<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

Muv-LuvSS投稿掲示板


[広告]


No.20854の一覧
[0] 【短編】鴛鴦夫婦が産まれた日[しゃれこうべ](2010/08/06 19:32)
[1] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝 おとうさんといっしょ!![しゃれこうべ](2010/10/07 07:29)
[2] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝② いっしょにおふろ!![しゃれこうべ](2010/10/03 03:00)
[3] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝③ いっしょにおるすばん!![しゃれこうべ](2010/10/07 11:28)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[20854] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝③ いっしょにおるすばん!!
Name: しゃれこうべ◆d75dae92 ID:3509043c 前を表示する
Date: 2010/10/07 11:28
2024年4月26日金曜日。新横浜市、新柊町。



間もなく時計の針は夜12時を刺そうとしている。
夫も息子も寝静まった自宅の居間で、白銀純夏は一人、何時もの日課を行っていた。

千鶴に貰ったぐるぐる眼鏡で落ちた視力を補う。
テーブルの上には男二人の衣類と、愛用の裁縫箱を置く。
準備が整うと作業開始。
純夏は糸の通った縫い針を、待ち針を刺した洋服へと通し始めた。
思わず笑みが零れる。

――今日も随分痛んでるなあ。

そう思いながら、愛する夫と息子の洋服を丁寧に繕っていく。



夫、武が帰ってきてから、この繕い物は多くなった。
何しろ毎日、男二人で連れ立って何処かへ出かけては泥だらけ、傷だらけになって帰って来るのだ。
夫から詳しくは聞いていないが、息子まりもを鍛える為の特訓なのだろう。
恐らくチャンバラをしたり、格闘技の練習をしたり、走りこみをしたりしていると思われる。
当然、そういうことをしていては洋服の痛みは自然と激しくなる訳で。
その後片付けは全部、母親である自分に回ってくるのだった。

まあしかし、純夏にとってこれは負担でもなんでもなかったりする。
実際、繕い物をする彼女の表情は、とても和やかで楽しそうだった。


――いいなあ、こういう生活。

時計の音だけを聞きながら黙々と針を動かしているこの時間、純夏はいつもそんなことを考えている。
本当に夢みたいな話だと、純夏は思うのだった。

自分も家族も健康で。
家族は皆、仲が良くて。
自分は毎日愛する夫と息子のご飯を作って、服を整えて…。

昔は”あんな状態”だった自分が今、こんな普通の生活を営めていることがどれほどの奇跡なのか。
火星なんて遠い場所で戦い続けていた夫が、五体満足で帰ってきたことがどれほどの幸運なのか。
それを思えば不満など出ようはずもない。

今の生活は、白銀純夏が鑑純夏だった昔から、どんな世界においても夢見ていた将来像そのもの。
過酷な運命を与えられながらもそれを得られたことに…そして、得ることを許してくれた人々に感謝しながら、
純夏は一人の静かな時間を過ごしていく。



――けど、なぁ。

けれどこの日ばかりは、穏やかだった純夏の顔が急にむくれた。
その視線は手にしている品物からすいーーっと泳ぎ、壁にかけてあるカレンダーへと移った。
4月を告げるカレンダーはその大半がバツ印が埋め尽くされている。
その中で、まだバツのつけられていない最も新しい数字が目に留まった。


――4月26日。

今日の日付である。…いや、つい先ほど27日の土曜日を迎えた。
あと4日過ぎればもう5月。
つまり武に与えられていた1ヶ月の休暇は、残り4日しか残っていない計算になるではないか。
それが終われば夫は家を発ち、任務に戻る。
今度のは講演やら何やらで世界中を堂々巡りするという、英雄様専用任務らしい。
命の心配をするような任務ではない分、不安は以前とは比べ物にならない程少ないが、
それでも家を空けられると寂しいことに違いは無い。

まあ、その事自体に愚痴は言うまい。しょうがないよ。お仕事だから。


――けど、なぁ…!!

思わず拳に力が入る。
生まれる葛藤に、全身がぶるぶると震え始めた。
その時ふいに、握り締めた裁縫針が彼女の指に刺さり、小さな赤い膨らみを作ってしまった。


「痛っ…!」

すぐに針を手放し、血を舐めとって絆創膏を巻く。
幸い、衣類に血が付いた様子は無くて安堵する。


「あう……、あたた………。ふぅ…」

溜息をつき、純夏は一人項垂れる。



――そりゃあ、嬉しいよ。幸せだよ。これ以上幸せを望んだら罰が当たっちゃうよ。けど、けどさ…。 

強く閉じた瞳に、じわりと雫が浮かんだ。



――たった一回もデートせずにこのままお別れって、あんまりじゃない!?

それが口に出せない女としての本音。
一度別れれば何年も会わない…もしかしたら二度と会えなくなるかもしれない夫婦生活をずっと続けてきたのだ。
そこへようやく、夫が無事に帰ってきた。
また出て行くのなら、その前に二人で…せめて1日でも、二人きりでゆっくりしたいじゃないか。
そんな願望が純夏の心を縛り付けていたのだ。

けれど純夏は思わず声にして吐き出してしまいそうになるのをグっと堪える。


――この感情は、夫と息子に悟られたくは無い。


…そりゃあ、あの夫と息子のことだから、ある程度の我侭は聞いてくれるだろう。
デートしようよと言えば、武と二人きりになれる時間を作ってくれることは間違いない。
けれどこの1ヶ月は、息子にとっては父に教えを請える貴重な時間でもある。
夫も出来るだけ、息子に付き合えるだけ付き合ってやりたいと考えているはず。

ぶっちゃけ武が退役すればデートなんて幾らでも出来る訳で、この休暇中のデートが
息子の貴重な時間を削ってまでする程のことかと考えれば、ここで女の我を張るのは罰が悪かった。


「……ダメだなぁ。私、弱くなっちゃったのかなぁ」

涙を浮かべたままぽつりと呟く。

「ちょっと前までは、何年会わなくても大丈夫だったのになぁ…」


少なくとも2ヶ月前までの純夏は、この程度のことで涙を見せる女ではなかった。
火星戦線は苛烈を極め、何時突然夫の訃報が届くかも知れぬ恐怖の中で、純夏は強く我が子を育てていた。
それが久々に夫に会ったらこの体たらくだ。

以前なら武が命の危険性が無い任務に就くというだけで、純夏には何も望む物は無かったはずなのに。
今は「おはよう」から「おやすみ」まで一緒にいられる環境にありながら、尚二人きりの逢瀬の時間を望むなんて。
人はつくづく、何処までも貪欲に出来ている生き物だと実感させられる。
我ながら…情けないと思った。


「はぁ……」

大きく溜息をつく。
自責の念にかけれてる内に身体が脱力しきって、もう縫い物をする集中力すら無くなってしまった。


「もう寝よ」

任務を放棄したまま敵前逃亡……家事の鬼らしからぬ行動だと思いつつも、
これ以上ここに居てもやる気が起きないので、品物を放り出したまま片付けもせずに席を立ってしまった。





洗面所で顔を洗った。
涙の跡を消し「いつも通りの自分」を作ってから、夫婦の寝室の襖を開ける。

照明の消えた畳部屋の中には横に並んだ布団が2つ。
手前の布団では夫が寝息を立てているので、起こさないようにそろりそろりとその枕元を迂回し、
純夏は自分の布団へと滑り込む。



(タケルちゃん…)

隣の布団に目をやると、向こうを向いたまま寝息を立てている武の後ろ姿がある。
こんな近くにいるのに何故か遠く感じてしまう夫を想い、純夏も瞳を閉じた。

と、その時。
暗闇の中、純夏は自身に迫る何かの気配を感じ取った。
咄嗟に目を開け、即座に確認しようとする。
しかし、それは純夏にその間を与えはしなかった。
2つの布団の境界線を破ってきたそれは、純夏に覆いかぶさるように急速接近。
そして…たちまち純夏の布団を剥ぎ取るや、寝転んだまま純夏を後ろから抱きしめた。


