私の上官はかなり変人だ。それはあの人を知る多くの人達が保障する所であり、本人も自分のことを『変人』だと認めているのもある。ただ、その上官のことを私は何でか好きになっていた。過去に地獄の戦場を共に生き残った故につり橋効果なのか、それとも人間性に惹かれたのか。そのどっちかは分からない。私だって、いつ好きになったかも本当に不明なのだ。「はぁ………何で好きになったんだろ……」何十人もの愉快そうに騒ぐ声に、私は溜め息を吐いては憂鬱な思考に落ちる。幸い、私の口から零れ出た呟きを聞く人間は居ない……と言うか、そもそも私の周囲に人は居なかった。『何で居なかったか』と問われれば、この騒ぎの大本に多くの人間が集まっているからだろう。「一番クラウス!脱ぎます!!」「ギャハハハハッ!隊長に続け野郎ども!!」「「「「「「「「「おう!!!」」」」」」」」「………うん、本当に何で好きになったんだろう!」酔っているのか、キャンプファイアーの前に立って上半身裸になってポーズを決めている我がホルス大隊の男衛士とその他に呆れた溜息を一つ。周りを囲む多くの女性衛士は叫び声を上げたり、笑ったりしてるけど明らかに冷静さは欠いているだろう。全員が、アルコール摂取を行って酔っ払っているのだから……私を除いて、さっきから『エレナちゃんも飲もー?』とか『中尉~!』とか何人か呼んでたが無視である。私はホルス大隊の最後の砦、部隊長であるバーラット隊長の女房役のエレナ・マクタビッシュなのだ。私が酔っ払ってはどうする!………隊長が酔っているから飲んでないだけでもあるけどね。「あー……明日は部隊の機能、完全停止だなぁ……」……まぁ、今日だけは怒らないつもりだ。折角の勝利の美酒、という奴なのだから。「―――――イタリア開放、か。 やっぱり、昔と比べると実感が沸かないな……」そう、今から10時間ほど前にイタリアは“開放”された。元からハイヴが存在していないイタリアの地は、一定数のBETAを殲滅さえすれば後は楽なものだった。それも、ハンガリーに存在していた【No11:ブタペストハイヴ】の殲滅がほぼ同時に完了しているからだろう。最も近くに残存していたブタペストハイヴという“巣”を失ったBETAは、ただ逃げ惑うしか無かったのだ。お陰で、バーラット隊長の出撃前の演説の通り、誰も欠けることなく全員が生き残っている。「…………」――――それなのに、私の心はあまり晴れてはいない。お酒を飲んでいないのも、この心の状態で飲めばどんな影響を及ぼすか分からないからでもあった。「ホルス大隊機、小破機3、中破機1……中破機はバーラット隊長機、原因は味方部隊戦術機を要撃級BETAの攻撃から“庇った”ことによる片腕の湾曲……」最後に『負傷者0』と呟いて、バーラット隊長を見る。脱いだことで露わになる体中の傷痕、ウチの隊員は見慣れてはいるけど、そのどれもが重傷であった筈の怪我ばかり。それが意味するのは、何度も死の危機に瀕したという事実。見る者が見れば、その体が表す歴戦という頼もしさを感じるかも知れない。だけど、私にはその傷を見るとどうにも悲しさが湧き出てしまう。「………死ぬのが、怖くないのかな……?」味方機を庇った際、機体を前に押し出していたあの速さ。あれは『戸惑う』とか『躊躇』とか、『死ぬ』という可能性を考える前に……そんな物が存在すらしていない速さだった。それが私には怖く感じる。あの時、ソビエトの大地で聞かされた『あの人のKIA』のような事が、またあるかも知れないという恐怖に。あの時、A-01部隊の皆の前で荷電粒子砲の光に消えたように。いつか、そのまま何処かへ行ってしまうんじゃないかっていう思いが……。そして、もし……もしだ。私があの人と本当の意味で隣に……副官でもなく、部下でもなく、相棒でもなく……そのどれでもなく、あの人の隣に立てる日が来たら……。―――――そんな、苦労するけど幸せな日々で、あの人を喪失うことになれば………。「………ッ!」思わず、自分の腕で肩を抱く。