1998年7月8日 0450 副帝都・東京 帝国国防省
「馬鹿な! 国連は、いや、米国は、帝国に第二のカナダを出現させる気か!?」
「半世紀前のベルリン! そして24年前のアサバスカ! 自国に核の惨状が出現すると言う、そんな想像すらできないのか、米国は!?」
「何度でも言う! 断固、反対する!」
会議室の中、並居る帝国軍側の高官達は、血相を変えて交渉相手に喰ってかかっている。
主に統合軍令本部の武官たちだが、国防省の軍務局、企画局の文官達も顔色を変えている。
当然だろう、BETAの日本上陸と言う事態を受け、急遽開催された極東国連軍作戦委員会。 その席上で国連側から、戦術核の一斉使用が提案されたのだ。
「ならば、貴国の防衛計画、この急激な破綻をどの様に修正し、そして失われた戦略・戦術のイニシアティヴを取り戻すのか?」
「我々が知りたいのは、『必ず喰い止めて見せる』、などと言う抽象論では無い。 『何を、どの様に、どうやって』、阻止出来るか、そのバックデータも込みで確認したいのだ」
「具体的な彼我の戦力差、そして想定消耗率、補充部隊の規模と装備、そして練度。 展開までの日数と、それまでに想定されるBETAの侵攻範囲。
それを提示してくれた上で、尚且つ、貴国が侵攻を阻止出来ると言う、そのバックボーン、数字を具体的に示して貰いたい」
「それらが無ければ、我々は貴国の作戦立案を一切信用出来ない。 岩国に展開中の国連軍派遣部隊は、無駄に消耗させる為に派遣した戦力では無いのだ」
会議は日本側と、国連軍でも主に米軍関係者との間で、先程から平行線を辿っている。 米国側の、用兵理論の基本に基づいた主張は、帝国側も理解している。
しかしその理性も、『戦術核』の一言で吹き飛んだ様子だった。 無理も無い、先の大戦が終了した直後に公開されたベルリンの悲惨さ、被爆したドイツ人の無残な様子。
そして最早、人の住める土地では無くなった(核物質の半減期以上の期間に限定して)アサバスカの様相。
国連―――米国の主張する戦術核使用に踏み切れば、この2つの地獄が一挙に再現されてしまうのだ。 同然の反応とは言える。
「では、今現在、九州北部を蹂躙し、直に中国地方に侵攻の気配を見せている2万のBETA群に、どう対応する気なのか!?」
「それだけではない。 出雲地方に上陸した3万8000のBETA群、即応防衛部隊の2個師団は既に壊滅状態だ。
このまま放置すれば、東進すれば鳥取、兵庫、京都の北部を通り、首都へと突進する。
南下すればしたで岡山、神戸、大阪、と言った重工業地帯が壊滅する。 貴国の継戦能力は喪われる事になる!」
「広島、山口の防衛を担う岩国の第2戦術機甲師団は、合衆国陸軍中の最精鋭部隊では有るが、それでも限界がある。
そして我々合衆国は、国家と軍が、将兵に求められる辛苦の限界以上の事を、将兵に対し押し付ける事は出来ん」
そんな米軍側代表団のセリフを聞いていた帝国陸軍参謀本部の、ある参謀大佐が鼻で笑う様な表情で吐き捨てる。
「はっ! これだから米軍は・・・!」
「軟弱だと言いたいのかね? 日本帝国軍参謀大佐?」
「それ以外の言い様が? 合衆国連邦軍少将閣下?」
「やれやれ、君等のメンタリティは、本当に44年以降も変化が無い様だな・・・」
「他人の土地を、無神経に土足で踏みにじった上に、厚顔極まりないこじ付けを吐く米国人のメンタリティも、44年から変わりませんな―――いや、建国当時からか!」
互いに、段々と感情的になってゆく―――帝国軍側は既に、だが。
「止めないか、貴官等! ここは互いの暴言の投げ合いの場では無い!」
「そんな余裕は無い、この国がBETA共の手に落ちると、人類の防衛ラインは一気にハワイにまで下がる事になってしまう」
「欧州人の私が言うのも何だが、いい加減にされた方が良い。 歩調が揃わねば、連中に対抗など、とても敵わん」
そう口々に制止するのは、『国連軍』に参加している中韓両国の指揮官達、そして国連軍事参謀委員会からオブザーバーで派遣されている、仏軍の中将。
