【令子】
町は未だにお祭騒ぎだ。
あれほどの大霊障を無事に生き延びたのだから無理もない。
だがこの部屋は一様に沈み、物音1つ立たない中、少女の泣き声だけが響いている。
部屋、横島除霊事務所の一室にはあの大戦での主だったものが集められていた。
「……報告書は読んだわ。けれどそれだけでは正直理解できない。横島君は一体何をしようとしているのかしら」
ママが停滞した場を動かすように言葉を発した。
その視線はゼクウ様と心見ちゃんを捕らえる。
おそらく、あの場で唯一全てを知るであろう二人。
「……爸爸もいなくなっちゃうんだ。爸爸も消えちゃうんだ」
泣きじゃくる白娘姫の発言に場が凍る。
「お、おい! そりゃどういうことだよ」
真っ先に雪之丞が白娘姫に詰め寄る。
「やめてください」
それを守るように小竜姫が白娘姫を抱きしめる。
「……すまねえ」
雪之丞も自分の非をわびる。
「正確に言うならばあやつは因果律を狂わそうとしている」
場をとりなすように発言するドクターカオス。だが、その発言は無視できない内容だった。
「ドクターはご存知なのですか?」
「知っているのではない。辿りついたのだ。……まぁ、今はそんなことはどうでもいい。美智恵、今この世界をどう思う」
「無事でよかった。そう思います」
ママは困惑しながらもそう答える。
ドクターはまるでなってない生徒に諭すように言葉を続けた。
「この大霊障においてはこれまであい争っていると思われた神族と魔族が共同にて事に当たった。人間の眼前でな。そして過去も、今も世界中で戦争を続けていたキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒も共に手を取り合った。世界中の宗教家が同一の目標に向かい共同で事を成したのは有史以来初めてのことだ。そして、妖精、妖怪、死者。そういった者たちですら人間の為に力を貸してくれた。アシュタロスは大地母神としてのイシュタルとして復権した。それが全てではないにせよ横島が歩んできた軌跡だ。そしてあの龍。究極の魔体すら退け、無限の成長を続ける悪龍が残された。ハルマゲドンに対するこれ以上のない抑止力としてな。……どうだ? 神族と魔族のデタントを強め、人間が自分達以外の種族、妖怪や妖精、害のない浮幽霊なんかと共に生きていくための土壌が出来ているとは思わんか? 無論、すぐにそうなるわけでもないし、この先拗れる可能性もある。だが、それでも一度は手を取り合ったという事実は残る。よほどのことがない限り以前よりは良い結果を生み出せる土壌は出来た。……横島の意図して作り上げた望みの半分だな」
そこでドクターは言葉を一度切った。
「この結果は先も言ったとおり横島が積み重ねた軌跡の上に成り立っている。……横島の望みのもう半分はこの結果を残して原因だけを消し去ること。過去から未来へと続く道筋を未来からの干渉によって過去を改ざんする。即ち因果律を狂わせるということだ」
ちょっと待ってよ。それって。
「つまり、この世界に横島忠夫という存在は初めから無かったことになる。それがあやつの望みだ」
がくんと視点が下に下がる。
私の膝が崩れ落ちたせいだ。
「……ふざけんな。そんなことが認められるかよ!」
「小僧。お前が認めようと認めなかろうと事実は変わらん。横島はその為に動き、今も自らの存在の痕跡を消そうとしているはずだ」
「そ、そんなこと出来るわけないワケ」
「現実を見つめろ。あやつには文珠という限定的ながら万能の霊能があり、無限の成長を続ける体があり、世界の改変すら可能とするコスモプロセッサを飲み込み、その動力としての魂の結晶さえ所持し、世界の現状を肯定しつつ1つの因子を抜き取るという限定的な改変のため世界の修正力は極小さい。それで尚出来ぬというか?」
今度はエミが崩れ落ちた。
「あやつはこの世界に自分が存在すること、いや、横島忠夫というものが三千世界の何れであれ存在したことすら許せないでいる。だが、私はあやつが、わが生涯の友がそうなることを許せない。意味はわかるな」
ドクターはニヤリと顔をゆがめる。
