≪雪之丞≫
何だ? 何なんだこの状況は?
それはなんてことない除霊のはずだった。
ただの地縛霊の除霊。
だがこの状況はどうだ?
「が、があぁぁああ!」
師匠が苦悶の声をあげうずくまる。
師匠の左肩から無数の穴の開いた霊波刀がのびる。
慟哭の声だ。
それが生まれ俺に対して振るわれる直前肩ごと師匠の右手、恐怖の腕に握りつぶされた。
師匠が握りつぶした。
「離れろ雪之丞!」
師匠の必死の声が俺に向けられた。
「畜生!」
俺は魔装術を展開すると師匠に駆け寄る。
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≪横島≫
「たかが地縛霊の除霊で何で俺と師匠がいっぺんに出張るんだ?」
「たかが地縛霊って、お前最近G・Sの仕事を誤解してるんじゃないのか? 基本的にG・Sの仕事なんて地縛霊相手にして何ぼだぞ?」
「いや、別に馬鹿にするわけでも侮るわけでもねえけど普段なら片方だけでいかねえか?」
「まぁそうなんだけど何となくな。感でしかないんだがお前を連れて行ったほうがいい気がしたんだ」
霊能力者はこういう感を大事にする。
結果を考えればあのときの感はまさに大正解だったということだ。
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そもそもの依頼がBランクで、地元じゃ有名な幽霊屋敷ではあったが今までこの幽霊屋敷で殺されたものは誰もいなかったことと、居住区からかなり離れていたこと、さらには地主も遠く離れたところに住んでいたために長らく放置されていたのだが、このあたりにも開発の波が訪れ急遽除霊されることが決まったのだ。
しかしいざ除霊を始めてみるとこれがかなり強力な悪霊で何人ものG・Sが失敗の憂き目に会い、長く放置した手前オカルトGメンにも頼みづらかったらしく横島除霊事務所に依頼が来たというわけだ。
幸い怪我人こそ出たものの死者は出なかったらしくBランクにとどまってはいるが実際にはAランクの仕事なのかもしれない。
「どうした? 雪之丞」
この町に入ってから雪之丞の様子がおかしい。
「いや、なんかこの町に着てから落ち着かないって言うか……おかしな気分なんだ。なんか懐かしいようなそうでないような」
「昔この町に住んでたとか?」
「ママが死んでから白竜寺に流れ着くまで親父と転々としてたけどこの町に住んでいた記憶はねえよ」
そのときは何の気なしに聞いていたが。
除霊はきわめてオーソドックス。
俺がネクロマンサーの笛で周囲の霊を昇天させる間を雪之丞がガード。
いつもは一人でやっているのでユリンやゼクウにやってもらっているのだが雪之丞も立派にその役を果たしてくれた。
この家に潜む悪霊の親玉は美しい女性型の霊だった。
見た感じ強力ではあるがあまり邪悪な感じはしない。
しかし彼女にネクロマンサーの笛は通用しなかった。
大した執念だ。
「……坊や、坊やはどこなの? 私の可愛い……」
どうやら正気をなくしているようだ。
霊波刀を使えば手っ取り早くはあるのだが……嫌だな。
「完全に正気をなくしてるみたいだな。だが、邪悪な霊じゃないようだし俺が彼女の負の感情を引き受けるから雑霊が入ってこないようにしてくれ」
「わかった」
いつもの様に彼女の負の感情を俺が引き受ければいい。
その時はそう思った。
彼女から彼女の負の感情が流れ込んできた瞬間から俺は膝をついた。
その悲しみのあまりの大きさに。
その深さに。
俺は打ちのめされた。
体がおこりのように痙攣を起こしいうことを聞かなくなる。
俺の霊波刀に当てられた令子ちゃんたちのように。
まずい。
彼女の悲しみに呼応して俺の慟哭が暴走しかけている。
雪之丞に向かってそれが振るわれる前に無理やり恐怖の腕で俺の体ごと握りつぶした。
「離れろ雪之丞!」
俺が警告を発するが雪之丞は魔装術を展開してまっすぐこちらに向かってくる。
雪之丞らしいがまずい!
