※前回の話で君望の欅総合病院に行ったという話しにしていましたが、マブラヴの中で美琴が入院していた病院は横浜基地にあり、また欅町には病院はないと明言されていたのでその辺を修正しました。
申し訳ありません。
新章7話 モテない男の役割とポジション
「純……夏…………?」
白銀武は立ち尽くした。
安らかに眠るその少女、自分の幼馴染である鑑純夏を目の前にして時が止まったように立ち尽くさずにはいられなかった。……。
何故? どうして?
嬉しさと同時に浮かび上がる疑問が、白銀武を出口無き思考の複雑な迷路の中にいざなう。
「夕呼先生……これは一体…………?」
確かにこの世界では脳髄状態の『鑑純夏』に武は会う事はできなかった。
それはずっと疑問に思っていた。
スーパーなBETAが存在するこの世界での彼女の不在。
最悪すでに純夏はもう亡くなっているという事すら覚悟していたのだ。
「1999年8月5日に始まった『明星作戦』――」
「…………え……?」
夕呼の言葉に武は現実に引き戻される。
「いわゆる大東亜連合軍による本州島奪還作戦は、2発のG弾によって、人類の勝利で終わった」
「……知っています」
武自身は明星作戦を見たわけではないが、情報としてはしっかり記憶されている。
2発のG弾。
そしてこの世界ではこの作戦の後に新型のBETAが出現したという事も。
「ハイヴ内のBETAを殲滅するために突入した部隊が見つけたのは……青白く光る無数の柱……、その中にいたのよ。恐らく捕虜になっていたと思われる人間たちが眠るようにね……」
「眠るように……」
という事はこの世界のBETAは捕虜をバラバラにする事は無かったという事か?
一体何故……?
「夕呼先生、それで純夏以外の生存者は?」
脳髄状態でなければ他の捕虜も生き残っている可能性もあるだろうと、武は夕呼に視線をおくるが、夕呼は首を横に振る。
「残念ながら何百といた捕虜のうち、生存していたのは彼女だけよ」
「そう……ですか……」
脳髄だけだろうが何だろうが結局のところ生き残ったのは純夏だけという現実に、武は喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。
「鑑純夏を蘇生させるため私は姉さんに連絡。この基地に様々な設備がごった返しているのはそのためなのよ?」
「なるほど。と、いう事はモトコさんは……」
「えぇ、姉さんもオルタネイティヴ4の関係者だから安心なさい」
「わかりました」
軍事機密のためオルタネイティヴ4のことは、たとえ夕呼の姉であろうとしゃべることはできないと思っていたがそういう事なら安心である。
「先生……。それで純夏の容態はどうなんですか?」
「どうも何も、もう目は覚めたわよ?」
「………………は? ほ、本当ですか?」
あっさりと言い放つ夕呼の言葉に武は目を点にした。
改めて純夏の様子を見てみる。
なるほど確かに顔色も良く、呼吸も安定している。
「……もっとも彼女の精神はまだまだ安定していないわ。彼女が目覚めたのはちょうどあなたが横浜基地に来た日よ。これもあなたが引き寄せた因果ってやつなのかしらね?」
「白銀君……だったわね? あなた彼女と幼馴染なんでしょ? 声を掛けてあげてあげなさい」
モトコが武の肩に手を置く。
「は、はい……!!」
振り返る武の表情は涙で濡れていた。
今まで何度も仲間の死を見続けてきた武だが、死んだと思っていた仲間が生き残っていたという経験はほとんどと言っていいほど無い。
武は純夏の手を握る。
柔らかく暖かい彼女の手からは命の源泉たる血の流れを感じ取る事が出来た。
「…………純夏。オレだ……武だ。本当に良く生きててくれたな。いつもいつもオレはお前を助ける事ができなくて……すまなかった」
純夏の手を握りながらこぼれるのは懺悔の言葉。
BETAが侵攻して来たときどうして自分はループして来れなかったのか。
どうして捕虜の純夏を助けだすことが出来なかったのか。
自分でも無茶な事を言っていると思う。だが、今こうして生きている純夏を前にして武は仕方がなかったではとてもではないが済ますことは出来なかった。
「もう大丈夫だから。……オレがこの世界を救って見せるから!! BETAはオレが全て……!!」
「………………殺してやる」
「え?」
武が顔を上げる。
「皆……殺しに…………してやる」
「純…………夏……?」
茫然自失の武の目の前で純夏が目を覚まし、ゆっくりとその上体を起こす。
しかしその表情。
赤毛の前髪から除く瞳には自我の存在が感じられない。
