≪是空≫
良きお仲間達だ。
これまでの道程を同道しながら常に考えていたことだが、誠にマスターは戦友に恵まれている。
某もマスターと、マスタのお仲間達と共に轡を並べ戦えたことに武神としての誉れを感じずにはいられない。マスターの内にある六道を半分既に乗り越えておられる。
しかし、残る三道はこれまでの三道より険しく、最後に控える一道は某すら、マスターの従属神であることを加味していても乗り越えられるかどうか。
だが、それをせねばマスターの消滅を座して待つのみ。
マスターとの絆を信じるより他はないのでしょう。
「お気をつけ下さい。これまでの三門はマスターの表層に近く、これより開く三門は、マスターの内面の秘奥、【絶望】に近いからこそこれまでのそれ以上に心を蝕まれましょう。ここで帰られるのが賢明やも知れません」
「ゼクウよ。無駄だよ。ここにいるのは横島忠夫の馬鹿さ加減を知りすぎている。とっくの昔に奴の馬鹿さが伝染してしまっている」
カオス殿のいう通りなのであろう。
だからこそ某は案じている。
この中の誰かが壊れてしまえばマスターの消滅は確定的になってしまうだろう。
だが、それでも期待してしまう。
1000年の絶望の中でも失わなかったマスターの希望の光。
儚くとも、儚くとも残されし灯火。
風前に消えるか、それともまた残るのか。
独り残される悲しみは
心をただただ喰いつくす
耐えることは敵わず
心は救いを求めた
悲しみから逃げ出した
故に心は狂気に満たされる
狂気とは忘却、忘却は救い
耐えることも敵わぬ悲しみは
狂気がもたらす忘却だけが救えるのだから
「……ここにあるのはマスターの狂気の源。【狂気の顎】の根源たる世界。ここで帰らぬというのであれば、お覚悟召されよ」
「……言うなればここより先は兄者の禁足地。兄者が仲間を失うことに恐怖を感じていたのは皆も知っていよう? 己に対し責め苦を向けていたことを知っている者もいよう。そして皆には見せなかったかも知れぬが、誠に救いようのない皆の敵に対して容赦のない怒りを他者に見せたこともある。だが、ここより先は兄者もひた隠しにしてきたモノだ。前の三道と同じに考えぬほうが良い」
だが某の言葉も、心見殿の忠告でも帰ろうという素振りを見せるものはいない。
……この門が試金石となろう。
この奥に踏み入れる資格が有るや否やの。
門が開く。
・
・
・
≪雪之丞≫
真っ先に眼に入ったのは師匠だった。
これまでの師匠とは表情が違う。
憤怒に染まっているわけでも、恐怖に怯えているわけでも、能面のように無表情なわけでもない。
笑っている。
唇の端だけがやや持ち上がったかのような微笑。
アルカイックスマイルというんだったか。
いつも師匠が見せるような笑みとは違うが、それでも師匠は笑っていた。
空中に浮かぶ十字架に磔られたような格好で。
不意に、師匠の右手から緑白色の光が発せられる。
霊波刀だ。
だがその微笑と霊波刀があまりにも似つかわしくない。
そのままなんら気負う様子もなく、微笑を浮かべたままその右手を振り下ろした。
自分の右足に。
「ヒッ!」
誰の悲鳴かもわからない。
今まではやばい雰囲気、やばい状況での惨劇だから心構えもできていたが今度は違う。
まるで極自然の行為のように師匠が自傷行為を始めたから心構えも何もあったわけじゃなかった。
鮮血が舞い、溢れ出るがその微笑みは深まるばかりで痛痒すら感じていないかのように同じ行動を繰り返す。
すぐに脚がもげた。
脚は重力に引かれて落ちて行き、それを見つめていた俺はその光景に初めて気がつく。
細い手足、醜悪な顔、腹だけがボコンと突き出たそのあさましい姿。
餓鬼だ。
大勢の餓鬼が空から降ってくる師匠の血を啜り、肉を貪り、骨をしゃぶっている。
喰うものがなくなると餓鬼達は一斉に天、師匠に向かって金切り声のような泣き声を上げる。
師匠はそれに応じるように再び、霊波刀を振るい、血を撒き散らし、肉を刻み、骨を絶つ。
微笑を浮かべたまま。
それが繰り返され、終には残された霊波刀と頭部、そこをつなぐ右肩の僅かな筋肉も霊波刀で頭部が刺し貫かれることで地に落ち、餓鬼どもに貪り食われる。
師匠の全てを喰らい尽くした餓鬼どもは、それでも尚、あさましく、醜い泣き声をあげる。
それに応じる様に、空にはいつの間にかまるで先程の事が無かったかのように微笑を浮かべる師匠がそこにあった。
