クラウス・バーラットは変人である。いや、むしろ人として何処かズレていると言っても過言では無いだろう。定められたルールには逆らい、従うべき物事に反感を示し、気に食わない命令であれば無視し、自らの意思で行動する。軍隊という組織を構成する部品の一つである軍人としては許されないことだ。だが、そんな彼でも、命令に従うことはちゃんとある。命令に筋が通ってたり、情報がしっかりと通達された上での判断だったり――――友軍の危機を知らせる物だったり。そんな前条件が入るのならば、彼は迷わず死地であっても機体を駆って突き進んでいく。そこが単純でもあり、個人のルールとでも言うべき、しっかりとした“個の考え”を持つ男でもある。だが過去に、その単純な部分を大いに利用され、共に肩と轡を並べ、支えあった戦友や自身が生き残らせるために鍛え上げていた教え子の殆どを失ったこともあった。だからこそ、彼は人を信頼しない。ただそれは、信頼に値すると見定めれば自身が向けれる最大級の信頼を寄せるという意味でもある。そんな彼が信頼する人間は、意外なことにそれなりに多い。彼が背中を預ける相棒であり戦友、エレナ・マクタビッシュ。『民の剣』という在り方を貫く戦姫、クリスティーナ・A(アレクサンドラ)・エリザベス目的の為ならば手段を選ばない優しい魔女、香月夕呼。互いに守りたい人を守り抜こうと誓い合った、鳴海孝之。その手に彼女の手を捕まえさせたいとクラウスが心より思った若き戦士、白銀武。それ以外にも多く存在する、信頼できるエース達。西へ東へ、北はソ連から南はインドと正直に言ってかなり幅広いと言えるだろう。人は、彼を指してこう呼ぶ。「彼は間違いなく、エースである」と……。――――エースには複数の形がある。自身を遮る全てを薙ぎ払う『力』を求める者。己が己であるために、自らに課したルールを貫き通す事こそが『プライド』である者。戦場に立つ戦友の為に持てる全てを出し切り、多くの兵士達の導き手となる事が出来る『才能』を持つ者。―――――だが彼は、そのどれでも無かった。 ◇【2006年1月1日 イギリス倫敦】どの時代、どの国、どの職業においても『勝利』とは喜ぶべき出来事である。基本的に人は何かに『勝つ』という行為に対し、快感を得る傾向があるのは先ず間違いない。例として、登山家がとある山を踏破したとしよう。その登山家は、誰が何と言おうと、山と自然の猛威に身一つで挑み、勝利した勝者だ。有名な登山家が言った、「そこに山があるから」という言葉がある。あれは、目の前にある山を制覇したという喜びを知っているからこその言葉だろう。そして、勝利とくれば騒ぎたくなるのが人の性という存在だ。少なくとも、これから行われるモノは、勝利の喜びを分かち合うという目的を達成するのに最も適している手段であった。「ほぇ~……」「こりゃまた、“エース”の見本市状態だなぁ……」残念ながら、薄暗い雲空の下に広がる数多の戦術機を見つめながらクラウスはそう言葉を漏らす。彼の副官であるエレナもまた、その光景に際しては感嘆を含ませた言葉しか漏らせないでいる。彼と彼女は、英国は倫敦で開かれる西欧州諸国開放を祝うパーティーの警備部隊に参加している。その他にも、パーティーの本来の目的として4年前に行われた桜花作戦で散った命への鎮魂の意を発するというのもある。そんなパーティーと慰霊が行われる舞台へと、クラウスとエレナは進んでいた。二人が乗る車の車窓からは、警備に参加する警備部隊の機体が勢揃っているのが目に映っていた。「ドイツ、イタリア、スペイン、イギリス、フランス……欧州各国の部隊が勢揃いですね……」「みたいだな………げっ、“黄金の魔女”……!?」