考えてしまった……考えてしまったのだ。あの人だって無敵では無いことを……不死身と言われても、何度も死に掛けていることを。そして、そうなったとしても……きっと後悔せず、笑って死ぬであろうあの人の顔を。「それは、嫌……いや………」多分、それが私には耐えられないだろう。それが、あの人へ思いを打ち明けることへの“歯止め”になっている……かも知れない。ああ、そうだ。認めよう。私は、私はそうなるのが………【推奨BGM:田中理恵『Freesia』】「―――――怖いよ……」少しだけ涙が浮かぶ。慌ててそれをハンカチで拭う。ハンカチは、前の誕生日にあの人から送られた物だと思うとまた涙が滲んで来た気がする。こんな思いをするのなら、いっそのこと告白して振られてしまえばどんなに楽なんだろうか?それはそれで悲しいけど、ショックだって少しはマシなのかも知れない。ただ、それが出来ないのも今の私なんだろう。その答えを聞くのだって、怖くて怖くて駄目なのだから。「臆病者だ、私……」私はあの人の背中を、歩いた後を追うだけしか出来てない。あの人の隣で共に戦場へと降り立っても、互いに信頼し合っても、その距離は殆んど変わりはしない。だから、こんなに辛い。だから、こんなに怖い。「………」そんなことを考えながら、暫らく膝を抱えたまま俯く。今の時間帯が夜だってこともあるから、このまま気配を鎮めておけば誰も気づかないだろう。だから、今は少しだけ一人で居たい……そう思っていた。「隣、いいかい?」ふと、背後へと近づく足音と共にやたらと渋い、深みのある声が私の背中へと掛けられる。聞きなれないその声に、少し気だるげに振り返り……即座に固まった。背後に居た男が着ている【アメリカ海兵隊】将校服の胸に輝く数多くの勲章と“准将”の階級章。それだけで、今の私が声を失うには十分な衝撃だった。「静かに、向こうは楽しそうなのに無粋だろう?」腰を上げ、声を上げて敬礼しようとすると小さく笑んで口元に一本の指を当てる准将。それに、私の顔へ少しだけ困ったような表情が浮かぶと、それを見て苦笑していた准将は何処かへと目を向ける。視線の先には、今も隊員たちに囲まれてやけに熱い歌詞の歌を歌っているバーラット隊長へと向けられていた。「………あの時の坊主が随分と面白くなったもんだ」「バーラット隊長とのお知り合い、ですか?」懐かしさを含んだその言葉。その言葉が聞こえた瞬間、反射的にそう尋ねていた。ただ、そのいきなりの言葉が失礼だと直ぐに謝罪している私もいた。しかし、気にしていない様子で准将は笑って答えてくれた。「ああ、謝らなくていい……そうだな、長くても10分くらいの出会いだった……互いに言葉も、名前も交わしてないがな」『今から16年くらい前だな、いや17年前だたか?』……そう言って、また懐かしげに笑みを浮かべている。そんなに昔だとすれば、バーラット隊長の年齢はまだ16歳頃だろう。過去に聞いた昔話が真実だとすれば、その頃にBETAとの実戦に出ていた筈だ。「………興味あり気な顔をしてるな、中尉」「……いえ、私の上官は見ての通りの人なので過去はあまり……」「気にしない……か?」「………」見透かしたように、准将は笑う。顔には出してないけど、見透かされているようにしか思えない。次に口を開いた准将は、こう言ったのだから。「アイツが何かを救おうとするその根源………知りたくは無いか?」そう聞いてきた准将は、何も言えずに固まる私へ言う。初めての実戦で戦友、所属していた基地を失い、自身の目の前で仲間がBETAに食い殺されたこと。そしてその際、自分は怯え、泣き、許しを請うことしか出来ていなかったこと。それが、恐らくだが深層心理の奥底に刻まれている……一種のPTSDだろうと、准将はそう言っていた。だからこそ、バーラット隊長は自分を安く見る……他者を、何かを救うのに対して自分の身を危険に晒すのだと。「異常なまでの生存能力が無かったらとっくに死んでるだろうさ……アイツの経歴、調べるとどの戦場も酷いもんだ」「………」目の前で仲間を喰われた……それが本当なら、確かに衝撃的だろう。