あとはその繰り返し。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。
血を撒き散らし、肉を刻み、骨を絶ち、喰われ、尽きる。
それが延々と繰り返す。
己を殺して食わせる。食われては己を殺す。
まるきり悪夢のように延々とそれが繰り返す。
ペタンと誰かが座り込んだ。
エミ姉だった。
エミ姉は頭を抱え込みながらイヤイヤをする子供のように首を振りながら小声でうわ言の様に繰り返す。
「……違う……私……違う…そんなんじゃない」
「……あれが、あれこそがマスターの狂気。生物は須らく自己の生存と、自己の子孫を残すことを本懐としております。なれどマスターは自己の生存を忌み、自らが何者かの糧となることを望み、その為に容易く己を傷つけ、躊躇無く己を殺す。他者を生かすためだけに生き、死ぬ」
それを聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。
ふざけるな!
気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ! 気にいらねえ!!
「クソが!」
一気に魔装術を纏うと宙に飛び出し炎と雷、風で餓鬼どもを薙ぎ払う。
悲鳴を上げながら逃げ惑う餓鬼。
だが、俺は容赦しない。認められなかった。
一匹残らず餓鬼どもを叩き潰すと霊波刀を振りかぶる師匠の霊波刀を掴んで止める。
狂え!
この霊波刀、ナリこそ違うが【狂気の顎】と同じか。
狂え!
けどなぁ、気にいらねえんだよ!
心が食いつぶされ、視界が真っ赤に染まる。
だが、俺はそれに抵抗することすら惜しんで目の前で笑みを浮かべる師匠の胸倉を掴んだ。
「お、俺はなぁ、あんたに施されたいんじゃねえ。……護られてえんじゃねえ、あんたの、あんたの隣に立ちたい。それができねならせめてあんたの背中を護れる様になりたい。それだけだってのに駄目なのかよ。俺にゃあそんなことの資格も無えってのかよ」
畜生、……意識が。
・
・
・
≪カオス≫
魔装術が解け、落下する雪之丞はシンダラが拾い上げ、蹲るエミの隣に寝かされた。
私は少し離れた場所に立つと口元に手をやり思考に没頭する。
そんな私にゼクウが寄って来た。
「カオス殿はあちらに行かれなくてよろしいのですか?」
「ふん。まかり間違ってもあ奴らは横島の仲間。アレでどうなるとも思っておらん。まだ、な。訳知り顔のじじいがでしゃばるよりも自分達で答えを出したほうが良いこともあるさ」
そう、何だかんだいって加減されている。いや、押さえ込まれているというべきか。私の計算ではもっと酷い状況のはずだった。いくら指輪を改良したといっても、この中はこの程度の侵食で収まるはずは無い。だとすれば横島が意識的であれ、無意識であれ仲間を蝕むことをよしとせずに押さえ込んでいるからであろう。雪之丞がその証左だ。霊波刀を握ったときは肝を冷やしたが、それでもかろうじてとはいえ無事に済んでいる。
私は確認するようにゼクウに問いただす。
「ゼクウ。仏門に六道以外の道はあったか?」
私の言葉にゼクウは驚いたような表情を見せる。
「そこまで気がついておりましたか」
「フン。このヨーロッパの魔王を見縊るなよ。……尤も、私といえど気がついたのは今しがた。心見が三道などと洩らしてくれたお陰だがな」
最初の世界は目の前に現れる四苦八苦に晒され、もがく姿だった。次ぎの世界は見た目からして地獄そのもので罪を責めたてていた。その次は横島自身が修羅となり終始戦い、争う怒りに満ちた状況。そして今の世界がどれ程横島が施そうと飢えと渇きが収まることの無い世界。人道、地獄道、修羅道、餓鬼道と六道を踏襲しているように思えた。だが、横島の内面世界は7つ。数が合わない。
「残る世界は畜生道、天道、……そして外道でございます」
それを聞いて横島の横っ面を殴りたい衝動にかられた。
外道、または魔道、天狗道。
さして重要な知識ではないから記憶槽の奥にしまいこんでいたが思い出したよ。
六道を輪廻し、何れ仏尊に至る可能性を残す六道より外れたる者。
道を外したが故に極楽にも地獄にも至れぬ終わる事無き無間地獄。
そこまで自身が救われぬことを望むかよ。
一人よがりも大概にしろ!