「タ、タケルちゃん…!?」

純夏はびっくりして、思わず声を上げる。
それは「起きてたの!?」と問うように発せられた。
さっき見た限りでは、武は襖の方を向いて爆睡していたはずなのだが。

…ぎゅっ。

答えは無言の抱擁で返された。
力の入れ具合は、離さず、されどきつ過ぎず……優しく包み込むようにして、後ろから純夏を優しく抱きしめる。
それで、寝ぼけての行為ではないと純夏は知った。
突然のことに戸惑いつつも、前を向いたまま純夏は口を開いた。


「ど、どうしたの。いきなりこんな…」
「元気、無いな」

純夏を後ろから抱きしめたまま、純夏の耳元に口を当て、低めのトーンで武は言った。
純夏はそのままの態勢で「そんなことないよ」と返す。
にっこり、穏やかに、何時もの口調でそう言ったのは純夏流の強がりだ。

「どうしていきなりそんな事。変だよタケルちゃん。私は何時だって元気元気だよ?」
「悪かったな。俺のせいだろ」
「っ!!」

だがそんな純夏の小細工を物ともせずに…、武は的確に突いて来る。
日頃女心に鈍感なこの男は、こういう時だけ、極たまに鋭い洞察力を発揮した。
すると、純夏の先ほどまでの作り笑顔が嘘のように崩れ始めた。


「なんで、そんな……」

このモードを使われると純夏は脆かった。
いかに強さを装ったとしても、この武の前でだけは本意を表してしまう。
せっかく顔を洗って作ったいつもの顔は、また涙で濡れてしまった。

それでもなお我を張ろうとする純夏の頬を伝う雫を、武はそっと拭った。
そして手を下に降ろすと、優しく純夏の右手を取る。
そのまま確かめるように純夏の手の平まで伸びて、更に先へ……やがて、指に巻かれたそれに届いた。
その感触を確かめながら、「やっぱり」と零す武。

「これ、何だよ」
「何って…絆創膏だよ。さっき縫い物に失敗しちゃって」
「お前らしくないミスだよな」
「誰だって失敗くらいするよ。そのくらいで元気が無いとか言ったら、元気が取り得の私に失礼だよ?」
「もういいから。俺が悪かった」

妻の指を取っていた手を離すと、またぎゅむっ、と彼女の身体を抱きなおした。


「考えてみれば、まりもにかまけてばかりで、お前とは全然出かけたりしてなかったな。気遣ってたんだろ」
「…何時から?」

そう問う妻の声は少し震えていた。
それに武は、少し気まずそうに「今」と答えた。


我ながら情けない、と武は思う。
武が彼女の異変を感じ取ったのは本当に今しがたなのだ。


――妻が枕元を通り過ぎる足音が、いつもより少し軽かった…気がした。

――妻が布団に入る動作に、ほんの少しだけ焦りを感じた…気がした。

――妻が横になった時、掛け布団の上がり下がりが、いつもより少し早かった…気がした。


いつもは彼女が何時布団に入ったかも分からないほど深く寝入っているというのに。
今夜ばかりは武は本能的に「何時もと違う何か」を察知し、それが真夜中の覚醒へと導いた。
そして咄嗟に何かあると……その理由、凱旋してから1度もデートをしていないことを思い出した訳だ。


「ごめんな」
「い、いいよそんなの。今はまりもちゃんの面倒見てあげてよ。あの子、毎日タケルちゃんに
特訓して貰うのが生き甲斐みたいになってるし」
「そうはいかない」

武は純夏の身体を自分の方へと向かせる。
自然と彼女と顔を付き合わせる形になり、そのまま武は強引に純夏の唇を奪った。

(えええ!?ちょっと、待っ…!!んんん…!!)

抵抗は許さない。
一方的に武の舌が純夏の口内につっ込まれる。
戸惑う純夏は身体を揺らすが、がっしり抱かれた今の状態では何の抵抗にもならない。

(タケルちゃん…、どうして………あっ……)

次第にそんな疑問がどうでもよくなっていく。
夫が、必死で自分を求めている。応じてくれと言っている。


――いいよ。分かった…。

答えはすぐに出た。
武の舌の動きに合わせ自分の舌も動かし、絡めていく。


――んんっ……。

武のキスは、はっきり言って上手くは無い。
が、その強引さと愚直な舌使いが、純夏はむしろ好きだった。

艶やかな喘ぎ声の後に続き、唾液の混じる水音が聞こえてきた。
暗く静かな寝室に、欲望のままに互いを貪る激しいキスだけが響いた。





――こいつを選んで良かった。

そんなことは武にとっては今更過ぎることではあるのだが、ここ1ヶ月家にいることで改めてそう思った。
こういうのを惚れ直した、と言うのだろうか。


振り返ってみると、武が家にこれほど長く滞在していた時期は、かつて無い。
何年にも及ぶ地獄のような火星戦役を戦い抜いたことで、ようやく得られた安息であった。
で、武にとっては初めて家の様子をゆっくり見られる日々が訪れたのだが、
小まめに手入れの行き届いた家や庭先の節々から、「いつ武が帰ってきても大丈夫なように」という、
純夏の強い愛が伺えた。
死線を潜り抜けて帰って来る価値があったと思わされる場所なのだ。

何より嬉しかったのは、息子のまりもが真っ直ぐに成長してくれていることだった。
息子は不器用ながらもしっかりと自分の中に芯を持って、目的に向かってひたむきに生きている。
よく女手でここまで育ててくれたと…こればっかりは本当に、純夏にいくら感謝してもし足りない程だ。

息子は、出征の度に大きくなって帰ってくる父にコンプレックスを持っていたが、
久々に会った時に相手の成長を実感するのは、父である自分にとっても同じこと。
手合わせする際に着実に成長している息子を見て、「何時抜かれるかな~」なんて、
内心冷や冷やしつつも楽しみに思うこともあった。


ただそこで、「そっち」に暴走してしまうのが武の地と言うか…ハメをはずし過ぎてしまうのが悪い癖である。
師匠達に教えられた基礎訓練を飽きるほどに繰り返している息子は、自分が更に鍛えれば目に見える程の速度で伸びた。
実際、この一ヶ月でも見違えるようになっている。
それが父親として楽しいやら嬉しいやらで、ついつい息子との鍛錬に時間を使いすぎてしまった。

今までの妻にかけた苦労、心労を鑑みれば、せめて4月の半ばくらいまでには言っておくべきだった。
食事でもなんでもいいから、「二人でどっか行こう」…と。
その程度のサービスを妻に提供するのは当然のはずなのに、思い至ったのがつい先ほど…というのは、
昔の武よりはマシにせよマヌケな話である。


――ごめんな、純夏。

長く激しいキスの最中、武は愛しい妻を抱きかかえながら、もう一度心の中で謝った。





「明日、っていうか今日から3日、どっか行こう。二人っきりで」

長いキスを終えた後、暗闇の中で妻をじっと見つめた武は、ハッキリとした口調でそう言った。

暗闇の中でも、純夏にはその武の表情がよく見えた。
少し謝罪の念を含んだ優しい瞳で、誠意を込めて、自分を誘ってくれていることが分かる。
しかし、躊躇無く首を立てに振りたい……そんな自分を、純夏はぎりぎりで押し留めていた。


「タケルちゃん…、私の方こそごめん。毎日一緒にいられるだけで幸せなのに。私、贅沢になってる」
「謝るのはこっちだ。お前には心配と苦労かけてるってのに」
「で、でも、まりもちゃんは…」
「アイツだってもう子供じゃないんだ。お前の…っていうか俺たちの事くらい察してくれるだろう。
俺だってたまには、お前と二人きりでのんびり遊びに行きたいしさ…」

「な?」と覗き込むように自分を見入ってくる武に…純夏は、瞳を潤ませると、
先ほどされたのと同じくらい熱いキスをお返しした。

「おい、すみ………んっ…」

暖かい褥が重なる。そして積極的に迫ってくる純夏の舌。
それに武も全力で応える。
自分の舌を思い切り絡ませて。
ちゅぱちゅぱと、わざと大きい音を鳴らして。
彼女の望み通り、思い切り純夏を貪り返してやった。


(あん……タケルちゃん…、タケルちゃんっ…!!)

