≪カオス≫
「待って下さい」
扉に手をかけた私に対し、静止の声がかかった。
声をかけたのは横島の父大樹であった。
二柱に連れてこられたのであったな。
「初めまして。お噂は予てより馬鹿息子から伺っております。忠夫とエミの父の大樹と言います。こちらは家内の百合子です」
頭を下げる横島夫妻に対し私は一瞬考えあぐねるが、良い機会なのかもしれない。
「横島、いや、忠夫の友人のカオスだ。見知りおき願おう。……今回の事のあらましを問いたいのかね?」
私の問いかけに、大樹は真剣な面持ちで頷いた。
「忠夫は、十やそこらで男の顔をするようになった育てがいのない馬鹿息子でしたが、てめぇの命を粗末にする大馬鹿に育てた覚えはありません。ですが今回のことは……。私も私の力の及ぶ範囲で今回のことは裏も表も調べたし、ドクター達がここで経験したことも見せてもらった。私は、父親だというのに何で忠夫があれほど己を憎悪しているのかがわからない」
「……確かに、実の両親である貴方方に何も告げぬのは些か不誠実というものか。……ただ、横島が大切にし、敬愛する貴方方だからこそ私も言葉でどのように説明すればいいのか悩むところだ。答えは全て、この扉の奥にあるのだがな」
私は慎重に言葉を選んだ。
「まず、横島が貴方方に何も告げなかったのは横島にとって両親である貴方方だからこそ感じる負い目があったからだと私は思っている。恐らくソレは間違っていないだろう。貴方方がどのような信仰をしているかは知らないが、日本人であるなら前世、あるいは輪廻転生といった言葉は聞いたことがあると思う」
私の言葉に横島夫妻はゆっくり頷いた。
「優秀な霊能力者であれば幾人かは先天的、あるいは後天的に前世の記憶というものを持っている場合がある。そこの美神令子も後天的に前世の記憶を持っているし、タイガーは記憶こそないが先祖の能力を受け継いでいる。そしてまた、横島も先天的に前世の記憶を持っているのだ。いや、正確に言うのであれば記憶を所持したまま意図して横島忠夫としての生を受けた言うべきか。だからこそ、貴方方から本来の息子である横島忠夫を奪ったのではないかという負い目をあの馬鹿は感じていた。誤解して欲しくはないが、あの馬鹿も横島忠夫であることは間違いないのだ」
「どういう意味でしょうか?」
「美智恵、お前であれば以前横島の記憶が無くなった時に時間移動能力の可能性を考えたのではないか? そして、その可能性を歴史的的変革の有効性を根拠に否定したのではないか?」
「……はい。あるいは平行世界の横島君である可能性も考えましたが」
「ほう、そこまで考えが及んでおったか。少々見縊っておったようだ」
「……それじゃあ忠夫は」
「その通り。人間としての生を終えた平行世界の横島忠夫が時間を逆行し、この世界の横島忠夫に生まれ変わったのだ。記憶を残したままな。そこにいる二柱の助力があればさして難しい事ではなかったろうさ」
「なぜ、そんなことを?」
「それは横島に聞いてみなければ解らんよ。少なくとも絶望に満ちた前世を取り戻し幸せを謳歌するためでないのは確かだろうな」
「横島君は同じ時を繰り返しているというのですか?」
「ソレこそまさかだ。横島が10歳の誕生日、前世の記憶を取り戻したときを基点に歴史は大きく変わっているよ。横島が前回の歴史を歩んだこの時期、既にこの場にいるものの中で死んでいるものがいる」
私は意図してルシオラに視線を送らないようにした。
「死津喪比女の復活の折、パイパーの復活の折、あるいはおキヌの記憶が戻り東京に来た折の霊団事件で、八房の事件の折、あるいは今回のアシュタロスの造反で死傷する人間は今回の数十倍、数百倍はいたはずだったのだ。横島が保護してきた妖怪や霊も前回の歴史では須らく退治されていたろう。まぁ、可能性として歴史が変わったことによって前回死ななかったはずの者が今回の歴史で死んでいたケースもあるだろう。命を数で考えるのは少々無粋ではあるが、それでも現時点で考えれば前回に比べて遥かにマシであろう」
私は一息入れると改めて大樹に向き直った。
「車の運転はする方かね?」
突然の話題の転換に一瞬呆けながらも大樹は頷いた。
「え、えぇ」
「……例えばだ。貴方の運転で家族でドライブをして交通事故にあい、ただ独り生き残ってしまったとしたら?」
「……自分を許せないでしょうね」
「過去に戻ってやり直せるとしたら?」
「その日ドライブをするのを止めます。あるいは運転自体ができなくなるかもしれませんが」
理性的な判断だな。
つまりまだ想像が及んでいないということだ。
「……ソレは正常な判断だ。実際にその状況になってその判断が下せるというのであれば貴方は極めて理性的な人物なのだろう。……だが、想像したまえ。実際に最愛の家族の死の原因となったその状況下でこう思わずにいられるかね? 『自分さえいなければ』、と」
これで、私が何を言おうとしているか理解できたのか大樹は勿論、他の者もハッと顔を上げ、表情を曇らせる。
