≪ゼクウ≫
知っていることとはいえ、この先は某にもあまり気分のよくない話だ。
まぁ、元々人間の夢に巣くい想いを糧にしていたナイトメアでもあった某が言うのはどうかとも思うが。
それにしても、マスターは今何を考えているのだろうか。
皆様はきつそうにしておいでだが想像していたよりも圧力は低く、マスターが意図してこの映像を見せているのではないかと疑念がわく。
それとも、まだ他の何者かの干渉があるのだろうか?
徐々に過去の記憶が今の記憶より強く想起されていく。
それはルシオラ殿の最期に向かって顕著になり、セピア色であった過去の記憶が色身を帯び始め、これまで無音だった映像に音声がつきはじめた。
『下っぱ魔族はホレっぽいのよ。図体と知能の割に、経験が少なくてアンバランスなのね。子供と同じだわ』
『お前……優しすぎるよ』
『どうせ私たちすぐに消滅するんじゃない……!! だったら!! ホレた男と結ばれて終わるのも悪くはないわ!!』
『でもよ……! 死んでもいいくらい俺が好きなんて…… ひと晩とひきかえに、命を捨てるなんて…… そんな女、抱けるかよッ!! 俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!』
『アシュタロスは……俺が倒す!!』
『必ず迎えにいくから……!! だから待っててくれ!』
『独りでなんて死なせないわ!! ヨコシマ!! 私も一緒に……!! 私……おまえが……』
『ベスパ……!! よくも……!! よくもヨコシマを……!!』
『た……助かった……おまえも無事だったんだな!? よかった……!!』
『あんっ(はぁと)そんなにしがみつかないで♪』
過去のマスターと過去のルシオラ殿の睦み合いを見るたびにルシオラ殿の顔がまるで林檎のように真っ赤になり頭から湯気のようなものまで出る始末。
本人も言ってましたが生まれたばかりの魔族は純情ですな。
これがキンナリーやアプサラスであれば……まぁ、言わぬが華ですか。
周囲の視線も羨ましむような、あるいは当てられたような視線をルシオラ殿に向けるので更にそれが顕著になります。
……本当にこのような生活が続いてくれさえすれば。
画面はとうとう、最初の慟哭のきっかけとなる場面。
ベスパ殿の一撃を身を挺して過去のマスターがルシオラ殿を護るために甘んじてくらう場面になりました。
『なんで助けになんか来たのよ、オッチョコチョイ!! 美神さんのところへ行けって言ったでしょ!?』
『私がやってきたことは全部おまえのためなのに……!! おまえがやられちゃったら、意味ないじゃない!!』
『!! 細胞がどんどん死んでいく……! ベスパの妖毒が回ってるんだわ! ……!! 感じる!! ヨコシマの霊体が……霊基構造が連鎖反応をおこして壊れていく……!! 霊力のない肉体はただの化学物質の集まりよ!! このままじゃ……目をあけて、ヨコシマ!! 霊力を上げるのよ!! 魂が……霊力がなくなったら生命も消えちゃう!! ヨコシマーー!! ……死なせない、どんなことをしてもよ……!! 生きてヨコシマ……!!』
ここにいる者は大半のものが霊能力や神族、魔族について造詣が深い。
故に、このときルシオラ殿の生命が消えかけていることを理解できているのだろう。
霊能力に疎いものでも周りの雰囲気からそれを察していた。
……アシュタロス殿からルシオラ殿が死んだ事を聞いて動揺するマスター。
マスターの内部にあったルシオラ殿の残滓もそれを肯定する。
しかし、悲しみにくれる間も許さずに状況は次々に変化していく。
次々に変化する状況がマスターの精神をかえって保たせた。
マスターの策略でコスモプロセッサの内部より魂の結晶体を奪い去り、膠着状態を作り出すことに成功した。
『ちらっとでも動けば……結晶を破壊するッ!!』
『悪い冗談だな。そいつを壊せば困るのは私だけではないぞ。ルシオラを……見捨てるのかね?』
『今すぐ返せば君とルシオラは生かしておいてやろうじゃないか。新世界のアダムとイヴにしてやろう。彼女は君のためにすべてを失ったのだろう? このまま死なせるのはひどすぎるとは思わんかね?』
『それをよこしたまえ! ルシオラを死なせたくはあるまい!?』
『恋人を犠牲にするのか!? 寝ざめが悪いぞ!』
マスターの動揺を誘うアシュタロス殿の言葉。
それは正に悪魔の誘惑であった。
『何を迷っているの!? 結晶を破壊すればアシュ様は一気に追いつめられるのよ!! 神魔族は復活し、アシュ様は力の大半を失う!!』
