≪横島≫
「解せないな。命の保障が欲しい。俺と敵対したくないというのなら俺の前に姿を現さずにさっさとザンスから出て行けばよかっただろう?」
俺の言葉にリチャードは困ったような微笑を浮かべた。
「いやいや、冷静ですねぇ。もう少し怒りをあらわにしてくれるか考えなしの単細胞なら扱いやすかったのに」
ヤレヤレと肩をすくめて見せる。
来夏さんの視線が三割増で凶悪になった。
「ま、確かに命の保障だけを目的にするなら横島さんがおっしゃった通りなんですがあいにく、まだ私の目的が達成されたかどうかを未確認でしてね。それを確認するまではザンスから離れられないし横島さんに情報をお渡しするのも私の目的達成のための一手でして」
「あなたの目的っていったい何なのよ」
リチャードは人差し指を一本、上に向けていった。
「それは秘密です」
「それで信用されると思っているのか?」
「されないでしょうね。私は私の知る情報をここで一方的に語るだけですよ。その内容は虚実であれ、真実であれ、あなた方は何らかのアクションを起こすしかないと思いますから。あ、誓って言いますけど私がこれから洩らす情報は真実ですよ。まぁ、碌なプライドは持ち合わせていませんし、誓うものといえば家に飾ってある十字架とコーランと仏壇と神棚とリンガと玉皇上帝の姿絵と孔子像くらいですかね?」
ニヤリとリチャードは笑う。
「消去法はご存知ですか? 必ず正しい答えが導き出せる便利な手段です。もっとも、その為にはあらゆる可能性を想定しうる想像力と分析力が必要なんですが。私がここにいるのはその消去法で導き出した結果なんですよ。あいにく、横島さんのことはある程度事前調査をしていましたがあなた方の能力のようなものまでは判断できませんでしたから正確には消去法というわけではないのかもしれませんが……。私にとって不都合だったのはいきなり殺される可能性。横島さんの性格を判断すればその可能性は低いと思いましたが、その一点だけでした。それ以外であればあなた方に接触するのは私にとってメリットはあってもデメリットは少ない。そう判断しました。仮に、【Rabbit's nest】のメンバーの中に嘘を見破る能力や、心を読み取る能力の持ち主がいたとすれば私の目的を秘匿することは出来なくなるかもしれませんが……それならそれで問題はありませんし」
「俺のことを調査した……と、言ったな?」
「【Rabbit's nest】のメンバーと関わりあいがあるとは知っていたのでもしかしたら出てくるかもしれないと思ってました。いえ、どちらかといえば横島さんが来てくれた方が好都合でしたのでそれなりに……」
「……つまりは、私たちをここに呼び寄せたのは君ということかね?」
貉さんの問いにリチャードは微笑む。
「私のハッカーとしての技術は十人並みですけど、ネット上に都合がいい情報を流すことくらいは出来ますよ。キルロイさん達に対抗する戦力も欲しかったことですし。まぁそれ以外にもこの国の諜報機関、ジャコフさんがそこの実質的なリーダーのようですけどそこに情報を流したり、いざとなったら横島除霊事務所にダミーの依頼を流そうかとも思ったんですけど。いやぁ、来ていただけてよかった」
「……あんたは俺に何をさせたいんだ?」
「キルロイさんたちとこの国の原理主義者の連中が生み出す被害を極力出さないで鎮めてもらいたい。そんなとこですかねぇ」
「あなたは向こうの味方じゃなかったの?」
「連中にキルロイさんたちを紹介したのは確かに私ですけど、まぁ、どちらかといえば利用しあう関係ですかね?」
……。
「答えて。あなたにとって人を殺すことって何なの?」
来夏さんが強い調子で問う。
「腕を伸ばして物を取るとか、水を飲むためにコップに水を汲むとか、そういう行為と同じですよ。特に楽しいわけでもないし、多少面倒ではありますが特別厭うことではありません。まぁ、いうなれば作業ですかね?」
来夏さんの拳がリチャードを捕らえた。
その身体が半ば以上妖怪化しているためにかなりの威力があったようでリチャードはまともに食らって壁まで吹き飛んだ。
……身体が無意識に避けようとしたのを無理やり踏ん張ってわざと食らったな。
受身も重傷を負わないための最低限にとどめている。
「あなたには人の痛みがわからないの!」
「……他人の痛みを理解できる存在なんてこの世界にはありませんよ。だから人は生きていける」
もう一度殴ろうとする来夏さんを八咫さんと流人君が止める。
リチャードは恐らくかなり痛むであろう頬をさすりながらも微笑を絶やさない。
「私はあなたみたいな人間大嫌いよ!」
「それは残念。私はあなたみたいなヒト、好きですよ。まぁ、好みで言えば横島さんが一番好きな部類ですかねえ」
「何で大家さんにそんなにこだわるのさ?」
「興味があったからですかね? 今では好意を感じていますけど。どことなく、私に近い人種かと想像していましたけどあってみてよくわかりました。横島さんと私はかなり近い人間であると」
「大家さんとあんたはこれっぽっちも似ていないよ」
ジト目。いや、完全に睨んでいる麻美ちゃんの視線を笑顔で返すリチャード。
「そうかもしれませんねえ」
「……巽君、八咫さん、ここで彼の見張りを。残りのメンバーで彼の処遇を相談するから」