すぐ近くにある純夏の瞳が、とろけ切っていくのが分かる。
多分自分も同じような顔をしているだろうな、と武は思いつつ、
邪魔の入らぬ二人の時間を存分に堪能した。


――んっ…んんん……。あっ…はふぅ……。


長いキスを終えた二人はゆっくりと唇を離していく。
互いの顔がはっきり見えるようになるに従い、二人の間にかかっていた唾液の橋が
だんだん細くなっていって、やがて名残惜しげにぷつりと切れた。

二人は身体は密着させたままで、先ほど剥がれた純夏の掛け布団を二人で被った。
狭い布団の中で温もりを共有しながら…今度は純夏から武に抱きついた。
逞しい胸板に顔を埋める純夏を、武は優しく抱き返す。
愛しい夫の胸の中に抱かれて眠る……そんな、これ以上無い程の幸せの海に沈んでいく純夏。
しかし、そんな時だった。


「え?タ、タケルちゃん…?」

ふいに武の手が胸まで伸びてきた。
わざわざ純夏のパジャマの前ボタンまで解いて、弄る様に中へ…。

「ちょ、ちょっと、やだよ…」

せっかくの興が削がれ、不機嫌になる純夏。
いやいやと抵抗し、武の腕を追い出そうとする。
が、武も諦めが悪い。

「いいだろー別に」
「だって、恥ずかしいよ…。私の身体だって、もう若くないんだし……こんな…」
「どんな風になっても純夏は純夏だろー。今更言わせんなよな。俺は純夏の胸を直揉みしたいんだよ」
「やぁだぁっ…!!」
「おい、布団の中で暴れんなっ!!」

じたばたする純夏の身体をなんとか押さえ込もうとする武。
しかしその武の身体に、零距離からのどりるみるきぃぱんちが叩き込まれた!


「ぐおおおおおおおおおっ!?」

布団から勢い良く吹っ飛ばされた武の身体は、立てかけてある卓袱台にぶつかった。
足のカドの部分がちょうど頭に当たって痛い。凄く。


「い、痛え…!! 純夏、てめぇ…!!」
「タケルちゃんがえっちなのがいけないんだよ!!もう!!」

そう言って肌蹴たパジャマのボタンを丁寧に綴じていく純夏。
なんだか知らないがその態度が武の本能に火をつける。

「うがーっ、そんなこと言うと今夜は寝かさねぇぞ、俺はえっちだぞ、朝までやっちゃうぞ、
まりもの弟が出来ても知らないぞ、名前考えとけよ、覚悟しろよてめぇ!!」
「うわぁ最低! 人のお布団に勝手に入ってきた上に何言ってんのさ!! このえろおやじ!!」

「むきーっ」と声を挙げ、追撃とばかりに武に向けて枕を投げる純夏。
それを「へん」、と鼻で笑いながら受け止めて純夏に投げ返す武。
顔に直撃され「ぎゃふん!」と声を挙げる純夏。
それを見て「ざまみろ」と笑う武。
今度は枕を2つ同時に持って、「ふんぬーっ!」と投げる純夏。
枕はどちらも当たることなく、武は「下手くそ」と揶揄する。

息子や霞が見たら呆れるに違いないであろう、大人気ないことこの上無い枕投げ大会が
本人たちの意識もしない内に勃発し、それは十分くらい続いた後急速に収束していった。



「はぁ……はぁ…」
「ぜー…ぜー…」

戦場の跡地には、せっかくお風呂に入ったのに汗だくになってしまったおバカな夫婦が、
息を切らしながら立っている。

「なんか、無駄に疲れたよね…」
「ああ…」
「おとなしく寝よっか…」
「そうだな…」

昔は毎日こんなバカ騒ぎをしても、汗ひとつかかなかったのに。
時間の経過を実感しつつ、二人は元の鞘に……身体をくっついて、一緒にお布団を被った状態に戻っていく。


「…ふふっ」
「何が可笑しいんだよ、純夏」
「今の、懐かしくて。学生時代はよくああいう馬鹿なことやったよね」
「ああ…『元の世界』じゃな」
「けど、凄くない? 『この世界』でこんな馬鹿やれる余裕が出来るなんて、昔は思いもしなかったもん」
「皆のお陰だな…。数え切れないくらい大勢の人々のお陰だよ」
「タケルちゃんもその一人だよね」
「お前もな」

互いに微笑み、ぎゅっと相手の手を握る。
そうやって互いの存在を確認する。
そして「タケルちゃん」、「純夏」と名を呼び合うと、狭い布団の中二人は抱き合った。



「…で、話戻すけどさ、純夏は何処行きたい?」

純夏を抱き入れた時、武はようやく話の本筋を思い出した。
デートに行く話は持ち出したが、具体案が何も決まっていないのだ。


「うーん…2泊3日なら温泉に行きたい……かな」

自分がやっぱり贅沢なことを言っている、と考えているらしい純夏は少し気まずそうに本音を言った。
ここで嘘をつくのは武に失礼だし…けれど、やっぱり少し後ろめたい。複雑な心境だった。

それに対して、「ほう」と頷く武。
振り返ってみると、武と純夏は温泉に縁深い付き合いをしているなあと思った。
『元の世界』で結ばれたのは温泉だった。
『こちらの世界』で行った新婚旅行先も温泉だった。

特に今となっては、新婚旅行を含めたあの2004年から2005年の年末年始の日々が良い思い出だ。
あの時はTV中継を通して日本中の人達に送り出して貰って、温泉宿のスタッフの人たちにも祝って貰った。
滞在していた一週間、旅館と周辺の観光地でずっと二人でイチャイチャ過ごし。
横浜基地に戻ったら、愉快な仲間達からこれまたご大層な出迎えと祝辞を受けて。
ラダビノット司令と夕呼先生の指揮の下、基地メンバー総出で結婚式の段取りが終えられてて……
二人は桜の木に眠る先輩や同僚達に新年の挨拶をした後、そのままなし崩し的に結婚式を挙げてしまった。


お年始会と披露宴がごっちゃになった凄まじいパーティはその日一日横浜基地の機能を停止させるに至ったが、
これ以上無いくらい楽しく幸せな年末年始だったと記憶している。

実を言うと一度は破局寸前まで行ってしまった、非常に危険な年末でもあったのだが…まあ結果オーライ。
あの時掴んだ幸せは、まだこうして腕の中にある。
その有難さを再確認する為にも、夫婦の絆を深める為にも、日頃の妻の頑張りに応える為にも。
ここはリクエストに全力で応えるべきだと武は判断した。


「じゃあ、新婚旅行で行った東北の温泉行くか?」

武は純夏の頭を優しく愛でながら言った。
純夏は思わずきょとん、とした表情を浮かべて、「…いいの?」と問い直す。


「どうなんだよ」

そう押されたら純夏に断る理由などあろうはずも無く。 

――うんっ。

武の魅力的な提案に純夏は笑顔で頷いた。
二人のデート先はこれにて決定。
そうと決まれば、二人とも明日は早く起きねばなるまい。
旅行に行く準備は出来ていないし、
純夏は居間に残してきてしまった仕事を片付けてしまわなければならないし。


