新章2話 モテない男に出番なし!
「…………さて、どうしたものかしらね?」
白銀武が部屋から出て行ってから1時間ほど経過した。
香月夕呼は何をするでもなしにデスクチェアの背もたれに寄りかかりながら煩雑に散らかった部屋を眺める。
床に積み上げられているファイル。
その中に納まっている資料は全て人類の未来を背負った貴重なものであり、彼女がこれまで積み上げてきた努力の結晶である。
だがその積み上げを吹き飛ばす事件が今朝起きた。
突然未来の並行世界からやってきたという男、胡散臭い話だが行き詰った研究の気晴らしにでもなるかと思ったらその正体はとんでもない情報源の塊だった。
まさに天からの恵みというべきか?
何気なしに開けてみたら大判小判に金銀財宝がぎっしり詰まった宝箱を突然手に入れた気分だ。
この天からの恵みをどう活かすかが今後の人類の未来を決める鍵となるであろうという事を夕呼は予感していた。
既に冷め切ったコーヒーを夕呼は一口くちに含む。
この世界では贅沢品にあたる天然のコーヒーの香りと深い苦味が口の中に広がり疲れた頭をクリアにしてくれる感じがした。
そう……金銀財宝にあたる情報を手に入れたからといって浮かれてばかりはいられない。
武から得た情報は何も宝と呼べるものばかりではないのだ。
中には世界を破滅に追いやるであろう危険な爆弾も含まれていた。
だが香月夕呼はこの爆弾を安全な倉庫に隠しておくつもりは無い。
慎重に、しかし大胆に来るべき時がきたらこれをも使用していく腹積もりだ。
「まずは最初にやるべきことは……」
もう1口コーヒーを飲みながら夕呼はパソコンの電源を入れる。
あれから夕呼は武から00ユニットの理論を手に入れる方法を教わった。
BETAのいない平和な世界で物理教師をしている自分からその理論を手に入れてくるのだという。
電源の入ったパソコン画面に自分の不機嫌な顔が反射して映し出されている。
まったく舐めた話だと夕呼は思う。
自分がこれだけ頭を悩ませていると言うのに、生活環境が違う命の危険が全く無い並行世界の自分は詰まらないゲームをやっていたら突然閃くというのだから。
物理学者として、研究者として、オルタネイティヴ4の最高責任者として同じ自分に負けたというのは少々悔しい気持ちもあるにはあるが、彼女はそれを感情の外に置き、自分のなすべき事について考える。
香月夕呼とはそういう女性だ。
自分のくだらない感情を捨てきれず目の前の利益を掴み損なうというミスは決してしない。
必要とあれば何であろうと容赦なく切り捨てるし、自分の魂を悪魔に売り渡すような契約であろうと平然と行う。
「さしあたっての問題はODLの浄化装置か……」
本当ならばすぐにでも00ユニットを作りたいところだがそれは駄目だという。
00ユニットの量子伝導脳を冷却、浄化する装置はBETA由来物質であるODLを用いているため、この設備は横浜基地奥深くにある反応炉と繋がっている。
これが非常に問題らしい。武の話では反応炉はBETAのエネルギーを供給しているだけでなく情報伝達の媒体にもなっているために、00ユニットが稼動したら最後、あ号標的が00ユニットから人類の情報を一気に収集してしまうというのだ。
この問題を解決するまでは00ユニットは動かすべきではないとは武のアドバイスである。
初めて00ユニットが完成した世界では、それゆえに急遽桜花作戦を実行せねばならなく、またその作戦の後には00ユニットとなった鑑純夏は自らその機能を停止させたという。
たしかに00ユニットがBETAに情報を流さなければ、桜花作戦後も準備を整えて行えるから成功の確率はより高くなる。
だが武のアドバイスは意図の裏には恐らく人類により良い未来を、という他にも鑑純夏を助けたいという方が強くあるのだろう。
「なんともまぁ甘ったれた英雄さんだ事……」
ループを合わせた武の年齢は自分より上らしいのだがそういった甘さが抜けきれない所は彼の長所とすべきか短所とするべきなのか?