会議は堂々巡りに陥りそうな気配が、濃厚となっていた。
「閣下、如何な国連軍と言えど、加盟国の主権は尊重すべきです」
国連軍太平洋方面第11軍副司令官で、韓国軍出身の白慶燁中将が、ゆっくり椅子ごと体を動かし、上官であるアルフォンス・パトリック・ライス米陸軍大将を振り返り言う。
赤レンガの古い建築物。 ジョサイア・コンドルが設計したゴシック・リヴァイヴァル建築様式の旧海軍省ビルは、現在国連軍へ『貸し出されて』いる。
そのビルの中、旧大講堂脇の小部屋。 半世紀前には対米戦を戦う帝国海軍の頭脳達が、その命運を決する作戦を練っていた場所。
会議を一旦中断し、控室に戻ったライス大将、白中将、そして『国連軍』のスタッフが対策を検討している最中だった。
「しかし副司令官、戦況はかなり混乱しておる。 日本軍とても、既に西部軍集団は攻勢力を喪失した」
参謀長であるインド軍出身のヴィスワナサン・シング中将が、目の前に組んだ両手をそのままに、憂慮の滲んだ声色で言う。
目前には戦略情報スクリーンから同調させた、戦略MAPが各々のコンソール上に表示されている。
既に九州は北部が赤く染まっている、BETAに浸食された地域だ。
日本軍の主要防衛線は、佐賀県南部・長崎南部のラインから熊本県北部・大分県北部のラインまで下がっている。
博多から太宰府、そして福岡県南部にかけて、南北に細長い防衛線が辛うじて存在するが、そこも消滅するのは時間の問題だろう。
「日本軍統合軍令本部から連絡が入りました、中部軍集団の展開が台風の影響で大幅に遅れています。
岡山東部の第7軍団(3個師団)はまだ、岡山市に入る事が出来ておりません。 途中の国道、高速道路、全て逆流する避難民で埋め尽くされていると」
「鉄道網は? 海上輸送路はどうなのだ?」
情報参謀の報告に、作戦参謀が問いかける。 使える戦力と使えない戦力、そして配備状況、更には『外乱』でもある避難民状況。
全ての情報が集中しても、トップで全てを捌き切れない。 しかし、必要な情報は全てを把握しなければ判断を誤る。
運用参謀が、その言葉に対し捕捉を入れる。
「直撃した台風の影響で、線路上への土砂崩れ、倒木、電路の断線、それが全域で11箇所。
現在は広島から岡山中部まで、そして島根から広島、鳥取から岡山、兵庫の間で交通網が遮断されている」
その情報に全員が絶句する。 それでは西日本の本州域での移動は全く不可能と言っているに等しい。
「海上は・・・ 暴風域下での勧告無視の出港で、中小型船舶の横転沈没事故が9件、船舶同士の衝突事故が17件、操船不能状態での座礁事故が11件。
死者は1300名以上、行方不明1600名以上、史上最大の海難事故になった。 日本海軍は、瀬戸内海の航行を封鎖しました」
運用参謀の最後の言葉に、誰かが唸った。
陸上・海上共に移動手段は麻痺している。 民間人は元より、防衛戦力の移動すら著しく制限されている状況。
四国・高知に上陸した台風は、その後に速度を上げて香川から岡山に抜けた。
その後もやや勢力を弱めながらも、現在は岡山県中部・津山市付近を、猛威を振りまきながら北上中だった。
九州は暴風雨圏から完全に抜けた。 しかし雨足は相変わらず強く、1時間に60mmから70mmと言う豪雨が続いている。
その為、まず地上部隊の移動が著しく制限されている。 風も強く、戦術機の自立制御も戦闘機動を行える限界値に近い。
何より、豪雨と強風のお陰で面制圧砲撃の効果が出ない事が痛い。 AL砲弾、ALミサイルを撃ち込み、レーザー照射で迎撃させても、重金属雲を形成出来ないのだ。
発生した重金属は、瞬く間に雨に吸収され地上に降り落ちる。 僅かに空中に残った重金属雲も、強風にかき消されてしまう。
九州の西部軍集団は、苦戦しつつ徐々に戦線を後退させていた。
同様の事態は、中部軍集団でも生起している。 いや、中部軍集団の方が事態は深刻だった、台風のまさにど真ん中で行動を著しく制限されているのだ。
