カツン、と杖が平らに伸ばされた滑走路を叩く。大きく深呼吸。肺に取り込んだ懐かしい空気をゆっくりと吐き出し、空を見上げた。「空が青いねぇ…」基地の警備部隊であろう二機のF-16が飛び去っていくのを見送り、荷物を背負い直す。背後では、荷物を抱えたエレナが慌ててC-130から降りて来て……あ、頭から転んだ。「う、ううぅ……痛いですぅ」「ドジは直らないんだな、お前…」「うぐっ…」口を不満そうに閉じたエレナに苦笑し、向かいからやってきたジープに目をやる。あれが迎えの車だろう。これから着任の挨拶をしなければならないのだ。日本とは何処か違う寒さを持つこの土地に、コートの襟を首に寄せつつ……呟いた。F-18/EXの開発期間も含め、2年近く離れていたこの大地の名前を。「久しぶりだなぁ……欧州も」2002年、3月。俺は、何処か懐かしい景色のある国へと戻っていた。 ◇【2002年3月 国連軍大西洋方面第1軍・ドーバー基地】「はぁ……本当に疲れたなぁ」「大尉、溜め息を吐くと幸せが尽きちゃいますよ?」「……あのな、俺の階級は“軍曹”だ……分かったか?マクタビッシュ“中尉”」俺の羽織るジャケットの階級章を指差し、そしてエレナの階級章を指差す。先ほど、着任挨拶に向かった際に基地司令から俺とエレナの両名に正式な任務が課せられた。エレナは新設される戦術機中隊の指揮、俺は訓練教官として訓練兵の指導だ。今まで、俺が指導する場合は戦術機課程に進んだ者ばかりだったが今回は違う。1から鍛え上げ、総合を突破させ、そして戦術機操縦を完全に付きっ切りとなって行う。今までは実戦部隊からの一時的な派遣なだけで、任務があれば訓練兵を他の教官に任せる事になるのもあった。それを考えると、じっくりと鍛え上げれるってのは丁度いいかも知れない。体も、正直に言えばあまり良くは無いが短時間なら戦術機にも乗れる。今も突いている支えである杖も不要になるだろうし、後はどこまで自分の体を取り戻せるかが問題だろう。「ま、お前も立派に部下が持つ立場になったんだから胸を張るんだな」「わ、分かってますよ!」部下を、自分の隊を持つ事への緊張なのかはたまた別な物なのか、何処か元気の無いエレナに思わず吹き出す。そんな俺に何処か不満そうな顔をして、手元の紅茶を飲むエレナ。ドーバーの食堂の一角で小休憩をしているが、此方を伺う基地要員の視線には何かが籠っている気がする。「……そういや、俺の軍葬とかやってたな…」「多分、顔はかなり広まってますよ?」「……勘弁してくれ」スカーフェイス+杖+軍葬が行われた筈の人間なんて、目立たない方がおかしいだろいやマジで。頭を抱える俺に、何処か満足そうに笑みを顔に浮かべるエレナが妬ましい。畜生、香月博士が各国に対応してくれてはみたいだけど兵士個人個人までは説得も説明もできんわな。そんな事を思いつつ溜め息を吐く俺に一際笑みが深くなるエレナ……コイツ、なんか色んな意味で強くなってねーか?とまぁ、俺がそんな風に思っていると少しだけ食堂内の空気が変わる。少しだけピリッとした、何処かムカつく空気をうっとおしくも思いながらコーヒーモドキを啜る。そうしていると、俺の対面に座っていたエレナが立ち上がって敬礼をしていた。俺とエレナの座る方角へ佐官クラスの人間でも視察に来てるんだろうかと思い、俺も立ち上がって敬礼し……固まった。「死んだと聞いてたが、流石にしぶといな」「テメェ……」「だ、駄目ですって大尉!お、お久しぶりであります!アイヒベルガー少佐!」西ドイツ陸軍陸軍第44戦術機甲大隊大隊長。七英雄、“黒き狼王”ことヴィルフリート・アイヒベルガー。人嫌いにあまりならない俺が嫌うという、稀有な男だ。後ろに部下なのか三人のフライトバッチを着けたドイツ系と思わしき少女達と副官のファーレンホルスト中尉が後に続いている。それを横目に、俺は即効で敬礼を解いて不機嫌さをありありと前面に押し出す。