≪リリシア≫
このところ人間界に入り浸っていて魔界に帰るのは随分久しぶりだ。
それがいけなかったのだろう。帰って早々呼び出されてしまいました。
私は城の玉座に腰掛けるこの城の主に向かい臣下の礼を持って対面する。
その主の本質は【妖】【魅】【媚】【美】【艶】【猥】【淫】であり、例えその姿が蛇身であり、牙があり、敵の血で全身が赤く染まってもそれに寸毫の衰えもない。なぜならそのどれもがこの女王の本質であり、何れをもってしてもこの女王を表しきることができないのだから。
「リリム族がリリシア、女王の御下命により馳せ参じました」
「……リリシア、いつも言っているでしょう?」
魔界を統べる王の一人が言葉を紡ぐ。ただそこにあるだけで、上級魔族の私すら気押されるほどの魔力の持ち主で、こと魔力においては魔界最高級の強さを誇る。正に王の力の持ち主。
「ママのことはママと呼びなさい!」
……性格と容姿がお子様ではなかったら、だが。
「そういうわけにもいかないでしょう」
「なによ~う。女王の命令に逆らう気?」
台詞はあれだが、上目遣いで口を尖らせて言っていては威厳も何もあったもんじゃない。
「わかったわよ。ママ。これでいいんでしょう?」
鷹揚に頷くママ。
でも満面の笑みを浮かべたお子様の姿じゃやっぱり威厳もへったくれもない。
「それでどうしたのよママ。いきなり呼び出して」
「だって~。リリシアちゃんが最近人間界にばっか入り浸っていて全然ママにかまってくれないんだもの」
しくじったわね。こんなことなら適当なところでガス抜きしとくんだった。
「ねぇ、ママ。いい加減元の姿に戻ったら? その姿だと性格まで幼児退行しちゃうんだから」
「いや!」
にべも無く言うママ。
「だってママって黄金比の女よ? 元の大きさに戻って黄金比が復活したらまた私の容姿を見て魅了に狂った雄の相手をしなきゃなんないじゃない。そりゃ嫌いじゃないけどいい加減飽きたわ。かといって無礼うちで殺すのも飽きたし」
「ママの魅了に耐えうる他の魔王のところに行けば?」
「それもパス! そんなの一番飽き飽きしてるわよう」
口を尖がらしてブーたれるママ。
「ねぇねぇリリシアちゃん。人間界はそんなに面白い?」
「それほどでもないわ」
いけない。何としてもママの興味を他に向けないと。
今のままじゃあなにしでかすかわからない。
しかしママはそんな私を嘲笑うかのように次の台詞をはいてしまう。
「ふ~ん。それなのにリリシアちゃんが人間界に入り浸っているって言うことは~……横島ってそんなに良い男なの?」
妹が淹れてくれたお茶を思わず噴出す。
「マ、ママ。何処からそんな名前が出てくるのかなぁ?」
「フッフッフ。ママを甘く見ちゃ駄目よ。リリシアちゃんのことは何でも知っているのだから。何てったってママはリリシアちゃんのママなんだもの」
薄い胸を張って勝ち誇るママ。
だめだわ。これは誤魔化せない。
「リリシアちゃんは魔族としては上級魔族ギリギリだけど淫魔としては……まぁやる気はあんま無いとはいえ最高級の力を持っているわよねぇ? 容姿もママに似て美人だし。どうして人間を落とすのにそんなに時間がかかっているのかしら? それともいい男に熟成するのを待っているのかしら?」
いけない。めちゃくちゃ興味をもたれてる。
「そんなたいした男じゃないわよ? ま、珍しくはあるけど」
なんでもないように、本当になんでもないように言い放つ。
こっちも上級魔族の端くれ。その程度の腹芸は造作もない。
……ママに通じるかどうかは微妙な線だけど。
「……ふ~ん。ま、偶にはママに会いに魔界に戻ってきてよね。他の娘達はママの前だと萎縮しちゃってつまらないんだから」
何とかごまかせた?
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≪リリス≫
な~んちゃって。
やっぱ母親としては娘の思い人をこの眼で確かめる義務があるわよね~。
うん。これは母親としての崇高なるお仕事なのだ。
人間界にいっても問題の起こらないギリギリ(リリシアちゃん並み)の魔力を持った分霊(今の自分と同じ、つまり8歳くらいの容姿)に自分の意識を送り込んで魔界にいたまま人間界で問題なく行動できるようにチャンネルを繋げる。
もうこれってデタントの罰則事項の裏道ギリギリって感じ?
でも、サっちゃんでもない限り私のこれを見破ることなんてできないだろうしかまわないわよね~?
だってこれって崇高なるお仕事のためだもん。
え~と、横島除霊事務所はっと。……あれね!
