最も消耗が激しいのが、この最前線で直接戦闘を戦う尉官級の下級将校だ。 現に士官学校・訓練校問わず、この世代が最も戦死者数が多い。
帝国軍としては、将来激化するであろう対BETA戦争を先読みし、下級将校の大量養成を企画した。 のであるが、戦死者数はその予想を、大幅に上回っているのが現実だった。
「何も、前線部隊だけに必要とされる訳じゃない。 士官学校や訓練校の教官団、練成部隊の指揮官、実験開発部隊の開発衛士。
部隊だけじゃ無い、後方の各機関でも実務主任担当者として、大尉はどこも引っ張りダコだ。 特に実戦を経験した大尉はな、今や宝石並みに貴重だ」
少尉は卵からかえった雛鳥も同然、中尉もまだまだ経験の浅い『大尉見習い』だ。 少佐、中佐となれば、より高度な戦術・戦略マネジメントに携わる。
大尉だけなのだ、『現場の指揮監督』を任せられるのは。 現場の状況を判断し、決断し、指示を出す。 そしてその事に対する責任を負う。
それが出来るだけの知識と経験、培った判断力と気力・体力。 その全てがバランスする世代こそ、大尉と言う階級にある者達だった。
「だからな、周防君、急な辞令の心構えだけはしておけよ? この戦時だ、いつ何時、急な辞令1本で最前線勤務、なんて事も有り得るからな」
「・・・お気づかい、感謝します、課長」
4日後に控えた周防大尉の結婚を前に、たまたま室内に残っていた邑木中佐と周防大尉が、運用・作戦課室で話し込んでいた。
邑木中佐としては、新婚早々になる部下を、死戦の展開されるであろう前線へ出したくない、と言う気分が濃厚に有る。
「ですが、まあ、何処に行ってもやる事を、やれる事をやるだけですよ。 自分にとって、それ以上は無理かもしれませんが、それ以下にならんよう、精勤するだけです」
そう言いつつ、周防大尉は内心で少し苦笑する。 自分も随分と大人臭くなったものだ、新任少尉の当時は、気負ってBETAを一掃してやる、などと息巻いていたモノだが。
無論、今でも根本は変わらない。 対BETA戦争に勝利しなければ、この星に残された未来は、食い尽された不毛の死の世界が残るだけだ。
だが、何でもかんでも気負う事が無くなった。 自分の出来る事、出来ない事。 すべき事、見守る事。 責任の範疇と、それを背負う事。
昔の自分が、今の自分を見たら、どう言うだろうか? 或いは変節したとでも言うだろうか?―――少し、昔の自分が羨ましい気もする。
「・・・このまま参謀職でも、部隊指揮官でも、全力は尽くしますよ。 己の全力は」
不意に窓から差し込んだ日差しに、目を細める。 随分と柔らかくなってきた、1999年の春はもうすぐ、そこまで来ていた。