「……小説、ですか?」
この時の俺は、傍から見れば随分と間抜けな顔を晒していたに違いない。
夕呼先生は思いつきで行動したり、喋ったりしているように見えて、しかし裏に恐るべき真意があった、と後で気づかされることも多い。
勿論、全く何も裏がないことも多々あるが。
往々にして、天才、つまり、夕呼先生のような人種の真意を推し量るためには、それ相応の人材をあてがわなくてはならないのだ。
ここにいる人材と言えば、平凡な大学生が一人。
結果は分かりきっている。
人生は諦めが肝心と、偉大な先達達も言っているではないか。
若干二十歳にして、既に悟りにも似た境地に至った俺ではあるが、それでも訳くらい聞いても罰はあたらないと思う。
「別に小説を書くって言うのはいいとして、大賞とかそう簡単に取れるわけないじゃないですか、それに、そういうのって審査に時間がかかるでしょ?」
「急いでいるわけでもないでしょうに……でもそうね。アンタの性格を考慮すれば、締め切りを設けないと、時間をチンタラと浪費するわね。いいわ。期間はアンタの誕生日まで、つまり十二月十六日。それでいきましょう。御剣姉妹を選ぶなら、あの子達には誕生日プレゼントって名目で渡せばいいわ。鑑や社なら、自分の誕生日に合わせて告白した、ってことにしてもいいし。ほら、これなら問題ないでしょ?」
成程、理に適っている。
偶然にも、俺と冥夜、悠陽は誕生日が同じ日だ。
霞を相手に選んだ場合であっても、霞から誕生日プレゼントを貰ったお返しとして、その場で思いを告げるなんて、かなりロマンティックな演出だ。
女性と言うのは、総じてそういう演出に弱いものだと、雑誌に書いてあった……気がする。
純夏の誕生日など、そこらの石ころを渡して、「これはダイヤの原石なんだぜ」と戯けたことで切り抜けてきた俺だ。
そんな手の凝った演出をすれば、純夏も大喜びすること間違いなしだ。
ただし、問題がある。純夏がすんなりと、信じてくれるかどうかだ。
幼馴染として、幼い頃からずっと一緒に馬鹿をやってきた間柄だ。
冗談の一種として捉えられるかもしれない。
……いや、ちょっとまてよ。
これって、俺に誰かを選べと、暗に言われている気がするのだが……
「夕呼先生、それって強制ですか?」
「強制ね」
「……そこをなんとか」
「ダメよ。いい?白銀、アンタが思っているより女の子って言うのは、敏感なのよ?いつまでも返事をしないアンタより、自分のことを好きだと言ってくれる方に靡いても不思議じゃないわ。あの子達の容姿なら、簡単にそこいらの男共を釣り上げられるわ。アンタも男なら、いい加減覚悟を決めなさい。決断の出来ない男ほど性質の悪い者はないわ」
『女の子』って言う部分や、『敏感』って言葉に、非常にツッコミを入れたい。
夕呼先生の口から、女の子なんて言葉が出るなんて、とか、敏感とか響きがエロイですね?とか、すっげぇ言いたい所をグッと堪えた。
夕呼先生にしては、珍しく真面目な話をしているからだ。
白銀武、空気の読める紳士である。
しっかし、まぁ、実は意外でもないのかもな。
これで、夕呼先生は意外に面倒見と言うか、姉御肌と言うか、そういうところがある。
高校時代には、進路の相談や、部活のこと、恋愛についてなど、夕呼先生に相談する生徒も多かった。
まりもちゃんは、生来の取っ付き易さに加えて、包容力があり、そのせいで彼女に相談する生徒もいたが、まりもちゃんには相談しにくいような生徒、有り体に言えば、問題児の多くは夕呼先生を頼っていたように見える。
ふざけた答え方をするが、本質をズバリと突くような助言をくれるからだ。
最終的な決断は、その相談を持ちかけてきた生徒本人に委ねるが、決断の材料となるようなことはきちんと話してくれる。
「白陵の飴と鞭」とは、まりもちゃんと夕呼先生のこと。
実に的を射た表現だ。
あれ?
でも、それって俺は、問題児ってことにならないか?
オーケィ。あまり深く考えてはいけない問題だ。
それよりも、俺には考えなくてはならないことがあるだろう?