「あ、あぁ…………」
うめき声が純夏の口から漏れ、両手で自分の体を抱え込むような姿勢で蹲る。
水色の入院服の袖を引き千切らんばかりに握り締め、純夏の体が震えだす。
「殺す……殺す…………殺す!! …………殺すッ!!!!」
語尾が徐々に強くなる。
黒い怨嗟の感情と赤いマグマのような怒りの感情が内側から溢れ出るようだ。
「う、あ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!BETA――!! 殺す!! 殺してやるぅ!! 」
「純夏ッ!!」
暴れる純夏によりベットのシートがめくれる。
「―――ッ!!」
ここで武は初めて気がついた。
両足を縛る3条の太いベルトが純夏をベットに固定しているという事を。
「……へぇ、まさか一発で反応するなんてね」
「夕呼、嬉しそうな反応をしないの。鎮静剤を打つけど良いわね?」
夕呼が興味深そうに声を上げたのに対して、モトコは純夏を押さえつけるスタッフを呼ぶために彼女の枕元にあるナースコールボタンを押そうとする。
「待って姉さん。白銀? この状態の鑑に何か話しかけてみなさい。どう反応するか見てみたいわ」
「………………ッ」
モトコが非難の声を上げそうになるが唇をかみ締める。
ここら辺は姉妹と言えど研究者と医者の違いによるものだといえよう。
モトコにとって純夏は大切な患者であるが、夕呼にとってはオルタネイティヴ4の実験の対象なのだ。
人道的という意味ではモトコの方が正しい。だが、『この世界』では夕呼の判断の方が正しい。
「いいんですモトコ先生、離れていてください」
武もそのあたりのことはよく理解している。
モトコと夕呼に少し離れるように言い、純夏の様子を伺う。
「あ、あぁぁ……い、いやあ……」
この状態、00ユニットの時となんら変らない。
と、いう事はこの純夏もBETAによる『あの実験』を受けたのだろう。
……くやしい。
くやしすぎて涙が出てくる。
「くそぉ……!!」
しかしそれでも幾多の世界を回ってきた白銀武。
自分の無力感に浸って蹲ってはいられない。
純夏は今完全に切れた状態だ。正面から迂闊に近づけば自分とて無事ではすまない。
暴れまわる純夏の一瞬の隙を突き、武は横から純夏を両手で羽交い絞めにする。
「イヤッ!! イヤァアアッ!! 離してぇ!」
「…………くっ!!」
すごい力だ!! あやうくロックした武の腕がほどけそうになる!
こんな細腕、それも寝たきりだった人間にこんな力がある事が信じられない。
火事場の馬鹿力。
脳のリミッターが外れた人間の力とはそれほどまでに凄まじいものなのだ。
「うあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーッッ!」
「――――純夏!! オレだ! 武だッ! わからないのか!」
「………………あ」
武の声に反応したのか純夏が途端に力が抜けたかのように大人しくなり、糸の切れた人形のように気を失う。
「ふふふ、なるほどね。やっぱり鑑純夏にとってアンタは特別な存在みたいね。……あら? 泣いているの? 白銀少佐?」
「茶化さないでくださいよ。これでも本当にギリギリのところを必死で堪えているんですから仕方ないでしょう?」
何度ループしても根本的なこの涙もろい性格は直らないのだろう。
武は腹の中からこみ上げてくる嗚咽を堪えながら夕呼に問う。
「それで……夕呼先生、純夏は元に戻るんですか?」
「私よりそれは姉さんの領分ね。……どうかしら姉さん? いま見たところの感想は」
「そうね、関係が深い人間の声に昏睡状態の人間が反応するという例は、無いわけではないけど、あそこまでハッキリとした形で出るのは珍しいわね」
「それじゃあ……!!」
「えぇ、断定はできないけど彼女が自我を取り戻す日はそう遠くはないかもしれないわね。もっともあなたの助けもいるでしょうけど」
武にとってはまさに不幸中の幸いの情報であった。
さらに言えば純夏の治療を手助けできるのは武だけではない。
ESP能力をやどした霞もいる。
彼女の思考を読み取るリーディングや、思考を送信するプロジェクションはきっと純夏の治療に大きな助けとなるだろう。
ほっと胸を撫で下ろした武。
だが次の瞬間、武の胸の内に警鐘が鳴った。
「――――ッ!!」
胸が締め付けられる。
嫌な予感、とてつもなく嫌な予感がした。
若造の頃の自分ならば、「純夏が無事だった! 良かった良かった!」で済ませていただろうが自分は違う!!
