≪横島≫
「シロ! 貴様拙者を愚弄する気か!」
……そこまで堕ちたか。
俺は【転/移】して犬飼を思い切り殴りつけた。
「……犬飼。狼のルールを破った貴様は最早狼ではない。武士の情けを解さぬ貴様は武士でもない。ただの外道だ。外道は外道どうし、俺がケリをつけてやる」
「ほざけ! 狼王復活に必要な霊力はすでに溜まっているのだ」
八房を残された腕で拾い上げると犬飼は狼王フェンリルへと変身する。
その姿に圧倒される皆。いや、五月と雪乃丞は戦いたそうにしているが。
俺には今更怖い相手ではないが……。
「クワァアア!」
ユリンが俺の命令を待たずに影から飛び出す。
「……いいだろう。俺の霊力、好きに使え」
「クワ!」
ユリンは俺から霊力をたっぷり持っていって嘘偽りなく空を黒く埋めるほどの数の分身を作り出すといっせいにフェンリルに向かっていった。
一体一体はフェンリルの目から出される怪光線に焼かれ、喰われ、引き裂かれるがそんなことはお構いなしに次々と分身を生み出し決してその全体数は減らさない。
俺はその隙にシロを回収すると文珠で傷を塞ぎ、おキヌちゃんがヒーリングで体力の回復につとめる。
「何、一体何が起きているの?」
狼狽する皆。
ユリンのこんな姿を見たことがあるものはいないからな。
「ユリンは……俺の使い魔にはもったいないくらい心優しく温和で思慮深い。……でも今のユリンは怒っているんだよ。この世界でただ一人の大切な親友を斬られ、まるでゴミか何かのように言われたことを」
「ユリンちゃん……」
呟く魔鈴さん。
「大丈夫なの?」
尋ねる令子ちゃんに正直な感想を答える。
「ユリンは決して強いほうじゃない……単一であれば普通のG・Sでも倒しうるほどでしかないがいざ戦うとなれば恐ろしく厄介だぞ? 俺が戦っても負けはないにしろ、文珠を使わなければ相当手をやくし倒しきるのに時間がかかる。数って言うのはやっぱり暴力ということだな。……考えてもみろ、単独で戦っても並み以上の妖怪に匹敵する戦力の鴉が、霊力が供給される限り半永久的に増殖してくるんだぞ? 一気に殲滅する方法でもなければ相手にしたくないね」
話を聞いて少し顔を青くする一同。
ユリンのことを弱いと思ってはいなかったようだがそこまで始末に悪いとは思っていなかったんだろう。
「ついでに言えば数という利点を失うとはいえ貧弱な攻撃力を補う巨大化という手段も使えるし、それにどれだけ数がいようと結局は一羽な訳だから単独の意思の元に完璧に統制された戦術が使用できるし、あれだけの数がいたら核となる本体を見つけるのは難しいぞ? 石の影とかに本体を隠せば見つけるのは更に困難だろうしな。小型化すれば狙いをつけにくいだろうし……魔獣としての格はフェンリルの方が圧倒的に上かもしれないが、相性が悪すぎる。時間はかかるかもしれないがユリンは負けないよ」
そう。それにユリンは頭がいい。
フェンリルは狭間の神の子だけあって魔獣としては主神を殺しうるほどに破格の能力を秘めてはいるが、その強さは個体としての強さ。一対一では無類の強さを発揮できても集団戦でその力を発揮できる能力を少なくとも俺は知らない。体に寄生させている蚤だけではいかんせん力不足なのは否めない。
更に言えば犬飼=フェンリルはまだそこまでの力もない。先祖がえりをしてフェンリルになったとはいえオーディン殺しを為しえたフェンリルと犬飼は所詮別物なのだ。
そのことはユリンも理解しているし、ユリンが知っている戦術は精神的につながっている俺の持っているそれとなんら変わらない。
だから俺が得意にしている戦術は当然ユリンも得意にしているわけで。
それから十数分。実戦にしては長すぎるくらいの時間の後に空を覆いつくす黒い影は薄くなり、まばらになり、やがて消えていく。
後に残されたのは全身傷だらけながらも立ち続けるフェンリル。
別の意味で顔を青ざめさせる(特に魔鈴さん)一同に向かってフェンリルが宣言する。
「……手間取らせおって。だが、残るは貴様らだけだ!」
「犬飼。一つ忠告してやろう……残心だ」
フェンリルの腹から夥しい量の血が流れる。
原因は下から真っ直ぐに伸びた真っ黒い杭。
それは更に上に伸び、フェンリルを持ち上げ振り落とした。
