2001年12月25日 1345・・・作戦総旗艦『千代田』より、作戦全部隊に対して『総撤退』命令が発令。
同日 1347・・・両津湾沖の第1艦隊(エコー支援)、米第7艦隊、撤退支援砲撃開始。
同日 1348・・・真野湾の第2艦隊(ウイスキーⅠ支援)、撤退支援砲撃開始。 第3艦隊(ウイスキーⅡ支援)、旧上新穂方面への砲撃支援開始。
同日 1349・・・海上作戦司令部より、第2艦隊へ『真野湾突入中止』の命令が発令される。
2001年12月25日 1355 佐渡島 真野湾岸・国府川 ウイスキーⅡ・ハイヴ突入部隊、第15師団
「2中隊、正面を抑えろ! 1中隊は右翼を警戒! 152(152戦術機甲大隊)との間を割らせるな! 3中隊は1中隊の砲撃支援!」
網膜スクリーンに浮かぶ各種情報、そして目前の映像情報。 状況は控えめに言っても崩壊寸前、そしてこちらは疲労と残存機数の減少で戦力減少。
目の前で部下の第2中隊が迫るBETA群に向けて突進を仕掛ける。 激突の寸前で急反転しつつ、柔らかな下腹に25mm砲弾や120mm砲弾を撃ち込む。
同時に後方から、砲撃支援(インパクト・ガード)を寄せ集めて再編成した第3中隊が、57mm支援砲、Mk-57ⅢCで後方の光線族種を狙撃している。
その間を、隣接する第152大隊と連携を取りながら、第1中隊が浸透してくる小型種BETAを掃討している。
33機に減少した大隊を、周防少佐は撤退戦に当り、機能別に再編成した。 つまり、突撃前衛(ストーム・バンガード)と強襲前衛(ストライク・バンガード)で固めた第2中隊。
強襲掃討(ガン・スイーパー)と迎撃後衛(ガン・インターセプト)の第1中隊。 そして制圧支援(ブラスト・ガード)と砲撃支援(インパクト・ガード)で固めた第3中隊。
つまり、大隊を大規模な中隊としたのだ。 これは隣接する第152戦術機甲大隊も同様だった。
師団本部より発せられた命令。 『TSF全部隊は、指定時刻まで国府川ラインを死守すべし』だ。 『固守せよ』では無い、『死守せよ』だ。
『死守命令』・・・つまり、1機残らず撃破されて、文字通り『全滅』しようとも、一切撤退は許されない。 最後は自爆してでも、防衛ラインを離れることは許されない。
指定時刻は10数分、遅くとも1415までと伝えられているが、現状ではその時間・・・最長で僅か20分の時間が、永遠に思えるほどの苦戦だ。
『第2中隊、2機被撃破! 残存8機!』
『第1中隊、残存9機。 1機撃破されました、側面防御を続行中!』
『第3中隊です! レーザー照射で1機被撃破! 残存9機!』
これで周防少佐と、指揮小隊長の北里中尉を入れても、大隊の残存戦術機は29機。 指揮小隊は既に萱場少尉を第1中隊に、宇嶋少尉を第3中隊に臨時編入している。
国府川防衛ラインの南側、河口付近は第151、第152大隊が防衛線を張り、旧195号線までの戦線を防衛中だ。 194号線が南下し旧引田部神社跡地までは153大隊と155大隊。
第154と第156大隊は、それぞれ2方面のバックアップに当たっている。 更には旧194号線から旧181号線までは第10師団TSFが、小佐渡山地までは第14師団TSFが防衛中。
とは言え、第15師団TSFは第151が29機、第152が28機。 第153と第155が28機で、第154と第156は27機と26機まで減少している。
師団定数の戦術機数が240機なのに対し、現時点での稼働全機で166機。 残存69.16%、74機を喪っていた。 損耗率30.84%は師団始まって以来の損失だった。
隣接する第10師団も、定数240機に対して残存162機。 残存率67.5%で78機を喪っている。 両師団の12個TSF大隊合せて328機。
甲編制の第14師団は定数360機に対し、残存284機。 78.9%を保っているが、76機を喪っている。 3個師団合せて612機が、死守命令を受けて激闘していた。