――純夏が無事?
――だから一体どうしたというのだ?
「夕呼先生……純夏……純夏を00ユニットするんですか?」
夕呼とモトコ、2人の表情が一瞬だけ変わる。
「えぇ、そのつもりよ?」
何の詫び入れもなしに夕呼は飄々とした態度で質問に答えた。
「ま、待ってください…………!!」
純夏を00ユニットにしないでください。そう武は続けようとしたが言葉が出てこなかった。
00ユニットは人類の希望だ。これが完成しなければ勝利は無い。たとえ自分の大切な人間が助かっていたと言えどもそれを邪魔する事は絶対に許されない。
「……もう良いわ白銀。今日の面会はこれでお終いよ。アンタの仕事に戻りなさい」
苦悶の表情を浮かべる武の様子から心中を察する事が出来た夕呼だが、それでも彼女は自分の歩みを止めることなどしない。
冷酷に、ただオルタネイティヴ4の責任者としての職務真っ当する事が彼女の信念なのである。
「わかりました。…………純夏のことをよろしくお願いします」
この程度の選択は何度も迫られた。
人類を救うため冥夜をあ号標的もろとも電磁投射砲で吹き飛ばした事がある。
BETAに住処を追われたにもかかわらず、故郷から離れようとしない難民を容赦なく麻酔銃で眠らせたこともある。
この程度……この程度のことは…………!!
「……く!」
頭を下げる武から涙が零れた。
無理なのだ! 数字の端数を切り捨てるように人々を切り捨てることは武にはできない
深々と夕呼とモトコに頭を下げて退室しようとした武に夕呼が声を掛ける。
「白銀」
「……はい?」
「安心なさい。鑑純夏の事、悪いようにはしないから」
「……………………」
もう1度だけ頭を下げ武は部屋を出て行く。
扉が閉まり、静寂が訪れた病室でモトコは窓を開け、加えていたタバコから吸い出した紫煙を吐き出した。
「…………健気な若者ね。あの子の期待に答えて、何とかこの娘を助けてあげたいという気持ちはあるのだけど」
病室の天井に漂うタバコの煙を眺めながらモトコは考える。
00ユニット。幼馴染がその候補者とは確かにあの少年にとって気の毒な事だろう。
だがこの世界には例え00ユニットならなくとも怪我が治れば再び戦場に行かなければならないのだ。
命を助けるために自分は医者をやっているのか、それとも戦場に新たな命を散らすために人の命を一時的に延ばしているだけなのか?
時々モトコは自分の事がわからなくなる。
「できればこのまま眠っていてもらいたい……なんていうのは医者として失格かしらね」
「…………そうね」
「どうしたの? 夕呼?」
携帯していた灰皿にタバコの灰を落とし、モトコは夕呼を見た。
「いいえ、なんでもないわ姉さん」
口数の少ない返答。
夕呼が昔から何か隠し事をしているときの癖である。
天才であるが故にこの世界の未来を背負って立つ自分の妹は今何を考えているのか?
「……夕呼? ちょっとコーヒーでも飲みましょうか? 合成ものだけど」
モトコは何も効かずにタバコの火を消し、夕呼に声を掛ける。
「あら何? 横浜基地の副司令に偽物を飲ませようというの?」
「えぇ、偽物を飲むついでに隠し事も飲み込んじゃいなさい」
「そ、……ではありがたくいただこうかしら?」
姉の気遣いに感謝しながら夕呼は席を立つ。
部屋の扉に手を掛け、一度夕呼は振り返りいまだ眠り続ける純夏を見る。
……BETAに捕まりその上で帰還を果たした人間。
その情報が自分達の手元に届いたときは驚喜したものだ。
白銀武からの情報によれば、この世界以外の並行世界では鑑純夏はBETAに捕まり、脳と脊髄だけにされシリンダーの中で保管された状態で見つかるという。
なるほど、確かにそれに比べればこの世界の鑑純夏は『運が良かった』のだろう。
だが、今となってはそれを果たしてそう単純に喜んで良いものだろうか?