そう、冥夜達のことだ。
確かに、ふざけたことを言っている俺ではあるが、そういうことを考えなかったわけではない。
夕呼先生が言ったことは、ずっと俺も考えていた。
俺が冥夜達に愛想が尽きるということは無いが、その逆はありうる。
それは、ずっと気掛りであったが、それを認めてしまうと俺の精神に多大な損害が被ってしまう、だから見て見ぬ振りをしていたことなのだ。
ずっと目を背けていたことではあるが、彼女達の好意に真摯に応える為にも、この問題とは真正面から向き合わねばならないことは、俺だって理解している。
どうして、この問題に俺がきちんと向き合えないかと言うことだって理由は判っている。
俺が、自分に自信が持てないからだ。
何故彼女達は俺に好意を寄せてくれるのか、それが理解できない。
天下の御剣財閥の跡取りである御剣姉妹。
まだ幼くとも頭脳明晰・容姿端麗の霞。
俺のことを誰よりも理解してくれる、純夏。
文句の付けようもない程、素晴らしい女性達だと思う。
だからこそ、判らない。
何故、俺に好意を抱いているのか、それがどうしても理解できないのだ。
理解できないと言うことは、恐ろしい。
未知なる物。
先の見えない夜の闇。
感情や思考が無い化物。
人は、自身の理解の範疇を超えた現象や事象、モノに対しては恐怖を覚える。
勿論、冥夜達が全身全霊を持って俺に示してくれる好意が怖いということではない。
それは純粋に嬉しく思う。
ただ、冥夜達が “何”を理由に俺に好意を抱いてくれるのかが、判らないから俺は自分に自信が持てない、自信が持てないからこそ、彼女達の好意に応えられない、俺が応えないから、冥夜達は更に自分達の思いを俺に対して見せてくれる。
悪循環のループに陥っているのだ。
もしも、人の感情がパラメーターで表される世界だったならば、どんなに楽だっただろう。
何をすれば、彼女達が喜び、何をしてしまえば、彼女達が悲しむのか、そして、彼女達が、白銀武という人間のどこに惚れているのか、そんなことが簡単に分かる世界ならばきっと、俺は彼女達を悲しませることはなかったのかもしれない。
だが、現実はそんな世界ではないのだ。
俺が誰を選ぶにせよ、その最終的な決断を下すための最後の一歩がどうしても踏み出せない。
夕呼先生の言葉の何かが、俺の体を貫いていた。
俺は、すっかり冷めてしまったホットコーヒーにストローを刺し、残りを吸い上げた。
カップの中身が空になっても、ストローからはヂュルヂュルと厭な音が鳴っても、俺は止めず、ストローから口を離せなかった。
俺はストローから必死で、“何か”を吸い上げようとしていた。
夕呼先生は腕を組んだまま、椅子に持たれかかる様にして体を預け、ただ黙って俺を見ていた。
荒野を行く。
等と、表現すれば幾分か格好がつくのかもしれないが荒野なのは、俺達の財布の中のことであって、生憎と俺達はただ、舗装された道を歩いているだけだった。
前を歩くヴィンセントは肩を落とし、哀愁さえ感じさせた。
ユウヤの言葉を信じた俺達は、負けに負けた。
一向に当たりが来ず、それでも、運命の女神はきっと俺達に微笑んでくれると信じて、俺達は紙幣を淡々とコインに換えていく作業をこなした。
もう、本当に淡々と。黙々と。途中からは、苛々と。最後の方は、泣き泣きと。
どうやら、女神様はお留守だったらしく俺達は、結局振られてしまった。
それはいい。いや、本当は全然良くないが、ギャンブルと言う奴は負けることもある、そんなダメ人間発言は置いておいて、負けたことはいいとしよう。百歩譲って。
問題は、だ。
俺達がこうして、男二人で夜道を歩いていることだ。
Q:なぜ、俺達は徒歩なのか
A:車が無いから
Q:なぜ、車が無いのか
A:ユウヤが姫さんからの怒りのメールを頂戴したため、急いで乗って行ってしまったから
ユウヤは俺達の熱い友情よりも、姫さんとの熱い夜を取った、そういうわけだ。
麦が主食のメリケンと、稲が主食の日本人をブレンドした結果、ユウヤはそんな自分勝手な人間になってしまったのだ。
なんでもブレンドすればいいというものではない、という教訓だ。
俺には将来車の免許を取った時、いつかレギュラーとハイオクをブレンドして見ようというちっぽけな夢があったのだが、この今日の教訓を早速生かすべく、その夢を諦めた。
恐らく、レギュラーとハイオクをブレンドしていれば、碌な結果が生まれなかっただろう。
ブレンド、という言葉は恐ろしい。