「“祝福の鐘”、“魔剣”に“守護の盾”に“ローランの歌”………過剰な警備すぎませんか?」クラウスの苦々しさと懐かしさを含んだ呟きに続き、エレナも驚きを持って“異名”を続けて言う。そう、今この場所―――イギリス倫敦―――に配備されている部隊のどれもが、欧州の地10年以上も名を馳せたエース部隊ばかりであった。しかもエレナが良く知るような有名どころばかりだ。ただ、クラウスの口から零れ出た言葉の色は、何処か嫌気すら篭っていたが。「ほぇ~……凄いなぁ…」エレナが憧れの視線向けながら、景色に流れては消えていくそれぞれのエース部隊機を見る。どの部隊も、欧州撤退戦を経験し、部隊を存続し続け、生き残ってきた猛者ばかりだ。“基地”のエースなんてレベルでは無く、“国家”のエースと呼ばれるような実力を持つ部隊が集合したと言えるであろう。これで警備部隊なのだから、パーティーへと集まる人物たちの重要度も相応と言える。そんなエレナを横目で見たクラウスは、苦笑しつつ、自分も景色へと目を向けて口を開いた。「良くもまぁ、これだけの人員を集めたと言えるよ」「ですよね……」呆れたようなクラウスの声とエレナの肯定の声に、二人を運ぶハンヴィーの運転手が少し反応したのが見える。どうやら、この場に居る他の部隊も同じ意見を持っているようだ。それが分かったからこそ、愚痴のように続けて口を開いた。「どいつもこいつも、俺以上の化け物ばかりだ……エレナならまだ良い勝負か?」「……怪我の影響ですか?」 サイノウ「それもあるが、純粋な地力の差だ。本当の意味で天才な奴らだからな……言うなら、白銀が10年ほど戦場での経験を積んだようなもんさ」一通り、配備部隊機を眺めたクラウスの言葉にエレナが頷く。確かに、国家のエースと比べるとホルス大隊は―――ネームバリューでは負けてはいないが―――どうにも型落ちに思える。実際に模擬戦を行ったとしても早々勝てる相手では無い……それこそ、相手はクラウスの知るA-01クラスの衛士のバーゲンセールだ。クラウス自らが率いるホルス大隊は良くも悪くも、対BETA戦特化型のみが集結している。まぁそれは戦術機の本懐と言っても過言では無いので問題は無い。ただ、警備部隊という今の戦場と、その指揮官の才能ではクラウスは底辺に位置する。クラウス自身、対人戦なんてドックファイト位しかやれない。どう頑張って率いても中隊までが彼の器だ。エレナの補助が無ければ、ホルス隊を大隊規模で運用できないのだ。「はぁ………帰りたい……」「が、頑張りましょう?何も無ければ管制ユニットで煙草吸ってるだけで終わりますから!」「それで終わらないと思うがな……」胃の辺りを押さえるクラウスに、珍しく煙草を許容したエレナが励ます。この後、そんな面々と顔を合わせ、ホルス大隊長として挨拶やらを交わすことになっているクラウスが哀れに見えたのだろう。実際問題、庶民であり楽天家かつ堅苦しいの大嫌いなのがクラウスだと、エレナは知っている。その証拠に「規律?何それおいしいの?」と言わんばかりな態度だし、そんな性格じゃこの後の会議で疲れるだろう…と、配慮してエレナはそう言っていたのだ。だが、その配慮にどこか遠い目をしつつ、クラウスは何かを言おうか言わまいかで悩んでいるようにも見れた。そして、諦めたのか大きく息を吐き捨て、声を発しようと息を吸い込む。本来ならばこの後、クラウスの口から言葉が告げられたのだろうが、その前に目的地である警備本部へと車は至っていた。そのため、クラウスはエレナに言葉をかけるタイミングを失ってしまっていた。「あ、着きました……諦めて行きましょう?