≪横島≫
虚をつかれた訳ではなかった。
反応できなかったわけでもなかった。
故に、避けようと思えば可能だった。
ただ、それをしなかった。
メドーサが俺の中に入ってくる。
メドーサは俺をる知るだろう。
同時に俺もメドーサを知ることができる。
アンフェアな方法だが、俺の体内に潜むことを選択したのはメドーサなのだから我慢してもらおう。
俺はメドーサをより深く霊視(みる)ために意識を埋没させた。
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≪メドーサ≫
……ここは地獄か?
私は横島と言う男の中に霊基構造を移して、こいつの霊力を吸収して復活する。
それでよかったはずだった。
ところが、この場所はあたしが知るどこよりもひどい場所だった。
何の救いもない。
ただ【死】と【殺戮】がそこらじゅうに溢れていた。
そうかと思えば何もかもを焼き尽くさんとする炎。
何一つ生命を感じぬ凍てついた大地。
そして無限に続く闇。
あぁ、ここはまさに地獄なのだな。
あたしなんか、こんなものに触れたら一瞬で殺されてしまうだろう。
だがあたしは生きている。
このあたしの周りを温かな膜が包み込み、護っていた。
この地獄の名前は横島忠夫。
この温かな膜の名前も横島忠夫。
だが、この膜が曲者だ。
この膜は私から全てを奪っていく。
あたしが昔捨てたものを無理やり押し付けようとする。
駄目だ……この膜はあたしを壊していく……殺していく……畜生……あたたか…い……
……とう……さ……ん。
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≪横島≫
……この天井は、妙神山か。
「横島さん! お目覚めになりましたか!」
「小竜姫さま。……三日ぶりですね」
「え、気を失ってたのでは?」
「外の状況は掴んでいました。ただ、意識を内側に集中していたので外側に干渉できずに気を失っているような状況になりましたけどそれより天龍はまだ妙神山にいますね?」
「えぇ、皆さんこちらに滞在しています」
「案内してもらえませんか?」
「わかりました」
広間に着くと皆が喜んで迎え入れてくれた。
とはいえ、これからか。
……どうでもいいことだが、まさか男の身で産みの苦しみを味わうことになるとはな。
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≪天龍≫
横島。
よかった。せっかくできた友を早々になくしたくはないからな。
馬鹿者め、余にこのような心配をかけおって。
……泣いてない。
余は泣いてなんかいないぞ!
突然横島が悶え苦しみだした。
慌てて駆け寄ろうとする余たちを手で制するとそのまま喉元に手をやる。
横島の喉がありえないくらいに膨らむと横島は一つの丸いもの、卵を吐き出した。
卵にはすぐにひびが入り、中から一匹の真っ白い蛇が這い出してきた。
「メドーサ!」
剣を抜こうとする小竜姫を横島が押しとどめる。
「天龍。お前は竜神王の息子で、成人した以上はそれなりの権限があるな?」
「うむ。確かに今は官職についているわけではないが、それなりの権限と人材を動かすことは可能だが」
「頼みがある。……今から1800年前、メドーサが堕天する直前に起こした南海竜王の館で璧が盗まれた事件について調べてはもらえないか? 当時の北海竜王第二妃と南海竜王が第三妃、それから法海という竜族について重点的にだ。頼む!」
横島は余に土下座をして頼み込んだ。
……。
「……横島、怒るぞ?……友に頼みごとをするのに土下座などするでない! 小竜姫、余について参れ。余はいったん天界に戻るぞ! 妙神山のことは申し訳ないが余が斉天大聖老師にお頼みする」
「はい!」
余とて伊達に竜神王の息子ではない。人を見る眼だけは養ってきたと自負しておる。
あの横島があそこまでする以上、必ず何かある。
ならば友としてその期待に応えぬわけには行かぬ!
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≪横島≫
聞いたところによると勘九郎はメドーサが放った霊波砲のドサクサに逃げ出したらしい。
雪之情が悔しそうに言っていた。
事務所に戻りたまった仕事を片付けること5日間。
その間、メドーサは常に俺の肩に巻きついていた。
令子ちゃんたちは少し嫌そうな顔をしていたが、メドーサのことにこだわっているのだろうか?
