2001年12月5日 0535 日本帝国 帝都・東京 乃木坂
「・・・元老、重臣、いずれも所在不明とな!?」
閑静な和風の広大な屋敷の一室で、洞院伯爵は目の前の陸軍大将の言葉に、顔を蒼白にして叫んだ。
「そ、それではっ・・・それでは臨時内閣も、後任内閣も、組閣出来ぬではないか、将軍!」
「・・・静かにされよ、伯爵。 『臨時兼任』は憲法で明記されている。 如何な元老・重臣と言えど、所詮は慣例。 まずは憲法に準じた『臨時兼任』だ。
生き残りの閣内大臣か、班列(無任所の国務大臣)の中で、宮中席次が死んだ榊に次ぐ順位の者を押さえれば、それでよい」
日本帝国の憲法下では、首相が死亡、又は単独で辞任するなどで欠けた場合、次の内閣が組閣されるまでの間、閣内大臣や国務大臣が首相を臨時に兼る事を『臨時兼任』と言う。
こうした場合には、明確な法の規定は無く、慣習として宮中席次で内閣総理大臣に次ぐ順位の者(閣内大臣か国務大臣)が、内閣総理大臣を代行するのが常であった。
「内閣の中での格では、外相と軍需相が上(外相と軍需相は、六相会議メンバー)だが・・・宮中席次では、農水相の依田(依田直弼農水大臣、子爵)が最も高い」
そして依田大臣は、摂家(斑鳩家)=国粋派(間崎大将)のラインが押さえている『俗物(洞院伯爵談)』である。 昇爵とより高い地位、そして利権。 それを欲する者だ。
衆議院も、内部に籠絡した議員団をかなりの数で揃えた。 政威大将軍罷免権発動に必要な、衆議院での1/3の数は揃った。 これで煌武院を引き摺り下ろす。
問題は、罷免権発動には1/3で良いのだが、実際に『罷免』を決議するには3/5以上の賛成が必要と言う事だ。 が、これはこれで抜け道がある・・・
日本帝国の議会制度には、内閣総理大臣を選出する議会内閣の制度は無い。 内閣は議会に対し、責任を負わない。 そかしそれでも、議会には武器がある。
予算承認権・条約批准権、高官人事の承認権、内閣に対する弾劾・罷免権が代表的だ。 そしてそれ以外に、『政威大将軍の承認権・罷免要求権』がある。
永く不遇だった日本の議会にとって、内閣と政威大将軍への弾劾・承認・罷免要求権は、彼らが大正の昔に喪った議会政治復活への、ほんの僅かではあるが、足掛かりなのだ。
「憲法の通りよ、まずは依田に『臨時兼任』を宣言させる。 場所は、そうさな・・・予定通り、仙台で良かろう。 帝都だと、余計な虫が飛び回る」
「・・・ふむ。 然る後に『非常事態宣言』だな?」
「左様。 非常事態宣言、『国家緊急権』の発動じゃ」
国家緊急権―――戦争や大規模・広域災害など、国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際し、政府が平常の統治秩序では対応出来ない判断した際に、憲法秩序を一時停止する。
そして一部の機関に大幅な権限を与え、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとる事によって、秩序の回復を図る権限の事である。 この場合は『戒厳司令部』へとだ。
因みに国家緊急権の行使が、行政の範囲に留まるものを『行政型』と言い、前世界大戦以前の日本帝国における国家緊急権は、この『行政型』であった。
しかし今次BETA大戦に於いて1980年代初頭の法改正により、国家緊急権とは憲法自身が緊急時に自らの権力を停止し、特定の機関に独裁的権力を与える事を認めた。
これは英米法にある『マーシャル・ロー』や、旧ヴァイマール憲法第48条『大統領緊急令規定』、フランスにおける『合囲状態(l'État de siège)』に限りなく近い類似である。
因みにこれら諸外国の法の原意は、限りなく『戦争状態』に近い、と言われる。
(―――そうだ、これが儂の戦争だ)
洞院伯爵家を辞した後、再度自邸へと戻る間崎大将は、車内で副官に確認した。
「・・・久賀少佐は?」
「はっ、現在は仮司令部を置いております、貴族院会館に詰めております」