でも、そこまで……そうにまで一人の人間に作用する何かがあったと、そう私は何故か思っていた。確証なんて何も無い、何かが。そう、考えるだけでは分からないその【確証】。それは、准将の口から零れ出るように、本当に無意識で零れ出たように……呟かれていた。「そりゃ、“初恋”だろう相手が目の前で喰われれば狂いもする、か……」『初恋』――――その言葉に、私は「ああ…」と納得していた。何時読んだか忘れたが、国連の広報誌に女性衛士の初恋ランキングみたいなのが掲載されていた時、上位に【新任衛士の時の上官】とあった気がした。私も、同じような境遇なのだから可能性はあるかも知れない。准将も、あくまで可能性としてで口から零れ出たんだと思う。でも、それでも……准将が知らないあの人の……隊長の一面を私は良く知っている。誰かとどんなに親しくなっても、それは恋愛感情までへと行かないってことを。そうで無きゃ、忌まわしき第三王女や過去数々の出会いを全て無視する訳が無い……隊長の年齢だって、もう結婚して子供が居ても良い頃合いだ。過去に、『故郷に帰って農業でもしたい』と呟いてたが、それだって怪しい。だって、あの人は本当なら、名誉除隊をしてもお釣りが出るほどの怪我を何度だってしてるのだから……!「――――隊長は、何度も死ぬような戦場へと首を突っ込んできました……」「………」私は独白する。准将は、それを静かに聞いていた。「あの人は、戦場では頼ってくれるけど……死にに行くような時だけは誰も連れて行かないんです……全部、一人で片付けようとします」「……それが、アイツなりの“守る”なんだろうさ………俺たち衛士は、戦術機っていう力を借りたって射程内の人間しか救えない」だったら、連れて来なければ良い……そう言う准将。その言葉は、過去に隊長も言っていた気がするし、それを実践もしている。……だからこそ、あの人は傷つくのだ。「だとしたら……私は、あの人の隣には………」「立てばいいじゃないか」立てない、立っちゃいけない……そう続けようとした途端に、准将は『立て』と言った。そして、私の腕を指差し、口を開いた。「お前の手は何のためにある?………アイツが死地に飛び込んでいくのなら、お前がそれを助けれるようになってしまえば良いんだろ?」ニヤリ、と笑んでそう言う准将は何処までも真面目にそう言う。准将は、それに続いて言った。『お前だけで無理なら、34人の戦友と助けに行けばいい』と。「……!」「この部隊の隊員たちは、よっぽどの事が無い限りは付き合ってくれるだろうさ」愉快そうに、本当に愉快そうに大きく笑い声を上げて私の隣から離れていく。そんな准将の背中に、私は敬礼をして口を開いていた。「ありがとうございます!!」「………ああ、あの手の馬鹿はしっかりと着いていかないと追いてかれるぞ?」「……はい、身を持って知ってますから!」置いてかれる……それなら、一つの名案があった。置いていかれるのなら、抱き締めて張り付いてしまえば良いのだから。「………ああ、お嬢ちゃん。 アイツに伝えといてくれ!」「何でしょうか?」そんな事を思っていた私に苦笑していた准将が迎えのジープに乗り込んでから私へと声を掛ける。それに、私も近寄ってからしっかりと聞こうとすると、何処か嬉しそうに准将は笑いながら言っていた。「あの馬鹿野郎に、『嘗ての教えの二つを今までよく守り抜いた、これからも両方とも守り切れ』と、お節介な少佐だった男が言っていた……そう伝えといてくれ」後書き過去編後のエレナ視点練習、出てきた准将は過去の少佐殿。今現在はアメリカのユーラシア奪還作戦に従事している海兵隊の指揮官の一人な設定。あと作中BGMの『Freesia(フリージア)』の花言葉は複数あって「無邪気」「清香」「慈愛」「親愛の情」「期待」「純潔」「 あこがれ」「あどけなさ」など多彩。花言葉の一部と歌の歌詞がエレナにどこかピッタリだったからこれ書いた、反省しない。