「出雲地方の防衛戦力、第2軍団の2個師団はBETA群の突進を受けて壊滅状態だ。 既に松江は陥ちた、米子市防衛線も風前の灯だ。
その後は南東に下って岡山に入るか、海岸線を東に突進して兵庫の北部に向かうか・・・」
「鳥取の海岸線に入ったら、広島への増援に向かっている日本軍第7軍団を、北へ差し向けねばなるまい。
しかしこの嵐の中、山岳地帯を移動するのは無理がある。 鳥取の海岸線を突進してくれば、対応するのは兵庫から大阪に居る第9軍団の方が・・・」
「急には無理だ、第9軍団は兵庫南部を移動中だ。 ようやく宝塚を抜けて神戸の北に入る所だと連絡が有った。
瀬戸内海にせよ、日本海にせよ、第9軍団が戦場に到達するには、あと5時間かそこらはかかる」
作戦参謀、情報参謀、運用参謀、それぞれが何かしらの可能性を探ろうとするが、出て来るのは否定的な現状ばかり。
「5時間・・・ 日本海の戦線は保たない、その頃には岡山南部か鳥取市辺りまでBETAに喰い込まれている。
下関の状況も心配だ、まだ第2軍団主力の第2師団は広島県内だ。 岩国の第2戦術機甲師団と、中韓の2個旅団も出撃態勢が整ったばかりだ。
日本軍第10師団(第2軍団)だけで、増援到着まで関門海峡を支えきれるか・・・」
「海軍はどうなっている? 呉にもまだ艦艇は残っているだろう? 日本海側にも第2艦隊が待機していた筈だ」
「動けん、この気象状況では。 主力艦の艦砲射撃は可能だが、母艦からの戦術機の発進は無理だ。 中型艦以下だと、対地攻撃でさえ照準に苦労する」
副司令官の白中将の問いかけに、参謀長のシング中将が首を振る。 傍らで海軍作戦を統括する副調整官である、米海軍の少将が無言で頷いた。
寧ろ、呉に在伯中の第1艦隊所属艦艇は、一刻も早く豊後水道をなんかしようと急いでいる。
陸軍の防衛線次第だが、大分北部に再構築しようとしている防衛線がもし破られれば、一気に別府湾まで下がるだろう。
いや、国東半島にBETAが侵入したら最後、艦隊は撤退を意識せざるを得ない。
別府湾を挟んだ対岸の佐賀関半島と、四国・愛媛の佐田岬半島の間の速吸瀬戸(豊予海峡)の幅は10km程しか無い。
グズグズしていると、瀬戸内海に閉じ込められてしまう。 瀬戸内海東部海域は、大型艦の航行は可能だが、戦闘行動はまず不可能だ。
八方塞がりの状況下、誰もが息苦しさを感じるその雰囲気の中、ドアをノックする音がした。 参謀長が誰何する。 外から通信士官が、司令官宛の緊急信だと告げた。
情報参謀がドアを開けて通信用紙を受け取る。 一瞥して顔色を無くし、慌てて司令官へと手渡す。 その通信用紙の内容を読んだ、ライス大将の表情が変わった。
「・・・ハワイの太平洋方面総軍司令部からだ。 ウィラード大将はホワイトハウスの意向に賛同した様だよ」
その言葉に、室内の全員が慄然とした。 太平洋方面総軍司令官のアレクサンダー・F・ウィラード大将は、同時にUSPACOM(合衆国太平洋軍)司令官だ。
国連と合衆国、双方からの指示系統を有する困難な立場にあるとはいえ、基本的には合衆国軍人なのだ。 そしてUSPACOMあっての、国連軍太平洋方面総軍である。
「戦術核の、局地的大量使用・・・」
国連軍事参謀委員会から派遣された、アルセーヌ・ヴェンゲル仏軍中将が慄く様に呟いた。
フランス人―――実はアルザス・ロレーヌ地方に代々住んでいたヴェンゲル中将の一族にとって、核は忌まわしき記憶を伴うものだった。
先の世界大戦当時、ドイツ第3帝国領であった『エルザス・ロートリンゲン地方』に住むドイツ系アレマン人だったヴェンゲル一族。
その中には、1944年にベルリンで原爆投下により、被爆死した者が居るのだ。 それだけではない、カナダに移住した親戚にも、核に拒否反応を示す者たちが多い。
『ドイツ系フランス人』たるアルセーヌ・ヴェンゲル―――アーセン・ベンゲルにとっては、悪夢よ再び、であった。
1998年7月8日 0510 帝都・京都 帝国外務省
「貴国の言われ様、まるで我が国の主権を無視している!」
「あくまで、米日安保条約に基づいた判断である、その言われ様は心外極まる」