『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 第2艦隊っ・・・第2艦隊が真野湾に突入します!』
大隊チーフCP将校の長瀬恵大尉が、戸惑いと歓喜が入り交じった声で報告してくる。 一瞬、眉を顰めた周防少佐が確認する。
「どう言う事だ? 第2艦隊の突入は、中止になったはずだ!」
そう、地上部隊にとって命綱とも言うべき、艦隊からの支援砲撃。 それが真野湾では『光線族種との距離が至近に過ぎ、艦隊の湾内突入は中止』と伝えられていた。
真野湾は撤退に使えない。 後方支援部隊の多くが、必死になって旧350号線を南下し、旧大石湾から命がけの撤退中だ。
佐渡島南西端の南岸に位置する大石湾からならば、BETAは未だ至っておらず、そして第3艦隊の支援の元で撤退が可能だった―――装備の一切合切を放棄し、身ひとつでの撤退。
『わ、判りません・・・! ただ、沢根から相川までの旧31号線防衛ラインの撤退支援が、第2艦隊からUN艦隊・・・ガルーダス艦隊に変わったと・・・!』
「・・・ガルーダス艦隊?」
ガルーダス・・・東南アジア諸国連合軍は今回、艦隊も参加させている。 タイの『スリ・アユタヤ』、マレーシアの『サマディクン』、インドネシアの『ローナ・ドーン』
更には土壇場でインド海軍がセイロン防衛艦隊から『イラワジ』を分派し、派遣してきた。 いずれも驚くほどの旧式戦艦群だが、一応の近代化改修は施されている。
因みに『スリ・アユタヤ』は旧『榛名』、『サマディクン』は旧『扶桑』、『ローナ・ドーン』は旧『日向』、『イラワジ』は旧『ウォースパイト』
艦齢は実に『スリ・アユタヤ』と『サマディクン』、『イワラジ』で86年に達し、最も若い『ローナ・ドーン』でさえ83年に達する。
この4隻を見た日本帝国海軍のある艦長が、『いくら何でも、婆様を通り越した曽婆様を、戦場に連れ出す事はなかろうに・・・』と呟いたほどの老齢艦だ。
このガルーダスの『曽婆様艦隊』に、第2艦隊から5航戦(戦術機母艦『飛鷹』、『準鷹』)、第2駆(『長波』、『高波』、『巻波』、『清波』)が加わり、撤収支援艦隊となる情報だった。
(・・・ガルーダス艦隊の後ろには、戦術機揚陸艦や運搬艦、それに通常の揚陸艦艇群が多数控えている・・・ウイスキーⅠの撤退支援はそれでやるのか?
だとしても、数が足りない気がする・・・せめて5戦隊(戦艦『出雲』、『加賀』)辺りも付けないと、砲撃支援の密度が足りないのじゃないか・・・?)
目前の戦術指揮を行いつつも、無意識に全体状況を確認しようとする周防少佐。 本来ならば第2艦隊主力とガルーダス艦隊は、ウイスキーⅠの撤退支援が妥当の筈だ。
ウイスキーⅡ・・・真野湾岸から大石湾まで撤退中の部隊の支援は、第3艦隊と第2艦隊分派が行うのが妥当の筈だ。
しかし現在は、ウイスキーⅠの撤退支援をガルーダス艦隊と第2艦隊分派が行い、第2艦隊主力は中止されたはずの真野湾への強行突入を開始している。
それが自分たちへの支援砲撃では無いことを、周防少佐は理解している。 自分たちは時間限定とは言え『死守部隊』なのだ。 本来ならば支援を受けることはあり得ない。
友軍を支援し、助け、逃すことが任務なのだ。 助けられることは、その任務には入らない。 ならば、第2艦隊・・・いや、今や聯合艦隊主力と言っても良い第2艦隊主力が何故?
第2艦隊から、支援砲撃が開始された。 戦艦の巨砲、無数の誘導弾。 それを迎撃する光線級が発する多数のレーザー光線・・・たちまち重金属雲が発生した。
網膜スクリーンに情報を投影する。 師団命令に付属するコペルニクスC4IコンセプトのCOP(共通作戦状況図)、その中に表示された1本のルート・・・
(小佐渡山地・・・旧上新新穂ダム跡地か? あと15分以内に『支援目標甲』が洋上へ脱する・・・この為か?)