何故BETAは純夏を解体しなかったのか?
こう言っては何だが人間の尊厳など一切考慮せずバラバラに解体した方が、たしかにBETAらしいやり方だ。
武の情報とこの世界の差異点を聞き夕呼の頭に浮かんだのはもちろん吾郷のことである。
あの男の存在を知っていれば馬鹿でも気付く。
この世界がこうなってしまったのはあの男に原因があると。
吾郷は言っていた。自分が死んだのは『BETAに人間を攻撃するのを止めさせたから』だと。
もしそれが理由で鑑純夏が脳髄にされなかったのなら確かに僥倖と言える。
BETAが人類を攻撃するのを躊躇してくれるようになってくれたらどれだけありがたい事か。
……だが夕呼はどうしてもその方向に考えを持っていく事が出来なかった。
ある種の予感、胸騒ぎがしたのである。
あの男とて自分の事を全て話したわけではあるまい。
ESP能力なんぞ無くとも夕呼は幾多の修羅場を潜ってきた人間だ。
ある程度の予想はつく。
あの男は恨んだはずだ。
憎んだはずだ。嫉妬したはずだ。
何故自分だけが、なぜ自分だけがあ号標的にならなければならない。
何故? 何故?
人類が滅亡の危機に瀕しているというのにまるで他人事のようなあの態度。
表面は平常を装っていても一体どれほどの黒い感情を腹の中に溜め込んでいるのだろうか?
そしてもしその感情がこの世界に影響を及ぼしているとしたら?
この世界のBETAがあえて鑑純夏をバラバラにしないで実験をしたとしたら?
たどり着くその理由とは?
「最悪ね…………」
夕呼の呟いた声は溶けて消える。
病棟の窓から覗くG弾で吹き飛ばされた横浜の大地。その遥か先の地平線には不吉を象徴する黒い影が天を貫いていた……。
◆
「ハァ~~~~~~~~~~~~~~ッ」
吾郷はため息を吐いてた。
健康診断が終わった。
それはいい、胃の検査で飲んだバリウムが腹に溜まっている感じがするがそれはいい。
精神疾患の検査のためと言われ心理テストとかやたらと時間が掛かったがそれも別にいい。
太陽が西に沈みつつある時間、吾郷は横浜基地の屋上に来ていた。
気分は実に最悪である。
「お前は一体何者だ……?」
静かに、しかしはっきりとした口調で白銀武は吾郷の前に立ちはだかっていた。
夕方の屋上というシチュなら女の子からの告白と相場が決まっているのに、一体なにが悲しくて野郎と一緒にこんな場所にいなくてはならないのか?
長い健康診断が終わったと思ったら見計らったかのように武が吾郷を待ち構えていたのだ。
たった一言、「ちょっと屋上に来い」と、ドラマで不良が言いそうな台詞をまさかこの年で聞くことになろうとは……。
だがその眼光。
けっしてシャレが通じる雰囲気ではない武のプレッシャーに負けて、吾郷は引きずられるような形で武に着いてきてしまったのだ。
「もう一度言うぞ。お前は一体何者だ……?」
「『need to know』って、俺のことに関しては香月さんから言われていなかったっけ? その質問をするのは命令違反って奴になるんじゃない?」
武がどんなに凄もうと、すでに上司である香月夕呼から口止めの命令が出ているのだから吾郷には答える義理も義務もなければまたその気も無い。
だが武としても引く気はない。
夕呼に命令されたとは言え、これほどまでのイレギュラー世界における正体不明の男のことをこれ以上野放しにできないと考えたのだ。
「命令違反は覚悟の上。何だったらこの後ちゃんと罰則を受けても構わないと俺は思っている」
「おいおい……何だ? 何でそこまでオレの正体を気にかけるの?」
吾郷は驚く。なにこの自信に満ちた武ちゃんは? オルタの武ってまだまだ精神的にガキ臭さが残っていて色々悩み苦しみながら成長する主人公じゃなかったっけ? と、そんな風に懸念の視線を送る吾郷に武はさらに言葉を続ける。
「あんたはこの世界にとってイレギュラーだからさ」
「え――――ッ!!」
武の言葉に吾郷は言葉を飲み込む。
いや、確かに自分はイレギュラー。それは事実だし自覚している。
問題なのは何故それを白銀武が知っているのか?
