≪横島≫
・・・これはどういうことだ?
俺の目の前で小さな、7、8歳ほどに見える少女がマグカップからホットミルクを飲んでいる。
金髪のロングヘアーはサラサラで、青い瞳はどこまでも澄んでいる。
人形のようなという形容詞がピッタリな少女である。
少女の容姿は稀有ながら、それ以外は極々普通といえば普通の光景といえるだろう。
少女の頭上の光輪と、背中からはやした1対の翼さえなければ。
ことの起こりは今から2週間前、イギリスはコーンウォールに竜の卵が落ちてきたことから始まる。
紆余曲折の上、アイルランドの妖精女王マブを経由してフランスのヴィヴィアンに竜の卵をアヴァロンに送ってもらうこととなった。
Gメン経由で神界に照会した結果、あの卵はカンヘルドラゴンの遠い血縁の竜が産んだ卵だったらしく、どういう経緯かは判らないが人界、それもコーンウォールに落ちてしまったらしい。
確かにコーンウォールは竜(アーサー王)と因縁のある地だがどうしてその地にメキシコに伝わる竜の卵が落ちてきたかまではまだ判っていないらしい。
そして神界でも探していたそれをGメンからの照会もあり、実に迅速に(神界の感覚で言えば2週間なんていうのは非常に速いスピードなのであろう。)確認と受領をする人材を派遣してきた。
それがこの少女である。
カンヘルドラゴンはアステカの神話の竜とはいえキリスト教の影響を受けた洗礼を受けた竜族であるし天使が迎えに来てもおかしくはないだろう。
少女の姿をしているとはいえ、結局は天使だ。外見と実年齢がかみ合わないことなど普通だろう。
むしろあまり高位の天使をそのままよこしたのではデタントに悪影響を及ぼしかねないだろうから霊圧が低いのもかまわない。
俺が奇妙に思ってるのはそんなことではない。
・・・俺はこの少女を知っている。
いや、この少女と同じ気を放つ天使を知っている。
かつて俺はその天使と殺しあったことがある。
「それで~卵はどこにあるですか~?」
ミルクを飲み終わった少女はキョトンとした瞳でこちらに問いかけてくる。
・・・この少女が彼女と関わりがるのは間違いないだろう。
彼女の分霊か、それとも近しい何かなのか。
・・・愚考だな。仮に彼女であったとしても俺の知る彼女とはまた別の存在なのだから。
「俺は横島忠夫。君の名前は?」
「あ~、忘れてましたのだ~。ジルのことはジルって呼んでください~。」
ちなみに今回は雪之丞はお休みだ。
2週間前に出した罰ようの宿題がまだ終わっていない。
西条は仕事が入っているらしくジルを連れてきてすぐに帰ってしまったし、今回も妖精郷へ出かけるためカオスとマリアも留守番。
鬼道や魔鈴さんはもともとこの件にはノータッチだったし、リリシアはしばらく魔界にこもって何かをするらしい。
つまるところの今回はジルと2人で出かけることになっている。
「卵はアヴァロンに預けてある。アヴァロンの位置は聞いていないからもう一度フランスに行かなくてはならないんだが・・・君はその翼や光輪を見えないようにすることはできるのかな?」
「は~い。できますよ。」
翼や光輪を消すと同時にローブのような衣装もダッフルコートとスカートに変わる。
これで目立つことは避けられるな。
文珠で転移しても良いんだが・・・一部には知られているとはいえ、あまり天使には見せたくはないからな。
・・・俺はまだ、神・魔を信用することはできないのか。
この世界の神・魔とあの世界の神・魔が別人であるのは理解しているはずなのにな。
情けない。どこかで許さなくては、誰かが許さなくては怨恨の連鎖は無限に肥大していく。
それを知っているはずなのに。
「ここにくる途中に見た人間さんの洋服を真似してみたんですけど~。もしかして似合っていませんか?」
急に黙ってしまった俺を見て不安そうに尋ねてくる。
「いや、とてもよく似合っている。」
「良かったのだ。」
今度は満面の笑みを浮かべて喜ぶ。
訂正。
この容姿の子供を連れていては目立つことは避けられないな。
東洋人の俺が連れていたら誘拐に間違えられるかもしれない。
「目的の場所へは飛行機と列車に乗っていくとしよう。かまわないかな?」
「わかりました~!よろしくお願いします~。」
しゅたっと元気よく右手を上げて返事をする。
そのままこちらにジルが手を差し出してきたのでその手をつないでやった。