如何にも軍『官僚』の匂いを漂わすその少佐は、内心で叩き上げのノンキャリア将校を嫌っている。
「こちらの意図は、十分伝えておるだろうな?」
「はい。 昨夜に最後の摺合わせを・・・沙霧大尉は無論、除外しております」
あの男は所詮、道化ですので―――そう言って薄ら笑う副官に、間崎大将は(・・・こいつも所詮は、同類の駒に過ぎんか)、そう思った。
2001年12月5日 0550 太平洋上・東京湾沖100海里(約185km)地点 伊豆諸島沖 米第7艦隊旗艦・揚陸指揮艦『ブルー・リッジ』(USS Blue Ridge, LCC-19)
「サー、ランデブー・ポイントまであと30海里(約55.5km) ランデブー・タイムは0630です」
11月29日の0300時にハワイ・真珠湾軍港を出港した米第7艦隊主力(第70任務部隊:Task Force 70, CTF-70)が未だ漆黒の闇の中の洋上を疾走している。
巡航速力18ノット(原子力推進艦と言えど、常に最大戦速で航行出来るものではない)で7日と15時間弱。 ようやく日本を―――東京を、その作戦圏内に収める位置に到着した。
「CTG70-3(第70-3任務群)、ESG-7(第7遠征打撃群)、共に『Situation Normal』です」
艦隊主力とは別に、空母『セオドア・ルーズベルト』を中心とする空母打撃群、プラス水上戦部隊で構成されるCTG70-3(第70-3任務群)
そしてワスプ級強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』、『マキン・アイランド』を中心とするESG-7(第7遠征打撃群)
この2個群は普段、第5艦隊支援の為にインド洋のディエゴ・ガルシア島に駐留している。 第7艦隊は東経160度以東の東太平洋から、東経67度以西のインド洋の半分を担当海域とする。
第5艦隊の担当戦域はインド洋北西部。 旧アフガニスタンから洋上を南に下り、ソマリア沖から東進して交差する海域を担当戦域としている。
最近、紅海方面のBETAの活動が不活発な為、急遽呼び出したのだ。 アフリカ連合と国連軍アフリカ方面総軍からは、『遺憾の意』と言う名の嫌味が連発されたが。
これで第7艦隊は全主力部隊―――第70-1任務群、第70-2任務群、第70-3任務群、そして第7遠征打撃群が揃ったことになる。
空母『カール・ヴィンソン』『ドワイト・D・アイゼンハワー』『セオドア・ルーズベルト』の3隻に、ワスプ級強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』『マキン・アイランド』
だが今回は異様だ。 何故なら空母打撃群の主兵力である空母戦術機甲団、その大半を母港の真珠湾、或は駐留基地のディエゴ・ガルシアに揚陸させているのだから。
代わりに編成上では有り得ない部隊が『積み込まれて』いた。 米陸軍戦術機甲部隊、その3個大隊の戦術機甲大隊だった。 海軍機は各々1個戦術機甲隊(中隊)だけが残された。
『カール・ヴィンソン』に第66戦術機甲大隊(US 66wig)、『ドワイト・D・アイゼンハワー』に第174戦術機甲大隊(US 174wig)
そして『セオドア・ルーズベルト』に第117戦術機甲大隊(US 117wig) 各大隊の定数は、米海軍空母戦術機甲団より少ない36機。
「しかし、面白くない話です。 よりによって、陸軍野郎を・・・」
「・・・君、士官たる者、常に品位を保つべきだよ」
「ッ! 失礼しました、サー!」
しかし面白くないのは、目前の上官―――第7艦隊司令官、トーマス・カーライル米海軍中将も内心は同じだ。
自身の艦隊主力攻撃力―――3隻の空母の戦術機『F/A-18E』の12個戦術機甲隊(中隊)の内、実に9個戦術機甲隊を『陸に揚げられた』のだ。
残ったのは3個戦術機甲隊だけ。 しかも面白くない事は、その戦力に対する指揮権を有していない、と言う事だ! 第7艦隊司令官である自分が!
