≪ハーピー≫
「フ……来たようじゃん……! この日をずっとまってたんだ……! あのガキはあたいが必ず殺してやる……!」
あいつの母親には対魔族用の退魔護符を喰らった恨みがあるからね。
「そいつは困るな」
急に背後から声が聞こえた。
あたいが後ろを取られた!?
慌てて後ろを振り向くがそこには誰もいない。
「あの娘達を殺されるととても困るんだよ」
また背後から。
殺し屋のあたいが完全に背後を取られている。
「ムダだよ殺し屋。狙撃手の君が接近に気がつかなかった時点で君の負けだ」
その通りだ。ここまで接近され、動きすら捉えられないのではたとえ人間が相手でもあたいじゃ勝てないかもしれない。ましてこいつは得たいが知れない。
「何者じゃん! 姿を見せるじゃん!」
予想外にそいつは姿をあらわした。
「人間!?」
そいつは人間だった。人間があたいに気づかれないで背後をとったじゃん?
あたいは急ぎ大空に舞い上がる。
急ぎ空に舞い上がるために一瞬そいつから眼を離した。
しかし次の瞬間にはそいつはいなかった。
「そう逃げなくてもいい。……そうだな。今日のところはこちらの意に反する反答だったとしても俺はこのまま帰るとするさ」
また背後から声がした。
振り返ればそいつが空中に立っている。
本当に人間か?
「こちらの要求はあの家族に手を出さないこと。人間をこの先殺めないことだ。こちらの要求をのんでくれるのならこちらもできうる限りの保障はしよう。お前が安全に暮らせる居場所くらいならどうにかできるはずだ。……まぁ信じられないかもしれないけどな。その気があったら俺がいるときにでも、お前が監視していたあの事務所を訪ねてきてくれ。どうしても彼女達を殺すというのなら俺は全力で彼女達を護る。お前を殺してもな」
人間はそれだけ言うと地上に降り立ち事務所に入っていった。
……嫌な汗をかいたじゃん。
あたいが完全に動きを封じられていた。
空に逃げても追いつかれた。
……駄目じゃん。あたいじゃあの人間には勝てない。
あたいは魔族の中では人間にも滅ぼされかねないほど打たれ弱い。
空を飛べること、狙撃ができかつその攻撃力が高いこと、動きがすばやいこと。
そういった諸々の要因が重なって殺し屋ができるに過ぎないじゃん。
無論、並みのG・Sにやられるはずはない。でも今のあいつはあたいを以前封じた時間逆行能力者の女以上じゃん。間違いなくあたいを滅ぼすことができる。
……かといって依頼者を裏切ることもできないじゃん。
それこそ魔族が出てきたらあたいなんて簡単に殺されてしまう。
……前門の虎、後門の狼ってかんじじゃん。
……とりあえず、あの人間の事務所を監視してみるじゃん。
・
・
……どういうことじゃん!?
あの事務所を監視して一日が過ぎるが人の出入りが激しい。
いや、人以外の出入りが激しいじゃん。
かなり高位の天使に竜神に幼い蛇神。緊那羅、種族はわからないけど下級の神族。それに土地神に福の神。そうかと思えば夢魔の王女に魔界正規軍の軍服を着たかなり高位の魔族。これらのほとんどがあたしなんか瞬殺される力の持ち主じゃん。それ以外にも鬼やら猫又なんかが出入りしている。
しかもそれらが鉢合わせても特に争うわけでもないのだ。
あたいの存在なんかとっくにばれているけど特に手出しをしてくる様子はない。
……でもあれなら。
あそこに出入りしている連中の協力さえ得られるならば確かにあたいの居場所を確保するくらいはできそうじゃん。
……覚悟の決め時じゃん。
いずれにしてもこのまんまじゃあたいがあの女たちを殺すのは難しい。
そのそぶりを見せただけであたいを殺せるやつらがあたいを殺すに決まってる。
かといって任務をまっとうできなかったら依頼主の殺されるだろう。
……賭けるしかないじゃん?
あたいはあの人間の事務所に入っていった。
強力な結界がはってあったのだがすんなり入れる。
「ん、来たか。まぁ座ってくれ」
あたいが入っていっても中の人間達は動揺しなかったじゃん。まぁ普段から魔族や妖怪が出入りしているんじゃ無理もないかもしれない。
ターゲットの小さい方と天使があの男によじ登って遊んでいた。
「詳しい話を聞きたいじゃん」
「ん。悪いがみんないったん部屋から出てくれるか? レーコちゃんも」
「ハーイ!」
この部屋はあたいとこの男の二人っきりになったじゃん。
「さて、名乗ってなかったから自己紹介をしよう。俺の名前は横島忠夫」
「あたいはハーピーじゃん」
「ああ。……それで、どういう風なのを望む?」
「どういう風なの? どういうことじゃん? あんたはあたいの居場所を用意してくれるんじゃなかったのか?」
「居場所だってイロイロあるだろう? 最低限護らなくちゃならないのはお前の身の安全だ。依頼をまっとうできなければお前はクライアントから命を狙われる。違うか?」
「その通りじゃん」
「できるだけそちらの希望をかなえたいからな。いくつか案はある。一つはお前を魔界の正規軍に編入させること。狙撃手としてなら編入可能だと魔界正規軍のワルキューレ大尉に確認を取った。魔界正規軍に入ればお前のクライアントもおいそれとは手出しができないだろう?」
確かに。魔界正規軍の軍人に手を出したらイロイロ厄介な分、ろくな機密も知らない下っ端のあたい位なら見逃しそうじゃん。
「次に人間界で暮らすこと。この場合は俺が身元の保証人になるな」
……これはあまりメリットは多くなさそうじゃん。
確かにこの男はあたいなんかより強いけどだからといって人間が強力な魔族に対処できるとは思えないじゃん。
……だが、何でこの男の周りにはああも強力な神・魔が集まっている?
