2001年12月5日 1035 日本帝国 帝都・東京 某所
「・・・随分と、素敵な場所ね?」
見た目、ラテン系の肉感的な美女が、完璧な北米東部英語で皮肉交じりに言う。
「生憎、帝国ホテルのバー・ラウンジは、予約できなかった」
こちらは誰が見ても『日本人だ』と言うだろう男。 四角いフレームの眼鏡をかけ、やや神経質そうな表情の顔は、髪の毛は七・三分けの『公務員でございます』
「なに、スモーキーバレー(煙の谷と呼ばれる、アジア最大・最悪のスラム街)のVIP席より、マシなだけ上等さ」
浅黒い肌の東南アジア系と思しき、小柄で細身の男が、肩を竦めて言う。
「人生は、ケチな心配事ばかりしているのには、短すぎる―――C・キングスリーか。 我々の立場も、似たようなモノじゃないかね?」
嫌味なオックス・ブリッジ(オックスフォード・ケンブリッジ・イングリッシュ)を話す紳士が、まるで『リッツ・ロンドン』のドレスコードに忠実な装いで腰かける。
場所は―――帝都内某所。 とある難民キャンプ内の、倉庫を改造した違法食堂の一角。 集まった男女は難民キャンプには不似合いな、しかしその存在すら見逃しそうな気配の薄さ。
彼らは『とある事案』の最終的解決、その数段階前の下交渉の為に集っている。 そして現在の帝都は、彼らの様な人間が如何わしげな場所に入り浸るに、うってつけの情勢だった。
「まずは紳士淑女の皆さん、お集まりいただき恐悦至極・・・とりあえず腹を膨らませる、胃腸に自信ある人向けの食い物もあれば、失明を恐れなければ酔える飲み物もある」
「素敵だわ。 素敵すぎて、貴方のその額を穴だらけにしたいぐらい」
「くっくっく・・・セニョリータ、君がチワワ生まれのメス犬だとしてもだ。 ここは君の巣穴に比べれば、ソドムとパライソ程は差があると思うよ?」
中南米で現在、最悪の犯罪多発地帯は、アメリカ=メキシコ国境地帯であり、チワワはメキシコ北部の州の名と共にその州都、そして麻薬犯罪組織が跋扈する犯罪都市だ。
更に言えば、アメリカへの不法入国者のかなりの数が、メキシコとの国境を越えてくる。 そして東部英語を話す美女は、ラテン系だ。
「・・・黙れ、ジャングル・チンク。 貴様の糞を垂れ流しているその口に、産業廃棄物の汚物を突っ込んでファックしていろ、このド貧民め・・・ッ!」
そして『スモーキーバレー』―――フィリピン・マニラ市北部、ケソン市にある巨大な『ゴミ捨て場』は同時に、アジア中の不法難民が暮らす『世界の糞溜め』だ。
「やれやれ・・・新大陸もアジアも、遂に教化し得なかったか・・・主よ、われらの無力をお許し給う」
ラテン系の美女が、ゾッとする冷たい視線で紳士を睨みつけ、東南アジア系の小柄な男が残忍そうな視線で薄気味悪く微笑む。 そして日本人は、ひたすら無関心なポーカーフェイス。
「・・・さて、皆さん。 我々がここに集った目的―――『最終合意』の下準備での摺合わせですが・・・」
ラテン系の美女が、白けたような視線を日本人に向ける―――本当にこいつらは、仕事の下僕・・・エコノミック・アニマルで無く、ワーキング・スレイヴだと言う様に。
「・・・ガルーダスは、合意だよ。 軍内部には、跳ね返っている連中に、好意的な者も居るけれどね。 政治とは常に冷酷に、冷淡であらねばならない・・・筈さ」
大東亜連合軍部内には、日本帝国の皇道派に対して同情的な者が多い。 対してその政治指導部は、かなりの強かさで知られる、国際外交上の寝業師的な性格を持っている。
「少し、信じ難い気もするがね。 半世紀前、君たちの祖父母を困難のどん底に附き合わせたのは、誰だと問いたい気分だね―――我々は、東洋の権益に関しては、関知せぬよ」
「それはね・・・1世紀以上前の、白い旦那のご先祖達さ。 日本人はただ、ぶち壊しに来ただけ―――自分自身もね? 旦那方は半世紀前に、斜陽の帝国となったのさ」
東南アジア系の男は、まるで自分のホームのような様子で。 ヨーロッパ系の紳士は、メンバーズ・クラブのカード室に居るかの様に、葉巻など吸って寛いでいる。
「どいつも、こいつも、糞垂れね・・・アンクル・サムはこれ以上、財布を強請られることに我慢できないの。 お判りかしら?」
「その割には、あちらこちらで、騒動の種を蒔くね、君たちは・・・」
「くっく・・・あの国が、紳士と淑女であった例はないさ。 干渉せずにはいられない、カルヴァン主義的な衝動は最早、本能だね。 くっく・・・」
「ふん・・・変態と貧乏人は黙っていな―――ま、つまりは『私たち』は、これ以上この地域の不安定化を『望んではいない』 そしてそれは・・・」