「じゃあ、そろそろ寝ようか純夏」
「うん。おやすみ、タケルちゃん」
「おやすみ純夏。愛してるぞ」
「私も。大好きだよ、タケルちゃんっ」

今宵最後のキスを軽く堪能し。
二人はそのまま仲良く寄り添いあって、1つの布団で穏やかな寝息を立て始めた。








マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝③
====いっしょにおるすばん!!====








夜が明けた2024年4月27日土曜日。新横浜市、新柊町。白銀家居間。

時計の針は午前11時を刺していた。



「…という訳で親父とオカンが朝から出かけちゃったらしくてさ。今は誰もいないんだよな」
『随分長い前置きでしたね…』


俺…白銀まりもが9時頃に目を覚まして居間に降りた時、居間に両親の姿は無かった。
紙切れに「29日まで温泉に行ってきます♪」と可愛い字で書置きを残し、ドロンしていたのである。

その時俺は親父とオカンの意図に気付いた。

――親父を超えたくて焦ってたせいか、ここ暫く自分のことばっかだったなあ。

とりあえず心の中でオカンに詫びた。
そして、思い切り楽しんで来て欲しいと空を見上げた。
とりあえず霞姉にも知らせておこうと思って、横浜基地に電話をかけてみたのはその後のこと。


霞姉は夕呼先生の実験の手伝いが忙しいらしくて、ここ暫く街には降りてきてはいない。
電話に出て貰えるかの確証は無かったが、運よく繋いでもらえた。

俺が親父とオカンが二人で温泉に言ったことを知らせると、霞姉もほっと胸を撫で下ろした感じだった。
霞姉も、内心オカンの様子を心配していたようである。

『純夏さんも息抜きができたようで安心しました』
「そうだなあ…。よく考えたらこの一ヶ月、俺が親父を独占しっぱなしだったんだなぁ」

自分のことばかりでオカンの気持ちに気付いていなかったことを、反省する。


『今後はまりもさんも、少し気を配ってくださいね。純夏さんはああ見えて抱え込む方ですから』
「うす。反省してます」

そこで、この話は終わり。
俺は話題を切り替える。


「ところで霞姉、今日とか街まで出て来られない? 一人じゃ寂しいからさ、一緒に昼か夕飯でもどうよ」
『すみません。実験の方があと数日かかりそうなので…』
「そっか。忙しいところごめん」
『いえ、それでは』

またね、と挨拶して電話を切る。
夕呼先生にコキ使われている時の霞姉に、まともな暇は与えられない…。気の毒な話だ。
今の電話の分の時間だって、夕呼先生がくれたにしては珍しい方だろう。
あのオバサンもそろそろ歳の癖に元気なもんだ、と思う。

ともかく一緒に飯時を過ごしたい候補No1が消えてしまったので、次の人材を探さねばならない。



「仕方がねえ。という訳で、お前で我慢するとしよう」

数分後には、俺は向かいの幼馴染宅の玄関前にいた。
ドアを開けた平慎太郎君は呆れ顔でこちらを見ている。

「…いきなり訪ねて来たと思ったら随分なご挨拶だな、まりもちゃん。どうしたんだ?」
「実は今日からうち親がいなくてさぁ。霞姉も来られないってんで、一緒に飯食う奴がいなくてよ。
どっか食いに行かねぇか?」
「そういう事か。俺も用事があるんだ。悪いな」

慎太郎はこの男らしからぬあっさりとした断り方で、俺を振りやがった。


「何ぃ!?何の用事があるってんだよ!?」

こいつも軍人を目指してるだけあって、日頃からコツコツ勉強をしている口だが、
まさか飯すら抜いて勉強している訳ではあるまい。
今こうして家にいるこいつが、俺の誘いを断るというのが、気に食わなかった。

「いやあ、すまねぇな。せっかくの三連休だから、俺も出かけようとおもってさ」

確かによく見ると、今日のこいつの服装は滅多に着ないブランド物のTシャツだ。
お出かけする、というのは間違いないようである。

「何処へだよ!?」
「申し訳ありません白銀殿。私が先約で御座いますので、ご容赦下さいませ」

高貴な女性のお声が伝わってきたのはそんな時だった。


――えっ!?

俺は声のする方…背後を振り向くと、一人の品の良いお嬢さんが丁寧に頭を下げていた。
身に着けているのは薄い朱の和服。帯の膨らみは武門の証の短刀か。
腰まで降りたサラリとした緑髪に、引き締まった顔つきの凛々しい少女だった。
何処と無く真那おばさんに雰囲気が似てて……。
その人は俺に一礼すると隣を通り過ぎ、慎太郎に歩み寄ってまた頭を下げた。

「ご無沙汰しております慎太郎様」
「やあ真愉ちゃん久しぶり。元気だった?」
「はい、お陰様で。お忙しい中、楽しいお手紙を何通も頂きありがとうございます」
「いやいや~。真愉ちゃんと文通するの楽しくて。つい何通も出しちゃうんだよね」
「まあ、慎太郎様ったら」

口元に軽く手をあててくすくす、と品良く笑う少女。
……ってこの人、例の慎太郎の彼女じゃん。帝都住まいの月詠さん。真那おばさんの親戚筋の女の子だ。
真愉って言うんだ。


(…それにしても)

親友の彼女と知りつつその綺麗な顔と引き締まったボディラインには、思わず目が行く。
本当にこの娘は15歳なのだろうか?
その美しい姿に逆上せてしまった俺は、頭をぽりぽり掻きながら「あ、どうも」とぎこちなく挨拶した。

「ちゃんと話するのは初めてですよね。真那おばさんには剣術でお世話になってます。白銀まりもです」
「月詠真愉と申します。こちらこそ、白銀殿のお父君には叔母がよくお世話になったと申しておりました。
白銀殿は今はお父君から稽古をつけられている故、再開した時どれ程胆力がついているか楽しみだとも…」
「いやあ、まだまだ若造ですよ、はっはっは」

初対面の挨拶なので、当たり障りの無い軽い会話で俺達の話は終わった。
月詠さんは俺と話し終えると慎太郎に向き合って外出を促す。

「それでは慎太郎様。表通りに車を待たせております故、参りましょう」
「ああ…。そういう訳でまりも。俺はこれから月曜まで帝都行ってくるからさ。じゃな」

出かける準備はとっくに終わっていたらしく、慎太郎はショルダーバッグを下げると月詠さんの手を取った。
「帝都土産買ってきてやるよ」と友は言い、その彼女は「失礼致します」と頭を下げる。
我が親友は五摂家分家のご令嬢の手を引いたまま、住宅地の角を曲がり…表通りの方へ消えていった。


「…って、待てよおい」

それは呼び止める一言ではなく、落ち着くための独り言だ。

月曜までって…ひょっとして泊まり?
月詠さんのご実家に挨拶とかすんの?
玉の輿?
確かに軍人目指すならそっち方面のコネあった方がやりやすいかもだけど……。
色々な疑問が頭の中を巡る。

「…まぁけど、それは俺が知ったこっちゃない」

平慎太郎君が将来に備えて帝国軍にコネを持つかどうかなんて話は、今はどうでもいい。
重要なのは、我が親友は彼女とイチャイチャ連休を過ごすのに、俺はロンリーだということである。


――うがー、腹立つ。

腹が減っている上に腹が立つとは二重の苦しみ。
ややブルーになってしまった俺は、すごすごと向かいの自宅に引っ込んだ。





「うげっ。何も無いじゃん」

外食に行く気の失せた俺は家の冷蔵庫を探してみるが、生憎、碌な物が見つからなかった。
小麦粉、卵、とろろいも……どれも合成品の安物である。

俺のオカンは、かの伝説の料理人と呼ばれた京塚曹長の弟子だった。
扱いが難しいと言われる合成食材を駆使し親父の好物を全て作れるオカンの腕は、日本でも有数と言って良い。
幼い日よりオカンの隣で手伝いをしていた俺もその技術の片鱗くらいは習得しているつもりだが、
材料がこれだけでは腕の振るいようも無い。

「んー、スーパーまで行って弁当でも買って来るかなあ」
「確かに材料がこれだけでは心もとない」
「そう思うでしょ。朝食ってなくて腹減ってるのに」
「こういう時、何を作るべきかは相場が決まってる」
「言わなくていいですよ、あれでしょ、ヤキソバ」
「ほう、その答えに行き着くとは。まりもも少しは成長した」

…成長も何も。
あんたは食べ物の事で口を開けばそればっかりでしょう。
普通にお腹が減っている時はヤキソバ。
運動で疲れた後もヤキソバ。
お客さんが来た時に振舞うのもヤキソバ。
親父に、この人はヤキソバさえあればこの世を天国と思える人だと聞いたことがある。

「まったく…ヤキソバヤキソバって…」

ん?