遅刻はイケませんし!」「あのな?黙ってたが、俺が帰りたいって言ってるのは今集まってる部隊長の全員と俺……」「失礼します!」「聞いてねぇ!?」パーティー会場となっている敷地内の一角にある、警備本部と化した離れの扉を、エレナはクラウスの手を引きながら潜る。その為か、中で思い思いに待機していた者達が視線を向け、一部はニヤリと小さく口元を歪めたり笑顔になったり。クラウスもそれが見えたが故に、非常に面倒そうに顔を顰めていた。「ようベイビー!また会えて嬉しいぜバーラット!!」「クラウスちゃん久し振り~!」「何年振りかだな……ま、今日は宜しく頼む」「サー・バーラット、お久し振りです」「えぇい!肩を抱くな!それと抱き着くな!!」様々な機材が設置された一室の中、カップを片手に会話をしていた4人の衛士がクラウスを見て、それぞれ声を掛け、内の2人は絡んで来る。クラウスは、それに揉まれながらもそれぞれに返事を返し、また旧友と出会ったように笑みを交わす。4人の衛士強化装備に刻まれてあるエンブレムはここに来るまでに見たエース部隊の物と一致している。だとすれば、この場に居る4人の衛士全員がそれぞれの隊の指揮官なのだろう。それがクラウスにそれぞれが絡んでいるその姿は、エレナにも少々予想外な光景であった。「あ、あの隊長……皆さんとお知り合い……ですか?」エレナが遠慮がちにそう尋ねると、クラウスは蛸のように口をクラウスの頬へと伸ばしていた女性を大雑把に押しのけ、エレナに向き直る。その容赦の無さにエレナの頬も引き攣るが、クラウスは全くと言って気にしてないような面持ちでエレナへ言葉を返していた。「ん?ああ、昔のな……そうだ、紹介しよう。エレナ・マクタビッシュ、俺の女房役をやって貰ってる」「にょ、にょにょにょ女房!?………あ、そういう意味ですか……」クラウスのいきなりの言葉に一人ではしゃぎ、意味が理解できたのか即座に落ち込むエレナ。何気にへたれ道を爆進中の彼女であるが、その事実を彼女は意外と分かってなかったりする。だが、そんな落ち込む彼女を見る目は全員、変化していた。驚きを持って見る者、見極めるように目を細める者、ガーン!という擬音を背後に浮かべる者、哀れみの視線を向ける者。それぞれが別々の反応を見せる中で、哀れみの視線を向けていた男―――フェデリコがクラウスへと近づく。そして、ポンッと片手をクラウスの肩に置き、口を開いた。「バーラット、お前また被害者を……」「……どういう意味だ?フェデリコ中佐殿?」スペイン訛りが強い英語で話しつつ、クラウスに呆れた視線を向ける褐色肌の男にクラウスは睨み返す。それも嫌みったらしく“中佐”の階級も主張しながらの言葉だ。そしてその目は、存分に『喧嘩売ってんのか?』と物語っている。いや、むしろもう買う気で居るような目つきと視線の飛ばし方だ。その視線を受けたフェデリコは、視線を鼻で笑うように飛ばし、言葉を続けた。「まんまの意味だ馬鹿野郎。お得意の変態プレイを可愛らしい彼女に付き合わせてんだろ!?」「変っ…!?」白状しろやコラ、とニヤつきながら尋ねるフェデリコ。ここで誤解が無いように補足しておくが、フェデリコの言う『変態プレイ』とは性的な意味では無く、クラウスの戦術機機動を示す物だ。決して、性的な意味では無い。繰り返す。決して、性癖な意味では無いのだ。「それはXM3が広まった今じゃ普通だろうが……」「それ以前に付き合わされた身にもなれって俺は言ってんだよ」睨み合いに発展する中、エレナがオロオロとしながら両者の顔を左右に首を振って窺う。これがクラウスのみであれば、長年の付き合い故に軽く抑えも効くのだが、フェデリコの階級は中佐、エレナより三つも上だ。