「それは『ヒュドラの、幾つかの頭の総意』―――そう受け取って間違いないですかな? ミス?」
「―――あら? 意外と、一番紳士ね、貴方って。 少なくとも、ラングレーの中の種馬みたく盛っている連中を、月面まで蹴り飛ばしたい。 そう思っている面子はね?」
「ふむ・・・私の知人の紳士と淑女の方々の中にも、再び一部のユダヤ系は中世期のゲットーに入れた方が良いのではなかろうか、と心を痛める方々も居るよ」
「アンクル・サムの『自由』には、『貶められる自由』、『選別される自由』もあるからなぁ、くっく・・・死に方すら選べない『不幸になる自由』もね。 くっく・・・」
「ふん。 特別、珍しい話でもないわ―――その『自由』さえない国よりもね?」
「ふむ・・・『自由に気がついていない時こそ、人間は一番自由なのだ』―――ローレンス。 我々は精々、この狂った世界に生きる者達に、それを気付かせぬ事だね。
欧州連合と『会議』は、この国の主導権を『統帥派』が握る事に合意するだろう。 麗しき姫君は、愛でるのが最上だよ。 世俗の垢に塗れさせるべきではないね」
「ガルーダスも賛成だね。 我々と日本はもう、既にお互い深くコミットし合っている。 相手の不安定と、夢見る理想主義は御免蒙るよ」
「あのユダヤの老人には、少しばかり黙っていてもらうわ―――場合によっては、永久に。 来週あたり、ウォール・ストリートで変化が見られる・・・かも、しれないわね」
「結構です。 大変に結構です。 では我々としては、ホストの役目を演じねばなりますまい―――将軍家と五摂家、それにかこつける国粋派・・・過去の遺物と相成りましょう」
コーヒータイムは終わった。
「急な依頼で、申し訳ありませんでしたな。 シスター」
「いいえ。 私どもは『互いの利益が侵されない限りの共存』が、信条ですもの」
「ほほう・・・? ヴァチカンの教えで?」
「どちらかと申しますと、経験則ですわ、ミスター」
難民キャンプの違法食堂。 その実質的な『オーナー』である修道女会のシスターが、全くの聖女顔で、そう、のたまう。
「申し訳ないが、他言は貴女の範囲で・・・」
「他言無用、とは、仰りませんのね?」
「どこの愚か者ですか? それは? 我々は『互いの利益が侵されない限りの共存』を旨としております。 こちらに影響のない限り、そちらの利益に手を出しませんよ」
「シスター! こっちのお皿、片しちゃってもいいの?」
「・・・ええ、ニェット、ヤサ、お願いしますね」
「「は~いっ!」」
酒場で下働きとして働いている、カンボジア難民の幼い姉妹(姉は12歳で、妹は9歳だが、難民キャンプに労働基準法など、全く適用されない)が、元気に答える。
そんな様子をチラッと見て、しかし気にすることもなく、そのシスターは近くの修道会に戻って行った。
「・・・ヤサ、ヤサ! ユルール兄ちゃんに伝えてきな。 多分アメリカ人の女の人と、多分ヨーロッパのどこかの小父さん。 それにあれ、フィリピン人だよ。
それから、どこから見ても日本人! たぶん、お役人! 4人で内緒話していたって! 『欧州連合』に『会議』、『アンクル・サム』、『ラングレー』
あと『ユダヤの老人』、『将軍』、『五摂家』に『国粋派』だよ・・・ね? うん! 覚えた? 覚えたね!?メモはダメだからね!」
「うん! まかせて、お姉ちゃん! あ、でも・・・ユルール兄ちゃん、どこにいるか、わかんない・・・」
「馬っ鹿ね! そんな時はウィソお姉ちゃんか、ナランお姉ちゃんに、伝えればいいのよ!」
「うん! わかった!」
難民には難民の、日本人には把握出来ていないネットワークと言うものが、確かに存在した。
「・・・ま、多少のイレギュラーは、存在しても問題は無いわ・・・」
修道会の教会、その窓から、走り去って行く幼い少女の後姿を見つめて、そのシスターは、こっそりと呟いた。
2001年12月5日 1055 日本帝国 丹沢山系
『ロータス、ポイント03へ移動せよ・・・』
『ロータス、コピー』
『カーム、対処08 02時より03時、ヘクターが移動中。 注意』
状況は帝国陸軍特殊作戦群に有利―――と言うより、一方的な虐殺の場と化しつつあった。 数の問題では無かった。 相手にはこちらが見えず、こちらからは相手が丸見え。
相手は既に自分たちの位置が暴露されている事に気付かず、無造作に行動した結果、次々と『無力化』されていっている。
『ロメオよりマム、ポイント06に占位』
『マムよりロメオ、11時の沢より対象・ブラボー01~08が移動中。 殲滅せよ』
『ロメオ、コピー』
相手の要員の中に、恐怖に囚われた者が出始める。 闇雲に弾幕射撃を張り出したのだ。 場所が不明、だったらとりあえず制圧して・・・とんでもなく悪手だ。