帝国外務省事務次官、そして合衆国国務省東アジア・太平洋担当国務次官補、日米のアジア・太平洋外交の実質上のトップ会談は、最初から荒れていた。
帝国政府の決定を受け、何とか日米安保の枠内での各種支援と、米軍の戦術核使用の中止を求める日本帝国。
支援の継続と、安保行動の裏付けとして、戦術的自由度―――つまり、戦術核の日本国内での使用―――を要求する合衆国。
ネックとなっているのは、『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』、その第5条である。
この内容は、『各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、
自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する』 とある。
その文中の『either Party in the territories under the administration of Japan』とは、日本の行政管理下内での両国共ではなく、
いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館、領事館とアメリカ合衆国軍事基地が一方の『Party』であり、
アメリカ合衆国の治外法権の施設を除いた部分、日本国の地区がもう一つの『Party』である、という定義をすることも出来る。
この定義に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識した時、『共通の危機』に対処する。
合衆国軍の行動は、『共通の危機』が対象であり、『共通の危機』とは、日本国内の合衆国の施設と、その他の部分の日本に共通の危機のことである。
つまり、日本国内の合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考える事もできる。
そして合衆国軍が行動する場合は、合衆国憲法に従わねばならない、そう条文で規定されている。
また合衆国憲法では、在外のアメリカ合衆国軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと看做され自衛行動を許すが、駐留国の防衛まで行う規定はない。
「如何に安保条約文中で、合衆国軍の行動が合衆国憲法に基づいて、とあっても! それが我が帝国内で戦術核を使用して良いと言う風に、どうしてなるのか!?」
「原則論をここで確認する時間は有りませんよ、次官。 最近ではまたぞろ、下院議会で日本側に有利過ぎると、安保条約が非難され始めた。
合衆国には、日本を防衛する事を必要とされるが、日本は必ずしも合衆国を防衛する事は必要では無い状態になっている。
古い意見だが、『日本の二重保険外交』だと。 それに世論も非難が強まっている、貴国の在米公館から報告は?」
「・・・聞き及んでおります。 世論の過半数で、極東の戦況を一気に打開する方法を望んでいると」
外務次官が、苦々しげに答える。 国防は彼の範疇では無い、だがその軍事方面での後手、後手が、彼の責務範囲を縛っている事は事実なのだ。
そんな外務次官の表情を見た国務次官補は、ある程度の同情を滲ませながらも、自国内の状況を補足する。
「宜しいか? 次官。 我が国では中間選挙において、与党は散々な選挙結果に終わった。 本来の支持者層、その中の母親達が『No!』を突きつけたのだ」
「・・・」
「誰しもそうでしょう? 棺に入った我が子を、出迎えたいと思う母親は居ない。 『人類の存亡をかけた聖戦』! 確かに立派だ―――身内を喪いさえしなければ!」
合衆国内では、保守派層の政権離れが顕著な形で現れ始めていた。 そして今の保守政権は、対日支援に積極的な行動を起こしていた政権だった。
「結果です、結果が必要なのです。 この先、このBETA大戦がどの様な方向に進むにせよ。 我が国の継戦世論を維持する為の結果が!
