≪五月≫
それを見たのは偶然だった。
明け方、リリシアの部屋から出て来る横島の姿。
それが何を意味することかは俺でもわかる。
気がついたら俺は身を隠していた。
鼓動が激しくなる。
別に何がどうおかしいというわけではない。
横島とて男だし、リリシアは俺から見ても女としての魅力にあふれている。
容姿だけじゃない。性格もややもすると悪戯好きな部分が眼に入るがそれとて彼女の魅力のひとつであろうし、包容力もある。数年前に他のサキュバスやリリムと一緒に魔界で花嫁修業というものをしたらしく家事炊事、育児もこなせるらしい。
魔界で花嫁修業、それも淫魔の花嫁修業と聞いて、当初は激しくめまいを覚えたものだがその技能が彼女の女性としての魅力をより完成された形で築き上げたのは間違いない。
俺の感覚では、だが。
それに引き換え俺はどうだ。
容姿は……一応いいほうに分類されるらしい。
ヒトであった頃からそう言われていたが戦の鬼になってからはそうしたものに意味を見出せなかったし、敵対するものからは鬼と呼ばれ続けていたから正直わからん。
性格はお世辞にもいいほうではないだろう。
戦うことにしか興味を見出せないものがいいはずはない。
いや、デジャヴーランドは別だ。
奴らが作る完璧な夢とやらは鬼の俺にも夢を見せてくれるらしい。
一応戦場食は作れるがそれ以外の家事などやったことすらないが正直俺に出来るとは思えない。
なるほど、俺は女の形をした鬼なのだ。
父が死んだとき願ったとおりの存在に過ぎない。
すなわち、父を殺した敵を屠るためだけの存在。
私は鬼だが元が人間であるがゆえに鬼族とは違う。
人から生まれる鬼とは『心を一つに染めてしまった者』
比喩表現に~の鬼という言葉があるがつまるところはそういうものだ。
安達が原の鬼婆は『忠義の鬼』。
彼女は娘を食らったから鬼になったのではなく、忠節を誓う姫のために見ず知らずの娘を殺すことを厭わなかった瞬間から鬼婆だったのだ。
道成寺の清姫は『悋気の鬼』。
安珍の裏切りに憤り、蛇身と化した清は鬼の姿になったから鬼なのではなく、安珍を自分だけのものにしようと考えた瞬間から女の鬼になった。
土蜘蛛は『復讐の鬼』
朝廷に虐げられて追い落とされた先住民が朝廷に対する怒りに身を焦がし蜘蛛へと化生した姿。
いや、朝廷に対する怒りが鬼へと変じさせる例は土蜘蛛や俺の他にも戸隠の紅葉、飛騨の両面宿儺、大江山の酒呑童子や茨木童子をはじめ多くの鬼が生まれている。
女の悋気が生み出した鬼なら御息所(ミヤスドコロ)や磐之媛命(イワテ)、般若。
だが、今の俺は違う。
心を一つに染め切れていない。
それもあいつに出会ってからだ。
横島忠夫。
最初あったときには力も振るえぬ臆病者かと思ったが、その実、振るうべきときのみにその力を振るうことが出来る、そして最後まで力を振るわずにいられる真の強者だった。
そしてその強さに慢心することなく今でも更なる高みを目指している。
会った当初、横島との組み手は横島が一本取る間に10本は取れた。
だが、今ではおおよそ五分。近いうちに俺が負け越すであろう。
そう、横島忠夫。
あいつが俺の心に入り込んでからは戦しか知らないはずの俺の心は他のものに塗り替えられていった。
そう、満たされたのだ。
幾たび戦場を駆け抜けようと、充足感を感じようと、決して満たされたことのない俺が。
ただ何もない日々の生活で満たされた。
横島の一挙手一投足が俺の心を満たしていった。
だが、今はひどく空虚だ。
俺の心に穴が開いたような。
クソッ。これではまるで女の鬼じゃないか。
イヤダ! 俺は女の鬼にはなりたくない。
女の鬼になってしまえば横島の役に立てない。
戦の鬼でなければ横島の隣で拳を振るえない。
それどころか横島を巻き込んで清姫のように……。
どうすればいい?
穴の開いた俺の心の中に侵食していく悋気をどうすればいい?