だからこそ、どうにも口を挟めなかったが……挨拶をしてきた四人の内、唯一の女性が口を開いた。「酷い……クラウスちゃん、昔は(深夜にまで連携訓練を)嫌がる私を一晩中ずっと付き合わせたのに!」「お前は何を言っているんだ」イタリア軍衛士装備に包まれた自分の体を抱きしめ、とんでもない事を言って顔を伏せる女性……アレッシアにクラウスが呆れた声を漏らす。彼女の長い銀髪を毛先で纏めた髪留めの鈴がチリンチリンと鳴り響いているが、それは悲しみの嗚咽で揺れているのだろう。良く聞けば、啜り泣く声も聞こえてきていた。……もっと良く聞けば、小さく笑いが漏れているのも聞こえるが。「………隊長?」まぁ、そんなのが何気に動揺しているエレナに聞き取れる訳も無く、錆びた人形のような動きでクラウスへと視線を向ける。エレナとて、クラウスにも“そういった”話があるのはまぁ……知っている。男なのだし、仕方が無いとも言えるだろう。だがしかし、それは全部が過去の出来事と化しているのが問題なのだ。近年じゃ『枯れてる』とか『負傷の影響で不能』とか『女なんか片っ端から取って食ってたから飽きた』とか『うほっ、いい男(!?)』などetcetc。信憑性がありそうなのから明らかに嘘だと分かる噂を多く持つのがクラウスだ。エレナにとって、過去はOKでも今じゃ駄目ってのは納得いかない問題であった。女として、何より女としてだ。だがクラウスは、エレナが怒っていると勘違いしているのか、変な汗を掻きながら言い訳を始めていた。「待て、信じるなエレナ。コイツは非常に面白おかしい性格をしててだな…!」「グスン、もうお嫁に行けないよぅ」「黙ってろ!大体テメェは子持ちだろうが!」「子持ち女性との禁断の関係……クラウスちゃんおっとなぁ~♪」「だぁぁぁ!!何だよコイツはもう!」「よし、殺そう……!」瞳のハイライトが消え、フラフラとしながらクラウスににじり寄るエレナ。クラウスはクラウスで、見苦しいくらいに必死にあれこれと弁明を彼女にしているが即座に狭い部屋内を逃げ出そうとし、エレナからヘッドロックを受ける。それを見ていたフランス軍衛士装備とイギリス軍衛士装備をそれぞれ纏っていた男はその光景を見たままに、口を開いた。「……嫁さんに浮気を誤魔化すような感じだな」「サー・バーラット、言い訳は見苦しいかと」「言い訳じゃねーよ!!大体なぁ、アレッシアを見ろ!『てへぺろ』してんじゃねーか!?」「でも本当に私と一晩過ごしたことが……」「聞こえない!俺には何も聞こえない!!」震える手でアレッシアを指差し、吼えるクラウス。その先には、クスクスと笑いながらクラウスとエレナのやり取りを見守っていたアレッシアの姿があった。それを見ていたエレナは、小さく息を吐き、まるで子供に説教するような声で、クラウスへと愚痴を言っていた。クラウスからしたら理不尽にも感じるだろうが……まぁ、『乙女心は複雑なのだ』とだけ言っておこう。「……どうやら、今回は隊長の言う通りみたいですけど、そんな風に見られる行為を何回もする隊長が悪いんですからね?」「ごめんなさい………」「それと……少佐殿、旧交があるとは言え、あまりからかわれるのは如何なものかと……」「あははっ、クラウスちゃんの副官さんはしっかりさんだねー?」「お前が原因だろうが……ああ、そうだ。息子さんは元気か?前にいきなり手紙が送られて驚いたぞ?」「うん!今11歳になったんだよ!パパに似てかっこよく育ってきてるよ~?」「……ん?11歳?あの戦場の後に今の旦那になってる恋人でも出来たのか……?」「え?私、結婚してないよ?」「「「「「………え?」」」」」 ◇「―――それで隊長、皆さんとはお知り合いのようですが……どういったご関係ですか?」湯気を立てるマグカップの中身を暫らく眺めていたエレナがクラウスにそう問い掛ける。クラウスはクラウスで、“何らかが原因で出来た”額の擦り傷に、アレッシアが絆創膏を張ってたりするのから解放されたのか、エレナの近くの椅子へと腰を下ろす。そして、ちょっとだけ恨みがましくエレナを見ながら、口を開いた。「関係ってもなぁ……全員、93年のEU圏完全撤退時に最終ラインの北欧戦線で同じ部隊で戦ってたんだ」「同じ部隊、ですか?でも皆さんの所属は……」エレナが横目でチラッとだけ4人を見る。イタリア、イギリス、フランス、スペイン……それぞれが別の国軍に所属しているのは分かっていることだ。だとすれば、何処かの軍がこの面々を纏めたという事になるだろう……そう、適当に当たりを付ける。そして、その考えを肯定するかのような言葉が、クラウスの口から聞かされた。「――――あの頃はどの軍に所属してるか、なんかは無意味なもんさ……秩序を失った隊から死んでいったからな」クラウスがそう、吐き捨てるように告げる。1993年……エレナが訓練兵時代、座学で学んだ中に『EU総撤退戦』という戦いがあった場所だな……と一人思う。その頃のクラウスは確か地中海を中心として活動し、部隊支援・側面からの遊撃に特化していたという地中海戦隊に参加していた頃だ。それが何で北欧に……その疑問の声を、エレナは口に出さない。『EU撤退戦』の名の通り、あれは敗走だったのだ。その当時の軍の状況は予想すら出来ない……恐らく、混乱に混乱を重ねたような状況だったんだろう。それは、二人の会話を聞いていたフェデリコが肯定することで、確信に変わった。「あん時はお偉いさんも混乱の極みでな、情報が混ざりまくってたから現場指揮官が各国軍を纏めて連合軍と化してたんだ。……あ、俺はスペイン海軍のフェデリコ・サントレスだ」「僕はイギリス王家近衛、アスカロン大隊を預かるアーサー・ブラッドレーです」「フランス、ローラン大隊デュランダル中隊のセドリック・アルベール」「イタリアのカンパネラ中隊のアレッシア・ベルモンドさんですよー!ちなみにクラウスちゃんの……いやん☆」「は、はい!私は国連海軍ホルス戦術機甲大隊所属のエレナ・マクタビッシュであります!皆様の武勇、聞き及んでおります!!」フェデリコに続き、何処か中性的な容姿を持つ白髪の青年、感情の読めない目をした金髪の青年、やけに子供っぽい女性がそれぞれ名前と部隊名を告げる。それにエレナは、硬くなった自分の声を自覚しつつハッキリと答える。さっきまではクラウスと普段通りのやり取りをしてたが、冷静に考えれば目の前に立つ4人の前でソレを行っていたのだ。その事を考えると、やはり縮こまりたくなった。そんな事を思っていると、助け舟を出すようにクラウスが呆れた溜息を漏らす。そして、ニコニコと笑んでいるアレッシアへと照準を定めたのか、1拍置き、口を開いた。「いやん☆じゃねーよ三十路、年考えろ」「まだ私20代だよ!?」「ギリギリ、でな」コーヒーモドキを啜りながらそう言うクラウスにアレッシアが何やら文句を言う。その所為か、また騒がしくなり、エレナの雰囲気も変わるが周りに抑えられて何とか落ち着く。アレッシアとクラウスの会話という口喧嘩も、アレッシアの見た目の若さと雰囲気故に、微笑ましさが先出ていた。まぁ二人とも子供っぽいからだろう……そうエレナは結論付けた。それを知ってか知らずか、引っ付いてくるアレッシアを迷惑そうに相手していたクラウスは仕切り直すようにまた咳をする。