とりあえず、今度ユウヤと会った時にアイツの額に『混ぜるな危険』と言う張り紙を付けようと、堅くヴィンセントと誓い合った。
「だぁー、あの店絶対にオカシイって。なんで、五万円も投資して当たりが来ないんだよ!」
負けた時、人は必ず何か自分が負けた理由を正当化しようとして言い訳を始める。
スロットやパチンコで負けた時の一番多くの言い訳とは、きっと「オカシイ」だと思う。
ただ、ヴィンセント。お前、突っ込みすぎ。
「……五万円も負けたのかよ」
「いや、八万円だ」
「……」
俺は、生涯ヴィンセントにだけは金を貸さないでおこう。
今日は、いきなり二つの誓いを立てることとなった。
「帰ったら早速掲示板に書き込んでやるぜ!」
「おう、俺も手伝うぜ」
ヴィンセントはまたしても、そんなダメ人間的発言をしたが、俺は帰ったら、直に「≫1負け犬乙」と書いてやろうと心に決めつつ、友情を重んじる俺は、ヴィンセントの言葉に賛同した振りをしておいた。
きっとこういう気遣いが、人間関係を潤滑にするための油なのだろう。
ユウヤにはそれが足りない。
今度あった時は、アイツの靴に油をさしておいてやろう、張り紙に続く第二の誓いである。
そんな風に馬鹿話に華を咲かせながら、俺達は歩いていた。
実は、俺には男友達と言う奴が少ない。
だから、昔はこんな風に男同士で語り合いながら歩くということに、憧れていた。
確かな友情を噛み締めながら、意外に楽しい時間を過ごしていた。
が、そういう時にこそ恐怖はやってくる。
ブルブルと携帯が震えて、メールが届いたことを知らせる着信音。
立ち止まって、携帯を開き、ディスプレイを覗いて見ればそこには、「突撃隊長」と言う名前が映し出されている。
件名は「麻雀を敢行する、直に来るべし」とあった。
赤紙が俺に届いたのだ。
「……ヴィンセント、すまん。用事が入った」
「ん?どうした?お、さては女絡みだな?おい、俺も連れていけよ」
人付き合いの距離を心得ているヴィンセントは、あまり他人に立ち入ろうとせず、適度な距離感を保って人に接している。
だから、これはヴィンセントの一種のポーズであることが分かっていた。
笑いながら言っていることを考えれば、恐らくこれは俺のことをからかうための冗談なのだろう。
「……来るか?」
「お、いいのか?って、冗談だよ。冗談。邪魔なんてしねぇーよ」
「いや、来てもいいぞ。というか来いよ、来てくれ」
「……誰からだ?」
俺の声が、少し涙声だったことに気づいたのだろう。
俺が何か厄介ごとを抱えていると思ったのかもしれない。
ヴィンセントは急に真面目な顔になり、問い詰めるように尋ねた。
意外に友情に熱い男なのだ。
「……速瀬先輩から麻雀のお誘いだ」
「……俺はなんて無力な人間なんだ、すまん。死んで来てくれ」
ヴィンセントは俺の言葉を聞くと、直に顔を背けて、苦々しく言葉を紡いだ。
「てめぇー俺を見捨てる気か!敵前逃亡は死罪だぞ!コラァ!」
「馬鹿野郎!敵戦力を正確に分析した結果だ!軍法会議でも俺の正当性は認められるぞ!」
「付いて来い!」「誰が行くか!」の押し問答。
ヴィンセントは知っているのだ、速瀬先輩から麻雀に誘われると言う意味を。
麻雀とは名ばかりの、「男に対しての愚痴大会」なのだと。
最初はいい。確かに麻雀らしいものをしているのだ。
しかし、酒が入りだすと、もう地獄。
速瀬先輩+他の先輩達(メンバーは様々)で、ひたすら愚痴、愚痴、愚痴。
やれ、あいつは鈍感だ。とか、あいつは優柔不断だなど等。
先輩達の想い人についての愚痴が始まる。
何がつらいって、それについて意見が求められるからだ。
先輩達はその場にいる俺に酒を浴びるように飲ませて―――断れば勿論死刑――その上、的確なアドバイスをしなくてはならないのだ。
朦朧とした意識の中、俺を先輩達の相手に見立ててひたすら愚痴、たまに手が出てくることもある。
以前、身代わりにヴィンセントを連れて行ったことがある。
俺は早々にダウンしたのだが、酒に強いヴィンセントはかなりの間呑まされたらしい。
次の日、俺の携帯には「にどいかない」とヴィンセントからのメールが届いていた。
漢字変換も、助詞が使われていない短文が、前日の凶行の惨劇の有様を雄弁に物語っていた。
結局、俺の制止の声も虚しく、俺を振り切ってヴィンセントは逃げて行ってしまった。
なんて儚い友情なんだ。
近年では、真実の友情・勝利・努力とはきっと週刊誌の中でしか見られないのだろう。
あいつの立てたスレを絶対に荒らしてやる!
俺は、一人トボトボと死地へと赴くこととなってしまった。