【2010年10月23日 国連太平洋方面第11軍 横浜基地 地下19階 香月夕呼研究室】「博士、白銀はどうでした?」「あら、私の部屋は何時から死者が出歩く様になったのかしら?」「自分でパスを渡しておいてそれですか……ま、賭けは俺の勝ちですね」地下19階フロアに位置する香月夕呼の研究室。そこには場違いしか見えないミイラ男が呑気にコーヒーが並々と注がれたカップを傾けていた。それを何処か忌々しそうに見ていた夕呼は小さく溜め息を吐き、肘を机に立てて男へと声を掛けた。「賭けってもねぇ……あれって賭けって言えるの?……私にもコーヒー頂戴」「ま、俺の情報の信憑性が少しは増したって事で納得して下さい……コーヒーをどうぞ」「ありがと」本物のコーヒー豆から挽かれたコーヒーをサイフォンからカップへと移し変え、ウェイターの様に恭しく差し出す。それを鼻で小さく笑い、カップを受け取った夕呼はコーヒーに口を付け、二~三口ほど飲んでからカップを下ろした。「60点って所かしら?」「手厳しいですね」組んでいた足を崩し、再度組み直すと手元の資料を手繰り寄せ、覗き込みながら考えるように黙り込む。ふと、顔を上げた夕呼は真面目な顔をして言った。「……ねぇ、人間辞めてみない?」「嫌ですよ……てか、人を殺そうとした人が今更言います?」男は「何言ってんだコイツ?」な視線を向けて睨むと夕呼はそ知らぬ顔で「あら?そうかしら?」と言って愉快そうにカップを傾ける。それに男は思い返す……今から、一月ほど前の事だった。 ◇【2001年9月24日 国連太平洋方面第11軍 横浜基地】「こ――が今――験者です――?」「そ――、現―――じゃ最こ―――よ」―――――声が聞こえた気がする、そう漠然と男…クラウスは思った。何処か聞き覚えのある女の声に初めて聞く男の声。霞んだ意識の中じゃ判断も出来ないし、状況把握も出来ない。体を動かそうにも手足が付いてるのかどうかも分からないし、そもそも体がどういう状態か判断も付かない。俺は……確か、ソビエトで撃墜された。36㎜の至近弾を受けて……何かが腹部を貫く感覚と、引き千切れる激痛に耐え切れず脳が意識をシャットダウンしたんだと思う。自分でも生きているのが不思議なほどだが……少なくとも、こうして生きているのはエレナが香月博士に例の内容を伝えたんだろう。じゃなきゃ、今頃お陀仏だった筈だ。「―――?」「で―――!―――?」……しかし、五月蝿い。何か言い争っているのか少し大きめな声での会話が続いている。「………少々五月蝿い。起こさないでくれ」「「――――ッ!?」」何とか発する事が出来た声で五月蝿い事を告げ、それで限界へ至ったのか意識を落とす。その際、会話していた二人が化け物を見るかのような目で此方を見ていたが……強烈な睡魔と戦う今の俺には、それを気にする余裕は無かった。そして、更に一週間が経過した頃。俺は完全に目を覚まし、大いに医務官達を驚かせた。聞いた話では管制ユニットへの被弾の際に四散した内壁が身体を切り裂き、突き出たパイプが体を管制ユニットへと縫いつけ、火災が発生して火傷を負い、左腕は文字通り消えたらしい。更には内臓も損傷してるらしく、消化器官を切り取った部位もあり食事制限を出された。まぁ、元々が消化の良い合成食なので気にする事も無いとの事だ……アルコールは控えるように言われたが。しかし、改めて自身の体の事を聞くと生きてるのか不思議に思う。……ま、生きてるならそれで良し、それ以上を望むのは贅沢というものだろうな。「あら、目を覚ましたって聞いたから来たけど……一月は昏睡してた人間にしては元気そうね?」「………」「………何よ、急に汗をダラダラと流して」ベットに寝ている俺を見下ろすように腕を組む白衣の女性、香月夕呼が軽い感じでそう告げる。それに対し、俺は嫌な汗が流れ出るのを止める事が出来なかった………今まで忘れてたが、ソ連での騒動を治める為に第四計画の事をエレナに伝えさせたのだった。