そう呟いたところで、冷蔵庫を漁る俺の腕が止まった。
俺は今、誰かと話をしていたような気がする。
だが今この家に親父とオカンはいない。
ということは、二人以外の何者かが俺に語りかけてきたことになる。
俺の知り合いで…ヤキソバと言えば……。

「まさかッ!?」

驚愕の瞳で俺は声の方を向く。
そこにいたのは…。


「やっ」

黒のショートカットのおばちゃんが、目を棒のようにしてやる気の無い挨拶をしてきた。

――お慧おばさん。
親父とオカンの旧友の一人である。





「で、何しに来たんですか?」

食卓に向かい合って座り、お茶を煎れてそんなことを問う。
お慧おばさんは一口お茶を啜ると、投げやり気味に

――道に迷った。

と返してきた。


「それ嘘ですよね」
「どうかな」

無駄にニヤニヤしながらお慧おばさんはそう返してくる。
この人はどうしてすぐに嘘だと分かる嘘をつくのだろう?
この人とは俺が生まれた時から…つまり16年来の付き合いな訳だが、未だにこの人のつく
意味の無い嘘のような冗談のような戯言が理解できない。

まあ、そのことで今まで何度もつっ込んだがまともな答えを返した貰ったことが無い以上、
ここでもう一度それを聞いたところで無意味であろうことは予測できるので、そこはスルーすることにした。


お慧おばさん、冥夜おばさんを始めとする両親の親友達は、俺にとっちゃ第二の母親みたいな存在だ。
昔は暇さえあればやってきてオカンを助けて、俺の面倒を見てくれた。

けど俺が小学生に上がる頃から頻繁には来なくなって、たまに剣術や体術で教えを受ける以外には
会うことは少なくなっていった。
結婚する人もいたし、軍に復隊する人や外交官や政治家になる人もいたりして、
俺にかかりっきりという訳にはいかなくなっていたのである。

お慧おばさんは30代に帝都住まいの軍人さんと結婚して、今じゃ主婦になっている。
息子の翔(カケル)君は今年で6歳……つまりこの6年間のお慧おばさんは出産と育児に手一杯だった為、
話す機会はそれこそお正月やお盆くらいしかなかった。
それが今日、翔君も連れずいきなり現れたというのは、ちょっとしたサプライズである。


「本当に何の用ですか?」
「子供を旦那に任せて、たまにはまりもを揉んでやろうかと思った」
「え?」
「師匠としてちゃんと伸びているか確かめてやる」
「ええ!?」


不満という訳ではない。
師匠が自分の成長具合を見る為にわざわざ時間を作ってきてくれた、というのはとても嬉しい。
が、ノリ気がしないのも事実である。

「…嫌なの?」
「いやぁ…だってお慧おばさん、ここ数年まったくやってないんでしょう。怪我でもしたら大変ですよ」

ただでさえ大変な時期なのに、下手なことになったらおじさん(お慧おばさんの旦那さん)や翔君に
面倒かけることになるじゃん。
俺は親父には及ばないまでも、自分で分かるくらいには伸びてる訳で。
天性の技量ではお慧おばさんに及ばないとは分かってるけど、おばさんだってピークは過ぎてるはずだし、
5年以上もやってなければ体力も勘も鈍ってるはずだ。
心遣いはありがたく頂くも、組み手のお誘いは丁重に断った。

…が。
それがスイッチを入れてしまったようだった。


――まりもは、私が年寄りだから相手が出来ないと言ったのか?


そう言ったお慧おばさんの全身から凄まじい闘気を感じる。
ギロリと鈍く光る眼光は、得物を見つけた鷹のそれと同じだった。
泣く子も黙ったという言い伝えられる国連の鬼戦隊、伊隅ヴァルキリーズ。
その中でも白兵戦最強を誇ったバケモノが、現役時代のオーラを纏ってそこにいた。
俺は今の一言が余計な火をつけてしまったようだと直感し、必死で火消しに回ろうと思ったが遅く…。


「ち、違いますよ!別にそういう訳じゃなくってですねぇ」
「まりも、お前死刑」

据わった目つきでバッサリ斬られた。


「ちょっ…話聞いてくださいよ!!」

聞いてくれる訳が無かった。
お慧おばさんは黙って席を立つと俺の腕を掴み、椅子から引きずり降ろし、
そのまま関節技をキメて来た…!!


――痛い、痛い、痛いですって!!

流石というかなんというか…。
体力では俺が圧倒的に上になっているのに、見事にその差を殺すような見事な技を披露される。
俺はまったく身動きが取れないまま、まな板の上の鯉のごとく、身体を揺することしかできなかった。
その俺に向けて、お慧おばさんの厳しいお言葉が突き立てられていく。



――覚えておけまりも!!

――BETAにとってはこっちが子供だろうと年寄りだろうと関係無い!!

――敵はこちらが何をしていようが構わず襲ってくる!!

――お前に名前をくれた人もそれで死んだ!!

――やるかやられるかが、戦場の掟…!!  

――軍人を志すお前にそれを叩き込む!!




「わ、分かった、分かりましたから! やります、組み手やります!」


――だからギブ、ギブ…!!

そう言って床を叩く俺。
しかし鷹の瞳に揺るぎは無い。


「BETAとの戦いにギブアップは無い!! 諦めた時は死あるのみ!! 戦いを舐めるなっ!!」

――うぎゃああああああああああああ!!


その時の俺の悲鳴は、住宅地中に響き渡っていたと、後日お隣のおばさんが教えてくれた。





「いやー、40過ぎると流石にもう無理だね。参った参った」

身体から湯気を立たせながら、お慧おばさんはそう言った。
汗まみれの服は洗濯機の中。今のおばさんはオカンの薄着を拝借している。


あの後、俺達は土手まで行って組み手を行った。
お慧おばさんの天性のセンスと経験に基づいた見事な技は相変わらず目を見張るものがあったが、
ブランクと、ピークを過ぎた体ではやはり体力的に限界があり、技術を支えきることが出来なかったようだ。
かくして何度も立ち会った結果、俺が勝つことがほとんどだったのだ。
まぁ…これは仕方が無い。誰もがいつか経験することだろう。

お慧おばさんもこの結果は予想していたらしく、
終わった後には珍しく「よくここまで伸びた」と褒めてくれた。

その後帰ってシャワーで汗を流して、現在に至る。
俺達はまた食卓で向かい合い…冷蔵庫に入っていたラムネを片手に適当に会話していた。



「白銀はまだまりもと張り合える体力あるんだね。オッサンの癖に元気な奴」
「そりゃ親父は、俺が抜く前に勝手に弱られたら困りますよ」
「それでもかなり無理はしてると思う。白銀は負けず嫌いだから」
「そんなもんですかね」

確かにもうピークを過ぎてるのは分かるが、
そんな簡単に抜けるとは思わない…というのは俺の過大評価なのだろうか。

「思えば、今までそういうのは考えたことはなかったな…」

剣でも体術でも、親父からかかる超重圧的なプレッシャーにいっぱいいっぱいで、
親父から俺がどう見えているか、についてはあまり考えはしなかった。
だって親父はけっこう、余裕綽綽で俺を叩きのめしてくれるし。
「まだまだヒヨッコだ」と思われていると…壁はまだ高いんだと思っていた。


「まりもも下に誰かつければ分かる。成長の早い弟子はプレッシャーになるよ」
「俺はまだ早いですよ、弟子なんて」
「弟子はいなくとも、もうすぐ弟弟子は出来る」

――えっ?