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≪リリシア≫
「それで、私のところに来たというわけ? 当事者の私のところに」
「……そうだ。俺は戦の鬼で、生前は坂東武者の中で暮らしていたから正直今の俺の状態がわからない。ただ、俺の知り合いの中で一番『女』なのはお前だから」
あぁ、なんて彼女はきれいなんだろう。
「俺はどうすればいい?」
この子は戦うことしか知らなかった。
ゆえにほかの事に関してはひどく純粋で無垢なのだ。
日常について語る子供のように好奇心に満ちた瞳、横島について語るときの上気した、恥ずかしそうな顔、そして自分の中に生まれた嫉妬に、まるで闇を恐れる子供のような不安な顔。
あぁ、なんて純粋な存在なのだろう。
だから……。
『壊してしまいたい』
『純粋で穢れないものを踏みにじりたい』
『何もかも、滅ぼしてしまいたい』
私の魔族の本能がそう命じる。
「五月ちゃん。私の話を聞いて」
ごめんね、横島。
そして私は長い長い物語を語りだした。
【荒神】横島忠夫の物語を。
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「……それがあいつの秘密」
「そうよ。最後まで何一つ救いのない物語。竜神王やオーディンが介入しなければもう少し救いがあったかもね。中途半端な救いはかえって残酷ですもの。あのまま壊れてしまえばきっとそれ以上苦しまずにすんだのに」
そうなれば横島が世界を滅ぼして終わり。
壊れてしまえば傷つかなかったのに、壊れきれぬまま傷だけを増やしていって、そしてまたここに帰ってきた。
五月は涙で腫らした瞳を隠すこともない。
この子はもうきっと戦の鬼なんかじゃない。
女で戦の鬼なんだ。
と、いうよりこの子の話って初恋に思い悩む少女そのままじゃない。
「私も反則で知ったようなものだし、他の皆には内緒にしといてあげて。それとあの日は何にもなかったわ。こんないい女の前で寝てただけ。……きっと、あいつは誰も愛せないんじゃないかな。全部が終わるまでは。二度も最愛の人を殺してるんですものね。だからあいつをモノにするのはアシュタロスの馬鹿の一件が終わるまでお預けよ。そのときはライバルだからね」
私は五月の頭を抱きしめる。
「あなたは間違っちゃいない。それでいいのよ。戦の鬼なのも、女の子なのも、全部あなたなんだから。あなたが横島のことを大切にしている限りあなたは横島の味方よ」
数分間、そのままにしていたがゆっくりと五月が顔を上げる。
「……リリシア、礼を言う。だけど俺は戦の鬼だ。この戦も負けるつもりはない」
「上等♪ 男相手の戦で淫魔が遅れをとるわけには行かないわね」
魔族の本能、少し黙ってなさい!
この子達はそんな下らぬ本能ごときが汚していいほど安くはないの。
だって、私は全ての淫魔とヒトから生まれた存在の【姉】なんだから。
もっとも、かわいい妹相手でも譲れないものはあるけどね。
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≪五月≫
横島の過去を聞いてひどく納得がいった。
なるほど、ならばあの力と、その力を振るわぬ姿勢に納得できる。
そして、ほんの少しだけ優越感を感じた。
俺は、横島の思いをわずかなりとはいえ共感できる。
横島のあり方は【鬼】だ。
何もかもを奪われ、心をひとつに染たるモノ。
復讐という悪意だけを糧に、這いずり回った愚か者。
ことのスケールは違えど俺と同じなのだ。
勿論俺と横島は違う。
横島は鬼と化しても守ることを捨てなかった。
そして横島は変わった。変わらなかった。
己が鬼、そして神であることを知りながら人として生きている。
鬼も変われる。
変わっても戦える。
その事実だけが嬉しかった。
俺は横島のそばで拳を振るう。
悲しみを、悲しみだけで終わらせないよう足掻くあの男のために拳を振るえる。
悲しみを一部とはいえ共感できる。
横島の、役に立てる。
そう思った瞬間私の身体は走り出す。
ぐずぐずしている暇はない。
あの男は高みに行く。
なら、俺もその高みに追いつかなければ行かないから。
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≪リリシア≫
「ほんと、恋する乙女全開の表情しちゃって、かわいいわ」
手元には神楽の本がある。
演目は滝夜叉姫。
五月の物語。
勿論、後世に作り替えられた話なのだろうからそっくりそのままというわけでもないだろう。
けれど。
「横島の過去に押しつぶされず似た様な経験をしたあなたは横島にとって貴重な存在よ。ホント羨ましいというか」
まぁ、ライバルは強大であればあるほど奪いがいがあるってモノよね♪