マブラヴ……ゲームの世界の住人が現実世界の来訪者である自分をはっきり異物だとどうして認識できるものなのか?
「まずはオレの事を話そう。オレは白銀武。因果律にとらわれ、未来の世界からやってきた男だ」
「あ、そう…………ですか」
いきなり小細工抜きの直球で武は責めてきた。
武は『いつもの世界』ではこの事を夕呼や霞、それと純夏以外には絶対話さない。
言ったところで誰も信じないからだ。
だが『イレギュラーの世界』では話は別。
今までのループの経験上、何故かイレギュラーの人物達も自分と同じ別世界からのループした人間なのだ。
十中八九自分のいう事を素直に信じる。
「あぁ、1度目は人類敗北の世界、2度目はあ号標的を撃破した世界。……その後は一体どれだけの世界を渡ったかな?」
オルタネイティヴなどのキーワードは伏せて武は吾郷の出方を伺う。
「へぇ……そ、そうなの?」
恐らくこれが精一杯なのだろう。
適当に相槌を打つような吾郷のリアクション。
よほど自分の言った事が衝撃的だったのだろう。
目を皿のようにして額に汗を大量に掻いている。
――確信。
やはり目の前の男はループ経験者だ。
いかにも図星ですという吾郷の表情から確信を得た武はさらなる追い込みをかける。
「確かに夕呼先生は天才だ。あの人があんたの正体を探るなと言うからには『今は言うべきときじゃない』と判断しているだろう。……昔の、ガキ臭かった頃のオレなら先生のいう事を鵜呑みにしてその通り動いていただろうさ。だが今のオレは違う……!!」
「な、何が……?」
「オレは度重なるループにより経験をつんできた。そして学んだ事がある。夕呼先生は確かに天才だが所詮はやはり人間。時にはその判断を間違えることだってある。あの人は知らないのさ、イレギュラーがどれだけ世界に異変をもたらすかを」
「おいおい異変って……ちょっとそれは大げさじゃないか?」
感情むき出しでこちらにプレッシャーを与えてくる武に、吾郷は落ち着くようになだめる。
「そうか……? ならアレを見ろ! アレを見てもお前はまだそんな事が言えるかのか?」
武が突然指を空の彼方へとさす。
つられて吾郷もその先を追っていく。
果たしてその先には…………?
「な、なんじゃありゃあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!!」
吾郷の絶叫が病院の屋上に響き渡った。
武の指差すはるか先の地平線。
そこから伸びる黒い影。
ここから何百kmと離れているため太さはシャーペンの芯のように細いが、その圧倒的な高さの故はっきりと視認することが出来た。
その正体……!!
この世界では『鉄塔光線級』と呼ばれ、吾郷が『植物級』と名づけたスーパーなBETAの内の1つであった……!!
「あ、あわわわわわ……」
鉄塔光線級。
高さ10kmのこの化物が見渡せる景色全てが射程内そのレーザー射程距離は実に800km!!
圧倒的な射程距離はこの佐渡島からこの横浜基地も余裕で範囲内に収める。
が、それは言い換えれば射程内にいる人間からもこのBETAを見ることができる事を意味する!!
「あのBETAの名前は鉄塔光線級。最大で10kmまで育つ対G弾用のBETAで………………」
武の説明が続くが吾郷の耳には最早はいらない。
その視線は鉄塔光線級に釘付けとなっていた。
武にいちいち説明されなくても見た瞬間に直感的に分かってしまった。
あれは自分が作ったBETAであると!!
あれ……何? 何なの?
ここはオルタの世界じゃないの?
っていうか何度もループした武ちゃん?
何ですかそれ?
あまりの事に頭の中がパニックになる。
「……これがオレが夕呼先生の命令を破ってまで、あんたにしつこく問いただす理由だ。この世界は異常すぎる。頼む! 答えてくれ。あんたはあのBETAの正体を知っているんじゃないか?」
威圧的な態度から一変して武は誠心誠意をもって頭を下げる。
うっ! と、言葉に詰まる吾郷。
武の言いたい事、言い分は良く分かった。
本当なら教えてやりたい。
だが!
言えない! 言える訳が無い!!
素直に教えたらどうなるか? 自分の正体があ号標的だったなんて教えたらどうなるのか?
都合よく「オレはお前の仲間だ! 信じるぜ!!」などと武が言ってくれて見事に和解成立。「オレ達の冒険はこれからだ! ――完!!」という風に行くだろうか?