貴国とて、このまま本国の西半分をむざむざと喪う愚だけは、避けたいでしょう?」
無言で返答に窮するようにみえる事務次官に、国務次官補は畳みかける様にカードを切って行った。
密室内のゲームは、合衆国側の勝利に終わるかに思えた。 日本側は有効なカードを一枚も切れていないのだ。
「・・・であれば、我が国は世界の世論に訴えかける以外、方法は有りませんな」
不意に事務次官が顔を上げ、据わった目で国務次官補を見据えた。
「今後、貴国の『我儘』に付き合わされる可能性、いや、危険性のある国々・・・ 英国、フランス、ソ連、それに中国も賛同するでしょう。
あの国は『大家』の台湾への遠慮も有る、そして我が帝国は、台湾を承認している、アジア唯一の国家だ・・・」
「・・・何を、仰りたいのか?」
「豪州は、或いは貴国の側に立つかもしれない。 しかし、あの国も英連邦の1国。 国内の保守派の影響力も無視できない程には有る」
「事務次官、まさか・・・」
「国連安保理での、緊急提議を行う。 国連軍太平洋方面総軍は、貴国の指揮下にある軍事組織に非ず。
そして貴国もまた、国連加盟国であるからには、その決議に従わねばならぬ」
「ッ・・・!」
「我が日本帝国とて、国連安保理、常任理事国である事を、お忘れか・・・?」
1998年7月8日 0545 九州・パラオ海嶺北端 深度350m 合衆国海軍・シーウルフ級攻撃型原潜・SSN-22『コネティカット』
「艦長、ハワイより入電。 『アルファ・ジュリエット・チャーリー・10(対日状況想定No.10)』です」
『AJC10』―――核搭載トマホークの発射作戦中止命令。 通信長より報告を受けた艦長は、CICの薄暗い照明の中で、知れずホッと一息をついた。
合衆国に忠誠を誓った彼で有るが、流石に同盟国に向けて核弾頭(W80)搭載トマホークの発射ボタンを押す事は、心理的な重圧となっていたのだ。
だがこれで、兎に角も民間人が残っていると伝えられる地域に向けて、W80核弾頭を炸裂させる事は無くなった様だ。
何しろ、W80は戦術核とは言え、核出力は最大で200ktに達する。 1944年、ベルリンに落とされた史上初の原爆が、核出力15ktなのだ(約13倍!)
1発で、半径10km圏内が地獄の業火と変わってしまう。 そして『コネティカット』だけで、6発を撃ち込む予定だったのだ―――僚艦を合わせれば、6隻合計36発。
「・・・ホッとしましたよ。 流石に妻の悲しむ顔は、見たくありません」
横からミサイル管制士官である少佐が話しかける。 彼の妻は日本人だ(結婚と同時に、合衆国市民権を得た)
「それは私も同様だよ、息子は昨年、東京で結婚式を挙げた。 今年生まれた孫は、半分日本の血を引いているよ」
「息子さん夫婦は、どちらに?」
「ロスだ、UCLAの研究室に戻ってね」
―――彼等にとっては、それこそが世界だった。
1998年7月8日 0625 大分県宇佐市 国道10号線付近 第10軍団第42師団 第422歩兵連隊第3大隊
降りしきる大雨の中、黙々と敷設作業が行われていた。
国道の脇には対大型種BETA用地雷が、そしてその合間を埋める様に対小型種BETA用地雷が、延々と敷設されている。
「・・・なあ、おい、こんなので本当にBETAを防げるのか?」
「俺が知るかよ。 でも、大陸帰りの古参連中の話じゃ、結構有効らしいってさ。 満洲や半島でも、突進してくる進路に嵌れば面白いように吹き飛んだって」
「連中、ばーっと、突っ込んで来るだけだもんな」
作業中の兵たちが、小声で話しあっている。
冷たい雨、強い風、夜は明けたと言うのに、真っ黒な雨雲が立ちこむ憂鬱な状況。
ぼやいていないと、やり切れない。
「なあ、向うの土砂崩れ、どうするんだ?」
「工兵隊が反対側から、ドーザーで作業するってさ」
「倒木も?」
「らしいよ?」
「―――おい、そこ。 話すなとは言わん、だが手を休めるな」
横で黙々と作業を続ける古参の伍長が、顔を振り向きもせずに注意を与える。