ぴく、と俺の肩が震えた。
俺は思わず、お慧おばさんが言った言葉を復唱していた。

「…弟弟子?」
「まりもは兄弟子」

お慧おばさんは表情を崩さない。
「当然でしょ?何を今更…」というようなあっさりした表情を見せてきた。


「それは、どういう」

その内容に気付いてはいたのだが、あえて聞きなおしたのは、
それが自分にはまだ早く…認めたくなかったという意思の現れに他ならない。
当然の如く、お慧おばさんは今までの態度のまま、より具体的に伝えてきた。

「そろそろ翔にも体術を教える」と。
そして「お前は私に代わり指導をしろ」と。


「今の私には長時間教え続けられる体力は無い。基礎は私が教えるけどかかり稽古は兄弟子の仕事」
「ちょっと待ってくださいよ。俺は自分の修行でいっぱいいっぱいなんですよ?
人に教えられるだけの準備は出来て無いっていうか…」
「人間は一生、勉強。自分が全てを学び終えてから他人に教えられることなど一つも無い。
先生は自分も学びながら下を教えるのが仕事。後輩を教えるのは先輩の義務」
「………」

ぐうの字も出ない正論だった。
普段訳分かんないこと言う癖に、こういう時のお慧おばさんは物事の真理のようなものを鋭く突いてくる。

確かに、お慧おばさんが学んで身につけた技術を俺に教えてくれたように、
俺がお慧おばさんに教えを受けた以上、今度はその技を他の誰かに受け継がせる義務がある訳だ。
ついでに物を教える立場の人間が勉強をしない、なんて話も聞いたことが無い。
どんな分野の先生であれ、勉強をしながら人に教えているのである。
俺はそれに納得せざるを得ない。


「…そうですね。ここで俺が弟弟子を持つのも、何らおかしな事では無いんですよね…」
「翔もまりもに教えて欲しいと言っている。週に一度で良い。忙しいと思うけど見てやって欲しい」

つまり今日のこれは、翔君に教えるだけの腕が俺についているかを見るためのテストのようなものだった訳だ。
今になって、ようやくお慧おばさん来訪の意図が分かった。


「分かりました。それは受けます。けど、それなら前もって電話くらいくれても良かったのに」

それならそうで、前もって予定を入れてくれていたら、親父とオカンの外出と被ることも無かったのに。
お慧おばさんも久々に親父の顔が見たくて来た…というのもあったんじゃないだろうか。
その事を指摘すると、お慧おばさんの顔が少し陰った。


「いきなり顔を出して白銀や鑑の驚く顔を見たかったんだけど残念。一緒にお昼を食べようと思ったのに」

お慧おばさんの視線がキッチンに向けられる。
流し台の傍に置かれたスーパーの袋…は、お慧おばさんの持ち込みらしい。
キャベツや中華麺といった食材が顔を覗かせており、遠目に見てもそれが何の材料なのかは明らかだった。
ちなみに、土手の組み手諸々に時間がかかったので現在時計の針は昼の1時を過ぎている。
道理で腹が減っているはずだ。そう言えば、飯食おうとしてたところにお慧おばさんが来たんだっけ。


「…まあ、今日はまりもの顔が見れただけで良しとする。お昼は二人で食べよう」
「ヤキソバですか?」

あの材料から分かり切ってはいたことだが一応聞いてみる。
すると、何故かしたり顔になるお慧おばさん。

――まぁ、素人の発想ではそれが限界。くすっ。

なんて抜かしてくれた。


「違うんですか? どうせヤキソバに関係する何かでしょ。例えば…」

そう、ヤキソバパンとか。
その品目を口にした途端、お慧おばさんの目が棒状になって、遠くを眺め始めた。

「図星なんですね」
「ヤキソバも良いけどヤキソバパンはもっと素晴らしい。
まりもにも聞かせてやろう。この世にヤキソバパンの生まれた瞬間の話を。あの感動は…」
「いいですよ…。ガキの頃から嫌と言う程聞かされましたから…」



――ヤキソバパン。

お馴染みの、ヤキソバをコッペパンに挟んだだけという単純な料理だ。
しかしその手軽さとボリュームから、知る者はいない世界的な人気メニューとなっている。
これが広まったきっかけは、その発明者があまりにも有名人だったからに他ならない。

何を隠そう、ヤキソバパンの発明者は俺の親父なのだ。
国連軍横浜基地で訓練兵時代を過ごしていた白銀武が、同じく訓練兵だった頃の
お慧おばさんを元気付ける為にプレゼントしたのがヤキソバパンの始まりだと言われている。
お慧おばさんにとっては好みの味であると同時に、思い出の一品という訳だ。
この話は小さい頃からヤキソバパンを食わされる口実に何度も聞かされたので、
すっかり覚えこんでしまった。
 
――「えーっ、またヤキソバぁ!?」
――「まりも。ヤキソバパンはお前のお父さんの味。
 今も月で宇宙人と戦っているお父さんを、お前はヤキソバパンを食べて応援しないと」

…10年程前に家で交わしていた、俺とお慧おばさんの会話である。
こういう感じで、お慧おばさんが家に来た時はけっこうな確率でヤキソバパンを食べさせられた。

ちなみに、「白銀少将直属の衛士隊の生還率が高いのは日頃からヤキソバパンを食べているから」とか
「白銀少将配下の参謀達はヤキソバパンを片手に休まず作戦を練っている」とかいう噂もあるが、
そこまで行くとあからさまなパンメーカーの策略にしか思えない。
実際親父に聞いたところ「そんなことあるはずないだろ」と笑っていた。




「…あれでしょ?親父がお慧おばさんが凹んでる時にヤキソバパンをプレゼントしたって話」
「人の話を聞かない人間は大きくなれない。だからまりもは彼女が出来ない」
「な―――っ!?」
「白銀ならここで話を聞いてくれた」

――器の差、なのかな。
そう言ってニヤリと向けられる視線が俺のハートをぶすりと貫いて、抉った!


「い、言いたい放題ですね…」
「女の話は遮るもんじゃない。何度目でもしっかりと受け止めるもの。解かれ若造」
「うう……精進します」
「よし、許す」

何も悪いことをしてないのに何故”許す”なのか…。
この程度のことが俺が彼女出来ない理由にされてしまうのか…。
テーブルにうつ伏した俺を尻目にお慧おばさんは席を立つと、キッチンに向かった。


「最高のヤキソバパンを作ってやる。そこで見ていろ」

お慧おばさんはそう言うと換気扇のスイッチを入れ、かけてあったエプロンを身に着けた。






「…失敗」

情け無い声がキッチンから漏れる。
充満する煙の中で、お慧おばさんが言った台詞だった。
ヤキソバ作りに失敗した訳ではない。
お慧おばさんが、ヤキソバ作りに失敗することなどあるはずがない。

失敗したのは、土台…つまり、コッペパンだ。

お慧おばさんは日頃ヤキソバは自分で作り、それを市販の合成コッペパンの中でも
一番ヤキソバに合うものに乗せてヤキソバパンを作っているのだが、
今日ばかりは張り切ってコッペパンの部分も自分で作ろうとしたらしい。
自分でコッペパンを焼き上げ、その後にヤキソバを作る予定だった。

…しかし合成食材の扱いは、天然食材以上に経験が物を言う。
例えヤキソバのプロフェッショナルで、理想的なコッペパンがどういうものなのかを把握していても、
それを自分で形にするのはなかなか困難なのである。
初めての試みは失敗し…オーブンの中には黒コゲの物体が完成し、キッチン中が煙で充満する、
という結果を招いてしまった。


「ごめん」

家中の窓を全開した後、居間のソファで膝を抱えるお慧おばさん。
この人がここまで落ち込むのは、正直珍しいと言わざるを得ない。
俺はお慧おばさんに歩み寄ると声をかけた。