「―――予定通りの航海、そう言って宜しいようですな、提督」
不意にカーライル中将の背後から、声をかけた人物がいた。 振り向かずとも誰であるか、中将には判る。
「・・・我々は、U.S.ネイヴィーだ。 クレメンツ『陸軍』大佐」
嫌味をたっぷりと含んだその口調に、言われた方は微塵も感じ入っている様子はない。 それどころか、冷ややかな薄笑いを浮かべたままだ。
「ええ、流石は『世界に冠たる』U.S.ネイヴィーです」
―――最早、ライミー(英国人)は本国艦隊を維持するので青色吐息。 日本人たちも自国の周辺海域を守るのが精一杯。 いやいや、流石は新世紀の『無敵艦隊(アルマダ)』です。
そんな追従とも取れる言葉にも、カーライル中将は何の高揚も感じない。 なぜならこの男は・・・
「航海も予定通り、順調のようです。 では小官はこれから『作業』に取り掛かりますので・・・」
―――後は、連絡将校に伝えます。
それだけ言うと、その陸軍大佐はブリッジから姿を消した。 その直後、ホウッとため息をつくカーライル中将。 そんな上官の様子を見た部下は、訝しげに尋ねた。
「サー。 失礼ですが、何故、あの陸軍たちをあそこまで自由に・・・?」
その質問に、即座には答えずに、ブリッジから漆黒の冬の海原を見つめていたカーライル中将は、囁くような小さな声で、ポツリと言った。
「・・・あの男は、『JSOC(Joint Special Operations Command)』だ」
「JSOC・・・!? では、SOCOM(United States Special Operations COMmand : USSOCOM)の作戦・・・!?」
SOCOM―――USSOCOMは、『アメリカ特殊作戦軍』と言われる。 アメリカ統合軍の一つであり、陸軍、海軍、空軍、海兵隊の特殊作戦部隊を統合指揮している。
現在の司令官は、レイモンド・D・ホーランド米航空宇宙軍大将。 米軍の機能別統合軍(FUCC)のうちの一つで、全軍における特殊作戦を指揮する。
JSOC(Joint Special Operations Command)はSOCOM麾下のサブコマンドのひとつで、統合特殊作戦コマンド(Joint Special Operations Command/JSOC)と呼ばれる。
デルタフォースや海軍特殊戦開発グループなどの、『特殊任務部隊(SMU)』を運用しているのが、最大の特徴である。
公の活動内容としては、統合特殊作戦タスクフォース(JSOTF)の常設と提供、作戦の計画立案、演習および訓練の計画と実行、戦術の開発、特殊作戦における要求と技能の研究である。
そして『公=表の顔』があれば、当然『裏の顔』もある。 それは実際には平時・戦時問わず、政治的軍事的に非常に微妙で、危険度の極めて高い秘密作戦も指揮している事だ。
『特殊任務部隊(SMU)』とは、デルタフォースや海軍特殊戦開発グループの様に、活動内容や存在そのものが、黙秘される部隊の総称である。
グリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊群)やシールズ(Navy SEALs)など、場合によってはメディアにも露出するオープンな部隊は、『特殊作戦部隊(SOF)』と呼ばれる。
対して『オープンでない』特殊任務部隊(SMU)の活動の大部分は、『公には否認されるべき地域』で行われ、それには対テロ作戦、襲撃行動、偵察活動、秘密諜報活動などが含まれる。
JSOCが直接指揮下で運用される部隊は、デルタフォース(又は『戦闘適応群』)、海軍特殊戦開発グループ、情報支援活動部隊、第24特殊戦術機甲隊などがある。
また場合によっては、第75レンジャー連隊、第160特殊作戦航空連隊、第55特殊作戦戦術機甲隊と言った、バックアップ部隊の支援を受ける事ができる。
「・・・人員は主にSOCOMの連中だが・・・肝心要の核の連中はCIA―――国家秘密本部、その東アジア部だ。 SMUの連中は、退役後にCIAの契約工作員になる者も居る」
そんな、裏のきな臭い繋がりだ―――カーライル中将は、面白くもなさそうな表情で、吐き捨てるように言った。
米海軍のエリートであるが、同時に海の武人たらんと欲する、実は古いタイプの軍人であるカーライル中将にとって、SOCOMは有用性を認めつつも、受け入れられない存在だった。