『へクターよりマム、ポイント05 これより制圧開始』
『マムよりへクター、ラジャ』
『カーム、対処06 ポイント12のアルファ05~09を制圧。 へクターの側面を確保せよ』
『カーム、コピー』
上空には、静かに滞空し続けるUVA。 ただし戦場に投入される大型の『Tactical UAV(戦術無人機)』ではなかった。
実の所、民間での無人機(無人ヘリ含む)利用で、世界最大の普及国である日本(その大半は、農業での農薬散布利用だ) そこに軍が目を付けた。
個人携帯型飛行体(全幅約60cm、質量約400g、電動プロペラ推進)は、国防省が軍需企業と共に開発した、機動歩兵・機械化装甲歩兵の近距離偵察用無人機(UAV)だ。
この他に、異業種の中小企業が『クラスター』と呼ばれる集合体(コンソーシアム)を作り、大学や各地の技術センターなどの研究機関と密接に連携して幾つかの機種を開発した。
その中から、旧新潟県と旧神奈川県の中小企業が参画し、地元の大学や県の技術センターと連携して開発され、軍に制式採用されたUAV『天鷹』
全長2000mm、翼長3200mm、全高640mm。 飛行速度は最大140km/h、巡航速度85km/h 最大飛行高度4000m、航続距離400km(巡航で約4時間40分)
地上から手動または自動離陸。 機体内コンピューターと、地上管制コンピューターをデータリンクし、全自動プリプログラム飛行(自律飛行)を行う。
ペイロード(搭載物重量)は約8.5kg 搭載カメラにより、毎秒約3枚で画像を撮影が可能。 これを管制側で高速画像処理を行い、不正規戦管制を行う。
帝国陸軍特殊作戦群が採用しているのは、このタイプの国産小型UAVだった。
「―――デルタ(デルタフォース:第1特殊作戦部隊デルタ分遣隊)か、デブグル(海軍特殊戦開発グループ)か・・・いずれにせよ、土壇場でチャージをかます癖は相変わらずか」
「お蔭様で、大変、殺り易いですよ、連中は・・・これがSAS(第22SAS連隊)やSBS(英海兵隊特殊部隊)だと、ネチネチ、ネチネチと・・・嫌ですがね」
「KSK(Kommando Spezialkräfte:西独連邦陸軍特殊作戦師団・特殊戦団(旅団級))も、嫌な相手だぜ?」
「アメちゃんのドクトリンは単純明快です。 『敵の6倍の戦力を、1点に集中せよ』ですから。 三つ子の魂、百まで・・・ってわけじゃないでしょうが」
後方の管制車両の中で、指揮官とその副官の間では、そんな会話が交わされていた。
『ガッデム! サノバビッチ!』
『無暗に撃つな、ローダン!―――シット! ライル! ローダンが殺られた! イマイとワンはっ!?』
『さっき、くたばった! ダブルタップで、ヘッドショットだ! 連中、ジャップの“S”―――スペシャル・フォースだ! 動くな、ロジャー!
シックス! こちらエコー! 作戦失敗! 作戦失敗! アンブッシュを受けている! 被害は50%を越した! 作戦続行は不可能!』
『糞ったれ! だからCIAのエージェントとなんかと、一緒の作戦は嫌だったんだ! いくら極東の作戦だからって、グーク(東洋系の蔑称)なんざ、足手纏いで・・・ゴッ!?』
『ローダン!? ガッデム! ジャップめ!』
「―――対象、A群は全て無力化されました」
「おう、ご苦労さん。 しかしまあ、連中も今回は災難だったな」
災難、その一言で片づけるには、当事者たちには『ふざけるな!』と言いたくなるだろうが・・・
「そうですな。 同盟国内での『アンタッチャブル』な不正規作戦行動です。 その上、与り知らぬ所から情報が筒抜けでは・・・」
重装備をガチャガチャと鳴らして、アンタッチャブルな不正規戦を行う馬鹿は居ない。 だから連中も、装備はブラックファティーグにボディアーマー程度。
火力も本来の物とは大幅に減じて、精々がMP5・SD3程度。 これで想定外の精鋭特殊部隊の相手をしろと言うのは、些か以上に酷な話だ。
おまけにこちらは、UAVで連中の動きを完全に把握し、かつ、地形を味方とし、待ち伏せして多方向から攻撃していた。
「A群の30名は、全て無力化しました。 エリア02、03も順調に推移、予定では10分以内に」
「はいよ」
恐らくは、帝都での市街戦が生起した状況で何らかの要人暗殺、もしくは誘拐任務。 或は臨時政府の始末、用を為した後の『不要部品』のメンテナンス任務を負っていた連中。
「・・・ま、軍の方は粗方、始末できたとして、だ・・・」
残りは、憲兵隊と特高警察。 それぞれの特殊介入部隊と、特務公安部隊。 連中が残りの『影』の部分を排除しない事には、片手落ちとなる。