『支援目標甲』が何なのか、周防少佐には確認する権限が無い。 ただ、師団より更に上位・・・ニュアンス的には総司令部辺りからの厳命が下っている様子だった。
そこから察するに、余程重要な『支援目標』の様だが・・・その為にこの激戦場を、あと15分保たせることは、歴戦の指揮官でも困難に違いは無い。
目前に迫った突撃級BETAの突進をスピンターンで躱し、すれ違い様に『01式近接制圧砲』―――57mmリヴォルバーカノンの連射で仕留める。
一瞬の噴射跳躍後、片肺をカット。 空中でダブルクルビットを決めて要撃級BETAの頭上に57mm砲弾を叩き込んだ。
「2中隊! 八神! 深入りするな! 最上! 1中隊で2中隊の側面支援! 遠野! 制圧支援(ブラスト・ガード)に01榴(01式105mm戦術機榴弾砲)を持たせろ!」
『ハリーホーク、了解・・・! 稼働残存7機です!』
『八神! 右翼を支援するぞ! ドラゴン、稼働8機!』
『01榴、了解です! クリスタル、稼働9機!』
大隊残存機数が26機に減った。
『クリスタルよりドラゴン、ハリーホーク! 100下がって! ブラスト・ガード各機! 01榴、目標NW-115-201! 距離25(2500m)、撃て!』
4機のブラスト・ガードが放った01式105mm広域制圧用特殊砲弾が2500m先で炸裂した。 同時に襲いかかる強烈な爆風。 爆発出力は0.1kt相当に匹敵する。
対BETA有効危害半径は、約65mになる。 4発の特殊砲弾は綺麗なグルーピングを描き、約130m四方の範囲内のBETA群を霧散させ、周辺50m圏内の個体へもダメージを与えた。
『あと3斉射します!』
すると隣の戦区でも、激しい爆風が発生する。 第152戦術機甲大隊も、01式を使用し始めた。 更にはその隣の153と155大隊。 そして第10師団と第14師団も・・・
『旅団司令部よりTSF! 01式の使用、あと3斉射で制限!』
旅団司令部より、まさかの戦闘制限。
『あと3分で『支援目標甲』が通過する! TSF全部隊は500前進! 背後に国府川の回廊を作り、これを護れ!』
ここにきて、まさかの前進命令! 本当に師団はTSFを死守部隊にする気なのだ・・・3分間の地獄。 たった3分間、しかし永遠の3分間。
「ッ・・・! 本当に全滅しても、知らんぞ・・・! 大隊全機! 500前進する! 大隊長機に続け!」
叫ぶやいなや、大隊の先陣を切って突進する周防少佐の大隊旗機。 慌ててそれに追随する北里中尉機に、残存する3個中隊の部下達。
廻りを見れば、第152大隊の先頭を切って長門少佐の機体が、突撃級BETAの群の仲に吶喊していた。 彼だけではない、153大隊の荒蒔中佐も、155大隊の佐野少佐も。
『セラフィム・ワンよりゲイヴォルグ、アレイオン! 支援する!』
『イシュタル・ワンよりユニコーン、ケルベロス。 バックアップ入ります!』
支援に回っていた間宮少佐の154大隊と、有馬少佐の156大隊が支援に入った。 2個悌団に別れた第15師団TSFの6個大隊は、前方500mまで強行前進をかける。
得られた情報では、目前のBETA群は約2万。 他に小佐渡山地方面へ3万が進んでいる。 3個師団の戦術機部隊、それも大きく定数を割った部隊で支えきれる数では無い。
誰もが、ここが死地と悟ったその時、不意に後方から砲弾と誘導弾の雨が降り注ぎ、BETA群のど真ん中で炸裂する。 大型種は止まらなかったが、小型種が多数爆散した。
『15師団! 39師団393大隊、キュベレイ・ワン、支援入る! 周防! 近藤! 小高! 153と155の支援!』
『39師団第392大隊、ローレライ・ワン、15師団の支援入るよ! 周防、長門! 情けない様、晒すんじゃないよ!?』