「……先程二柱が言っていたのを聞いていたろう? この扉の奥にあるのは神族・魔族にとっては秘中の秘だ。何しろ、神族・魔族が己の役割を放棄した記録であり、ただ一人の人間がそのツケを払わされた記憶なのだからな」
当事者でないとわかってはいても私の瞳には強い力が宿るのが判った。
その視線を受けても二柱は身じろぎもせず私の視線を真っ直ぐに受け止める。
「横島の記憶の中で、この場におる者の大半は神・魔に殺されている。横島の記憶の時間軸の中で遠からぬ未来にな。いや、それどころか1000年にも満たぬ時間のうちに人類の人口は現在の2%を下回り、神族・魔族も聖書級崩壊の中で横島に味方した龍神族やアース神族系の魔族は全滅。主要神族、魔族の一部を除いて主神級を含む多くの神・魔までが滅び去り宇宙そのものが死に始めた。【原因】が横島にあったわけではないが【起点】が横島であったことも事実。だからあやつは憎悪し続けておるのだよ。『自分さえいなければ』とな」
通常であれば私の言葉は信じられぬものであろう。
だが、見た限りにおいて不信感を得たものはいないようだ。
僅かな杞憂と共に大樹に視線を向けると何故だか大樹は微笑んでいた。
さりげなく、その右手がこの中で一番心理的なショックの大きかったであろうジルの頭の上に乗せられていた。
私の視線に気がついたのか微笑を苦笑に変える。
「こんな事態において不謹慎かもしれませんが。私は嬉しいんですよ。いえ、誇らしいんです。あの馬鹿息子、前世って言うやつではどうだったかは知りませんが、今度は護りきったんでしょう? どうあっても自分が護りたいものを。男として、それが羨ましくもあり父としてはそれが誇らしい。それに、よく子供は両親を選べず、両親も子供を選べないと言いますが、あの馬鹿は二度目も俺たちを両親に選んでくれた」
大樹は優しい微笑と共にそう言い放ったが、そこでニヤリと口元を歪める。
「だ・が、所詮は馬鹿息子だな。てめぇの存在を存在しなかったことにするだぁ。俺も甘く見られたもんだ。『たかがその程度』で俺が馬鹿で男とはいえ息子の事を無かった事にするわけはないだろうが。駄々こねる阿呆は十数年ぶりに拳骨くらわしてでも引き摺りだしてやらんとな」
大樹はぐるりと周りを見回す。
「第一、これだけ美女美少女に囲まれてだ。自分は消えるつもりつもりだったかどうかは知らんが一人にも手ぇだしてないなんてのは男としておかしい! その辺を再教育してやらんと……」
大樹が全てを言い終わらないうちにその姿が消えた。
いや、状況は判る。
隣にいた百合子に完璧なプロレス式の裏投げで後頭部を強かに打ち付けられた後、袈裟固めに固められていた。
それがあまりにも早く消えたように見えただけだった。
百合子の手には少し離れた位置にいたはずの小竜姫の神剣が握られていた。
突如、それも気がつかないうちに神剣を強奪された小竜姫は状況を把握できないのかオロオロしていた。
「再教育が必要なのは貴方の方じゃないのかしら?」
百合子は実にいい笑顔を浮かべる。通称殺す笑みというやつだ。
大樹は冷や汗をかきながらもどうにかまじめな顔を作り上げる。
「話せばわかる!」
百合子はそれに対し笑みを深めるだけだ。
「問答無用」
夫婦の愛情表現が始まった。
飛び散る液体が緋色だろうが、硬いものを打ち付ける音に紛れて水音が混じるのも愛情表現なのだろう。
ここにいた一同は一部を除きドン引きするものが半数。残りの半分は顔を青くして凄惨な凶行現場、もとい夫婦の愛の営みを見守っている。
「あ、あの、助けなくちゃ死んじゃいますよ」
どうにかジルが助けようとするが、エミの手が優しくそれをおし留める。
「大丈夫よ、ジルちゃん。いつもの事だから」
その言葉に五月唸り始める。
「なるほど。横島は体格の割りにやけにうたれ強いと思っていたが、これなら納得だな」
「あの動き、魔界正規軍の教官として招聘するべきだろうか?」
「止めてください姉上。兵が壊されます」
先程までとはうってかわっての狂態。
だが、先程までの重い空気を払拭し、みなの状態を平常に近いところまで回復させた。
流石は横島の父、そして両親と言うべきか。
何の覚悟もなくこの扉を開くよりは良いかと聞かせたが予想以上に気負わせてしまった。
何より、横島夫妻は極々自然に横島を自分の子供と受け止めている。
私の心配も杞憂となったわけだ。
「夫婦の愛の営みにチャチャを入れるのは無粋だが、その辺にしてはくれまいか? 独り者には目の毒でね。それに私も早くあの馬鹿をぶん殴ってやらないと気が済まんのだ」
「……そうでしたわね。私もあの子に折か……母親として教育してあげなければいけませんし。ほら、貴方。さっさと立ちなさい」
物言わぬピンク色の、モザイクをかけねば正視に堪えぬ物体は瞬きする間に元の姿に戻り百合子の肩を抱きエスコートするように扉に向かう。
大樹と横島はきっと魂よりももっと深いレベルで縁があるのだろう。前世の横島にそっくりだ。しかも回復する様子は誰の目にも留まってなかったのか、一同何が起こったのかわからない様子。……私以上に人間止めてないかね?