「ねぇ、聞きましたか少佐、噂の天才衛士のお話」
書類仕事で忙しい私に、ニヤニヤとした顔で尋ねたのは、未だ幼さを残したあどけない顔をした少女。
少女と評したように彼女は若い。これは相対的な話ではなく絶対的な意味で若いのである。
それもそのはず私とは一回りも違うのだ。
女性にとって年齢が一回り違うと言うのは大きい。
まず、肌のハリが違う。汗をかいても彼女の汗は珠のようなもので、肌にベッタリと張り付くようなものではない。
体付きも違う。如何に鍛えている軍人だからと言っても彼女と私の体には、想像を絶する隔壁があると知っている。例えば、胸一つとっても違う。
個人差によるものも多少なりともあるだろうが、空に向ってプルンと震えるような彼女のものと私の…いや、私も胸には自信があるのだからこれは参考にならない。
うん。そうだな、では例えば腰のくびれ等はどうだろうか…いや、これも鍛えているので大丈夫。きっとまだまだ私も逝けている (白銀語だとこういう使い方であっているはず)
あぁ、なんだ私もまだまだ若いのではないか。
違いなど微々たる物だ、そう彼女の肉体はなんというか瑞々しい。
なるほど、使い古された言葉であるがこれは言いえて妙である。
古人は実に的を射る表現を作ったものだと感心する。
そう、若い子の体は瑞々しい。
そして忌々しい。
閑話休題。
ゴホン、彼女は若いのだ。
若さというのは得がたい価値を持つと同時に、愚かである。
ある人は言った。老いることは恥ではないと。
……ちなみに今の発言は私を指したものではない、これは私とは一切関係の無いことであるが一応付け足しておきたいと思う。
またまた閑話休題。
………
……
オルタネイティブ5に移行した後、人類は種の生存のためにと言う大義名分の元に、数十万人の人間を宇宙へと旅立たせた。
私からすればこれがメインの計画であるように思われたのだが、掲げられた名目ではこれはサブであるらしい。
実際にはG弾によるハイブ強襲、つまり人類最大の反攻作戦こそが真の目的だとのこと。
勿論そんな言葉遊びを誰も信じてはいないが。
口さがないものは逃げ出すための口上だ、と罵った。
私もその意見を否定するつもりはない。
しかし、どういう名目・真意があったにせよ人類の生存のためと言われては私達、特に軍人はそれに逆らうことは出来なかったのだから同罪と言えば同罪なのかもしれない。
反攻作戦は成功した、とはお世辞にも言えない結末を迎えた。
オリジナルハイブに対してG弾を投下した後、戦術機搭載駆逐艦による降下、そして強襲。
ここまでは、上手く物事は進んでいたのだ。だが、言い換えればここまでしか成功しなかったと言える。
G弾であわやオリジナルハイブを消滅させたか、と考えたのも淡い夢。
ハイブの最下層部が晒される形で大地に現れた、何しろ敵の根城にして本拠地だ。
柔な作りではなかったというわけなのか。
後の発表でG弾だけでは消滅に至らなかった理由をオリジナルハイブは既にフェイズ6を超えていたためだ、と取ってつけた様に言い繕った。
突入した戦術機部隊はハイブに残っていたBETAにより全滅。
そしてG弾の無効化。
絵に描いたような悲劇だ。笑えない。
人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇。そう評した格言もこの結末を知った後では滑稽な名言と落ちぶれてしまう。
もう、ロングショットで見ようとも結末は悲劇しか残されていないのだ。
それも人生ではなく、人類と言う種の生が。
どこで躓いたのだろうか、反攻作戦が遅すぎた?G弾を過信しすぎたせい?第四次計画が失敗したから?