俺の目の前に立つアイヒベルガーは小さく鼻を鳴らしているが、それに俺の不満は募るばかりだ。「で、何の用だブルスト野郎。飯ならアッチだ、芋でも食ってな」「な、貴様っ…!?」俺が指でキッチンの方を指差し、そう言うと深いワインレッドの大きなリボンを頭に着けた少女が反応する。エレナが少し大人びたらこうなるのかもな、とか思いつつ睨むその少女を無視する。すると、その少女が身を乗り出そうとするが……アイヒベルガーが手を少女の前に伸ばして制止した。「よせ、フォイルナー……ヤンキー、ありがたい事に私とお前が国連欧州方面軍司令部より召集が掛かった」「チッ……何だ?二人仲良く飛んでオリーブの枝でも捧げろってのか?」何時ぞや、ユーコンの酒場でタリサがACTVとSu-37の仲良しお散歩にボヤいていたのを思い出し、そう問う。だが、その問いに口の端を歪める様に笑んだソイツの顔に……嫌な予感が警告音を鳴らすのが分かった。「そのまさか、だ」「はぁ!?テメェがそんなのに出るタマじゃねーだろうが!」「我が祖国からの名誉ある任務だ、断る理由はあるまい?もっとも、貴様が相手と思うと聊か不快だがな……なぁ?英雄殿?」「Fuck……」広報任務……ああ、確かに桜花作戦でオリジナルハイヴ突入部隊員とかの“七英雄”だったら良い広告塔だろうよ。俺が入院してた間に、白銀らが取材が多いとか言ってたが今はその意味が身にしみて分かりそうだ。「チッ……ああ分かったよ、行けばいいんだろ……じゃあなエレナ、次に会うのは晩飯だろうよ」「ジークリンデ、三人を纏めておけ……昼食は向こうで取る事になりそうだ」「おいふざけんな、お偉いさんとならまだしもテメェと仲良くメシを食う気はねーぞ」「私も、礼儀のなってないヤンキーとは御免だ」お互いを罵りながら食堂を出て行く。ったく、帰ってきて早々に嫌な奴と出会うとは……桜花作戦で一生分の幸運を使い果たしたんじゃねぇかコレ? ◇「な、なんなんですかあの無礼な男はぁ!?」「落ち着くんだイルフリーデ……まぁ、無礼だというのは納得だが」「い、今にも殴り合いそうでしたけど……あれが、桜花作戦でオリジナルハイヴに潜られた方なんですか?」上から、イルフリーデ・ヘルガローゼ・ルナテレジアの順で言葉を発する。食堂内も、あの二人が消えた事で少しずつ普段通りの様相を戻しつつあるが、少しだけ騒がしさはある。恐らくは先程のやりとりが今一番のニュースなのだ。「あ、はい!バーラットたい…じゃなくて軍曹は桜花作戦においてハイヴ突入部隊の一人でした」「マクタビッシュさんの言う通りよ。あと、あの二人の間にはちょっとだけ問題があるのよ……バーラット軍曹も良い人よ?いえ、良い人すぎるから対立してるのね」「ファーレンホルスト中尉っ!納得できる説明をお願い出来ますか!?」鼻息荒いイルフリーデの問いかけに少し困った顔をしたジークリンデ・ファーレンホルストはエレナを横目で見る。エレナ自体も気にしているのか、視線で問い掛けているのを確認し……諦めた様に、何処か艶っぽく溜め息を吐いた。「じゃあ、教えてあげるけど……マクタビッシュ中尉には辛い思い出よ?」「私に…ですか?」「……2000年の7月、仏連合旅団合同大規模間引き作戦の裏側で起こった衛士訓練大隊の壊滅……数少ない生き残りのアナタなら、事情は分かるでしょう?」ジークリンデの問い掛けに、エレナは顔を歪ませる。クラウスが率いて前線の援護を任された新人部隊の数少ない生き残りである自分を襲った地獄は、まだその脳内に焼き付いていた。殺しても殺しても沸き上がるBETA、着々と過ぎていく時間、死の8分を超えても止まらない敵、叫び声を上げて食われていく仲間。その声が、まだ耳にこびり付いている様に思えてならなかった。「私達が合同の間引き作戦に参加している最中にドーバーへBETAが攻め入ったのは聞いてましたが……」「エレナちゃん、大丈夫?」ヘルガローゼの呟きと、少し震えていたエレナの肩に手を置くルナテレジア。