(・・・ま、それは専門家に任せるさ)
軍の特殊部隊と、憲兵隊の特殊介入部隊や、特高警察の特務公安部隊とでは、商売範囲が異なる。 餅は餅屋、任せるに限る。
「・・・よし、残るB、C群の『無力化』完了後、速やかに撤収する」
「了解です」
無論、『無力化』とは、この場合は身元不明の死体の量産に他ならない。
2001年12月5日 1125 日本帝国 帝都・東京 高田馬場付近
「・・・でさ、ウチの連中が言うには、同席していたのは男が3人に、女が1人。 男は1人が日本人だったって。 髪を7:3分けにした、公務員以外になり様のない男だってさ」
「ふ・・・ん。 他は?」
「男の1人は、明らかに東南アジア系。 『ガルーダス』って単語も聞き取れた。 残る1人はヨーロッパ系だね、白人。 『欧州連合』に『会議』、この2つの単語だね。
女はラテン系っぽかったけれど、『アンクル・サム』、『ラングレー』の単語から、多分アメリカ人さ。 あ、あと『ユダヤの老人』、『将軍』、『五摂家』に『国粋派』だよ」
早稲田の警戒線から少し離れた、とある廃ビルの中。 2人の軍人と2人の少年が話し込んでいた。 他に誰もいない。 少年が時折、外を覗き見るのは警戒のためだ。
「あとね・・・1年前からちょくちょく、摂家の斑鳩家・・・あそこに軍のお偉いさんが、お忍びで来ていたよ。 ここ2、3ケ月は頻繁に」
「・・・よく、摂家の周辺を調べられたな?」
「簡単さ。 あそこはどういう訳か、昔っからの井戸をまだ使っているのさ。 なんでも、お茶の水に良いとか・・・で、その井戸も底攫いしなきゃ、詰まるよね?
人が2人、ようやく動ける狭さで、胸の辺りまで水が来るようになるまで、延々と井戸の底で、溜った砂や土を攫うのさ。 日本人なんか、難民でもそんな事、しやしない」
「手配師がさ、国際難民区に仕事を振り分けるのさ。 他にも汚くて、危険で、きつい仕事は国際難民区の住民の仕事さ。 日本の難民はさ、仕事を選り好みし過ぎだよ。
で、丁度、僕の会社が斑鳩家から・・・元請の下の下請けの、そのまた下の、また下の、3次下請けで受注してさ。 2回ほど仕事しに行った事が有る。 その時、ちらっと見えたよ」
少年たちは17、18歳ほどだろうか。 子供ではないが、まだ大人になり切っていない年頃。 だが社会の表から裏まで、幼い頃より見尽くしてきた少年たち。
「他にもね、近所の下水道工事の下請けの下請け会社に、雇われた時に見たんだけどね。 車の前に三角の小旗(将官旗)と、フロントガラスに赤字の帯に4つの桜・・・大将だった」
「あそこの家の使用人の車は、僕の所の修理工場で整備しているんだけどさ。 運転手で仲の良い人からさ、『最近、やけに軍の偉いさんが来る』ってさ。 名前も聞いたよ」
「その後もさ、他の仲間がゴミ清掃や廃品回収の仕事中に、中将や少将の標識や、佐官の乗った車も見かけているよ。 以前、新聞記事で見た顔だったよ」
「・・・誰と誰だ?」
「軍事参議官の間崎大将に、第1軍司令官の寺倉大将、それと東部軍参謀長の田中中将。 佐官クラスは判らない、流石に。 でも参謀飾緒を吊るしていた、陸軍と航空宇宙軍」
「海軍は? 居たか?」
「少なくとも、僕らの仲間は見ていないよ。 あの辺はベトナム人の縄張りだから、ゴー・ジェムに探りを入れるけれど?」
「あ、それとさ。 佐官で思い出したよ、直衛兄さん。 前に兄さんと一緒にいた人が居たよ」
「・・・誰だ?」
「ええと・・・確か、そう、久賀さんっていう人だ。 うん、間違いないよ。 陸軍の間崎大将と一緒だった。 一人だけ、参謀飾緒を吊るしていなかったから、覚えていたよ」
「そうか・・・」
「・・・久賀め、どこまで食い込んでいやがる?」
軍人の2人は、日本帝国陸軍の周防直衛少佐と、長門圭介少佐。 2人の少年はユルールとオユントゥルフール。 4人は9年前からの旧知だった。
待機状態が続く中、軍上層部からは『警戒を厳にせよ』とだけ、一方的に言ってくるのみ。 彼らも軍人、それも職業軍人だ。 その辺の無茶振りは、軍の常套として理解している。
だが、何も情報が無いのでは、緊急時の対応に差が出る。 かと言って、例え師団経由で確認したとしても、形通りの返答しか返ってこない事は判り切っている。
そこで2人の少佐は、あらゆる手立てで、情報をかき集め始めた。 ひとつは軍内部の『裏のネットワーク』だ。 これは主に、古参下士官や准士官連中のネットワークである。
軍は士官だけで成立しない。 士官が頭脳なら、兵は筋肉や皮膚や脂肪、その他。 そして下士官と准士官こそが、骨格と神経、そして臓器と血液である。
