≪令子≫
不穏な空気が渦巻いている。
おかしい。
横島さんはおばさまにその身を委ねただけかもしれないけどこうなることがわからない二人じゃなかったはずなのに。
人間は弱い。
自分の常識を逸脱するほど強いものは結託して排斥にかかる。
おば様のほうを見やるといつもの調子で穏やかに微笑んでいるだけ。
あわてている様子や戸惑っている様子が無いのは幸いなのか? いつものポーカーフェイスなだけなのか?
……何か来る!
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≪テレサ≫
「作業・終了しました」
姉さんの方は終わったのか。
私のほうは後84秒±2秒といったところかしら?
「ふむ、テレサのほうはどうだ?」
「もう少しですわ、お父様」
「うむ。しかしあのお嬢さんも中々どうして、スケールの大きな策をめぐらすじゃないか」
あぁ、お父様からすれば確かに人間の女性はどなたであれお嬢さんですわね。
それにしてもお父様も楽しそう。
姉さんのデータベースを見せてもらった時のおよそ七百年の乾燥した時代と比べて、横島さんに出会ってからのお父様の周りには面白い人材がそろっていますもの。
今日のことで改めてそこに一人加えられたことでしょう。
もっとも、その筆頭が横島さんであることは揺るがないでしょうけど。
「終わりましたわお父様」
「うむ。では細工がばれてしまっては元も子もないからな。早々に去るとしようか」
「イエス。ドクター・カオス」
「あら、心配じゃありませんの?」
「横島は苦しむかもしれんがそれはそれ、あやつが悪いに違いあるまいしな。それ以外の被害はおこさせんだろうしそれでかまわんさ」
クスリと微笑む。
お父様が理屈でなく信頼するなんてあなたくらいのものですよ? 横島さん。
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≪かおり≫
それはあまりにも突然だった。
六道女学園はかなり高度な結界で覆われている
それなのに突如として怨嗟の声をあげる巨大な霊集団が現れたのだ。
「でかいわね」
「レギオンクラス(注1)なんじゃないの?」
「ん~、でも~、融合は起こしてないみたいよ~」
とんでもなく巨大でかつ強力な霊集団を前にお姉さま方は泰然自若と言うか世間話でもしているかのよう。
それに引き換え突如として現れた集団を前に恐慌を起こすみんな。
それを押しとどめようと躍起になる先生方。
いえ、鬼道先生だけが突出してきた霊団から生徒を守ってらっしゃいますわ。
……鬼道先生、噂どおりの方ではないのかもしれません。
私がこうも平静を保っていられるのは幼い頃からの修行の賜物と、私たちの前に立ちふさがってくれている雪之丞さんとタイガーさんのお陰ですわね。
「おキヌちゃんの友達に万一でも傷つけたくは無いからな」
その実力差、考えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの実力の持ち主……こうして安心して誰かに身をゆだねられるというのもいいものですわね。
「落ち着いて!」
静かな、でも力強いお兄様の声が響く。
恐慌を起こした生徒たちもその声に不思議とひきつけられ、縋る様にお兄様のほうを見る。
恐怖でおびえた目で見た子たちも、忌むべきものを見る目で見た子たちも。
「誰も傷ついたりしないから。だから安心して」
簡素な言葉なのにとても深くしみこんでいくよう。
「おキヌちゃん。ゼクウ」
「は、はい」
「心得てございます」
お兄様の声にあわててネクロマンサーの笛を構える氷室さん。
是空さまはシタールをゆっくりと奏で始めた。
シタールの繊細な音色とともに私たちを包み込む大きな結界が張り巡らされた。
その音に追走して氷室さんの澄みきった笛の音が響き渡る。
そこにお兄様のネクロマンサーの笛の音、深く優しい音が加わった。
それぞれが違う趣の音色を奏でているにもかかわらず、それは調和して一つの曲を作り上げていた。
その笛の音に導かれるように怨嗟と苦痛の声をあげていた霊たちは昇天し始める。
曲とあいまって幻想的な一枚の絵画のような光景だった。
「横島さんにとっては霊波刀で切り伏せたほうが効率も良いし、疲労も少ないわ。それでも横島さんはたとえ悪霊でもああやって昇天できるように導くのよ。切り払って強制的にこの世との縁を断ち切るんではなく、次の輪廻転生の果てが幸福であることを祈りながら」
美神お姉さまの言葉と光景に感動を覚えたものは少なくないはずだ。
お兄様を見る瞳の質が徐々に変わってきていますもの。
「すげえな」
一文字さんがつぶやいた。
「ええ。本当に」
この光景の中にいられる氷室さんがうらやましいですわね。
霊団のほとんどが昇天したところで氷室さんがその場に倒れこんだ。
それを見越していたのか六道お姉さまが配下の十二神将を用いて私たちの元に氷室さんとともに転移してきた。
「おキヌちゃんは大丈夫なのかよ!」
一文字さんの剣幕を笑顔で流す六道お姉さま。
こういうところは血筋ですのね。
「霊集団が大きすぎてお兄ちゃんやゼクウさまと一緒でも負担がかかりすぎたみたい~。気を失ってるだけだから安心して~」
氷室さんの頭をなでるお姉さま。
「よく頑張ったわ~」
お兄様のほうに目を向けるとほとんどの霊はすでに昇天をしていた。
おそらくこの霊集団のボスであったであろう強力な悪霊だけは笛の音を受け入れずに是空様が作り出した結界に体当たりを続けている。
お兄様が笛の音を止め、前に出ると是空様もシタールを奏でるのをやめた。
好機とばかりにお兄様に突進する悪霊。
悪霊が斬られた。
ほとんどのものはそう思っただろう。
しかし、お兄様はあろうことか何もせずにその攻撃を抱きとめた。
「苦しみが、君の昇天を妨げるというのなら俺がその苦しみを譲り受けよう」
何があったのか?
お兄様が言葉をつむぎ始めると悪霊の顔が心なしか穏やかになり、抵抗をやめた。
「悲しみが、君の昇天を邪魔するのであれば俺がそれを受け取ろう。憎しみが、君の昇天を許さないのであればその憎しみは俺が引き受けよう。罪が、君の昇天の障害であるならばその罪は俺が肩代わりをしよう。だから、君は輪廻の輪に戻って新たな旅路を迎えるんだ」
悪霊はその凶悪な姿をかわいらしい少女の姿に変える。
その旅立ちを見送るお兄様の姿とあいまって、神々しいまでの光景を作り出していた。
皆、生徒達は私も含めてその姿に魅せられている。
これが、横島お兄様なのですわね。
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(注1)=新約聖書『マルコによる福音書』第五章に登場する悪霊の集合体。「我はレギオン。集合体」と名乗る。イエス=キリストに「その男の中から出て行け」と命じられると周囲にいた豚2000頭に乗り移り入水自殺した。また、レギオンは古代ローマ帝国の軍団編成における最大単位のことで定員は6000人。