気を利かせた給仕長が持ってきてくれた紅茶で少しだけ休息を取り、また話を続けた。「その時、即応部隊でありドーバー最強の守りの要であるツェルベス大隊の代わりとなる部隊が基地に到着していたわ。それが、当時大尉だったバーラット軍曹の隊よ」「では、マクタビッシュ中尉の教官であったというのは……」「そう、彼は一時的に訓練兵に戦術機の操縦を教える教官として、即応部隊の空き時間を利用しながら参加していたの」もう一匹の地獄の番犬として、本来の守り手たるツェルベスの住居の守りを任されたのがクラウスだと言う。それを知らなかったのか、エレナも驚いた様に目を見開いていたが次第に納得した様に頷いた。当時、クラウス・バーラットの所属はドーバーとは遠く離れたモン・サン・ミシェル要塞だ。それがどうしてドーバーに居たのか……その理由が判明し、理解できたのかエレナは再度頷いた。「バーラット軍曹は後遺症が残る今は不明だけど、昔はアイヒベルガー少佐と肩を並べるほどの戦術機操縦技能があったのよ?」「あ、あの無礼な男が少佐とッ!?」「ええ、最初はトリッキーすぎる動きで撹乱されてアッサリよ。今は7:3から8:2で少佐かしら……まぁ、彼の事だから後遺症の残る相手と決する事は無いでしょう」「信じられない」というよりは「信じたくない」といった風に声を上げるイルフリーデ。恋愛感情が有る無いに関わらず、自身の上官を侮辱する相手には彼女の気質からして許せないのだろう。そして、そんな無礼な男が自身の敬愛する上官……自分では勝つのは不可能と思える相手と肩を並べるほどの実力を持っている事に。エレナも少しの期間だけアイヒベルガーに(何故か)鍛えられたが……その時点で、遥かに上の存在であると感じていた。恐らく、自分が知る世界有数の精鋭部隊であるA-01や対人戦を重視した某国の特殊部隊が操る戦術機でも犠牲無しには墜とせないだろう。そう、例えるのなら……クラウスが「巧い」に対し、アイヒベルガーは「圧倒的」なのだ。「続けますよ?…バーラット軍曹の隊は海軍でも最精鋭と言われてて、BETAとの実戦で生き残り続けた者ばかりで構成されていた……海軍は、その部隊の損耗を恐れた」「一時期とはいえ、即応部隊としてドーバーに所属しているというのに…ですか?」「ええ、モン・サン・ミシェルは欧州奪還を狙う最精鋭の集い……国連海軍からすれば損失は最低限にしなければならない。でも、BETAは待ってくれないわ」「そんな悠長なッ!」「そう、それで白羽の矢が……いえ、即応部隊と共に他部隊が出動する時間稼ぎの生け贄になったのが壊滅した訓練兵の部隊なのよ。運悪く、実弾演習の最中だったわ」その後、部隊司令よりクラウスに告げられた昇進の話は“生け贄”と共に送り出した事に対しての口止め料も含められていた。だが、怒りを顕わにしていた本人の手によって顔の整形手術を行われたのは当然の報いなのかも知れない。結果的に言えばクラウスはエレナを含む生き残った新人衛士と伝手で集めた衛士による中隊を組んでいた。その後は元の部隊に戻る事は無かったし、司令部もその事を追求しなかったし、出来なかったのもある。何せ、当時のクラウスは触れれば爆発する不安定な状態であったのが明白だったからだ。だが、規律という制限が設けられた軍隊という社会ではクラウスの存在と行動は問題視されていた。その結果が、文字通り「扱いに困った」司令部の判断によってアラスカのユーコンへと送られる事になったというのが事の顛末だ。つまり、「火傷する前に火を遠ざけてしまえばいい」……そんな考えがあったのかも知れない。クラウスという男は問題児であり扱いにくいが、戦術機乗りとしては優秀であったが故に取れた手段だろう。「「「……」」」イルフリーデ・ヘルガローゼ・ルナテレジアも思わず沈黙する。彼女たち軍人にとって従うべき命令を下す司令部……軍の上層部を信用できなくなる可能性を秘めたこの話に何も言えない。