正規の情報ルート以外に、この『古参の同期ネットワーク』は、どこの国の軍でも存在する。 そして日本帝国3軍でも存在する。 古くからの軍歌『同期の桜』に象徴される様に。
大隊の整備・主計・通信・支援を行う部隊が、大隊には附属している。 そこには必ず1人か2人は、苔むした古参下士官や、それ以上の古強者の准士官がいる。
彼らは扱うには、骨が折れるほど気難しい所がある。 が、2人の少佐は何とか、そのネットワークに流れる情報を集めるよう、『お願い』する事に成功した。
もうひとつは、周防少佐、長門少佐自身のネットワークだった。 主に同期生のネットワークだ。 任官後9年、数少なくなった同期生たちは、中には前線を退いた者も居る。
後方の教育部隊の教官、国防省や統帥幕僚本部、参謀本部の部員。 中には誰も初めて聞く様な、地味な閑職に就いている者も居る。
そうした連中の大半が、戦場での負傷が原因で、衛士資格を失いリタイアした者達だ。 だがそれ故に、現役の同期生の頼みは快く引き受けてくれる。
何より、皆が少佐だった―――ある程度の情報に通じ、そして責任部署での無理が利くポジションに居る、小山の大将たちだった。
そして現在は、軍以外の『情報網』を使って調べている。 ユルールとオユントゥルフールの2人の難民上がりの少年達は、難民間の情報ネットワークに食い込んでいる。
中華系の幣(パン)や、他の民族系マフィアとは直接繋がりは無いが、年少の頃にはそう言った連中の手足として、盗み聞きや盗み見で、小銭を稼いでいた頃もあった。
今では、そうした『下働き』をしている少年少女たちの兄貴分として、『正式な裏ルート』以外のネットワークを持っている。 なかなか強かな少年達だ。
「他にさ、帝都城の秘密脱出用の地下通路が、最近になって稼働確認されたって、噂もあるよ。 裏ルートで半月ほど前から流れ始めたよ」
「ユルール・・・お前、流石にそれは首を突っ込み過ぎだぞ? 下手すれば、特高か憲兵隊特務辺りに、消される」
周防少佐が顔を顰めるも、ユルールはあっけらかんとしたモノだった。
「大丈夫さ。 そんなネタ、裏じゃ、結構知れ渡っているよ」
「・・・ネタ元は、どこだ?」
今度は長門少佐が、可笑しそうに横でクック・・・と笑っているオユントゥルフールを軽く睨みながら、呆れた口調で見ながら聞く。
ユルールは周防少佐に、オユントゥルフールは長門少佐に、それぞれ懐いていて、兄貴分として慕って何かとくっついている少年達だ。
「流石にさ、僕らじゃそんな、秘密の通路に足を踏み入れるなんて、出来ないって。 でもね、通路には通風路もあれば、排水路もあるんだよ?」
「設備の点検作業・・・か」
「はっ・・・盲点だな」
兄のように慕う2人の少佐達の顔を、可笑しそうに眺めながら難民出身の少年たちは話を続けた。
「通風路も排水路も、ずっと続いている訳じゃないけどさ。 でもね、帝都城の近くの地下現場から、転々とかなりの数が断続して繋がっているんだ。
仲間のひとりは、伊豆で作業したって言っていたよ。 ルートは所々で切れているけれど・・・繋ぎ合わせれば、こんな感じかな?」
それは帝都・千代田の帝都城から、世田谷で多摩川を渡り、旧川崎市・旧横浜市北部から、町田、綾瀬、海老名、伊勢原、秦野を通り、小田原市北部を経由して南足柄へ。
そこから芦ノ湖方面へ南下し、最後は塔ヶ城方向へ・・・甲22号作戦前まで、斯衛第2連隊を支え続けた秘密の地下兵站線、そのものだった。
「すると、何だ? 城代省もこの件、事前に察知していたってことか?」
「にしては、未だ将軍は帝都城の中だ。 表向きはそうだ。 そして今回は『裏向き』は出来ないからな」
「クーデターを起こした連中は、将軍を錦の御旗に仕立て上げようとしている。 それを説得なり、鎮圧なりせず脱出すれば、その事がリークされたら、最後だな。 政治生命的に」
周防少佐と長門少佐が、得手では無い政治問題(能力でなく、性格的に)の不整合さを訝しんでいると、ユルールとオユンの2人の難民出身少年たちが、顔を見合わせながら言った。
「でもね・・・その発注元って言うのかな? 元請の建設会社の現場監督が、薄気味悪そうに言っていたらしいんだ。 『城代省の発注じゃない』って・・・」
「・・・城代省じゃない?」
「斯衛軍が、独自予算で発注したのか?」
「いや、有り得んだろう? 斯衛の予算権限は、城代省軍警部(軍事警備部)が握っている。 あそこも、同じ武家連中の城代省だぞ?」
「・・・ユルール、オユン、他に何か言っていなかったか? その『現場監督』ってのは?」
「僕らの仲間が聞いたのは、それだけさ。 でもね、シャン族(ミャンマーの少数民族)の連中がね・・・見つけたんだよ」
