≪リリシア≫
アンニュイってこういうことを言うのかしら。
自分の経営するお店の事務所でぼんやりと窓の外に降る雨を見つめていた。
お店の女の子達とおしゃべりするのは楽しい。
私が淫魔だと知っても普通におしゃべりしてくれるいい娘達ばかりだし。
今目の前でジルがないている。
当然かもしれない。
あれほどなついていた横島にアレを向けられたのだから。
この子、私が神に逆らって魔王と成り果てた女の娘で上級魔族だってこと忘れているのかしら?
一応私は純粋なキリスト教系の結構大物な悪魔なんだけど?
そのへんどう思ってるの? セラフの分霊の君は?
そりゃ、横島についでつきあいは長いけどさ。
こんなに無防備な姿をさらけ出してくれちゃって。
ジルの柔らかい金髪を撫でながら溜息をついた。
確かに目の前で、それも天使に泣かれるのは……いや、かわいい女の子に泣かれるのは堪えるけど私が沈んでいるのはそんなことが理由じゃない。
昨夜見た夢のせいだ。
……私は淫魔だ。
でも、それだけじゃない。
すべての夢魔の女王リリスの最初の娘、夢魔の第一王女。
最上級の夢魔でもあるのだ。
よって、夢を媒介に他人の心に入り込むことなどお手の物を通り越してお家芸といえる。
今まで得た情報から直接横島の心の中に入り込むのは危険だと判断した私は視覚と聴覚のみをつなげることにした。
のぞくまでもなく夢の、悪夢の中身は横島の過去だった。
私は夢の中で横島忠夫を追体験した。
後悔した。
決して開けてはいけないパンドラの箱というのがあるというのならきっとアレがそうなのだろう。
私は開けずに外から覗き込んだだけだから壊れずにすんだが開けていたらどうなっていたことか。
例え魔族であっても世界の終焉なんて見るものじゃない。
特に享楽主義者の私達淫魔は他の魔族と違って神と魔のバランスをひっくり返そうなんてつゆほどにも思っちゃいないのだから。
あぁ、認めるしかない。
ゼクウは神族であったし悪夢であったから壊れずに神族に戻るだけですんだかもしれないが、もとより魔族の私はどうなるだろうか?
夢魔が悪夢に殺されては洒落にならない。
恐ろしいのは横島はこれを、これのほかに感触や匂い、思いが込められ実際自身が体験してよく知っているものを毎日毎日悪夢として見続けている。
それどころか横島が誰かの悪意、罪、悲しみ、憎しみを肩代わりするたびにそれは酷くなっていくというのに横島忠夫は私の見る限り正気だった。
いや、アレこそが本当の狂気というものなのか?
あぁ、なるほどこれを糧にしているのであればあの霊波刀の非常識さも頷ける。
非常識でないはずがない。存在そのものが常識を超えてるのだから。
私の魅了の魔眼が通じなかったのも当然だろう。
そんなものの入り込む余地などアノ悪夢の前に残されているものか。
横島が誰にも手をつけない理由もわかった。
失うのが怖いんだ。
一度全部失くしているから。
それでも孤独を受け入れられなかったひどく脆弱な心。
脆弱だけどそれを受け入れ恐怖におびえながら守る決意を持つ強い心。
あぁ、なんて厄介。
ただ、傍観者としてひとつわかったことは横島とアシュタロス。
世界を破壊したものと世界を改変しようとするものはこの舞台でも主役だ。
……さて問題だ。
私はこんな舞台からとっとと抜け出したいと感じている。
私もこの舞台の主役に躍り出たいと考えている。
私は傍観者としての脇役の地位に甘んじたいと願っている。
どれも本当、どれも偽り。
……当たり前だ。いくらなんでも話のスケールが大きすぎる。
「……横島さん」
いつの間にかジルは眠ってしまっていたようだ。
夢に魘されながら横島のことを考えている。
「今、あんたが聞いているかどうかわかんないけどとりあえず言っといてあげる。この子がこんな悲しい目にあってるのはあんたの責任なんだからね、ガブリエル。……下らないこと考えたらこっちにも考えがあるんだから」
ジルが少しでも魘されないように抱きしめる。
あぁ、なんて無様なこと。
仮にも上級魔族のこのあたしが、天使の子供にほだされて方針を決定するなんて。
「ね~むれ~、ね~むれ~、は~は~のを~手~に~♪」
まったく、酔狂なのは母親譲りかしらね。
夢魔が子守唄? 洒落にもならないわ。
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≪ガブリエル≫
……私のせい?
あの悪魔……いえ、リリシアさんは何を知っているのでしょう?
……堕落、なのでしょうか。
魔族の言葉で今後の方針を考え直すのは。
危険かもしれませんがもう少し様子を見たほうがいいのかもしれません。
もし本当にアレの原因が私だとしたら……以前横島さんが言ってましたわね。
『……1000人の罪のない人間を殺せば1001人の罪のない人間が助けられるとしたらどうだ? 100人の人間を見捨てれば10000人の人間が救えるとしたら? 10人の命が100000人の代わりになるとしたら? 世界を滅ぼすかもしれない力を持った、たった一人の人間を君はどうする?』
……横島さんは神族に切り捨てられてしまった人間なのでしょうか?
でもなぜに私を名指しなのでしょう?
ここ1400年、人間界に直接干渉したことはありませんのに。
その前なんて2000年前ですし。
……あの子達には内緒にしておきましょうね。
今回はとても大切なことを学びましたし。
リリシアさんのような方がいるのであればデタントは有意義なものになるはずですから。
あの子達、ミカエルやメタトロンの説得に参りませんと。
お父様の命ではなく、私達の意思としてデタントを成就させるために。