それは、規律を重んじるドイツ軍人であるが故に尚更だ。これだけの情報を何で知っているのか、というのは野暮な質問だろう。黒き狼王の傍らに立つ事が許された白き狼、その地獄の番犬の片首を担う彼女は謎の多い女性でもあるからだ。「でも――――何故、アイヒベルガー少佐とバーラット軍曹はあそこまでお互いに噛み付き合っているのでしょうか…?」ルナテレジアは最もな疑問を口に出す。確かに、今までの話の中ではツェルベス大隊の代わりにクラウスの部隊が一時的に即応部隊となり、その片手間で指導していた訓練兵がBETA侵攻によって壊滅したという内容だ。その結果に至るまでに上層部の考えやクラウスによる暴行事件もあったが……「クラウスとアイヒベルガーの不仲に至った」肝心の理由が明かされていないのだ。話の一部にはクラウスとアイヒベルガーが戦術機の腕前を互いに競った事を思わせる言葉も存在していた。ワザワザ嫌いな相手と好んで訓練する筈も無い。そう思ったからこそ、ルナテレジアはそう聞いたのだが……「それなのだけど……はぁ…」「「「「……」」」」と、またも何処か色気のある深い溜め息をファーレンホルストは吐くだけだった。三人娘―――訂正、エレナを入れて四人娘という『女三人寄ればなんとやら』を一名ほど増やした状態の少女達は視線で何処か催促してる様にも思える。いや、もうこのメンバー内で最も年齢が低いであろうエレナでも19歳なのだから少女では無く女なんだろうが……そこは本当に野暮な問題なので省略だ。兎も角、だ。彼女達からすれば今は不完全燃焼みたいなもの、もっと詳しく知りたいのだろう。具体的には謎に包まれた上官である男の過去とかを。「アイヒベルガー少佐はバーラット軍曹に言ったの、『死者に囚われれば死ぬだけだ』と…軍曹は、『囚われてない、俺は俺の責任を果たすだけだ』って」「……」「そこから、盛大な口喧嘩よ。私はアイヒベルガー少佐の傍で待機してたから話を聞いたのだけど……お互いに譲れないのね」過去を背負い過ぎるなと言うアイヒベルガー。全て背負い続けると言うクラウス。どちらの主張も一長一短……いや、正当性がある。過去を振り切れないのは弱さにもなれば強さにもなる……そして、背負う事は強さになればまた逆に弱さにもなりうる。そんな、ちょっとの価値観の違いが二人の関係を悪化させるスパイスの役割をした。だから、お互いが譲り合わないし話し合おうとしないから……まるで子供の喧嘩みたいな状態になってしまったのだろう。「男ってのは本当に馬鹿ね……特に意地っ張り同士の喧嘩は仲直りが大変なのよ?」つまりは、そういう事なんだろう。そこでファーレンホルストは話を切る。もうこれ以上は語る事は無いと言う様にのんびりと紅茶のカップを傾ける。今頃、あの二人はどうしているのか……そんな事を思い浮かべながら。【一方その頃、男二人】「テメー上等だ!表に出やがれッ!!」「フンッ、後遺症の残っている貴様が私の相手を勤められるのか?大体、お前は生身での格闘訓練は最悪だと前に話していただろうが」「譲れないモンがあるんだよ!男の子にはなァァァ!!」「だから貴様は餓鬼だと言っている!どこまで理想論と過去しか見んのだ!」「未来だって見てるわい!俺のあり方みてーなんだから仕方がねーだろが!!」「それが何度貴様を殺しかけたか分かって言っているのか!?自己犠牲を打算なしに行うなど気でも触れて……」「テメーに心配されるほど落ちぶれとらんわ!!」「誰がお前の身を心配するか!巻き込まれる人間の不幸を嘆いているだけだ!」「ぐ、ぐぐぐ……!」「……ッ」お互い、子供みたいな喧嘩をしていたのであったとさ。あとがき過去話&欧州編への取っ掛かりついでにユーロフロントの皆様もゲスト出演。訓練部隊壊滅は【閑話過去話】彼と彼女の流儀を参照。本当は黒き狼王(EF-2000)VSホルスの目(F-18/EX)のガチ勝負も書きたかったけど断念。