まだ若い下士官だが、徴兵されて即、大陸派遣軍に歩兵として送られ、生還した男だった。 隊では小隊軍曹でさえ、一目置いている。
「生き残りたけりゃな、手間を惜しむな。 無駄になる事の方が多いけど、最後の最後で自分の命を救うのは、手間暇かけた細工だって事も多いんだ」
ポンチョから雨水を滴らせながら、それでも作業の手を休めずにそう言う伍長の姿を見て、それまで愚痴を言っていた3人の兵も作業に戻っていった。
『小隊本部班より、2分隊2班、進み具合はどうだ?』
無線から小隊軍曹の声が流れてきた。
「第2班、作業終了は10分後」
『了解した。 それと判っているだろうが、側道には入るな。 周囲にはクレイモア(対小型種BETA用指向性地雷)が山ほど設置されている』
「了解」
第10軍団が―――いや、第4軍が防衛線一体に長大な地雷原を構築し始めたのは、つい先刻になって本土防衛軍司令部からのトップ・オーダーによるものだった。
何故急に?―――そう思った将兵は数知れない。 まるで攻勢を一切放棄して、殻に籠るかのような態勢になった。
それが、国家間同士の思惑が介在した結果だと、考えつく者はいないだろう。
戦術核を撃ち込まない代わりに、少しでも長くBETAを今の範囲に拘束する。 そしてその時間で、防衛部隊を速やかに展開する。
米国はまるきり信じていないが、それでも国連安保理で太平洋方面総軍の指揮権を奪われる可能性について、日本帝国から譲歩を引き出せるメリットの方が大きい。
第2班の行っている作業は、その両国の綱引きが生み出した、ホンの片隅の、ホンの小さな結果だった。
やがて全ての作業を終えた第2班は、装甲車両に飛び乗る様にして乗車した。 乗り心地の悪さは最早定評がある軍用車両でも、せめてこの雨風だけは防ぐ事が出来る。
キャタピラを軋ませながら、後方の防御陣地内に退避したその後で、彼等は後日になって、後味の悪い事実を知る事になる。
1998年7月8日 0645 大分県宇佐市 国道10号線
『こちら“クロウ”、少し速度を落とします、“ラビット”宜しいか?』
先行する73式装甲車から、車輌小隊の小隊長である少尉の声が、無線から流れた。
「こちら“ラビット”。 “クロウ”、やはり、これ以上の速度は無理?」
『視界が利きません! 強風域の真っ只中ですよ! 雨も相変わらず強い! それにもう30kmも行けば別府湾です、1時間以内に到着します』
「判ったわ、ここまで距離を稼げば、ひとまずBETAの脅威は心配無いわ。 少尉、そのまま進んで」
『アイ、アイ、マム!』
1個小隊4輌の73式装甲車と、2輌の73式小型トラックから構成される小部隊は、それまで何かに急かされるかのような速度を緩め、ゆっくりした速度で前進を開始した。
車列の真ん中に位置する、73式小型トラックの助手席に座った久賀優香子中尉は、内心でホッと安堵をついていた。
「中尉、何とか別府まで行けそうですね・・・」
運転している女性下士官の伍長も、ホッとした声を出している。
後席に座っている、もう一人の部下である1等兵(女性、と言うよりまだ少女だ)も、体に似合わぬ11.4mm短機関銃M3A1を抱いて、ホッとした表情だ。
「・・・ほ、本当に、大丈夫なの?」
後部座席から、恐る恐る、恐怖が滲んだ声をかけて来る人物が居た。
民間人だ、まだ30代半ば程の女性だった。 隣には10歳前の年頃に見える少年が座っている。
「大丈夫です。 戦況情報は常に確認しております。 現時点で前線は最も近い場所で、ここから60km以上離れています。
途中には山間部も有りますし、万が一BETAが突進したとしても・・・ 2時間以上の時間がかかります」
「別府まで30分ですから! 2時間も有れば、豊後水道を随分と南下していますよ!」
怯える同乗者に説明していると、横からハンドルを握った女性伍長も、意識して明るい声で合いの手を入れてくれる。
最初、同乗者が女性将兵ばかりで不安がっていた同乗者達だったが、こう言う気遣いが出来る今となっては、逆にホッとしている様だ。