不意に圧力が収まった。
あれほど感じた悲しみの感情が消える。
これは驚き。そして喜び。
彼女は涙を流しながら雪之丞に近寄るとそのまま雪之上に抱きついた。
雪之丞はどうしていいかわからず呆然としている。
「雪之丞。ごめんね。おいて逝ったりしてごめんね」
呪詛のように詫び続ける彼女。
「……ま…ま?」
呆然としたままの雪之丞が無意識に呟いた。
それを聞いていよいよ雪之丞を強く抱きしめる彼女。
彼女の負の感情を自分のものにするために彼女とつながっていたから彼女の情報が俺に流れてくる。
「雪之丞。この町はお前が生まれた直後くらいまでお前が住んでいた場所らしい。彼女の名前は伊達小雪。お前のママだ」
俺はそれだけ告げると野暮なまねをしないようにその場を離れた。
雪之丞の頬が光っているのを見ないように。
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「大丈夫でしたか? マスター」
「かなり危なかったようだな、兄者」
「ゼクウ、それに心見。……どうやら俺は思い上がってたみたいだな」
「そうかも知れぬし、そうとは言い切れないかも知れぬ。だが誤解をしていたのは間違いないな」
「曖昧だが的確な表現だな、心見。……俺は負の感情に任せて一つの世界を滅ぼした。だからかな? いつの頃からか俺が一番悲しいとか、俺が一番苦しいとか、そんな風に思ってたのかもしれない。何しろ世界を滅ぼすほど悲しいとか苦しいとか悔しいとかそういう感情を持ったやつなんて話にも聞いたことがなかったからな。……でも違った。今日、小雪さんの悲しみを感じて思い知らされたよ。俺は偶々世界を滅ぼすほどの力を得たというだけで、みんな悲しくて、辛くて、苦しくて悔しくて……多分そういうことなんだろう」
「マスター、誤解していたとはいえ卑下することもありますまい? マスターは今なお苦しんでいるのですから。何より、マスターのその感情がずぬけているのは確かでしょう? 小雪殿は正気を失っていたのにマスターは正気でいられた」
「さぁどうかな? 俺はもともと狂っているだけかもしらんぞ?」
「兄者、そう卑下するのは兄者の悪い癖だ」
「すまん」
頭を下げる俺に二人は苦笑いで返した。
「しかしあれだな。以前将門公が恋する乙女は無敵と言っていたが、中々どうして。子を思う母親というものはあれで最強生物なんじゃないかと俺は思うね」
場を変えるための俺の冗談に二人は乗ってくれたが心見のさりげない一言がぐさりと俺の胸を刺す。
「いや、世界最強の生き物は自己否定、自己嫌悪、自己犠牲の三拍子そろった性質の悪い根暗男のことであろう」
……もしかしなくても俺のことか?
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それから十数分して雪之丞が出てきた。
目を真っ赤に腫らして、それでいてすっきりした表情で。
「ママが、逝ったよ。死んでからずっと俺を探してくれていたんだって」
「そうか」
「喜んでくれたよ。強くなった俺を見て。師匠を助けようとした俺を見て」
「そうか」
「師匠に……ありがとうって。……師匠がママの苦しみを引き受けてくれたからママは俺に気がつけたって。師匠。ありがとう……」
今一度泣き始める雪之丞。
涙を見せまいとしているのでそれに気がつかぬ振りをして言葉をつむぐ。
「小雪さんは……強くて綺麗な女性だったな」
「あぁ……俺の自慢のママだからな」
「……いつの世も男が女に勝てないわけだよ。女の子って言うだけであんなに強くなる(母になる)可能性を秘めているんだもの……雪之丞。お前も強くなれよ? 小雪さんに負けないくらい強く。どんな悲しみにも負けないくらい強く」
正気を失っても誰も殺されなかったのは小雪さんが最後の最後でブレーキをかけていたからに間違いない。
小雪さんの心は驚くくらい強かった。
そして、その心の強さの源は雪之丞を思う愛情だった。
「あぁ。……俺はママの子だからな」
うちのお袋、冥華さん、美智恵さん、美衣さん。
俺の周りにも強い母はいっぱいいる。
……近いうちに俺もエミを連れて会いに行こう。