――――夢を見た。平和の意味も知らず、無邪気に暮らしている人々の夢を。――――夢を見た。命を危険に晒しながら、守るべきものの為に生きる人々の夢を。夢と現実の境界は、目覚めたときに見えたものをどう感じるかだけだ。それを区別できるのは神様だけなんだろう。だけど、俺には何かができたんじゃないかと思う。この世界に俺がきた意味は、そこにあったんじゃないかと思う。これが避けられぬ運命だったのなら、この世界で俺という存在は何だったのか。悲しい別れも、人類の運命も、そして自分の運命も、俺には変えられたんじゃないかと思う。守るべきものを、本当に守りたいという強い意思が最初からあったなら……俺には、誰にも出来ない事ができたのかも知れない、そう思う。だから、だからせめてこれから生きて、生き延びてすべてを守ろうと思う 。誰もがあきらめたこの星を守り抜きたい、そう思う。残された人々を、残された思い出を、そして愛する人を……命をかけて守る。俺は何かができるはずだ……その力が、あるはずだ。―――――人類は負けない、絶対に負けない。俺がいるから……俺が、いるから―――――【2001年10月22日 国連太平洋方面第11軍 横浜基地 地下19階 香月夕呼研究室】「先生、霞は何処に居るか分かりますか?」横浜基地地下19階、本来はそこには居る筈の無い人影があった。白い学生服風の制服、茶色い髪、上背は180cm近い青年。見れば、服の上からでも分かるくらいに鍛えられた筋肉質な体形した男だ。彼の名は白銀武、この世界に本来は存命し得ない人物である者が頭をポリポリと掻きながら其処に居た。「ん?あの子、隣に居なかったの?」「あの脳髄の部屋ですよね?影も見当たりませんでしたけど…」先程、霞に会いに行くと“前回”と違ってあの脳髄が入ったシリンダー室には居らず、気になったので夕呼へ聞きに来たのだ。白銀のイメージからすると霞は一日中、あの部屋で過ごしている光景しか浮かび上がらず、どこに居るかも予測できないで居た。その旨を理解したのか、夕呼は手を顎に当て、数秒もしない内に行き先が思い当たったのかあっけらかんとした感じに言った。「多分、医務室よ」「医務室!?ちょ、ちょっと行ってきます!!」「あっ!コラ、白銀!!」夕呼の制止が入るが、それを無視するように一気に駆け出す。彼からしたら医務室、とだけで怪我か病気かと思ったんだろう。“以前”の世界では何かと謎の多い少女であったが何かと係わり合いがあった。だから、心配だった。それ故か5分程度で基地内にある医務室前に到着していた。「ハァ…ハァ……良し!失礼します!」「あ、はい。怪我ですか?」「あ、いえ…香月副司令に霞がここに居るって聞きまして…」部屋に入ると緑色の髪を左右二つに分け、それぞれを三つ編みにした眼鏡の女性衛生兵が声を掛けて来る。そこで、来た理由を告げると「ああ」と納得のいった顔で手をポンッと打った。「社さんですね、この奥のベットに居ますよ~」「はい、ありがとう御座います!」「では、静かにしてて下さいね~」にっこりと微笑んでその場を後にする衛生兵に白銀は敬礼し、教えて貰ったベットの配置へと目指す。すると、目の前を見覚えのあるウサミミが通り過ぎたのに思わず目を見開いた。「か、霞!?あ、あれ?怪我してるんじゃ……へ?」「……ッ!」「どうした社ー………ん?」―――俺の視線の先には水の入った桶を持ったまま固まる霞、そして顔を包帯で覆ったミイラみたいな人物が患者用の服を脱いでいる最中だった。 ◇「社、話は終わったのか?」「はい」「あの、スイマセン。お手数お掛けしました…」「気にするな、訳ありっぽかったしな」俺は快活そうに笑いながら上半身をベットから起こし、身体を拭いている包帯巻きの男性に頭を下げる。先程、この包帯の人が気を利かせて俺と霞と共に医務室を出させてくれた。そこで俺は人通りの無い場所で霞と挨拶を済ませ、その後、また医務室に戻って来たのだが……。「(この人……誰だ?)」