どうやら、軍上層部から降りて来たらしい唐突な命令。 小倉市南部で要人の家族を救出し、別府湾まで護送する。
身柄は既に、57師団の生き残り部隊が確保していた。 怯える彼等をなんとか宥め、命令によって臨時の警護小隊を編成して出発したのが1時間半前。
本来なら、師団の偵察部隊か、そう言った連中が適任なのだろうけれど、生憎と余分に戦闘要員を割く余裕はない。
その為に臨時編成されたのが、直接戦闘兵科では無い部隊から、無理やり都合を付けて抽出された人員で組織した混成警護小隊。
指揮官の久賀優香子中尉は、戦術機甲大隊の通信将校。 仕事は先任の通信幕僚(大尉)が肩代わりした。
他には補給隊、車輌輸送隊、通信隊、はたまた師団主計部の会計隊から人員を割いて、臨時警護小隊を編成した訳だった。
『こちら、“クロウ”です。 “ラビット”、前方に倒木、それに土砂崩れです!』
「迂回路は? 無いかしら?」
『500m程引き返した所に、迂回出来る県道が有った筈です。 どうします? 引き返しますか?』
「・・・そうしましょう。 どうやら専門の部隊じゃないと、手に負えなさそうだし」
前方に、かなり大きな倒木が連なって倒れている。 それにこの豪雨で地盤が緩んだのか、斜面が土砂崩れを起こし道路を埋めていた。
これでは、工兵隊でなくては手に負えない。 幸いさっき通り過ぎた脇道は、この先で迂回しながら別府へと繋がっていた筈だ。
迂回路に侵入して、10分も経った頃。 どうやら道路は1車線の田舎道から、片側2車線の広い道路に出てきた。
雨の勢いは相変わらず激しいが、少しずつ視界も明るくなって、恐る恐る走行しなければならない状況は過ぎたようだ。
久賀優香子中尉も内心でホッとした。 いくら緊急の命令とは言え、本来は畑違いの任務。 それに本当にBETAに襲われない保証など、どこにも無かった。
しかし、ここまでくれば本当に大丈夫だ。 この先には友軍が防衛線を張っている筈だった。 その先は、脱出の為の港が有る。
「少し遠周りになりましたが、あと20分もすれば別府湾です。 この先には 第10軍団の防衛網が有る筈ですし・・・」
そう言った時。 その声を聞いて、同乗者達が安堵の表情を浮かべた時。 突然の轟音と、運転手の女性伍長の悲鳴が同時に聞こえた。
「クッ、クレイモア(対BETA用指向性地雷)!?」
咄嗟に前方に振り向いた久賀中尉の視界に、先頭を走っていた73式装甲車が車体を蜂の巣にされて、吹き飛ばされる姿が映った。
『こっ、後進、全速! い、急げ!!』
「ひぃ!」
警護小隊長が搭乗する2輌目の73式装甲車が、急ブレーキと同時に全速後進をかけてきたのだ。
フロントガラス一杯に迫ってくるその姿に、運転手の女性伍長が悲鳴を上げる。
「バックよ! 伍長、早く!」
急ブレーキがかかる。 思わずその反動に、フロントガラスに頭部をぶつけそうになりながら、今度は73式小型トラックの急バックにまた体を持って行かれかける。
不意に後ろから、けたたましいドラム制動の音が聞こえた。 後続するもう1台の73式小型トラックが急ブレーキをかけたのだ。
そして突然の衝撃。 体ごと前に持って行かれる、そして迫りくる73式装甲車。
「・・・ひっ!!」
雨に濡れた路面のお陰で、ブレーキの制動力が低くなっているのも災いした。 完全に速度を殺せず、73式装甲車が緩やかな速度で前方から突っ込んだ。
「きゃあ!」
「うっ、くう!」
「ひい!」
衝撃と大きな衝突音。 その時だ、また何か乾いた音が聞こえた。 連続して。
『ぎゃ!』
『ごっ!!』
『クレイモアだ!!』
通過する時の振動では作動しなかったのか。 そして今回の衝突時の衝撃の振動を捉えたのか。
どうやら遠隔操作では無く、震動探知起爆に設定していたのか。 そしてこの道は、第10軍団の対小型種BETA用のキル・ゾーンだったのか。
ほんの一瞬の出来事。 その瞬間に、幾多の悲鳴が聞こえ、無数の破片とボール弾が車体を蜂の巣に変え、そして内部の人体を切り裂いた。
『・・・しろ! こちら第422歩兵連隊第3大隊だ、そこの車輌群、応答しろ!