解せないじゃん。
あたいが知らない何かがあるって言うのか?
……まぁいいじゃん。たとえ何かあったとしてもあたいは人界はあんまり好きじゃないから魔界に戻った方がいいじゃん。
「最後に、お前を神族に戻す。冷戦中の今なら即座に手を出すことはできないはずだ」
「そんなの無理じゃん!」
「無理じゃないさ。そのための準備はできている。……残念ながら方法は内緒だけどな」
……また、姉様の元にいけるの?
「……本当にできるのか?」
「できる」
「……たのむ。あたいを神族に戻してくれ」
「わかった。その椅子にかけてまっていてくれ。今から応援を呼ぶ」
あたいはこの人間を信じ、おとなしく椅子に腰掛けた
・
・
・
≪横島≫
やはり神族に戻るか。
主神の勝手な都合で魔に堕とされたのだから当然なのかもしれないな。
小竜姫さまとジルの伝で彼女を妙神山に招聘しておいてよかった。
すぐに妙神山に連絡を取ると彼女にこちらに来てもらうようにした。
ハーピーをゼクウの時と同じ方法は取れない。
ハーピーじゃあ壊れてしまう公算のほうが高いからな。
となればメドーサと同じ方法、ハーピーの罪も悪も、ハーピーを魔族たらしめている全てを俺が引き受ければ良い。
元が神族の魔族ならそれで神族に戻れるはずだ。
その時に同族がいるならほぼ間違いない。
しばらく待って、目当ての人物を小竜姫さまが伴ってやってきた。
「ハルピュイア!」
「ね、姉様!」
イーリス。心優しい虹の女神。黄金の翼を持つ伝令神。タウマス(ガイアとポントスの子)とエレクトラ(オケアノスの娘)の娘。そしてハーピーの姉妹神。
イーリスはハーピーを抱きしめる。
「ね、姉様止めて。あたいは魔族なんだよ!」
イーリスは黙して語らず、ただやわらかくハーピーを抱きしめ続けた。
しばらくそのままにさせて、落ち着くのを待たせた。
「本当にハルピュイアを神族に戻せるのでしょうか?」
「イーリスさまがハーピーに神気を注ぎ続けてくれれば後は俺が何とかします。……ただし、二人に俺が出す条件を飲んでもらいます。……と、いってもそんなたいしたことじゃありません。俺がハーピーを神族に戻したことを黙っていることと、その方法を探らないこと。この二つは護ってください」
「わかりました」
「わかったじゃん」
ハーピーを座らせて前からイーリスが神気を送り込む。
俺は自分のポケットの中に二つの双文珠を作り出し、発動させた。
【贖/罪】【山/羊】即ちスケープ・ゴート。
罪をあがなうために神に捧げられた犠牲の山羊。古代ユダヤ人は自分達の罪を山羊に負わせて神に捧げた。
日本でも流し雛がそれに相当するか。
ハーピーが負った罪を俺がスケープ・ゴートになればハーピーの持つ罪は消え、イーリスの神気を受けて反転するはずだ。
ハーピーの罪と記憶が流れ込んでくる。
だが、メドーサに比べればまだ軽い。
一分、いや四十秒程でやるべきことは終わった。
ハーピーは風の女神、ハルピュイアに反転した。
「ハルピュイア!」
「姉様!」
今度はハーピー……ハルピュイアの方も拒まなかった。
二人を残して部屋から出る。
ハルピュイア。予言の力を悪用したサルオデュソス王ピネウスを苦しめる為にゼウスにより姉妹とともに魔に堕とされ送り込まれ、アルゴー船の英雄達によって倒され、イーリスのとりなしで命は助けられて姉妹とともにストロパデス島に移った……か。
……ギリシャ神話の主要神はどうにも好きになれないな。
「なんとお礼を申し上げていいか。ありがとうございました」
十分ほどで二柱の女神が出てきた。
イーリスさまがにこりと微笑みながら涙を流す。
それは虹色の雫となって留まった。
「これはせめてものお礼です」
イーリスさまはその涙をこちらに渡す。
「女神ヘラの怒りを静めた虹の涙か。よろしいのですか?」
「はい。そんなことしかできませんが」
「私からも礼を言わせてもらいます。お陰でイーリス姉様と共に天へと帰ることができます。ありがとう、横島さん。いずれ改めて御礼はさせていただきます」
「イーリスさまもハルピュイアさまもお気をつけて」
再び小竜姫さまに伴われて二柱の女神は一度、妙神山に帰っていった。
ちなみにレーコちゃんは、イーリスさまの黄金の羽を一本もらってご機嫌だ。
そして翌日、過去の美智恵さんが再び飛んできて、今度はその嵐のうちに過去へと帰っていく。
レーコちゃんが帰り際に頬にキスをしてくれたら、胃が痛くなるような空気が立ち込めたことは忘れたいと思う。