・
・
・
≪令子≫
まるで瘧のように自身を抱きしめながら震えるエミ。
日にやけた肌の上からでも血の気が失せているのがわかる。
「エミ」
私が声を賭けると唇は震えたままで、それでも笑みの形を作って見せた。
「だ、大丈夫なワケ。ごめん、おたくらに心配かけて」
少しも大丈夫そうじゃない。
「令子、見えなかった? あの餓鬼、髪が長くて肌の黒い餓鬼じゃなかった?」
そんな目立つ餓鬼はいなかったはずだ。
今のエミは普通じゃない。
それにその特徴を現す者を私は一人しか知らない。
「どうしたって言うのよ」
「私は殺し屋だった。前にそういったよね? 両親を亡くし、帰る家を捨てて、未来に希望もなく、陽の当たらない暗い世界でただ誰かを殺すことの片棒を担ぐことでその日を生きてきた。……けど、今のあたしは違うワケ。血は繋がらなくても両親がいて、私を迎え入れてくれる温かい家があって、陽のあたる場所で誰かを護ることで生きていける。可愛い弟分も、後輩も、仲間も、親友も、何より忠にぃがいる。……全部、忠にぃがいたから、忠にぃが与えてくれたり、機会をくれたものばかり。なのに、私は何も返していない。さっきの餓鬼、見たワケ。あれ、私よ。施されるだけで何も返さない。与えられるだけの存在」
そこまで聞いて私は怒りを抑えきれずにエミの右頬を思い切りひっぱたいてやった。
「ふざけないで! ……あんただけじゃないでしょ。あんただけじゃないのよ。横島さん馬鹿だもの。いつだって、誰かの事を気にして自分のことはほったらかしでさ。でも、私はもっと馬鹿だ。何年も一緒にいて、何で気がつかないのよ。気がつくタイミングはいくらでもあったのよ? ううん。違う。私は気がついていたはず。けどそれを気に留めていなかった。横島さんなら大丈夫だろうって」
駄目。思考が支離滅裂になってきた。
一つ大きく息を吸い込むと思考を整理する。
横島さんはいつでも、誰にでも優しかった。例えそれが敵であったり、祓うべき悪霊や退治を依頼された妖怪であっても可能な限り、どんな無茶をしても手を差し伸べた。
例外は他の誰かを犠牲にして痛痒すら感じないような連中。
そして自分自身。
自身には全身が重症の跡が残るような修練を課し、他者の罪悪や苦しみを肩代わりすることを進んでやっていた。
あぁ、そうだ。物事の判断基準においていつだって自身を最下層に置いていたから、だから簡単に自分をスケープゴートにしていたんだ。
全てのものが自分より上位にあるから容易く自分を差し出せる。
私はそれを知っていた。
けれど、盲目的なまでに横島さんを信頼してしまっていたからその異常性に気がついていたにも拘らずそのことを考える行為を怠っていた。
無意識に、横島さんを貶めるような考えを拒否していたのかもしれない。
あぁ、もうワケわかんない。
頭を抱える私と、いまだへたり込むエミがフワリとしたものに包まれた。
「冥子」
「お兄ちゃ~んに、いっぱいいっぱいお返ししなくちゃいけないのは冥子も一緒よ~。だから~、絶対お兄ちゃんに帰ってきてもらうの~」
ニッコリ微笑む冥子に救われた気がした。
そうだ、私は、私たちはその為にここにいるんだもの。
・
・
・
≪カオス≫
やれやれ、皆が横島の悪癖に気がついてしまった。
いや、今まで目を背けてたことに向き合ったというべきか。
気を失った雪之丞の隣に落ちている文珠を拾い上げる。
【済/度】
誰かを救う意味を持つ言葉。
それを手にした時、自身の明晰な頭脳が一つの疑問を呈してきた。
何故、横島は誰かを救えたのだ?