夕呼は口の端に笑みを浮かべる。
「面白いじゃない……」
ODLの浄化装置の問題については武曰く自分なら解決できるという。
何回もループしているならその解決策の公式ごと暗記してきてくれれば良いのにと思うが、さすがにそこまでは上手くはいかないらしい。
コーヒーカップを机の上に置き、パソコンに向かおうとした時、突然自分の部屋の電話がなる。
電話に表示されたナンバーから相手は社霞からだと認識できた。
「……もしもし、どうしたの社?」
さぁこれからだと言う時に出鼻を挫かれて夕呼は少々不機嫌な声を出してしまう。
だが夕呼の助手を任されるほど優秀でオルタネイティヴ4の計画には欠かせない存在である彼女からの電話は夕呼としても出ないわけにはいかない。
「――ッ! 何ですって? 『カガミスミカ』が目覚めた!? ……そう、一瞬だけ? 今はまた眠ってる状態に……? えぇ……分かったわ。私もすぐにそっちに向かうから」
霞からの連絡を受け、夕呼は受話器を本体に置く。
「フフ……くっくっく…………あーーーーはっはっはっはッ!!」
突如彼女は笑い出す。
黒い影が見えるその笑い声。
彼女を良く知るものが見たら、彼女が今何を考えて、何をしようとしているのか手に取るように分かるだろう。
「まさか来訪した初日にこの世界に変化をもたらすなんて……! これも因果導体の力というわけなの? 面白い! 面白いわ! 白銀武!」
突如吹いた神風が自分の背中を後押しし、一気に目的地まで辿り着くことができるかのような奇跡!
神などこれっぽっちも信じていない香月夕呼だがこのときばかりは神に感謝したい。
この向こうから転がりこんできた圧倒的までの幸運。他の人間ならばいざ知らず自分は必ず物にしてみせよう!
例え後の歴史において自分が魔女と評されようと、外道と下げずまれとも構わない。
BETAを滅ぼせるのであればこの首を喜んで処刑台に乗せようではないか。
自分の手は既に血にまみれている。
ならばいっそう体の隅々まで、――否、魂まで穢れてみせよう。
これが自分の選んだ最良の未来を掴み取るための選択なのだから……。
◆
「……以上をもって午前の訓練を終了とする! ――解散ッ!!」
「「「「「「――ありがとうございました!!」」」」」」
次の日、夕呼の配慮でA-01部隊の指導官に着いた武は早速彼女達を訓練することとなった。
とは言っても今回の目的は訓練ではなく、どちらかというと武がどれだけ使えるかを目的とした試験に近い。
これも度重なる並行世界においてはいつもの事、ヴォールグデータでのハイヴ攻略かヴァルキリーズとの模擬戦が定番なのだが今回は後者の方であった。
時間の無駄だから全員いっぺんにかかって来いといった武の挑発に、副隊長の水月がふざけんじゃないわよと顔を真っ赤にさせて先陣を切って、結局全員勝ち抜いてしまうといういつものお約束、通称『ヴァルキリーズフルボッコイベント』をテンプレ通り進めて今にいたる。
「じゃあ、改めて紹介するわね? 今日からアンタ達の教官を務める白銀武『少佐』よ。見ての通り戦術機の機動は化物だからみんなどんどんコイツの技術を吸収するように」
「「「「「「……了解しました!!」」」」」」
夕呼の言葉に伊隅ヴァルキリーズが声をそろえる。
どうやら夕呼の試験結果で自分は『少佐』という事になったらしい。
少佐と言えばまぁ悪くない。ループでいうとごくごく平均的な結果といえるだろう。