こちらではそれほど因縁はまだなかったはずだが。
小竜姫を伴った天龍が六日目に現れた。
小竜姫の瞳が真っ赤に充血している。
ある程度までは知ったようだな。つまりは成果があったということか。
「待たせたな。横島」
「すまなかったな、天龍」
「気にするな。……結果から言うぞ? メドーサの南海竜王が璧の盗難の嫌疑は晴らすことはできた。だがいかんせん地上の竜王の妃が関わっておったからな。政治的な問題になるゆえ、父上とも相談してメドーサの仕業ではないということを証明するにとどまってしもうた。よって、残念ながら北海竜王妃と南海竜王妃を捕らえることはかなわなかったが、法海に関してはその後も似たようなことを続けておったようで余罪が面白いほど出てきおってな。近く厳しい沙汰が父上から下ることになるであろう。それで、メドーサのことじゃが、確かに盗難の嫌疑は晴れて、そもそも魔族に堕天させたことがこちらの過ちじゃったのだが魔族となってから行ったことまずくてのう。神族の兵を十数人殺害し、母を殺し、ここ1000年はテロリストのような真似をしどうし、無罪とすることなどできようもない」
確かにな。
メドーサは確かにやりすぎた。
だが、今ここにいるメドーサは恨みも憎悪も俺の中においてきて、半ば白紙、半ば生まれ変わって別人になったようなもの。
「よって、魔族メドーサは余、直々に討ち取った。異論はあるまい?」
討ち取った?……そういうことか!
「新たに生まれたその竜神は妙神山で引き取ることになる。竜神とはいえ幼きころは蛇や蜥蜴とそうは変わらぬからな。人界でも神界に近い妙神山で育てたほうが間違いはなかろう」
それもどうりだな。俺の傍にいて仕事中に陰気の影響を受ければ魔に堕ちかねない。
「小竜姫さま、メドーサをお願いします」
「はい……今度は、今度こそはずっとお姉さまの味方です。私がお守りします」
やはり知ったか……
メドーサは小竜姫さまに擦り寄るように伸ばされた手に絡み付いていく。
小竜姫は涙をこぼしながらその頭をいとおしげに撫でた
「手間をかけさせたな、天龍」
「何を言う。お前は余の最初で最後の我侭を聞いてくれたのだぞ? まだ足りないくらいだ。それにあれしきの仕事、余が受けたメリットに比べればむしろこちらが情報提供に感謝をせねばならぬくらいだ。何しろ長年指名手配のトップにあったメドーサを余が直々に滅ぼしたことで余の名声を竜族の中に知らしめ、長年こそこそと裏で悪事を働いてきた法海を捕らえたことで芋蔓式竜神の中の腐った膿みを出すことができた。これで余の力を侮っていたものたちは一同になりを潜めたぞ。それに北海竜王妃と南海竜王妃のスキャンダルを掴むことによって父上の交渉もこちらの有利に運ぶことができたからの。それに北海竜王、南海竜王の耳に入ったことだし妃達は余が何もせずとも相応罰は下されるだろうて」
そう言って天龍は快活に笑って見せた。
「天龍。……お前って以外に策士なんだな」
「そう言ってくれるな。子供とはいえ700年も腹芸と、下心のあるゴマすりと、愛想笑いの中で生きてきたのだ。多少は身につけんと……な」
それが王という、権力という化け物と戦うための手段ということか。
「とはいえ、死んだ者の名前で呼ぶのは如何にもまずいであろう? 横島、お前がこの竜神に名前をつけてやるがいい。何しろお前がお腹を痛めて生んだ子だからな」
「するってえと俺は未婚の父か?」
……なんだ? 一瞬この場に奇妙な空気が流れたぞ?
小竜姫さまは顔を赤らめてるし?