「あやつは世界の修正力かいまだこの世界に留まっている。私とゼクウ達はあやつの内部にもぐりこんで無理にでもあの龍から引きずり出すつもりだ。それがゼクウの立てた計画であり、私はその計画に乗った」
「某は元とはいえ夢魔ナイトメア。今現在はマスターの眷属。いえ、元眷属というべきですかな。某に対しても、心見殿やユリンに対してもマスターは龍になった瞬間に契約を切るとおっしゃっていましたから。何れにせよ、マスターの精神内部に入り込むことはなんら問題ありませぬ。……例えマスターより暇をいただこうと某にとって主と呼べる方はマスターお一人。マスターがただ死ぬというのであれば受け入れがたくともマスターの意を汲むつもりではありましたが、存在しなかったことにするなどという暴挙は例えマスターの意であれ受け入れられませぬ」
「私も同意だな。全く、あの根暗男ときたら。世話のかかる兄者だ」
「クワァ、クワア」
ユリンも同意するように頭を上下に振るう。
それじゃあ。
「横島を引きずり出す。この案に賛同する者は手を挙げよ」
刹那の間をおかず、この部屋にいる全員が手を上げた。
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【カオス】
以前横島に渡した指輪、ゼクウたちの目標を知った時から改良に改良を重ねたものの、それでも横島の内部にもぐってどれほど持つか。
横島が龍となりその体から悪しき心が漏れ出さなかった時に疑念は大きくなった。
思えば、横島は龍の卵をヨーロッパで手にしたときにこのシナリオを描いていたのだろう。
人間の器では脆すぎる。
【荒神】の器としても、アシュタロスの悪を全て肩代わりする器としても、究極の魔体の攻撃を受けて生き延びるためにも。
自ら死して神となっては【荒神】は世界に魂を括られて消滅する手段は封じられる。
その時、自らの霊力を根こそぎ奪おうとする龍の卵と出会い、あやつはその時から【龍/卵】の文珠を生成し自らの心から生まれる霊力を与え育ててきたのだろう。
龍神、小竜姫に力を与えられ、龍神皇子、天龍童子の仮初とはいえ臣下となり、蛇神、メドーサを腹の中に収め育て、龍神王に魂に細工され、幾度となく龍神のアイテムを身に纏った横島に龍の力は馴染み深いものであったおかげもあるだろうが。
そして、あの龍の体から心の残滓が漏れ出さないということは、あれは全て内面に収まっているということだ。前の指輪は漏れ出したものを防ぐので精一杯だったのだが、あやつの内にはいって無事ですむかどうか。
何しろ神族、魔族でさえ耐え切れぬ場所なのだから。
「よいか。指輪が用意できたのは12。道案内であるゼクウたちの他に私の他横島除霊事務所のメンバーに来てもらおう。故にエミ、美神、冥子、雪之丞、おキヌ、タイガー、シロ、タマモ。神族、魔族には私たちが入る道を維持してもらう必要がある」
メンバーから外れた者たちは悔しそうな顔をする。
もっと指輪が用意できれば小竜姫達にも来て欲しかったところなのだが今は仕方ない。
それに、下手にゼクウ以外の神族、魔族が中に入り込めば以前の拒絶反応のようなものがまた起こりうる可能性があるからしかたあるまい。
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小笠原諸島沖に新たに生まれた島、竜の成れの果ての上に私たちが立つ。
「不思議だ。実に不思議な気分だ」
苦笑しているプロメテウスに向き直るとプロメテウスは苦笑を深め答える。
「私はかつてエピメテウスに決して開けてはいけないと1つの箱を守らせた。後年、空けられパンドラの箱と呼ばれた箱を。この世の全ての悪と一欠けらの希望を閉じ込めた箱を守らせた私が、世界を滅ぼすほどの悪を開放する危険を犯しながら一欠けらの希望の為に道を開く手助けをする。何ともいえぬ気分だよ」
「ならばやめるか?」
「それこそまさかだ。この先私が滅亡を予見したとしてもあっさり覆しそうな希望を見捨てられるものか」
「なるほど。でははじめるとしようか。地獄の釜の蓋を開けてな」
私はマリア・テレサに後を頼む……確率は低いが神族、魔族の一部が干渉してくる可能性を考慮して後を頼むと悠然とゼクウの開けた穴、横島の精神内部に入り込む道に歩を進めた。