(朝のコーヒーの香りは格別だ…)執務室に届けられた朝食を平らげ、ホッと一息吐いたタイミングを見計らったように届いたコーヒーの香りを嗅いだ基地司令官の男はそう心で呟く。毎朝、男の秘書官である女性が淹れてくれる一杯のコーヒー。合成コーヒーという、何処か泥水めいたソレも彼女が淹れてくれれば本物のコーヒーと遜色ないように感じる程に美味いと思える。一日の始まりと活力、その両方を意味するコーヒーの香りを堪能した男は何処か壊れそうな物を触れるようにそっと口へとカップを近づける。「―――うん、美味い」熱い液体が口・喉・胃と流れ、そして体へ満ちる。こうもコーヒーが美味いと思える瞬間は男がまだ司令官と呼ばれる階級ではなく、新米少尉だった頃以来だ。冬の寒空の下、初めて持った部下と飲んだ決して美味いとは言えない大雑把なコーヒー。BETA大戦最初期、まだ重金属雲に汚染される前の星が綺麗に見えた故郷の夜空と厳しい寒さ、それに肩を並べる戦友という存在がそんなコーヒーを何倍も美味くしてくれた。(……私も、随分と老いたものだ)ふと、小さな笑みが零れ出る。昔を懐かしむなど、老人の証拠ではないか。「……中尉、もう一杯―――いや、二人分お願いできるか?」『了解いたしました、お届けに上がります』カップの底に残ったコーヒーを飲み干し、通信を秘書室で職務を全うしているであろう生真面目な彼女に入れてお代りを頼む。ちょっとした待ち時間は24時間営業中の基地を窓から眺めていればすぐに過ぎる。ふと、窓ガラスが揺れたかと思えば一機の戦術機が軽快な機動を見せながら飛び回っているのが目に入る。昨夜提出された整備班からの報告書には機体補充と試運転の実施が通達されていた。恐らくはその中の一機だろう……そう当りをつけて空を飛び回る戦術機を目で追いかけ続ける。そんな待ち時間も、執務室のドアから響く小さなノック音によって終わりを告げた。「閣下、コーヒーのお代りを持って参りました」「ああ、開いているよ」「失礼いたします……あの、お二人分のご用意を致しましたが……」無機質な、軍の備品らしさを前面に押し出したシンプルなデザインのトレーに乗せられたカップが二つ。カップの中身は注文通り、湯気を発する淹れ立てのコーヒー。さらには砂糖とミルクの入った入れ物が乗っている。それらを運んで来た彼女はクリッとした目をぱちくりとさせ、視線を部屋に巡らせている。「どうしたのかね?」「い、いえ!お二人分と聞いてましたので来訪客の方でも来たのかと思いまして……」「ああ……まぁ君も掛けたまえ―――そのコーヒーは君用だ」「わ、私でありますか!?」「そうだ、コーヒーは嫌いかね?」「い、いえ…好き、ですが……」「そうだと思ったよ」少しだけ慌てた様子の彼女に『衛士となる』と夢を語っていた時のような孫を見る気分になる。私はソファーへ座り、彼女を促す。ちょっとだけ、本当に少しだけ迷った素振りを見せたが私の対になるように席へ着いた。「なに、ちょっとだけ老婆心が働いたようなものだ……遠慮しないでリラックスしてくれ」「は、はぁ…」カップを手に取り、コーヒーに口をつける。中尉は砂糖とミルクを入れ、小さく笑んでから私に続いてコーヒーを飲む。何処かゆったりとした、何とも言えぬ空気が満ちる。一週間後にはBETA間引き作戦が実行され、その準備に基地の全員が奔走する中でこの場所のみが時間が遅い。そんな、不思議な空気を堪能するかのようにもう一度カップに口を付け……その直後、基地を揺らすような轟音とそれに続く爆音が響いた。その衝撃で噴出す&気管に入る熱々のコーヒーは不幸としか言えない。