「詳細の奥の奥までは、私でさえ知らん。 PACFLT(太平洋艦隊)やFLTFORCOM(艦隊総軍)を飛び越して、OPNAV(海軍作戦本部)からのダイレクト・オーダーだ」
信じられない―――カーライル中将の言葉に、彼の部下は言葉が出なかった。 他国軍とは異なり、米軍は上級司令部の、更に上の司令部からダイレクト・オーダーが出る事がある。
だがそれは、精々が2段階上―――今回で言えば、第7艦隊の上級司令部である太平洋艦隊司令部を飛び越し、艦隊総軍から、と言うケースまでだ。
それが『OPNAV』―――海軍作戦本部とは! これを日本帝国海軍に当てはめれば、1個艦隊司令部に、GF(連合艦隊)や海軍軍令部を飛び越し、統帥幕僚本部が直接命令を出すに等しい。
となれば、ただの戦術作戦ではない。 いや、戦略作戦でもない。 これは―――『政治的な作戦』だ。 CIAにSOCOM、そしてOPNAV・・・嫌な感じしかしない。
「まったく・・・とんだ貧乏くじだね、君」
「・・・サー。 全くです」
未だ洋上は、冬の夜明け前の暗闇に支配されていた。
2001年12月4日 1700時(日本時間12月5日 0600時) アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ウエストチェスター郡
宏大と言う他に表現のしようがない敷地面積。 たっぷり60エーカーはある広大な土地(=24,28ha=約24万2811㎡=約80万2681坪)
そこに建屋面積がバッキンガム宮殿やハンプトン・コート宮殿よりも広い面積を誇る、馬鹿馬鹿しいまでの豪壮な宮殿と見間違う程の屋敷が建っている。
初冬のニューヨーク州は、それもこの辺りでは、平均最高気温で華氏36°F(摂氏2.2℃)、平均最低気温が華氏29.5°F(摂氏マイナス7℃)程には冷え込む。
日照時間も短い。 この時間では、外はもうすっかり暗くなっていた。 米国国防総省の太平洋担当副次官補であるダスティン・ポートマンは、この屋敷がはっきり言って嫌いだった。
今日とて、国防総省ハト派、更には『会議』の連絡役の仕事でなければ、いなか遺伝上の繋がりがあるとは言え、あの老人と会うのは気が進まない。
館の執事の案内で、奥まった一室に通される。 そこは豪壮な外見のこの屋敷に似つかわしくない、いっそ簡素と言っても良い程、何もない部屋だった。
確かに部屋に敷かれている絨毯は、17世紀にイランのキルマンで織られた世界最高峰の逸品で、20年以上前に購入した価格が、620万ポンド(約890万ドル)だったと聞く。
無造作に置いてあるマホガニーの机や家具でさえ、一品でも50万ドルは下らないだろう。 全て含めれば、1000万ドルは下らない―――が、それだけだ。
オリエンタルなアンティーク調スタンドランプの淡い暖色系の光だけの中で、一人の老人がソファに身を沈めていた。 まるで死んだように身じろきもしない。
「・・・極東で、始まったかね?」
不意に老人の口から、しわがれた声が漏れた。 改めて緊張感を増すと同時に、探る様に声をかけるポートマン。
「―――はい。 しかし、成功するとも思えませんが・・・」
「・・・なに、成功するなどと、思ってやせんよ」
意外な言葉だった。 この老人は、日本帝国内の国粋派・摂家(斑鳩家)派・安保マフィアの親ネオコン派を通じて、あの国の裏の実権を掌握するつもりでは無かったのか?
「ふっふ・・・ダスティン、お前も、そして先日お会いしたアンハルト=デッサウ侯妃(イングリッド・アストリズ・ルイーゼ・アンハルト=デッサウ侯妃)も、まだ若い・・・
儂は『会議』に対し、一度たりとも『AL5計画』の優位性も、その優先要求もしてはおらぬし、『あの国』の中枢をAL5計画派に固めるなどと、明言はしておらぬ・・・」
「・・・」
青年の無言をどう捉えたのか、老人は言葉を続けた。
「デイヴィッド・ロックフェラーは嘗てこう言った。 『ビルダーバーグは本当に、極めて興味深い討論グループである。
年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―――ただし、合意に達することはない』とのぅ・・・さてさて、そしてそれは事実じゃ・・・」