そう、その事が今は気になっていた。先ず目に付くのは上半身を拭いてる最中に見える全身の至る所にある傷だろう。火傷の痕、切り傷の縫合の痕、肉が抉れた傷痕、円筒状の何かが貫いたような痕……大小様々な傷が見た限り、全身を覆っていた。唯一、傷一つ無い左腕は肩口から他の部位と肌の色や肌の感触が違っており、大掛かりな縫合の痕があった。擬似生体なのだろう、と漠然と思う。そして再度考えるが理解が出来ない。初めて見る傷だらけの男……この男と霞の関係には何があるのだろうか、と。「あの、貴方は……」「ああ、名乗って無かったな。俺はジョン・ドゥ、階級は中尉だが気にするなよ訓練兵」「ハッ!失礼しました、中尉殿!自分は白銀武と申します!」「気にするなと言っただろ……あと、ここは病室だ」「あ…」思わず口を押さえた俺の顔に笑うドウ中尉に気まずげに頭を掻く。そして、名前の持つ意味を考えた。ジョン・ドゥ―――身元不明者―――という意味を持つ名前は明らかな偽名だろう。霞が関係している所からして多分、第四計画に関係する人なのかも知れない。じゃなきゃ、先生は霞にこの人との接触を許可しないだろうし、あからさまな偽名を使わない筈だ。そんな事を考えていると霞が此方を見つめてくる。何処か困ったように眉を歪めてるが……何だ?「……白銀、訓練は良いのか?」「……あ」「社はそれを気にしていたんだ、早く行くといい」「や、やべぇ!し、失礼します!!」確かに、俺はまだまりもちゃ…神宮寺軍曹に声を掛けに行ってなかったのを思い出し、慌てて駆け出す。俺が部屋を出ようとして最後に聞こえたのは……面白そうに笑う、ドゥ中尉の笑い声だった。 ◇「行ったか……社」「はい」「暇潰しを手伝ってくれてありがとな……そろそろ、“あの娘”の元へ帰った方が良い」「はい……またね…」小さく返事をしてからテクテクと歩いて医務室を出る霞を見送り、俺はベットから降りる。行き先は運動不足気味なこの体で目指すのは気だるいが、外の喫煙所だ。「よっこいせっ…と」サンダルがペタンペタンと音を立てて清掃の行き届いた廊下に張り付く音を響かせながら進んでいく。途中ですれ違う者には顔に巻かれた包帯という姿ゆえか、奇異の視線を向けられるが俺の羽織ったジャケットに着けられた中尉の階級章を見て敬礼をしていく。まぁ、今の身体では返礼するにも気だるくて反応もしたく無いが無視する訳には行かず、ゆったりと返礼して去る。そんな事をしていると何時の間にか到着、訓練兵達の声や歩兵部隊の訓練の声、それに警邏中の戦術機やハンヴィーといった物の移動音も混じった中で俺は煙草を咥える。吸いやすい様に口元に巻かれた包帯を少しずらし、火を付けた。「………―――ッ!」スゥっと一吸い、ゆっくりと吸った煙が灰に入った瞬間に咽る。チリチリと痛む肺、体がまだ順応してないのか中々に辛い……が、生きているという実感は感じられた。「………ゴッホッ」煙草を咥えたままでボケッと空を見上げる。咳をした際に落ちた灰が服に落ち、風に飛ばされていくのを見送りながらふと思う。白銀武……この物語の主人公であり、誰よりもガキだった救世主。「ありゃ、どう考えても“2回目”だよな……」病室を訪れた白銀には驚いたが理由は霞を探しにとの事。それに加えてやけに落ち着いた様子や服の上でも分かる鍛え上げられた肉体……本来の世界では平凡な学生だった白銀では先ずありえない物だ。それを理解した瞬間、包帯に隠れた口元を歪める。「クククッ……そうかぁ……やっぱり“オルタ”か……」短くなった煙草を最後に吸い込み、指で弾く。クルクルと放物線を描いて飛んで行く煙草を見送り、肺に残った煙を吐き出す………痛い。「やれやれ、どうなるかと思ったけど―――賭けは俺の勝ちだな、香月博士」ジュッと音を立てて煙草が設置された灰皿へと落ち、消える。それを特に気にした風でも無く、またのんびりとした足取りでその場を去っていった。あとがきジョン・ドゥ……一体何者なんだ…?