≪横島≫
一ヶ月の休暇もそろそろ終わろうというころ、俺は貉さんが経営するバー。【Rabbit's nest】に誘われていた。
カランと入り口のベルが音を立てる。今日は定休日だと聞いていたが中には老若男女様々な人が思い思いに杯を交わしている。
『横島、気がついておるか?』
心見、いや、この状態なら心眼か。
心眼がおれに軽く注意を喚起してきた。
『恨まれる覚えは……あるな』
俺が思考すると心眼はヤレヤレと嘆息してそれっきり何も言ってこなかった。
【Rabbit's nest】にいる客は全て妖怪のようだったから。
「大家さん、いらっしゃい」
好々爺の笑みで迎え入れてくれる貉さん。
普段の和装も似合ってはいるがバーテンダースタイルも年季が入っていてどうにいっている。
「何をおつくりしましょうか?」
「そこのマッカランで水割りをお願いします」
「大家さん、奢って!」
「コラ! 麻美」
裏表のない麻美ちゃんの言い方に苦笑しつつも貉さんに麻美ちゃんの分の酒を頼んだ。
「ラッキー! お父さん、私は〆張鶴頂戴!」
麻美ちゃんは日本酒党のようだ。
麻美ちゃんや貉さんと談笑しつつ、麻美ちゃんが一升空けて二升目に入ろうとして貉さんに怒られたころ……麻美ちゃんは全くの素面だ。
美神の女以外でこれほどの剛の者がいようとは……世界は広いな。
そう、麻美ちゃんと某三代目大泥棒について熱く語り合っていたころに貉さんが突然俺に対して頭を下げてきた。
「大家さん。私は貴方に謝らなくてはいけないことがあるんだ。この通りだ」
何のことやらわからずとにかく貉さんに頭を上げさせる俺。
「実を言うと私達はずっと大家さんのことを監視していたんだ」
「大家さんが本当に、ううん、どこまで本気で妖怪との共存を考えているか。私達がリレイションハイツに住み始めたのはそれを見極めることが理由なんだ」
麻美ちゃんのほうはどこまでも楽しそうだった。
「だけど大家さんはどこまでも本気だった。だとすればこれほど失礼なことはないだろう?」
「そうか……安心した。恨まれていると思っていたからな」
「私たちが恨む?」
俺の呟きに今度は貉さん達がいぶかしそうに尋ねた。
「人間の都合で住みかを奪われ、俺の都合で住処を捨てさせてるんだ。俺がやっていることは最低限の保障に過ぎない。恨まれても仕方ないだろう?」
俺が発言すると、『何言ってんだ? こいつ』的な空気が流れる。
俺、なんか変なこと言ったか?
「大家さん。少し自分のことを低く見すぎだと誰かに言われたことはないかい?」
「そうだよ。それにね。私達は理性も知性もあるしことばも交わせるから説得も可能だけど基本的には弱肉強食なんだよ? 妖怪同士のいざこざって殆どの場合が力技での解決に頼ってるんだもの。そりゃ、住処を追われた妖怪に関してはいろいろと言い分もあるけど少なくとも大家さんみたいなことは同じ妖怪同士のあたし達にも出来ないんだよ。少なくとも大家さんに保護されたりあたし達みたいに人間と好意的な付き合いを望む妖怪にとっては大家さんを嫌う理由なんてないと思うよ」
そうなのか?