「何を・・・?」
「・・・現場監督の、水死体を。 1週間前に、平和島の辺りで」
「シャン族の連中はね、元軍人上りが多いのさ。 今はあちこちの組織に、金で雇われるフリーの『調査屋』が多いんだ。 その中に、昔、世話になった人がいてさ・・・
泥酔して、誤って海に落ちて溺死。 そうなっている様だけどさ。 その人曰く、『プロの仕業だ』ってさ・・・」
「中華系の連中は、豚の餌にするし。 東南アジアの連中は、顔と指紋を潰すんだって。 で、日本人は・・・」
「自然死、もしくは『自然な事故死』に見せかける。 徹底的に―――そのシャン族の男は、情報部崩れか何かだろうな。 ユルール、オユン、済まなかった・・・」
「直衛兄さん?」
「どうしたのさ?」
「お前たちは、裏の人間じゃない。 難民区のガキたちの兄貴分だが、裏の人間じゃない。 正業に就いている堅気だ。 それを・・・本当に、済まなかった」
「後々を考えれば、師団の警務に身辺警護を頼む訳にもいかない。 今度こそ、お前らの生き抜いて来た勘に頼るしかない・・・情けないが、俺たちはこんなもんだ。 済まない」
2人の少佐が、頭を下げた。 裏社会に、この事がバレたとして、消されるかどうかと言えば、消されない可能性が高い。 その事はユルールもオユンも、しっかり把握している。
が、問題はこの国の情報機関・・・情報省、特高、国家憲兵隊に軍情報本部、この当りの出方だ。 一般にこれらの組織は、対立組織の人間には手を出さない。
報復の連鎖を恐れるが故だ。 逆に、その手先となった自国民や、自国居住者の民間人には容赦しない。 一切の形跡を消し去る様に、確実に裏で消す。
無論、周防少佐も長門少佐も、情報ネタを口外する気は全くない。 そしてそれを匂わせる動きも極力しないし、しても影響を消すように動くつもりではある。
だが世の中に完璧は無いし、情報機関がどう判断するのかなど、前線部隊勤務の野戦将校である2人の少佐には、判断しようが無いのも事実だった。
「大丈夫だよ、直衛兄さん、圭介兄さん。 俺たちのネタは、難民区の裏じゃ、誰でも聞きかじっている情報さ。 情報部や、そんな連中も、その辺は判っていると思うよ」
「本当にヤバいネタなんかは、僕らみたいな使い走りじゃなくって、本職の『情報屋』から買うしかないしね。 この辺じゃ『千里眼』のチャウ・ミンとか、『百耳』の安大弦とか」
いずれも、裏では有名な情報屋だ。 情報省や特高、憲兵隊や軍情報本部さえ、時として『情報を買う』事もある、大物たちだ。
「・・・それでも、随分と助かったよ。 ユルール、オユン。 これで、チビ達に何か食わせてやってくれ」
そう言って周防少佐が無造作に渡した札束を見て、ユルールは吃驚したように叫んだ。 オユンも一瞬、目を剥いていた。
「兄さん・・・多い、多いよ! こんな大金・・・!」
「気にするな、ユルール。 俺のトコも、圭介のトコも、『夫婦共働き』だからな。 少しは余裕がある・・・受け取れ、正当な報酬だ」
その額は、小学校教師の初任給分ほどの額のお金だった。 確かにユルールとオユンには大金だ、自分たちの給料よりも多い。
だが周防家も長門家も、『夫婦共働き』―――両家とも、夫婦そろって陸軍少佐。 高等官奏任五等の『高等官僚』でもある。 それなりの収入は得ていた。
「助かるよ・・・最近は、仕事はあるけれど、安い仕事ばかりでさ。 給料も少し下がったし」
「オユン!」
「ユルール、俺たちの稼ぎは、妹たちの食い扶持と学費稼ぎだけじゃないだろ? 他のチビ達も、食わせなきゃ」
「そりゃ、そうだけどな・・・」
国際難民区には、親を亡くした幼い孤児たちが多くいる。 宗教団体や、この国の特権階層・・・貴族社会の一部からの、『善意の支援』も有るには有るが、全てを賄いきれない。
ユルールもオユンも、自分たちの妹―――ウィソとナランツェツェグ―――以外にも、10人ほどの幼い難民孤児たちの『兄貴分』として、彼らを食べさせている。
「じゃあ、遠慮なく貰うよ・・・兄さん、また何か、役に立てる事が有ったら、連絡してくれよ」
「いや、連絡はしない・・・もう、これ以上足を突っ込ませる訳には、行かないからな」
「お前らに何かあれば、ウィソやナラン、それにチビ達が路頭に迷うからな」
周防少佐と長門少佐が、やんちゃな弟を見る様な目で申し出を否定するが、難民出身の少年達―――誇り高い遊牧の民の血を引く少年たちは、真剣な目で言い返した。
「・・・俺たちは、兄さんたちに命を救われた。 俺たちだけじゃない、一族がだ」
「俺たちの一族は、兄さんたちに命に代えても、返さなきゃならない恩が有るんだ。 判るかい? 命の恩だ。 命には、命を以って返す―――遊牧の民の掟だよ」