「謝るほどのことじゃないですよ。パンが無くても、ヤキソバだけ作ればいいじゃないですか」

お慧おばさんのヤキソバは単体でも美味しいし。俺はそうフォローする。
しかいお慧おばさんの顔色は晴れない。


――ごめん。お前を完成に導いてやることができなかった…。

暗い表情のままでそう言ったのである。
俺の表情が少し引きつった。


「…もしかして失敗したヤキソバパンに謝ってたんですか?」
「他に謝るべきものがあるの?」
「いえ、もういいです」
「後はお前に頼む…。お前が作れ」

どうやらお慧おばさんはもう料理が出来るテンションじゃないらしく、
そのままエプロンをはずして俺に手渡した。
俺は黙って受け取ったエプロンを装備し、煙が全て抜けきったキッチンに立つ。
一方お慧おばさんは、ソファから降りる様子を見せないものの、じとーっとした視線を
キッチンに送り続けていた。


「あの……そんな睨まれてるとやり辛いんですけど」
「睨んでない。師匠として見守っているだけ」
「お慧おばさんは料理の師匠じゃないでしょ…」

けどまぁ、いいか。
まさかこっち見るなとも言えないし。
俺はまな板と包丁を取り出すと、洗ったキャベツにリズム良く刃を入れ始めた。

「うん…。流石は鑑。よく仕込んでる。包丁捌きはまずまず」
「はっはっは。まぁこの扱いくらいは余裕ですよ」

それからも手際よく準備を進めていく俺。
野菜の次に豚肉をスライス。
下ごしらえに関しては、何も言われることなく完璧に終えていく。
しかし、それは突然やってきた。
ただならぬ殺気が流れてくるのだ。
そう…居間の方のソファ上から。


「何を…している!?」


その怒気と殺気は本物だ。
元気さえあれば、すぐに飛んできて止めさせんばかりの凄まじい気。
そういう意味では今はお慧おばさんの悪状態に助けられているのかもしれない。

「黙って見てて下さいよ。少しは弟子を信用してください」
「でも……!!」

お慧おばさんが怒っている理由は分かっている。
まぁ、普通この程度でそこまで怒るかと言いたくはなるが、それでも理解は出来るのだ…
今、俺がやっていることを思えば。


(一見すれば、これはヤキソバ党のお慧おばさんの弟子として、裏切り行為に見えないこともないからな…)

カシャカシャとボウルに入った下地……小麦粉ととろろ芋を水で解いたものに
キャベツや紅生姜を入れて掻き混ぜる俺は、そんなことを考えていた。
そう、これは一見…


「それは、お好み焼きの準備…!!」





怒り。恨み。憎しみ。殺意。
様々な感情が入り混じり、視線に込められて飛んで来る。
クールなお慧おばさんがこれほど感情を露にするのは、正直言って珍しい。
これは全て俺が起こしたたった1つの事柄に対して、向けられたものだ。


――お好み焼きの準備をしている。


お慧おばさんが今怒っている、ただ一つの理由だった。


「まりも…。ヤキソバの材料を前にお好み焼きを作るその行為。師への裏切り。許さない…」
「まぁまぁ。黙って見ててください」
「まりもは後でもう一度死刑」
「やめてください。お慧おばさんに無理させたらおじさんに申し訳無いでしょう」

俺はおばさんの視線と怒声に内心怯えながら平静を装って、フライパンをコンロに乗せた。
そして取り出すのは、トドメの中華麺。

――えっ?

お慧おばさんからの視線が急に緩んだのはその瞬間だった。
やっぱり、と思いながら俺は袋から取り出した合成中華麺を水洗いし、水気を切って脇に置いた。
次にお慧おばさんが口を開いた時…先ほどまでの勢いは完全に無くなっていた。
少し戸惑いを含んだ声で、おばさんは言った。

「……まりも。お好み焼きに麺は使わない」
「だからお好み焼きを作るんじゃありません。俺のオリジナル料理ですよ」
「オリジナル…?」

はい、と頷く俺。



突然だが、うちの家は、親父が家にいると極たまに変な料理が登場することがある。

――じゃーん!『タケルちゃんスペシャル』だよっ!!

ある日そう言ってオカンが食卓に置いたのは、激辛の四川風麻婆豆腐に中華麺と餃子とたこ焼きと
お好み焼きが浮かんでいるという、実に奇奇怪怪な…例えるなら地獄の釜のような料理だった。
ただ親父の好物をごっちゃにしただけという、味も発想も量もめちゃくちゃな料理だが、
それを親父は「懐かしい、懐かしいなあ」と涙を流しながら食う。
親父とオカンの過去が謎なのは今更だ。そこには美味さ不味さを超えた何かがあるのだと、俺は知っている。
しかし同時に、もう少し削るところを削ればまともな味の料理になるのではないか、とも思った。

――例えば、これでお好み焼きと餃子とたこ焼きがなければどうだろう。
汁が麻婆豆腐になったラーメン。
これはけっこう美味いのではないだろうか。
そんな調子で、2品の料理を組み合わせる、ということを考えたことは何度かある。
親父の作ったヤキソバパンだってそれじゃん。

今回はお慧おばさんがヤキソバの材料を全部持ってきてくれた。
そして家には小麦粉ととろろ芋と卵…お好み焼きの下地を作る材料があった。

――ヤキソバとお好み焼きを合体させてはどうか?
そんな考えに至ったのである。




「行きますよ」

俺はフライパンに油を引くと、お好み焼きの下地を広げる。
ジュワア、という音を立てて、小麦粉の焼ける香ばしい匂いが部屋中に充満し始めた。

「…」

ぴく、とお慧おばさんの鼻が反応する。
確かにヤキソバ党には違い無いだろうが、他に美味しいものがあることも知ってるはずだ。
いざ美味しそうな匂いを嗅いでしまえば、いかに憎いお好み焼きのそれであろうとも
思わず反応してしまうのが生物の性である。

俺は下地に火が通り始めて固まってきたのを確認すると、その上に中華麺と豚肉を乗せて、
引っくり返した!


――!!??

その時おばさんはカッと目を見開いた。
ついでに、思わず全身が跳ねそうになった。
この人らしからぬ興奮状態にあるようだ。

「ま、まりも、それはっ…!?」
「さっき思いついたんですよ。お好み焼きとヤキソバを合体させれば面白いんじゃないかなって」
「なんと…」

そこでお慧おばさんは言葉を失ってしまったようだった。
付き合い長いから分かるのだが、あれは「早く食べたい」と言う表情だ。
未知の味に踏み込みたいという、お慧おばさんのフロンティアスピリットに火を付けたようである…。


「さて…よっと」

もう一度引っくり返す。
こんがり焼けたお好み焼きとそれに乗っかる中華麺は、共に食べごろだと言っている様子だった。
いっそう香ばしくなった香りが、こちらの食欲もそそってくれる。

フライパンいっぱいに作ったそいつを大皿に盛り、ソースとマヨネーズを塗った後、
青海苔と鰹節を振りかけ……その創作料理はこの世に生を受けた!!


――名付けて『まりも焼き(仮)』!!