そして、俺が寝ているのは明らかに通常の医務室とは違う雰囲気を放つ部屋。窓も無ければ何も無い……そんな感じの無機質な感じがする部屋だ……ねぇ、明らかに“知られたく無い存在”を収容する場所じゃないか此処?「いえ、まさか噂に名高い香月博士にお会いできるとは思いもしませんでしたので」「へぇ~……あ、アンタ達は出て行きなさい」俺が乾いた笑いを出しながらそう言うと、周囲で作業をしていた医務官らしき人員に退室命令を下す。それに頷いて部屋を出て行く医務官達………え、この人と部屋で二人っきり?そんな事を思っていると香月博士が懐に手を入れ、黒光りする物……拳銃を取り出す。そして、それを此方に突きつけて半音下がった声色で俺に問うた。「アンタ、何者?」「………」「アタシはね、アンタの今までの経歴から“生き残る運命”を掴み取れる程の“運”を持っている程度の認識だったわ……」嘘を許さない、事実のみを答えさせるような直線的な聞き方に「本気」だと悟る。事実、突きつけた拳銃の暴発予防の為の安全装置を外し、スライドを引いて初弾を装填して決して外さないように俺の額へと銃口を押し当てている。後は、軽くトリガーを引くだけで俺の28年間の人生は終わりを迎えるだろう。故に、地肌から滲み出る汗が止まらない。「でも、持つ情報は一介の衛士如きが得る事が出来る筈が無い物ばかり………もう一度聞くわ、アンタは何?」「…………因果に囚われた旅人って事で……」乾いた音が響き、俺の頭を抱きこんでくれていた枕に穴が開く。9㎜という、人一人を殺すには十分な威力を持った銃弾の発砲音が耳元にキィンとした音が残響するように残った。「ふざけてるのかしら?アンタは公式的には死亡してるから、非人道的な拷問でも薬物でも何でも使って吐かせる事だって出来るんだけど?」「………ハァ…」駄目だ、どんな誤魔化しも通用しない……香月博士は本気であると理解して溜め息を漏らす。文字通り、彼女は魔女だった。各国の政府相手に、むしろ世界相手に出来る彼女の手腕をたかがこの先の出来事を知るだけじゃ納得させれる筈が無かったのだ。若干だが諦めモード、正直に言えばこういう可能性があったから香月夕呼という“ジョーカー”を使いたくなかったのだ。『第四計画』はまだしも、計画の要である『カガミ スミカ』の存在と最大の障害である『手の平サイズの半導体150億個の並列処理回路』はオルタ4でのトップシークレットだ。それがオルタ5の上層部に知れれば嫌味な妨害工作がピンポイントで行われるだろう。『カガミ スミカ』にしたってその存在と名を知るのは恐らくだが社と香月博士のみ、それを俺はエレナに香月博士という個人に対して伝える様に手配したのだ。疑われるのは至極当然だろう………そうだ、エレナ!?「―――香月博士、私の持つ情報の全てを捧げます……ですが、質問に答えて戴きたい」「………何かしら」「俺の副官、エレナ・マクタビッシュは無事でしょうか?あと、ソビエトの部隊の皆は……」「ソ連の方は口外命令で済んだわ……それと、あの子?知っちゃいけない事を知っちゃったし、どうするかは予想できるんじゃない?」「………」「可哀そうにねぇ~、あの子もこんな可笑しな上官を持っちゃってまぁ…」嘲笑に歪む香月博士の顔、それを聞いた俺はゆっくりと体を起こす。一月という時間を寝て過ごした事で固まりきった関節の部分部分がミシミシと音を立てるが、気にもしない。香月博士も流石に驚いたのか、一歩引いて銃をしっかりと此方へ向ける。下手したら撃たれるな……そう思いながら正座、邪魔になる酸素吸入器や点滴の管を引き抜き、頭を下げる。所謂、土下座だ。「………何?」「俺の全てと引き換えに、彼女の無事を保障してくれ」「―――自己犠牲のつもり?だとしたら傲慢ってもんじゃないの?」「違う、これはホルス試験小隊の長としての意地だ」「意地?」不思議そうに聞き返す香月博士の目をしっかりと見て、俺は頷く。どの部隊の長もそうだ。部隊長という存在がすべき事は部下を纏め上げる事じゃ無い、そんなのは副産物だ。