後方で撤退中の『筈である』第39師団TSF部隊だった。
『・・・げっ!?』
「愛姫・・・に、紗雪さん・・・!?」
長門少佐はカエルが踏み潰されたような声を発し、周防少佐が思わず口を開けて一瞬呆然とする。
『39師団、391大隊、森宮中佐だ。 これより支援に入る。 葛城、真咲、395と396は10師団の支援に入れ。 源、君の394は私と14師団の支援だ。 和泉と伊達は放っておけ』
乙編制に改編された第39師団だった。 ウイスキーⅡの戦略予備戦力として、この真野湾一帯を護っていた部隊。 一足先に撤退したはずが・・・
『師団長が、総司令部にねじ込んだそうだ。 そう言う訳で、地獄巡り、ご一緒させて戴きますよ、岩橋さん、宇賀神さん、若松さん、鷲見さん・・・荒蒔さんも』
第14師団の岩橋中佐、宇賀神中佐、若松中佐。 第10師団の鷲見中佐。 第15師団の荒蒔中佐。 階級は同じだが、いずれも森宮中佐からすれば大先輩の先任達だ。
『・・・以前の君は、もっと理性的だったが? 森宮君・・・』
岩橋中佐の苦笑とも呻きとも、呆れとも取れない声。 宇賀神中佐が小さく笑う。 若松中佐と鷲見中佐は呆れるように頭を振り、荒蒔中佐は面白そうに笑っていた。
『我々だけじゃ有りません。 第3派別動のうち、戦闘力を有している27師団、戦略予備の37師団と38師団のTSFが戻ってきます』
『・・・なんだと?』
森宮中佐の言葉に、岩橋中佐が疑問の声を投げかける。 それらの部隊は全て、撤退海岸線の防衛部隊に指定されているはずだ。
『エコーの方が、両津湾を使えなくなりました。 撤退は大佐渡山地北端の鷲崎からになります。 エコー1派と2派は鷲崎から撤退中です』
『では、エコー3派は・・・?』
エコー上陸3派は、両津湾に上陸して時間が経っていないはずだった。
『旧319号線を、尻に帆をかけて総撤退中です。 第1艦隊と第7艦隊第70任務部隊、それと75-1、75-2任務群が鷲崎沖合に集結中です。
75-3任務群と75-4任務群が、第3艦隊に合流途中です。 エコー3派は東海岸から撤退させる様子です。 BETAが小佐渡山地に迫っていますが、両津湾よりマシ、と言うわけで』
エコー3派の米第34戦術機甲師団(レッド・ブル)、UN第23師団(『インドシナ』)、UN第27師団(『ハーン』)、UN第122師団(サイゴン)も損害は受けている。
しかしまだ戦力は維持している。 東海岸の撤退防衛部隊の『代替』部隊くらいは務まる。 そしてほぼ戦力を維持している戦略予備の4個師団が、国府川防衛ラインに進出したのだ。
『7個師団のTSF・・・あと数分ならば、十分かと』
『その後は、撤退海岸線の防衛があるがな・・・!』
『岩橋さん、それは折り込み済みだ。 森宮君、すまぬ、各師団戦区の間隙を塞いでくれ』
14師団の宇賀神中佐が最後を纏めた。 岩橋中佐もついには苦笑しながら部下に命令を飛ばす。
「第5斉射、近、遠、遠、近! 目標を狭差!」
戦艦『出雲』砲術士の綾森海軍中尉が、陸上の画像を確認して発令所に報告する。 傍らでは砲術士のダブル配置の周防少尉候補生が、諸元入力に必死だった。
『発令所より、第6斉射―――発射!』
僅かに艦が揺れる。 巨砲の砲撃時の衝撃を完全に消しきれないためだ。 僚艦の『加賀』、そして1戦隊の『紀伊』、『尾張』、2戦隊の『信濃』、『美濃』も砲撃中だった。
『1戦隊、『紀伊』にレーザー照射!』
『2戦隊の『信濃』、複数本のレーザー照射を受けています!』
『2戦隊『美濃』、後部艦橋破壊されました!』
損害がじわじわと広がっている。 既に打撃軽巡『長良』と、イージス駆逐艦『冬月』が沈んだ。 イージス軽巡『酒匂』が戦線を離脱、大型巡洋艦『鈴谷』も中破。
『艦体中部、レーザー射貫! 第2機械室全滅!』
