≪横島≫
メドーサの一軒も俺にとってはほぼ理想的な形で解決に至ったわけだが、そうなってくると次の問題は人工幽霊1号のことか。
このまま霊的結界の薄いこの事務所にあっても、よほどのことがない限りは並大抵の魔族、例えばハーピーなどが来たところで撃退することは可能だ。
しかしそれでは周囲に被害が及びかねない。
強力な結界は外側の攻撃から身を護るだけでなく、内側からの被害を外に漏らさないためにも使える。
それ以上に、俺にとっては人工幽霊1号も大切な一人であることに変わりない。
まだ時間はあるとはいえ、メドーサの一件が片付いた以上、人工幽霊1号が消えてしまう可能性は余裕があるうちに除去した方がいい。
それと同時に、ユリンに人狼族の里と、天狗の庵へと派遣した。
とうとうユリンが動物の影だけでなく、植物や岩石など精霊が宿るものの影であれば潜めるようになったからだ。
あるいはもうすでにシロは熱病に冒され、シロの父親は片目を奪われているかもしれない。
ただ、シロは昔と言っていたが、俺の予想ではシロの父親が天狗と戦ったのはフェンリル事件よりそう昔ではないのではないかと思っている。
実際年齢の幼いシロにとっては数年でも十分昔であったろうし、主な根拠としては剣士として優秀な人狼族の、里一番の剣の使い手が長きに渡って隻眼であればその弱点くらいは問題ないくらいに対応できるようになっているのではないかと思うからだ。
それに、ポチの剣術は人間にとっては恐るべきものかもしれないが、人狼族の中ではさほど高いものではないと思っている。
フェンリルになれるほどに霊力を溜め込んだ【八房】を用いても、長老とはいえ老いた人狼に七太刀防がれ、剣術の素人でしかなかった俺に一太刀とはいえ幾度となく防がれたのだからな。
だからこそ、隻眼に適応し切れなかったうちにポチに殺された可能性は高いとふんでいる。
欲を言えばもっと早い段階でユリンを派遣したかったのだが、影にでも潜まなければ感覚に優れた人狼族や天狗の監視すらできなかったのが現状だった。
とはいえ、その問題も解決されたのだから後は幸運を祈るより他はないか。
これで最低でも、ポチの出奔を即座に知ることができる。
即死でなければあるいは助けてやることも可能かもしれない。
死んでさえ、……霊基構造に重大な欠損さえでなければ致命傷だとて双文珠で癒すことができる。
ましてや相手は生命力にあふれる人狼なのだからな。
原始風水盤のこと。
これははっきり言って読めなくなった。
メドーサが白娘姫となったことで歴史が完全に動いてしまったからな。
そのことに対して後悔はないとはいえ……俺の知っている限りで原始風水盤を製作するくらい頭の回るアシュタロスの部下は道真、デミアンと土偶羅、それにルシオラくらいか。
ワルキューレに殺されたあの魔族については知らないが、ベルゼブブは能力を過信しすぎて力押ししかできそうもないし、ベスパはやろうと思えば可能だろうが、タイプを考えればもっと他の作戦に使った方が有効だろう。パピリオに関しては性格的に向いていそうにない。そもそもあの三姉妹はいまだに生まれていない可能性が高い。
とはいえ、アシュタロスは魔王の一人だ。用立てようと思えばメドーサクラスの魔族はいくらでも用意できるだろう。人間界では最強クラスでも、魔界においては中級の魔族に過ぎなかったんだからな。
ただ、正直言って原始風水盤の事件は実はアシュタロスが用意した神・魔界向けのミスディレクションの一つなのではないかとも考えている。
月の魔力を集めるのとは別で、人間界を魔界にしてしまったところでアシュタロスが目的を果たすための直接的なメリットというのはそれほど大きなものではない。
これを理由にアシュタロスが脅迫を行ったところで事が大きくなる前に魔界の正規軍が鎮圧に乗り出してしまえばそれでおしまい。
その程度では魂の牢獄から抜け出すことは難しいだろうし、地脈をあやつったところで人間界を完全に神界の干渉から断つことは難しい。ジャミング装置に地脈から得たエネルギーを当てれば結局得られる力の大半はそれに奪われ、魔界と化した人間界では魔界のゲートへのジャミングは意味がないので結局地上で魔族同士が原始風水盤の取り合いとなることが容易に考えられる。
いざとなったら聖書級崩壊が起これば人間界を切り捨てるという選択肢を神界、魔界がとり得る以上、この方法は決してアシュタロスが望むものではないはずだ。確かに魂の牢獄から開放されるに十分な戦果は上げられるだろうが、それだけが目的ならばすでに完成している究極の魔体で暴れまわるだけでも十分なのだからな。
アシュタロスが自身の目的を最良の結果で果たすためにはどうしたって宇宙の卵を使う必要があるし、そのためには令子ちゃんの持つ結晶が必要となる。
そうなると、人間界を魔界に変えてアシュタロスにとっては誰ともわからない魂の結晶を持った人間(令子ちゃん)が死んでしまうかもしれない危険をはらむ人間界の魔界化というのはどうにもまずい気がする。少なくとも、エネルギー結晶を取り出す前に令子ちゃんに死なれるという事は、また千年前後の計画の中断を余儀なくされてしまうからだ。すでに反乱を起こした後では千年を待つ余裕など残されなくなってしまう。
では地脈のエネルギーを魂の結晶の代わりのエネルギー源とするのはどうか?