確かに9年前、彼ら一族を北満州で救った。 だがそれは、周防少佐も長門少佐も、軍命の一環としてだ・・・
「関係ないね。 俺たちは幼かったけれど、兄さんたちが真剣だったことは、死んだ親父や叔父貴達がよく言っていた」
「親父も、叔父貴達も、横浜で死んじまったけれど・・・代わりに今は、俺とユルールが一族の長なんだ。 だから、一族の恩は、必ず返す」
全く引く気の無い少年達に、周防少佐と長門少佐は、場所柄と時期柄を忘れて、思わず嘆息するしかなかった。
2001年12月5日 1245 日本帝国 帝都・東京 戸山陸軍軍医学校 第15師団A戦闘旅団臨時本部
「師団からの情報では、相変わらず皇城と帝都城、その中間を占拠したうえで、皇城の禁衛師団、帝都城の斯衛第2聯隊と睨み合いが続いておる」
旅団本部―――戸山の陸軍軍医学校、その中の講堂の一部を間借りした臨時の旅団本部に、幹部将校団が揃っていた。 今は旅団長・藤田准将の話を傾聴している。
「クーデター部隊が行動を開始したのが、本未明、0200頃。 0230から0240の間に、首相をはじめ複数の閣僚を殺害。 0300には帝都中心部で行動を起こした」
0305、国会議事堂、国営放送局占拠。 警視庁・特別高等公安警察局を急襲、交戦となる。
0312、本土防衛軍司令部、相馬原基地の第7軍第18軍団第14師団、江戸川基地の第1軍第1軍団第3師団へ『有事緊急出撃』下命。
0315、江戸川の第3師団、全部隊緊急呼集開始。
0318、陸軍参謀本部、航空宇宙軍作戦本部襲撃。 海軍軍令部は目標外とされた。
0320、国家憲兵隊襲撃、交戦となる。
0333、国防省、統帥幕僚本部、本土防衛軍司令部襲撃。 交戦となる。
0355、横須賀の海軍第3陸戦旅団、緊急出動命令。 第1艦隊、浦賀水道へ。
0402、陸軍参謀本部、航空宇宙軍作戦本部が占拠される。
0418、国家憲兵隊本部が占拠される。 長官、副長官は既に脱出後だった。
0435、国防省、統帥幕僚本部が占拠される。
0445、警視庁、特高警察、包囲網下に置かれる。
0500、沙霧尚哉陸軍大尉による、声明放送。
0515、クーデター部隊、帝都城を包囲。
0525、皇城の禁衛師団、出師準備完了。
0545、第3師団、帝都東部の治安回復。 品川付近でクーデター部隊(独立混成第102、第105旅団)と睨み合いが続く。
0605、第15師団A戦闘旅団、独立混成第101旅団、同第103旅団、帝都西北部に進出(高田馬場~早稲田封鎖線を構築) 第1師団と対峙する。
0615、海軍第3陸戦旅団、旧川崎市に上陸・展開完了。 多摩川を挟み、クーデター部隊(独立混成第108旅団)と睨み合いが続く。
0625、仙台臨時政府樹立。 皇城『以北』の地域を掌握する。
0636、第15師団本隊(B戦闘旅団主力)、府中基地制圧。 第3戦術機甲連隊(第1師団)支援部隊、制圧される。
0645、『緊急勅令』により、関東全域、及び東海・甲信越・東北地方に『行政戒厳』が宣告される。
0700、横浜基地、米軍受け入れ ⇒ 横須賀基地に変更。
0715、第14師団主力、相馬原基地より、松戸基地へ移動完了。
0730、戒厳総司令部、横浜基地包囲を下命。
0823、横浜基地を帝国軍が包囲。 帝都周辺の部隊、クーデター部隊を包囲開始。 第7軍(第2軍団、第18軍団)、第56師団、第40師団を帝都へ派遣。
0943、第4軍団(第13師団=旧八王子市、第44師団=旧大和市、第46師団=旧藤沢市)、帝都西方を封鎖。 帝都の東西南北、4方向全てが戒厳司令部指揮下部隊に封鎖される。
「・・・連中がこの馬鹿騒ぎを起こして、約11時間近くなる。 その間に連中が為した事は・・・」
「行政府と通信、警察、軍政・軍令、その制圧」
「確かに。 しかし、制圧のみだ。 確か、沙霧と言ったか? 1師団の大尉・・・あの男の声明放送以外、政治的な動きは何もしていないのじゃないか?」
A戦闘旅団G1(人事・訓練主任参謀)の富樫直久中佐、G3(作戦参謀)の加賀平四朗中佐、自走砲大隊長の大野大輔中佐らが、首を傾げる。
「確かに、妙です。 千代田一帯を封鎖後は、特に表立っての行動を起こしていません」
旅団G2(情報参謀)の三輪聡子少佐も、訝しげな表情で思案している。
「おい、通信(本部通信中隊長) 何か新しいネタはあるのか?」
機械化装甲歩兵大隊長の皆本忠晴少佐が振ると、旅団本部通信中隊長の信賀朋恵大尉が、短めの髪を軽く振って答える。
「何も―――だんまり、です」
皆が黙り込む―――連中、一体何を考えている?