隊長の仕事は部下を無事に帰還させること……前回のソ連遠征でもイブラヒム中尉を初めとした各試験小隊の長もそれを第一に考えていただろう。それに、これは俺のプライドの問題だ。本来は第四計画なんかと関わる事も無い筈の彼女を関わらせてしまったのは俺だ。だから、傲慢であっても無事に帰さなければならない。それが、俺に出来るかも知れない最期の足掻きだろう。実質、俺の命は香月博士に握られているのだから。「………そう、部下思いね」「俺みたいな人間が出来るのはそれ位ですよ……ッァ」「あ、ちょっと!、情報も言わないで死なれたら一応は困るのよ!?」酸素吸入器に頼っていた肺を押さえ、身もだえするように胸を押さえると少し慌てた様子で吸入器を俺に付け直す。そんな予想外の優しさと台詞に乾いた笑いが込み上げ、笑うと睨まれる。………何時の間にか、銃は下ろされていた。 ◇うん、確かこんな感じでその時は話が終わったんだ。で、その後の説明では「オルタ4の成功する未来を映画の様に見た」とだけ伝えた。事実、ゲームをプレイしていた当時の俺は映画を見ている気分だったのでそれを読んだ社も嘘を言って無い事を博士に伝えている。俺の処分は香月副司令監視下に置かれた重要参考人といった所だろう。まぁ、名前は死者扱いなので偽名を使用しているが。「で、アンタと同じく異邦者の白銀が予言通り、昨日来たんだけど……冷静に考えればあんなに自信満々に言うんだからホントだったんでしょうね…」「ま、そういう事です。あ、これは貰って行きますよ?」「ハイハイ、賭けに勝ったんだから好きにすればー?」香月博士は投げ遣りな感じに手を振り、部屋の片隅に置かれていた箱を指差す。例の賭け……「10月22日に鑑 純夏の待ち人の白銀 武がこの基地へと来る」という内容は見事に当たり、俺は目的の代物を手にする事に成功していた。「おお~……キューバ産かコレ?保存状態は………うん、悪くない」「多分だけどそうじゃない?以前、帝国の情報部員から貰った土産よ」「鎧衣課長ですか?あの人、何処にでも行くなぁ……」「あ、やっぱ知ってるの?」箱の中身……キューバ産の葉巻が入ったケースを持ち、ソファーへ座って箱を開けようと手を掛ける。しかしその瞬間、葉巻の入った箱は横から伸びた手に奪われてしまっていた。「………」「………社?」横から葉巻の箱を奪った霞に視線を向け、箱を取り戻そうとする。すると、ヒョイッと避けられた。「………」「………体に悪いです」「………(ニヤニヤ)」何故か沈黙が続く。博士だけは愉快そうにニヤついてた。「社……良い子だからそれを返しなさい!」「~ッ!」脱兎の如く逃げ去る霞、追うジョン・ドゥ……もとい、クラウス・バーラット。それを見送った夕呼はふと思い出した。今日は、『クラウス・バーラットの葬儀の日』だったと。 ◇【国連軍大西洋方面第1軍・ドーバー基地 空母グレート・ブリテン甲板】《その命を、その力を……最後まで護る事に使った男を……我等は、忘れてはならない》場所は欧州、国連軍大西洋方面第1軍・ドーバー基地に停泊した一隻の空母の甲板に長々とした演説が響く。周囲には様々な制服の姿があった。国連、イギリス、フランス、ソ連、日本帝国、ドイツ、アメリカ、スペイン、スウェーデンetcetc。そしてその中に、目元を制帽で隠すようにして毅然と立つエレナの姿もあった。《我等は一人の友を失い、そして一人の戦士を失った……だが、彼の残した物は未来を生きる我等の大きな力となるだろう》この場で行われているのはクラウス・バーラットの軍葬だった。良くも悪くも有名だった男の死は伝手を通して瞬く間に広がり、それを確定付ける様にソ連からは“アレクサンドル・ネフスキー勲章”なんて代物が送られた始末だった。国連という組織への配慮なのか、それとも何か打算があるのは不明だが既に無視できるレベルを超えていた。士気の低下を恐れた各艦隊司令による協議の結果、「盛大な軍葬として兵士を鼓舞する」となったらしい。