「昔話なんかでも妖怪同士の諍いはたいていの場合殺し合いで決着がつくだろう? ましてや人間の大家さんが気に病むことではないんだよ」
貉さんと話をしていると一人の和装の美女が移動してきて俺の隣に腰をかけた。
「はじめまして。私は鏡の付喪神、雲外鏡の加々美霧香といいます。」
「はじめまして」
「ご存知かと思いますが雲外鏡は1000年の年を重ねた鏡の付喪神。ものを映すことに関しては神々にも遅れはとらないと自負しております。失礼を重々承知で貴方の心を写しとろうとしたのですが……貴方のことを映すことは出来ませんでした」
頭を下げる霧香さんにジェスチャーで頭を上げさせて先に進めさせる。
「ですがただひとつだけわかったことがあります。貴方の魂は私に近い、少なく見積もっても数百年のときを経ているはずです」
周囲が少しざわめく中真っ直ぐに霧香さんの顔を見る。
霧香さんも真っ直ぐにこちらを見返してきた。
嘆息。
誤魔化しはききそうもない。
「確かに、俺は輪廻転生の輪に戻ることなく俺として転生をしている。この魂は転生の輪に戻っていないから俺もはっきりとは覚えていないが数百年は今生にあるということだろうな。幾度となく死は体験しているが……そういう意味では俺は人間ではないのかもしれない。いや、間違いなくまっとうな人間ではないな」
正直に答えるとは思わなかったのか、霧香さんは驚いたような表情を浮かべる。
「貴方は……正直に答えていただけるとは思いませんでした」
「ん、誤魔化せそうもなかったし。それに俺が信用できるかどうか探るために監視してたんだろ? 信用されるためにはまず信用しなければいけないと思う」
「……私のような存在には耳の痛い話ですわね。重ね重ね貴方の心を勝手にのぞこうとしたことを謝罪させていただきます」
「己や仲間の身の安全を守るために自分が使える能力を使う。……確かに普通の人間同士ならフェアじゃあないが、今回の場合は仕方ないでしょう? G・Sと妖怪なんですから」
「……少しお人よしすぎないかしら?」
かも知れないな。
「……さて、話はずれましたが大家さん。折り入って頼みたいことがあるんだが」
要点をまとめると、貉さんはとある組織のまとめ役なのだという。
【Rabbit's nest】バーと同じ名前のこの組織は人間世界に混ざって暮らす妖怪たちの相互支援組織なのだという。
人間の都市の中には巧妙に隠れてかなりの数の妖怪がまぎれて暮らしている。貉さんにきいたところおおよそ0・01%程度なのだそうだがそれでも東京には1000を超える妖怪が隠れ住んでるという。いることは知っていたがそれほどの数とはしらなかった。
そうした妖怪には人間に悪意を持って隠れ住むもの(一部の吸血妖怪など)の他にも人間に依存するタイプの妖怪(垢舐めなど)や人間に良い印象を持っている妖怪(付喪神など)も多く存在して、貉さんたちは後者のタイプの集まりだという。
こういう組織は良いもの、悪いものを合わせて結構な数があるとのことだ。
社会に認知されていない妖怪が人間にまぎれて生活するための犯罪行為(戸籍の偽造)などもしているが殆どの活動は相互補助と、人間世界で妖怪があまりにも派手に暴れまわると自分達も住みにくくなるし、同じ妖怪が力のない一般市民に被害を与えるのが心苦しいために内々に処理……麻美ちゃんが先ほど言っていたような行為をしているらしい。俺が実数よりも少なく見ていたのは妖怪の中で自浄作用があったためか。
貉さんは妖怪の相互補助組織である【Rabbit's nest】とうちの間で協力関係を結びたいらしい。
人間の世界に紛れ込むにあたり、人間の組織(うち)と協力関係を取れるのは貉さん達にとっても魅力的な話なのだそうだ。堂々と妖怪であることをカミングアウトして暮らせる場所はいまのところリレイションハイツくらいだし、元食人鬼女であるミーアがそのことを明かしたまま就職できたというのは貉さんたちにも驚きだったらしい。その為に必要なG・Sの保証もうちには実績があることだし、他のG・S事務所では唐巣神父のところくらいでしか保証など殆どしないだろう。(デメリットが高いくせにメリットが皆無だからだ)それに人里で暮らしにくい妖怪には島も山も提供する。
貉さんが行うのは情報と戦力の提供。
一見こちらにばかり負担がかかる話のようだったが俺はこの話に飛びついた。
同じ妖怪の説得があれば妖怪を殺さないですむ可能性が高くなると思ったからだ。
それならばシロやタマモ、あるいは美衣さん達でも良いかと思えるかもしれないが(名目上)俺が保護している妖怪の言葉と独立独歩生きてきた妖怪の言葉では当然相手のとらえ方が違うはずだ。
そのことを告げるとなぜかその場にいた全ての妖怪から呆れられた。
……なんでだ?