……へ~、リリシアちゃんのほかにも結構な魔力、神気、竜気、妖気、霊力。イロイロな力が感じられるわね。しかも人間界で感じられるものとしたら結構強力な。
適当な公園で観察をする。
魔力を少しだけ使って目立たないように結界を張るのでつまらない男どもにナンパをされることもない。
うっかり人間の男を食べたら一瞬で干からびちゃうもんね。
いくらこの容姿でも私の魅力に当てられちゃうばかな男って結構いるものね~。
……へ~、あの目つきの悪い坊やに力を貸してるのってアモンちゃんじゃないの。霊力も結構高いみたいだし。
あの人間が使役してる十二の獣も下級とはいえ魔族並みのポテンシャルを持ってるじゃない?
おどろいた。あの女、魔族にも届きそうな呪術の使い手じゃない。
……面白い魂の波動をした人間ね。霊力もかなりのものだし。
あれは、金毛白面九尾の狐の転生体? もう少しで上級の魔族に匹敵するかって言う大妖怪の。
あっちは人狼か。それも純粋血統の神の血を引く血族じゃないかしら。
あの鬼、すこぉしだけど神気も発してる。それにあの身の捌き、魔界でも最上級を除けばいいせんいくかも。
ドクターカオス。魔界でも名前くらいは聞いたことがあるわ。昔の旦那が食べた知恵の実の影響を最も受けた人間として。
……って、あれはガブリエルの分霊じゃないの! 何でこんなところにいるのよ!
……強力な霊能力者に化け猫。神父に魔女。ハーフバンパイアに虎人もどき。付喪神に浮遊霊に土地神。これは飽きないわ。
ちょっとリリシアちゃんがやってるお店っていうほうも覗きにいったけどリリシアちゃんが魅了を使った様子もないのに普通に人間がリリシアちゃんと接しているわね。話の内容からリリシアちゃんが魔族だって言うのを知ってるみたいだし。
……ママとしては嬉しいけどありえないわ。こんなこと。
……なんなの? この奇妙な空間は?
極々小さな限られた空間とはいえ、人間と、神と、魔族と、妖怪が何の隔たりもなく共存できる空間。
それはある種理想の空間。
つまりは実現するはずのない空間。
それが此処にあるというの?
私はそれを目の当たりにして混乱の極みにあった。
だからこそ接近に気がつけなかった。
「こんなところで何をしてるんだい?」
私の結界を突破して(簡単なものとはいえ魔王が張った結界を!?)そのお兄ちゃんはやってきた。
横島忠夫。
間違いない。
影の中から魔力と中級神族級の神気を感じるもの。
そんな奇妙な人間はそうはいない。
なんなのかしらこの違和感。
相手は人間のはずなのに何か別の大きなものを相手にしているような感覚。
……私は、この身体は力を大きくそぎ落とした分霊とはいえ魔王リリスなのよ!?
防衛反応として私は魅了の魔眼を使っていた。
私の本質は【妖】【魅】【媚】【美】【艶】【猥】【淫】。例え幼女の姿をしていてもそれは本来変わらない。
だから私の魅了を振り払える人間などいるはずがない。
舌を少し出して唇を舐める。
その仕種だけでも人間の男を欲情させる(この姿でも)には十分だ。
……だったのに。
「……魅了の魔眼か。しかも異常に強力な」
此処にいた。
何なの? 存在するはずのない空間に、存在するはずのない人間。
此処は一体何処なの?
お兄ちゃんの腕がこちらに伸びてくる。
まずいな。この身体は魔力は高いけど戦闘能力は低いのよ。
殺されたかな? 殺されるのは繋がってる分痛いのよね。
フワリとその手が頭を撫でた?
え? え?
「君がこっちを荒らさない限り危害を加える気はないよ。それと、俺にその手の術は効かないんだ」
アレ? こんな幼稚なことなのに気持ちいい?
「どうしてこっちに迷い込んできたんだ?」
「た、退屈だったから」
アレ? 何でこの私がこんなに素直に答えてるの?
……このお兄ちゃん。何かがおかしい?
何か? 本当に何かわからないけど私以上の何かを抱えている?
私を越える何かを持っている?
たかが人間が、魔王であるこの私の……。
この私が見通すことができない闇を抱えている!?
「そうか、だったら……」
・
・
≪リリシア≫
また呼び出された。
おかしい。こんなに立て続けにママに呼び出されることなんて無かったのに。
「リリシア。貴女に淫魔が女王として要請します。お兄ちゃ……横島忠夫を堕としなさい」
私はまたしても噴出す。
「何をいきなり。それにお兄ちゃんって!?」
「強制する気はないけどできるだけ頑張ってね。それと、堕としたらママとワケワケしましょうね」
満面の笑みのママの手にはロナルドドッグのヌイグルミ。
……頭痛いよう(泣きたい)。
「流石に元の姿の分霊を人間界に送れないものねぇ」
ママ、デタントの崩壊を起こす気なの?
本当に頭が痛い。
「リリシアちゃん。本当に堕とすつもりなら強くなりなさい。深く暗い闇に飲み込まれないほど強く」
え!?
ママが一瞬、本当に真剣な表情を見せた。
次の瞬間にはまたもとのお子様な表情に戻っていたけど。