今までの空気はここで終わりだ……そう言いたげな咳だった。「ま、昔話も良いけどよ……“あの人”はまだ来ないのか?」クラウスがそう口にする。クラウスの言う“あの人”には、エレナを除く全員が心当たりがあるのかそれぞれ顔色が変化する。あまり好意的な表情をしない者も居れば、懐かしそうに目を細める者も居る。その反応からして、エレナは予想に基づいた答えを口から出した。「あの、それって西ドイツ陸軍のゴルド隊の方ですか……?」「そういや、エレナは本部に来る途中でゴルド隊機を見てたな……ああ、そうだよ」「欧州撤退で大混乱の戦場で、俺たちみてーな“アクの強い”連中を現場で纏めてたのがあの人さ……っと、噂をすれば、だぜ?」全員が佇まいを正し、立ち上がる。クラウスまでも普段は見せないような顔で背筋を伸ばしているのに、エレナは驚くしかない。そして、同時に思う。クラウスやフェデリコという歴戦の戦士にそうまでさせるのが、“黄金の魔女”と恐れられる存在であるのを。そうエレナが思った瞬間、扉が開かれていた。「おやおや、随分と懐かしい小僧に小娘が勢ぞろいと来たな」低いが良く響き渡る、覇気すら感じる冷たい女性の声。黒い、嘗ての武装親衛隊の制服を連想させるような西ドイツ軍服に、肩掛けのコートが風も無いのに大きく揺れる。その軍服の黒に映えるように輝く金色の髪が、更に毅然とした態度を増加させていた。「敬礼!」フェデリコが代表してそう合図をし、全員が一糸乱れずに敬礼をする。タイミングが合い過ぎているためか、エレナは少しだけ遅れたが女性は気にした様子も無く敬礼を眺める。そして彼女が敬礼を返し手に、サッと促すように手を振り、敬礼を降ろすと全員が合わせて敬礼を下げる。それを見た彼女は、満足そうに口を開いた。「うむ、総員揃っているな?クラウス、椅子を用意しろ」「イエス、マム」クラウスにそう命じ、コートをアレッシアに渡した女性はゆっくりと腰を下ろす。佐官クラスの人間を顎で使うような振る舞いをする彼女だが、エレナにはその姿が自然に見えていた。そうだ、この雰囲気をエレナは知っている。“横浜の魔女”と呼ばれる、あの女性。世界各国の外交のプロフェッショナルを真正面から叩き潰し、己に有利な条件を引き出す、引き出させる魔女。それと同じような、若しくはそれ以上とも言えるオーラとでも言うべきものを纏っているのを、目の前の女性からも感じれたのだ。そして、エレナの直感に近い予測は正解していた。彼女の名前はブリュンヒルデ・フォン・ローゼンバーグ准将。今、各国が誇るエースを数多く育て上げた魔女が、数多くの荒くれ者をその下に従わせた女傑が、欧州の大陸で最後まで戦いを続けた英雄の一人が……今、ここに居た。「さて……この顔ぶれが揃うのも彼是12年ぶりとなるか?……あの時は、最年長でも20ほどの若造ばかりだったのにな……」椅子へと腰を降ろし、スラッと伸びた足を組み、同時に腕を組んだ彼女は全員の顔を見回して顔に小さな笑みを浮かべる。ニヤッと、笑ってはいるが、何処か寒さを感じさせる笑みに全員が背筋を伸ばしたまま、言葉を待つように耳を傾ける。それを見たブリュンヒルデは、何処か面白くなさそうに口を開いた。「どうした?フェデリコ、クラウス。昔は良く突っかかってきたというに……ホレ、旧交を温める序でにかかって来ないのか?」今なら、抱擁ついでに絞め落としてやる―――そう、ニヤニヤと笑いながら、ブリュンヒルデは二人に言う。その瞳は何処か爬虫類……特に蛇を連想させる。それもとんでもなくデカイ大蛇だ。それに加えて、彼女の口から出た“抱擁”という言葉も、『絞め落とす宣言』が加わって危険すぎる響きを持っていた。