人生には重大な決断を下すときがある。
つい先日までの自分がそうだった。
人生には大きな転機がある。
決断を覆すほどの転機。
それが先日自分に起こった。
私はその転機が起きたことを神に感謝するか、呪いの言葉を吐くことになるかは今はまだわからない。
ただ、霊能力者としての自分の直感はこれが正しいと伝えていた。
・
・
・
「先生。ご無沙汰していました」
「あら~。美智恵ちゃんいらっしゃい~。久しぶりね~」
いつものようにのほほんとした雰囲気で私に応対しているのは六道冥華さん。式神使いの名家、六道家の現当主で日本G・S協会の中で大派閥を束ねる押しも押されぬ重鎮。こう見えて私以上の策略家で交渉上手で知られている。
最近はとみにのほほんとした雰囲気に磨きがかかったというか、どこか肩の荷が下りたような雰囲気をかもし出している。
「それで~、今日はどういった用件かしら~」
「実は前々からご相談していた件なのですが身辺の整理もついて、最後の弟子の西条君もイギリスに留学していることですし、来年にでも死のうかと思いまして」
正確には死んだことにして時間移動し、来るべき魔族との決戦に備えるのだ。
「でも~令子ちゃんはどうするのかしら~。確か冥子と同い年だったわよね~」
「令子は強い娘です。私がいなくなっても大丈夫ですよ。そういう風に育てたつもりです」
「……そうだわ~。美智恵ちゃんに紹介したい子がいるんだけどいいかしら~?」
冥華さんがポンと手を叩いて悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
紹介したい子?
「きっと~、将来美智恵ちゃんの心強い手助けになってくれると思うの~。呼んでくるわね~」
私の答えも聞かずに席を離れる冥華さん。
しかし、冥華さんほどの人があそこまで言う人物なら興味はある。
しかし、私の知らない人間でそんな人物がいただろうか?
・
・
・
はたして、冥華さんが連れてきたのはまだ歳若い少年だった。
「この子が~横島忠夫くん~。名前くらいは聞いたことあるでしょう~?」
「はじめまして。横島忠夫です」
この子は前々回のG・S資格試験を最年少で主席卒業をした子。
六道家の子飼いの式神使いで鴉の姿をした強力な式を操り1年で低ランクとはいえ100件の依頼を完全にこなし、先日DランクからCランクになったという。歳若過ぎてチェックはしていなかったが、冥華さんがほれ込むほどの人材なのだろうか?
「それでね~」
冥華さんは私の事情を余すことなく彼に教える。正直言ってあまり見も知らぬ子供にそんなことを話して欲しくないが、冥華さんの顔を立てて黙っていることにした。
「……というわけなのよ~」
「……本気ですか?」
人が考え抜いて決断したことを一言で片付ける。
「そんな馬鹿な話しすぐにやめてください!」
「貴方に何がわかるのよ!令子は魔族に狙われてるのよ!」
私は彼を真っ直ぐに睨みつける。
そして絶句した。
その先にあったものが少年の瞳ではなかったからだ。
それは生きることに疲れた老人の瞳
そのくせ爛々と輝いて。
その輝きは果てしない苦悩と、悲しみ。
恐怖と狂気。
そして何よりも絶望を映したような暗い輝き。
暗い、暗い瞳。
「俺は、貴女の気持ちを理解してあげられません。ですが、分かる事もあります。……美智恵さん。貴女、大切な人を亡くしたことがないでしょう?」
「……無いわよ」
搾り出すように、辛うじて答えることができた。
声が上ずってるのが自分でも分かる。
私の瞳は、彼の瞳の魔力に捉えられ逃げることは適わなかった。
「本当に、本当に大切な人を亡くしたことがあればそんな結論にはならないはずです。大切な人を喪うということはそんな簡単なことじゃないんです」
怒気は感じ無い。それでも彼が怒っていることがわかった。
怒気を感じないのはその怒りを自分に向けているからだろう。
「どれだけ強い娘だろうと、心にきっと深い爪あとを残します。お願いします。逃げないで下さい」
そう言って私に深く頭を下げる。
視線が外れたことで体の機能が戻ってくる。
「逃げる……ですって?」
「違いますか?」
何故だろう?彼に言われると自分が逃げているのではないかという疑念にかられる。もしそうだとしたら私は……。
「俺には貴女が逃げているように見えます。美神さ……令子ちゃんを傷つけないで済むすべもあるはずです。それなのにそれを求めずに安易な道を選んでいるように」
戦う前に負けを認めることは美神の家訓に外れる。
それ以上に、目の前の少年に負けた気がする。
どんな敵を前にしても、幾度負けようとも最後には勝ち、笑うのが私の流儀だ。
「……分かったわ。もう少し決断は待ってみましょう。でも、そこまで言うからにはあなたも協力してくれるんでしょうね?言っておくけど、相手は上級以上の魔族よ」
犯人の特定はまだできていないが、それは間違いない。最悪魔王クラスという可能性もある。
彼はそんな危険なことにつきあってくれるのだろうか?