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≪横島≫
南フランスはプロヴァンス地方。
ヴィヴィアンは現在はローヌ河の畔に魔法で人間が入り込めない湖を作り出し、その中に館をかまえていた。
2週間前に来たときには清浄な空気と水を湛えていた湖であったはずなのだが。
「す、凄い瘴気なのだ~。」
「何かあったみたいだ。」
湖ではヴィヴィアンがその手に剣、聖剣エクスカリバーを持ち鰐のような、亀のような化け物と戦っていた。
「ヴィヴィアン!」
「横島さん。逃げてください!このタラスクスは何かがおかしい。」
ヴィヴィアンが切りかかるがその一撃はたやすく弾かれてしまう。
おかしい。リヴァイアサンの子、タラスクスは聖マルタに捕らえられるほどに神聖な力に弱いはず。
エクスカリバー程の聖剣で傷つかないはずはない。
タラスクスは6本の脚を振るい、毒の霧を吐き、炎に包まれた糞を撒き散らし暴れている。
「お手伝いするのだ~。」
ジルは翼を生やしその右手に剣を、アレは真理の剣。やはり・・・。
エクスカリバー以上に神聖な剣で切りかかるも結果は同じだった。
「キャァ!」
タラスクスの脚の一本がジルを襲う。
神聖力を使った防御壁を張るが、それすら何もないかのごとく貫かれてしまう。
拙い!
気がついたら体が動いていた。
サイキック・シールドを壁のように張り、自分の体でジルを包み込むように庇っていた。
俺のサイキック・シールドはその効果を表した。
ただその質量差で吹き飛ばされたもののジルに怪我はない。
運悪く真理の剣が俺の肩に当たり、倒れた衝撃で俺の左肩が貫き落とされてしまっただけだ。
「ちぃ!ユリン、ドラウプニール!」
牽制のつもりでユリンを呼び出すが、意外なことに効果を表した。
霊力と魔力は効果を及ぼす・・・いや、神聖力だけを無効化しているのか?
ユリンの一部に牽制を止めさせ、周囲の索敵に当たらせる。
・・・見つけた。
こうなってしまったら出し惜しみはできない。
速攻でかたをつけなくては。
「ごめんなさい。横島さん。」
ジルの顔や服は俺の血で赤く汚れていた。
俺は必死に謝るジルの頭を撫でて微笑んでやった。
天使に微笑むことができた。
ジルを抱き上げるとエクスカリバーを杖にどうにか立ち上がろうとするヴィヴィアンの元に駆け寄る。
「2人はここで待機していてくれ。ヤツは神聖力を完全にレジストするようだ。」
「そんな、いくらマブに認められた人間とはいえ横島さんだけでは無理です!」
ヴィヴィアンの制止はこの際無視する。
「リリシア!」
リリシアの名前を呼ぶと、
「どうしたの?いきなり呼び出して。」
リリシアはいつもの露出の多い服ではなく、なぜかエプロンドレス姿で現れた。
右手にはオタマを装備。
「説明は後だ。2人の護衛を頼む。あいつは神聖力を完全にレジストする。」
「わかんないけどわかったわ。」
天使の護衛をすることに特に文句を言わないでくれる。
「『神に棄てられし哀れな機織女。その哀しみでわれらを包め!』アルケニー!」
召喚魔術。
半人半蜘蛛の女魔、アルケニーは周囲に蜘蛛の巣を張り巡らす。
これでもかなりの防御力はあるようで流れてくる毒の霧や炎を防ぐ。
安心してユリンを別の方向に飛ばした。
さて、悪いが時間がない。
手加減も出し惜しみもなしだ。
「霊波刀定型式弐の型、憎悪の瞳。」
残された右腕に霊波刀を生み出した。
霊波刀の中央部に大きな瞳がついている。
その瞳から黒く輝く炎がネットリとした感じに刀身にまとわりついた。
振るう。
それだけで黒い炎は周囲を漂う毒の霧を燃やし尽くした。
飛来する炎を纏った糞を切り捨てるとそれもまた黒い炎に燃やし尽くされる。
当たり前だ。
俺の憎悪が炎となって現れたもの。
世界を滅ぼす憎悪の炎は制御しなければ全てを燃やし尽くす。
逆説的に言えば制御しなくてはいけない為に全てを燃やし尽くすだけの力は失われているのだがそれでも威力としては十分だ。
負の力で生まれた炎を纏った霊波刀は斬りつけたタラスクスだけを燃やし尽くした。
こちらを監視していたらしい魔族は下級のものだったらしくユリンだけでもかたはついた。
・・・おそらくアシュタロスの手のものではないだろうか?