「出来ましたよ、お慧おばさんっ」
「………」

お慧おばさんは答えない。
正確には声が出ないのだ。
親父にも聞いたことがあるが、お慧おばさんは美味そうな物を前にすると
それに集中してしまって、言葉が出なくなるんだとか。
お慧おばさんは黙ってソファから降り、ゆっくり食卓に歩み寄って席に着くと、燃える視線を向けてきた。
その瞳は真剣そのもので、「早く持って来い」と訴えている。

俺は料理の乗った大皿と小皿2つを用意して食卓に着くや、それぞれの小皿に取った。
お慧おばさんは無言のまま小皿を受け取ると、黙々と箸を動かし始めた。

「…!………!!」

もくもくもく。
一口食べる毎に表情を微妙に変えるお慧おばさんを見るのはけっこう楽しい。
味、歯応え、香りなどを一口毎に堪能しながら食べているに違いない。

しかしそれは、作った側としてはプレッシャーになる。
こっちとしては何となく思いつきで作った料理だ。
不味いはずは無いと思うが、そこまで細かい所に意識を向けた訳でもなし。
「ここの焼き加減が~」等と言われてもどうしようもない。
黙って俺の創作料理を食べるお慧おばさんを前に、俺は箸を進めることが出来ず…
ただお慧おばさんを眺めていた。


「…おかわり」
「は、はい」

フライパンいっぱいに作ったそれはまだたくさんある。
俺は無愛想に突きつけられた空の皿に新しく盛ると、お慧おばさんはそれもあっさり平らげてしまった。
3回おかわりをしたお慧おばさんは、ようやく”おかわり”以外のことを口にした。


――お前はやっぱり白銀の子。師として、嬉しい…。


立派に成長して…と涙を流すお慧おばさんに、思わず言葉を失う。


(おいおい…)

いや、褒めてくれるのは嬉しいけど、ちょっとオーバーじゃないか…?

(ひょっとするとヤキソバパンを振舞った時の親父ともこんなやり取りをしたんだろうか…?)

そんな疑問が浮かんだ。


「まりも…」
「はい」
「正直、お前の麺の使い方はまだ甘い。焼き加減もムラがある。ヤキソバ師としてまだまだ未熟。
だが今、ヤキソバの歴史は確かに一歩進んだ。よくやった。私は師としてお前を誇りに思う」
「はあ……ありがとうございます」



――ぶっちゃけヤキソバで誇られるってどうなの。

とは思っていても言い出せない俺の本音。
まあ、おばさんが嬉しいなら俺も嬉しいからいいんだけど…。



「…さて、いい時間だし私はそろそろ帰る」

締めのお茶を啜った後、そう言ってお慧おばさんは席を立った。


「もう帰るんですか? まだ3時過ぎですよ」
「今から帝都に戻れば4時半。買い物してご飯の準備しないと、旦那と息子が飢え死にする」
「そっか…主婦も大変なんですね」
「そう、主婦は大変。だからまりもも、母さんにあまり迷惑かけるな」

はい、と頷いてお慧おばさんを門の前までお見送りする。
お慧おばさんは電車で来ていたらしく、新柊町駅の方へ向けて歩を進め始めた。

「じゃね」

振り向き様にシュタっと掌を見せるお慧おばさん。
これで挨拶終了なところはクールなこの人らしい。
その後ろ姿が見えなくなるまで、俺は門の前で見送った。






「…なんか、疲れたな」

まだ昼下がりだと言うのに、居間のソファでうな垂れる。
振り返ってみると嬉し楽しの半日だったのに、それを差し引いて余りある疲れが
ドっと押し寄せてきた。

尤も、これはお慧おばさんと一緒の時だけ…という訳ではない。
冥夜おばさん、千鶴おばさん、壬姫おばさん、美琴おばさんらと一緒にいる時も
だいたいこういう心境になる。
癒しの女神たる霞姉が一緒にいてくれればその限りではないのだが、今霞姉は忙しくて
街に降りてこられる状態じゃないし。


「…まあいいか。時間はあるし。とりあえずゆっくりしよう」

そう呟いてソファにごろりと横になる。
思えば学校以外は親父にべったりくっついて鍛錬鍛錬鍛錬だったし、たまには休むのもいいかもしれない。


(親父とオカンは今頃、観光地かどっかでいちゃいちゃして、周りの人間ドン引きさせてんのかなー)

なんて想像しつつ、なら自分もこの3日くらいはゆっくり過ごそうと思った。
朝には一人で飯は寂しいなんて思っていたが、今は別にそうでもない。
むしろ、一人でのんびりしたい心境なのだった。


ピンポーン。

と、軽快なチャイムが鳴ったのはそんな時。


「――!?」

俺の肌にゾクゾクッと寒気が走る。
予兆だ。
トラブルの予兆。


「そう言えば、一人来たかと思えばまた一人来るのが、あの人達の…!!」

そう。
どういう訳か知らないが、知り合いのおばさん達はうちに来るタイミングがけっこう被る。
オカンはそれが楽しいと言うのだが、それは同年代の友人だから出る言葉であって、
ナウなヤングの俺にとっちゃいくら親密でも年上のおばさんが何人も立て続けに来る…
というのは割としんどいのである。やっぱ今じゃそこそこ気を遣うし。
無邪気に甘えていた子供の頃とは、こっちも違うのだ。


「…ど、どうしよう。出ようか、それとも出ないでおこうか…?」

正直、今の俺にあの人たちのノリに付いていける自信はない。
そもそも人と話したい心境でもない。
居留守を使うか?そんな考えが脳裏を過ぎった。

「……そうだ!それでいいんだ!」


ふと、以前夕呼先生に教えて貰った理論…『シュなんとかの猫』を思い出した。
細かいことは覚えていないが、とりあえず箱に猫が入っていたとしても、
開けて確認するまでは本当に入っているかいないかは分からないという話だった…と思う。

つまり、俺がドアを開けて表の客人が知り合いのおばさんか新聞の勧誘かを確認するまで、
表にいる人は『誰でもない誰か』に過ぎないのだ。


「そうだ!『誰でもない誰か』に義理立てする意味は無い!!」

自己完結した俺は拳を握り締めてそう叫ぶ。


「そうだ、よし決定!」
「誰でもない誰かとは失敬な。そなたを師を軽んじるような人間に育てた覚えは無いがな」
「す、すみません!」
「うむ。素直なところは両親譲りのそなたの美点だ。大事にするが良い」

――はい、ありがとうございます。

そう言ったところで、自分以外の誰かが既に隣に座っていることにようやく気付いた。
トレードマークの青いちょんまげが、ふぁさふぁさ動いている。


「タケルが帰って来ていると聞いてな。せっかくだから、そなたら一家が揃っているところに
遊びに来ようと思ったのだが。見たところ、そなた一人か?」


驚愕の悲鳴が上がるまで後5秒。

ちなみに、そんなことはこの連休中、合計5回行われた。
よって3連休は常に「誰か」と一緒にお留守番をすることになるのだが。

天は親父とオカンに休みは与えても、俺に休む時間を与える気はないらしい、と思った。











あとがき

彩峰さんの誕生日過ぎた辺りになんとなく思いついたネタを書いてみました。
今までのタイトルからすると親父と一緒にお留守番する話かと想像されたかと思いますが、
違うんですねごめんなさい。







登場人物



・白銀まりも(オリキャラ)

白銀武と純夏の息子。
今回、4月末の三連休を留守番することになった主人公。
知り合いのおばさん達に可愛がられている。
ちなみに彼のオリジナル料理『まりも焼き(仮)』の正体が、『元の世界』で言う『モダン焼き』だったと、
調理過程で気付いた読者様はどれほどおられるでしょうか。…え?みんな?



・お慧おばさん

知り合いのおばさんの一人。旧姓彩峰。
既婚&子持ち設定追加。
旦那さんは帝都の軍人さんで、息子の名前は翔(カケル)。6歳。
まりもの体術の師匠だが、出産とか育児で忙しい日々を送っている間になまってしまったらしい。
以前まで「慧おばさん」と表記していたが、こっちの方が語呂が良いと思ったので変えてみた。



・白銀武&純夏

まりもの両親。
霞姉の言う『随分長い前振り』が内容の1/3を占めているのは作者の趣味によるものである。



・霞姉

夕呼先生の実験につき合わされているためここ暫く外出していなかった。



・冥夜おばさん/千鶴おばさん/壬姫おばさん/美琴おばさん

連休中一緒にお留守番してくれた人々。




・平慎太郎(オリキャラ)

元Aー01部隊衛士の息子。
まりものお向かいの幼馴染。。


・月詠真愉(オリキャラ)

読みは「つくよみ まゆ」。
慎太郎君の彼女。真那さんの親戚筋の女の子。名前を思いついたので出してみた。




前を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.028698921203613