『速力22ノットに低下!』
『僚艦『加賀』、前に出ます! 『加賀』より信号! 『武運を』です!』
やれやれ・・・これで乗艦の損傷は2度目だ・・・暢気な感想を抱きながら、綾森中尉がふと横を見ると、周防候補生が真っ青な顔をしていた。
「候補生、気にするな。 死ぬときは、あっという間だ。 そうならなけりゃ、助かる、生きて帰れる」
「・・・分隊士(中少尉クラスの各部の下級幹部)、落ち着いていますね・・・怖くないのですか?」
「怖いよ? そりゃ、怖い。 でもなぁ、こればかりは仕方ない。 艦は全体でひとつだからな、俺達がテッポー担いで、BETAをぶち殺しに行くわけにもなぁ」
艦は全体で個、個は全体。 個がそれぞれの役目を十全に果たして初めて、艦としての個の力を発揮する。
「だから、怖くても、自分の仕事をやりきるしか無いんだよ。 ほら、手が止まってるぞ、周防候補生! 貴様の役目を果たせ!」
「はっ、はいっ!」
「急げ! 急げ! 装備なんて、捨てちまいな! 御身大事! 代わりの装備は、後で政府がアメちゃんから分捕ってくるよ!」
大野湾の海岸線で撤収部隊の指揮を執っているのは、何と補給隊指揮官の沙村予備主計少佐だった。 声の大きさが幸いしたのか、或いは不孝の元だったのか・・・
大混乱の最中、気がつけば誰もが『補給部隊のビッグ・マム』の指示に従っていた。 沙村少佐は、捨てられた96式装輪装甲車の上に仁王立ちで、檄を飛ばし続けている。
「戦車隊! そんなデカブツ、脱出艇にゃ乗せられないよ! 砲兵! この大馬鹿! 未練たらしく砲に取りすがってんじゃ無い!」
そろそろ脱出のタイムリミットが近い。 LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇の最大速度は70ノット。 人員輸送用モジュールを搭載して最大240名まで運べる。
ゼロ・アワーより前に10海里(18.52km)、海岸線から離れなければならない。 エア・クッション艇で最大人員を運ぶとなれば、速度は60ノット程度に落ちる。
60ノット、つまり時速で約111km/h、分速1852mジャスト。 加速時間を考慮すれば、ゼロ・アワーより最低で2分前には脱出しなければならなかった。
何とか自力脱出が可能な戦術機甲部隊以外の地上軍戦力は、海岸線から必死の脱出の最中だ。 それも身ひとつで。 装備は全て投棄した。
「全く! 女々しい女は居なくても、女々しい男は相変わらず居るね! そこのWAC(女性陸軍将兵の総称)! あんた、そこの男どもを引っ張って行きな!」
「少佐! 沙村少佐! タイムリミットまであと5分を切りましたよ! さっさと艇に乗ってください!」
沙村予備主計少佐の部下である久須予備主計中尉が、やや顔を青ざめさせて怒鳴る。 普段の余裕を消して叫んでいた。 それはそうだ、正に生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
「まだ4分強ある! 4分ありゃ、海岸線まで400mは走って辿り着けるんだよ!」
「しかしっ!」
目視できる範囲には、もう誰も居ない。
『―――沙村少佐、1km圏内に脱出可能な部隊は探知せず。 脱出してください』
通信回線から、やや訛りのある日本語が聞こえた。 ネイティヴの日本人じゃ無い、確か・・・
「・・・あんたらは? どうするのかな? 趙少佐?」
『我々はTSFです。 脱出は自前で可能です。 さあ、早く! 小佐渡山地の西側に、BETA群が取り付きました! ここまでは後、数分で到達します! 脱出を!』
国連軍横須賀基地所属の戦術機甲部隊指揮官、趙美鳳少佐が答えた。 付近には数個大隊のF-15E戦術機が結集している。
「・・・死になさんな、趙少佐。 アンタ、いい女なんだから、死んだら負けよ?」