どこか期待して私がそう問うと、
「もちろんそのつもりです。ユリン!」
窓を開けるとそこから1羽の鴉が舞い込んでくる。
このこが彼の式神なのだろう。
「ユリン。ドラウプニール!」
横島君がそう命じるとユリンは2羽に分裂した。
「こいつを令子ちゃんにつけてあげて下さい。こいつならそこいらの魔族くらいなら十分時間稼ぎができますし、俺もすぐに駆けつけられますから」
「でも、この子は横島君の式神でしょう?あなたから離したら」
「あ、ユリンは式神じゃなくて使い魔なんで俺から離しても大丈夫です」
式神じゃなかったのか。六道家の子飼いだから式神だと思われていただけで。
しかし、魔族と渡り合うほど強力な使い魔ですって?
「それはダメよ~。横島君~」
静観していた冥華さんが口を挟んでくる。
「何でです?」
「ユリンちゃんは~、貴方と視覚をつなげられるんでしょう~?令子ちゃんは年頃の女の子なんだから~」
「あ、そうか」
そうだ。どうやら私の頭もまだ正常に働いてないらしい。
「それだったら」
そう言って左手を私の前に広げて見せた。そこに3つの小さな珠が生まれる。
これは!
「これは……文珠!」
「知っているなら話は早いですね。世間じゃ式神使いって認識されてるようですけど、俺の本来の霊能力は霊力の収束に向いてます」
「まさか人間に文珠を生み出せるなんて。それも貴方みたいな子供が……」
「あんまり世間に知られたくないんで内緒にしといてください。一応知っているのは冥華さんとG・S協会の限られた上層部の人間だけなんで。それと、くれぐれも悪用しないで下さい」
確かに子供にこんな能力があれば悪用しようとする人間も出てくるだろう。
文珠は便利すぎる道具。
できる限り隠しておいた方がいいだろう。
それが3つもあれば令子を守ることもかなり容易になる。
将来的にも霊的成長期にある今、これだけのことができるのなら未来でどれほど戦力になってくれることか。
冥華さんが私に紹介してくれた理由が分かった。
そして心底ありがたかった。
暗い闇の中で一筋の光明を見出した気分だった。
「ありがとう横島君。美神の名に誓って悪用はしないわ。このことは内緒にもしておく」
涙が出かけているのを無理やり押し込んでお礼を言った。
「ありがとうございます」
「おにいちゃ~ん~」
開いた窓の外から冥子ちゃんの声が聞こえた。
窓から覗いてみると背丈が冥子ちゃんと同じくらいある水でできたウサギが冥子ちゃんの周りで飛び跳ねてた。
「冥子ちゃんが待ってますんで俺は失礼します」
「えぇ~。冥子の事ヨロシクね~」
「ありがとう横島君」
「いいえ。それじゃあ失礼します」
横島君が出て行くと空気が急に軽くなった。
「……先生。こうなることが判ってて彼を紹介してくれたんですか?」
「私にそんな力は無いわよ~。でも~、横島君ならきっといい答えを出してくれるんじゃないかな~と思って~」
「そこまでかっておられるのですか?」
「そうね~。横島君が何であんな瞳をしているのか~?何であそこまで自分を責め続けているのかはわかんないし~、怪しいといえばこの上なく怪しいんだけど~、信用しちゃったのよね~。それに~、横島君が来てくれる様になってから冥子もとても明るくなったし~」
外で遊んでいる冥子ちゃん。いや、あれは霊力の修行なのだろう。水に霊力を通して固める。いつの間にかあの冥子ちゃんがそんな高度な霊力の扱いを覚えていたのだ。
「あの調子なら冥子が将来六道家を背負っていける日も遠くないかもしれないわね~」
冥華さんは嬉しそうにそう言う。きっと冥華さんの肩から荷を下ろしたのも横島君なのだろう。
「だからね~。せめてものお礼に私は横島君の瞳からいつかあの陰を払ってあげたいのよ~。きっと素敵な男の子になるでしょうね~。今でさえあんなにいい子なんだから~」
……。
美神の家のものは戦う前に負けを認めるようなことはしない。
・
・
・
横島君との初めての邂逅から3日後の水曜日。
私は再び六道家に訪れていた。
「こんにちは。横島君」
「こんにちは。……そのこは……」
「娘の令子よ」
「はじめまし」
「あ、・・・はじめまして。」
そう、美神の家のものは戦う前から負けを認めたりはしない。
「この間のことだけど、私は逃げないことに決めたわ。だけどいろいろと準備しなくちゃいけないことが多くて令子に手ほどきをしてあげられる時間がないのよ。だから、冥子ちゃんと一緒に令子の事を見てあげてくれないかしら」
「そんな。俺よりいい先生なら他にもいるでしょう?」
「あら~。それはいい考えね~。冥子もお友達ができて喜ぶわ~」
「横島先生は最年少で主席合格したんでしょう?だったらいろいろ教わることもあるだろうし」
「協力してくれるのよね? 横島君」
幾度負けようとも最後には勝ち、笑うのが私の流儀だ。
「うっ……わかりました」
まずは一本かえさせてもらうわよ。
……お願いね。横島君。