議論されるトピックは国際政治経済状況による異なるが、最終目標は、あくまでも欧米系勢力による、世界統一権力の樹立。 それ故に欧米各国のトップに大きな影響を持つ。
1991年の会議には、当時アーカンソー州知事だった男が招待された。 彼は会議の1年半後の1993年1月に、アメリカ大統領に就任した。
1993年の会議にはイギリス労働党の党首が招待された。 その党首は会議の4年後の1997年5月に、イギリス首相に就任している。
「儂はの、様々な目を持っておる。 3度目の祖国を喪わない為にの・・・故に、太平洋の防波堤として、あの国は有用じゃ。
そしてその防波堤の管理人として、より相応しいのは、一体誰か・・・どの勢力か・・・無論、『会議』のメンバーも承知の上じゃよ」
「・・・つまり、右手が出したボヤを、左手に消火させておる、と?」
「ボヤと言ってもの、もしかすると有用かもしれぬ。 あっさり切り捨てるのは、ちと早計じゃ。 それに、左手の危機管理能力も、見定めねばなるまいて」
「―――故に、JSOC(統合特殊作戦コマンド)を?」
「ああ・・・あれはジョンストン・ゴース(CIA長官)が泣きついてきたのでの。 最近は内部抗争の結果、ジョン・クロンガード(CIA副長官)に押されっぱなしじゃ」
「―――リチャード・ミシック(CIA情報本部本部長)、ライオネル・モーガン(同東アジア分析部長)らは、明確に反ゴース派です。
行政本部本部長のハリー・マクラフリンも、明確に敵対しております。 国家秘密本部副本部長のバジー・リチャーズは・・・」
「ふむ・・・先月、マイケル・マコーニック(CIA国家秘密本部本部長)が急死しおったな。 スティーブン・サリク(国家秘密本部防諜センター長)の仕業か・・・」
「DIA(国防省情報部)も。 既に国際協力室長のロバート・クナイセン(海軍少将)を通じ、日本側に概略が漏れている事でしょう」
「・・・クナイセンの受け皿は、誰じゃったかな・・・?」
「日本帝国海軍軍令部、第2部長のリア・アドミラル・スオウ(周防直邦海軍少将)です」
「ふむ・・・確か、『Imperial Gendarmerie(日本帝国国家憲兵隊)』副長官の義弟に当たる男だな。 外務省の国際情報統括官の義弟でもある・・・」
「CIAの反ゴース派は、IG(日本帝国国家憲兵隊)と繋ぎを得ています。 国務省は日本の外務省と・・・そしてDIAは、日本海軍軍令部を通じ、国防省情報本部と」
「ふぉっふぉ・・・まさに東洋で言うところの『四面楚歌』じゃな。 IGに国防省情報本部、そして外務省の情報統括室・・・ふぉっふぉっふぉ・・・」
日本帝国外務省情報統括室は、内閣情報調査室(情報省外局)、警察庁(警備局)、国防省(情報本部)、国家憲兵隊とともに、内閣情報会議・合同情報会議を構成する。
諸外国のインテリジェンス・コミュニティー(情報機関を纏め、各機関の集めたインテリジェンスを集めて評価し、政策実行に必要な情報を提供する組織)に近い。
内閣官房副長官(事務)が主宰し、内閣官房副長官補(安全保障/危機管理担当)、警察庁警備局長、国防省国防政策局長、統帥幕僚本部第1局長(国防計画作戦)
そして情報省次官、外務省国際情報統括官が参加する。 内閣官房副長官(事務)は内務省の次官経験者が就任するのが通例の為、実質は『高級官僚トップの最高危機管理会議』である。
「さては、さては、この件はプライムミニスター・サカキには、情報が上がっていなかったと見える。 ふぉっふぉっふぉ・・・あの国の官僚は、なかなか侮れぬよ・・・」
「・・・日本の高級官僚群は所謂、革新官僚・・・統制派官僚が、今や主流です。 そして軍部もまた、統制派が主流をなしております。
軍部国粋派や、いわんやあの国の古色蒼然たる貴族社会(五摂家)など、どう足掻いても権力の奪取は不可能な状況ではありますが・・・」
「なに・・・左手も、手に余る事態はあるのでのぅ・・・まさか、左手に自国の内閣首班を殺させる訳にはいくまいて・・・」
その言葉で、ダスティン・ポートマンは理解した。 この老人は、単純なAL5計画推進派でも、AL4計画擁護派でもない―――純粋に、底なしのエゴイストなのだと。
日本の首相が推し進める、AL4計画推進については、日本国内からも疑問の声が大きくなり始めている。 かと言って、AL5計画に鞍替えは出来ない。