何を目的できたのかはわからないが。
・・・ユリンに記録装置を砕かせる。
「忠夫!」
リリシアがもげた左腕を持って近寄ってくる。
「私の館へいらしてください。すぐに治療の準備をさせますわ。」
「ごめんなさい横島さん。」
半泣きになってるジルの頭を撫でてやると
「痛っ!」
傷口をつつかれた。
見るとリリシアが満面の笑みを浮かべている。
が、・・・なぜか寒気がした。
「リリシア、急に呼び出してすまなかった。ありがとう。」
素直に礼を言うと寒気が収まった。
なんだったんだ?
その日は結局ヴィヴィアンの館で休ませてもらった。
腕は文珠で治そうとしたのだが3人がかわるがわるヒーリングをしてくれたのでお言葉に甘えることにした。
その間にアヴァロンの地から卵を取り寄せてくれることになった。
ジルはヒーリングをしながら泣き始めてしまったので宥めるのが大変ではあったが。
翌日。
「昨日は大変お世話になりました。」
ヴィヴィアンがそう頭を下げる。
「いや、無事で何よりでした。」
「お預かりしていた竜の卵です。それと、これは心ばかりのお礼です。お受け取りください。」
一振りの騎士剣を手渡される。
「これは?」
「ランスロットがかつて振るった剣ですわ。最も、親友の弟を手にかけてしまった剣でもありますが。」
アロンダイトか。
「ランスロットはその剣を正しく振るうことができませんでしたが、剣そのものは決してそう劣るものではありません。貴方でしたら正しく振るうことができるでしょう。剣もそれを望んでいると思います。」
そうまで言われれば断れないな。
「ありがたく頂戴します。」
腕は完治していたのでそのまま館を辞した。
リリシアもジルもそれぞれ帰っていったので帰りは一人旅だ。
・・・アシュタロスがもう動き出す時期なのか。
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≪キーやん≫
「カンヘルドラゴンの卵は確かに受け取りました。」
「ご苦労様でした。いかがでしたか?2000年ぶりの地上は。」
「とても面白い人間に会うことができました。」
「ほう。」
「最初に出会ったときはジルにほんの僅かに敵意を見せましたがすぐにそれを抑えてようです。とても奇妙な表情をしておりました。知っているはずなのに知らないものに出会ったような。」
そうでしょうね。
ジルと彼女は同一存在でありながら別の人格を備えている者です。
そして横島にとってはかつて殺しあった存在でもあるのですから。
・・・数多くの彼女の分霊の中から、ジルだけが新たな人格を作り上げた。
同一存在でありながら別人。
それが彼女とジルの関係。
「ジルにはとても優しくしてくれたようです。ですが同時に危険な存在でありました。人間とは思えない力を持ち、それに強い魔力を備えた使い魔を使役し、リリムの姫とも契約をし、何よりあの青年が最後に振るった剣はまるで【炎の剣】レーヴァティンのようでした。」
世界を焼き尽くす魔剣、一歩間違えればまさしくそのとおりですね。
「人間とは思えない力を持っていながらどこまでも人間くさく、世界を滅ぼしかねない憎悪を抱えながら、他者を命がけで守る愛と、許す心を持っている。光と闇を同時に抱えうる矛盾に満ちた存在。・・・人間らしくないのにどこまでも人間らしい人間。とても面白い人物でした。」
「気に入りましたか?」
「え?」
「微笑んでますよ。」
彼女は実にいい微笑を浮かべる。
「ジルはとても気に入ったようですね。」
つまりは貴方も気に入ったのですね。
「わかりました。ジル、ジーブリエールにもご苦労様と伝えてください。下がって良いですよ。ガブリエル。」
「はい。」
・・・さて、アシュタロスが動き始めたのかもしれません。
サッちゃんに現状を聞かねばなりませんね。