「ぶふぅっ!?アツ、あっつー!?」「閣下!?大丈夫ですか!!」駆け寄りタオルを差し出す中尉。それを受け取り、咳き込みながらも窓へと取り付き、何が発生したか見極めようとして目を細める。未だ衰えぬ視力は基地滑走路で炎上、爆発する一機の戦術機とちょっと離れた場所で立つ一人の衛士の姿を捉えていた。「中尉、双眼鏡を!」「た、只今!」部屋に置かれた双眼鏡を指差し、受け取って覗き込む。おぼろげにしか見えなかった戦術機の機種と、衛士の顔が見える。そして、それを確認した男はゆっくりと双眼鏡を下ろした。「か、閣下……?」中尉が震える男に声を掛ける。男が醸し出す叩き上げ特有の空気がちょっとだけ怖いのか、涙目で震える顔が年甲斐もなく可愛らしいとかそんなのは全て忘れる。今は、これだけは言わなきゃならないのだ。「またあの馬鹿か―――!!」 ◇「あー、死ぬかと思った」片手を後頭部に当てた衛士強化装備をその身に纏った男が何処かのんびりとした口調で悪びれずにそう告げる。そんな、平和そうな…何処か何も考えてなさそうなのほほんとした男の背後で響く爆発音。男の背後では一機の戦術機がまるで空へ手を伸ばすようにその右手腕を突き上げた状態で陥没した地面へと鎮座し、盛大に炎を上げて燃えていた。「いっやー、まさかCPUがフリーズするとは思わなかった!お陰で墜落だ墜落!!」大きく口を開け、何処か他人事のような態度で男は盛大に笑いながら怪我一つ存在しない自分の体を誇らしげに押し出してまた笑う。その背後では、戦術機の消火作業をする地上誘導員や衛士、MPに整備兵も含めた連合部隊の叫び声をBGMとして周囲に響くが知らんぷり。そして、そんな男の前に乱れた髪と少しだけ赤く腫れた目元をした少女はプルプルと震え、今まで地面を見ていたその瞳を男へと向けた。「なんで私の戦術機をぶっ壊しちゃうんですか大尉ぃぃぃぃぃい!!!」咆哮、叫び、絶叫、悲鳴。それらが入り混じったような悲痛さと怒りに満ち溢れた少女の叫び声が男、クラウス・バーラットへと叩き付けられる。その後ろでは今も無残に燃え盛る戦術機が少女、エレナ・マクタビッシュの怒りを援護するかのように大きく炎を上げていた。「まだ乗ってないんですよ!?新品のF-18Eですよ!?何してるんですか!?」涙目で、本日から御目出度く彼女の専用機として宛がわれた“F-18Eらしき何か”を指差してエレナは叫ぶ。今まで彼女の乗機はF-18Eより一つ手前のバージョンであるF-18だ。それ故に、今までの乗機の上位互換機という事と自身の慕う上官と同じ機種だっただけに彼女の喜びは有頂天に達していたに違いないだろう。ただ、そんな幻想は慕っている上官であるクラウス・バーラットに物の見事にぶち壊されたのだ。「作戦前だから最終調整を任せた私の間違いでした……っ!」キッとクラウスを睨み付けるエレナが怒るのもまぁ当然と言えるだろう。『完成された戦術機のCPUフリーズ』なんてこと自体が『例外』であるのだ。「どれだけ無茶苦茶なコマンド入力したんだ」と、整備員から常日頃怒鳴られているクラウスを除いて普通は発生しないだろう。それに、エレナは『例外』であるクラウスの無茶苦茶ぶりを知る彼女は「機体の操縦は加減して下さい」と伝えてあるからこそ、それを裏切られた衝撃もある。そんな、当然とも言える怒りを向けられている張本人であるクラウスは何処か遠くを見るような目で燃え盛る“戦術機だったモノ”を見て、口を開いた。「―――フリーズとは関心しませんな、最近の戦術機は惰弱で困る」「「「「―――――ふっざけんなぁぁぁぁぁ!!!」」」」