実現の見通しが立たない、底の抜けた天文学的巨額な予算を飲み込み続ける、『オルタネイティヴ第4計画』
ロス・アラモスからさえ、実行後の地球規模の変動に警鐘が鳴らされている、AL5計画の付属計画『バビロン作戦』
天秤が片方に傾かぬよう、常に気を配り、そして『次善の結果』となる様に采配し続ける―――2度祖国を喪った老人には、『最善の、最良の結果』など、世に存在しない事は骨身に沁みている。
「・・・成功はせぬがの。 あの小娘の荒唐無稽な『お伽噺』からは、少しは解放されるじゃろうて。 ネオコン連中の先走りも、今回はゴースを生贄の羊にすればよい・・・」
―――様は、太平洋対岸の防波堤、その管理人の手腕の確認、それだけの話だったのだ。
2001年12月5日 0630 日本帝国 帝都・東京 高田馬場~早稲田封鎖線
白々と夜が明けた。 おそらく、日本で最も長い1日となる日の夜が明けたのだ。 唯々快晴。 冬の蒼穹は恐ろしい程の深い蒼だった。
気温はまだ低い。 3、4℃だろう。 予報では10℃を下回ると予想されている。 明らかにこの10年ほどで、日本の気象も変化が起きている。
高田馬場から早稲田にかけての封鎖線。 『反乱軍』とはやや南の25号線を挟んで対峙している。 こちらは早稲田に面した戸山陸軍軍医学校練兵場(西側)に本部を設置した。
方や『反乱軍』の一部は、学習院の東側、戸山陸軍練兵場(東側)に布陣している。 第1師団機動歩兵第1連隊の一部だった。
その両者の間を、何事も無いようにのんびりと歩く2人の将校が居た。 兵科はその姿でわかる。 衛士強化装備が見て取れる、戦術機甲科の上級将校だ。
2人ともグレーカラーの革製コートを着用している。 肩部に肩章装着用ループがあり、そこへ無理やり陸軍の階級章(肩章)を装着していた。 階級は少佐。
見る者が見れば、そのコートが帝国陸軍制式採用の将校用外套でない事は判るだろう。 詳しい者ならば、ドイツ連邦軍(西ドイツ軍)将校用のコートだとも。
第2次世界大戦時の、ドイツ海軍Uボート乗り(将校)用の、Uボートコマンダー着用のコートに外観、カラーが酷似している。 略帽(ベレー帽)を被っていた。
「火を呉れ」
「うむ」
2人の少佐は対峙する両軍の間で、暢気に煙草を吸い始めた。 二口、三口と、ゆっくり紫煙を吐き出した後で、反乱軍の側をゆっくり見回し、やがて自陣へと戻り始めた。
その姿を第15師団の面々は、馬鹿を見る様な目で尊敬している。 逆に反乱軍側は、どうしたものか、迷っているようで、何の手も出せないでいた。
2人の将校の出で立ち、それは確実に帝国陸軍の服務規定に反するものだ。 が、逆に佐官級の野戦将校、特に大陸の激戦を経験した佐官級将校に、それを無視する気風がある。
今現在佐官であり、大陸での激戦を経験しているとなれば、20代後半から30代半ば頃の世代だ。 1991年から1992年にかけて、大陸派遣軍に配属されて最前線で戦った世代。
そして以来、9年から10年の長い期間を、BETAとの地獄の絶滅戦争を戦い抜き、今ここに在る者達―――戦場経験豊富な、歴戦の佐官級指揮官と言う事だ。
彼らの中には大陸で、そして少数の者が北アフリカや欧州で、それぞれ手に入れた他国軍の軍装を私物として持ち帰り、所有している者が多い。
本人達は単純に、垢抜けない帝国陸軍の正式軍装に彩を添える、その程度の意識しかなかったと言うのが実情だ。 ちょっとしたファッション感覚、だが周囲はそうは見なかった。
地獄の様なBETAとの絶滅戦争。 その激戦の中を戦い、生き抜き、生還し・・・そして未だ戦い続けている者達。 陸軍での私物着用は、そんな歴戦の証として畏怖されていた。
「―――もう少し、余裕を見せた方が良かったかな?」
「ま、何事もやり過ぎはいけないってな。 煙草を持つ手が震えていただなんて、向こうより先に、部下たちの士気が崩壊する」
「・・・俺はただ、寒かっただけなんだがなぁ?」
「それは奇遇だ。 俺も寒かったのさ」
BETAに食い尽くされて国土と民族が消滅する前に、今の馬鹿騒ぎを収められないようなら、死んだ方がマシだと思う。 が、根本で死への恐怖感は、どんな人間でも存在する。
だがそこから逃げていては、人間らしくはあっても、軍人―――職業軍人たり得ないのだ。 国家の用意した暴力の前で人間を戦場に走らせる。