『・・・有り難うございます、沙村少佐。 女性としての先達の言葉、有難く・・・死ぬつもりは毛頭ありません、死ねない理由もありますし』
その理由は敢えてここで言わない。 フラグを立てるつもりは無い。
「沙村少佐! あと3分!」
「判ったよ! 脱出する! 趙少佐! あと3分頼むよ!」
『お任せを』
エア・クッション艇に乗り込み、人員輸送用モジュールに飛び込むやいなや、エア・クッション艇が猛然とダッシュして海岸線から離脱を始めた。
高速走行による合成風とガスタービンエンジンの排気と騒音、そして、高速走行中に艇が巻き上げる激しい波飛沫。 あっという間に島から脱出した。
『美鳳、私たちは3分後に最大速度で離脱。 島の東方に待機している戦術機揚陸艦まで・・・』
僚友で長年の戦友、そして親友の朱文怜少佐が、網膜スクリーンに上半身の姿をポップアップして伝えてくる。
『それと、周中佐から伝言よ、『2人とも、帰還したらたっぷり扱いてやる。 新米の頃を思い出して貰うぞ』ですって・・・怖い、怖い』
妙に余裕の有る僚友に少し呆れながら、趙少佐は懐かしさすら感じた。 もう10年近く前から、それこそ新米衛士だった頃から、周中佐と自分、そして朱少佐は供に戦ってきた。
もう1人居たが、彼女は今、ヨーロッパに居る。 そしてこの島には、趙少佐がこれからの人生を、ともに歩もうと思っている男も戦っている。
『いずれにせよ、会敵はあと1分後ね。 戦闘時間は正味2分弱。 一撃で、ありったけの火力を叩き付けて、弾倉が空になるまで撃ったら、即離脱よ』
3人目の指揮官、李珠蘭少佐が割り込んできた。 統一中華連邦から派遣されている趙少佐と朱少佐と違い、李少佐は亡命韓国政府軍からの派遣だ。 昔なじみ同士でもある。
100機前後の戦術機、F-15Eストライク・イーグルが島の中央に指向する。
『攻撃開始!』
『各中隊、撃て!』
『全力斉射!』
姿を現した数千のBETA群の醜い姿、その群にありったけの火力を叩き込む。 誘導弾、120mm砲弾、36mm砲弾。 あっという間に赤黒い霧のように霧散するBETAの群。
しかし、その後から、後から、数千体規模の群が波状攻撃の如く群がってくる。
『全部隊、最後の全力射撃! タイムリミットまであと1分! 斉射後、脱出する! 撃てぇ!』
『脱出しろ!』
先任指揮官の岩橋中佐の声が、回線内に響いた。 既に23分を回った、『支援目標甲』は脱出したはずだった。 師団・旅団司令部からも脱出命令が発せられていた。
第10師団、第14師団、第15師団。 そして増援に駆けつけた第27師団、第37師団、第38師団、そして第39師団の各戦術機甲部隊が、一斉に脱出し始めた。
状況は控えめに言って地獄だ。 万単位のBETAの大群に突っ込まれた。 そこかしこで乱戦が発生している、周防少佐も大隊の全体指揮どころでは無かった。
目前の要撃級の、振り上げた前腕の一撃をスピンターンで機体を捻って回避する。 咄嗟に57mmリヴォルバーカノンの一連射で仕留めた。
戦車級の群が数10体、急接近する。 咄嗟に小さく跳躍し、10体ほどを踏み潰す。 後ろから120mmキャニスター弾・・・エレメントを組む北里中尉だった。
「最上! 八神! 遠野! 生きているか!? 生きていたら返事をしろ!」
最早、前後左右、全てがBETA群のように錯覚するほどの包囲の中、周防少佐は戦闘機動だけで回避しつつ、部下を呼び出した。
『八神です! 中隊残存6機!』
『遠野です! 中隊・・・5機ですっ!』
『・・・最上です、7機』
20機・・・定数40機の戦術機甲大隊で、2度の補充を受けてなお、残存は20機しか居なかった。 内心を荒れ狂う感情を押し殺して、周防少佐は命じた。