「大尉が乗ってる機体と同じですよー!!」「耳にキィーンと来るから大声だすなよ!?」周辺で消火作業に勤しんでいた全員とエレナが口を揃えて腕を組んで顎に手を添えたポーズのクラウスへ叫ぶ。流石に怒りが限界を超えた彼らの叫びは波紋のように広がる。だが、クラウスが耳を押さえて叫び返した言葉にまたもや全員の思考が一致する。―――――この野郎、一片たりとも全く反省してねぇ。そんな空気を一身に浴びせられているクラウスも流石にちょっとは、本当にちょっとは気にしたのか顔色を曇らせていた。「反省文で済みませんよコレ!?どうするんですか!?」「いやマジどーすっかなー、っべーマジっべーわ」「うわぁ…なんか凄くムカつく」「いやさ、エレナよ。何がやばいって――――普通は事故で片付くんだろうけどさ、主犯が俺だろ?」クラウスが親指で自分の胸を二回ほど叩き、無駄にある説得力でそう告げる。そうだ、この『全自動始末書製造機&上官の胃腸ブレイカー』たるクラウス・バーラットは“そういう男”だ。本当に事故であっても疑いを厳しく掛けられるという存在、キング・オブ・問題児。『騒動の中心にクラウスあり』こんな不名誉極まりない……それこそ昔からずっと所属先で何故か定着するフレーズすらあるくらいだ。それをクラウスの部下であり被害者という、現状では最も理解しているであろうエレナが納得したような生暖かい視線をクラウスに送っていた。「ああー……」「納得すんなよイジけんぞテメェ」「むしろイジけて大人しくなって下さい―――まぁ、一週間くらい営倉に入ってればその熱も冷めるのでは?」にべも無い毒を吐くエレナ。それにクラウスはガクッと頭を垂れてヤンキー座りで髪をグシャグシャにかき混ぜる。どうにも、エレナが彼の空気に慣れた所為か妙に可愛げが無くなって来ているとでも思っているのだろう。クラウスの視線が『最近、妙にツンツンしてやがる』と雄弁に物語る。ただ、最低限の良識は存在しているのか「女の子の日なのか?」とは口に出さないだけマシだろう。何気に、致命的なまでに空気が読めないのがクラウスなのだから。「しっかしどすっかね~」「どすっかねーじゃないですよ……って煙草!!」「まぁこの一本だけ吸わせろ。冗談抜きというかほぼ間違いなく営倉かも知れねぇんだから」クラウスがそう呟きながら地面に胡坐を組んで座り込み、煙草を咥える。火は目の前に転がっていた戦術機の残骸の残り火から、熱に顔を顰めつつ近づけ大きく一吸いし―――大きく咽る。どうやら燃料の風味が存分に残ってたらしく、顰めてた顔を更に顰めつつ煙草をもみ消す。そしてもう一本取り出し、今度は整備員から借りたライターで火を吐けようすると、エレナが咥えていた煙草をを取り上げた。「おい……」「この一本だけ、その約束の筈でしょう?」「ふふん!」とか「どうだ!」とでも言いたげな顔に若干小さ…じゃなくて控えめな胸を張り、ふんぞり返るエレナ。それを見たクラウスは煙草のパックを覗き込む。残りの煙草の残量はタイミング悪く0、つまりはエレナの持つ煙草が最後の一本だという事に他ならないのだ。それを理解したクラウスはのっそりと立ち上がり、エレナの正面に立つ。そして、ゆっくりとエレナの両肩にその手を置き、ガッチリとロックした。「ふぇ!?た、たたた大尉!?」「エレナ、俺の目を見てよく聞け」傍から見ればMK5(マジでキスする5秒前)という状況を知ってか知らずか、ちょっぴり真剣な雰囲気と顔でエレナの瞳を覗き込むクラウス。