「………静かに、寝かせてやって下さいよ…」エレナの呟きはエレメントを組んだF-18/EXが上空を飛び去る際のジェット音で掻き消える。……そして、その内の1機が青空へと混じったように隠れて消える。クラウス・バーラットが残した物、新OSのデータと試験を完遂して完成された新型の海軍機。それは新たな剣として、護る力となる。《我等が出来うる事は……せめて、その魂に安らぎがあらん事を》エレナの目の前で、国連軍旗が掛けられた棺が持ち上げられる。あの中にクラウスの死体は入っていない。機体ごと消失したのだ……当然だろう。「捧げぇー…銃!」儀礼を担当する西ドイツ陸軍所属の指揮官の声が響き渡り、それに合わせて弔銃を構えた兵士達が空へ向けて同時に空砲を放つ。パァーン…という乾いた音と共に、何も入っていない棺が海へと投下された。『『『『………ッ!(バッ)』』』』その場に居た全員が一糸乱れず、水中へ落とされる棺を見送る為に敬礼を捧げる。海軍衛士としての帰る場所は海……水葬は最高の名誉として残っていく。いや、もっと言うなら海で戦う者達の傍にずっと居る……そんな事を意味するのかも知れない。そしてエレナも見送るように敬礼をする。目元は、帽子で隠れて見えない。だが、小さく口元が開き……呟きのように言葉が洩れた。「………嘘吐き」「ええ、まったくの嘘吐きでしょうなぁ」「ッ!?」ふと、背後から聞こえた声に体を強張らせる。何時の間にか気配があった事に彼女は驚き、ゆっくりと後ろを振り返る。「初めまして、マクタビッシュ少尉ですね?」「……何方ですか」「おお、これは失礼。レディーの名を知っておいて私の名を知らぬのは無礼という物……コホンッ、私は微妙に怪しい者です」「ふざけてるならその咽喉を掻っ切って本音を喋らせますよ」愛する上官の葬儀に現れた不審者に対し、非常に危ない空気を醸し出しながら懐に仕舞われたナイフと拳銃に手を伸ばす。その殺気を受けたトルコ帽を被った中年の「微妙に怪しい者」はコートの中に仕舞っていた一つの紙袋を取り出し、エレナへと持たせた。「……何です、コレ」「はて?私にも分かりませんな……贈り物らしいですよ?ではでは」「微妙に怪しい者」はエレナが瞬きをする瞬間には雑踏に消えており、影も形も見当たらなかった。それに驚きながらも渡された紙袋を持って自室へと戻る。そして、その中身に声を失った。「――――たい、い……ッ!」紙袋に入っていたケースに納められていた物は、一丁の拳銃と手紙の入ってるらしき封筒。封筒の中身は分からなかったが、この古めかしい拳銃……M1911は敬愛する上官、クラウスが持っていた物だった。そして、封筒の中に収められた手紙。そこには短い一文のみが書かれてあった。『必ず戻る』「―――――ッ!」胸に手紙とM1911を抱きしめ、もう片方の手で口を押さえる。口を押さえたのは嗚咽が響くのを防ぐ為だったが、溢れ出る涙につられて耐える事が出来なかった。この手紙が偽物だとかそういうのじゃない、この短い一文に篭った思いは嘘じゃないと感じれたからだ。だから、泣いてては駄目だった。「………大尉、必ず……見つけ出します…!」誓いを新たに、生気を失った目に活力が満ちる。先ずは夕食、それで元気を出してから……そう思い、彼女は部屋を出て行く。部屋には、笑顔でエレナの髪の毛をクシャクシャとするクラウスと髪を押さえて逃げ様とするエレナの写真が入った写真立て。その前に置かれたM1911と手紙が、支えになるように彼女を見送っていた。【一方その頃、噂の人物が居る横浜基地】「中尉殿!お止め下さい!中尉殿ォォォ!?」「ええい、離せ!離さんか!」「……ッ!(ビクビク)」追い詰められた霞、騒ぎを聞きつけた警備兵がジョンを抑え、警備兵を振り払おうともがくジョンことクラウスの姿があったとか……。因みに、この騒動が元で横浜基地七不思議に【幼女を追い回すロリコンミイラ】が加わったのは……そう遠くない未来である。後書きシリアスは続かない