武闘派の流人くんと八咫さんなら逃がすこともないだろう。もっとも、逃げないとは思ってはいるが。
「さて、どう思います?」
「信用できないわよあんな奴!」
来夏さん、少し感情的になりすぎている。
「私は……彼の差し出す情報を信じてもいいと思うわ」
やはり、援護を出したのは霧香さんだった。
「彼の心の中はひどく平板で私にも完全には思考を読み取れなかったけど、彼の思考形態や感情の起伏にとても似ている人間を私は知っている」
「……俺ですね?」
確かめるように問う俺に霧香さんは頷く。
「俺も同じ印象を受けました。彼と俺の思考形態はひどく似ているようです。少なくとも俺ならこの場で嘘はつかない。真実の全てを意図的に話さなかったり、誤解を招かせる表現を使ったりはするかもしれませんが」
「少なくとも、今まで彼が語った事柄に嘘はないわ。この国の混乱を最小限に抑えたいというのも本当」
来夏さんがテーブルをバンッ! と力任せに叩く。
「私は信用できない! 目的を達成するためにつみもない一般市民を巻き込んで橋を爆破をするような奴を!」
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≪リチャード≫
来夏さんの絶叫は壁を通してこちらまで聞こえた。
「これじゃあ場所を移動した意味がないな」
鴉天狗の八咫さんが煙草に火をつけながら呟いた。
無作法かと思ったのかこちらに一本差し出し勧めてくる。
「せっかくですけど私も歳でして、体力が落ちるようなものはやらないんですよ。お気持ちだけいただいておきます」
八咫さんはゆっくり紫煙を吐き出して自前であろう携帯灰皿に灰を落とした。
「そうは見えないが?」
「これでもベトナム戦争にも参加しているんですよ。まぁ、非公式の少年兵でしたけど。ちなみに私が最初に人間を殺したのはそのときです」
「非常識な話だ」
「ベトコンにも少年ゲリラはいっぱいいましたよ。それに発展途上国のスラムに行けばその認識を改まります。食べ物はなくても麻薬があって、教科書はないけど拳銃はある。男はギャングになり、女は売春婦になるしか生きていく手段がない。……結構ざらにありますよ、そんな場所は」
「まぁ、大昔の日本でも子供が落ち武者を大人に混じって殺しているのを見たことがある。いつになっても、どこに行っても人間というのは変わらんな」
「その割には親人間派の妖怪なんですね」
「人間の一部は大嫌いだし、大多数はどうでもいいといえばどうでも良い。でも、それでも期待を込めてしまうような人間にもたくさんあってきた。だからなんだろうな」
煙草を一本もみ消して次の煙草に火をつける。
「なぁ、さっき来夏さんが言っていたのは本当なのか?」
巽さんの疑問に正直に答えた。
「本当ですね。来夏さんがいていたこともやりましたし、それ以外にも一般人を巻き込んだ作戦というのはそれこそかなりの数を行っています。……どれもこれも非公式ですけど」
辰巳さんが露骨に顔を顰める。
きっと彼は素直にいいヒトなんだろう。
「……横島さんが羨ましいです。もっとも、憐憫も感じますけど。きっとあの力を得る過程でいろんなものを失って、守りきれなかったんでしょうね」
それは確信。
何故なら横島さんと私は……。
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≪松五郎≫
第二次世界大戦。
関東大震災。
目下新しい記憶はこの二件にとどめているが、私はこれまで何度も普通の人間が鬼になった姿を見てきた。
身体も、あり方も変わらずただ心だけが鬼になっていく様を。
「……いずれにせよ、彼の情報を聞くのが先決だ。その除法如何によって彼の処遇を決めれば良いだろう。恥ずかしながらさっきの彼の気配に私は全く気がつかなかった。大家さんは気がついていたみたいだが……。このまま敵か味方かわからないような状態で放っておくのは彼の能力は危険すぎる。正面きってであれば対処も出来ようが、後方、例えばザンス王家なんかを狙われでもすれば厄介だし、捕らえておくことも難しかろう。恐らくそれをするためにはこちらの戦力を大きく裂かなければならないからな。かといって殺すのもどうかと思うし」
「俺も同意見だ。来夏さんには悪いが彼を味方に引き入れて近くで監視を行うほうが幾分マシだと思う。先ほどの言葉が嘘ではないとすれば命の保障さえすれば周囲の被害を最小にとどめるために協力をしてくれるようだからな。彼の最終目的が何なのかわからないのはやや不気味だが」
大家さんは消極的なのか積極的なのかはわからないが賛成。
来夏さんは積極的反対。
麻美も消極的な反対だったが。
「ん~、私はかまわないと思う」
沈黙を守っていた凛は賛成した。
「彼からは邪悪さとかそういうのは一切感じられなかった。無論人を殺すことを作業としか考えていなかったからって言う考えも否定できないけど、少なくとも今回に関しては私たちが手綱を取れば信用しても良いんじゃないかな?」
流石は聖獣というところか。
「私も賛成ですな。あいにく私には人の心や感情を読み取るすべはありませんが、観察眼は職業柄鍛えてあります。上手く言葉に出来ませんが、彼は根本的に悪人ではないと思います。これまでの行為のことは知りませんが」
野呂教授(大学の考古学教授)も賛成に回って彼の処遇は味方に引き入れることに決定された。