「―――クーデター、その要訣は?」
不意に、旅団長の藤田准将が問いかけた。 幹部将校たちは一瞬、互いに目を配らせ・・・
「支配層内部での権力移動を目的とした、既存支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって、政権を奪う行為。
行為主体である軍事組織により、臨時政府の樹立と直接的な統治が意図された活動・・・合致しません」
第151戦術機甲大隊長の、周防直衛少佐が答える。
「そのストラテジーとタクティクスは? 周防?」
「奇襲の成功と資源の確保―――ただし、既存統治機構からの権力奪取後、臨時政府を樹立する事が目標となる為、通常の軍事作戦とは異なる側面も」
幹部将校団の中では、周防少佐は数少ない例外と言ってよい、外部の(それも海外の)高等教育機関―――大学で、短期留学とは言え、社会軍事学系の学問を学んだ人物だった。
故に、この手の話は彼に喋らせるに限る―――他の幹部将校たちは皆、藤田准将と周防少佐の問答に聞き入っていた。 ひとり、長門少佐だけは面白そうな表情だったが。
「ストラテジー・・・戦略面での非合致とは? クーデターの達成を確実なものにする為には?」
「第三勢力による対抗クーデター、及び政治的介入阻止の為の物資・人員の喪失回避。 これは連中の行動と合致します。
しかし、速やかに民意の支持を獲得し、既存の政府に対する支持を無力化する必要がある・・・軍事組織それ自体は、政治的な正当性を備えた組織ではありません」
「・・・迅速に国家の首都を部隊で占拠し、権力中枢に関与している指導的政治勢力を排除、もしくは従属させる事を画策・実行せねばならない―――非合致だな」
「はい。 戦術面で申せば、ほぼ合致しておりますが・・・解せない点が、ひとつ」
「何だ? 言ってみろ」
「・・・防諜の観点からですが、実行部隊の人員は技能だけでなく、信頼可能かどうかを判断し、秘密裏に選抜しなければなりません。
本来、クーデターとは比較的少数の規模で起こすのが最上の手。 しかしながら今回、これだけの規模で係わっていながら・・・」
「―――恐らく、政治だな」
それまで、ひとりだけ面白そうな表情だった、第152戦術機甲大隊長の長門圭介少佐が口を挟んだ。 上官である藤田准将と、同僚の周防少佐を交互に見て言う。
「恐らくは、政治。 誰かが、誰かのケツを蹴り上げるために・・・或は、お互いが蹴り上げようとしている為に、連中を『利用し、黙認した』・・・歴史上、腐るほど前例が」
長門少佐は国連軍在籍中の初級将校補習教育を、周防少佐がNYU(ニューヨーク大学)で学んだのと同様、彼は北アイルランドのQUB(クィーンズ大学ベルファスト)で学んだ。
専攻したのは『歴史学』と『文化人類学(社会人類学とも)』 周防少佐が『比較歴史社会学』と、『軍事社会学』を専攻しており、この2人、似通った所がある。
「長門、さっきのネタか? 周防も言っていた、あの?」
自走高射砲大隊長・谷元広明少佐が問いかける。 彼は陸軍将校中の少数勢力である、大学卒の学士将校で、専攻も周防少佐や長門少佐と同じ、人文学系だった。
「裏は取れていないけどね。 それでも統制派と国粋派の抗争は、臨界点間近だった事は、周知の事実だ。 そしてこの国は残念ながら、早々余裕は無い・・・」
長門少佐は周囲を見渡し、話を続けた。
「クーデターを起こした連中は、通常の『クーデター』として見れば、宝石より貴重な数時間を無為に潰している。
早急に権力を奪取し、自分の正当性(偽善性か?)を確立すべきだった。 しかし連中は、帝都中心部を管制下に置いたのちは、目立った動きを見せていない」
仙台の臨時政府に対抗する組織を、早急に成立させるべきなのに―――長門少佐はそう付け加えたのち、同僚で、親友で、自分と同じ視点を持つ周防少佐に視線を向けた。
その視線を受けた周防少佐が、一言口にする。
「・・・それに連中は、大きな間違いを犯した」
「うん?」
周防少佐の一言に、藤田准将が続きを促した。
「玉―――己の正当性の担保です。 連中はそれを、政威大将軍に求めました。 愚か、としか言い様が無い。 五摂家は『藩屏』であっても、『君主』では無いのですから」
確かに、日本帝国に於いて政威大将軍は、『国事全権代理』任者である。 しかしながら『代理』なのだ。 いわば国権の行使、その権を皇帝より『委任』された者だ。
「それだけです。 クーデターでの正当性を担保するのに、選ぶべき相手では有りません。 本来であれば、握るべき玉は皇帝陛下・・・帝国の国家元首にして、国権を統べる方です」
その言葉に、周りの中佐・少佐達が暗澹とした口調で呟いた。
「・・・誰かが、誰かを・・・或は双方が、お互いのケツを蹴り上げるために・・・」
「純粋な愚者を利用した・・・か。 付き合わされる下士官兵たちが、不憫だな・・・」