その為には人間に好かれなければ―――少なくとも、底の抜けた馬鹿と、敬意を得なければ。人が自然の摂理に反するだけの敬意を、部下から得なければならない。
人間が本能よりも、部隊や仲間を助けようと思うから・・・部隊や仲間を死なせたくないから、戦うと思うから、軍と軍人と言う代物は成立するのだ。
それを一言、訓練の結果と言い切るのは、人との付き合いが薄い証拠だ。 人と人との、極限状態での関係を知らない机上の空論家、或は青臭い青二才と言うところか。
―――人間が、人間として在り続ける為に、士官は存在する。
96年前、奉天西方の黒溝台で第2軍最左翼、約40kmを僅か10,000名の部下達と共に守り―――1万対10万の激戦を乗り切った、秋山好古少将(当時)の言葉だ。
或はそれは、古代より連綿と受け継がれてきた、軍事指揮官の極意かもしれない。 戦場で超然とした振舞いを見せる上官に、部下達はついてゆく。
2人の佐官―――周防直衛陸軍少佐と、長門圭介陸軍少佐もまた、長い前線での戦いの経験上、そうした上官には無条件で付いて行けた。
そして生き残り、階級が上がり、佐官―――少佐の大隊指揮官となった今、自分を見る部下の目が、あの頃の己と同じ目をしている事を知っていた。
やがて自陣へ戻った2人の少佐達は、戦術機甲部隊の本部に指定されている野戦天幕に入って行った。 最大収容人数14名、主に部隊長以下の幕僚及び指揮官が宿営等に使用する。
「お疲れ様です」
第15師団、そのA戦闘団(第1機動旅団)陣内の天幕に戻った2人の少佐に、待ち構えていた2人の大尉が声をかけた。 最上英二陸軍大尉、そして古郷誠次陸軍大尉。
最上大尉が携帯ストーブ(私物)に於いた薬缶から、お湯を注いだカップを2人の少佐達に手渡す。 香ばしい香りがする。 当然だ、天然ものの珈琲なのだから。
「今時、これを飲めるなんて贅沢、信じられませんね」
「チビチビと、節約しながら飲んできたからな。 アメリカ土産、その少ない残りだ。 有り難く飲めよ?」
「俺の家にも少し残っているが、女房がどこかに隠しやがった・・・」
「大隊長が、ガブガブ飲むからでしょうが。 奥様(長門(伊達)愛姫少佐)に事あるごとに愚痴られる、俺の立場も考慮してくださいよ・・・」
携帯ストーブも私物(190mm×370mmのサイズでしかない)、持ち込んだ珈琲も私物。 朝食代わりの乾麺麭(乾パン)150gに金平糖、オレンジスプレッド及びソーセージ缶の副食。
ささやかな指揮官特権だ。 部隊の下級士官たちは皆、戦闘糧食I型(No.1)は代わらないが、飲み物は不味いコーヒーもどきなのだ。
「もう少し、余裕を見せつけた方が良かったか?」
「止めておいた方がいいですよ、大隊長。 メッキが剥がれますって」
「俺は、メッキじゃないぞ?」
「はいはい、煙草を持つ手が震えて、落としたらどうする気ですか。 ったく、子供じゃないんですから・・・」
それぞれ、周防少佐、最上大尉。 そして長門少佐に古郷大尉だった。 大隊長と、その補佐役の先任中隊長。 天幕の中、戦闘糧食を食べながら話すその姿に、緊張感は見られない。
年の頃も近く、2人の少佐は9年9か月、2人の大尉は7年3か月の実戦経験を持つベテラン達だ。 この先どう展開するか予断は許さないが、力を抜くときは心得ている。
『それもそうか』
2人の少佐がそう言うや、部下の2人の大尉たちも笑った。 お互い付き合いの長い上官と部下だった、兵や初任士官は上官の嘘を信じればいいが、古参の大尉はそうはいかない。
乗馬でいえば、乗り手の不安も判る出来た良馬だ。 いや、決して馬ではないのだが―――とどのつまり、生死を掛けた戦場で共に過ごした戦友であり、親友である。
「それにしても連中、一体何を考えているのか・・・ここに陣取っていても、状況は変わらないのにな」
最上大尉が、天幕の中の簡易机の上に広げた地図を見ながら、珈琲を啜りつつ首を傾げる。 『反乱軍』は永田町・麹町から四ツ谷、新宿、牛込辺りを制圧していた。
そして赤坂見附付近で帝都城(旧赤坂御用地)の斯衛第2連隊と睨み合い、半蔵門から千鳥ヶ淵、北の丸辺りで禁衛師団と睨み合いが続いている。
帝都城正面では第1師団第1戦術機甲連隊が、半蔵門では第3戦術機甲連隊が、そして北の丸では第2戦術機甲連隊が、それぞれ配置についていた。