「…………ないな」
あまりに都合の良い考えを吾郷は振り払う。
マブラヴの世界は悲しい事に人類同士が滅亡に瀕してなお互いに協力できない世界だ。
おそらく自分の正体が知れれば、世界中全ての人類から敵意の対象となるだろう。
そこから繋がる差別。想像するに恐ろしい。
「すまないがオレはあのBETAの事は何も知らない。正直BETAがあんなに巨大なものだったなんて想像もしてなくってさ」
「そうか……」
吾郷の言葉になにやら考えるように姿勢を取ったが、やがて諦めるように武は大きくため息を吐く。
「悪かったな。余計な時間を取らせた。オレはこれからもう1回純夏の見舞いに行く事にするから。じゃあな」
「え? 純夏ってあの鑑純夏か?」
意外な名前に思わず吾郷は問い返す。
きびすを返し昇降口に向かおうとしていた武の足がピタリと止まる。
「あぁ、あの鑑純夏だ。…………で? 何であんたは純夏の苗字を知っているんだ?」
「げ…………」
失言!
いや、武がそうなるよう誘導したのだ。
口を割らない相手に対して突如別の話題を振り、そこから矛盾点を突きつける。
尋問における常套手段である。
「やっぱあんたオレ達の事知ってるんじゃないか! 吐けコラァ!!」
「あ痛たたたたぁぁーーーーー!!」
軍事経験を積んでいる武と一般人の吾郷とではその実力は雲泥の差!
あっという間に背中に回り込まれ肘を締め上げられる。
「さぁ大人しく言え! オレや純夏の知っていることの理由は何だ!?」
「くぅ……!!」
もはや決定的な証拠をつかまれ言い逃れができない!
どうする!? どうするっ!? どうするっっ!?
吾郷は考える。
1、とにかくごまかし通せ!
2、意地でもごまかし通せ!!
3、死んでもごまかし通せ!!!
4、ああもうごまかし通せ!!!!
5、とにかく意地でも死んでもああもうごまかし通せ!!!!!
「わかった……白銀、おまえにだけは本当のことを言うよ……」
観念したような吾郷の言葉を聞き、どっかでやった事のあるようなやり取りだと思いつつも武は腕のロックを外す。
決められた肘をさすりながら吾郷は武に言う。
「まったく、しょうがないな。お前さんの方から思い出してくれるのをずっと待っていたんだけど……どうしても思い出せないか? 俺の事が?」
「――ッ!! やっぱりオレはお前と知り合いなのか?」
吾郷の言葉に武は目を見開く。
今から吐くのは当然嘘の内容である。
凡人である吾郷には夕呼のように『嘘ではないが真実でもない』という高等な口先技術は持っていない。
実の事を言うと吾郷は、もし武に自分の正体を問いただされたらこう答えようとあらかじめ考えていたのだ。
それは昨日今日の話ではない。
かつて自分があ号標的であった頃の話、毎日毎日BETAに指示をだすだけの仕事に嫌気がさしていた吾郷は色々な妄想にふけって現実逃避することが多かった。
その中で、もし自分がマブラヴの世界に人間の体で行った場合、武にどう言い訳するかという風に考えた事があった。
自分はマブラヴというゲームをやった事があり、この世界はゲームの中の作り話だ……というのはかなり危険な解答だ。
真実ではあるのだが逆に絶対信じてもらえないだろう。
そこで吾郷は考えた。
嘘ではあるが、リアリティのある言い訳を!!