そこは小型種BETA用のキル・ゾーンだ! クレイモアが山ほど設置してある!
引き返せ! 侵入は自殺行為だ! おい、聞こえているか!? 応答しろ!』
衝撃と同時に、何か生温かい液体が降り注いだ事は覚えている。 途切れがちになる意識を必死に保とうとして、久賀優香子中尉は僅かに首を回した。
運転席の女性伍長は、首から上が無かった。 ハンドルを握る両手首がぶら下がっている、両肘から切断されていた。
後部座席を辛うじて振り返ると、同乗者の女性は顔が半分吹き飛ばされていた。 全身もズタズタになっている。 その子供は上半身が無かった。
後部座席に居た1等兵―――思い出した、まだ16歳の少女の主計兵だ―――は、呆然とした表情でこちらを見つめていた。
いや違う、その目は何の光も宿っていない。 下半身が切断され、ズタズタのミンチになっている。
車内は酷い有様だった。 血糊が盛大にぶち撒かれ、あちこちに肉片がこびりついている。
身を起こそうとして失敗した。 バランスが悪い、ふと見ると右肩から先が無かった、骨が僅かに覗いている、出血も酷かった。
妙に視界が赤い。 音も聞こえづらい。 苦労して上半身を起こし、座席に背を預けてバックミラーを向けようとして・・・ 左手の指、3本が無い事に気付いた。
「はっ・・・ はっ・・・ はっ・・・」
息苦しい。 どうしてこんなに呼吸が苦しいのだろう? バックミラーを覗く―――右目と右胸に、破片が突き刺さっていた。
急に激痛が蘇った。 声にならない悲鳴を上げ、悶絶しそうになる。 体をよじる度に、全身に激痛が走った。
「ぐぎ・・・! ぎいい・・・!!」
『そこの車輌群! そのプレートナンバーは第9師団か!? 第9師団だな!? 応答しろ! クレイモアの振動検知は切った!
衛生隊が直ぐに行く、生き残っている者はいるか!? 応答してくれ!―――糞っ! こんな所で同士撃ちかよ!!』
誰かが、何かを叫んでいる。 でも、何を言っているのか判らない。
次第に痛みが和らいできた。 同時に意識が朦朧となってゆく。
「あ・・・ あな・・・ た」
薄れゆく意識の中で、夫が微笑みかけていた。
『ええ―――そうです。 連絡の手違い、いえ、混乱が生じました。
土砂崩れの処理は、第42師団(第10軍団)工兵連隊が処理中で・・・ あと15分もすれば通れる筈だったのですが。
警護小隊への連絡が、防衛線構築の混乱の中で遅れました。 その為に、わざと封鎖していなかった県道へ迂回して―――ええ、キル・ゾーンです。
戦死確認は、久賀優香子中尉以下、38名。 それに同乗の民間人が4名の、合計42名。 遺体? 無理です、余裕が有りません。 認識票と、民間人は身の回り品を回収するだけで・・・』