「そうだ、それが判らんな。 もうじき、第14師団先遣隊(戦術機甲1個連隊、機甲1個大隊、機械化装甲歩兵1個大隊、機動歩兵1個大隊)も到着するのにな」
同じく地図を見下ろした古郷大尉も、同感とばかりに頷いた。
帝都城正面こそ、戦力比は1:1だ。 が、皇城正面では2:3と数的不利。 更に第15師団(第1機動旅団)が高田馬場から西早稲田にかけて展開した。
これに対して『反乱軍』は、第1師団機動歩兵第1連隊の一部(1個大隊)を割いて警戒に当たっているが・・・
「正面の相手は、機械化歩兵1個大隊と、少数の重火器中隊のみ。 こっちは2個戦術機甲大隊を主力に機甲、機械化装甲歩兵、機動歩兵が各1個大隊・・・」
「自走砲と自走高射砲も、各1個大隊。 旅団とは言え、丙編成師団に匹敵する戦力だぞ? 増強大隊程度で、支えきれる戦力じゃないってのにな?」
「東部軍管区予備の3個独混旅団(第102、第105、第108独立混成旅団)が、連中側に付いた。 港区、目黒区、品川区をそれぞれ押さえちゃいるが・・・」
「だから、どうにも判らん。 首都の中枢を押さえるのは、クーデターの鉄則だ。 千代田区を押さえるのは判る。
同時に渋谷・新宿・港・品川の各区を押さえたのもな。 が、それからどうする? 連中、沙霧のあの声明以降、全く動きが無い」
最上大尉と古郷大尉が、同時に唸る。 この状況下で、北方面に更に新たな敵(第14師団先遣隊:戦術機甲1個連隊、機甲、機械化装甲歩兵、機動歩兵各1個大隊)だ。
北西方面の圧力はこの結果、第15師団先遣隊を加え、乙編成師団相当の強大なものとなる。 もし一当たりすれば、1個増強大隊規模の『反乱軍』は、30分と持ち堪えられないだろう。
「いくら市街戦じゃ、戦術機甲部隊は格好の的とは言え、戦闘車両との戦闘じゃ、向こうが格好のカモだ」
「歩兵戦力でも、向こうは機動歩兵1個大隊のみ。 こっちは機械化装甲歩兵2個大隊に、機動歩兵2個大隊・・・4倍じゃ効かないな。 ランチェスターじゃ、16倍だ」
つまり、ごく短時間で制圧される結果が目に見えている。 そうするとどうなるか? 永田町を挟んで東西で睨みあっている場所は、今は辛うじて拮抗している。
そこに、北方面から更に1個師団が雪崩込んで来たら? 東の江戸川からも、第3師団(乙編成師団)が、反『反乱軍』の立場を表明している。 戦力比は1:3と大きく離れる。
更に3個独立混成旅団が反乱軍側に付いたことを受け、当初の予定を変更して第15師団B戦闘団(第2機動旅団)と、第14師団主力を神宮外苑に配備する事が決定した。
3個独立混成旅団(3個戦術機甲大隊主力)では、第14師団主力(2個戦術機甲連隊主力)と第15師団B戦闘団(2個戦術機甲大隊主力)に太刀打ちできない筈だ。
そして東部軍管区の第7軍司令官・嶋田大将は『反乱軍の制圧』を表明した。 北関東絶対防衛線から第14師団の他、第12師団(乙編成師団)を派遣すると言っている・・・
海軍は横須賀の第3陸戦旅団(1個戦術機甲連隊基幹)を、第4艦隊(司令官・宮越善四朗海軍中将)に搭乗させて進発させた。 上陸地点は有明埠頭だ。
更に東京湾内に、年次訓練途中だった第1艦隊主力を呼び戻した。 1時間前、浦賀水道を通過したそうだ。 湾内法定制限速度の12ノットを無視し、18ノットで急行中だった。
漸くの事で再建為った第1艦隊。 戦艦6隻、大型巡洋艦(巡戦)2隻、戦術機母艦6隻を主力とする、太平洋戦域最強の打撃機動部隊。
「・・・どう考えても、連中はチェックメイトの筈、なんだがなぁ・・・?」
「考えられるのは、『政治的な動き』だけか・・・」
「けどな、政府は一応、反乱軍に対する非難声明を出したぞ?」
つい先ほど、0625時。 『臨時兼任』により農水相が仙台市で内閣総理大臣代行を宣言した。 『偶々』農政の所要で仙台を含む東北地方を回っていたと言う。
そのお蔭で、『反乱軍』の襲撃から身を守る事が出来た、幸運な人物だ。 はっきり言って、内閣内で最も影の薄い人物、そう言われていた人物だったが・・・
「それに多分、『臨時政府』は戒厳令を出すだろうな」
「行政戒厳か? それはそれで、帝都一帯の制圧行動には有効だけどな・・・」
しかしまさか、この時点で臨時政府が『国家緊急権』の発動を行うとは、最上大尉や古郷大尉はおろか、周防少佐も長門少佐も、予想だにしていなかった。