いや、そもそもBETAが人類と接触した時から決まっていたことなのではないだろうか。
はっ、自分のことながら随分と悲観主義になったものである。思わず鼻で笑ってしまう。
人類は真綿で首をジワジワと絞められるように、BETAによる滅びの道しか既に残されてはいなかった。
G 弾という最強の火力を失った人類は、現存する戦力で――無茶で無謀な作戦であるが―――BETAをすり減らしてなんとか明日へと食いつないでいくしかない。
ここに来てアメリカはその威信を失い、皮肉なことに人類は歴史上初めてようやく一丸となることとなった。
人類はただ明日を生きるために今日死ぬ。
と、いつまでも悲観してばかりいたのでは我々の為に挺身した英霊達に申し訳が立たない。
人はいつか死ぬ。
そうは言っても、どうせいつか死ぬのだからと人生を諦観し自らの命を絶つ者は少ない。
それと同様に、いつか人類は、そう遠くない未来滅びる。
しかし、だからと言って今日を捨てる者も少なかった。
誰もが、馬鹿みたいに明るく振舞い、肩を並べた戦友と笑いあう。
今の我々にとって生きる地獄も、死んで天国も変わりない。
だからこそ今を生きるのだ。
今日を精一杯生きるようになったことを悪いことだとは誰も言えない、そして、言わせてなるものか。
軍はその機能を残したまま、しかし何処か優しくなったように思われる。
そう思うのは私が軍というものに対して、どこか嫌悪感を抱いていたからなのか、はたまた実は私が軍という巣に本能的に情を感じていたからか、それは分からない。
ただ、悪いものではない。そう思う。
絶対的な死があるのに、今更恐怖という鞭を持って脅かしたところで効果は薄い。
軍の規律は個人の律するところに多くを依存するようになった。
要するに、だ。
現状では昔の白銀のような人間が増えた、そう考えると理解しやすい。
しかし、人として礼儀は弁えるべきである。
一回りも年下の子に例え公務以外であっても、馴れ馴れしくされると、なんと言うか……悲しいものがある。
私はそんなに威厳がないのだろうか、と。
大体だ、少佐と言えば軍の中ではかなり高位に値する。
少なくとも私が少尉だった頃はそう考えていたし、上位者不足な昨今であってもそれは変わらないはずだ。
だと言うのに……
「ねぇ~聞いていますか少佐~ねぇ~ってば~」
あ、頭が痛い。
白銀がまともになって来たと思えば、今度は中央にも白銀の時と同様のことで悩むことになろうとは考えもしなかった。
まぁ、仮にも正規の軍事教育を受けてきた人間だ、あの頃の白銀よりは幾分マシではある。
しかし、どちらにせよ、酷いことには変わりないのだから慰めにもならない。
というか、その程度のことを慰めにしなければならない状況は如何なものかと私は思う。
もしかすると、最近の若者と言うのはこういうものなのだろうか、と本気で考えてしまう。
……やだやだ、そんな「最近の若い者は…」とぼやく様な歳ではないだろう!
しっかりしろ!神宮司まりも!
ただでさえ、男が減っているのだ。
いい男は若い女に取られてしまう。せめて歳を感じさせないような振る舞いをしなくては。
こんな状況だ。
恋愛の一つ、恋人の一人も作らずに死ねるか!
私は自分を叱責する意味で頬を力強く叩いた。
「痛ッ~!!急に何するんですか少佐!」
……部下の頬を。
「あ、ごめんなさい、若さが憎いというか……あはは、ごめんね。っと、すまん!」
いけない、いけない。
急に取り乱してしまった。
しかし、彼女の頬は想像以上にプルプルと弾力性に満ちていて……
ごめん、やっぱりもう一発いい?
そんなことすら思ってしまった。
慌てて思考を正すために、彼女の話に乗ることにした。
「…ゴホン、で。噂とは?」
頬をサスリ、サスリ「痛いな~もう」と頬を膨らましていた彼女も、私が話題に食いついたことに驚いたのか、喜悦満面にして私に一歩近づいた。
「そう、そうなんですよ。天才衛士。いいな~憧れるな~」
「順序だてて話せ、少尉!」
「はっ!」
一喝すると、背筋を正して直立不動。
……まるでパブロフの犬ね。
「極東方面を中心に活躍しているようなのですが、なんでも今までに類を見ない“特別”な機動をもってして戦術機を動かす者が現れたとのことです」
「… それで天才?」
「はい!加えて新任の少尉にしてはありえない多大な戦功をあげたためにそう呼ばれているらしいです。また理解不能な特殊な言語感覚の持ち主であることも常人には理解できない要素であり、他者とは違うという意味でも“天才”だとのことであります!」
「ふ~ん、なんだか何処かで聞いたような……見たような人の話ね」
「あれ?知りませんでしたか?っかしいなぁ~結構有名な話なんですけどね~」
なにやら当てが外れた、がっかりだ、といったような表情で唇を尖らせ頭をかいていた。
「で、またこれが、結構いい男らしくて……あぁ、その天才って言うのは今時貴重な男らしいんですけど、それが噂に拍車をかけているみたいで…え?本当に聞いたことないですか?」
首を傾げて、「おかしい、あれ?違った?」等と呟く少女を見ていると、あなたの方こそ大丈夫?と聞きたくなる。
「ふむ、それはまぁ、理解した。で、貴様は何が言いたかったのだ?」
忙しい私の時間を奪ってまで、世間話をしようと本気で考えていたのなら、鉄拳制裁も辞さないぞ、と獰猛な笑みで微笑んでやった。
それをどう受け取ったのか、
「まぁ、いいか。少佐は幸せ者ですね」
などと暢気にも言ってのけた。
そうか、鉄拳が好みだとは知らなかったぞ。
ガタリと、私が座るたびに軋むような古い椅子から立ち上がり、拳に息を吹きかけた。
「……白銀武。少佐の教え子でしょ?」
ふわりと羽のように軽やかに微笑んで私の戦意は彼女の言葉によって奪われていた。
え?白銀。それって、あの?