「オレはBETAのいない平和な世界……そこでお前のクラスメイトだった男だ!!」
「な、なにぃぃぃぃーーーーー!! …………って嘘つけぇ!! 明らかにオレと年齢ちがうじゃねぇか!!」
驚愕はしたものの直ぐに持ちなおして武は人差し指を吾郷に突きつける。
武も伊達に何十年とループしてきた訳ではない。
あっさりオレオレ詐欺に騙されるほど馬鹿ではないのだ。
だが吾郷はそんな武を軽く流しさらに説明を続ける。
「物理教師の香月先生がいつも提唱していなかったか? 『因果律量子論』について。幾多の可能性を秘めた並行世界なら、例えば30歳の白銀武がこの世界に飛ばされるって事もあるんじゃないか? ……オレの場合はそれが起きたってだけの話だ」
「なッ! い、因果律量子論……確かに夕呼先生の理論だ。それを知っているとなると、なるほど確かに……ありえるな……!!」
マブラヴをプレイしていた事による原作知識は、武からすればまるで平和な世界からの知識に見え、それが確たる証拠となるのだ。
まぁ実は嘘っぱちなのだが。
「う~~ん、成る程ねぇ……」
腕を組みながら納得する武に対して吾郷は「おぉッ! 信じた! 便利な言葉だな因果律量子論!!」などとちょっと悪戯が成功して得意気である。
しかし武は腕を組みながらも顔を上げる。
「でもさ、悪いけどオレお前みたいな奴クラスにいたって記憶ないんだけど?」
どうやらまだ100%信じているわけではないらしい。
が、その表情からは自分に対する警戒心が完全に抜け切った様子だ。
あと少し、あと少しで誤魔化しきることができるだろう。
さっきは追い詰められたが、今度はこちらのターンである。
「酷いな。……まぁ、オレはクラスでも目立たない存在だったからね。っていうかお前が逆に目立ちすぎだったんだって。担任を『まりもちゃん』って呼んでたのお前くらいじゃなかったっけ?」
また平和な世界の原作知識を武に披露してみせる。
「う! いや、それは……なぁ? 若気の至りっていうかさ」
甘ったれだった頃の自分を指摘され、武は口ごもる。
ちょっと過去の自分の姿を思い出すのは恥ずかしいものだ。
「まぁ、お前は香月先生曰く恋愛原子核でクラスの中心だったからなぁ。女とフラグ立てるたびに『おおおおーーーーー!?』とか『何ィーー! またしても白銀ェーー!?』とか言ってたのがオレだ」
「あぁっ! た、確かにそんな台詞は聞いたことがある気がする……!!」
「……逆に質問するけど、お前って自分のクラスの男の名前覚えてるか?」
「え?」
「鑑純夏や委員長とかの女子じゃないぞ? 男のクラスメート、覚えてるか?」
吾郷の質問に武は唸る。
「え、えぇっとだな…………」
尊人と言おうとしたが武はやめた。
美琴はすでに自分の中で女として定着している。
彼女を抱いた事だってある。
今更男扱いするのは何か違う気がした。
「あ、あれ? えっとだな……」
「……思い出せないか? ほらいたじゃん。霞や悠陽が転校してきた時入れ替わった佐藤や田中とか」
とりあえず日本でポピュラーな苗字を上げとけばいいだろうと吾郷は適当に名前を挙げる。
「あ、あぁ! いたな! うんうん思い出した!!」
明らかに知ったかぶりをした様子だったが吾郷は敢えて突っ込まないで内心ほくそ笑んだ。
思った通り所詮はモテモテのイケメン主人公!
立ち絵のない男キャラの事なんぞ覚えてはいまいという吾郷の予想は大当たりであった。
「……って、ちょっと待てよ?」
武が止まる。
「ん? 何だ? どうした?」
「オレの世界では霞も殿下もいなかったぞ?」
「――――ッ!!」
やばい墓穴掘った! あれはオルタのエンド世界のオルタードフェイブルの世界だった!
しかし一瞬あせった吾郷だったがすぐさま切り返す。
「全ては因果律量子論で説明が付く!!」
「そっか、なるほどなぁ」
……納得した。
本当に便利な言葉である『因果律量子論』。
これから困ったときはこの言葉でゴリ押ししようと吾郷は考える。
どうやら武はすっかり自分の言った嘘を信じたらしい。
内心「うん! 良し! 完璧だ!」とガッツポーズする吾郷だったが、この時まだ気付いていない。
武がオルタネイティヴ4の理論を回収するためにBETAいない世界に行くことがあるという事を!!