狙ってるのか、それとも本当に真剣なのかは不明だがエレナの顔が真っ赤に染まり、良い感じに頭が茹だってそうな感じである。そして、その真剣な表情のまま、クラウスが口を開いた。「好きなんだ!いや、愛してると言ってもいい!ともかく、俺には必要な存在なんだっ!!」「――――ッ!」そう叫んだクラウスにエレナが林檎色に変わる。先ずクラウスの言葉が足りてないのは確実だろう。「好きなんだ(煙草が)!いや、(煙草を)愛してると言ってもいい!ともかく、俺には必要な存在なんだっ(ニコチン中毒な意味で)!!」恐らくはこんな意味なんだろう。まぁ真正面からそんな言葉を真剣な顔(見る人が見れば非常に残念な顔)で言われれば判断力が鈍るのも当然かも知れない。普段のエレナだったら落ち着けているだろうが『愛機爆散・疲労増加』とちょっとだけ頭に昇った血がこの判断を生んだのだろう。まぁそれは置いておいて、周囲の人間はそんな二人を面白い物を見るかのように見ているのだが。「―――いいか?」「は、はいっ…!」緊張に染まった顔のままギュッと瞳を閉じ、少しだけ上を向くエレナ。手から零れ落ち、煙草はもう無い手は胸で組まれてフルフルと震える。だが、幾ら待っても彼女が望む展開は来ないだろう。クラウスはクラウスで、エレナが落とした煙草を拾って幸せそうに、本当に幸せそうに煙草を吹かしているのだから。そして、その煙草の匂いはエレナにも届いてる訳で。「……………」「ん?どーしたーエレ……ナ?」「総員退避ぃ!」とか「何してんだあのアホー!?」とか口々に叫んで周辺で様子を探っていた者達が逃げ出す。ここがドラ○ンボールの世界なら崩壊直前のナ○ック星の如く大地が震えているだろう。そして、流石のアホもそれには気づいたのか、額に汗を浮かべつつ逃げようもないこの状況に固まっていた。「あ、あのー……エレナさん?」遠くから見ていた者達が無言で「何とかしろ」とクラウスに満場一致で告げ、口端を引きつらせながらクラウスが声を掛ける。肉弾戦ではクラウスはエレナに勝てないと承知してるが故に腰が引けてるが仕方が無いだろう。少なくとも、逃げるのは許されそうにない状況なのは確かだ。それを悟ったのか、クラウスも意を決してエレナの顔を覗き込もうとして……その瞬間、ペタンと力なくエレナの足が力を失う。所謂、女の子座りという格好になったエレナは顔を上げてクラウスを見つめる。10秒だろうか、それとも一分だろうか……見つめ合っていたクラウスとエレナだが、エレナの変化にその全てが終わりを告げた。「………ック、ヒック……――――うぇぇええええん!!!」「(泣いたー!?)え、エレナ?」「うるさいです馬鹿大尉!私の期待を返せー!!」「ちょっと待て圧し掛かるなマウント取るな!?おいばかやめろっ!?冷静になれエレナ!それがお前のキャラか!?」「うるさいうるさいうるさいうるさーい!!責任、取ってくださいよぅ!!!」「何の責任だド阿呆!?というか首に抱きつくな苦しい、死ぬっ!死ぬっー!!」心底くだらない、とでも言いたげにギャラリーは去っていく。クラウスはクラウスで救助を求めたりしてるが知り合いからは中指を突き立てられ、返される救援依頼。どうしてこうなったか―――それすら分かってない人間がこんな局面に言うのはたった一言だけだろう。「だ、誰か助けてぇぇぇぇぇぇえ!!!」ちなみに後日。コーヒー好きとして有名な基地司令官より『アラスカ送り』というありがたーい任務を頂く事になるのは……まぁ、そう遠くない未来である。あとがきエレナさん分が足りないと私のゴーストが囁いていた。時期はユーコンへの出立前というか原因。