あ、ぁ、どうしよう……うれしい。
ジワリと涙が浮かび上がってくるのを感じたが、それを止め様とは思わなかった。
部下に泣き顔を見られても構わない。
それほどに嬉しかったのだ。
あの、どうしようもなくお荷物で、私に本当に心配ばかりさせた、あの問題児が!
立派に生きていると、闘っているのだ、それを知って本当に本当に喜んだ。
陳腐な言葉しか浮かばないが、ありがとう。
精一杯生きてくれてありがとう、立派になってくれてありがとう。
最後の教え子であった彼は、最初に夕呼が言った意味でも、違う意味でも私にとってはやはり、“特別”な生徒だった。
やだ、もぅ。
「しろが…ね。ぅ、ぅぅ、ありが、とう。ありがとう」
私は何かに感謝するように、ただただ、繰り返すことしか出来なかった。
「ありゃ~、そんなに嬉しかったんですか。やっぱりそうですよね~何せ優良物件ですもんね~」
ニヤニヤと私を見ていた彼女は、
「神宮司少佐!!おめでとうございます!」
急に真面目な顔で敬礼をして部屋を後にした。
私に気を使ってくれたのだとわかったが、今の私にはそんなことを気にする心の余裕もなく、ひたすらこの幸せを噛み締めていた。
問題児ほど可愛いというのは本当だったのだと、この時初めて私は理解した。
しかし、後に、問題児は問題を起すからこそ問題児であって、問題を起さない問題児は問題児ではないという、非常に貴重な経験もさせてもらった。
そして、私はなぜこの時にただ泣くばかりではなく、彼女の笑みの理由を問いたださなかったのか、後悔することとなった。
「どうだった神宮司は?」
「はい、ボロボロ泣いてありがとうって繰り返していましたよ」
「あぁ~いいな~神宮司。憧れるな~そんな恋愛してみたいな~」
「ですよね。はい、憧れるますよ」
「……でもその天才君のいる、えぇっと曲芸部隊だっけ?のメンバーと神宮司とで女の戦いが始まるんだよね。これは神宮司を応援しなきゃ!!」
「まぁ、天才君が優柔不断だったからこそ、の結果かもしれないですけどね」
「それ、言えてる。部隊のメンバーに誰を選ぶかで責められて、結局『お、俺はまりもちゃんが好みかな』なんてお茶を濁すからだね、男ならハッキリしろ!って私なら言うわ」
「でも、少佐の方も満更でもないみたいだし……いいんじゃないですか?それよりも噂の曲芸部隊との合同訓練についてですけど……本当に少佐に知らせなくていいんですか?大佐殿?」
「え?あぁ、いいのいいの。どこかに攻めるわけじゃないし、部隊内の士気を高めるためとか、いざという時のスムーズな連携の為に交流を持っておきましょうって意味だしね。まぁ、本当は神宮司をからかうのが一番の目的なんだけどね」
「……幸せな人には多少のことは我慢して貰わなくては、と言う事ですね?」
「そゆこと~あぁ。早く来ないかな~噂の天才君」
そんな遣り取りが私の仕事場のすぐ傍で行われていたことを知ったのは、曲芸部隊と呼ばれる元207B分隊プラスαからの極寒の視線攻撃から何とか生き延びた後だった。