自分の階級がどのようになるかは実は若干のずれがあるらしい事を武はループより学んでいた。
ちなみにこの階級の基準は派手に勝ちを収めれば収めるほど高くなる。
平たく言うとヴァルキリーズをフルボッコすればするほど夕呼から好評を得られて階級が上がるという仕組みだ。
いつだったか度重なるループにちょっと疲れていた時、『ずっと俺のターン』と叫びながら無限コンボでボコボコにしたら『大佐』の階級をゲットすることができた。
もっともその後自分のあだ名が『TAKERU』になってヴァルキリーズとの人間関係がちょっとギクシャクしてすっかり冷え切ってしまう羽目になってしまったが。
何事もやりすぎは良くないという事である。
「茜! 白銀少佐の記録持ってきて! これからPXで打ち合わせするわよ! 午後の訓練で少佐をギャフンと言わせてやるんだから!」
「は、はい! 分かりました!」
涼宮茜が水月の言葉に従いロッカールームとは逆の方向に走りだす。
それにしてもわざわざ大声で宣戦布告するとは相変わらず水月の性格は分かりやすい。
彼女から発せられるリベンジの炎がメラメラと燃え、水月の周りだけ陽炎ができているかのようだ。
「あ、茜ちゃ~ん待ってよ~~」
水月の後ろに付いてく茜……の後ろをついて行くのは築地多恵。
彼女はどこの並行世界においても茜の近くにいるような気がするのだが、その理由は未だに武は見つけることはできていない。
(つーか、いつものみんなより何か強くないか……?)
昼食に向かっていく自分の仲間の後ろ姿を見ながら武はさっきの模擬戦を思い出す。
伊隅ヴァルキリーズを全員勝ち抜きすることができた武であったが、内心は穏やかではなかった。
先ほどの模擬戦、いつもと違いひやりとさせられるシーンがいくつもあったのだ。
それは単純に彼女らの戦闘技術がいつもより高いというだけではない。どちらかと言うと彼女達の気迫や集中力がいつも違うという感じだった。
ただの模擬戦でもこちらに伝わってくるあの鬼気迫る気迫は、嘗てどこかのループの世界で武は体験したことがある。
……あれは一体いつの事だったか?
割と最初のころの世界だったと思うのだがいまいち思い出せない。
ループの全ての記憶を武は覚えているわけではなく、ところどころ虫食い状態なのだ。
「白銀少佐! よろしければ一緒にお昼に行きませんか?」
「私もお願いしたく思います。先の模擬戦における機動、この御剣冥夜感服いたしました。ぜひご指導願えればと存じます」
「……早く行かないと焼きそばなくなっちゃいますし急ぎましょう」
「あ、あぁ分かった……一緒に行こう」
親しげに声を掛けられ武は我に変える。
で?……何でこいつらがここにいるんだ?
目の前にいるのは自分にとってもっとも付き合いの古い同期の仲間である御剣冥夜、榊千鶴、彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴。
この5人が正規の国連軍衛士の強化装備をその身に纏いながら既にここにいたのだ。
本来彼女達はここにいないはず。
1回目の総合戦闘技術演習に落ち、訓練兵である207B分隊として神宮寺まりも軍曹の下で指導を受けているはずなのだ。
だがそれでもここにいるという事実……。
これは武からすれば異常事態。
明確な食い違い……。
考えられる理由はただ1つ……!