……そっちのケがある人間なら、むしろご褒美です!という野暮なツッコミは置いといて。クラウスとフェデリコはお互いに顔を見合わせ、溜め息を一つ。無言でジャンケンをし、クラウスが小さくガッツポーズ、フェデリコが諦めたような溜め息をまた一つ。どうやら、発言の順番を決めていたようである。「――――俺だって命は惜しい」「不死身不死身と言われてるますがね、昔に貴女へ歯向かって生き残った自分が本当に不死身に思う」「……失礼だな貴様ら。いや、むしろそんな事を言えるだけ成長したのを“母”として喜べば良いのか?」二人の容赦ない言葉に、頬を少しだけヒクつかせるブリュンヒルデ。エレナも内心、「さっきまで敬語がだったのに…」とか思ってはいるが口にはしない。多分、無礼講と言う奴なんだろう……そう思い、部屋の隅で目立たないようにしておく。エレナを除いた全員が佐官クラスの会話に混じるのもアレだし、“旧交”と言ったように、久々であろう会話に口を挟むのも無粋だ。自分は空気が読める良い子なのだ!………いや、彼女の上官が空気を全く読まないから読む必要性があるだけなのだが。これが現代社会ならばストレスでハゲるレベルだろう。エレナ自身はこの行為を一種の保護欲的な物に変換して悦に入ってたりするので、まぁストレスとはほぼ無縁だった。そんな彼女はさておいて、だ。ブリュンヒルデの言葉を受けた面々は、それぞれ顔を見合わせ、そしてまた好き勝手に話し始めていた。「母と言うか、どっちかと言えば“魔女の使い魔”でしたよね?」「むしろ魔女が掻き混ぜる大釜の中身の原材料では?」「もうお説教はこりごりだよぉ……」上からアーサー、セドリック、アレッシアの順に口を開く。いかにもな英国紳士といった雰囲気を纏うアーサーからそんな言葉が出ることにエレナは驚くが、それを聞いたクラウスとフェデリコが笑うのを見て思う。『ああ、この二人に影響されたんだろうな……』と。しかも、それを圧倒的なまでの威圧感を放つブリュンヒルデの前で行えるだけ、エレナには驚きだ。そしてその意見はブリュンヒルデも同じなのか、何やら呆れたようにクラウスらを見ていた。「……アレッシアを除いて、貴様らは随分と小生意気に成長したものだな……?」「鍛えられましたからね、他ならぬ貴女に」「私は?私はー?」アーサーが笑みを浮かべそう言うと、ブリュンヒルデはつまらなそうに短く鼻を鳴らす。そこにアレッシアがまったく空気を読まない発言をして場をかき回すのだから始末に終えなかった。ほぼ同時に、ブリュンヒルデとクラウスが口を開いた。「貴様は進歩が無さ過ぎだ」「お前は本当に進歩してないよな」「酷いよ!?クラウスちゃんのエッチ!スケベ!無責任ー!!」「何で俺だけ罵るんだよ!?つーか最後の何だ!?」これで何度目になるか分からない騒ぎが発生し、フェデリコやアーサー、セドリックがそれぞれ笑みを浮かべる。エレナは置いてけぼり気味だが、ハッとしたかのように二人の取っ組み合いの仲裁に掛かっていく。そんな、平和すぎる光景を見たブリュンヒルデは何処か呆れたように……小さく、優しげな笑みを一瞬だけ浮かべた。「まったく………ん?」ふと、ブリュンヒルデは古いガラスで仕切られた窓から外を眺める。その瞳の先には、灰色の空からゆっくりと降りてくる雪があった。クラウスらも、ブリュンヒルデが向ける視線の先にある物に気づいたのか、灰色の空を見上げる。エレナが小さく「雪だ…」と呟くのがやけに響き渡り、そして急に静かになる。そして、一分ほど経過しただろうか……?クラウスは、思い出すようにゆっくりと、口を開いた。「そういえばあの時も、こんな雪の降る寒い日だったな……」後編に続く