と。
横島の行いは確かに誰かを救うための行いを成している。
だが、それで救われるとは限らないのが人の世だ。
救うために横島が傷つけばそれに対し自責を念を覚える者がいる。
自らの悪を知り、自らの死を持って償おうとする者がいる。
好きな考えではないが、死を持ってのみ救われる者は確かに存在するのだ。
アシュタロス=イシュタルなどその典型ではないのか?
しかし、イシュタルはそれを受け入れていた。
横島は命を救い、心を救ってきた。
私の目から見ても横島に救われた者は命ばかりか心も救われていた。
ありえないほどに。
それがあまりにも不自然だ。
横島の行いは紛れも無く、狂いも無く、救われざる者まで救い上げた。
不可能なはずだ。
そう、不自然といえば横島自身反感を買うことが非常に少ない。
皆無というわけではないがああいう目立つタイプは反感を買うことが多いのではなかったか?
それに反してあやつにに好意を抱く者の圧倒的な多さ。
何かがおかしい。
結局、私は雪之丞が目を覚ますまで悩みぬいたにも拘らずその答えを得ることが出来なかった。
・
・
・
≪雪之丞≫
夢を見た。
今より遥かに弱い俺と、信じられないくらい未熟な師匠が肩を並べて戦っていた。
未熟で、弱い。
けどその夢の中で俺と師匠は確かに戦友だった。
夢の中の自分に嫉妬してもしょうがない。
そう思っても嫉妬せずにはいられなかった。
けど、それもすぐに晴れた。
師匠の目を見たからだ。
あの目を俺は知っている。
師匠がたまに俺に向けた目と同じだ。
そうだ。
俺は師匠より弱い。
けど、師匠は俺に重要な局面を任せてくれてはいなかったか?
俺がまだ今よりずっと弱い頃から師匠はいつも俺を信用してはくれなかっただろうか。
あの目は、師匠がそんな時に見せる目だ。
信頼の目。
そして、戦友を見る時の目。
俺の中にしこりの様に残っていた者は霧散した。
師匠はずっと前から俺を戦友として見てくれていた。
それが嬉しく、誇らしかった
・
・
目を覚ますと皆が俺を見下ろしていた。
とりあえずミカ姉ぇとエミ姉ぇに一発づつ小突かれ、目が真っ赤だったが何かあったのだろうか?
冥子姉ぇには抱きしめられた。
カオスに渡された文珠を門に近寄ると今までの通り文面が変わる。
皆殺されて、皆殺した。
もう判らなくなるほど死を見て来たというのに。
心は未だに悲鳴を上げ続ける。
俺は存在して良いのか?
こんなにも死を撒き散らし続ける俺は。
……俺は、誰かの贄となろう。
犠牲となる誰かの代わりとなろう。
自分を贄としている刹那だけは、
そこに存在理由がある気がするから。
むかつく。
けど、それを抑えて文珠をはめ込んだ。
なのに、それは違うと言う人がいる。
お前はここにいて良いのだと言う人がいる。
その人たちは否定する。
違う。そうではないと。
済度とは、救われるとはどういうことなのだろうか?
救われた。
俺は救われた。
なら俺は……どうすればそれを返せる?
わかんねえよ。
俺は頭悪いから。
救われたと思ってんならどうして消えなくちゃいけないんだよ。
なぁ、師匠。
俺を、俺を戦友だと思ってくれていたんならどうしてそれを教えてくれなかったんだ?