そして地面にもんどりうって倒れたフェンリルに馬乗りになる鴉。ユリン。
「集団による包囲戦から死角、直下からの奇襲。順番は逆だが俺の得意戦術と同じだな。」
ユリンはフェンリルに匹敵するほど巨大化している。
いかにフェンリルといえど腹に大穴が開いた状況でこれを跳ね返すのは難しいだろう。
「ユリンちゃん強いのね~」
「ほんとだぜ何で今まであんまり戦わなかったんだ?」
「効率の問題だ。ユリンに霊力を貸すより自前の霊波刀や文珠のほうが幾分消耗が少ないんでな」
しかもユリンは優しい。
「……皮肉なものだな。かつてオーディンを殺したフェンリルの末裔が、オーディンの使い魔たる鴉の子供に敗れるか」
大勢は決定した。最早勝敗は動くまい。後はユリンが止めを刺すだけだ。
長老の顔が歪んでいる。
ユリンはフェンリルに止めを刺すことなく、元の大きさに戻ると俺の肩に止まる。
「ユリン?」
「カー!」
「……そうか。お前がそう決めたなら俺は何も言わない」
「なんですって?」
「自分より年下のシロが復讐を止めたのに自分がそれに身を委ねるわけにはいかない。それにノワールは生きているってさ」
頭を俺に摺り寄せるユリンの頬を指で撫でつつ空を見上げる。
「……どうやら間に合わなかったようだな」
空に浮かぶ二人、ワルキューレとジークフリードだ。
二人はそのまま地面に降りてくる。
「フェンリルの気配を感じたのだが別任務中で勝手に動くわけにもいかなかったのでな。大急ぎで軍の上層部に許可を貰ったのだが……すまない」
「遅くなりました。お怪我はありませんか?」
ワルキューレとジークの謝罪を受けると文珠を用意する。
アルテミスの役割が今回はワルキューレと言うわけなのだろう。
狩人の女神と魂の狩手の女神か。やはり皮肉なものだ。
用意した文珠は【分/霊】。
犬飼からフェンリルである部分を文珠で強制的に分けると、ワルキューレは元魂の狩手らしくフェンリル部分の魂だけを犬飼から抜き出す。
「すまないな。フェンリルの魂は私たちが魔界へと導こう。最も、我らが帰るべきアスガルドは最早存在はしないのだがな」
仇敵とはいえ神話時代の知己(の同一存在)とであったからか珍しく感傷的な言葉を放つ。
そのまま二人は魔界へのゲートへと飛び去っていった。
「……拙者は、負けたのか」
呆然とした感じの犬飼が起き上がり呟く。
そこには先ほどまでの鬼気はもう感じられなかった。
……犬飼はこんな男だったのか?
「秘宝八房を手にし、最強の狼王になったはずの拙者が……」
「それはぬしに迷いがあったからよ」
「……長老……」
「本来は剛剣の犬塚ジロウに対し、柔剣の犬飼ポチと言われたおぬしが八房を手にする前後から迷いを振り払うかの如く強引な剣を振るうようになった。……八房は妖刀、たぶらかされたのやもしれんな」
「……だが、人を恨んだのは拙者の心。八房を手にしたのは拙者の意思。剣友を切り殺したのは拙者の腕。……すべて克明に覚えているでござる。長老、この罪いかようにもお裁きくだされ」
「……里の掟を破り秘宝を奪った罪、何より里の仲間を傷つけた罪、許しがたい。……だからわしはお前に最も厳しい罰を与える。……死ぬことは許さん。それだけだ」
「……御意。拙者は里を出て、ジロウの菩提を弔って生きていきたいと思います」
無罪のように思えるかもしれないが、後悔を引きずって生きていくのは死ぬより辛い。そしてそれでも長老は犬飼に、里の仲間に生きてもらいたかったのだろう。そしてそれがわかっているからこそ犬飼もおとなしく従った。
おキヌちゃんにヒーリングを受けていたシロがゆっくりと起き上がった。
「犬飼……殿。里を離れる前に父の墓を参ってはもらえぬだろうか? 中身の無い形だけの墓でござるが。……生前、父上は犬飼殿のことを生涯の友と言っておりましたが故」
「……シロ、ジロウ、済まぬ」
シロ……成長したな。俺以上に。
犬飼……そうか。本当の犬飼は侍だったのだな。
侍ではない俺はこの場面に茶々を入れるとしよう。
【隠/蔽】の文珠で人狼にすら察知できぬほどに姿を隠していた人狼の姿を顕現させる。
その気配にいち早く気づいたシロが駆け寄り男にしがみつき泣きじゃくった。
「父上! 父上~!!」
外見はともかく、実年齢相応の行動をとるシロの泣き声が延々と響きわたった。