悪くはないが、大量の魔力が一気に送られてくる月の計画とは異なり(それとて無茶に考えられるが)、地脈を用いた場合には地脈からエネルギーくみ上げるための時間がかかるしその間は移動できないことを考えるとこれも難しい。
魂の結晶の精製と異なって一発勝負になる大規模計画を実行段階に移した後に失敗するのはいくらなんでも致命傷だ。
……やはり、エネルギー結晶の所有者が誰だかわかっていない段階での人間界の魔界化はアシュタロスの目的から考えればそぐわない。
メリットとデメリット、成功してしまった時、全ての計画が完全に頓挫してしまうかもしれないことを考えるとどうにもこの計画は失敗を前提にしているのではないかとも思う。
考えてみれば魔族によるG・S界の操作計画にしろアシュタロスにとっては無意味なことに過ぎない。
メドーサは神・魔界の眼を欺くミスディレクションのために用意された捨て駒だったのかもな。
そうなると、原始風水盤の計画を白紙にする可能性もないではないのか。
……何か見落としはないか?
……知っていることも多いが知らないことも多い。現段階ではこれ以上考えても無駄か。
とにかく油断はするべきではないな。
タマモのこと。
六道を介さずに、どうにか俺の人脈か権限を国の中枢に伸ばす必要がある。
とはいえ、俺を利用しようとする連中を相手にしたのでは墓穴を掘るようなものだ。
何か方法はないか?
今度はタマモが(公式には)隠れ住まずにすむ方法は?
タマモだけじゃない。
俺の保護を離れたとしてもこの国で妖怪たちが人間と生きることができるための指針を、俺が生きているうちに作ってしまいたい。
「兄者、あまり一人で悩むでない」
「心見……」
「我らもまた、兄者と思いを同じくするものなのだぞ? あんまり全てを背負い込もうとするな」
「……すまない」
「あんまり兄者が一人で悩んでいるものだから我らも勝手に動かさせてもらったぞ」
? 心見が唇の端を持ち上げるような笑みを見せる。
「人工幽霊1号に届くように噂を流させてもらった。兄者が霊的防御の高い物件を探しているというな。そう遠くないうちに人工幽霊1号の方からアプローチがあるのではないか? 兄者の実力は知らずともS級のG・Sであればあやつにとってもこれ以上ない宿主にうつるであろうからな」
「ゼクウと二人で動いていると思ったらそんなことをしてくれていたのか」
俺がそうつぶやくと心見が意外そうな声で問い返す。
「なんだ、気がついておったのか?」
「そりゃあまあなにかしてくれているなぁとは思ったけど、俺に内緒にしていたみたいだし、心見とゼクウならそう間違ったことはしないだろうと思ったから何をしているかは聞かなかっけどな」
ボンッと音がしたんじゃないかと思えるほど、急速に心見の顔が真っ赤になった。
「どうした、心見!」
「……兄者、多少は兄者の思考パターンは心得ているゆえ我は何も言わぬが、刺されぬように気をつけるのだぞ」
などといきなりわけのわからないことを言う。
・
・
「……ごめんください……こちらに……事務所をお探しの……霊能力者がいるとお聞きしまして……」
翌日、人工幽霊一号がうちの事務所を訪ねてきた。
「ほう、中々見事な人工霊魂だ。……霊魂そのものが自立しておるのか。私のマリアやテレサとは基本コンセプトが異なるが、独力でこれを作り上げたのか。見事というしかないな。なるほど、渋鯖男爵か。極東の島国にこれほどの研究者がおるとは思わなかった。ぜひ生前会ってみたかったものだな。惜しいことをした」
「……あなたは?」
「私の名前はドクター・カオス。こっちは私の娘のマリアとテレサだ。おぬしとはタイプが異なるが、娘達も私が作り上げた人工霊魂によって動いている。ところでおぬし、もう長くはないようだな。霊力が切れ掛かっている。もって数年というところか」
俺は文珠を人工幽霊に渡す。
「これは、……霊力が凝縮したものか。ありがとうございます。これでもうしばらくは持ちそうです。横島さん。ドクター・カオスお初にお目にかかります。私は渋鯖人工幽霊壱号。ドクターがおっしゃるとおり、渋鯖男爵によって生み出された人工の幽霊です」
「あぁ、はじめまして」
「うむ」
「はじめまして。ミスター・人工幽霊1号」
「私と姉さんのほかにも人口の魂がいたなんてね。よろしくね」
「ドクターがおっしゃるとおり私は長くはありませんでした。私は自立して動ける代わりに、優秀な霊能力者の波動を受けねば消耗していずれは滅んでしまうのです。最初は横島さんを試そうと思ったのですが、今受け取った霊力の塊を見てその必要はないと感じました。横島さん。私の本体は旧渋鯖男爵邸の家霊として存在しています。どうか私のオーナーになっていただけないでしょうか?」
「だが、俺は今一部の魔族と敵対している。俺がオーナーになってしまえばその邸宅も被害を受けるかも知れんぞ? それと俺は魔族や妖怪とも親交を結んでいる。彼らも事務所に出入りすることになるが?」
確認はとっておかないとな。
「私はあなたのような霊能力者に所有されることを望んでいた。あなたの霊力は強いだけでなくとても心地が良い。あなただけではなく、この事務所に染み付いた霊力のどれもが強く心地が良い波動を出しています。私は危険であったとしてもあなたが私のオーナーとなってくれることを望みます。妖怪や魔族であってもあなたが招いた方であれば客人として迎え入れましょう。幸い、私はかなり強い結界を張ることができる。あなたの望む条件を満たすと思いますが?」
「……交渉成立だな。」
「よろしくお願いします。オーナー」
こうして俺は人工幽霊1号のオーナーとなった。
結局、かつての仲間のほとんどと、また一緒に戦うのだな。
俺は……。