「脱出しろ! 指定母艦は無視しろ、手っ取り早い艦を見つけたら、そこに降りろ! 行け!」
『了解! 2中隊! ずらかるぞ! 続け!』
『3中隊、脱出します! 中隊、続けぇ!』
最早中隊と言えない、増強小隊規模にまで減じた部下を率いて、八神大尉と遠野大尉が脱出を始めた。 傍らの僚機に向けて、周防少佐が命じる。
「北里、先に母艦に行け。 散り散りになるだろうから、全体の集計を・・・俺が戻るまでに終えておけ。 行け!」
『っ!? りょ、了解です! 脱出します!』
実際はそんな余裕も時間も無い。 自分を脱出させるための強弁だと、北里中尉は気付いている。 しかし同時に、そうすべきだと言うことも。
そして、妙に静かな口調で、最後に残った部下に、周防少佐が言った。
「・・・最上、跳躍ユニットか?」
『片肺は全損、もう一方は・・・30%も出力が出ませんね。 サーフェイシングは可能です。 他の2機も同じです』
一瞬の沈黙。 重く、重く、そして乾ききった・・・
『S-11は起爆可能です。 遠藤と段野の機体も・・・』
スクリーンに、最上大尉の他に2人の部下達・・・まだ若い2人の少尉の顔が映った。 遠藤貴久少尉に段野吾郎少尉、まだ19歳と18歳の若さだった。
『大隊長・・・脱出は不可能です・・・最後の時間は、稼ぎます・・・ッ! 家族は居ません、墓は・・・千葉に建てました・・・!』
『逃げずに戦ったと・・・家族に・・・お袋と、弟妹に・・・難民居住区に居る・・・お願いします・・・ッ!』
一瞬。 一瞬だけ目を瞑った。 そして一瞬後、周防少佐は上官としての威厳と、敬意を表すべき相手への敬意を示しつつ、敬礼をし、そして命じた。
「・・・命じる。 最上大尉、遠藤少尉、段野少尉。 遅滞戦闘にて最後の時間を稼げ・・・了解した。 不手際な指揮の不始末は、後であの世とやらで詫びる・・・頼んだ」
『来るのは、何十年後かで良いですよ、大隊長・・・』
『は・・・はい・・・っ!』
『くっ・・・はいっ!』
最後にもう一度、最上大尉に言った。
「最上、貴様がいて良かった。 今まで散々、助かった・・・感謝する。 これ以上は言わん」
『お陰様で、今まで生き延びました。 大隊長・・・周防少佐殿、武運長久を。 後は八神に任せて大丈夫です・・・では』
再び敬礼し、周防少佐は機体の跳躍ユニットを全開に噴かした。 山間部の山肌ギリギリをなぞるように西へと全速で飛行し、海岸線へ。 そして洋上へ出る。
そして500km/h近い高速で、海面上20mの超低高度を突進しつつ、秒速130m以上の早さで佐渡島から遠ざかる―――3人の部下達は敬礼していた。
5秒後、背後で大規模な爆発が3回―――S-11の起爆による衝撃波だと、機載コンピューターが判断した。
10秒後、機体の警報システムが鳴り響く。 咄嗟に機体を左右に振る。 光線級のレーザーが近くを通り過ぎた。 0.1秒遅ければ撃墜されていた。
15秒後、1隻の戦術機揚陸艦が視界に入った。 艦上の半分が、降着した戦術機で埋まっている。 背に腹は替えられない、その艦に向かって突進する。 オペレーターの悲鳴。
20秒後、ギリギリのスペースに、無理矢理着艦。 オペレーターの罵声。 そして猛烈な衝撃波が襲いかかり、機体のバランスを崩した。
「くおっ・・・!」
バランサーも咄嗟に作動できず、艦上で機体が倒れる。 酷使しすぎた機体の各所が壊れている。 衝撃波は暫く続き、そして唐突に収まった。
「はっ・・・ふっ・・・はっ・・・!」
『・・・士! 倒れた機体の衛士! 無事か!? 応答しろ! それと、所属と官姓名を名乗りやがれ! 無茶苦茶しやがって! この馬鹿野郎!』
よほど頭にきたのか、機体のマーキングさえ目に入らない艦のオペレーターの声に、周防少佐も我に返った。