『ヨコシマ……! 私一人のために仲間と世界……すべてを犠牲になんかできないでしょ!?』
『でも……だからってルシオラを犠牲になんて……私の口からあんたに言えると思うのっ!?』
『……なんで……!! なんで俺がやんなきゃダメなんスか……!!』
『約束したじゃない、アシュ様を倒すって……! それとも……誰かほかの人にそれをやらせるつもり!? 自分の手を汚したくないから……』
この身は今でもマスターの従者のつもり。故に多分にマスター贔屓であることは自覚しておりますが、ただの高校生でしかなかったマスターには辛すぎる選択。
しかし、それにかけられた言葉は逃避と残酷なまでの正論でしかなかった。
いえ、美神殿は自身の意見を述べ、ルシオラ殿は己の全てを賭けていたのですから某が責めることなど出来ようハズもない。某はアシュタロス殿の尖兵として外野で暴れていることしかできていなかったのだから。
それでも、マスターはそれ以外の選択肢を選べなくなってしまった。
『……今、お前を倒すにはこれしかねえ……! どーせ後悔するなら……てめえがくたばってからだ!! アシュタロスーー!!』
思えば、この事件が今のマスターを作り上げた切欠。
恋人の命を糧に生き延び、その恋人を……マスターの主観で言うのであれば自分の手で殺した。
『ナイトメア』として生きてきて多くの人間の精神を殺した(こわした)経験上、ソレは人間が死ぬ(こわれる)理由としては充分な理由だった。
だが、この後もマスターは笑っていた。哂っていた。嗤っていた。
死ぬ(こわれる)事は許されず、壊れる(くるう)事も許されなかった。
何よりも己がソレを許さなかった。
『あいつは……ルシオラは……俺のことが好きだって……命も惜しくないって……なのに……!! 俺、あいつに何もしてやらなかった!! ヤリたいのヤリたくないのって……てめえのことばっかりで……!! 口先だけホレたのなんのって……最期には見殺しに……!!』
『俺には女のコを好きになる資格なんかなかった……!! なのに、あいつそんな俺のために……!! うわああああああッ……!!』
マスターに埋め込まれた一本目の楔、一本目の鎖。
楔はマスターを釘付け、鎖はマスターを縛る。
そして哀れな道化の仮面をつけて、愚かな道化劇に踊る。
それ以後のマスターはまるでルシオラ殿に出会う前のマスターを模していた。
変わることは己が許さず、哀れで愚かな道化。
マスターの内部を知るからこそ某の、否、某たちマスターの眷属、使い魔、式神である者たちの心は暗鬱とする。
仮面など被らねばよかったのだ。
仮面の下の傷口をさらけ出し、絶えぬ涙を表に出せばよかったのだ。
その傷も涙も、かの時代の美神殿の手によって止められる。
そして、他ならぬその美神殿を切欠として精神を壊される(ころされる)。
どれ程過去のマスターが傷つこうが、涙を流そうが、未だにマスターは【喪うことへの恐怖】の扉に手をかけただけなのだから。
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≪???≫
私は【喪うことへの恐怖】の扉に手をかけた。
先程まで、この場には横島を慕う者、横島を愛する者、そして横島が護りたいと願った者たちが集っていたが、今は誰もいない。
二柱の神、魔の王によって横島の中に誘われていったから。
私の存在を彼らにも、そして誰より横島に気取らせるわけにはいかない。
だからこそ、【横島】の護りを受けずに横島の抱える【喪うことへの恐怖】に耐えねばならなかった。
溢れる涙が零れ落ちぬよう天を見上げる。
見上げたソレは、『よこしまなる龍(もの)』は私にとって大母ティアマトのようで、ムシュフシュにも似ていた。ムシュマッへーやバシュム、キングーの様ですらある。
この龍は横島忠夫の墓標だ。
横島はああは言ったが、この龍が二度と目覚めることはないでしょう。
そして私はここを横島の墓標とすることを認めない。
「門番よ、門を開きなさいもし私を入れてくれないならば、戸を打ち破り、閂打ち壊します。死者を立ち上がらせ、生者より死者が増えるようにしてやります」
【恐怖】がいくらか和らいだ。
これなら耐えられる。
「7つの試練と、60の責苦、此度であれば乗り越えられえぬはずもありません」
私は古式に則って頭上の冠を扉に捧げると、ゆっくりと下っていった。