「ま、まぁなんだ。横島、早く名前をつけてくれ」
「白娘姫(はくじょうき)はどうだろう?」
「白娘……『白蛇伝』ですか?」
流石に小竜姫さまは気がついたか。話を知っているだけに顔を少ししかめる。
「仇の名前も法海だしおあつらえ向きだろう? あの話も変形が多くて、白蛇の化身、白娘子(ハクジョウシ)が盗みを行いながら許宣という人間の男と結婚したのを法海和尚が見破って鉄鉢にとじこめ、鉄鉢を西湖のほとりの雷峰寺のまえに埋めたという話もあれば、白娘子と許宣の恋を祝福し、二人のなかに子どもの生れる筋としたり、二人の妨げをする法海を悪人とし、最後には蟹の腹にとじこめたり、たたきころしたりする結末をとる変形もあるからな」
「そうですね、それを考えれば適当かもしれません」
「うむ。竜神王が第一子、天龍童子の名において新たな竜神の誕生を祝福するぞ! 宴じゃ! 宴じゃ!」
天龍が味方になった以上、これで将来的にメドーサ……白娘姫が成人した後あのようなことは起こらないだろう。
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・
それはある少女の話。龍は多淫、気に入りさえすれば様々なものと子をなす。
牛、馬、魚、雉、猪、鷲、もちろん人間とも。
少女は龍の母と人の父の間より生まれた。
娘は父親の元で育てられるがやがて父は死に、母親を頼って神界に赴く。
父親は大好きだったし、優しかったが寿命という決定的な差が二人を分けた。
龍の血が入っていたことで人界は彼女を受け入れてはくれなかった。
そしてそれは天界でも。
母である龍は多少は相手にしてくれたものの、それ以外のものは誰一人相手にしなかった。
少女は孤独だった。
その少女を孤独から救ったのは幾分幼い一人の少女。
竜神王の血を引く尊き血の出の少女。
幼き少女は真っ直ぐだった。
故に血のことなど気にせずに少女に話しかけた。
少女は聡明であり、人間界のことも詳しかったために幼い少女は少女になついた。
やがて二人は仲良く成長して、少女が女性と、幼き少女もまた少女と呼ばれる年齢になったころの話。
女性は美しく成長した。
長く美しい髪は並び称するものなしといわれるまでに。
そうなると多淫の龍たちの触手も動く。
女性はそれになびかなかった。信用できなかった。
女性の孤独を救ってくれたのはただ一人の少女だったから。
しかし、それも北海竜王の妾とはいえ妃としての話が来るまでのこと。
女性の母親は嬉々として話を進めた。
女性も断ることのできる相手でも状況でもなく諾々と従った。
少女が無邪気に祝福してくれるのだけが支えだった。
それが面白くなかったのは当時の北海竜王の第二妃。
自分の地位が脅かされると思い、親交のあった南海竜王妃と女性に素気無く振られ逆恨みをしていた法海と結び、女性を陥れる。
南海竜王の璧を南海竜王の妃が盗み、北海竜王の妃がそれをメドーサの部屋に隠し、法海がそれを密告する。
単純ではあったが、効果的で、女性は簡単に捕らえられ、ろくに調べられもしなかったし、釈明の機会も与えられなかった。
女性の中に人間の血が流れていたからである。
もしこれが竜神王の耳に届いていれば話は変わったかもしれないが、地上の竜王の管轄のことであるし、誰もそれを竜神王の耳に入れようとしなかった。
母親も、北海竜王もあっさりそれを見捨て、女性は悲しみにくれた。
北海竜王妃は捕らえられた女性の前に現れ醜くゆがんだ顔で自分の策を自慢すると、女性の髪にビッグ・イーターの住まわせ痛めつけた。
決定的な破局が起きたのは女性が南海竜王の下に移送されていく際の兵の一人を見てしまったことからだった。
それはあの少女だった。
(少女はあの女性は北海竜王の下に嫁いでいったのだと思い、今移送しているのがあの女性だとはしらなかったのだが)信頼していた唯一の人物にまで裏切られた(と、勘違いした)女性は憎悪をつのらせ魔に堕ちた。その夜、闇夜にまぎれて兵士を殺し、母のもとに行って母を殺し、(少女は見つけられなかったので)十数人の追っ手を殺し(魔に堕ちた女性の霊格は思いのほか高かった)包囲される前に魔界に落ち延びた。
そこで女性は力をつけていく。
竜族を恨み、自分に流れる人間の血を疎み、あの少女に憎悪を向けた。
それが彼女の力の原動だった。
……その女性の名前はメドーサ、少女の名前は小竜姫といった。