「でだ、鑑純夏がこの病院にいるのか?」
何とか誤魔化せてホッと息をついた吾郷は話題を変える。
「あ、あぁ。お前も並行世界でクラスメートだったなら見舞いに行くか?」
「いや、遠慮しておくよ。今は30歳の自分が行っても彼女が混乱するだけだろうし」
というか彼女にあったらPTSDを発生させて最悪純夏を殴りかねない。
下手なトラブル御免こうむる。
触らぬ神に祟りなしという奴である。
「まぁ、確かにそうかもな。……悪かったなお前の事を疑ったりして」
「いやいや、あとこの事は他言しないでくれよ」
「あぁ、それは当然だ。オレが因果導体だって事もすまないが言わないでくれよ」
吾郷は頷き、武はその様子を確認して屋上を出て行く。
主人公の白銀武からのしつこい追求をかわせて吾郷としてはようやく心が落ち着く事ができた。
この世界はマブラヴオルタの世界ではなかったが、武はこれから主人公として色々と奮起してくれる事だろう。
「がんばれ主人公。オレも影ながら応援してるぞ脇役として……」
実にやる気の無い無責任な台詞を吐き、吾郷はクルリと後ろを向く。
見えるのは地平線にそびえ立つ鉄塔光線級のBETA。
「……まぁ今度タイミングを見てあの植物級の倒し方でも教えてやるか? 倒し方さえ分かれば何てことの無いザコだからなぁ」
そう言って吾郷は欠伸をしながら体を伸ばす。
何だか今日は1日中気を張り続けて疲れた。
とっととメシを喰って部屋に帰ろう。
そして明日からまた適当にがんばろう。
完璧な駄目人間の思考回路。
実にやる気の無い吾郷だが、自分の情報がどれだけ価値があるものなのか、この男はまだ気がついていない……。
◆
――その夜、香月夕呼の元に1冊の資料が届いた。
受け取った資料をざっと目を通し、夕呼は満足そうに笑う。
「ありがとう姉さん。助かったわ。……えぇ、…………えぇ分かっているわ。それじゃあおやすみなさい」
そう言って夕呼は電話の受話器を置いてもう1度資料、いやモトコから受け取った吾郷の健康診断用紙をパラパラと捲る。
だがその厚さ、とても健康診断の用紙には見えない。
「良かったわね。白銀、鑑純夏を00ユニットにしない方法が見つかったわよ?」
思わず1人ごとを言ってしまうほど夕呼は上機嫌な様子であった。
00ユニット。
炭素系生命体を生命として認識しないBETAと唯一コンタクトを取り得る、非炭素系擬似生命体。
その役割はBETAの弱点、社会構造、侵略目的等を探るための諜報活動。
今までは夕呼もそれが目的で純夏を、いや00ユニットを作ろうとしていた。
だが……それだけではこの世界では足りない。
スーパーなBETAが蔓延るこの世界では足りない!!
武の話では初めてオルタネイティヴ4が完成した世界でも、あ号標的を打倒できたのは様々な犠牲の上でようやく起こす事のできた奇跡だったという。
それならばどうやって『ただの00ユニット』でこの世界を救おうというのか!?
あの明星作戦以降より更なる進化を遂げたスーパーなBETAに、もはや人類に太刀打ちする手段がない。
G弾も駄目で戦術機も駄目。
10年以内と言われていた人類の滅亡までの時間は今ではさらに短くなってしまっただろう。
はたしてそれは2年か3年か?
と、なればこの世界を救うには諜報員の役割をする00ユニットではなく、更なる上の『兵器』が必要なのだ。
「フフ…………フフフフフ……!! ……あなたがあ号標的の知識を全て持っていると知ったときの私の喜びは分からないでしょうね?」
悪魔のような笑みがこぼれる。
この絶望に閉ざされた世界にだがしかし夕呼は1つの光明を見出す事に成功した。
蜘蛛の糸のようにか細いが確かな希望!!
以前、白銀武は自分に言っていた。
00ユニットを作るとあ号標的に人類の知識が奪われてしまう危険性があると!
人類とBETAの科学力の両方を併せ持って生み出される戦術機並みのBETA!
しかし逆にそれはこうも言えないだろうか?
あ号標的が00ユニットの知識を吸収してそれが可能ならば、00ユニットがあ号標的の知識を吸収しても同様のことが可能なのだ。
吾郷が人類の科学に疎いなら話しは簡単だ。
人類全ての知識を納められる体をくれてやればいい。
この世界にスーパーなBETAがいるのなら話は簡単だ。
人類はそれを上回るチートなBETAを作ればいい。
「フフ、逃がさないわよ……絶対に……絶対に!! ……あ号標的さん?」
夕呼の手元の用紙は実は健康診断の結果ではない。
もっともっと重要な秘蔵の切り札と言って良い。
その内容の中身を見て、夕呼は満足そうに笑うのであった…………。
◆◇診断結果◆◇
氏名:吾郷標為(あごう ひょうい)
性別:男
年齢:30歳
身長:173cm
体重:63kg
00ユニット適正ランク:SSS