(……まいった、イレギュラーの世界かよ)
彼女達が今ここにいるという現実を直視した武は1つの結論に達した。
いや……たまにあるのだ。いわゆるイレギュラーの世界というやつが。
何度も何度もループを経験している白銀武だが、20回に1回か、30回に1回か、ともかく基本的な時間軸と異なる世界に飛ばされることがあるのだ。
ある時は毎回飛ばされる2001年10月22日ではなくもっとずっと前の時代であったり、またある時は自分以外の異世界からの来訪者とも出会ったりと、それはもう本当に自分の知る世界とはまるで違う。
(……くそ、厄介だな)
いきなりの誤算。
苛立ちを紛らわせるかのように衛士の強化装備に身を包んだ武はプロテクターで覆われた足で地面を蹴った。
コンクリートで覆われた格納庫に武の足音が響き、高い天井がその音を反響させる。
武がイレギュラーの世界を厄介と認識しているその理由。
それは歴史が自分の知識どおりに動いて行かない事だ。
つまりは未来知識を生かした行動を取れないのである。
……いやそれだけなら良いのだが、いつもの世界では正しい選択がイレギュラーの世界の世界では最悪の結果を生む場合があるのだ。
かつて飛ばされたイレギュラーの世界でこういう事が起きた。
狭霧達によるクーデター事件を阻止しようと煌武院悠陽に協力を仰ごうとした時の事。
基本軸の世界ではその行動によりクーデターを未然に防ぐことができたので、武はいつもと同じように行動した。
ところがそのイレギュラーの世界では本来正しいはずの行動が全て裏目裏目……!!
なんとその世界において悠陽はクーデター推奨派だったというとんでもない誤差があったのだ!
五摂家の復権を望み、今こそ日本人は自分達の旗本において真に一丸となるべきと考えていた悠陽は狭霧達の行動を支持していた。
自分が良かれと思った武のクーデター阻止という行動は悠陽からすれば邪魔以外の何物でなく見事に失敗!
そして何故か最後は自分までもクーデターに協力する事となって冥夜達と敵対してしまうという最悪の結果に辿り着いてしまったのである。
まぁこれは極端な例だがつまりはそういうことだ。
ループを経験したスーパーな武の最大の武器はチートな戦術機の腕前ではなく並行世界から得た知識にあった。
これが封じられてしまうのは正直かなり痛い。
だがここでふと、武は目の前の冥夜たちに視線を向ける。
自分の前を歩き、笑顔で談笑する5人の少女。
自分の中で声が聞こえる気がした。『この程度の事で音を上げるのか?』と。
それは別の並行世界に住む白銀武からのメッセージだろうか?
……そう! その通りだ!
たとえどのような世界に飛ばされようとも武が諦めることなどありえない。
白銀武とはそういう男だ。
いや、数々の並行世界での経験が武をそういう風に育てたというべきか?
潜り抜けてきた死線の数々。
未来が予想できないからと言ってそれが何だというのか?
本来未来とはそういうものだ。
予想がつかないからこそ人はより良い未来を掴もうと努力するのだ。
ならば自分のやるべきことはいつもと変らない。
死力を尽くして任務に当たれという伊隅ヴァルキリーズの教えに従うまでの事……!!
それで駄目だったら潔く死のうではないか。
それにイレギュラーの世界は何も悲観的なことばかりではない。
イレギュラー世界に発生した特有の誤差はうまく利用すれば逆に強力な武器になるのだ。
例えば2001年10月22日以前に飛ばされた場合、それだけ長い間の準備期間を設けることができるし、また自分以外の並行世界の来訪者と遭遇した場合には、彼らと協力関係を結べばより多くの仲間を救うことができる。
今回のイレギュラーの発端……。
それはどこだったかと武は自分の記憶を探る。
(あの男か……)
武の中で横浜基地に行く途中で拾ってきた男の顔が浮かびあがる。
通常の世界ではありえない遭遇。
思えばあれが最初のイレギュラーだった。
これまでの経験上あの男が異世界の来訪者である可能性は十分にある。
異世界からの来訪者と遭遇するイレギュラー世界の場合、その来訪者をよく観察しておく必要がある。
本来起こる歴史のズレ、誤差、亀裂はその人物を基点として発生するからだ。
「とりあえずは夕呼先生にこの事を伝えておくか……俺が取るべき行動はそれからだな」
自分がとるべき行動を決めた武は同期の元207B分隊の後を追う。
願わくば今回生じたイレギュラーの突端が自分にとってのプラスになることを祈りながら……。
◆
一方そのころ吾郷は……。
「あれ? 俺の出番はこれでお終り?」
営倉の中でずっと放置されていた……。