「はっ・・・陸軍第15師団、第151戦術機甲大隊。 陸軍少佐、周防直衛・・・だ」
『っ!? し、失礼しましたっ! しかし、少佐・・・無茶が過ぎます!』
「詫びる、申し訳ない・・・艦長、副長へも後ほど・・・済まない、故障のようだ、管制ユニットが開かない。 外部から解放してくれないか?」
『は・・・了解です』
外部操作で管制ユニットが解放され、やっと機外に出た周防少佐は、そこが戦術機揚陸艦『松浦』だったと知った。 出撃した戦術機揚陸艦だった。
冬の日本海。 その彼方に、見えているはずの姿が無かった―――佐渡島が消えていた。
「・・・凄まじい威力だった。 G弾、何発分かね? 『あれ』は・・・」
『松浦』艦長が周防少佐の背後から話しかけてきた。 振り向かず、波濤の彼方、消えた島を見据えながら、周防少佐は言った。
「・・・正直、判りません。 しかし・・・我々は戦闘で、戦術的に負け・・・戦略的に勝った・・・しかし・・・しかし・・・ッ!」
腸の奥底から、何か、灼けた熱い何かが噴き出してきそうだ。 数年前、佐渡島で散った2人の従弟達。 そして、この作戦で散っていった多くの部下達・・・
「周防少佐・・・指揮官は『想い』を背負う者だよ。 どれ程、己を悔いても、己を罵ってもよい・・・だがな、『想い』だけは、責任を持って、背負っていかねばならん」
甲21号作戦損失報告(2001年12月26日、概要)
・戦術機 :5551機(損耗率72.1%)
・車輌損失:6689輌(損耗率79.6%)
・遺棄火砲:2016門(損耗率69.4%)
・艦艇沈没:戦闘艦艇42隻(損耗率28.0%)、支援艦艇186隻(損耗率48.8%)
・人員損失:戦死5万8000余名、戦傷9万1500余名、行方不明1万2000余名、総数16万1500余名
『我々は戦闘に負けた。 それは見事に完敗した。 しかし、東アジアでの局地的な戦争には勝利した・・・数多の英霊に謝す。 大愚の愚将は去るのみ』
作戦総司令官・嶋田大将は、腹の中に詰まった言葉の一言も言い出すことは無く、作戦終了の3日後、予備役に依願編入された。
「・・・何とか、今回も生き残ったなぁ・・・」
「周防、貴様のとこの伊達少佐、年明けで戦術機を降りるって?」
「ん・・・正確には異動だけどな。 訓練校の主任教官だってさ・・・後任は・・・美園少佐が、年明けから移ってくるってよ。 蒲生、貴様のとこの和泉少佐もだろ?」
「ああ、国防省勤務だそうだよ。 似合わねぇ・・・何て言ったら、怖いからな、言うなよ? 後任は仁科少佐だ。 森上、貴様のとこは・・・森宮中佐は変わらずか」
「暫く、師団の先任戦術機甲部隊指揮官だな。 なんだかんだで、俺達も大隊の中じゃ、それぞれ先任中隊長ってのに、なっちまったなぁ・・・」
第39師団の周防直秋大尉、蒲生史郞大尉、森上允大尉。 同期生同士で24歳になる彼らが、既に大隊先任中隊長、と言う事実が、日本帝国の人的資源の払底を懸念させる。
第39師団はこの戦いで、終始、遊撃部隊として戦った。 兵站線の防衛、撤退部隊の護衛、防衛戦の後詰め・・・幸いなことに、人的被害は2割程度で済んだ・・・
「誰が死んで、誰が生き残ったのかな・・・」
周防大尉が、戦術機揚陸艦の舷側から大海原を見つめて、ぽつりと呟いた。
「誰が死んで、誰が生き残っても・・・やるこた、ひとつさ」
蒲生大尉が煙草に火を付けながら言う。
「生きる、戦う、そして・・・生き残る」
森上大尉が言う。
生きる。 戦う。 そして生き残る―――『想い』を背負って。
暗く、長く、過酷な道程だが、それ以外に人類が生き抜く道は無いのだから。
「おい・・・この波形は何だ?」
「ん・・・? 新潟付近・・・か? 地震?」
「確かに、あの付近は昔から・・・だけど、少し違う気がするな・・・」